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(この話は長編・涼宮ハルヒの恋慕閑話休題の続編です)

優曇華の花というのをご存じだろうか。
芭蕉の花やクサカゲロウ類の卵のことではなく、インドの伝説上の花のことだ。正式な
名称は……確か、優曇波羅華──うどんはらげ──だったかな。
三千年に一度花開き、そのときには如来菩薩や金輪明王など、転輪聖王が現れると言わ
れている花。霊瑞、希有の例え。分かりやすく言えば「滅多に起こらない吉兆」として使
われている。

優曇華の花は「希有」なこと。そして、「滅多に起こらない吉兆」だ。

何でオレがそのポイントを強調して、こんな話を長々としているのかと言えば、希有の
文字に注目してもらいたいからに他ならない。
希有はひっくり返せば有希となる。

ああ、そうだな。長門の名前になるわけだ。

三千年に一度、あるかないかという「いいこと」が逆になれば、それはつまり、三千年
に一度あるかないかという「悪いこと」。
ここまで話せばおわかり頂けると思うが……長門が滅多にやらないことをすれば、悪い
ことが起こるんじゃないのか、とオレは思ってしまったわけだ。

事実その通りなのだから、オレのくだらない言葉遊びもバカにできない。

それに気づいたのは、女同士のケンカに巻き込まれて世界崩壊を食い止めたりすること
もなく、部室には全員が集まり、オレは古泉が持参したカルカソンヌを延々とプレイし続
けていたある日のこと。
頭を使うことに疲れたオレが、朝比奈さんの淹れてくれたお茶に手を伸ばしたとき、ふ
と視界の片隅に長門の姿が目に入った。
この寡黙属性付随の読書好き美少女型アンドロイド(オプションの眼鏡は破損済み)は、
新書程度の厚さなら1時間程度、ハードカバーで文字がびっしり書き込まれている本でも
3時間あれば読破することをオレは知っている。

にもかかわらず、ここ最近は同じ本ばかりを読んでいた。どこの国の言葉かわからない
原本を読んでいるっぽいが、長門が言語を理解するのに苦しむとも思えない。ロンゴロン
ゴ文字だろうと解読できるはずだ。

もしかすると、その本の内容が気に入って何度も読み返しているのかとも思ったが、そ
れもなさそうだ。

ページをめくる速度が遅い。

まるでメトロノームのように規則正しく一定速度でページをめくっているのだが、その
間隔がいつもより遅い気がする。
そして、最初は気のせいだと思っていたんだが、誰もいないのに誰かに見られている気
配を、オレはここ最近感じていた。本を読むスピードが落ちている長門のことを考えると…
…どうもオレは自分でも気づかずに、長門が読書を放棄してまで睨まなければならない
ことをしてしまったようだ。

まいったね。

これこそまさに優曇華の花が咲くというものじゃないか。いや、逆だから優曇華の花が
散るということになるのか? どっちにしろ、長門が読書を放棄してまで他人を注視する
など、滅多にないことだろう。滅多にないといえば、ちょっと前に額にキスもされたっけ。

その睨む対象になっているオレと言えば、長門がそんなことをする理由に思い当たる節
が山のようにありすぎて、考えるのも億劫になる。ことある事に長門の手を借りて、そり
ゃ長門にしてみれば「いい加減にしてくれ」と思うかもしれない。

けれど極端に口数の少なく、言語での情報伝達には慣れていないあいつは、文句の1つ
でも言いたいのに言えず、睨むしかできないのかもしれない。

なんだか知らんが、とにかく帰りに長門に謝っておこう。そう思っていたんだが……。

「ねぇ、有希。今日はあたしと一緒に帰りましょ」

何故に邪魔をするんだハルヒ。空気読めよハルヒ。おまえがアクションを起こすタイミ
ングは、オレにとってはいつもバッドタイミングだぞ?

「何よ、あんたも一緒に帰りたいの? でも、だ~め。女同士の大事な話があるんだから。
後ろから着いてきたりしたら、16連射でスイカみたいなその頭をたたき割るからね!」

おまえはどこのゲーム名人かと問いつめたくなるが、まぁいいさ。長門がオレを睨んで
くる理由もわからんし、理由もわからず頭を下げるの誠意がこもってない気がする。
今晩、その最たる理由を思い出して、明日謝ればいいさ。


だからハルヒ、おまえは空気を読めと何度オレに思わせれば気が済むんだ?

「なによその顔。いつも谷口や国木田とばかりじゃ、むさ苦しいと思って言ってあげてる
んだからね。それを無下に断るなんて、あんたも偉くなったもんねぇ?」

弁当を食う前に長門のところに行って謝ろうと思っていた矢先のことだ、昼休みを告げ
る鐘の音とともに、背後から団長さま直々に昼食のお誘いがあったわけだ。

「おまえ、いつも学食じゃないのか?」
「たまには気分転換よ。どんな美味しいものでも、毎日食べてたら飽きちゃうじゃない」

そりゃそうだろうが、そんなこと言うと学食のおばちゃんが悲しむぞ?

オレは知ってるんだ。北高にハルヒが入学して、唯一喜んでいる人が学食のおばちゃん
だってことを。ハルヒが入学してから、食材が余らなくなってるらしいからな。

「そんなとってつけたような話はどうでもいいから、とっとと行くわよ!」

結局、断ることも出来ず、谷口と国木田の憐れむような視線に見送られて、オレは首根
っこを引っつかまれて中庭まで連行されてしまった。
ここで何故、中庭なのか甚だ疑問に思うところだ。部室に行けば、朝比奈さんがいなく
てもお茶くらい飲めるだろうに。

「何言ってるの、こんなに天気がいいのよ? 教室の中でちまちま食べるより、よっぽど
健全よ。下北半島までピクニックに行きたい気分だわ」

そんなところまで行ったら、おまえは恐山に行きそうだからオレは謹んで辞退しよう。

それにしても、今日のハルヒは妙だ。テンションが高い低いとか言う以前に、ここまで
オレに絡んでくるのは滅多なことじゃない。
そりゃSOS団の(胸を張れる肩書きじゃないが)雑用係たるオレ。団長さまからのお
達しが多いのも事実だが、ぶっちゃけると使いっ走りの類がほとんどだ。……改めて思う
と、ひどい扱いだな……。
ともかく、ハルヒがオレとこうやって2人で行動することは、意外と思われるが稀なこ
となのだ。いつもはSOS団のメンバーが誰かしら最低もう1人はついてくるし、命令を
出しもこいつは1人で勝手に突っ走る。

かくいうオレはオレで、ハルヒが巻き起こす厄介事から少しでも離れるために、あるい
は古泉や長門に任せるくらいなら自分がやったほうがいいと思って、くだらない命令でも
受諾して1人で寒空の下、ストーブを取りに行ったりしているわけだ。

それが、オレとハルヒの丁度いい距離なんだと思っている。
遠からず、近からず。
こいつと一緒に行動するなら、絶妙な距離感を保ち続けることがコツかもな。

「ね、あんたのお弁当って誰が作ってるの?」

ぼんやりそんなことを考えていると、ハルヒは自分の弁当に手をつける前にそんなこと
を聞いてきた。

「誰って、お袋しかいないだろ」
「前々から思ってたけど、けっこう美味しそうね。ちょっと頂戴」
「そりゃ別に構わんが」

オレはてっきりおかずの話だと思って弁当箱を差しだしたんだが、ハルヒは丸ごと奪い
取りやがった。オレに何も食うなと言うのか、おまえは。

「じゃあ、あたしのお弁当あげるわよ。それならいいでしょ」

オレの弁当の代わりに差しだされたハルヒ弁当は、豪快におかずが詰め込まれた幕の内
弁当みたいな代物だった。味は申し分ない。いや、かなり美味い。ハルヒの料理の腕前は
某クリスマスの鍋パーティで実証済みだが、ハルヒ母も料理が上手なんだな。

「何言ってんの? それ、あたしが自分で作ったの。あたしの手作りなんだから、感激に
むせび泣いて食べなさいよ」

ああ、そうなのか。それなら、この豪快な味付けも納得だよ。だがおまえは、オレが嗚
咽を漏らして弁当を食う姿が見たいのか?

そういえば、この中庭から文芸部の部室の窓が見えるな。いつも昼休みに部室にいる長
門だ、今もいるのかもしれん。いつも窓際に座って本を読んでいるから、もしいるなら一
目でわかると思うんだが……。

「ちょっとキョン、どこ見てんのよ」

ハルヒの怒声で、ふと我に返った。最近、ボーッとすることが多くなってる気がする。
マヌケ面と言われても仕方がないかもしれん。

「いや、別に」
「ふん、そんなにゆ……」

言いかけて口を閉ざし、息を吐く。

「部室が気になるの?」

なんでオレが部室を気にしなけりゃならんのだ。部室棟がフランク・ロイド・ライトの
作品だってなら話は別だが、十把一絡げの建築物に興味はないぞ。

「……あんたさ、気づいてる?」
「なにが?」
「有希があんたのこと……」

もしやハルヒ、長門がオレのこと睨んでるのに気づいてたのか? 長門や朝比奈さん、
古泉の正体には気づかないくせに、妙なところで鋭いヤツだからな……気づかれていても
おかしくはないか。

「ハルヒも気づいてたのか」

「そりゃあたしは団長だからね。団員のことならなんでもお見通しよ」

それはまた、頼もしいな。そういえば、昨日の帰りに急に長門と一緒に帰るとか言い出
したのも、そのことが原因なのか?

「ま、鈍感なあんたでも、さすがに気づくのね」
「いつもと明らかに違うからな」
「それで、あんたどうするつもり?」
「どう……って」

ハルヒが珍しく気を遣ってくれているようだが、よく考えれば、これはオレと長門の問
題だ。ハルヒは関係ないだろ。
目の前にいるどっかの誰かと違って、自分に非があれば素直に頭を下げるオレだ。
けれど、だからといって関係ないヤツにまで、自分が頭を下げることを吹聴するほど、
プライドの低い男でもないぞ。

「別にいいだろ、後で長門と話をしてくるつもりではいるんだ。邪魔しないでくれ」
「よかないわよ!」
「なんで?」

即座にツッコミ返されるとは思っていなかったのか、ハルヒが珍しく口ごもる。

「そ、そりゃあたしは団長だもの。団員同士の……その……そういうことは、ほっとけないの!」

そういうのは単なる野次馬根性だと思うんだが、わざわざ教えてやるのもアレだな。理
由は不明だが、今のハルヒが醸し出す雰囲気的に殴られそうだ。

「わかったよ、おまえや朝比奈さん、古泉に迷惑かけるようなことはしない。だからとり
あえず、長門と2人で話をしてくるよ。ちゃんと丸く収めてくるさ」
「丸く収めるってあんた……」 

おいおい、なんでオレが丸く収めるって言ってるのに、怒ってるような悲しんでるよう
な微妙な顔をするんだ。そんなにオレは信用ないのか?

「……もういいわよ! このっ……バカキョンっ!!」

何故にオレが罵倒されねばならんのか皆目見当もつかないが、叫ぶや否や、ハルヒは1
人勝手にどこかへ行ってしまった。
なんなんだろうね、あれは?


昼休みが終わった5限目、いつもは昼食後の惰眠を貪っているハルヒの姿はなかった。
何のつもりか知らないが、あいつが授業をサボるとは……また、ロクでもないことを企ん
でいるんじゃないかと勘ぐってしまう。
厄介なことが起こる前に食い止めておくか……と考えた6限目前の休み時間、教室に思
わぬヤツがいつも通りの無言で現れた。

「ど、どうしたんだ長門?」

こいつが1人で、しかもオレの教室までやってくるとは珍しい。部室でも睨まれている
ことも考えると、妙に腰が引けてしまう。
などと、そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、長門はたった一言「きて」と言って、
同意を得ずに教室から引きずり出した。おまけに連行された場所は部室だ。単なる休み時
間なんて、10分しかないのに部室棟まで引っ張って行くとは、どういう了見だ?

「涼宮ハルヒのこと」

ああ、ハルヒ? あいつだったらどっかに行っちまったぞ。あいつに用があるなら、オ
レを呼び出しても居場所なんて見当もつかないんだがな。

「それと、あたしのこと」

……まて、その言い回しはどっかで聞いたことがあるぞ。
あれは……そうそう、長門のマンションで自分の正体を明かしたときの言い回しそのま
まだ。その後、延々と自分の親玉について語ってくれたな。詳しい内容は、残念ながら覚
えてないが。
どちらにしろ、そのときのことと今のこの状況が妙に重なる。既視感を感じるほどに。
長門はオレをジッと見つめながら、ただ一言だけを呟いた。

「涼宮ハルヒは嫉妬している」

6限目開始を告げる鐘の音が、遠雷のように聞こえた。


オレがその言葉の意味を理解するのを待っているかのように、長門はオレの様子を探る
ように見守っている。もっとも、いくら待ってもらったところでオレがちゃんと理解でき
るはずもない。

ハルヒが嫉妬してるんだぞ?
誰に? 何で?

そもそもあいつが嫉妬するような繊細な心を持っているとは、想像もできない。嫉妬す
る暇があったら、何かしらの行動を起こすタイプじゃないのか?

「涼宮ハルヒは、あなたがわたしに1人の異性として恋慕の情を抱いていると思いこんで
いる。彼女が嫉妬している対象は、わたし」
「ちょっと待て。待ってくれ。なんでそういう話になってるんだ? なんでハルヒはそん
な風に思ったんだ?」
「決定的なのは今日の昼食時」

長門の話によれば、ハルヒが今日、わざわざ自分で弁当を作ってまでオレと昼飯を一緒
にしたのは、オレが長門のことをどう思っているのか聞き出すためだ、とのこと。
とは言うが、どう思い返してもハルヒがオレにそんなことを聞いてきた覚えが……あ
れ? いやいや、ちょっと待てよ……。
もしかして、あの会話がそうだったのか? オレが長門に睨まれて、そのことをハルヒ
も気づいてて……って、あれはもしや、ちゃんと会話が成立していたように思えて、実は
ズレてたのか?

「そう」
……どこかに自動小銃でも落ちてないか? 今すぐこの頭をぶち抜きたいんだが……。
「あなたは今すぐ涼宮ハルヒの誤解を解くべき」

長門はきっぱりそう言い切って、口をつぐんだ。
確かにそういう理由なら、さっさとハルヒの誤解を解いておいたほうがいい。何しろあ
いつは、冬にオレと長門に何かあったと思うや否や、ちょこっと言葉を交わしただけで既
成事実にまで発展させるようなヤツだ。このままじゃ、オレと長門の間に子供までいる、
という話になりかねない。

しかし……ふと思う。
何かが引っかかるんだよな。冬の雪山でハルヒがオレと長門を疑ったときと、今の状況
では、何か据わりが悪い。スッキリしないというか、ハッキリしないというか……。

「……ああ、そうか」

切っ掛けだ。長門の話も、ハルヒの嫉妬も、あまりにも唐突すぎる。どうしてそうなっ
たのかが語られていない。主語がない会話をしている気分だ。

「長門、昨日おまえ、ハルヒと2人で帰ったよな? そのとき、何を話したんだ?」
「…………別に」
なんだよ、その間は? 即時即答するおまえらしくないじゃないか。
「本当か?」

肯定も否定もせず、長門は黙ってオレを見つめていた。その表情からは、このオレをも
ってしても感情を読み取れない。まるで初めて会ったときのような能面っぷりだ。

「まぁ、ハルヒとちょっと話をしてくる。あいつがどこにいるか、」
「忘れて」

オレの言葉を遮ってまで、何を「忘れて」だって?

「今の話」
「なんだよ急に。どうしたんだ?」
「……気にしなくていい」

その一言を残して、長門はオレに背を向けて部室から出て行った。
もしかして……あいつ、本当に何か怒ってるんじゃないのか?

ハルヒの嫉妬の話といい、長門の豹変振りといい、はっきり言ってオレの許容範囲を遙
かにオーバーしている。何がどうなっているの考えるために、そもそも授業なんか受ける
気分にもなれず、6限目はサボって部室であれこれ考えていた。

いったいどこで、こんな状況になったんだ? 何が切っ掛けでハルヒは嫉妬し、長門は
豹変したんだ? 切っ掛けがわからなければ手の出しようがないじゃないか。

「おや、あなただけですか」

ノックもせずにドアを開けて、古泉がやってきた。朝比奈さんが着替えをしていたらど
うするつもりだったんだ、おまえは。

「いえ、朝比奈さんから言伝を授かっておりまして。今日は鶴屋さんにお茶の席に誘われ
ているのでこちらには来られない、と。涼宮さんと長門さんもまだですか?」
「2人は……どうかな、今日は来ないんじゃないか?」
「それはまた、珍しいこともありますね」

……そうだな、こいつに話をするのは癪だが、オレ1人では結論が出そうにない話だし、
頼れる長門が問題の対象だしな。1人であれこれ考えるより、こいつの意見を聞くのも悪
くない……か?

「なぁ、古泉」
「なんでしょう?」
「実は長門のことなんだが……」
「ああ……ようやくですか」

「ようやくって、何のことだ?」
「え? ……ああ、なるほど」

おいおい、何を1人で勝手に納得してるんだ。分かるように説明してくれ。というか、
その呆れたような笑みはいったいなんだ?

「いえ、あなたは相変わらずだと思いまして。どうです、最近は頭を使うゲームばかりで
したからね、別なゲームでもしませんか?」
「そういう気分じゃない」
「まぁ、そう言わずに。そうですね、ババ抜きでもしますか」

おいおい、2人でババ抜きなんて、あまりにも寂しすぎやしないか? つーか、人の同
意を得ずにカードを配るなよ。

「さ、どうぞ」

……わかったよ、相手すればいいんだろ。
こいつのゲーム狂いはもう病気のレベルだな。それに付き合うオレもオレだが……カー
ドの山に手を伸ばし、組になっているカードをさっさと捨ててみれば、手元に残ったのは
わずか10枚。古泉の先攻で始まった。

「ところで」

黙々とゲームを進めている中、不意に古泉が口を開いた。

「長門さんが、どうしてあそこまで無感動、無感情を貫いているか、考えたことはありますか?」

「いや、そういうもんなんだろうとしか思っていないが。何か理由でもあるのか?」
「僕の憶測でよければ、思い当たる節がありますね」

もったいぶらずに話をすることができないのかね、こいつは。

「彼女が情報統合思念体の穏健派だから、ではないでしょうか」
意味がわからん。
「朝倉涼子のことを……聞くまでもなく、覚えていると思いますが」
忘れられるなら、いい方法を教えてくれ。
「彼女は情報統合思念体の強硬派に属していました。つまり、自分たちの手でアクション
を起こして涼宮さんの変化を見る派閥です。一方、穏健派の考えは、ただ涼宮さんを観察
し続け、極力手を出さないようにすることです。しかし、ただ『観る』というのは、これ
が難しいものですよ。観察対象に情が移れば、正確な観測はできない」

「そういうもんかね?」
「僕とあなたの関係に例えてみましょう。今こうしてカードゲームに興じていますが……
仮に、僕があなたに熱烈な愛の告白をしたとしましょう。あなたはどうしますか?」
「全速力で逃げ出すね」
「そうですね。いやあ、喜んで受け入れると言われなくて助かりました」

蹴りと拳のどっちを選ぶか、その選択肢くらいは与えてやる。可及的速やかに選べ。

「冗談ですよ。ともかく、感情のせいで現状に変化が訪れてしまうわけです。穏健派はそ
れすらもよしとせず、自分たちの介入なく涼宮さんの変化を観測したかったのでしょう。
だから……」
「長門がハルヒに肩入れしないために感情を排除した……ってか? けれどあいつは」

「そうですね、初期のころに比べて大きく変化しました。少なからず、感情があるからで
す。喜怒哀楽なくして、社会の中で他者とコミュニケーションを取ることは不可能ですか
らね。彼女が人間とコミュニケーションを取るためのインターフェースなら、感情は少な
からず必要です。ですから、長門さんには必要最小限の感情があったのでは、と思います。
そして、それを育てたのはあなたですよ」

「……オレが?」
「そうですよ」

オレが長門に何をしたっていうんだ? むしろオレの方がいろいろ助けられているじゃ
ないか。それは古泉にだってわかっているはずだ。

「長門さんは、自分の口で正体を明かしているのはあなただけですね」
「そう……かな? そうだな、おまえが聞いてないなら、朝比奈さんも聞いてないんじゃないかな」
「僕は聞いていません。では何故、あなただけなのでしょうか?」
「あいつが言うには、オレはハルヒにとっての鍵だから、とか言っていた。だからじゃないのか?」

「それだけではないと思います」
「何故?」
「彼女はありのままの涼宮さんを観測する役目だからです。涼宮さんに変革を与えるかも
しれないあなたを、涼宮さんから遠ざけたいと長門さんが、あるいは穏健派の情報統合思
念体が考えてもおかしくはないでしょう。普通に考えてください。突然、自分が宇宙人に
作られたアンドロイドだ、などと告白したんですよ? 普通は距離を置くものじゃないで
しょうか。しかもその後に朝倉涼子に命を狙われて、生命の危機にさえ遭っている」

あ~……確かに。改めて言われると、オレは普通の高校生らしからぬ出来事に遭遇して
いるにもかかわらず、平然としすぎてる気もするな……。

「あなたは今日に至るまで、何も変わらずに長門さんと接しています。そこでこう思うわ
けです。何故、あの人はここにいるのだろう。普通に接してくれるのだろう……と」

自説を饒舌に語る古泉を、オレは黙って見つめた。反論するにも、いい言葉が思い浮かばない。

「疑問というのは、自己の目覚めですよ。胡蝶の夢です。そこから長門さんは、個人的に
あなたに興味を持つようになった。そして……ここまで言えば、如何にあなたでもおわか
りになるでしょう。ご理解して頂けましたか?」

理解はしたさ。けれど、どうせ憶測だ。それが正しいというわけじゃないだろ。

「そうですね、憶測です。憶測ついでに、もうひとつ」
「なんだ?」
「長門さんは、自らの行動で変化が起こることはできません。第三者の後押しが必要です」

きっぱり断言したな。その根拠はなんだ?

「思い返してください。これまで僕たちが遭遇した事件で、長門さんが自ら進んでアクシ
ョンを起こしたことがありますか?」
「……カマドウマ事件は?」
「あれは、正確には喜緑さんが持ち込んだものです。当時は彼女がインターフェースと判
明していなかったため、あなたも「長門さんが仕組んだことか?」と思ったのでしょうが、
もしかすると喜緑さんの発案で、長門さんは協力しただけかもしれません」

「コンピ研との勝負は?」
「最終的に長門さんをけしかけたのは、あなたじゃないですか」
「じゃあ、12月18日の出来事はどうだ」
「あれはエラーが積み重なって起こった、いわば不慮の事故です。その証拠に、長門さん
は現状回帰をあなたに託していたのでしょう?」

ことごとく反論されたな。言われてみれば、長門が自分の意志で行動を起こしたことは
何も思い浮かばない。いつもオレが面倒を持ち込んでいたんだな。

「長門さんは自分からアクションを起こすことはない。ですから、彼女が何かを起こそう
としているならば……それはこちらから手を差し伸べるべきです。いい加減、気づいてあ
げたら如何です?」

古泉は、手元に残っていた2枚のカードを表にして並べた。
ジョーカーとハートのクイーン。オレの手元にはスペードのクイーンが残っている。

「これでも、僕はあなたに感謝しているんですよ。ですから、今回ばかりはゆっくり休ん
でいただきたいとも思っています。ですが、あなたはすべてを丸投げにして傍観できる人
ではないことも分かっています。どちらを選びますか?」

2枚のカードをコツコツ叩く古泉は、いつになく真剣な目をオレに向けていた。この野
郎、オレを試すなんざ100年早い。

「決まってるだろ。おまえにゲームで負けるつもりはないんだ」
「手抜きをされては困ります。部室の戸締まりは、僕がしておきましょう」

嫌味なくらいの笑みを浮かべる古泉へ、オレはテーブルの上にスペードのクイーンを叩
きつけて部室から飛び出した。

あてがあったわけじゃない。ただ、どこへ行けばいいのかは、なんとなく分かっていた。

平日の、それも閉館間際の図書館。職員以外に人の姿はなく、ただ1人だけ、置物のよ
うに髪の毛1本動かさず、ただページをめくる指だけを規則正しく動かして椅子に座り、
本を読んでいる少女の姿があった。

オレは黙って長門の横に腰を下ろした。長門は、そんなオレに気づかないかのようにた
だ、黙々と本を読み続けている。

「長門」
「……なに?」

たっぷり時間を空けて、長門は返事をしてくれた。それでも、オレを見ようとはしなかったが。

「なんつーか……悪かった」
「あなたは何も悪くない」
「……そうか」
「そう」

パタン、と本を閉じ、図書館の奥に消える。オレはその姿を黙って見つめて、戻ってく
るのを待った。
本の壁の間から姿を現した長門は、そのままオレの横を通り過ぎて外へ向かう。オレも
黙ってその後に続いた。
どこへ向かうというわけでもなく、オレたちは自然といつもの公園に来ていた。長門に
してみれば、ここからすぐに自分のマンションへ戻るつもりだったのかもしれない。

「少し、いいか?」

長門の歩みが止まる。振り返りこそしなかったが、立ち止まったということは、それが
了承の合図なのだろう。手を伸ばせば届きそうなくらい近くにある小さな背中に向かって、
オレは口を開いた。
これは、オレから言わなければならないことだと思う。古泉に長々と説教されてようや
く気づくとは、オレもよくよく鈍感だと思うさ。

「前に……ハルヒと朝比奈さんがケンカした時があったじゃないか。あのとき、大人の朝
比奈さんが言ってたことなんだがな、恋愛感情には2種類あるそうだ」

朝比奈さん(大)曰く、『愛』というのは家族や友人に向ける広い思いで、『好き』と
いうのは1人に向ける一途な想い、ということだ。オレも正確に理解しているわけではな
い。けれど今なら、朝比奈さん(大)が言いたかったことがわかる気がする。

「そういう意味で言えば……そうだな、オレはおまえを愛してるというより……好きと言
ったほうがいいのかもしれない」

長門は、かろうじて振り返ったと言えるか言えないかという程度に顔を横向けた。
目は見えない。表情もわからない。ただ黙って立っている。

「でも……な、それとも違うような気がするんだ。オレはお前に側に居て欲しいと思って
いる。離れたくないとも思っている。そりゃ、それは朝比奈さんや古泉に対しても同じだ
が、もっとそれ以上の……なんて言うのかな、それは好きとか嫌いとかで語れるもんじゃ
ない想い……かな」

ああ、くそ。今ほど自分のボキャブラリーの無さを嘆くべきだ。胸の奥ではハッキリし
ているのに、それを相手に伝えるべき適切な言葉が思い浮かばない。伝えたい気持ちを伝
えられないのが、これほど苦しいと思ったのは初めてだ。

「だから……」
「いい」

どう言えばいいのか分からず、ただ闇雲に言葉を重ねるのを制するように、長門の冷た
い両の手がオレの頬に添えられる。

「言語での情報伝達に齟齬が発生するのは仕方がないこと。でも……あなたの言葉はわた
しに力を与えてくれる」
「長門……」
「わたしは、あなたと出会う切っ掛けを与えてくれた涼宮ハルヒに感謝をしている。そし
て、あなたに出会えたことが嬉しく、芽生えた気持ちを誇りに思う」

オレを見つめる長門の漆黒の瞳が、微かに揺れる。

そして、夜風にかき消されてしまいそうな小さな声でただ一言だけ──。




「わたしは、あなたが好き」






小さくとも、オレの耳に届いたのは揺るぎない凛とした声。

「それが、わたしが『私』として存在していることを証明する言葉。それが叶わぬ思いで
あることはわかっている。あなたが切に思う人が誰かもわかっている」

口を閉ざし、長門は少し迷うような素振りを見せた。たぶん、言いたいことを言葉に出
来なかったさっきのオレの姿も、今の長門と同じだったのかもしれない。

「でも……それでも構わない。あなたは、わたしが側にいることを許してくれた。わたし
がいつまで自律活動を続けていられるか、それはわからない。それでも、最後が訪れるそ
の時まで、わたしはあなたの側にいたいと思う」

長門の瞳から、ただ一滴だけ涙がこぼれる。長門が初めて見せる、感情の吐露。
嗚咽するわけでも、号泣するわけでもない。長門らしいその涙を……オレは止めること
も、ぬぐってやることもできない。

「ありがとう」

その言葉を長門から聞いたのは、これで2度目だ。けれど、前のときの平坦な声ではな
く、その声はどこか力強いものを感じた。

ス……ッと、オレの頬を包んでいた長門の手が離れ、背を向けて歩き出す。抱きしめた
い衝動に駆られたが、それはやっちゃいけないことだ。
ただ、これだけはいいだろう。この言葉だけは、言わなければならない。それがオレと長
門の絆であり、長門が望む平穏な日常なんだと思う。

「長門、また……明日、部室でな」

気の抜けた思いで自転車を止めていた駅前まで1人歩いていると、見知った黄色いカチ
ューシャ頭が、アヒル口で所在なげに立っていた。

なんだろうな。なんなんだろうな。どんな気分の時でも、こいつの顔を見るとホッとす
るのは、いろいろな意味で末期かもしれないな。

「こんなとこで何やってんだ? ナンパ待ちか?」
「んなわけないでしょ。ほら、これ」

ハルヒは投げ捨てるようにオレの鞄を放り投げてきた。そういや学校に忘れっぱなしだったな。

「わざわざ悪いな」
「別に。みくるちゃんに頼まれたから仕方なくよ」

朝比奈さんに……? ああ……古泉め、すべて思惑通りってわけか。何が「朝比奈さん
から言伝を授かってます」だ。裏でコソコソされるのは気に入らないが……今回ばかりは
大目に見てやろう。

「で、どうなの?」

唐突だな。

「どう、とは?」
「有希と会ってたんでしょ? いいわよ別に。有希もあんたのこと好きとか言ってたし」

なんでそんなことをこいつは知ってるんだ?

「なんか最近、有希がずっとあんたのこと気にしてるみたいだったからさ、昨日、一緒に
帰って問いただしたのよ」

なんとも団員思いな団長さまだ。わざわざ気に掛けていたとはね。
それにしても、古泉やハルヒが気づくほどの熱烈な視線を、長門はオレに送っていたっ
てことか? それに気づかなかったオレは……マジで首をくくるべきかもしれん。

「あたしだって鬼じゃないわ。SOS団は原則恋愛禁止だけど、」
「ああ、フッた」
「でも有希となら……は?」

おいおい、近年希にみるマヌケ面だな。ケータイのカメラで取ってSOS団のホームペ
ージにアップしといてやろうか。

「フッたというか、オレと長門が釣り合うわけないだろ。オレにはもったいない」
「あ~……そう、そうなんだ……」

なんだよ、その曖昧な反応は。もっとこう、怒るか喜ぶか、ハッキリした態度を見せてくれ。

「でもまぁ、安心しろ。だからと言って、オレと長門の関係が気まずくなったわけじゃない。
明日からも長門は、部室で静かに本を読んでるだろうさ」

「あ、当たり前でしょ! あんた、自分で言ったんだからね。丸く収めるって。これで有
希がSOS団から抜けるとか言い出してみなさい、あたしがあらゆる手段を使ってあんた
と有希をくっつけてやるんだから!」
「なんだそりゃ?」
「なっ、なんだっていいでしょ! それよりも、雑用係のくせに散々あたしを振り回した
挙げ句に有希をフッて、そのままで済むと思ってるんじゃないでしょうね!?」

何を言い出すんだおまえは。勘弁してくれよ。こう見えても、オレはオレでちょっとへ
こんでるんだぞ? そこへさらに追い打ちをかけるというのか。

「うっさい! きっついのぶちかましてあげるから、目ぇ閉じなさい」
「……また今度にしないか?」
「あたしの言うことが聞けないっての!?」

ヤバイ。今のハルヒはヤバイ。やると言ったらとことん殺る目だ。
仕方なく、オレは目を閉じる。目を閉じたもんだから、ハルヒが何をしようとしている
のか、さっぱり分からない。
ネクタイを掴まれて、グッと引っ張られた。前のめりになって思わず目を開けそうにな
ったその瞬間。

オレの唇に、暖かく柔らかいものが一瞬だけ触れてすぐに離れた。

「……は?」

驚いて目を開くと、目の前にはハルヒの顔。ほんのり頬を朱に染めているのは……気の
せいだな。そういうことにしておこう。
「……どーよ、目が覚めたでしょ?」

「あー……ビンタより強烈だな」
「と、当然よ! 今まで誰にもしたことない、とっておきなんだからね!」

そうかい、そりゃ光栄だな。閉鎖空間でのことはノーカウントか……って、あれはハル
ヒの中じゃ夢の出来事になってるんだったな。

「なぁ、ハルヒ。オレやっぱり、」
「えっ? 何、何なの?」

おいぃ……だから空気読めって。そこで急に顔を輝かせるなよ。そんな急かさないでく
れ。まだ何も言ってないじゃないか。

「あ~……明日、な。また明日。じゃあな」
「ちょっ」

首を絞めるな。背中に乗っかってくるな。

「ちょっと、このバカキョン! また明日って、何それ? 意味わかんないわよ! この
まますんなり帰れると思ってんじゃないでしょうね!? 言いたいことはちゃんと言わなき
ゃダメって、あんたも言ってたでしょ!」

ええい、うるさい。それはおまえの夢の中の話だろ? オレは知らん。何も知らんぞ。
空気を読めないおまえが悪いんだ。

もう二度と、オレの方から「好きだ」なんて言ってやるもんか。



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