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「ねぇ!キョンがどこに行ったか知らない?」
涼宮ハルヒが文芸部部室のドアを開けて叫んだ。部室には3名の生徒。
「学校に来ていないんですか?」
古泉一樹は言った。それまでの笑顔を若干抑えた表情だ。
「そうなのよ。これまで一度も休んだりしたことないのよ?」
ハルヒは複雑な表情と形容するのが適切な面持ちで後ろ手にドアを閉める。
入ってきたときと反対に、ドアはパタンと小さな音を立てて閉じた。
「キョンくん、風邪ひいたのかなぁ……」
朝比奈みくるが言った。メイド衣装を纏い、お盆を抱えて心配そうな表情をしている。
「……」
全く動じていないのが長門有希である。
彼女は眼鏡をかけて、窓辺で文庫本のページを繰っている。
「携帯は繋がらないし、岡部は連絡が来てないって言うのよ」
ハルヒはちらと有希の方を見てから、全員を見渡すように言った。
「それは少し気になりますね。彼の家に行ってみても徒労にはならないのではないでしょうか」
一樹が言った。それまで動かしていたチェスの駒を片隅に置く。
「そうね、何にしろ身体を壊したのならお見舞いに行くくらいしてもバチは当たらないわ」
ハルヒはいつもと違い取り乱していた。
その様子は他の三名が見ても明らかで、困っているのが今やはっきりと見て取れた。
 
四名は場所を欠席したSOS団員の家へ移した。
その家にある表札を見てハルヒは愕然とする。
「……どういうこと!?キョンの苗字じゃないわ」
一樹は表情を曇らせた。みくるも夢にも思わなかったというような心地らしく、あからさまに弱っている。
長門有希だけが我関せずという風な面持ちでその家の屋根を見つめていた。
「引越したんでしょうか。だとしても急ですね。それに、我々に連絡がないというのも引っかかります」
一樹が視線を有希のほうへ飛ばした。有希は全く動じない。
「キョン。どこに行ったのよ……」
ハルヒは悲しさと怒りを半分ずつ混ぜたような表情で玄関先に立ち尽くしていた。
 
四人は場所を近所の交番に移した。
しかしそこで欠席者の彼について尋ねても、困惑は大きくなるばかりだった。
「そんな名前の人はこの界隈には住んでいないよ」
「うそ……。そんなはずないわ、ちゃんと調べてください!ひょっとしたら引っ越して遠くに行ったのかもしれません」
ハルヒは警官に詰め寄った。
このやり取りはもう五回目である。
ハルヒの背後に団員三名が並んで立っている。
一樹を中央にして、両脇にみくると有希。
「キョンくん、どこにいっちゃったんでしょう……」
声を震わせながらみくるが一樹に言った。
ハルヒは警官と禅問答の応酬をするのに必死で、後ろの様子に気付いていない。
一樹はみくるには答えず、反対隣に視線を落とした。
「……長門さん。わけを聞かせていただきたいのですが」
しかし有希は何も答えない。それどころか何にも注視していないように見える。
ただ正面を見て、続く一樹の呼びかけやみくるの「長門さん!?」という言葉にも反応しない。
 
一時間後、四人は通学路の途上、山の麓で一塊になっていた。
「おかしいわよ……。キョンはどこに言っちゃったの?
 昨日まで変わらずのん気に部室にいたのに……」
ハルヒは他のことなど見えないようにつぶやいた。
小さい子が見知らぬ街に放り出されたらこんな表情になるかもしれない。
「とりあえず、今日は解散しましょう。僕も家に戻ってから、彼を捜す術を考えます」
「あ、あたしも……!」
一樹の言葉にみくるが続いた。
しかしハルヒには気休めにもなっていないらしかった。沈痛な面持ちで首を下向けている。
 
四人は空気に任せてそれぞれに帰途に着いた。
ハルヒは歩調も遅く、他の何も考えられないような頼りない足取りだった。
その後ろ姿を顔をしかめて見守っていた一樹は、振り向くと残りの女子二名のうち一人の肩を掴んだ。
「長門さん!何も答えないのはフェアではありません。涼宮さんは帰りました。
 事情があるなら話していただけませんか」
一樹は有希を振り向かせた。強引にそうしない限り、彼女は自分から振り向いたりしなかっただろう。
そして一樹は見た。彼女の両の瞳を。
「……な、長門さん!?」
空虚だった。輝きは全くない。ただ果てしない暗黒が有希の眼に広がっている。
底の見えない亀裂や、使い古した井戸でももう少しましな黒色をしているだろうというような、全くの闇。
「……」
有希は何も反応しなかった。
一樹は両手で有希の肩を押さえていたが、突然に何も掴んでいないような錯覚に陥った。
何か悪夢を振り払うかのような仕草で首を振ると、一樹はそっと有希の顔を自分の身体で覆った。
「あのう、長門さん……どうしちゃったんですか?」
今にも泣き出しそうなみくるの呼びかけに、一樹は崖を背後にしているような窮地の表情で、
「何かおかしなことが起きているようです」
声にいつもの柔和な色はなかった。
緊迫していた。空が。世界が。
 
何かが起きている――。
 
一樹は直観でそれを悟った。
「朝比奈さん、あなたは家に戻って、あなたの上司に指示を仰ぐといいでしょう。
 僕は長門さんを家まで送ります。彼女は、よくは分かりませんが、今危険な状態です」
 
みくるは小刻みに震えながら、一度だけ首を縦に振り、家路を辿った。
 
一樹は有希を介抱するように彼女のマンションを目指した。
空は分厚い雲が立ち込めた曇天であり、冬服に身を包んだ彼らの芯を冷やすような寒さだった。
 
本当に、空気を掴んでいるような軽さだった。
フード付きダッフルコートの小さな立ち姿を視認しない限り、今自分は一人で歩いているのだと誤認しそうだ。
 
「長門さん。一体どうしたのですか。……彼がいないことと関係があるのは間違いがなさそうですね。
 涼宮さんがあれを発生させないことを祈りますが。さて、神様は誰の味方なのでしょう」
有希は全く反応しない。それどころか、今や一樹が支えていないと崩れてしまいそうだ。
 
一樹はかつてない緊迫感を感知していた。
彼は涼宮ハルヒに接触する組織、『機関』に身を置いて早三年余りになる。
今まで涼宮ハルヒが間歇的に起こしてきた数々の現象に立ち会ってきたが、
彼の人知れぬ第六感が黄を飛ばして赤信号をともしていた。
 
二十分ほどをかけて一樹は有希を自宅に送り届けた。
彼女の家はオートロックのマンションだが、一階の番号式ロックは二人が近付くと自動で開き、
家の鍵はかかっていなかった。
 
一樹は有希を彼女の部屋と思しき場所に運ぶと、携帯電話を取り出して機関に連絡を済ませた。
 
有希は眼を閉じていなかった。
魂なき人形のように、天井のまた向こう、遠く空の果てを見ているようだった。
 
「長門さん……元に戻ってください。それでないと、僕は涼宮さんを落ち着かせることすらままなりません。
 一体何があったんですか。このままではまた世界が危機に瀕するのではないかと心配です」
一樹は独り言のような台詞を言った。
 
彼はSOS団の団員の前では一度も見せたことのない憂いを表情に浮かべていた。
今まで、半分ポーカーフェイスで誰の前でも笑顔でいた彼も、当たりまえに人間なのだろう。
 
部屋を、しばしの沈黙が包んでいた。
その静寂を裂いたのは、耳障りな機械音である。
 
ビーーーーー、ガ、ガ、ガ、ビーーーーーーーーーーーー!!!!
 
一樹は半瞬遅れて耳を塞いだ。
この部屋とは今を挟んで反対の方向から聞こえてくる。
コンピュータがエラーを起こした時そのものの音だ、と一樹は思った。
 
一樹は音のする部屋の戸を開けた。
小さな部屋。個室と言って差し支えない。
 
そこにあったのは、一台のパソコンだった。
他にはなにもない。
 
一樹はデスクに着いた。無機質な部屋。
冷静に考えるとここは隣の家に位置しているはずなのだが、一樹がそう思う余裕はない。
パソコンは時代観を超越したデザインだった。
半分ほどがデスクと一体化していて、一般に市販されている代物でないのは間違いなさそうだ。
椅子に座って間もなく、高く遠く響くような金属音が部屋に鳴った。
 
「……っ!」
 
青い光が一度瞬く。
一樹は目を閉じた。光はすぐに消え、間もなく音声が聞こえた。
 
――パーソナルデータ照合、古泉一樹。
 
画面に音声と同じ文字列が表示された。
 
――あなたと朝比奈みくるのいずれかがこの部屋に来た場合に、指定プログラムが作動するようになっている。
 
有希の声だ。一樹は真顔で画面を見据えている。
「長門さん、あなたは今、一体……」
 
――このプログラムに双方向性はない。わたしはわたしが陥っているであろう状況と、
   予測される周囲の状態を危惧してこれを用意した。
 
一樹は黙って文字を見つめた。
有希の言葉が続く。
 
――あなたがこの部屋にいるのならば、わたしは正常な動作をしていないということだろう。
   そして、おそらく彼が現在時空から消失している。
 
一樹はゆっくりと頷いた。
「その通りですよ、長門さん……」
無機質な表情にパソコンの青白い光が反射している。
 
――わたしは12月18日午前4時23分、異常動作を起こした。
 
一樹は黙っていた。文字が続く。
 
――涼宮ハルヒに接触して以降、蓄積され続けたバグが臨界を超えた。
   わたしは涼宮ハルヒの能力の一端を用い、時空間に改変を施した。
 
一瞬がたんと物音がした。一樹が立てた音である。
彼は椅子から半分立ち上がりかけていた。
表情から何を思っているのか汲み取ることは困難な状態である。
 
――彼のみが当該時刻以前の記憶を保持したままで、改変時空に存在している。
 
一樹は両手の指を交互に組んで、両肘を机に付け、拳を口元に当てた。
 
――現在のこの世界は、人類の概念に置き換えると虚数単位に相当する場所にある。
   彼の行動如何によって、この世界自体が消失しうる。
 
一樹は何かを悔しがっているように口元を歪めた。
その表情を見るものは誰もいない。
 
有希の声とメッセージは続く。
 
――わたしには結果がわからない。
   わたしは過去、今日この日までのわたしと同期を取っていた。
   それにより未来のわたし自身の行動を知ることができた。
   しかし、今日以降の異時間同位体と同期を取ることは、いかなる手段を持ってしても不可能だった。
   わたしは、改変世界に脱出装置と呼べるアンチプログラムを設置した。
   彼がそれを正しく用いれば、この世界が実数界に復帰する可能性がある。
 
一樹はじっと画面を見続け、ずっと何かを考えているようだった。
それに合わせるように、有希の声は一時的に止んだ。
 
しばらくの後、一樹は溜息をひとつ吐いて言った。
「長門さん。あなたって人は。……どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか。
 僕にじゃなくても構いません、彼にでもいいですし、朝比奈さんにでもいい。
 涼宮さんに言うわけにはいきませんが、相談だけでもしてくれれば……」
 
その言葉に呼応するように、ふたたび言葉がどこかから聞こえる。
 
――わたしは異常動作を防ごうと、いくつかの手段を試みた。
   しかし、どれも最終的には改変時に上書きされてしまうと分かっていた。
   それでもわたしは対抗措置を施そうとした。
   そのうちのひとつは改変世界のアンチプログラム。
   そしてもうひとつが、このログ保存端末。
 
一樹はまた画面を見ていた。その目には何か思うところあっての憂いの色が見えた。
 
――この世界はなくなってしまうかもしれない。
   事前にわたしが出した数値では、この世界が完全に元の状態になる確率は0.001%
   そうでない場合は、消失してしまうか、何らかの痕跡が残る。
   復帰できた場合でも、改変以前と異なる箇所は相当数に上ると予測する。
 
一樹は自分がさっきまでいた部屋の方を振り返り、そしてこれまでの時間を振り返った。
 
メッセージは二度目の保留状態になっていた。
まるで、表示された内容を見た者の心情を、汲むかのように。
 
「何とかできなかったんですか……。僕たちは、動機や目的は違えど、SOS団というひとつの
 つながりを持つ……。仲間、だったのではないですか。
 僕は自分をわずかばかり悔いています。僕は涼宮さんの心理に注意を傾けすぎていました。
 半年以上も一緒にいながら、身近な他の仲間を分かってあげられませんでした。
 ……彼は今頃、どんな心境なのでしょうね。
 SOS団と涼宮さん、世界の命運。それらが突然一度にひっくり返ってしまったんですから、
 僕より受けているショックは大きいでしょう……」
 
しばし沈黙が続いた。
さっきのものより保留時間が長いのは明らかだった。
無限に続くと思われるような時間が経ち、有希の言葉が再開される。
 
――あなたと朝比奈みくるに、謝りたい。
 
短い文章だった。一樹は虚を突かれたようにぽかんとしていた。
 
――あらかじめ統合思念体にわたしという端末の処分を頼むこともできた。
   そうすれば膨大なエラーコードの強制解放は回避できる。
   世界改変も起こらない。
   あなたたちの日常に、危害は及ばない。
   でも、できなかった。
   有機情報連結解除コード申請だけが。
   わたしは、予測された事態を全て思念体に報告することも避けた。
   全責任はわたしにある。
   だから、謝りたい。
 
「長門さん……」
一樹は若干目を細めていた。顔の半分ほどを両手の平で押さえている。
きらりと光る眼差しが、無機質な文字列の最終行へ向いている。
 
そうして、メッセージは終わりへ向かう。
 
――この世界からあちらに対抗する術は存在しない。
   既に述べたように、彼の行動に全てが懸かっている。
 
一樹は黙っていた。
あるいは、何かを声に出さず話していたのかもしれない。
 
 
――彼を、信じて。
 
 
鈴の音のような声がわずかに残響し、メッセージはそこで終わった。
画面は徐々にブラックアウトし、後には無音の個室のみが残された。
 
どれくらいかの後、一樹は部屋を出た。
 
彼にはまだすべきことがある。
 
この世界が書き換えられる運命にあるとしても、
今、自分がここにいる限り、すべきことがある。
 
一樹は有希の家のドアをそっと閉め、マンションを出ると黒塗りの車に乗り込んだ。
「発進してください。可能な限り速く」
「かしこまりました」
 
一樹の声に渋い声が答えた。
間もなく車はこの場から見えなくなった。
 
 
空には暗雲が立ち込めている。
 
 
ふたつの世界の運命は、彼らの手に、懸かっている。
 
 
(おわり)
 
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