プロローグ
それは、ある日の放課後のことだった。

あたしは、SOS団の活動を終え、家に帰るところだった。
まあ、団活と言っても、そんな大層なものじゃなく、いつものように適当に集まって、
いつものように我が団員たちとたわいない話をして、有希の本を閉じる音を合図に帰る。そんなものだった。
あたしは、こんなむさ苦しい毎日とさよならしたかった。
退屈な毎日。キョンに言わせれば「平穏」という言葉になるが、どっちだって同じだ。
あたしの求めている日々とは違うということにおいては。
そう、あの日の帰り道まではそんな退屈な日々があたしを支配していた――――。


             本編

学校を出て家がそろそろ見えるほど歩いたところで、あたしは足を止めた。
なぜならあたしの足元には、銀色に光るカードがあったからだ。
無視するのもなんなので、拾い上げてみる。
あたりはもう薄暗くなっているので、あたしは家の中でそのカードを見た。それには、

<SUR特別調査行動部員・17号>

とだけ書かれてあった。
薄い金属でできていたが、硬く丈夫で、一筋縄では壊せそうもないものだった。
細かい模様が、端っこの一部を除いて一面に彫刻されている。
裏に文字はなく、そこは模様ばかりだった。

なんなの?これ。クレジットカードのような気もするけど、こんな金属製のものってあるかしら。
名刺のたぐいではなさそうね。こんな金のかかりそうなのを作るのは無駄だというものだし、名前も住所も書いてない。
そんなことから、あたしは身分証明書の一種ではないかと考えた。
どう見ても、免許証とか診療券とかそういうものとは思えない。

それにしても、立派なもんね。普通の会社とは違った、とても重要なことをしているところの証明書じゃないかしら。
しかし、このSURとはなんだろう。
所在地や電話番号さえも書いてないのだ。どことなく神秘的な感じもしてきた。

あたしはそれを、自分のカバンに入れた。ちょっと楽しい気分になれた。
例えるなら、幼稚園生とかが珍しい形の石などを手に入れた感じだった。
他人の持ってないものを、あたしは持っている。そう思うと、優越感さえわいてきた。

翌日。
あたしは、あのカードのおかげで、ちょっとだけ元気になれた。
もちろん、これをみんなに見せるわけにはいかなかった。
そんなことでとくいがってみたりしても、幼稚だと笑われるだけだし、誰か盗むような人が現れたら困るもの。
でも、SOS団のみんなにならいいよね……。

正直なところ、あたしはこれを誰かに見せびらかして自慢したくってたまらなかった。
SOS団のみんななら盗まれる心配もなさそうだし、もし誰か笑う人がいたら、死刑にしてやるんだから!

そして放課後。
あたしは文芸部室に入ると、カードを取り出した。

最初に反応を見せたのは、みくるちゃんだった。
「わぁー。きれいなカードですね」
そうでしょ。
「なんかピカピカ光ってて、おもしろいですね」
「何なんだこれは?」
「ミステリアスなふいんき(ryをかもし出してますね」
「………」

みくるちゃんが騒いでるのを聞きつけて、キョンや古泉君や有希も来た。
あたしは昨日の出来事を話そうとしたけど、やめた。
どうせならもっと過激にしようと思ったからである。

みんな聞きなさい。これは、あたしが密かにしている仕事の身分証明書よ。
「「「な、なんだってー」」」
「……その仕事とは何?」
いい事を聞いてくれたわね有希。ヒントは、そのカードの中にあるわ。
「えーと……SUR特別調査行動部員17号と書いてありますね」
「つまり涼宮さんは秘密情報部員、スパイというわけですか?」
まあ、そうなるわね。
「……ハ、ハハハッ!何かと思えばそんな冗談か。
お前にスパイなんて務まるわけねえし、仮にそうだったとしてもスパイが自分の情報をそんなベラベラとしゃべるわけないだr」
……キョン?それ以上言ったら死刑よ。
「……わ、分かったから俺の首を自由にさせてくれ」
「ですがなぜあなたはそんな情報を僕たちに……」
え、えーと。最近この仕事が忙しくなってきて、時々団活休むかもしれないから、伝えておいたの。
だから、このことみんなにはしゃべらないでね。特にキョン!
「お、俺!?」
言ったら死刑だからねっ!……みくるちゃん?そろそろ返してくれない?
「あ、す、すいません。……わたしも欲しいな」
何か言った?
「い、いえなんでもないです!」
「……帰る」
「おや、もうこんな時間ですか。長門さんも帰ることだし、僕も帰るとしましょう」

どうやらみんな一様に驚いてくれたようだ。
キョンはなぜだか不思議な顔をしていたけれど。
あ、もちろん、さっき古泉君には「団活を休む」って言ったけど、そういうつもりはない。
そうでも言わないと信じてくれないに決まってるからだ。

その日からあたしは、暇があるとポケットの中に入れたカードをいじり、空想にふけるようになった。
学校に通ってるあたしは仮の姿で、本当は部員17号なのだ。
カードは今や、あたしにとってマスコットのようなものだった。つまんない日常からあたしを脱出させてくれる。
このカードは本物なのだ。そして、それを持っているあたしは正式な部員なのだ。そう思えるようになってきた。

そんなある日のことだった。
あたしが部屋でくつろいでいると、携帯が鳴った。
発信先が『非通知』なのを少々不審に思いながらもあたしは電話を取った。

……誰ですか?
「部長だ」
部長ですって………?
「部長だよ。君は部員の17号だろ」
はい………。

いったい何なのこれは、というあたしの心の叫びには構わず、『部長』は続けた。
「どうした。何か元気がないぞ」
い、いえ、大丈夫です。
「よし。では指令を伝える。情報が欲しいのだ。
B県のG氏の家に忍び込んでくれ。G氏の会社の秘密文書を入手したのだが、暗号が解読できなくて困っている。それが必要なのだ。
暗号表はその会社の金庫の中と思わせているが、実は自宅の寝室の、まくらもとの箱の中なのだ。それを盗み出せ」
はい。
「詳しい説明をするから、メモの用意をしてくれ」
はい。どうぞ、おっしゃってください。
「いいか、侵入作戦はだな……」
その建物の部屋の配置、警備員の人数や動きなどといったことが告げられた。

……それで、盗み出したらどうしましょう。
「その近くに、駅ビルがある。貸しロッカーが並んでいる。
その右の一番下、故障につき使用禁止と書いた札が貼ってるのがある。その中へ入れてくれ」
どうやって開けるのですか?
「カードだよ。それを差し込めば、あくようになっている。中に入れ、扉を閉め、カードを抜けば、それでいい。
我々以外の者には、あけられないのだ」
わかりました。必ず、やり遂げてみせます。
「頼んだぞ」
そして、電話は切れた。

電話の後、あたしはなんだかボーっとしていた。
今、確かに電話で、指令を聞いた。内容はメモとして残っている。
ということは、カードは本物であり、その所有者であるあたしは秘密情報機関の部員ということらしい。
しかし、なぜ。この疑問が心の中でふくれ始めたが、カードをいじっていると、それは消えていった。
あたしはスパイなのだ。上司の命令には、従わなければならないのだ。
しかし、はたしてうまくやれるだろうか。そんな不安も首をもたげたが、まもなくおさまった。
できるに決まってんじゃない、あたしは涼宮ハルヒよ。

その週の土曜日、あたしはそれを実行に移した。
夜にやるので、お父さんやお母さんに気づかれないように家を出なければならなかったが、何とか家を抜け出せた。
その後はまったく指令どおりだった。もちろん、緊張しないはずはないが、いいスリルとして捉えることもできた。
駅のロッカーに目的のものを入れて、家に帰ると、なんだか疲れが出て、すぐに寝てしまった。
なんせ、生まれて初めての経験だったのだ。

次の日の夜、また電話がかかってきた。
「部長だが、17号か」
はい。
「君は、よくやってくれた。見事なものだ」
おほめ頂き、ありがとうございます。お役に立てたでしょうか。
「もちろんだとも。ところで報酬のことだが、届いただろうな」
ほ、報酬ですか?
「郵便受けの中を見てくれ」
はい。ちょっとお待ちを……。

覗いてみると、封筒がそこにあった。わざわざあたし宛にしている。
封筒の中は、かなりの金額の札束があった。
「あったか?」
……ございました。
「それでは不足か」
どんでもございません。あたしはただ、指示通りにやっただけですから。
「しかし、やり損なっていたら、今はどうなっていたか分からんぞ。それに対する報酬なのだ。
では、しばらく休養してくれ」
電話は切れた。

思いがけない大金だった。どうしようかと少し戸惑ったが、机の引き出しの中へ入れ、鍵をかけると、少し落ち着いてきた。
そうだ。この仕事でもらえる報酬を貯金したら、いつかは莫大な金になる。そして、それをSOS団の今後の資金にすればいいんだわ。
幸い、相手はあたしを高校生扱いしているわけじゃなさそうだ。報酬をケチるなんてことはないだろう。
そう思うと、悪くない気分だった。あたしは、普通の平凡な人間とは違う、と思えるようになってきた。

もちろん、学校へは行くようにした。そうしたほうが誰にも怪しまれずに済むし、SOS団のこともあるからだ。
「なんだか、楽しいことがあるみたいね」とあたしの顔を見て言ってくる人もいる。でも、
だれもかれも、その原因となると恋愛などの答えしか返ってこない。
何が恋愛よ。世の中には、もっと刺激的で楽しいことがあるのよ。そう思うようになってきた。なんせあたしは、今や本物の部員なのだ。

あれから1ヶ月ほど経ったころ、また電話がかかってきた。
「17号か。部長だ」
はい。ご命令をどうぞ。ご期待通りの働きをいたします。
「この間の駅のロッカーだ。その中に、小さな箱がある。それをRホテルの3022号の部屋に宿泊している人に渡してくれ」
その人は誰で、箱の中身は何なのですか?
「それは言えぬ。君はこの仕事を、言われたとおりにやればいい。失敗すると大変なことになるからな」
はい。わかっております。
「時間は午後の4時から5時の間だ。その人物はその時間、その部屋にいる」
はい。
「じゃあ、頼んだぞ」

あたしは早速、取り掛かることにした。

駅のロッカーの中には、小さな箱が入っていた。民芸品といった感じの、かわいらしいものだった。
あたしはそれを抱えて、歩く。まだ時間には少し早い。そう急ぐことはない。
ホテルに行って、これを渡せば仕事は済む。またも報酬がもらえるわけだ。

あたしは、この箱の中に何が入ってるか知りたくなってきた。
考えてみれば、SURという組織とは何なのか、ぜんぜん知らないのだ。それが分かれば、もっと仕事に情熱が持てるというものだ。
のぞいてみよう。しかし、こう人が多いと、監視されてる可能性もあるわね。
あたしは、近くの公園の中に入った。この辺なら大丈夫でしょう。あたしは箱を開ける。

そのとたん、箱の中が金色に光ったかと思うと、爆風が起きた。あたしはなす術もなく、飛ばされていく。
しっかりポケットに入れてるはずのカードも、あたしのもとを離れて遠くへ行ってしまった。
あたしは抵抗できないまま、飛ばされていって………………。

気がつくとあたしは、ベッドの上にいた。
今までの出来事は、夢だったのだろうか。あたしは、机の引き出しを開けてみる。
中には、あの封筒は確かにあった。もっとも、中身の現金は抜かれていたけど。
惜しかったことをしたという気持ちはない。楽しかったことをしたものだ。
あたしは、あのカードとともに過ごした日々の余韻を味わいながら、学校へと向かった。

あたしが学校に着くなり、キョンが話しかけてきた。
「なあハルヒ、俺こんなものを見つけたんだけど……」
キョンの手には、銀色に光るカードが握られていた。

【涼宮ハルヒの憂鬱 meets 星新一 第二部 「カード」】終
原作:星新一「どこかの事件」に収録 「カード」

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最終更新:2007年01月15日 17:19