夏休み。
この響きにこの上無い程の喜びを感じる学生もいれば、
「夏休みか、そんな時期が私にもありました」
と、哀愁漂う背中で語る社会人など、人それぞれに感慨深いものがあると思う。
 では、俺にとってはどうなのか。
 少なくとも、中学の時の様に一日中家の中でだらだらと過ごしたり、たまーに友人に誘われて何処かへ出かけたりといった、まあごく普通の一般学生が送る典型的とも言えるのが、俺の夏休みだった。
 しかし、高校に入ってからというものの。涼宮ハルヒと出会った事によって年中ずっと振り回されっぱなしの俺にとって、心身ともに休める日など当然の如くありはしなかった(もちろん、田舎に帰るのは別としてだ)。
 故にこう断言できる。
 夏休みだと? 
「そんなもんねーよ」
 季節は夏。学生最大のイベント夏休みの真っ只中である。
 蛇足だが、俺は高校に入ってからこれで二回目の夏休みである。故に、今は高校二年生というわけだ。
 去年の夏の様な事が起こらないよう、ただひたすらに祈るばかりである。

【自宅にて】

 さて、何故俺がこうも長々と夏休みについて熱く語っているかというと。それは田舎から帰ってきた翌日の朝、奇跡的にも早起きしてしまった自分を呪いつつ、暇を持て余した俺は何を思ったのか、今までやらずにいた夏の課題を少しでも消化しようと試みたのだ。がしかし、目の前の机の上に積まれた紙切れやらくそ分厚い本やら何やらが山積みされているのを見てやる気を削がれ、現実逃避したくなったのである。
 なんでこうも教師どもはアホみたいに課題を出したがるんだろうね? 
「あぁ、くそいまいましい」

 完全に試合を放棄した俺はその内、なぜお金は貯まらないのかとか、フロイト氏の人間性について等を考察し始めたのだが、フロイト先生は実はエロいんじゃないのか? という結論が出た所で卓上の携帯電話が鳴った。
 電話先の相手はあの、涼宮ハルヒだ。
 俺は渋々電話に出た。
「なん――」
『キョン! 今ヒマでしょ。いいえ、ヒマに決まってるわ。なんたってあんたはキョンなんだから。キョンはキョンらしくヒマ人でいなさい!』
 どうでもいいが、こいつは今何回キョンキョン言ったんだろうね? ヒマな人は是非数えてみて欲しい。
『自分で数えれば? あんたどうせ万年ヒマ人なんだから』
 おっと、つい言葉に出ていたらしい。悪い癖だな。
「悪かったな、万年ヒマ人で」
『そんなことはどうでもいいのよ。とにかく! 今から十二時までに駅前集合! いいわね?』
 ん? 今は朝の十時三十分だが、あのハルヒが珍しく時間に余裕を持たせるとは。
 どうゆう魂胆だ?
『失礼ね。どっかのお馬鹿さんがいっつも遅刻してくるから、わざわざ余裕持たせてあげたんじゃない』
 お前等が早すぎんだよ。
「へいへい、わるーござんしたね」
『なんかムカツクわね……。ああ、それと。お昼は食べてきた方がいいんじゃない?』
「なんでだ?」
 その時、電話の向こうのハルヒが、何かイタズラを発見したガキの様にニタァっと笑っているのが、

 見えたのは錯覚じゃないんだろうな……。

『あたし朝まだ食べてないのよねぇ。あんたちゃんと人数分奢れんの?』

【駅前へ】

 さて、いま俺は駅前に到着したわけだが。
 その前に言い訳をさせてくれ。俺はあの後、ハルヒの挑発的な言葉を聞いてすぐに出かける準備をしたんだ。どんだけゆっくり行っても、駅前には十一時前後に着くはずであり、少なくとも俺がビリになる事は無いと踏んでいた。
 ……いや、何かこう言い訳するのも虚しくなってきた。結論を言おう。
 皆さんもうお気づきだと思うが、俺が最後だった。
 ハルヒはもちろんのこと、相変わらず寡黙な宇宙人、未来から来た愛くるしい少女、ムカツクほど笑顔を絶やさない超能力者。
 超普通人の俺がこいつらに勝てる日は、まあ余程の事が無い限り無いんだろうなぁ……。

 そんな俺の沈んだ表情を見て何を思ったのか。ハルヒが非情に嬉しそうで、非常に眩しい笑顔で言い放つ。

「遅い! 罰金!」


 何はともあれ(もう古いか、これ)SOS団の面々と会うのも久しぶりなわけで。
 どうやら皆何も変わりは無いようで、安心したような残念なような微妙な気分に浸っていると、
「あなたが旅行から帰ってきて嬉しい限りですね。――いえ、その前に挨拶が先でしょうか。お久しぶりです、お元気そうで何よりです」
 これまた相変わらずのハンサム顔のニヤケ面が話しかけてきた。
「それはいいが、気色悪い事を言ってくれるな。鳥肌が立つぜ、まったく」
「いやぁ、本心から述べたのですが、――ほんの軽いジョークですよ。そんな顔しないで下さい」
 俺の表情から何を読み取ったのか、それとも顔にでたのか。古泉は苦笑した。
 そんな奴は無視して、俺は他の団員へと片手を挙げる。
「久しぶり、みんな元気そうで何よりだ」
「当然よ、SOS団団長たるあたしが、夏如きにやられはしないわ! 年中無休なんだから!」
 相変わらずこいつはわけの分からない事を言っているが。まあそこが涼宮ハルヒたる所以であり、凹んでるハルヒ何ぞ見たくないね。いや、何か不気味なだけであって、特に深い意味は無いぞ。本当だ。
「お久しぶり。キョン君も、元気そうで良かったぁ」
 などと、極上のスマイルを浮かべて朝比奈さんが言う。
 いやぁ、そう言われればこの暑さなんぞ地球外を突き抜けて宇宙の果てまでブーンと吹き飛ばせるというものです。それと、その白いリボンが付いた麦わら帽子もとても良く似合ってますよ。
「……」
 ふと、視線を感じたのでその方向を見てみると、朝比奈さんの背後霊の様にして長門が立っていた。
 そしてここで何も変わっていない、というのが間違いだということに気付く。
 珍しく長門は私服姿でいたのだ。それも驚いたことに、朝比奈さんと御揃いの麦藁わら帽子(ただしリボンの色は薄青色だが)をかぶっていた。
「……?」
 ジロジロと見ている俺の視線を訝ったのか、長門は数ミリ首を傾げた。
「ふふーん。どう? この前三人で買い物行ったときに色々買ったのよ。二人の服のチョイスはもちろんあたし。みくるちゃんは基が可愛いから何でも似合うけど、有希も結構可愛いと思わない?」
 ハルヒはその二人を引き寄せながら言う。ああ、思うぜ。反則だ、その麦わら帽子とリボンは。
 そして俺はふと思ったことがあるので、口に出してみた。
「ハルヒ、お前も被ればいいのに。似合うと思うぞ?」
 するとハルヒは、
「あたしも買おうと思ったんだけどね、二人の分と自分の買ってたらお金なくなっちゃったのよ。仕方ないから、諦めたわ」
 至極残念そうに言った。
 
 【喫茶店へ常連へ】

 この後、俺たちはいつもの喫茶店に入り、ハルヒの暴力的なまでの食欲と他三名の昼食代によって、それは決壊したダムがその流れを止める術を持たないように、俺の財布から金が失われていくのだった。
 そんな厄介なダム決壊事件の首謀者は、もちろん涼宮ハルヒだ。
 朝比奈さんは気を使ってくれたのか、ケーキセットだけという何とも女の子らしい注文をし、申し訳無さそうにそれをチョビチョビと食べていた。それがまた、良い。
「あのぉ……キョン君。本当に大丈夫? わたしの分は自分で出そうか?」
 伝票を片手に、そこに書かれている金額を見てひたすら難しい顔をしていた俺に見かねたのか。朝比奈さんが心配そうに上目遣いで聞いてきた。
 いえいえ、あなたは何も気にしなくていいのですよ。むしろこっちが奢ってあげたいくらいです。
「いいのよ、みくるちゃん。遅れて来た奴が悪いんだから。じゃんじゃん注文してやりなさい。あ、すいまっせーん! デザートにアイスシャーベット一つくださーい!」
 お前は注文し過ぎなんだよ。なんだその目の前に並べられた皿の山は。こいつの胃袋は小宇宙でできてんのか? 
「ふふっ、本当に驚きの食欲ですね。これを全部支払う人が可哀相だ」
 同情に値します、と俺の隣に座ってる0円スマイル野朗が言った。
 お前の食ってるビーフストロガノフも、俺のお陰でタダで食えるんだ。こいつには感謝されてもされたりん。
 いや、やっぱこいつに感謝されると何か不気味なので、遠慮しておこう。
「古泉、それは俺に対する挑戦状と受け取っていいのか?」
「まさか。僕は心の奥底からそう思っているのですよ。まあ、そう捕ってもらっても構いませんが」
 どうやらこいつは俺に殴られたいらしいな。
「冗談ですよ」
 ふっと鼻で笑い肩をすくめた。いちいち感に障る野朗だ。

 俺は軽く溜息をつきどこかに安住の地は無いものかと探していると、そこに長門が映ったのでそのまま凝視する。
 何ということは無い、いつもの長門なのだが。なんだか妙に楽しそうに見えるのは、俺の気のせいなんだろうな。
 リズム良く口にサンドイッチを運び、もくもくと食べる光景は見ていて飽きない。ふと目が合った。何を思ったのか、この対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス(最近言える様になったぜ)は、俺にしか分からない様な角度で首を傾げた。
 何? とでも言いたいような感じだったが。いや、それを食えるのは俺のお陰なんだから感謝してくれよ。
 と、一瞬思ったが。普段助けられてばかりいる俺が、こんなもんで恩返しできていると考えれば。まあ、安いもんかと思い直した。
 この無表情な宇宙人は俺の顔から何を読み取ったのか。数ミリほど頷き、また黙々と食べ始めた。


「それじゃあ! デザートも食べ終わった事だし、そろそろ行きましょうか!」
 今まで大食い世界王者も顔負けの勢いで食べ物を胃袋に詰め込んでいたハルヒは急に席を立ち、店を出る準備をし始めた。
 ん? いつものくじ引きはどうしたんだろうか。グループ分けしなくていいのか?
「待てまて。グループ分けはいいのか? それとも、全員で市内を練り歩くつもりか?」
 するとハルヒはキョトンとした顔で、
「何言ってんの? 今日はそんなことしないわよ」
「じゃあ、何をするんだ」
 まさか、昼飯食ってはい終わり。じゃないだろうな。だとしたら俺の財布の殉職が報われんぞ。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「何をだ」
 食べる事に夢中で肝心なところが抜けてやがるな、こいつはよぉ。
「今日は皆で図書館に行くのよ」
「初耳だぞ」
「それは僕も初耳ですね。いったいどういった御了見で?」
「わ、わたしも……」
「……」
 その場全員の発言――約一名沈黙だが。――を受け。あれ、そうだっけ? などと言いつつ、ハルヒは再び椅子に座ると説明を始めた。

 その説明によると、せっかくの夏休みなんだし何か夏らしい事をしようと思い、出てきた案が『怪談話』らしい。それも飛びっきりマジな。
「なんでかしらないけど、こうポーンっと出てきたのよね。ポーンって」
 年中愉快な頭をしたこいつの中から、ポーンっと出てきたのがそれなら、まあまだマシな方だろう。
 宇宙人や未来人や超能力者、未知の生物とかを捕まえにいくなどと言い出すよりはな。
「それはいいが、なんでまた図書館なんだ? 怖い話でも探しに行くのか?」
「ええ、そうよ。百物語やるつもりだし、その方が話の種類も増えて楽しくなるじゃない?」
 なるほど、長門が楽しそうに見えたのは気のせいじゃなかったようだ。
 図書館に行けることがか、大勢でワイワイしながら行ことがか。どうかは分からないが、少なくとも楽しみ……なのだろう、きっと。
「場所も確保してあるから安心なさい。鶴屋さんに頼んだら快諾してくれたわ。あの人の家、和風だし広いしね。皆で怪談話をするのにうってつけの場所だと思うのよ。真夜中になったら出るかもしれないし? やっぱやるからには本格的にやらないと!」
 ずいぶんと手際がいいことだ。将来はツアー会社のコンダクターにでもなるといい。
 俺がそんな無関心にハルヒの将来の職業について考えていると朝比奈さんが上目遣いでこちらを覗いていることに気付いた。
「あの、キョン君。わたしそうゆうの苦手なんだけど……」
 この年中ドジっ子で麗しくも愛らしいハートフルエンジェルに助けを求められたら、そりゃもう全財産をはたいてでも助けてあげたい衝動に駆られるというものだ。金はもうないがな。
「大丈夫ですよ。何も幽霊や妖怪が本当に出てくるわけじゃ無いですし、いざとなったら耳栓でもして聞き流せばいいんです。それに所詮お遊びですし、気楽にやれば――」
 この時、俺のこの言葉の全てに涼宮ハルヒを焚きつける要素があったことにすぐに気付くべきであった。
「なーに甘い事言ってんの! やるからには徹底的にやるわよ! 幽霊や妖怪が出てくるような――いいえ、から傘おばけも思わず全力で逃げ出したくなるような世にもこわーい話をするのよ! 今からそんな甘っちょろいこと言ってると、鶴屋さん家五十周の刑なんだからね!」
 そんな喜怒(哀は抜けて)楽で喋るハルヒを見て、この世はまだまだ平和だな。
 などと思いつつ、俺は後に起こる身も凍る様な出来事など、想像できるはずもなかったのだった。

 その後すぐに店を出ると、俺たちは一路図書館へと向かった。
 その内ハルヒは朝比奈さんに絡んで楽しそうに笑ってたし、朝比奈さんも妹を見ているお姉さん的スマイルでハルヒを見ていたし、古泉はいつものようにニヤケ面を満面に湛えていた。
 だがその中でも、一番楽しそうにしていたのは長門だったように思う。
 笑いながらハミングしスキップを、などは無かったが(そんな長門も見てみたい気もする)家族で遊園地に行くときの我が妹と似たような雰囲気を感じ取った、様な気がする。あくまで内面的にだがな。

 【図書館へ】

 さて、図書館に着くと館内のヒンヤリとした空気が出迎えてくれた。
 夏場のこのくそ暑い時期。やはり冷房の効いた場所というのは極楽と言えるので、俺の顔が緩むことも仕方が無いのだ。いやぁ、エアコンはいいね。エアコンは人間の創った文化の極みさ。
 だからハルヒが、
「なぁにアホ面してんのよ。いい? 一人最低十個以上は見つけてくるのよ。それもハンパな物は許さないんだから。特にキョン、あんたサボって寝てたりしてたら罰金なんだから! いいわね?」
 ひじょーに楽しそうにそう言うと、ハルヒはリズムよく『サライ』をハミングしながら本棚の影へと消えていく。
 それに続いて長門が夢遊病者のような足取りで。残された俺たち三人も散開して『怖い話』の本を名目の元探し始めた。
 探し始めてから十五分後。俺は一角の本棚でホラー全集を観ているのだが、どうにも読む気になれず適当な本を手に取ると、手近なソファーへと腰掛けた。
 どうやら俺の体は図書館に来ると睡眠物質を体の中で無断で勝手に大量に作り出すらしく、その原因は何なのかと考え始め、このままではハルヒによって神罰が下されるので俺なりに全力で睡魔の野朗に抗っていたのだが、冷房効果もありやがて無力にも暗黒空間へと引きずりこまれる寸前に、
「隣、いいですか?」
 微笑を携えたマイエンジェル、ではなく。
「何だ、お前か」
 いつもニヤケ面を構えている、古泉であった。
「何か残念そうにされてらっしゃいますが、誰だと思ったのですか?」
「いちいち聞くな、鬱陶しい」
 これは失礼、とくすくす笑い出す。
「それで、何のようだ」
 すると奴は待ってましたと言わんばかりに、
「今回の件なんですが」
 擦り寄ってくるな、顔が近い、息を吹き掛けるな気色悪い。
 やれやれと言わんばかりの表情で、古泉は少し身を引いた。
「それで、今回の件なんですが。またこちらから色々とイベントを用意させて頂く事になりました」
「またハルヒが余計なことを考えないようにする為に、か?」
「ええ、そうです。ちなみに今回はドッキリ企画を計画しているので、くれぐれも涼宮さんには一切口にしないようお願いいたします」
 どうだか、つい口が滑っちまうかもしれねえな。
「その時はその時ですが。もし本当に幽霊や妖怪が出てきたとしたら、あなたの責任ですよ?」
「わかってるよ、ハルヒには黙っておく。んで、朝比奈さんと長門にこの事は伝えてあんのか?」
「いえ、これから伝えようかと。黙っておくのも一興かと思うのですがね。どうでしょう?」
 まあ、言うに越した事はないのだが。怖がって俺に抱きついてくる朝比奈さんを想像すると、こうグッと来るものがあるにはあるが、あの人の場合ショックのあまり気を失いかねん。
 長門? ああ、あの宇宙人アンドロイドなら大丈夫だろう。というか、あいつが怖がる姿など想像できん。
「一応言っておくべきだろう。ハルヒの為のドッキリ企画なら、仲間外れにしてしまうのは気が引ける」
「了解しました。ところで、あなたには――」
 そう言うと、古泉は視線だけを後ろに配り、
「彼女に構って、足止めをお願いします」
 古泉はそう言うとソファーから立ち上がり、そそくさと本棚の群れへと非難して行った。
 だが、ここで俺はある事を思いつき、奴を呼び止めた。
「古泉」
「なんでしょう?」
 俺はできる限り皮肉ぶった顔をして、
「今年もまた、同じ夏が巡るかもしれんな。そうしたらお前のその企画とやらも徒労に終わるかもな」
 それを聞いて古泉は大袈裟に肩をすくめると、
「できるのなら、そのようなことが起こらないように願うばかりですね。その為にこちらから娯楽を提供しているのです。全力を尽くすまでですよ」
 冗談めいて言うが、奴は俺に背を向けており表情は見て取れなかった。そのまま本棚へと消えていく。
 半分冗談、半分マジってところか。

 俺が軽く溜息をつくのと、数秒遅れで。
「ねえキョン。見て見て、なんだか怪しい本を見つけたわ! あからさまに、あたしに読んで下さいって言ってる様なもんよねっ! なによ、あんたのそのショボそうな本は。そうね、特別にあたしが見つけたこの本を読ましてあげるわ。さっ、読みましょ!」
 いつもより等比者(あえて誤字するのがポイントだ)二、三倍は明るいハルヒが後ろから頭越しに、まあ今しがた述べられた通りの本を突き出し、俺の隣のソファーに座るとその本を読み始めた。
 図書館=寝る場所の俺に。安住の地は無いらしい。


 その後の事なのだが。あらかた怪談話の種を探り終えた俺たちは一時解散。そしてまた駅前に二十一時ジャスト集合となっていた。
「それじゃあ、二十一時に駅前集合よ。絶対に遅れちゃダメよ。特にキョン、あんたいっつも遅いんだから。たまには早く来てみなさいよ」
 努力はするが、頼むから集合十五分前にはいてくれるなよ。勝てん。
「ダメよ、あたしだって負ける気ないんだから。悔しかったら一番乗りで来てみなさい!」
 ハルヒはやっぱり楽しそうに、満面の笑みでそう言った。
「じゃあね!」
「私も帰りますね。それじゃあ、また後で」
 そう可愛らしく手を振り、朝比奈さんもヒョコヒョコと帰って行く。
「……また」
 何を思ったのか、長門は俺を見上げると、朝比奈さんのマネなのか手を振って帰って行った。
 止めてくれ、その格好にそれは反則だ。
「ああ、またな」
 そして今は俺と、隣にいるハンサム野朗と二人きりになり、
「そうそう、一応報告しておきますが。あなたがいない間に涼宮さんは、今日に至るまで計十四回ほど閉鎖空間を発生させましたよ」
 いきなりそんなことを言い出した。
 計十四回と言う事は、一日に何回も発生させたのか。はたまた一日置きに発生させたのかは定かではないが。
「そうか、それはご苦労だったな古泉」
「いえ、慣れっこですが。でもご無沙汰でしたので少々くたびれたのも事実ですね」
 両手を上げると肩を落とし、芝居染みた仕草を見せた。
「それで? あいつがムカッ腹立てるほどの事が、俺がいない間にそんなにあったのか?」
「いえ、そうではありませんが……まあ、そう取っても間違いではないでしょう。ちなみに、その主な原因はどうやらあなたの様ですよ」
 いよいよもって意味不明だ。
「……俺が何したってんだ」
「あなたは然程悪くは無いのですが、そうですね。言うなれば『会えない時間が想いを募らせた』とでも言った所でしょうか」
 何楽しそうな顔してどこぞのキャッチフレーズを謳ってやがるんだ、この野朗は。
「俺にはお前の言ってる事がさっぱり理解できん」
 すると古泉は得意のククッという含み笑いをすると、
「おや? そろそろ気づいている頃かと思いましたが……それとも惚けているのでしょうか?」
「理解できんことに気づけってのは、無理難題ってもんだぞ」
「そうですねぇ、涼宮さんには悪いのですが。具体例を挙げますと――」
 少々間を空けもったいぶり、田舎の従兄弟達がちょっとしたトラップを仕掛け俺がどんなリアクションをするのか楽しみで仕方が無い、といった感じの表情で俺の顔を観察してきやがった。

「あなたが旅行に出かけていた二週間ほど。毎日一、二回は非通知で電話がかかってきましたよね? 」
「それがどうした」
 そして奴が、これまででベストⅢ――いや、ワーストⅢに入るであろう最上級のニヤケ面で言いやがった。

「その全ての電話先の相手は、あの涼宮さんなのですよ」

 【自宅にて】

「訳分からんっての……」
 あの後、ちょっとばかし寄り道をし、家に帰った俺は飯、風呂、着替え等。やるべきことは全てやり暇を持て余していたのだが、なにぶんまだ十九時近くだ。約束の時間までやることが何も無いので、仕方なく先ほどの古泉の言葉を頭の中で反芻していた。
 田舎に帰っていた間中のイタズラ電話の数々。その犯人がハルヒだ? 
 いよいよもって意味が分からん。何がしたいんだ、あいつは。
 その後もその行動理念は何なのかについて考察し始めたのだが、そもそも相手があの涼宮ハルヒだ。やる事なすこと全てに良い結果をもたらす事が、限りなくゼロに近い奴にとって俺へのイタ電は、まあヒマだったからだとか、そんなところだろう。きっとな。
 そして、「あいつの考えてる事を理解することは、無理無駄無謀」という結論に至った所で、今日は徹夜をする事になるだろうし、それに備えて今から睡眠を摂っておくのも悪くないなと思い、俺はそのままベットに横になった。

 さて、これを読んで何かしらの予想できた方はまあ、正解だ。
 正解? 何がだよ。と、熱り立つ人も落ち着いてほしい。
 
 結果から言おう。俺は寝坊した。
 ここまでくると、最早漫画の主人公の様に王道を突っ走る俺に自分自身ほとほと呆れるのだが、時間が時間だ。そうも言ってられない。
 なんせ今は二十一時ジャストだ。そう、駅前集合時間ピッタリである。
「嘘だろ」
 夏場のこの時季、少々寝汗を掻いてたりしてたんだが、今はそんな細かい事を気にしてられん。
 案の定、ポケットの携帯が鳴り出す。
 示された電話相手は、涼宮ハルヒ。
『ちょっと! 何してんのよバカキョン、遅いじゃないの!』
「すまん、今起きたところなんだ」
『はあ? このばか! バカ! バーカッ!』
 特大の声量で出迎えてくれた。いい目覚ましだなこの野朗。目覚ましと言えば、なぜ作動してないのだ? 相棒よ。
 よく見ると目覚ましの隣にシャミセンが寝ていて、その手はなぜか目覚ましを止める為のボタンに届いていた。なんてこった、絶妙のタイミングでシャミセンが止めたとでも言うのか? 実はまだ人並みの知性を持ち合わせているんじゃないだろうな、こいつは。
「集合、九時だよな」
『いいから、さっさと来なさい! 三十秒以内よ!』
 無茶言うなよ、ここからそこまで最速で二十分は掛かるんだぞ。
『寝坊したあんたが悪いのよ。とにかく、さっさと来なさい!』

 その後、俺は急いで家を出て可能な限り自転車を飛ばした。
 信号待ちなどで待ってると、ハルヒが引っ切り無しに電話で「信号なんてくだらないわ! 無視よ無視!」などと言う。
 どうにもこいつは俺を車に轢かせたいらしいな。


 駅前に着くと、既に全員揃っていてハルヒが踏ん反り返ってるのも、否応無しに発見できた。
 古泉は盛大に肩をすくめ、朝比奈さんは苦笑いのような微妙な笑顔で、長門は沈黙で出迎えてくれた。
 そしてハルヒは、怒り笑いで、それでもやっぱり楽しそうにこう言うのだった。
「遅刻、厳罰!」
 

 【鶴屋家へ】

 さて、その時言い渡された厳罰は何かというと、
「鶴屋さん家五十周の刑よ!」
 それはマジで言ってんのか? お前も鶴屋さんの家の広さがハンパ無い事は知っているだろう。
 結局やる破目になるわけだが、夏場のマラソンほど過酷なものは無いな。陸上選手でも避けてるもんじゃないのか? 
 やがて三周目にしてぶっ倒れた俺に見かねたのか、
「ハルにゃん、もうそろそろいいんじゃないっかな? ほら、本当に五十周してたら時間なくなっちゃうっしさっ!」
 玄関前まで出迎えてくれていた鶴屋さんが、天然笑顔百パーセントで言った。
 ハルヒは俺にじとーっとした湿った視線を送ると、
「鶴屋さんがそう言うなら、まあいいわ。キョン、鶴屋さんに感謝なさい」
 本当に感謝しますよ、彼女には頭が上がらない。
「さあさあ! 前座も終わった事だし、さっさとうちに入っちゃってよっ! めがっさ盛大に持て成してあげるにょろ!」
 ……前座扱いですか、俺は。
 そしてSOS団の面々は鶴屋家へと入っていくわけだが、実は俺は一つ手荷物を持ってきていて、厳罰を受けている間にそれを古泉に預けていたのだが。
 なにやら奴がいつも以上にニヤニヤしているのは、気のせいか? 
「大変でしたね。まあ、今回はあなたに非がありますが……。それにしても、あなたも中々粋な方だ」
 くそっ、こいつに預けたのは間違いだったか。
 俺は汗でベタベタになったTシャツをつまみつつ、苛立ちをあえて隠さずに言った。
「……中身を見たのか」
「ええ、それはもうバッチリと拝見させて頂きました」
 ウインクをするな、気色悪い。
「デリカシーの無い野朗だ」
 そう言って俺は奴から荷物をひったくると、さっさと女連中に続く事にした。
 後ろから付いてくる野朗の、ふうやれやれと言った溜息交じりの苦笑が、また俺をイラつかせたのは内緒だ。
 手荷物の中身? それもまた、内緒だ。


 【入場、そして怪談へ】

 俺たちは鶴屋さんに案内され、少なくとも俺の部屋の三倍はあろうかという部屋に案内されると、
「ここはあたしの部屋だから、じゃんじゃんくつろいじゃっていいよっ! 狭いかもだけどねっ」
 なんて言うから、やはりこの人は只者ではない。
 その後、鶴屋家のお手伝いさんらしき女性が飲み物を運んできて、「ごゆっくり」の一言に感謝の言葉を述べていると、
「それじゃあ、時間も押してるし。そろそろ始めましょうか!」
 第一回『SOS団百物語』の始まりである。
 さて、ここで百物語って何? という方もいるであろうから説明しよう。
 端的にいえば、「ロウソクを百本用意し、怪談話が一つ終わるごとにロウソクの火を一つ消していく」というものだ。
 そして百話終えたのちに何かしらの妖怪や幽霊が出てくる、というのだが。さて、そんなことは本当に起こり得るのだろうか。
 俺は幽霊や妖怪なんざ信じちゃいないが、今この場に涼宮ハルヒなる人物がいることを考慮に入れると、そうゆう類の物が出てきてもおかしくは無い。だから古泉の野朗がドッキリなるイベントを企画しているらしいのだが。はて、うまくいくかね。
「うまくいかせてみせますよ。そうでなくては、やる意味がありません」
 それはいいが、お前が言うとイマイチ悪寒が走るのは、どうしたことだろうね? 

 隣の部屋に用意されていた「百」のロウソクに次々と火がともされていき、次第に俺も不安になってきた。
「おい、ハルヒ。こうゆうのは寸止めでやるもんじゃないのか?」
「何言ってるのよ、こうゆうのは本格的にやらないと、幽霊とか妖怪とかツチノコとかは出てこないのよ!」
 いや、最後のは出てくるかどうか知らんが。
「マジで出てきたらどうすんだよ」
 ハルヒは俺の言葉を意外だとでも言いたそうな顔で見てくると、次第に子悪魔的な笑みを浮かべ、
「なに? あんたそうゆうの苦手なの? ふーん、そうなんだ。へぇ……」
「なに言ってやがる。俺はその手の類は信じてねぇよ。何なら『幽霊不信大会第二十九回』でもやるか? 優勝する自信があるぜ」
 するとハルヒは路上パフォーマンスに失敗した道化師を見る様な顔で、
「なにそれ。まあいいわ、そこまで言うなら別にいいのよね? ひゃくものがたり♪」
 最後にはとっておきの笑顔――だろう、きっと――をするのだった。
 ええい、ドジ踏んじまった。どうやら俺はこいつを止める術を持ち合わせていなく、それに否応なしにホイホイ付いていくしか能が無い様だな。
 そんな自分に少し自己嫌悪する。
「やれやれ」
 まあ、それも悪くは無いのは、ずっと前から分かっているんだがな。

 【百物語、開始】

 そんなこんなで「第一回SOS団百物語」は、遂に開始されてしまった。
 全てのロウソクに火が灯され、隣の部屋から百のロウソクの熱気が伝わってくる。
 さすがに、夏場にやるものとはいえ恐怖で体が冷める前にこの熱気でダウンしてしまうので、窓とふすまは全開にして行われることとなった。今日は風もあまり吹いてないし、まあ火が消える心配はあまりないだろう。

「じゃあ、まずは団長たるあたしから始めるわ!」
 さて、いきなりだがここで俺の怪談耐性について語りたいと思う。
 それはいいから怪談を聞かせろ? まあ待て、そんなことしたらただでさえ無駄に文字数が多い今回の話が、数十万文字は超過してしまうことになり、ただでさえグダグダな俺の文章が、更にグダグダになることは目に見えている。――そこ、決して俺が怪談話のボキャブラリーが少ないからではないぞ。ヒソヒソするなっ。
 俺は中学を卒業するまでは、怖いもの見たさで様々な本や映像を見てきたがたいして怖がったことは無い。
 故に、古泉の理論めいたどこで怖がればいいのか分からない話や、朝比奈さんの途中で噛んだりする怖い話のはずなのに逆に和んでしまったり、長門の本の内容をそのまま読むだけで無感情で語られたりしても、全く怖くは無いのだ。
「でね、その湖に何があったと思う? ――河童のメガネがあったのよ!」
 ハルヒにいたってはこんな感じだ。ここ、笑うとこ? (それなんて銀●?)
 だが一人――いや、実のところ二人か。恐ろしいダークホースがいた。
「ずっと前の話なんだけどね、戦時中ここら辺に赤い着物を着た女の人が住んでたんだよっ。戦争に駆り出された恋人を待っててね。
 そんでもって、その人いっつも赤い鞄を持って恋人との約束のここの近くの街灯下で毎日待ってたんだけど、その恋人実は死んじゃっててね。
 その女の人、その事はもう知ってたんだけど。やっぱ信じられなかったんだろうねぇ。
 何年も待ってたんだってさっ!」
 鶴屋氏である。
 なるほど、序盤は儚い恋の話で和ませる、ですか。そして段々怖くしていくといった具合か。
 その証拠に朝比奈さんは、祈るようなポーズをとって悲しそうにしていた。あれ? なんでこんな所に天使が?
 俺がそんな愛らしい方を思わず抱きしめそうになり、理性と全面戦争を勃発させたのだが。ハルヒが俺をしかめっ面のアヒル口で見ていたので俺は瞬時に理性と戦争終結を調印した。いや、やっぱり戦争は駄目だね。

「それである時、その人は運悪く通り魔に刺されて死んじゃったんだ。犯人はすぐに捕まったんだけど、その犯人、気がおかしかったらしくてね。殺した女の人の首を――」
 妙に切迫した鶴屋さんの雰囲気に、全員静まる。

「切り落として山中に埋めたんだってさ……」
「ひぃっ……」
 朝比奈さんは小さな悲鳴を上げると、かたかたと小さく震えだした。
 どうやらここから鶴屋ワールドが展開されていくらしい。この人の事だ、相当怖い話を用意しているに違いない。
 ですが、はたして俺を恐怖に陥れれますかね、鶴屋さん? 
 
「そんでね、これも謎なんだけど。女の人がいつも大切に持っていた赤い鞄も、どこかに消えちゃったんだってさ」
「犯人が、山中へ一緒に捨てたんじゃ?」
 何となしに俺が質問するが、鶴屋さんはニッと笑うと(これがまた不気味だ)。
「ううん。犯人は盗ってないって言い張ったんだってさっ」
「それは虚言という可能性もありますよね」
 古泉がずいっと前にでて言う。
「うんっ、そうかもしれないね。真相は闇の中ってやつっさ!」
 するとハルヒが怪訝そうな感じで、
「それで? まさか終わりってわけじゃないでしょ?」
 
「うん、それでねっ。一応警察も、犯人に動機を聞いてみたんだけど。ひたすら怖がるばかりでね、なかなか言い出さなかったんだって。それでも、しばらくすると落ち着いたのか話し出したのさっ」
 全員、鶴屋さんの話しの続きを静かに――
「それでそれで?」
 待てないのか、ハルヒよ。
「うん、それでね。動機はまあ、通り魔なんだし。ムシャクシャしてやったんだって。でもね、女の人の首を切り落とした理由が――」


「――死んだはずのその死体は、笑いながら犯人に話しかけてきた」
 俺は――いや、その場の全員が驚いた。


「ねぇ、どうして邪魔をするの?」

 

「な、長門?」
 長門が喋りだしたのだ。あくまで棒読みだ、が。それが逆に怖い。
「え、有希……?」
 ハルヒも意外そうな顔をし、朝比奈さんに至っては顔が青ざめ、ガタガタ震えだしている。
「それに恐怖した犯人は、その手に持った包丁で何度も何度もその死体の首を突き刺し始めた。
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――」
 突然エラーでも起こしたかの様に、長門は同じ事を繰り返し喋り始めた。流石に悪寒を覚えたね。
「そして首を切断した犯人はその首を持ち去り、山中へと埋めた」
「お、おぉ……よーっく知ってるね長門っち! いやあ、知ってたのかいっ?」
 鶴屋さんの言葉に軽く肯定の仕草を見せると、
「この話には続きがある」
 そう言って俺を見つめだした。止めてくれ、今はその黒い瞳が怖いぜ。
「……続き?」
 仕方なしに俺が言うと、その言葉を待っていたのか長門はゆっくり頷くと喋りだした。
「翌日、犯人は独房の中で死んでいるのを発見された。死因は不明。密室のはずのその空間には他者を殺害する方法はありはしなかった。
 だがそれが他殺だという事は明瞭としていた」
「なにそれ? 舌を噛んで自殺とかじゃないの?」
 ハルヒの質問だが、きっとそうではないだろう。何となくだが予測はできる。

「なぜなら、その死体は――」

 

「首から下が無かったから」

 


 
 予想がハズレた。
「首から下だ? なんでだ、そうゆうのは普通首が無くなったとかじゃねえのか?」
 あえて体を持ってったってのは、いったいどういったことか。
 俺のこの疑惑に鶴屋さんが明朗に言い返してきた。
「うんっ、それがね。犯人が首を埋めるときに、聞いちゃったんだ」
「なにを?」
 ハルヒの怪訝そうな声に応えず、鶴屋さんは同じ言葉で返した。
「きいちゃったんだぁ……」
「…………」
 突然クスクス笑い出し、俯いた鶴屋さんの表情は前にかかった髪のせいで伺えない。
 当然の如くその場に沈黙が訪れる。
 そして次の瞬間――

 

「きゃはははははは! ねえ、なんで首だけ埋めちゃうの? あたしの体はどこにいったのかしらぁ? うきゃはっ! きゃはははははははは! ぎゃはははははははははははははははははははははははははははは!」


 心臓が止まるかと思った。
 突然、鶴屋さんは立ち上がると大声で上記のセリフを叫びだしたのだ。
「ふぁ、ふぇ……はふぅ~……」
 白目を剥いて朝比奈さんが倒れてしまった。
「あ、朝比奈さん……? ちょ、ちょっと。大丈夫ですか?」
 この出来事に気付いたのか、鶴屋さんは今までの調子を止め、
「あはははは! あれっ? みくるっ、そんなに怖かったのかいっ? ごめんよ~」
 といっていつもの調子に戻った。
「あ~、びっくりしたぁ。ちょっと鶴屋さん? いきなり叫び出すのは反則よ!」
 畳に手をつき(腰でも抜かしたのか?)、猛抗議をするハルヒに鶴屋さんは笑って返した。
 そうだぜ、いきなり叫ぶのはこちらとしてもそれなりの気持ちの準備が……いやまあ、それが狙いなんだろうから、してやられたんだろうな。
「あはは、ごめんよ~。そんなに怖がるとは思わなかったからっさ! あ、でもまだ続きがあるんだっ」
 鶴屋さんは何故か持っていた毛布を、横たわった朝比奈さんにかけると(予想してたんだろうな)、話の続きを始めた。
「そいでねっ、独房の看守さんが言うには。死体の近くに何か赤い物を見つけたんだってさっ」
「赤い物、ですか?」
 これは俺の質問だ。
「うんっ。真っ赤に血で染まって、中からながーい髪がはみ出てたらしいよっ」
「それって、もしかして……」
 ハルヒが先ほどの姿勢のまま言った。あれ、こいつ本当に腰が抜けたのか? 
「う、うっさいわね! 黙って聞いてなさいよ!」
 どうやら図星らしい。
 ニヤニヤしている俺が、ハルヒにグーで殴られたのは蛇足だ。
「あははっ。でね、それはいつの間にか消えててそのまま行方知れずらしいんだっ」
「そして今でもその女性の首は発見されていない」
 長門が付け足すように言う。もはやここまでのコンビネーションを見せ付けられると、気付くなと言う方が無理な注文だろう。
 どうやらハルヒも感付いたようで、俺に目配せをしてくる。
 ああ、そうだな。
 
 この二人、グルか。

「あはははっ! 気付いちゃったっかなぁ? いやあ、バレちゃ仕方ないっさ!」
「仕方ない」
 二人は残念そうなのを微塵も見せずにいた。
「あー、でね。もうちょっと付け足させてもらうと」
「今もその赤い鞄は夜になると、自分の体に合う体を探しているらしい」
『お・わ・り』
 
「どうだい? めがっさ怖かったと思わないかいっ?」
 どうにょろ? と聞かれれば。もちろん怖かったさっ。
「ええ、怖かったですよ。思わず、腰を抜かしそうになるほどにね」
 そう言うのと横からビンタが飛んでくるのは、まあ言わなくても分かるよな。
 しかしここまで見事なコンビっぷりを見せ付けられると、逆に賞賛の美を送りたくなるってもんだ。
「……怖かったにょろ?」
 や、止めろ長門。こら、首を傾げるな。それは反則だっ。
「いやー、流石ね二人とも。やっぱりあたしが見込んだだけの事はあるわ。そうね、これを贈呈するわ」
 そう言うとハルヒは、どこから取り出したのか黒ペンと腕章二つを取り出した。
 お前はドラ●もんか。
 腕章に書かれた文字は『恐怖コンビ』。見方を間違えれば別の意味でも恐怖であろう。この二人は。
「あははははっ! あんがとね、大事にするよっ!」
「……」
 長門、そんなものにお礼のお辞儀をしなくてもいいんだぞ。
 そんな俺の思いを知ってか知らずか、二人ともいそいそと付けだした。
「ふふん、でもね。あたしの方が凄いのよ? なんたって、今日はこれなんだから!」
 ハルヒは元気良く言うと、右腕についていた団長印ではない腕章を見せびらかした。
 『恐怖大王』
 お前はどこのノストラダムスだ。

 【休憩、そして……】

「さーて、それじゃあ次行きましょう、次」
 一つ火を消した後、また続きを始めたのだが、そういえばさっきから珍しく黙りこくってる野朗がいるな。
「次は、古泉君ね。さ、始めてちょうだい」
「……」
 だが古泉は、ハルヒの問いかけに無言で微笑んでいた。
 なんだ? このイエスマンが珍しくノーと言える男にでもなったのか? 
「おい、古泉?」
 軽く肩を揺する、と。
 
 バタリッ

 こ、こいつ……。

 微 笑 み な が ら 気 絶 し て い や が る !         

 あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!
 『今まで怪談とか平気だと思っていたサイコ野朗が正座の姿勢で微笑みながら気絶していた。』
 な……何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何があったのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。
 閉鎖空間だとか超能力だとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

 

 さて、俺はいつの間にポル●レフになったんだろうね? 

「って、んなことはどうでもいいんだ!」
 と、空気に突っ込んだ俺なのだが。周りの視線が痛いのは気のせいさ、きっと。
「あんた何やってんの……?」
 だよね。俺もそう思うぜ、ハルヒよ。
「あーあ。まさか古泉君も気絶しちゃうなんて。これじゃ続きができないじゃない!」
 非常に残念そうに言っているが、俺としてはそろそろ休憩を挟みたいのだが。
「ハルにゃん、ちょうどいいから休憩にするっぽ? 飲み物とかも持ってこないとだしさっ!」
 俺の思考を瞬時に読みとったのか、自分の意思なのかは定かではないが。
 非常にありがたいです、鶴屋さん。
「ああ、俺もそろそろ疲れてきた。ちょうどいいし休憩にしようぜ、ハルヒ」
 何しろ三時間はぶっ続けでやってきたんだ。そろそろ休んでも、幽霊や妖怪も文句は言わんだろうよ。
「ふーん……。有希は? 休憩したい?」
「どちらでもいい」
「そっか。それじゃあ、休憩にしましょう」

 その後、鶴屋さんは長門をお供に飲食物を取りに行くと言って廊下へと消えていった。
 しかし、まさかあの古泉が怖い物嫌いとは。ようやくこいつの知らない一面を垣間見たような気がする。
「まっさか、あの古泉君が気絶しちゃうなんてね。思いもしなかったわ」
 そりゃそうだ。
「でもさっきの話、本当なのかしらね? マジだったとしたら、そのうち掘りに山へ行ってみましょうか。何か出てくるかもしれないわ」
「止めておけ。もし本当だったとして、マジで掘り出したりしたらどうする気だ。祟られても知らんぞ」
 俺の発言に、ハルヒはMr.ビーンばりにニヤっと笑うと、
「なに? やっぱあんたそうゆうの信じてんの?」
「いや、そうゆう訳じゃないが。気味が悪いだろ、普通」
「そうゆうのを信じてるって言う――ん」
 突然、ハルヒは会話を止めると立ち上がった。なんだ?
「どうした?」
「ん、ちょっとトイレ」
 そう言うと廊下へと消えていった。
 五秒後、戻ってきた。
「なんだ、えらい早いな。普通女性のトイレってのはもっと長いもん――」
「ちょっと来て」
 そういうと、ハルヒは俺の手首を掴み無理やり立たせやがった。
 なんだ? どうしたってんだか。
「いいから黙って付いてきなさい!」
「わかったから、そう怒鳴るな。家中に響くだろうが」
「ふんっ」
 
 そうして行き着いた先は、
『WC』
「……あん?」
 なんのつもりだ、これは。
「まさか……ハルヒ、お前。怖いのか?」
 するとハルヒは俺のその言葉に、異常とも言えるほど過剰に反応し、
「バッカじゃないの? そんなわけないじゃない! いい? あんたがトイレに行きたそうだったから、しょうがなく一緒に連れてってあげたの。感謝なさい」
 俺がいつトイレに行きたいなどと言ったか、ハルヒさん?
「うるさい! あんたはトイレに行きたかったんでしょうが! あたしがそれを察したの、感謝しろ!」
 なんだその滅茶苦茶な理由は。
 いや、しかし。ははーん、そうかいそうかい。どうやらコイツは、俺の知らない意外な一面をまだ隠し持ってるらしい。
「ニヤニヤすんな! バカキョン!」
 おっと、知らん間に顔がニヤついてたらしい。いかんいかん、悪い癖だな。
 それにしても、あの天上天下唯我独尊をモットーとしているようなこいつに、こんな一面があったとはな。
 普段、滅茶苦茶な事をしていて気付かなかったが。まあ、こいつも一女子高生って所か。可愛らしい所もあるじゃないか。いや、これも深い意味はないぞ、マジだって。って俺は誰に言い訳してるんだろうね?
「いい? 用が終わっても勝手に戻っちゃダメだからね! 絶対よ!」
 ハルヒはそう言って、怒ってんだか怖がってんだか良く分からない勢いで女性用トイレへと入っていった。

 数分後。
 俺は付き添い人を待っているわけだが。しかし、女性のトイレってのはどうしてこう長いんだろうか。
 まあ、女性は色々大変なのは分かっているので別段待つのは構わないのだが。仕方ないので、退屈を紛らわす為に窓の外を見る。
 今夜は満月か。いやぁ、いい月だな。

 おや? 

 満月の付近に、もう一つ丸い物が浮遊しているのが見えるのだが。はて、月の野朗はいつの間に分離したのだろうか? アメーバか何かの親類だったのか。
 
 チリーン

 ふと、鈴の音が聞えたが、まあ風鈴か何かだろう。でもこの音からは、あの球体の鈴の方を連想させる様な、

 チリーン

『……ねぇ』

 
 俺は鈴の音に気を取られていたらしく、自分へと近づいてきていたその『存在』に気付けなかった。
 もはや空に影の月は無く、代わりにその『存在』がそこにあった。


『私の体、どこにあるか知らない?』


 長い黒髪に覆われた、血まみれの生首がそこに『浮いていた』。

「――!!!!!!!」

 俺は声にならない悲鳴をあげ、その場に立ち尽くした。
 いや、動けなかったんだ。声も全く出せず指一本動かせれない。なるほど、これが金縛りってやつか。
 それは分かった。だが、この状況はなんだ? 金縛りってのは幽霊か何かのせいだと言われているが、確かテレビで理論的証明をしていたはずだよな。幽霊なんかの仕業ではない、と。

 では、俺の目の前にあるこれはどう説明するよ。

『ねえ、知らない? 知らないの? じゃあ――』

 それはもう俺の手が届く範囲にまで迫っており、青白く土汚れがついた顔が良く見え、俺をより一層恐怖のどん底へと叩き落した。
 そしてその次の言葉もまた、俺を恐怖させるには十分だった。

『貴方の体、ちょうだい?』
「……っ!!!」

 そして次の瞬間――

 ――バタンッ! 

 蹴破ったように扉が開け放たれる音が聞えたと同時に俺はその場に尻餅をついた。
 そしてあの生首も消えていた。


「ちょっとキョン! ちゃんといるでしょうね! いなかったら殺す――あら?」
 そんな感じでハルヒの声が聞えた。いや、実際は曖昧だったからどうか忘れたが。
「どうしたの? あんた、息荒いし顔色悪いわよ?」
 いや、これほどハルヒに感謝したいと思った日は無いね。今なら素直になれそうだぜ。何にかは知らないが。
「……ハルヒ」
「な、なによ」
 俺はハルヒの顔をしっかり見据えると心なしかこいつの顔は少し赤かった気がするが、今はそんなことはどうでもいい。
 俺は立ち上がると、すぐにでもその場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「はやく戻ろう」
「うん? え、ええ。分かったわ」
 何か鬼気迫る感じを察してくれたのか、存外素直に言う事を聞いてくれた。
 俺はハルヒの手を引きながら、冷静になろうと考える。

 何だったんだ、今のは。
 
 新手の催眠術か何かか? それとも古来より伝わる何かの魔術か? それとも未来から来た朝比奈さんの親戚のロボットか何かが四次元ポケットから出した道具に誤作動でも引き起こったのか?
 ええい、落ち着け俺。そうだ、素数を数えるんだ。
「2 、3 、5 、7 、11、13……」
「ちょ、ちょっとキョン? ……素数? 何言っちゃってんのよ。ほんとに大丈夫?」
 いかん、口に出ていた。
「いや、すまん。大丈夫だ」
 珍しくハルヒが心底心配そうな優しい言葉をかけてくれるが、よくよく思えば奴をからかえるチャンスだったのだろうが。いや、そんなことはどうでもいい。今は一刻も早く皆のところへと戻らねば。
 その間にもう一つの疑問が俺の頭の中に浮かび上がってきた。
 これもハルヒの仕業なのか? 

 【イッキ ショウタイム】

 部屋に戻った俺は愕然とした。
 火の灯ったロウソクはそのままで、部屋には誰もいなかったのである。
 この時の俺はどうにも焦っていたようで、気絶した二人がいないことに何の疑問も持たなかったのだが。
「あれ、なんで誰もいないの? まあいいわ、座って待ってましょ」
「あ、ああ……」
 それにしてもこれはどう言うことだ。
 さっきのあれにしろ、今のこの状況にしろ。何か不気味なものがある。
 幽霊なんぞ信じていない俺だが、あんな間近でリアルなものを見せられちゃ信じないって方が嘘だぜ。
 それにしても、浮遊する生首か。いや、待てよ。
 あれは何か言ってなかったか? つい最近聞いた事のあるようなセリフを……。

「ちょっと、なにボーっと突っ立ってんのよ。あんたもさっさと座りなさいよ」
 俺はかなり深く思考していたようで、ハルヒの声に呼び覚まされると不承不承に座った。
「全く、あんたさっきからちょっと変よ?」
「ああ……いや、なんでも無いんだ。気にしないでくれ」
「ふーん……」
 いくらなんでも、ハルヒに「実はわたくし、先ほど幽霊なんかを見ちゃいまして」などと言える訳が無い。
 もしさっきのが偽者か何かだったとしても、ハルヒが俺の言葉を聞いて信用してしまえばそこらじゅうに怪奇現象が巻き起こってしまうかもしれない。そんなのはごめんだ。
 さすがの俺もこうゆう幽霊沙汰やらなんやらは傍観者でいたいし、そんなものはテレビなどで見ていれば充分なのだ。間違っても当事者などご免蒙る。

 さて、しばらくしても皆戻ってこないのに痺れを切らせたのか。ハルヒは勢い良く立ち上がると、
「ああ、もう! 遅すぎるわ皆、何やってんのかしら。ちょっとキョン、探しに行くわよ」
「探すったって、どこへ」
 ハルヒは少し考えるような仕草をしたが、
「そうね、鶴屋さんと有希は台所へ行ったのよね。とりあえずそこへ行きましょ」
 否定する要素も無いので、俺はそれに同意した。

 薄暗い廊下を彷徨う事しばらく。台所らしき広い厨房へとたどり着いた。
「変ね、いないのかしら」
 見渡した限りでは人っ子一人いないのだが。さて、どこにいったのやら。
 すると――

「ひっく……ぐすっ……ひっぐ……」
 女性のすすり泣く声が、厨房に響いた。
 この時点で俺はさっきの事もあり、すこーし薄気味悪く感じたと同時に何かこう胡散臭いように思えたのだが。
 さてどうゆうことだろうか。
「あら? 誰かいるの?」
 ハルヒは何の訝りも無く声の元へと進んでいく。
 そこには見慣れた超ロングヘアーがチャームポイントの鶴屋さんが、こちらに背を向けてしゃがみこんでいた。
「鶴屋さんじゃない! ねえ、何で泣いてるの? 大丈夫?」
「ひっぐ……ハルにゃん……? あのねっ……あたしね……」
 ハルヒが鶴屋さんの肩に手を置くと、鶴屋さんはこちらを向きその表情は――

「今、どんな顔してる?」
 
 表情は無かった。
 それは見事なまでに肌一色で、目も口も鼻さえもどこで研磨してきたかと思うぐらい、ぴっかぴかのつるっつるにテカっていた。いわゆる、のっぺらぼうだ。
「えっ?」
 ハルヒの驚愕した声が聞え、一歩二歩とこちらへ下がってきた。
 まさか、鶴屋さんの顔が無いなどと思いもしなかったのだろう。ただでさえ大きい目がいつも以上に見開かれている。
「ねえ、あたしの顔。どこにあるのかなっ?」
 鶴屋さんはゆっくりと不気味に立ち上がると、ふらーりふらりとこちらへと近づいてくる。
「な、なにこれ。まさか、本物……?」
「俺が知るか」
 無感情にそう応えると、ああ、そういえばこうゆうこともするんだったな。などと、ちょっとした仲間ハズレ意識に苛まれたのは、まあどうでもいいことだが。

 さて、そんな思考を張り巡らせていると。思った通りに周りの戸から続々と『妖怪もどき』が出てくるわけだが。
「う、うらめしや~ですぅ……あいたっ。ふぇ~、痛いですぅ」
 白い着物と黒髪のカツラをかぶった、なんとも貞子チックな姿をした朝比奈さんが着物の裾を踏みつけてこけたり。
「……ユニーク」
 何かこう、どこぞの歌のお姉さんが番組のイメージキャラクターをどこをどう間違えればそんなモンスターに描けるのか。といった具合の着ぐるみを着た長門がいたり(ていうか、お前がユニークだ)。
 その後ろでは引き戸の出入り口に引っかかってる古泉がいた。真四角の石の壁のような……これはヌリカベか? 
 いや、お前何やってんだ? 
「おや? おかしいですね。僕の計算ではギリギリ通れるはずなのですが……」
 微笑みながら必死に抜けようとするが、どうもうまくいきそうにないな。
「あっはははははは! おっかしー! もう我慢できないっぽー!」
 ついに鶴屋さんが堪えきれずに高笑いを始めた。っていうか、さっきののっぺらぼうからいつの間に戻ったのだろうか。
「ああ、これかいっ? ちょっとした特殊メイクってやつっさ! ほら、映画とかでもよくあるにょろ?」
 と言って右手に風船を割った後のような残骸を持っていた。なるほど、特殊メイクか。
 でも特殊メイクなんて滅多にできるものではないし、何よりそんな技術者がどこにいるのか、と思ったが。
 ここが鶴屋邸なのを忘れていた……。何でもありなんだろうな、きっと。

「……あんたたち、何してんの?」
 ハルヒの当然の質問に古泉が、
「いえ、ちょっとした余興をしようかと思ったのですが。どうやら失敗したみたいですね」
 肩をすくめ――たかったようだが、できないので仕方なく前に突き出ている手を上げた。
 どうでもいいけど古泉、それ滑稽だぞ。
「ふぇ~、ごめんなさい。あたしがドジっちゃったから……」
 いえいえ、この計画は元より成功する要素なぞ皆無だったので、あなたが心配する必要は無いですよ。
 ところで、朝比奈さん。そのはだけた生足と胸の谷間はどこのエデンなのでしょうか?
「へ? ひゃっ! ……もぉ~、キョン君?」
 朝比奈さんが頬を赤らめながら服装を正す。その時に胸の谷間がいっそう誇張されるのだが――

 たいしょおおおおおお!!! 生盛いっちょおおおおおっ!!!!

 ふと、じめじめした視線に気付き何となしにハルヒを見ると。
「……変態」
「うっ」
 ハルヒの容赦無い変態扱いにより俺はそこそこのダメージを受けてしまった。
 いやだね、ハルヒ君。これは不可抗力でありながら服装の乱れを注意してあげる俺の優しさであり、決してやましいことなんか無いんだよ? うん。
 するとハルヒは本当にどーでもよさそーに溜息をつき、
「まあいいわ。さっ、みんなさっさと戻るわよ」
 さっさと戻ろうとしたのだが、誰も付いてこない事を怪訝に思ったのだろう。目をパチクリさせた。
「なに? どうしたのよ」
「あー、あたしこれの片付けしてから行くねっ! 色々面倒なんだよっ」
「あたしも着替えないと……」
「わたしもこの着ぐるみを片付けなければならない」
「いやぁ、僕もとりあえずここから出なければならないので」
 それぞれ多種多彩な言い訳を言うのだが、なんだそのチームワークは?
 これも何かのたくらみか? 主に古泉主犯の。
「っそ、まあいいわ。じゃあ、あたしは先に戻ってるから」
 ハルヒはあっさりと真に受け、廊下へと歩いていった。

「おい、何考えてやがる」
 俺は先ほどからどうにか戸から出ようとしている真四角な奴に話しかけた。
「いえ、何も。本当です、今回のドッキリというのはこれだけですから」
 だとしたら、随分と情け無いドッキリだな。
「あはは、ご尤もです。ところで、あなたは戻らないのですか? ああ、ヒマなのでしたらこれを抜け出すのに手伝って欲しいのですが」
「さあてね。ところで、お前気絶してたんじゃないのか?」
 まさか、演技とか言い出すんじゃないだろうな。
「やだな、先に言わないで下さいよ。ご名答、演技ですよ。まあ、ちょっとした記憶がフラッシュバックして、少しの間気絶はしましたが……」
「ちょっとした記憶? なんだそれ?」
「それはですね――」
 と、あの解説好きな奴が珍しく喋るのをやめると少し冷や汗のようなものを流しだした。
 ここで気付いたが、古泉の視線は俺を捕らえておらず、ある一点を見ていたので俺もそれに倣う。
「んん?」
 そこにいたのは鶴屋さんなのだが。さてさて、いったいあの笑顔がいつも以上満面な方に何があるというのだろうか。
 鶴屋さんはこちらに気付いたのか、手を振ってきたので俺も振り返す。
「鶴屋さんがどうしたんだ?」
 俺の声に古泉はハッとしたようにまたこちらをみると、
「い、いえ。何でもありません。なんでも……」
 なんだ? いつも冷静沈着な野朗が珍しく焦ってるな。奇妙な事もあるもんだ。
「そういえば、朝比奈さんは?」
「着替えに行ったのでしょう。長門さんもね」
 俺が聞きたいのは、朝比奈さんが気絶したのはお前と同じく演技かどうかってことだ。
 あの純粋無垢なお方が気絶する演技をドジも無くできるとは、考えられん。
「そのことでしたか。いえ、彼女は本当に気絶していましたよ。それこそ気絶した人間を起こすのは容易ではないので、長門さんに手伝って貰いましたが」
 なるほどね。そりゃ長門なら腕に噛み付いてナノマシンやらなんやらを体に流し込んで、無理やり起こす。なんてことは簡単なのだろう。
「そうかい、分かったよ。それじゃ、また後でな」
 すると古泉は立ち去る俺を慌てて呼び止めてきた。
「ま、待ってください。どうかここを抜け出すのを手伝ってくれませんかね?」
 くそう、耐えろ俺の顔。笑っちゃ駄目だ、ここは目一杯の皮肉顔を作るんだ。
 そして俺は古泉を突き放す為の言葉を捻り出した。
「やなこった」
 前に突き出た両手とともにうな垂れた奴は放って置いて、さっさと戻ることにした。

「キョン君キョン君、ちこーっといいかいっ?」
 厨房から出ようとしたところを鶴屋さんに呼び止められたのだが。さて、あのハルヒと同調できるようなお方が一体俺に何の用があるのだろうか?
 ちこーっと恐い。
「はあ、何でしょう?」
「あっはっはっ! そう警戒しないしない」
 地の文読まれた!?
「んでね、これあげるっ」
 そう言って鶴屋さんに差し出されたそれは、
「指輪、ですか? それも二つ。何で俺に?」
 少々傷がついたりしているが、そこそこの代物だということは素人目からでも分かるほど、それは手の込んだ物だと分かった。
「いやぁ、特に意味は無いんだけどさっ。まっ、あたしからの真心として受け取ってよっ」
 なんなんだこれは。つまりこれは、鶴屋さんから俺へのプレゼントとして取って良いのだろうか?
「ああ、ちっがうよっ! マジホンにそれはただあげただけっさ。それをどう使うかは、君次第ってねっ!」
「はあ……そうっすか」
「あははははっ! そうっすそうっす!」
 すると鶴屋さんは急に思い出したように、にゅふふふと笑い出した。なんだなんだ。

「キョンく~ん? ハルにゃんに変な事しちゃダメっぽよ。分かったにょろ?」

 【真・度胸試し】

 はいにょろ。
 などと言う前に、そんな恐ろしい事はまず思いつかないわけで。あの後、俺はハルヒのいるであろう部屋へと廊下を歩いていた。
 それにしても、鶴屋さんの言動はイマイチ理解不能な事が多い。どっかの金メッキのアナキン製アンドロイドでも理解できんだろう。俺が理解できないんだ、間違いねぇ。
 さて、指輪についてだが。ただでさえ俺は一つの懸案事項を抱えているわけだが、それでさえタイミングがいまいち良く分からないのにもう一つ増えるってのは悩み物だ。
 というか、プレゼントするなら新品の物を渡すだろうに。ハルヒにこんな物を渡したらどんな文句が飛んでくるやら。
 何を考えているのだろうか、あのお方は。
 って、何で俺はこれをハルヒに渡す事前提で考えてるんだ? 
 鶴屋さんは言った。これをどう使うかは俺次第だと。ならば、別にそんな自ら火に入るような夏の虫にならずとも――


 ――チリーン


 思わずぞわっと来たね。
 またか、また鈴の音か。さっきのトイレ前での事が鮮明に蘇るぜ。
「おいおい、勘弁してくれ……」
 これもまた古泉のドッキリとかじゃねえだろうな。機関とやらが本気を出せばあれぐらいの立体グラフィックぐらい簡単に作れそうだが。
 だがこれは断言できる。あれはマジもんだ。直に見た俺が言うのだから間違いない。

 チリーン……チリーン……

 連続で聞える鈴の音に思わず身構えるのだが、どうやら遠ざかって行くようだ。
 それも俺がこれから進む方向へ。その方向には、ハルヒ一人で待っているはずの部屋が――
「……! 狙いはハルヒか!」
 俺は右手に持っていた指輪をズボンのポケットにしまうと駆け出した。
 
 かつて無いほど全力で駆けたと思う。廊下を走るな? そんなこと知ったこっちゃないね。
 ハルヒがあれを見たら、まず間違いなく世の中には奇怪なもので溢れ返るだろう。
 いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
 自分に素直になれ、俺。いいか? そんなこと知った事じゃない。今お前が一番懸念していることはなんだ?
「あいつの身の危険だ!」
 そう、ならお前にできることは何がある? 超普通人の俺ごときに、あんな得体の知れないものに立ち向かえる力でもあるのか? いや、無いね。これは断言できる。なら今すぐにでも長門や古泉に助けを求めるべきじゃないのか? え? 
「そんな時間ねえよ。だけどな、今一番近い位置にいるのはこの俺だ。俺が行かなきゃ誰が行くよ?」
 オーケー、よく言った。それでこそ俺だ。
 それなら、後は最善を尽くすだけだ。いいか? 逃げるなよ、立ち竦むな、より最善の動きをしろ。そしてなにより――死ぬなよ。
「死ぬにはまだ心残りが多すぎるぜ、まったくな」

 そうしてようやく見えた鶴屋さんの部屋に浮いた物体が透けて入って行くのが見えた。
「くそっ!」
 俺は部屋の障子に手を掛けると力任せに開けた。間に合ってくれよ、最悪な光景だけは見たくない。
「ハルヒ!」
 精一杯あいつの名前を叫び、そこにいたのは――

「な、なによキョン! ビックリしたじゃない、どうしたのよ。そんなに慌てて?」
 そこには畳にちょこんと座って、固焼きせんべいを豪快に食べてるハルヒがいた。
 なんだ? もしかして全部俺の気のせいで、それが何かの拍子に不安が加速してあんな物を見たり聴いたりしちまったのか? 
 だったら俺のさっきの心の葛藤は、このやるせなさはどうしてくれよう。
「はあ……いや、何でもない――」
 その時、俺は見てしまった。
 ハルヒの後ろに浮く、『奴』に。

『ねぇ、その体。チョウダイ?』
 そしてゆっくりとハルヒの後頭部へと近づき――

 ぶちんっ

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 その時、正直何が起こったのか自分でも良く分からなかった。
 頭の中で何かが弾けたかと思うと、気付いたら俺は部屋の壁に激突していた。背中が非常に痛む。
 くそ、動けねぇ。
「なっ、なっなっなっ……?」
 ハルヒは喋ろうとして声が出ないようなそんな感じだった。まあ突然目の前の野朗が自分を抱き寄せて飛び込み、あまつさえ壁に激突した、なんて事が起こっちゃまあそうなるよな。
「ちょ、ちょっとキョン? 何するのよ、放しなさい!」
 腕の中でハルヒが暴れだし、俺の全身に満遍なくダメージが行き渡るのだが、

『ねえ、どうして邪魔をするの?』

 あの声がした途端、ハルヒは暴れるのを止めた。
「えっ? キョンじゃないわね。あ、あれ……」
 ハルヒは口をパクパクさせると、それを見た。
 そりゃビックリするさ、俺も宙に浮く生首を見た時は恐怖でどうにかなりそうだったぜ。
 だがな。今はそんなことすら、ひたすらにどうでもいいのさ。
『ねえ、どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうし――』
「ああ、そうだな。自分でも良く分からんな」
 俺は狂ったように「どうして?」を連呼しだした生首幽霊の声に割り込んだ。
 どうにかして立ち上がり、ハルヒを庇うようにして後ろへ回す。背中の痛みがひどいがそこは我慢だ、俺。

「トイレでお前に襲われた時、俺は一瞬諦めたね。『ああ、ここで死ぬんだな』とも思ったさ。だがな、こいつだけは駄目だ。俺がいくら死のうが、ハルヒだけは死んでも渡さん。こいつは確かに毎日バカやって、俺や周りを巻き込んで非常識な事をしたり、厄介なことを毎回持ち込んで俺を苦悩させたり、迷惑の台風みたいな困った奴だ」
「ちょっとキョン、あんた何言って――」
「だがな!」
 途中でムカついてきたのだろう。ハルヒの非難する声が聞こえたが俺はそれを遮り演説を続けた。
「だがな、俺はそんな馬鹿やってるこいつが好きなんだよ。毎日振り回されたり後始末やらなんやらさせられたりするがな、ハルヒはいつだって俺に非日常をくれた。毎日が退屈で、平凡すぎる日々を送ってた俺に退屈のたの字も出ないほどにな。そうさ、だから俺はハルヒを死んでも守る。絶対にだ!」
 後で冷静に考えると、良くもまあここまでクサイ台詞が言えたもんだ。その場の勢いってやつは恐ろしいね、まったく。
 まあ最後に凄んでみるものの、相手は幽霊だ。効果なんて期待できないのは明白だ、が。
 その幽霊の目は見開かれていて、瞳孔も開いてるんじゃないかと思うほどだった。幽霊って目あったんだね。
『……さ……ん……の……ゆ……さん……』
 なにやら不気味にぽつりぽつりと呟きだしたが、気にしてはいられない。危険な状態には変わり無いのだ。
 くそ、何か無いのか。何か……。
(ん……?)
 何と無しにズボンのポケットを探っていると、冷たい金属の感触がしたので、俺は取り出した。
 指輪だ。
 そう、さっき鶴屋さんがくれた指輪なのだが、今この状況でとてもじゃないが役に立ちそうにはない。
 だがそうでもなかったようだ。見開かれていた幽霊の目はさらに見開かれ、K点突破したのでは無いかと思うほどだった。

『それは……わたしの……のぶゆきさん……』
 ここで俺は頭の中に電撃が走り、ピーンときた。
 なるほど、そうゆうことか。
 つまりこの幽霊は、鶴屋さんが百物語で話した怪談の中の女性。通り魔に刺されて死んだ無念の霊ってところか。
 そしてこの指輪は本来、この女性とのぶゆき氏が付けるはずだった。それをなぜ鶴屋さんが持っているのかは不明だが、やはり知っていたのだろうか。

「そう、これはあなたの。そしてあなたの恋人がつけるはずだった指輪だ。愛する人を失ってしまい、互いの指に嵌められなかったのはさぞ残念だったことだろう」
 俺はその場に合わせ、もっともであろう言葉を慎重に言葉を紡いだ。
「だから、今その無念を晴らそう。その役目は俺たちが引き受ける」
 そう言うと、俺はハルヒの手を取り立ち上がらせる。怪訝そうなハルヒの顔だが、今までの話で察していたのか俺の行動に何も言わない。

「ハルヒ、この指輪を嵌めてくれ」
「分かったわ。けど――」
 するとハルヒは俯いた。俺の言葉でも待ってるのか? 
「けど、なんだ?」
 仕方が無いので聞くとハルヒはソッポを向き、顔を赤らめて言う。
「……あんたがつけてよ」
 しばらく俺はポカーンとしていたが、ハルヒがむっとした表情をしたので慌てて俺は声を捻り出す。
「あ、ああ。分かった。わかったからそうむくれるなよ」
「ふん」
 むすっとしたままハルヒは右手を差し出した。こうゆうのは薬指に嵌めるんだったよな。
 俺はハルヒの手を取り、薬指に指輪を近づける。
「待って」
 なんだ、やっぱり俺につけられるのは嫌だったのか? ハルヒよ。だったら、最初からそう言えば――
「何言ってんの? あたし何にも言ってないわよ」
 それじゃあ、今の声は?
 俺はもしやと思い、生首幽霊を見た。が、そこにいたのはもはや生首だけではなかった。
 赤い着物を着た、長髪の女性がそこにいた。
「あら? 体が……」
 ハルヒも思わず声を上げた。
「これ? ああ、生前の記憶がこれしかないから、仕方ないのよ」
 女性は首を横に振り、悲しそうにそう言う。いや、しかし中々似合ってますよ。
「ふふ、ありがとう」
 一瞬笑った女性だが、すぐに寂しげな表情に戻ってしまった。惜しいな、笑った方が可愛いのに。
 などと俺が思っていると、ハルヒがアヒル口で唸り声を上げながら俺の足を踏んだ。
「そ、それで。待て、とはどうゆう事ですかね?」
 なんとか耐えつつ、俺は女性に聞く。

「できれば、左手の薬指につけてくれないかしら。あなたたちが私の代役と言うならね」
 俺としてはどちらでもいいのだが、彼女としては何か重要なのだろう。黙って従う。
「そういえば、左手の薬指に指輪を嵌めることは愛の力とかそうゆう事の助けになるって聞いたことがあるわ。そうゆうことなの?」
 ふと、ハルヒが思い立ったように言う。ほう、そんな意味があるのか。
「そうね、そうゆうこともあるわ。でも――」
 女性は俺たちを見比べると、俺に向かってこう言った。
「あなたは、彼女のことが好き?」
『へっ?』
 正直、間の抜けた声だと我ながら思い、ハルヒもそう思ってるだろう。ていうかハモるな。
 だがここで「AHAHA、そんな事アーリマセン。嫌いデース」などと言ったら何もかもパーになってしまう。
 ここは超えるべき壁……!
「……好きよ」
「へっ?」
 なんと、あのハルヒが「好き」などと。いやまあ、状況的には仕方ないか。
「あたしはあんたのことが好きよ。あんたはどうなのよ」
 威圧するような、それでいてどこか不安そうな目が俺を捕らえる。止めてくれ、そんな目で俺を見るな。
 耐え切れなくなった俺はそっぽを向き、仕方なしにこう言ってやった。
「お、俺も……す、す、好き……だ……」
 ええい、くそう! 何て恥ずかしい言葉なんだ、これは。ここがアメリカじゃなくて良かったぜ。じゃなきゃ俺は荒野の果てまで全力疾走しているところだ。

「そう、それは良かったわ。それじゃあ」
 顔を赤くした俺とハルヒを見て女性はクスクス笑いながら、哀愁漂う雰囲気はどこ吹く風で愛しそうに俺たちを見ていた。
 そして彼女は、結婚式でよく聞くあの言葉を言ったのだった。

『両者、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?』

 そうか、そうだったな。この人は大好きな人を失い、そして自らも殺されてしまい結婚式などできなかったんだ。そうだ、俺が代役を勤めると言い切ったのだ。ならば責任も俺にあり、やはり言わなければなるまい。
「はい、誓います」
「……」

 だがハルヒは黙ったまま、俺を見ているのだった。なんだ、何を言いたい。
「あなたは……?」
 女性が怪訝そうに聞くと、ハルヒは大声でこういった。
「そんなのダメね、命ある限り? 死んだらそこではいさようなら? そんなの許さないわ! いい? あたしと結婚するような奴は死んでもあたしを好きでいてくれるような奴じゃないとダメなの! もちろん、あたしが死んでもそいつのあたしへの愛をちゃんと確認してやるんだから、油断なんてさせないわよ!」
 
 なんつー出鱈目なことを言いやがる。ああ、いかん。頭が痛くなってきた。
 しかも、なんで俺を見ながらそれを言うのか、詳しく教えてほしいもんだぜ。いや、やっぱいい。なんか怖い。

「あんたも幽霊なんかになってこの世に残ってるようじゃダメよ! あの世に彼氏がずーっと退屈そうにあんたの事待ってるかもしれないじゃない。いいえ、そうに決まってるわ。でもね、好きな女より先に死ぬ男なんて、バカ以外の何者でもないわ! そのバカ面を引っ叩いてやりなさい! あたしが許可するわっ!」

 満足そうにそう言い切ると、腕を組み得意そうに満面の笑みを浮かべた。
 おいおい、何てこと言ってるんだ。これじゃあ、俺の頑張りが水の泡じゃねえか。どうしてくれるよ。

「……っぷ」

 っぷ? 


「あははははははははははははは! あ、あなた面白いわね。……そうね、そうよね。私より先に死んじゃって、何やってるんだか。ああ、でも。待たせてる私もわたしかな?」
 幽霊の女性が楽しそうにそういうのだった。それと同時に体の透明度が上がっているのか、だんだん存在が薄くなっていく。
「あはははは……あら? もう時間なのかしら。そうね、それじゃあ最後に私たちの代役のあなたたちに、ちゃんとしてもらおうかしら」
 やっぱりやるのか、あれを。というか俺さっき言ったのに言い損じゃねえか。
「文句言わないの。それとも何? あたしとじゃ嫌だっての?」
「別にそうゆうわけじゃ……」
「じゃあどうゆうわけよ」
「いや、だからだな――」

「はいはい、そこまで。他人の痴話喧嘩なんて私は見たくないわ」
 女性は呆れたようにそう言うが、表情はもはや哀愁などではなくひたすらに朗らかだった。
「それじゃあ、いくわよ」
 そしてまた繰り返し、あれを言う。
 ただし、内容を若干変えてな。

『両者、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命尽きても永久に、真心を尽くすことを誓いますか?』

 これにはハルヒも満足したようで、満足そうに笑った。
「誓います」
「もちろん、誓うわ!」
 そして女性は嬉しそうに頷き、
「よろしい、それでは。指輪の交換を」
 俺はハルヒの持つ少し傷ついた指輪を受け取り、こっちからも手渡した。その後ハルヒの左手を手に取り、指輪を薬指に嵌めると、
「あたしもつけてあげるわ」
 そう言ってハルヒは俺の左手の薬指に指輪を嵌めた。

「ありがとう」

 指輪を付け終わった瞬間、一陣の風が巻き起こり俺は思わず目を瞑った。そして目を開けた時、女性の幽霊が消えたのを知ることになる。俺は安堵した反面なにか物悲しい気分になったのだが、さて一体どうしたことだろう。
 だが、次の言葉で俺の顔が引きつることとなる。

「後の誓いのキスはあなたたちにまかせるわ。お幸せに♪」

 

 【激闘? 終えて】


「ああーっ!」
 呆然としている俺を尻目に、ハルヒは悲鳴をあげた。
「ど、どうした?」
 俺はハルヒの視線の先を追い、そこにあったのは、
「ロウソクの火、全部消えてる……」
 隣の部屋の見るも無残に溶け残った、ロウソクの墓場であった。
 先ほどの風で火が消えてしまったのだろうか。それにしても、再び火を点けるにはロウソクが小さすぎるか。
 俺はハルヒをなだめる試みをしてみた。
「まあいいじゃねえか。本物の幽霊も出てきたし、それを成仏させる手助けをしたんだ。こんな体験はそうそうできやしないぜ。それともハルヒ、お前はまだ満足しないのか?」
 すると奴は何か思案するポーズを取り、むーっと唸り始めたかと思うと何を閃いたのか、急に不気味にニタァっと笑いやがった。
「そうね、満足できないわ。だって、さっきの誓いまだ続きがあるじゃない」
 このヤロウ、さっきの女性の言葉しっかり聞いてやがったな。
「あのな、あの人は成仏できた。俺たちも助かった。これで万々歳じゃねえか。それじゃ駄目なのか?」
「だーめっ! あたし、中途半端なことは嫌いなのよね。それともなに? あんたはあたしとしたくないの?」
 別にそうゆうわけじゃないが。いやいや、何を言っている俺。
「なら目ぇ瞑りなさい。いいから、さっさとする!」
「……本気なのか?」
「……そうよ、悪い?」
 顔を赤らめながら言うハルヒはいつもより可愛く見え、そりゃもうポニーテールにした時に匹敵するのでは無いのかと思うほどだ。ポニテ教の俺が言うのだから間違いない。
 だから、俺が目を瞑ってあまつさえ口先を尖がらせるなどといった愚行をしたのは――まあ、今更か。

 パシャッ! 

 目を瞑ってでも分かるフラッシュの光とシャッター音で、俺は何をやられたのか察した。
 ――しまったぁ。

「ふふーん、バカね。あたしが易々とキスすると思った? 乙女のキスはそんな安っぽくないのよ。あんたのバカ面、しかと撮ってあげたわ!」
 そう高笑いするハルヒの右手に掲げられていた物は、安物の使い捨てカメラだった。
 なんてこった。俺としたことがこれを想定しなかったわけではないが、その場の流れに身を任せたと言うか。いや、勢いというものはまったく恐いね。
「お待たせしました……おや? どうなされたのですか?」
 俺が愕然たる面持ちでいると、廊下から古泉がニヤニヤしながら出てきた。この野朗、何分かったような面してやがる。
「聞いて古泉君、今こいつあたしの唇奪おうとしたのよ。どう思う? ケダモノでしょ?」
 古泉はそれを聞くと、俺を一瞥し意味深にニヤリとした。なんなんだお前は。
「ははは……いや、全く。その通りで」
 このイエスマンめ。
「ところで古泉君、他のみんなは?」
「そのうち来られるかと。……ほら、来ましたよ」
 すると、廊下から足音が聞こえてこの場はすぐに賑やかになるのだが。
「そう、じゃあ皆で一緒に写真撮りましょ。それで今日は終わり! ね、キョン?」
 お前がそれでいいなら、まあいいさ。

 その後、俺たちは全員揃って集合写真を撮りそのまま解散という流れになったのだが。
 さて、ここで色々な話を聞けたので紹介しておこう。
 まずは長門から。
「あの屋敷には不確定要素の情報が出入りしていた。そして先ほどまで敵性であったそれは途端にその性質を失った。情報統合思念体はこれに疑問を抱いている」
 ほう、宇宙人様にも分からないことがあるんだな。だが、これだけは言っておこう。
「長門」
 俺は首を傾げる宇宙人の、その黒い瞳を見つめながら言う。
「前に、俺はお前に幽霊はいるか云々を聞いたよな。その問に対してお前は禁則と答えた」
「そう」
 相も変わらず無表情なのだが、なにか興味を惹かれたようにこちらを見ている長門に対して、俺はこう言い切った。
「いるぜ、幽霊は。珪素や宇宙とかは抜きにしてな。魂は残るのさ。その人次第でな」
 自分でもクサイ台詞だとおもうが、まあ俺は自己満足した。長門といえばそのままじーっとこちらの目、というか心を覗き込むように見つめてきたのだが。
 俺はこの後、一生忘れないであろう光景を頭の海馬組織に刻み込むことになった。
「……そう」
 数ミリだが、柔和に微笑んだ長門がいた。
 思わずクラっときた事は言うまでもないな。

 次に朝比奈さん&鶴屋さんコンビ。
「どうだい? キョン君。うまくいったかいっ?」
 さて、なんのことでしょうか? 鶴屋さん。
「あ、あの。騙したみたいで、ごめんなさいっ。でも、その、あの。皆に黙っておくようにって言われて……」
 あの、朝比奈さん。何についておっしゃってるのでしょうか?
「え? いやだから、キョン君と涼宮さんをふたりっきりにさせるって、古泉君が……」
 へえ、古泉がそんなことを。あの野朗、許すまじき。
「ところで、キョン君や。あの指輪は役に立ったかねっ?」
 そういえば、この勘の鋭い先輩方はやはりアレに気付いていたのだろうか。
「ええ、それはもう。助かりました。鶴屋さんは、アレに気付いてたんですか?」
「まあねっ。あたしその手の事には敏感だからっさ! 直ぐに気付いたのだよっ」
 やっぱりただ者ではないが、今はひたすらにこの超人先輩に感謝するだけである。
 なぜ指輪を持っていたかは、聞かないでおこう。
「えっ? 何ですか、指輪って? アレって?」
 どうやらこの事は知らされていない朝比奈さんは、頭の上にクエスチョンマークを浮かべほえほえっとしていた。
「あっはっはっ! 指輪はこれだし、アレはアレだよ。ねっ、キョン君や!」
「ええ、そうですね。コレはコレで、アレがアレなんです」
「な、何ですかぁ? 何なんですかぁ?」
 すっかり置いてけぼりにされた朝比奈さんに鶴屋さんは高笑いしたし、俺もそれに合わせて笑った。
「もうっ! 二人ともひどいですぅ~!」
 すっかり怒り心頭な朝比奈さんの機嫌をどう取ろうか。さて、この世はまだまだ平和である。

 そして朝比奈さんは車で家まで送迎してくれると言った鶴屋さんの言葉に甘え、鶴屋さん共々車内に乗り込むと出発した。
 それを見送っていた俺の隣に、爽やかフェイスのハンサム野朗が近寄ってくる。
「今回は助かりました。あなたに涼宮さんと接してもらう事によって、彼女を幽霊やその類のことを考えさせないようにしようと思ったのですが、どうやら本物が出てきたみたいでしたね」
「なんだ、お前も気付いてたのか」
「ええ、まあ。あの幽霊は、鶴屋氏のお話の通り。この辺りに住んでいた女性の、まあいわば霊魂とでもいいましょうか。鶴屋氏の話を聞いた涼宮さんは、そんなものいるわけがないという意思とは裏腹に、心のどこかではもしかしたらいるのかもしれないという、ごく普通の人が思う矛盾を感じたのでしょうね。そしてそれが涼宮さんの力によって実際に現れてしまった。といったところでしょうか」
 皮肉なものです、と古泉はわざとらしく肩をすくめた。
「涼宮さんがそれを目撃することによって、幽霊や妖怪が世の中にはびこってしまうことを危惧していたのですが。どうゆうわけかその心配も杞憂だったみたいですね。安心しました」

 その後、俺は長門を家まで送り届けると申し出た古泉と長門の背中を見送りつつ、先ほどの古泉の言葉を思い起こしていた。
 確かに、普通の人間の感じる恐怖感を感じたハルヒが自身の力によって幽霊を呼んじまったと言うのなら。なるほど、それは皮肉なのかもしれない。
「だが、まあ」
 だからと言ってハルヒが世の中に幽霊や妖怪の類が蔓延るように願うとは、俺には思えないね。
 なぜなら、あいつはただ親しい仲で一緒にバカやったり楽しく遊んだりしていたいだけなんだ。
「………」
 この時、俺は無性に腹が立ってきていた。
 長門は言った、ハルヒの力は周りの環境に影響を及ぼす力だと。朝比奈さんはハルヒの力は時間を歪ませて過去へ戻れなくさせた力だと。古泉に至っては、ハルヒの力は世界を創ったり壊せたりといった神扱いだ。

 ハルヒの力、ハルヒの力、ハルヒの力――

「ちっ」
 俺は思わず舌打ちした。
 だってそうだろ? 別にいて欲しくないものでも、ちょっと願ってしまえば現れちまう。自分では迷惑かけているつもりは無いのに、願っただけで勝手に世界の法則が狂ってしまうだと?
 俺なら嫌だね、そんな力はいらない。
 どこのどいつだ。ハルヒにそんな無粋な能力をくれた野朗は。今のあいつにはそんなもの必要ねぇんだよ。
 なぜかって? 
「あいつには俺たちがいるんだ。それでいいじゃねえか」
 だがここで俺はある事に気付いた。
 長門も朝比奈さんも古泉も、そのハルヒの力の影響で今ここにいるのだ。では、元よりハルヒに力がなかったら、あいつらもここにいないという訳になる。
 なんつー皮肉だ。どこの誰だか知らないが、よくやるよ。すげぇすげぇ、拍手を送るぜ。
 だがな、だったら俺はなんの為にここに、SOS団にいるんだ? ハルヒに強制的に入れられたから? 違うね、だったらすぐに辞めてハルヒなんぞずっと、それこそ我関せずにずっと無視すればよかったんだ。
 なら、なぜそうしなかった? 俺よ。
「知らねえよ、気分だろ。そんなもん」
 だが俺はその後に起こった出来事を見て、これは既に規定事項であったことを知ったはずだ。
 では、それを踏まえた上でもう一度問おう。
 なぜお前は今ここにいる? 

「じゃあ逆に聞くぜ。お前は目の前の奴が放っておくだけで世界を滅茶苦茶にしちまうようなやつで、それを知ったうえで放っておくのか? 俺は嫌だね。何もせずに、何も知らずに世界が改変されちまうなんざ御免被る。どこに逃げても同じなんだ。だったらいっそ、そいつをできる限り抑えようとする方が懸命だろう?」
 いや、これは誤魔化しだな。すまん。
 どうせ誰も聞いちゃいねえんだ。本音言っちまえよ、俺。
「そうだな……放って置けない、のかもしれん。見ていて危なっかしいのさ。いちいち自分から火ダルマになった家の中に突っ込んで行く様な奴だ、水も被らずにな。なら俺は、外からできるだけ――全力でその火を消す努力をするさ。それで危機が免れられるならな」
 これが俺の本音だ。誰がどう言おうとな。――そこ、クスクス笑うなっ! 

 だがまあ、大体そんなもんだろ? ハルヒが暴れて、俺が裏方でなんとかしたり、尻拭いやらなんやらをするのさ。
 なに、いざとなったら長門や古泉や朝比奈さんがサポートしてくれるさ。それで今のSOS団が守られるなら、俺は喜んで何でもする。
 俺は今のこの日常が楽しいんだ。だが、それを壊すような奴らがいるなら……。宇宙のどっかにいるハルヒを狙ってる奴らや、『機関』とやらの敵対勢力、未来人のあのいけ好かない野朗。
「来るならきやがれってんだ。俺が――俺たちSOS団は負けやしないぜ。迎え撃ってやる」
 俺は夜明けが近くなり、白みがかった景色に向かって呟いた。
 やられやしないさ、そう強く思えるね。

 今の俺たちならな。


 【帰り道】

 俺は鶴屋家から駅前までの道を進み始めると、少し歩いた先にハルヒがいるのがわかった。
 ぼけーっと突っ立って、これから昇るであろう朝日の方向を見ていた。
「何してんだ? お前」
 俺が声をかけると、ハルヒは一瞬こちらを見たと思ったらまた日の方向に顔を向けた。仕方が無いので、ハルヒの隣に行くと俺もそれに倣う。
 しばらくそうしていると、とうとう朝日が昇り始めた。結局寝なかったな、帰ったら速攻ベッドインだ。
 そんなことを考えていると、ふとハルヒが口を開いた。
「あんたさあ、さっきの幽霊――」
 ここで俺は一瞬ドキッとしたね。ああ、やっぱりお前も見ちゃってたんだな。
「本物だと思う?」
 普段ならここで、「ノー! ノー! ノー! 断固イイエデース!」とかそんな類の言葉を出すのだが、ハルヒの雰囲気があまりにも、なんかこう哀愁漂っていたからか。
 何を血迷ったのか俺はこう言ってしまった。
「そうだな、本物だったのかもしれんな」
 すまん世界。すまん皆。世界は混沌の中へ――

「そう。あたしね、不思議なことや非日常な事柄ならなんでもいいと思った」
 ハルヒは俺の思考とは裏腹に話し出した。
 ああ、やっぱそうか。
「それこそ幽霊でもなんでもどんとこい! ってね。でも、でもね」
 ハルヒはちらっとこちらを見ると、また朝日の方を向いて誓うようにしてこう言った。
「幽霊があんなに悲しいっていうのかな。虚しいものなら、あたしは幽霊なんていらない――って言うのも変ね。そうね、会おうとは思わないわ。だから、幽霊はあたしの不思議リストから除外することにしたの」
 そう言うとハルヒはそのまま黙ったので、俺が沈黙を破った。
「……そうか」
 これだけじゃいつかの踏み切り前での発言と変わりないので、俺は少し付け足してみた。
「いいんじゃないか? お前がそう言うなら。俺はただお前の背中を押してやるだけさ」
 そうして俺は笑みを作ると、ハルヒに向けた。
 ハルヒは一瞬キョトンとし、これまた少しだけ微笑み、すこーしの間だけ目を瞑ったかと思うと、次に目を開けた時いつものあの得意げな顔に戻っていた。
「当然よ! あたしはSOS団団長であって、それ以上でもそれ以下でもないわ! あんたもSOS団の雑用係りとしてだいぶ自覚してきたようね。そうよ、あんたは黙ってあたしの背中を押してくれさえすれば――いいえ、ちゃんと押しなさいよね! いい? わかった?」
 コロコロと表情を変えて忙しいやつだ、まったく。だがまあ、普段のハルヒに戻ってくれて何よりだ。
 憂鬱気味なハルヒなんてのは見たくないね。何か落ち着かなくなるのさ。あのハルヒがそんな気分に陥ってると、こっちもメランコリー状態になっちまう。
 いやいや、深い意味は無いんだ。本当だ――いや、もう自分のこの捻くれた考え方が面倒になってきたな。正直に言っちまおう。

 俺は涼宮ハルヒに少なからず好意を抱いている、のかもしれん。

「ったく、素直じゃねえなぁ……・」
「なに? 何か言った?」
 おっと、自分のヘタレ加減にほとほと呆れて思わず声に出ちまってたか。
「いいや、何でもねぇよ」
 俺が首を横に振ったのを見てハルヒはふーん、と言うと、
「ところでさキョン。あんたあの時、何か色々面白いこと言ってたじゃない?」
 突然そんなことを言い出した。
 あの時? ……ああ、幽霊と対峙したときだろうな、きっと。
 だが俺はあえてこう言う。
「あの時?」
「惚けても無駄よ、あたししっかり聞いたんだから」
 お前、よく覚えてられたな。突然のことのはずだ、どんだけ冷静なんだよ。
「さて、何のことかね」
「あたしの事散々言ってくれたわね。バカやら迷惑やら非常識。果てには迷惑の台風ですって? ふーん、あんたあたしをそんな風に思ってたんだぁ」
 口調は怒っているが、顔がニヤニヤしているのはどういったことか。
「い、言ったような。言わなかったような……」
「いーえ、言ったわ。あたしの記憶力なめんじゃないわよ。それで? この落とし前はどうやってつけてくれるのかしら、キョン?」
 たく、こいつはどうしてこうなんだろうか。もうちょっとこう、可愛げがあっても……って俺は何考えてんだ。
「はあ……じゃあ、どうすれば許してくれるんだ?」
 うーん、そうねとハルヒは唸ると、何を閃いたのか頭の上に豆電球を作りだしたようで、すこし目を見開いてすぐにニヤニヤしだした。
「そうね、あの時のセリフもう一回言ってくれたら許したげるわ」
「あの時って……どの時だよ」
「あんたがあたしのこと滅茶苦茶に言った後よ。非日常をくれたとか、退屈のたの字もでないとか。あ、あと――あたしが好きだ、とか……」
 うあ? 俺そんな事言ったのか。くそ、死にてぇ。すいません、どこかに小口径の銃はありませんかっ!
「い、言ったか……なあ?」
「言ったわ! 絶対に言った!」
 あまりにもハルヒがマジな声を出すので、俺は少し溜息をついた。今日何回ついたか分からんな。
「……どうしても言わないと、許してくれないのか?」
 ハルヒはそっぽを向くとポツリと、
「………うん」
 何だかんだいって、こいつも可愛いとこあるんだな。まあいい、今日の俺は太っ腹な上に心が広いから何だってしてやるさ。

「そうだな。俺は、いつもバカやってたり、毎日振り回されたり、事の後始末やら雑用やらをやらされたりして、そりゃもう不平不満タラタラってもんだ」
 俺の言葉を聞くと、そっぽを向いていたハルヒは不意を衝かれた猫のようにこっちを向くと睨んできた。
「な、なによそれ!」
 まあ、落ち着けって。
「もんだが、そんな日常も悪くないとも思えたね。なんたって、お前はいっつも無茶やって、色んなことに首突っ込んで、それこそ俺の日常とはかけ離れた非日常さ。それを、お前がくれたんだ。そりゃもう、退屈だーなんて言う暇が無いほどにな。ほんと、ありがとよ」
 俺はただひたすらに思ったことをぶちまけて、すっきりした気分になった。いや、ぶちまけるって素晴らしいね。
 だがハルヒは俺の言葉にまだ満足しないのか。不満そうな視線を向けてくる。
「な、なんだ?」
「それだけじゃないでしょ? 一番大事な部分が抜けてるわ」
 うっ、確かに記憶力だけはいいらしいな。
 ていうか、本気で俺にあれを言わせる気か? こいつは。
「当然でしょ。じゃないと、許さないって言ってんの! さあ、さっさと言いなさい!」
 ハルヒは怒ったようにそう言うと、期待の眼差しでこちらを見ていた。
 やれやれ、どうやら腹を括るしか無いようだ。

「わかったよ。えーっとだな……コホンッ。だから、俺はそんなハルヒがす、す……好きだ。そうさ、だから俺はハルヒを死んでも守る。絶対にな」
 最後はもう自棄だ。ええい、どうにでもなれ! 
 すると、
「……っぷ! あはははははははははははっ! あーおかしーっ! だ、だってあんた、マジなんだもん! くふっ! だ、だめ……お、おなか……お腹痛い……」
 ……ええっと、ハルヒさん? 何故にそんなに面白かったのかこのヤロウ? 
 くそ、何の罰ゲームだこれは。これなら、まだ闇のゲームのほうが何倍もマシだぜ。
「はあはあ、はあ、はぁー……あー、面白かった。いいわ、許してあげる♪」
「そうかい、そりゃ良かったな」
 俺は何かどうでもよくなってくると、さっきから眩しくなりつつある朝日の野郎を睨んだ。
 なんなんだろうか、この奈落の底に叩き落とされたような気分は。
「なによ、そんなに落ち込まなくたっていいじゃない。大丈夫よ、あんただって本気で言ってたわけじゃないんでしょ? その場の流れみたいなものよねぇ。あたしもよくあるわ、そうゆうこと」
 だから、安心なさいと言うが、さて何に安心しろってんだ。
「……結構マジだったんだがな」
 俺は非常にちいさーくぽつりと呟いたのだが、
「ん? なんか言った? キョン」
「別に、なんも」
 危うく聞かれるところだった。危ない危ない。というか、何を呟いてんだ、俺よ。

「それじゃ、さっさと帰りましょ」
 そう言うとハルヒは歩きだした。俺も後に続く。
 ここで俺は、本当に唐突に。ハルヒ的にいうならばポーンっと思い出したことがあった。これを忘れるなんて俺の脳みそはいつの間にか誰かに蟹ミソにでも換えられちまったのか? 
 今日最大の懸案事項じゃないか。
「ハルヒ」
「ん? なによ、キョン」
 俺は前方でリズム良くハミングしていたハルヒを呼び止めると、今まで肩に掛けていた手さげバッグから黄色いリボンの付いた麦わら帽子を取り出し、それをハルヒの頭に被せた。
 麦わら帽子を浅めに被ったハルヒは、キョトンとしているようだった。うむ、いい表情だぞ。これなら痛手を負った俺の財布も報われるぜ。
 とりあえず何も言わないのもあれなので、俺は男として当然の決まり文句を言ってやる。

「似合ってるぞ」

 【九月一日】

 さて、ちょっとした後日談を語ろう。
 新学期早々。俺は自分の席に向かう途中、その後ろの席にハルヒがいるのを確認した後、谷口に呼び止められた。
「よお、キョン。はあ……いいよなぁ、お前は。ほんと、羨ましいぜ」
 谷口よ、俺のどこに羨望を感じるのか。俺とお前は似たり寄ったりだろうが。
「ああ? 何言ってやがる。嫌味か? そんなもんつけといてよ」
 というか、なんだってこいつは苛立ってるんだか。
「谷口、夏休み中に彼女作ってね。この前また振られたんだってさ」
「ほっとけ」
 横から国木田が割って入ってきた。ほう、そんなことが。
「それはいいが、そんなもんとは。いったいなんだ?」
 すると谷口と国木田は「こいつ、まだとぼける気か?」と言った風な顔をした。
「なんだよ。何がいいたいのかハッキリしてくれ」
「じゃあ、ハッキリ言わせて貰うがな。お前のその左手薬指についてる、そりゃなんだ?」
「まあ、パッと見たところ婚約指輪だよね」
 国木田が答える。
「それじゃあ、涼宮も左手につけてる……ありゃなんだ?」
「まあ、見た感じキョンと同じ指輪だね。ペアルックかな?」
 数秒間の沈黙。
 俺はじとっとした視線の谷口と、満面の笑みの国木田を見比べ深い思考を張り巡らせ、いくら鈍感な奴でも辿り着くであろう結論へと辿り着いた。

 要するに、俺はあの時からずっとハルヒとお揃いの婚約指輪を付けていたわけだ。
 当然? 夏休みの間中はハルヒに呼び出されてあちこち連れてかれたりして……はたから見ればラブラブのカップル……。

 ……あれ?

 な、なんだってー!!!!!

「あ、あ……」

 愕然とした俺に何を思ったか。谷口と国木田は首を横に振り俺の肩を叩くと、そのままどこかへ行ってしまった。
 一人残された俺は何となしにハルヒの方を見ると、視線が合った。ニンマリとしたその嬉しそうな笑顔は、何故かいつもより輝いて見えたのだが。
 俺は頭痛がしたようで、左手を顔に当てた。
 この左手についている婚約指輪は何故か少し輝いて見えたのだが、俺の気のせいということにしとこうか。

 それよりも今はハルヒの笑顔の方が、何万倍も眩しいんだからな。



指輪物語―完―

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最終更新:2021年09月05日 01:45