ハルヒは自分がどれほど在り得ないことを話しているのか分かっていないだろう。
当たり前だ。分かる筈がない。ハルヒは長門の正体を知らないのだ。知っているの
は俺か朝比奈さんか古泉か、もしくはそれに関係する奴らだけだ。
 長門が病気?あの宇宙人製のヒューマノイド・インターフェースが病気?俺はいつ
ぞやの雪山のことを思い出す。まさか。

「そうなの。珍しいこともあるわよね」

 至って普通の声色で話すハルヒとは対照的に、次第、俺は焦りを感じ初めていた。
長門が病気。それが本当なら、俺は今の状況に対する理解を改めなくてはならない。
もしかしたらこれは楽観視していられる状況じゃあないのか?

「これまで休みらしい休みもなかったのに…。有希ってああ見えて体丈夫でしょ?
一日くらいなら分かるけど、でも流石に二日連続で休みだなんて、心配にもなるじゃ
ない。本当ならみんなでお見舞いに行きたかったんだけど…、みくるちゃんや古泉
くんはどうしても外せない用事があるって言うし」

 どうしても外せない用事。嫌な予感が徐々に現実化していくような恐怖が、その言
葉には込められていた。
 …なんなんだよこの胸騒ぎは!焦燥に駆られる俺を余所に、ハルヒはやはりなん
でもない顔で言葉を放つ。

「まあ、それはかえって好都合だったのかしらね」

 好都合?何がじゃい。

「決まってるでしょ?看病イベントよ!一枚絵獲得のチャンスよ!」
「はあ?」
 ハルヒは俺にはよく分からない世界の話をした。


 というわけで…、と言っても何が「というわけ」なのかごくごく一般的な感性の持ち
主である俺みたいな人間にはさっぱり分からない、誰か分かる奴がいたら教えて
くれ!などと叫びたい心地ではあったが、ともかく。数十分後、俺とハルヒは長門の
家を訪れていた。
 最早俺にとっては通い慣れた感すらある、駅に程近い分譲マンションの708号室
である。絨毯さえ敷いていないフローリングの床にこたつ机が一つ。相変わらず、
生活臭のない部屋だ。

 ハルヒは訪れた当初に長門の様子を確認し、その調子がいつもと変わりないこと
を知ると、ほっと安堵の表情を見せた。なんだかんだでこいつ、心配性だよな。
 そうした後、暫くハルヒは嬉しそうに部屋の中を物色していた。ここへ来るのも初
めてではないだろうに、難儀な奴だ。

 ちなみにハルヒの手がリビングと客間を繋ぐ襖にかかった一瞬、俺が思わず声を
上げそうになった、なんてこともあったりしたが、開け放たれた後、それは杞憂だと
知れた。そこにあったのは布団が一式、それだけである。まあ、そう頻繁にその客
間の厄介になられても困るわけだが。頼むぞ、未来の俺。
 そうして粗方の探索を済ませたハルヒは、今はキッチンを借り、道すがら買って
きた食材で粥を作っている。長門の様子が別段なんでもないことが分かってもメニ
ューを変えようとしないあたりがハルヒらしいと言えばハルヒらしい。

 そんなこんなで今現在、リビングのこたつ机には、俺と長門が二人きり、いつだか
のように対面に座しているわけである。

「体はもういいのか」

 俺は長門に淹れて貰った玄米茶を啜り、言った。一応は病人である長門に茶を
出させるのは自分でもどうかと思うが、向こうが「いい」と言って聞かないのだから
仕方がない。

 しかし茶の種類が以前と違うのはどうしてだろう。てっきり長門のことだから、こう
いった嗜好品なんてものは一種類しかないものと思ったのだが。
 意外とお茶好きなのか。それともただの気まぐれか。俺としては後者であるよう
に思う。出会った当初の長門ならそんな気まぐれなんてものはなかっただろうが、
長門は、以前の長門とは確実に変化している。それはきっと長門にとって、そして
俺たちにとっても良いことに違いない。


 さて、長門のターンだ。俺の短い問いかけに答えるにはたっぷりすぎる時間を
かけて考え、長門は言った。
「へいき」
「そうか」
 なんとも簡潔ながらも力強いお言葉だ。

「して、何があった?お前が二日連続で学校休むなんて、ちょっとただ事じゃないぞ」
「…………」
 長門はキッチンにいるハルヒが気になるようだった。まずキッチンの方へ視線を
やり、それからその真っ直ぐな目で俺を見た。
「大丈夫だ。ここからじゃあいつには聞こえないさ」
 俺が言ってやると、長門は「そう」と呟き、自分の淹れた茶を啜った。

 事実、ここからキッチンまでの距離は結構あるし、長門のか細い声ならば、今も
聞こえてくるじゅうじゅうという油の爆ぜる音にかき消され、向こうには届かない筈
…ってちょっと待て、何を炒めてるんだアイツは。粥を作ってるんじゃなかったか?

 ともかく、長門は湯のみを置くと、静かに言葉を紡ぎ出した。

「わたしの主観時間で36時間24分前、わたしの自律プログラムに障害が発生した。
原因は不明。発生した障害は加速度的にその情報量を増大させていった。このま
まではわたしの情報結合に弊害が出ると判断、構成情報を一部を残し凍結、情報
統合思念体の判断を待つことにした」

 凍結…って、おいおい、それ、かなりやばかったんじゃないか?
「やばかった」
 長門は顔色一つ変えずに答え、更に言葉を続ける。

「障害の除去について通算287234通りの提案がなされ、内34298通りについて実行
が検討され、内16523通りを実行した。しかしどれも成果は得られなかった。そして
16524通り目の実行途中に涼宮ハルヒとあなたが現れ、障害は取り除かれた。
現在、わたしの自律プログラムは正常化されている」

 長門は一息に言うと、再度茶碗に口をつける。
「どういうことだ?その、一万…うんたら回目の方法を試してる途中だったんだろ?」
 長門は暫く黙まり込み、伏し目がちに言った。
「解らない。障害が除去された理由も、不明」

 やっぱり、そうなのか。


 それにしても解らない、か。よもやまたこいつの口からこのセリフを聞くことになる
とはな。まあ、何となくの予感はあったが…。
 やはり、雪山のときと同じなのだろうか。長門や長門の親玉にとっての敵性勢力
が存在し、妨害を仕掛けてきたのだと、そう考えてしまっていいのか。
 心配の種は考えれば考えるほど撒かれてしまうようで、どうやらこれ以上の思考
のループは危険なようだった。

「なんにせよ。今はなんともないってことだな」
 こくり、長門は頷く。
「なら、今はそれでいい。とは言え、体面上お前は二日も学校を休んだ病人だ。
暫くはおとなしくしてるんだぞ」
 再び、長門はこくりと頷いた。

 まあ、こんな忠告をせずとも長門は普段からおとなしい。不審に思われることは
まずないだろうが、念には念を、という奴である。

「キョン!ちょっとキョン!聞こえてるー!?料理運ぶから手伝いなさいよー!」

 と、そうこうしている内に料理が出来たらしい。
 果てさて、粥以外に何を作ったんだろうな、あいつは。








「―――ほう、そんなことになっていたんですか。いや、実に楽しそうな話だ。外せな
い用事があったとは言え、これはちょっと残念なことをしたかも知れませんね」

 相変わらず癇に障る古泉の声は俺の憂鬱をいっそう倍化させるには充分だった。
多分こいつは俺の神経をすり減らす為だけに創られたんだろうな。恨むぞ神様。

「そう思うならどうか代わってくれ」
「遠慮しておきます。涼宮さんが興味があるのはあなた。僕ではありません。それに」
 それに?
「こういうのって、傍から見てる方が面白いじゃないですか」
 殴るぞ。
「冗談ですよ」

 俺はニヤリと笑う古泉の顔にツバでも吐きつけてやりたい気分だった。


 現状を説明しよう。

 あの、きゅーぴっど作戦第一回目、ハルヒ命名「女を落とすはまず優しさ、手厚い
看護で有希もメロメロ!」作戦(頼む、笑ってくれ)が決行された翌日、俺が放課後
になるなり部室を訪れると、今日こそ長門はそこにいて、一人、本を読んでいた。

 うむ、長門はやはりこうでなくてはいけない。こいつはこの部室の付属品か何かの
ように、一人黙々と本を読んでいなければ。そんなことを思いながら、俺はここ数日
存在していた違和感が若干ながら和らいでいくのを感じつつ、荷物と体を適当な椅
子に預け手持ち無沙汰を持ち余していたわけだが、そこをいつものニヤケ面と共に
現れた古泉のヤローに拉致られたのだった。


 して、今現在。俺と古泉は草木生い茂る裏庭のログチェアに腰掛け、昨日の顛末
について話し終えたところである。

「ですが、もったいないことをしましたね。結局しなかったんでしょう?口移し」
「するわけがないだろう。大体長門は何ともなかったんだ。する必然がない」
 それに何が悲しゅうて見知った奴の目の前で見知った奴とそんなことせにゃなら
んのだ。むしろお前と口移しの方がまだ気が楽だろうよ。
「おや、それは楽しみですね」
 冗談だよ本気にするなよ気色悪い。ってか楽しみってなんだ。

「それはそうと、長門さんの件ですが」
 古泉は急に真面目な顔になると、押し殺した声でそう言った。
「こちらでも調べてみたのですが、原因はやはり不明です。…ああ、実を言いますと、
昨日の僕の『用事』というのはズバリそれだったのですよ」
 俺のじとりとした視線に気付いたのだろう。古泉は慌てて補足を入れる。まあ、俺
としても大方の予想はついていた。今更こいつがどこでどう暗躍していようと、最早
気にも留めないさ。

「長門さんが先日から学校を休んでいたことは元より、原因不明のエラーで休眠状
態に入っていることは『組織』の知るところでした。ですからその原因を探る為、アル
バイトに勤しんでいたわけです」

 …なんだと?


「ちょっと待て。お前、それを知っていてなんでハルヒを止めなかった?」

 昨日、もし仮に長門がこれまた原因不明の理由で障害から解放されなければ、
俺とハルヒは休眠状態の長門と対面することになっただろう。
 休眠状態というのがどんなものか、俺は知らん。だが恐らく、死んでいるに近いに
違いない。その後の騒動、そしてハルヒの動揺は俺にでも容易に想像が出来ること
だ。この考えすぎ超能力者が想像できなかった筈はない。

「止めても無駄だと思いましたしね。それに、いくらなんでも友人の見舞いに行くなだ
なんて無粋な忠告は出来ませんよ。ですので、色々と事前策は取らせて頂きました。
結果的にそれらは全て無駄になってしまったわけですが」
 備えというのは使わないに越したことはないですし。と古泉は付け加える。
 ちっ、一々もっともだなこいつの話は。腹立たしいったらねえ。

「おや、何かお気に召しませんでしたか?」
「ああ、召さんね。お前の正論は聞いてて不愉快になる」
 ふん、と俺は鼻から息を抜いた。

「で、長門が回復した理由は?何か知らないか」
「それは現在調査中です。まあ、恐らくは不明であると」
 古泉はそこで言葉を区切ると、低く、強い声で主張した。

「ただ、僕としてはやはり、涼宮さんが原因ではないかと考えているんです」

 やっぱりか。お前はいつもそれだな。

「ああ、勿論、後者の方、つまり障害の排除についてのみですよ。流石に涼宮さん
が長門さんが病気であれ、と願ったとは考えにくい。ですが後者は別です。お見舞
いに行く道すがら、涼宮さんは長門さんの身の安全を願っていた筈です。ならば奇
跡は起こっておかしくない。考えても見てください。長門さんでもその上司でも対処
不能の症状を、他に誰が治せると言うのです?無論、涼宮さんしかいません」

 長々とした語りを終え、古泉は満足そうな表情をこちらに向けた。
 わかったわかった。わかったからその暑苦しい目で俺を見つめないでくれ。



 互いの情報を交換した俺たちは、とりあえず部室に戻ることにした。その途中、
俺はもののついでに聞いてみる。

「ああ、そうだ、古泉。朝比奈さんの『用事』も、お前と同じなのか?」
「いえ、恐らく朝比奈さんは違います。単に今回の件についてまだ協議中だったの
でしょうね。それとも今回は静観するつもりなのか知れません。『既定事項』という奴
ですか。我々がこうやって右往左往しているのも全てそれに含まれていると考えると、
少々怖気を感じてしまいます」
「そうか、ならいい」

 本人の居ないところでこんな話をするのは失礼だと重々承知している。だが、多分
朝比奈さん本人に聞いたところで『禁則事項です』と言われて終わってしまう気がし
たのだ。そして、それはきっと朝比奈さんを傷付ける。
 これ以上、朝比奈さんに要らぬ心労は与えたくない。あの二月の事件を思い返し
ながら、俺は先を行く古泉の後を追った。


 部室に戻った俺たちを出迎えたのは、ピーカン照りのハルヒの罵倒だった。左腕
にはやはり『きゅーぴっど』と記された腕章。嫌な予感が編隊を組んでやって来る。

「遅いわよキョン!古泉くんも!団員は団長よりも早く来る!それが世界社会の縮
図たるSOS団の本懐でしょうが!」
 俺たちはいつから世界社会の縮図になったのだろうな。と言うかここにいるのは
俺を除いて全て一般的社会とはかけ離れた存在であって、とても縮図とは言えん
のだが。
「何を言っているのですか。あなたももう充分当事者ですよ」
 うるさい古泉。独り言に突っ込みを入れるな。

「何わけわかんないこと言ってんのよ。ともかくキョン、あんたこっち来て座りなさい。
ほら、さっさとする!」
 言われた通り席に座ると、ハルヒはガラガラとホワイトボードを引き、団長机の前
で止まる。そしてズイ、と肩肘胸を張った格好で宣言した。

「今日から我がSOS団は恋愛強化週間に入ります!!」

 あ、やっぱそうなりますか。

「と言っても実は昨日から始まってたんだけどね。だから今日は二日目。ま、それは
いいとして。まずは今に至る経緯と、それから現在の活動状況をまとめるわね」
 そう言うとハルヒはマーカーを取り出しホワイトボードになにやら棒人間らしきもの
を書き、頭の上に『キョン』と付け加えた。続いてその棒人間から幾分か空白を置い
た隣に、スカートを履いた、これまた棒人間を書くと、その上に『ユキ』と付け加える。

 ああ…、眩暈がしてきた。


「さて、ここに描いたのはそこにいるキョン、それから有希ね。まあ、みくるちゃんは
現場にいたから知ってるでしょうけど古泉君は知らないわよね、なんと!そこのアホ
ヅラ下げたキョンは有希のことが好きらしいのよ」
 ハルヒは棒人間俺から棒人間長門に向かう矢印を引き、その上にハートマークを
書きやがった。それを見聞きし、古泉がほう、とわざとらしい声を上げる。どこまでも
ムカツク野郎だ。

「それが発覚したのが一昨日の放課後。あたしは考えたわ。このままではSOS団が
ダメになる。実際男女混合の団体が瓦解するのは恋愛による仲のこじれによるとこ
ろが多いわけだしね」
 ハルヒはハイテンションのまま続ける。
「でもそういう場合、隠れてこそこそしてるから大っぴらになったとき問題になるのよ。
そこで思ったわ。なら最初から大っぴらにしてしまえば何の問題もないじゃない!」

 ハルヒの言葉に、古泉の太鼓持ちがいつものセリフで同意しているのが聞こえる。
 古泉、俺はようやく理解したよ。お前は俺の敵だ。

「で、どうせ大っぴらにするなら盛大に応援してやろうってわけ。幸いにもそこのバカ
キョンは『自分でも自分の気持ちが本当か分からない』なんてふざけたセリフ吐いて
るし。ならその気持ちが確かなのかどうか。あたしたちで確認しちゃえばいいのよ!」

 朝比奈さんのうるうるとした目が「ごめんなさい、あたしのせいです」と訴えている。
だから気にしなくていいんですよ朝比奈さん。全てはこの点火されたマグネシウム
みたいな奴のせいですから。

「で、更に幸運なことにね。有希には昨日、お見舞いに行ったときに事情を話したん
だけど、そのとき思い切って聞いてみたの。キョンのことどう思ってるかって、そした
らなんて言ったと思う?『わりと好き』なんだって!」

 ハルヒは棒人間長門から棒人間俺に矢印を引き、その上に『わりと好き』と書いた。
つーかなんで長門のときは文字で俺のときはハートマークなんだよ!最悪だ!
 それとなハルヒ。事実を曲解して伝えるなよ。あれはお前が好きかどうか聞いて、
それに対する長門の答が「わりと」だったんだぞ?自発か返答かじゃ受け取る側に
は雲泥の差があるってこと、理解してるか?

 俺はやり場に困った視線を長門に向けた。当たり前だが長門はこの状況下にお
いても平然と読書に勤しんでいた。その平静さの万分の一でいい。俺に別けてくれ。
俺はもう顔から火が出そうなんだ。
「なら、話は簡単よね。これはもう、自明のことと言っていいくらいだわ」
 そんな俺を余所に話を進めるハルヒは、そこで一旦言葉を区切り、バン、と勢い
よくホワイトボードを叩く。


「我がSOS団の総力をもって、キョン×有希のカップリングを支援しましょう!!!」


 俺はハルヒの威勢の良い声を聞きながら、頼むから隣室に聞こえていないでいて
くれ、とそれだけを祈った。


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