プロローグ
それは、ある晴れた日の午後のこと。
空は雲ひとつなく、そよ風が吹いているという、まことに単純明快な天候だった。
外では、運動部系の生徒が放課後の活動に勤しんでいる。また、微かに漏れるわずかなクラシック音は、吹奏楽部から発せられるものだ。
すべてが、当たり前の光景で、単純なものだった。
しかし、そんな情景とは裏腹に、俺たちは一人の少女を前にしてこうつぶやいていた。
「「「「うーん、どうしたものか」」」」


          本編
ことの始まりは、唐突なものだった。
時は6校時。この50分間をくぐり抜ければ、頭が痛くなる授業から解放されると思った、そんな時だった。
突然、俺の背中にチクリと小さく、冷たい刺激が走った。
俺が後ろを向くより早く、俺の後ろにいるやつは声を上げた。

「ねえキョン」
なんだハルヒ。授業中はどうするか親には習わなかったのか。
「うるさいわね。それよりキョン、ちょっと話があるんだけど」
ん?どうした?
「…いや、やっぱ放課後に話すわ。話が長くなるから」
何だよ、話があるんならさっさと話せ………。
「おいキョンと涼宮。お前らそんなに外に出たいか」

突然割り込んできたその声は、かなりの怒りを込めた、数学教師のものだった。
やれやれ。俺は仕方なく、前を向くことにした。
後ろに、「何であたしまで怒られないといけないのよ」という、俺にとっては迷惑甚だしい視線を感じた。

そして、放課後。
けだるそうに響く学級委員の別れの言葉を最後に、俺は文芸部室へと向かおうとした。
しかしそれは、さっき俺の背中をシャーペンでつついた者の妨害によって阻まれた。
「キョン、待ちなさい。話があるって言ったでしょ」
え?ああ、すっかり忘れていた。
「まったく、数十分前に言ったことも忘れるなんて、情けないわね」
冗談だよ。それで、話って何だ?
「実はねキョン。有希が死んじゃったの」

……長門が死んだ?何言ってるんだこいつは。何の冗談だ?
ハルヒによる突然の爆弾発言にあっけにとられている俺を前に、なおもハルヒは口を開いた。
「お願い。有希を生き返らせて」
……なあハルヒ。お前は言っていい冗談と悪い冗談を区別する能力もないのか。
「こんな洒落にもならない冗談を言う人がいたら、頭が狂っているわね」
そして、今日は4月1日でもないぞ。
「あたしがあんなとんちんかんな基準でつけられたものなんて、信用すると思う?」
じゃあどうして長門が………。
「ちょっとキョン、声が大きいわよ」
おいハルヒ。長門が死んだってどういうことだ。論理的に説明してくれ。
「……わかったわ。百聞は一見にしかず、とも言うし。キョン、来なさい!」
そう言うとハルヒは、突然俺を教室から引っぱり出し、走り出した。
こいつの向かう先はすぐに俺も想像できた。

文芸部室に着いたハルヒ(と俺)は、早速そこに入った。
そこには、さっきまでの議論の中心だった長門有希が、部屋の片隅にちょこんと座っていた。
片手に本を持っていないこと以外は、いつもの長門と変わりなかった。
俺は、長門を観察してみたが、どう見ても死んでいるとは思えなかった。
目はちゃんと開いていて、時々まばたきをする。呼吸もしていれば、脈も正常だった。

ハルヒ。いいから、もうそんな凝った冗談は止めろ。
「何言ってんのキョン。これは本当の話よ」
それはこっちの台詞だ。長門はこうして生きているじゃないか。なあ長門。
「………わたしは死んでいる」
そうかそうか。長門もグルだったとはな。
もう十分驚いたよ。だから、もうそんなのは止めろ、長門。
「………わたしは死んでいる」
「だからさっきから言ってるでしょ。これは冗談じゃないの!」
じゃあどういうことなんだハルヒ。長門はどう見ても生きているだろ。
それなのに死んでいるって、どういうことだ。いい加減そんな突っ張らなくてもいいぞ。
「…ふう。何度も同じことを言わせないで。これは冗談じゃないの、バカキョン!」

そしてハルヒは、また話し出した。
「朝ね、学校で偶然有希とばったり出会ったの。声をかけたんだけど、何を言っても『わたしは死んでいる』の一本通し。
昼休みにも声をかけたんだけど、それしか言わなかった」
何で長門がそんなことを言ったかわからないか?
「そんなこと、あたしに分かるわけないじゃない」
そうか……。

そうこう言っているうちに、朝比奈さんと古泉も来た。
そしてすぐに、SOS団の、長門有希についての会議が開かれた。

「「「「うーん、どうしたものか」」」」
三人寄れば文殊の知恵、なんて言葉もあるが、それは嘘のようだ。
学年の席次トップ10をキープしている二人を含めた四人の頭脳を持ってしても、この問題に対する打開策は見つからないのだから。
もちろん、いくつかの案は出た。長門は今、こういう状況にあるのではないか、という考えは。
しかし、それに対する解決策が浮かばなかったり。何かしらの矛盾が生じてきたりで、結果的には進展なし、だ。
そして、この状況に耐えかねたのか、朝比奈さんが口を開く。
「ふう……分からないことだらけですね。長門さんの知り合いでもいれば、すぐに分かるのかもしれないのに………」

……長門の知り合い、か。
しかし、考えてみれば俺たちが長門の一番の知り合いのようなものだ。その俺たちが知らなかったら、ほかに誰が……。
…………………あ。
もう一人いた。俺たち以外に長門のことをよく知っているやつが。
「おや。その顔は、何かひらめいたんですね」
「ちょっと、あたしにも教えなさいよ。キョン」
朝比奈さん、あなたの言葉でやっと分かりました。ありがとうございます。
「ふぇぇ…わ、わたし、何か言いましたか?」
「……なるほどそういうことですか」
じゃあ、みんなはここで待っててくれ。俺は行くべき場所があるからな。
「待ってください。僕もついて行きますよ」

やっぱり、三人寄れば~~という言葉は、本当だったのかもしれないな。
俺は、文芸部室を飛び出した。向かう先は、生徒会室だ。

それから数分後。
俺と古泉と、生徒会室から長門の救助に駆けつけたその人は、文芸部室のドアを開けた。

喜緑江美里。生徒会役員で筆記を勤めている2年生。
かくしてその正体は、長門と同じく対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インタフェースである。
……ふう。Wikipedia引用完了。

突然の生徒会役員の訪問に、長門を除く女性陣は驚いていた。
特にハルヒは、長門や喜緑さんが宇宙人だとはまったく知らないわけだから、この人と長門との関係を探しているところであろう。

「それで、キョン君。長門さんがどうしたんですか?」
喜緑さん。じつは、かくかくしかじかなんですよ。
「なるほど……ちょっと話しかけてみましょう。
……有希。わたしよ。調子はどう?」
「わたしは死んでいる」
「……うーん、これはかなり重症ですね……」
そう言ったきり、喜緑さんは考え込んでしまった。
なぜ喜緑さんが長門の呼び方をコロコロ変えるかという疑問はさておき、俺も今の長門について考えてみようと思う。
重症ということは、長門はやはり何かの病気なのか?しかし、自分が死んでいると言い張る病気なんて聞いたことがないし、
第一宇宙人がこの星の病気にかかるのか?

そんな俺の空想は、喜緑さんの声によって破られた。
「分かりました」
突然のその声に、驚きと、いくらか期待を帯びたまなざしが彼女に送られる。
「長門さんは、大変な読書好きです。彼女が本を読み始めると夢中になることは、皆さんのほうが知ってのおいででしょう」
「ええ。でも、それが……」
「実は、最近の長門さんは、読書中にその作中人物になりきってしまう性質が身についてしまったのです」
なんですって。長門が、そんな……。
「あなた方には分かりにくいことだと思うのですが、彼女は確かにそうなのです」
「あ…いつか、長門さんが本を読んでいる途中にお茶を彼女のそばに置こうとしたら、噛みつかれたことがあります」
なんでまた、かみつかれたのですか。
「そのう……そのときの長門さんが読んでいた本は、犬を主人公にしたものでした」
「話を元に戻しましょう。要するに彼女は、たぶん主人公が途中で死んでしまう本でも読んでいたのでしょう、それで死んだままになっているわけです」
じゃあ、長門はこの先、一生その主人公になりきったまま……。
「いや、その主人公になりきるのは読書中だけで、本を読み終わると、われに返るはずなのですが……ふむ、これは調べてみる必要がありそうね」
話の語尾あたりが独り言になっていることに俺が気づくよりやや早く、喜緑さんは言葉を続けた。

「キョン君、一番最近に長門さんが読んでいた本は何か分かりますか?」
ええ、たぶんあそこに。長門はいつも、読みかけの本などはあっちに置きますから。
……ハルヒ。そこにある、長門の本をとってくれないか。
「ふぇぇっ、あ、分かったわよ」
突然話しかけられ、朝比奈さんのような声を出し、ハルヒは少しうつむいた。

ん?この本……。
「やはり、そうでしたか」
え?どういう、ことなんですか?
「やはりわたしの推測どおりでした。この本に原因が隠されていました」
その本は、なぜか裏表紙を含めた本の後半がなくなっていたのだ。
「この本は、おそらく主人公が死んだ後のページから抜けているのでしょう。
そのために長門さんも、われに返ることができず、この有様になっているのだと思います」
「ちょうど、映画のフィルムが途中で傷ついて、それで映画が見られなくなったのと同じ感覚ですね。そして、長門さんは……」
「その本を中断しているところから読ませれば、大丈夫です」
「おや、偶然なことに、その本なら僕も持っています」
「そうですか。では、中断されたところから長門さんに読ませればいいです」
喜緑さん、ありがとうございました。
「こんなところですかね。それじゃ、わたしはここで……」

「ねえキョン、あの人って、どうして有希のことをあんなに知ってるの?」
喜緑さんが去っていった後、ハルヒが俺に聞いてきた。
ありのままを話すことは当然危険なので、「どうやら仲のいい親戚らしいぜ」といっておいた。
まあ、同じ宇宙人仲間なんだし、親戚と言っても大丈夫だろう。
かなり違う気もするが、そんなに脳の中身がハイスペックではない俺にとってはそのほうが分かりやすい。

しかし、ひとつだけ疑問になることがあった。
長門のこの感情は、親玉、つまり情報総合思念体からしたらバグかエラーとしか捉えないのではないか。
長門が無表情なのも、『感情』というものが親玉にとってはエラーでしかないんだし。
でもこれは、長門が『無意識に表している感情』だから、それ自体が長門の一部となっているのでは……。
訳が分からなくなってきたので、俺は考えるのをそこでやめた。
そろそろ帰る時間だ。

翌朝。
少し寒くなってきた秋風を堪能しながら学校についた俺を見るなり、ハルヒはまた俺を引っぱり出した。
畜生、なぜこんな早い時間に文芸部室に来ないとならんのだ。

部屋の中には、なぜか長門がいて、昨日と同じ本をまだ読み続けていた。
「キョン。有希が、本の中に閉じ込められちゃったの。昨日からあんななのよ」
どういうことだ。すると長門は、昨日の夕方から今まで本を読み続けているというのか。
「そうなの。本って、いつかは読み終わるものよね。なのに有希は、昨日からあんな調子で……」
……………。

俺は、長門が本を読んでいるところを、後ろから観察した。
長門が本を読み続けたままということは、その本に何か欠陥があるはずだ。
昨日のことから、俺はそう学習していた。

その原因は、意外にも早く見つけ出すことができた。
本は、このままいけばストーリーはクライマックスへと突入し、そのまま物語は終わるはずだった。
しかし、本の終わりのほうに乱丁があり、そこには、はじめのほうのページが紛れ込んでいたのだ。
長門は、そのページまで読んでくると、また本のはじめに戻り、いつまで経ってもその本を読み終わることはなかった。


【涼宮ハルヒの憂鬱 meets 星新一 第九部 「処方」】
原作:星新一「ボンボンと悪夢」に収録 「処方」

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最終更新:2007年01月15日 17:21