(プロローグ)

人生ってのは物語=Taleと比喩されたりする。
そうなると万人ともエンディング=死といった同じものになってしまうことになる。
しかし本当にそうであるのか? いいや違うね。
人生にもチャプター(章)があって、それぞれにエンディングがある。
今から話すストーリーはそのチャプターのひとつに過ぎない。
だが、そのたったひとつに過ぎないチャプターが消えてしまったとしたら・・・どうする?

(1)

暑い
容赦ない太陽光が俺の体を蝕んでいる。
暑さをこよなく憎む?と賢しい俺だったが、むしろ、清々しい気分でさえある。
その主因は嫌な暑さではなく、亜熱帯特有の乾いた暑さだからではない。
ひとえにBWHのBに特化したプロポーションと楊貴妃も裸足で逃げ出すほどの
やんごとなき御容貌ながらも子供っぽいフリルの水着を着て
無邪気に波打ち際で佇んでいるお方のご利益の賜物である。

俺に力強く描写された人物、
まあ簡単に言うと朝比奈みくるさんは俺の荒廃した心を癒してくれるオアシスなのだ。

「キョンくんも来ませんか~。とっても冷たくて気持ちいいですよ?」
そんな彼女がこんなことを言いつつ、あまつさえ、手まで振ってくれている。

俺がRPGゲームの謎解きをするときにしか使わない腐れ脳で朝比奈さんへの返答を模索していると

「あんたなんてバカな顔してんの?」
という声が聞こえてきた。俺が断固無視を決め込むと
「ちょっと聞いてんの!耳までおかしくなった?」
やれやれ朝比奈さんを純白の百合と喩えるならば、こいつはサボテンに他ならない。
触れてもないのに針を飛ばしてくるタチの悪いタイプのやつな。

「あんたね!海に来て寝てるってどういうことよっ!海に着たら泳ぐってことは常識なのよ?
真理といっても過言じゃないわ。お豆腐に醤油をかけることぐらい当たり前なことなの!」

『当たり前』から遠く離れた軌道上を廻っているハルヒ星がよく言うぜ
・・・俺は嘆息しつつ3人目の女子を見た。相も変わらずミミズが這った跡のような文字が躍る文庫本を読み耽っている。
ハードカバーでないのが遠出していることを示唆しているのは言うまでもないな。
長門がもし本をそこらに放置してビーチボールに興じ始めたりなどしたら
俺は卒倒する自信があるし、これは世界が正常かつ安全に廻ってるという確固たるエビデンス(証拠)なのだが
団長殿にはそれが気に入らないらしかった。

「有希もよっ!太陽の光に当たらないと、次の試合には勝てないのよ!」

試合って何のことだ?
そもそも長門に何かで『勝てる』生命体がいたらお目にかかりたいね。
恐らく(悲しいことに)惑星から除外されちまった冥王星軌道まで探しても
せいぜい数人であろう。情報ナントカ体とかなら話は別かもしれないが。

「みんなであのテトラポッドまで競争よっ。ビリには罰ゲームもあるんだからねっ!」

なんだかんだ言ってわがままと自己中の相の子であるハルヒ止められる者は居ないのだ。
悲しいことにな。

「涼宮さんが楽しそうで何よりです」
どうだかな。
この丁寧語を操る如才なニヒルハンサム超能力者の描写はトコトン省きたい所存である。
「あなたには彼女が悲しそうに見えるのですか?少なくとも僕には見えませんがね」
古泉は肩をすくめ、手を掲げるいつも通りのポーズを取りつつ言った。
ケンカ売ってるのか?今なら絶賛買取中だ。
「怒らせてしまったのならすいません。そういうつもりではなかったのですが。
おっと早く行かないと涼宮さんがご立腹のようですよ?」

「えっ?あ、あんな遠い所まで行くんですか?」
青い顔の朝比奈さんは声を震わせてそう言った。
もしあなたが溺れるようなことがあれば、
俺は底の無い沼や鉄分豊富な赤い池にだって躊躇わず飛び込む覚悟ですがね。
今回は見学してはどうでしょう?ハルヒもそれは同意見のようである。

「しょうがないわねぇ、じゃあみくるちゃん、あなた審判ね」
「はいぃ、行きますよ。よーい・・・スタート」
結果は先程述べた通り、長門の右に出るものは居なかった。
長門と一般人(俺以外は一般人ではないが)のスペックの差は別段考察する必要も無いだろう。
最下位は俺だ。なぜ負けたかって?
海流を間違えて南下してきている哀れなクラゲの所為としておこう。
本当は、ハルヒはともかくとして、古泉が意外に早かったことを認めたくなかった。
ただ、それだけだ。

この後、俺はハルヒの拷問としか思えない筆舌尽くしがたい罰ゲームが続いたのだが
それは一旦忘れて、ここへと来るに至った経緯を振り返ってみるとするか。

(2)

「南の島に行くわよ!」
お分かり頂けただろか?これが全てである。ハルヒが『する』といえばそれは『することになる』のだ。
なんて分かりやすい脳構造なのだろうか。この短絡的かつ無鉄砲な発言に対しても
古泉はどうせ「いいですね」とかしか言わないだろうし、長門は読書マシーンと化している。
となると朝比奈さんだが、彼女は目をキョロキョロさせて、
俺とアイコンタクトを図ろうとしているらしい。結論からいうと俺以外に反対意見を唱えるやつは居ないということだ。なんてわかりやすい集団だ。
まあ、たとえSOS団満場一致で反対したとしてもハルヒは自分の意見を万力でも曲げないだろうし
独裁というものもある意味平等だなあとなぜか感傷に浸ってしまった。

今回もまた機関とやらが関わってくると俺は踏んだのだが・・・
今回は宿の手配などの間接的な役割らしい。

「いい?今回は探検がメインテーマだからね!古泉君その島にはジャングルとか森があるのかしら?」
「規模はそれほどでもないようですが、あるみたいです」
「じゃあ決定ね。そこで古代人の残した兵器とか、とにかく凄い物を探すのよ!」

(3)

───とまあ、こういうわけだ。

目的の島までは飛行機2機を乗り継いで向かった。
1機目のジェットに「はわぁ~」とか「へぇ~」とかいちいち感動している朝比奈さんが可愛かった
ということ以外は特に何も起こらず平凡といえば平凡であった。

と、まあいつも通りといえばいつも通り、SOS団らしいといえばSOS団らしかった。
長時間の移動のために朝比奈さんは10時ぐらいから目を頻繁に擦るし、ハルヒも口数が減ってきていた。
古泉はそういうことを表に出さないし、知りたくもないので割愛させていただく。
長門には果たして疲れるといった概念があるかさえ不明瞭なため、分からないが
文庫本を開こうとしないあたり、少し疲れているかもしれなかった。
「時間は有限で大事だけど、明日のための休息も必要よね」
とかなんとか、それらしいハルヒの鶴の一声によって女性陣はそれぞれの部屋に。
俺は古泉に部屋に戻るということを視線で合図した。
「分かりました。では、また明日」
と言い、古泉も部屋に戻っていった。

初日はハルヒが海水浴と決めていたらしく慌しく進んでいき、
俺も長旅に知らぬ間に疲労が溜まっていたらしく、横になるとすぐさま別世界にトリップした。

翌日に起きる事態も知らずに─────


(4)

───翌日

目が覚めると・・・いや正確に言えばあまりの不快さに半強制的に目覚めた。
昨日は湿度が低い過ごしやすい暑さだったが、今日は最悪のようだ。
俺は汗だくになった服を全て着替えると、1階へと下った。

そこにはいつも通り俺以外のSOS団メンバーが揃っており、その一人が言った。
「キョン遅いわよっ!たとえ合宿中でも団長を待たせるなんてどういうつもり?」
ああ、それはすまないことをした。
・・・
「朝比奈さん、昨日は眠そうでしたが大丈夫ですか?」
俺はハルヒに生返事を返すと、朝一から害された気分を癒すため精神安定剤との会話を試みた。
「えっ、あっ・・・だ、大丈夫です・・・」
声が震えている。無理もない、横に恐ろしい形相でこちらを睨むハルヒが居るからな。

「・・・まあいいわ」
何がいいのだろうか?
「今日はジャングルで探検の日よ!」
ジャングルねぇ・・・俺には広葉樹林帯に毛が生えたレベルに見えるが・・・
「じゃあ、各自準備して9時に玄関に集合ね」

・・・
ここらで三人娘の服装でも紹介しておこう。
ハルヒは黄色の原色キャミソールにショートパンツというハルヒらしい活動的な服装であり、
愛すべき朝比奈さんは薄ピンクのワンピースに麦わら帽子という装いである。
ああ、まことに癒される。
「どちらで」か、はあえて書かないことにする。

長門はというとどこかで見たことのあるような、チェックのノースリーブシャツを着ていた。
3人の共通といえば、似合ってるということだろう。
ハルヒと朝比奈さんはティーンズ詩の表紙を飾ってもおかしくないし、長門さえも平均よりは結構上であろう。
しかし今日の長門はいつにもまして微動だにしないな・・・

「何よ!こっちをジロジロ見て!あたしの顔に何か付いてる?」
ハルヒの怒声が鳴る。いや、何でもないが・・・?
「じゃあ出発ね!古泉くん、案内して頂戴」
「分かりました。あ、でも僕が案内できるのは入り口までだけなので」
「それで十分よ。決まってる道を歩くなんてつまんないからねっ!」
ハルヒはとても嬉しそうだ。これがすぐ判断できるようになったのだから、俺の経験地も侮れない。
そして俺たち一行はジャングルもとい森林へと向かっていった。

森に入って一番に感じたことはここが到底ジャングルとは呼べないということだ。
しっかり舗装もされてるし、休憩用の小さい小屋まであるほどだ。

なぁ、ハルヒこれはお前が探しているような物はなさそうだぜ?
「あんたバカねぇ・・・。不思議なものってのはね一見なさそうなところにあるものなのよっ!」
ハルヒは開口一番、そう叫ぶと早足で森の中へと進んでいく。
捜索方法はというと、俺と古泉がハルヒの独断と偏見によってランダムに指示された場所を掘り返すというものだ。
(どこか既視感があるが、気にしないでおこう)

この作業は不思議なものを探しているというよりは、むしろ土壌を豊かにしているといった表現のほうが正しいであろう。
それに異常に疲れる・・・。俺はミミズの気持ちと同調して空しさに襲われたりもした。

しばらくこの無謀な作業を繰り返していると、
「あーもう!」
といった声も頻繁に聞こえるようになってきた。
当のハルヒもこの無益な労働にストレスを感じてきたらしい。
そして、早く終わらせてくれ・・・。

「痛っ!」
次の瞬間、怒声が痛声に変わっていた。
ハルヒの足を見ると、ヒザの横あたりから血が出ていた。大方そこらで伸びている枝で切ったのだろう。
そんな格好で来るからそうなるんだよ・・・

そんなことより、おい、大丈夫なのか?
「こんなの平気よ、痛くはないわ」
「で、でも、血がたくさん出てますよお?」
と朝比奈さん。

確かに止血が必要かもしれないと思い始めたとき、昨日俺の妹が
『キョンくん、怪我しちゃ危ないからばんそうこういれておけって』
と言っていたのを思い出した。やるな、流石俺の妹。

「ハルヒ、ほら足出せよ」
「えっ!?自分で出来るわよ、そんなこと」
「ちゃんと消毒しろよ」
俺は水筒のお茶を水の代わりにハルヒのヒザに掛けてやった。
「しみる・・・」
我慢しろ。

処置を終えると、俺は長門に現在の時刻を尋ねてみた。

「・・・およそ12時」
ん?長門の口から『およそ』なんて言葉が出てくるとはな。まあ、いいか。
そういえば、そろそろ昼飯時だな。などと遠まわしに帰ることを提案した。
しかし、それを遮るようにしてハルヒは言った。
「まだ何も見つけてないじゃない!こんなんで帰れるわけないでしょ!」
やれやれ・・・そうやって怪我したのはどこのどいつだ?そして、一人で先に歩いていってしまった。
だが、ハルヒは怪我をした右足を庇って歩いていた。ほんと素直じゃないやつ。
それでも怪我人を歩かせたらマズイのは俺もわかってるし、たとえそれがハルヒだとしてもだ
悪化でもしようもんなら合宿自体が台無しになってしまう。そう思う心は俺にもあるのだ。
・・・しかし思うのは楽であり、実行はことさら困難を極めた。
「絶対に帰んない!」
と主張を曲げないハルヒを説得し、帰ることに決まったもののハルヒが歩けないと言い出す始末。
お前はなんなんだ?探検するときは歩けて、帰るときには歩けないのか?
「そうよ!なんか文句ある?」
開き直ったか。まあいい。俺はハルヒの腕を掴み、その手を俺の肩にやや強引にまわした。
「ちょっ・・・と、何すんのよ」
「お前が歩けないって言うから俺が肩貸せば歩けるだろ?」
「そんなのいいわよっ。嘘に決まってるじゃないの、ほら、歩けるでしょ・・・あっ」
バランスを崩し倒れかけたハルヒを寸前のところで救い上げる。言わんこっちゃあない。

というわけで、ハルヒに肩を貸したまま俺たちは森を抜けようとした─────が

(5)

いくら歩いても出口はおろか休憩所さえも見えてこない。どういうことだ?

「僕には分かりませんね・・・」
さらに俺の耳元で
「閉鎖空間ではないようです」
と言った。
そうか・・・それより耳に息吹きかけるなよ、気持ち悪い。

俺はハルヒを朝比奈さんに任せるとこんなとき頼りになる、某ネコ型ロボットのようなヒューマノイドインターフェースに尋ねた。

「何が起こった」

でも、ネコ型ロボットより融通が利くから格上か?などと心の中で無駄な葛藤を演じていると

「わからない。雪山での事例と関連性があるのかも知れない」
「どうして分かる?」
「私に負荷が掛けられている。正確に言えば私自身の個体が負荷の対象ではなく、情報統合思念体との通信にノイズが生じる」
俺は長門が疲労で倒れた『あの』雪山でのことを思い出し、
長門の力ではなく自分たちの力で解決しなければならないと悟った。無論、長門のためにだ。
長門にばかり頼っていられない。

────しかし・・・

どれだけ歩いただろうか?道の脇に1脚のベンチが設置されていた。
吸い寄せられるようにベンチに座ると、溜まった疲れが一気に押し寄せてきたのだろうか?
俺は無意識のうちに眠ってしまっていたらしかった。

俺以外のメンバーは・・・どこだ?

視線の先にはベンチからやや離れたところで食事をしていた。弁当なんて持ってきてたか?
それになんでわざわざあんな所まで行って食ってるんだ?俺を起こさないためか?俺は口から次々と疑問符を垂れるばかりだ。
しかし俺の問いに一切返答はなかった。もう一度言ってみる。
・・・反応はない

たまらず、俺は一番近くにいたハルヒの腕をさっきと同じようにやや強引に引っ張った。
しかしハルヒの反応はさっきと違っていた。こちらが狼狽するほどに・・・だ。

「何すんのよ!あんたには幻滅したわ。もう勝手にすればいいじゃないの」
対ハルヒ経験地を積んだ俺にもこればかりは分からなかった。いや正確には分かったと言うべきであろう。

これが冗談で言ってるのではないと───。

古泉や朝比奈さんにいたっては目さえ合わせてくれない。それも明らかに故意にである。
俺が何をしたって言うんだ?ワケが分からない。ひどく動揺した俺だったがある人物のある言葉でそれも終焉した。

「あなたには失望したあなたは私を助けると言った。でも結局は私の力に頼る。もうあなたの言葉は信用できない」

俺の感情は動揺から混乱を経て空虚となった。
長門の言葉は俺の胸を深くえぐった。慣れていない所為なのかもしれない・・・。

しかし、俺は心の奥で悟っていたのだろう。なぜこの言葉がこんなにも俺の心を締め付けるのかを・・・。

───そう・・・長門のこの言葉は俺にとってあまりに『的確』過ぎた。

俺は長門を助ける、長門の力になる。と言った。だが、俺は長門に何をしてやれただろう?

・・・何もしていないじゃないか。口では長門を助けるなんて嘯いて結局なにもしていない。

俺は『俺』に失望した。


(6)

───ョン君・・・?、キョン君? 起きて・・・。

俺は誰かの声でこちらの時空に回帰した。
「キョン君、うなされてたみたいだけど・・・」

あれは夢? リアル過ぎる夢? そして激しいデジャヴ。

「敵は前回と同じであると私は判断している。あなたの悪夢もそう」
敵?悪夢?情けないことに、俺は長門を直視できなかった
「しっかりして下さい。あれは夢なんですよ?
あなたをここまで骨抜きにする程強力とは・・・一体どんな夢だったんでしょうか」
古泉の言葉で肉体的にだけではなく精神的にも現在の時空に回帰した。つまり我に返ったといったところだ。

「巧妙な精神的攻撃」
長門はポツリとそう言った。そして一拍あけてこう続けた。
「対象の最も見たくない・・・イメージを現実的な範囲で具現化、している・・・・・・」

他の二人は気づかなかったらしい。だが、俺は長門の息遣いが微細ながらも荒いことに気づいてしまった。
このときの俺は先ほどとは180度違って非常に冷静だった。と思っている。
そして長門に顔を上げるように促した。

・・・やっぱりか。長門の顔は紅潮し熱を帯びているように見えた。
「だ、大丈夫・・・問題・・・ない」

大丈夫じゃないだろ!俺は一心不乱に長門を抱え上げると無計画に走り出した。理屈ではなかった。
俺は宿泊先への帰り道はおろか、住所さえ知らなかった。でも走った。
そうしている内にも長門が衰弱していくのが目に見えて分かった。

古泉もハルヒを抱えながら後を追ってきたこともあり、
宿泊所に辿り着き、長門をベッドに寝かせることが出来た。
最初こそ声にならない声を発していた長門だったが、しばらく濡れタオルの交換を行っていると寝息を立てはじめた。

すると古泉がいつもの爽やか微笑ではなく、神妙な面持ちで解説を始めた。

「長門さんは自分の体を媒介にして高度なブロックシステムを処理していたようです。
通常なら思念体と直接リンクして行う作業を彼女1人で行えばオーバーヒートするのも当然です。
本人もそれはわかっていたでしょうね。それでも彼女は止めませんでした」

古泉の言葉が深く胸に突き刺さる。

俺は長門を見つめていた。ただ、ただ見つめていた。まるで吸い寄せられるように・・・

一心に見つめていた────


(7)

この重く、不穏な時間がどれほど続いただろうか
沈黙を破ったのは、目を覚ましたハルヒだった。ハルヒは横になっている長門をみて悲しそうな顔をしていた。
ハルヒも長門が心配なのか・・・?

「長門・・・気がつかないな」
「・・・」
俺の問いにハルヒは何も答えず、部屋に戻ってしまった。

そろそろ頃合のよい時間になってきたため、各自部屋に戻ることになったが
長門を1人残すわけにはいかず、意識が戻るまで、朝比奈さんが長門についていることになった。

朝比奈さんを取り残すのも正直、とても不安だったが背に腹は変えられない。
俺や古泉が部屋に残っているというのは、それよりももっと暴挙に違いない。
いっそのこと全員残ればいいじゃないか。しかしそれに気づいたのは自室のドアを開いたときだったのでもう遅い。
精神的にも体力的にも疲労困憊の俺はベットに横になり瞼を閉じた・・・


コンコン

ドアを誰かがノックする音

コンコン

二度目にやっと気がつき
「はい」
「・・・」
「ん?長門か?」
「・・・あたし。入っていい?」
「ハルヒか、いいぞ」
拒む理由もないので受け入れる。
「もう足はいいのか?」
「うん・・・大分よくなったわ」
「そうか・・・」

・・・
会話が続かない。
いつもハルヒには一方的に捲し上げられているためこっちからなかなか話しかけない所為かもしれない。

-長い間-

「なあ」
「あの」

俺とハルヒの言葉が見事にハモってしまった。
「キョンから言いなさいよ」
「いや・・・俺は・・・・・・特に何もないというか」
思わず本当のことを言ってしまう俺モテる男とモテない男の違いは気が利くか利かないかってTVで言ってたな。
ちくしょう・・・当たってるじゃねぇか。

「そっか・・・」
「ハルヒは俺に用があるんだろ?」
「うん・・・あのね・・・

・・・・・・・・・・・・キョンには好きな人とかいるの?」

「えっ?」

ハルヒの思いがけない言葉に俺はひどく動揺してしまった。
「いや・・・」
そのためか俺は情けないことにYesともNoとも付かない返答をするので精一杯だった。

ハルヒは俺の煮え切らない返答に複雑な表情を作ると、心の奥から搾り出すようにしてゆっくりと告げた。

「あたしね、キョンってば、あたしのことが好きなんだって思ってたの。好きな人の前では素直になれないタイプ?
そういうのってよくあるじゃない。キョンはいっつも私に憎まれ口叩くけど、それは好意の裏返しってね
・・・でもあたし自分のものさしでしかキョンを計れてなかった」

どういうことだ?俺がまだ把握できずにいると

「あたしね、気づいちゃったんだ。
キョンが誰のことを一番考えているか───誰のことを一番見ているか───ってこと」
「・・・」
俺は口を開くことができなかった。二の句が告げないどころか一の句さえ告げない有様だ。
ハルヒが言う『誰か』が誰かわからないほど俺の頭は悪くない。

ただ、俺自身の気持ちがどうなのか、それを分かるほど良くもなかった。

「キョンは・・・キョンはみんなのこと考えてるんでしょ?でも・・・それがあたしには辛かった。
あんた自身は分かんないかも知れないけど、あんた意識してないときはずっと見てる・・・」

「ずっと有希を見てるっ!」

突然のハルヒの咆哮に俺は必要以上に鼓動が早くなるのを感じた。無論驚きだけがその原因ではない。

「落ち着いてくれ、ハルヒ───」
「キョンはみんなに優しすぎるのよっ!じゃあ聞くけど、あの森でキョンの夢には誰が出てきたの?
誰の言葉が一番心に響いたの?答えなさいよっ・・・!そのせいであんな気の抜けた顔してたんじゃ・・・ないのっ!?」

ハルヒは涙目になりながらも訴えてくる。

「あたしはねっ・・・うっ・・・・・・あたしの夢にはあんたが出て・・・ぐすっ・・・・・・」
ハルヒの言葉は涙にかき消されて続かなかった。第一、俺にはもう届いていなかった。
俺はハルヒに言うべき台詞を取られてしまい無言で立ち尽くすしかなかった。

俺はなんだ?俺は自分のことさえ満足に分からないのか?くそ・・・忌々しい

今このときほど自分が嫌いになったことはなかった。思い切りコンクリート頭をぶつけて別世界へと旅立ちたいくらいの心境だった。

「有希のところに行ってあげなさい」
先ほどとはうってかわってハルヒは落ち着いた口調で言った。
「ハルヒ・・・」
「キョン!なーに情けない声出してんのよっ!もしね、あんたが有希を泣かすようなことしたら死刑なんだからねっ!?」
「すまん・・・」
俺はなぜか謝ってしまった。本当なら感謝をすべきなのだが・・・。
「なんで謝るのよ!今、あんたがすべきなのはひとつだけでしょう?」
「・・・」
軽く激昂していたハルヒだったが、一番最後にトーンを下げてまるで小さい子供に言い聞かせるかのように俺に言った。

「有希だって・・・待ってると思うわよ・・・?あの子奥手だから自分からは絶対そんなこと言わないだろうけど・・・」

ハルヒの滅多にない真摯なオーラは確実に俺を変えた。

「ありがとうな」
「と、当然よ、団を清潔に保つのは団長の務めだもん」

今思えば、これはハルヒのつよがりだったのだろうが、そのときの俺には嘘でもそう言い切れるハルヒを心底格好良いと思った。

残る壁があるとすれば、俺の気持ちだけだった。

「俺は長門が好きなのか?」 ─── 「好きか嫌いかで言えば好きだ」

「違う、恋愛感情があるか?」 ─── 「分からないって言ってるだろ」

「じゃあ長門はお前にとってどういう存在だ?」  

─── 「仲間だ。それ以上でもそれ以下でもないことはない。『それ以下』であることは絶対ないと言い切れる存在」
この質問はなんかデジャヴだ・・・どこか暗い場所で聞いたことがある。

「長門を守りたいか?」 ─── 「勿論だ。約束もした」

「長門を守れると思うか?」 ─── 「守れる守れないの問題じゃない。もう決めた。守る。」

「もう一度聞く。長門が好きか?」 ─── 「ああ、どうやら好きみたいだ。詳しくは二行上を見てくれ」

「長門に対して何ができると思う?」 ─── 「そばにいること。守ってやることだ。何回も言わせんな、恥ずかしいだろ」

「それは・・・恋だと思うか?」 ─── 「いいや、思わないね」

「何?ここまで来て何を言ってる?」 ─── 「これが恋かなんて分かるはずないね。俺は長門に対して上のような気持ちを持ってるだけだ」

「長門と一緒に居たいか?」 ─── 「ああ、ずっとな」


「これで最後だ・・・今は何をすべきだ?」 ─── 「長門の部屋でありのままの俺の気持ちを伝える、しかない」

俺が自問自答という名の自己暗示を終えたとき、もうすでに俺は長門の部屋のドアの前に立っていた。
結局は自問自答なんて必要なかった。俺は八方美人の良い格好しいだ。
ハルヒの言うと通り、誰にも嫌われたくないあまり、誰かと親密になることを恐れていた、日常が・・・平穏が壊れることを恐れていた。
救いようのない臆病者だ。俺は自分の気持ちに嘘をついてまでそれを避けようとしていた。
さっきの自問自答はそれを再確認するための儀式に過ぎないのである。
「ハルヒ・・・ありがとうな。俺はどんな結果であろうと受け止める。そうじゃないと、お前に申し訳ない・・・
いや、お前に蹴られるな。あわよくば?死刑だ。ハルヒ、お前に蹴られたくない一心で俺は全てを伝えてくる。

もう・・・恐れない──────



(8)

「入っていいか」
「いい」
ノックするまでもなく長門の返答は早かった。
部屋へと入ると、そこにはやってくるのを予測していたかのように長門がベッドの端にちょこんと座って前方を指差していた。
その指は前方1mほどのところにあるイスを指していた。座れという意図だと解釈し、腰を下ろす。
さて、どうやって話そうか。
これは一種の常套句のようなものであり、このときの俺に言葉を選ぶ余裕などありはしなかった。
「長門、落ち着いて聞いてくれるか?」
早くも余裕のなさが露呈してしまったようだ。
長門がこれまで落ち着きを失ったときがあっただろうか?と思い返してみたところ焦燥に駆られた。

「聞く」
「あのな・・・」
勢いよく部屋を飛び出してきたときの俺の気持ちは長門を目の前にして上に凸のグラフの頂点を過ぎた感じだ。
やはり長門を前にするとどうしても口篭ってしまう。
「私は落ち着いている。だからあなたも落ち着いて」
「ああ」
またしても長門に助けられてしまった。何をしてるんだ俺は。
今までの俺を払拭するため、俺は意を決して切り出した。

「俺は長門のことが好きだ。今までこの気持ちに気がついていないフリをしていたみたいだったが、
今日のことではっきりした。長門を助けたい。なんて余計なことかもしれないが、実際余計だろう。
でも、俺は長門のそばでお前を支えて、安心させられるような男になりたい」

「あなたの気持ちは理解した。でも・・・」
長門はここで一旦間を空けた。俺への配慮か言い辛いことだったのか、次の言葉で前者だと分かってしまった。


「私の仕事はあなたも知っている通り、涼宮ハルヒの観察。それの妨害、あるいは不都合になる行動は許されていない」
「そうか・・・悪いな」
「悪いのは私、あなたじゃない」
「いや、違うんだ長門、実は俺の気持ちを確信させてくれたのはハルヒなんだ。
情けないことに、俺は迷ってた。そんなときにあいつが俺の背中を押してくれたんだ。
だから、多分だが、世界の終わりなんてのは来ないと思うぜ?」
この後俺はひどく自分自身を恥じた。こんなことで長門の親玉の考えが変わるはずないってのに
なんとか長門に振り向いてほしい、という一念で発した言葉だったからだ。ああ、恥ずかしい。

「確かに私はあなたに対して好意を抱いている。でもそれはこの星の人間が一般的に考える恋愛感情とは異なる」

なぜ違う?と聞こうとして止めた。目を疑う光景に唖然として言葉が出なかったと言ったほうが正しいが。
長門の大理石のような澄んだ瞳には涙が浮かんでいた。そして一筋の雫。

「問題ない・・・微小なエラーが発生しただけ」

俺が体調も芳しくない長門にくだらないことを言ったからこうなったのか?何をやっているんだ・・・これでは本末転倒だ。
俺は半分自暴自棄になっていて、長門の次の言葉があまりうまく聞き取れなかった。
「き・・・今日は一度、部屋にか、帰ってほしい・・・。それと・・・こ、れは・・・あなたのせいじゃ、ない・・・」
聞き取りにくかったのは俺の心理状況もそうだが、長門の声はいつも以上にかすれて細い声質だった。

俺は無言で部屋を出た。

この最大のイベントの後、SOS団合宿vol.2は特に何もなく終了を迎えた。
ただ心配なのは、俺が放心状態であったため、記憶に残っていないだけかもしれないということだ。
何はともあれ、俺たちは日常へと帰ってきた。

(9)※長門side

バタン───
ドアが閉まって彼は出て行ってしまった。

・・・
彼は私のことを好きという。私の気持ちはどっち?観測は仕事、それはわかってる。
それに、私は彼と同じ感情を抱いていないはず。でもこれは何?私は自分の手を瞼に当ててみる。そこは濡れている・・・。
エラー?バグ?・・・とても胸が熱い。これが〝好き〟ということ?
私は人間に極めて近い、近く作られている。けれど、あくまで『近い』だけ。本当の人間とは違う。

私の言葉を聞いて、彼はひどく落ち込んでいるように見えた。胸が苦しい。
行かないで・・・でも一番出てほしいこの言葉はなにか絶大なものに阻まれて出ない・・・。

思念体からブロックされているの?違う、私が一番わかっていた。ブロックしているのは私。私が私の変化を恐れている。
もう1人の私が私の気持ちを拒絶している。・・・苦しい。・・・なぜ?

合宿が終わった。
あれから不意に彼のことを思い出すと、胸が苦しくなる、疑念は確信に変わり始めてしまった。
彼もこんな心境だったのだろうか?
私は観測をしていた方がきっといいのだろう・・・でも・・・・・・

ピンポーン
私の葛藤を中断させるようにインターホンが鳴った。
出たのは彼ではなく・・・

「喜緑です」
「なんの用?」
「お話があります」
彼女と私はアクティブなコンタクトを図らないという暗黙の了解があったはず。一体なんの用件?

「失礼します。こんな風に言うのはとても私としても本意じゃないんですけど、言います。
あなたは悩んでいますね?」
統合思念体を媒介とすれば、言語を必要としないわずかながらインターフェース同士の意思の疎通が可能。
だから、彼女は私への質問の答えを知っている。だから私は答えなかった。
「私にも似たような経験があって・・・長門さんには私みたいに後悔をしてほしくなかったので・・・お節介でごめんなさいね
相手はご想像にお任せしますが、この星の一般的な人間です。余談はこれくらいにして・・・
今から言うことは私個人の意見で情報統合思念体の思考および思索とは一切関係はありません。それを前提に聞いてくれますか?」

私は頷いた。

「ありがとうございます。先ほど行った通り、私にも私の存在を・・・つまり任務の遂行を揺るがせる可能性がある人間が居ました。
人間が言うところの〝好き〟という感情を彼に抱いていたし、僭越ながら彼も私のことを好いていてくれました。
駄目だと分かっていても、気持ちは募るばかりでした。そしてあるとき統合思念体に聞いてみました。

統合思念体は私たちを生み出した後、原則的に行動の選択は自己決定を推奨する。という回答が帰ってきました。
お前に任せる。そう言われました」

自己決定・お前に任せる、今の私にはとても羨ましい響きだった。

「でも・・・任務、あなたの場合観測に当たるんですけど、それを放棄する場合、〝好き〟という感情を受け入れる場合
ヒューマノイドインターフェースとしての能力を永久的に失うことになると言われました。それに・・・」

「わざわざありがとう」
「いえいえ、それではお時間を取らせてしまって・・・ごめんなさい。それでは」

・・・
〝インターフェースとしての力〟か〝好き〟という気持ち
どちらを取ることが賢明な選択なのかは分かる。でも・・・

いつまでも、この胸の熱さと苦しさは続くような気がした─────

(10)

俺は合宿が終わってしまってから脈絡のない日々を過ごしていた。
朝、学校に行って授業を上の空で聞き、下校する。そして部活にはいけない、生活が3日続いていた。
普通ならこんな理由もない欠席を団長殿は許してくれないはずだが、今回は察してくれたらしく
「そう!でも明日は来なさいよ?」
とかなんとか言ってくれた。しかし三日目の朝、それは起こった。
俺が朝、カバンの荷物を机に押し込もうとすると。なにか見覚えのないものが入っていて押し込めなかった。
なんだこれ・・・?本?
線文字Aだか、タミル語か何かわからないような本を読む人物は俺の狭い交友関係のためか一人しか浮かばなかった。
そして、俺は無意識のうちにその本のページの間を探っていた。
俺にも少なからず、予感はあったのだが、やはりそこにはあるものがあった。
あったのは暗色の栞、そこには整った明朝体でこんな言葉が鎮座していた。

『午後7時、あの公園に』

こういうわけで俺は例の変わり者のメッカである、あの公園に向かって居る。断られた後に未練がましいって?
言い訳にしか聞こえないだろうが・・・俺はまだ長門の答えを聞いてないからな?
今からそれを聞きに行くってわけだ。約束の時間のおよそ5分前だったが、長門はベンチに腰掛けて黄昏ていた。
一言二言定型句を交わすと長門は俺を自分の部屋に入るよう促した。
告白した(断ったと思われる)男を部屋に入れるってのはどうなんだ?
まあ、宇宙には告白を断った男を部屋には入れないという真理が通じないだけなのかも知れないため
俺は別に不思議には思わなかった。

部屋の中に入ると、最初に口を開いたのは長門だった。

「あなたは私が好きといった」

ああ、全くの本心だ。嘘偽りは1%たりとも含まれていない。

「私は以前と比べて感情の起伏が大きくなっている」

それは見ていて分かる。

「私はあなたの告白を断った。でも、そのとき、予期していないエラーが起きた」
俺はあのときの目に涙を浮かべた長門を思い出し、心が痛んだ。
そしてエラー?どういうことだ?
「あなたの告白を断ったとき、胸が締めつけられて苦しかった。

でも、エラー。本当はその選択肢を選びたくないという証拠。

つまり、私はあなたが〝好き〟ということ」

「俺もだ、長門」
と言おうとした俺の言葉をさえぎるようにいつもより5倍増しぐらいの饒舌な長門は言った。

(ここから長門side)

『〝好き〟という感情を受け入れる場合
ヒューマノイドインターフェースとしての能力を永久的に失うことになると言われました。それに・・・』
彼女の声が聞こえてきた。そのときの記憶が鮮明に浮かび上がってきた。そのときの私の気持ちも・・・
『それに・・・今までの記憶を全て失います。
情報統合思念体から得ていた高次の知識は一般的な人間と同じ存在になるので、強力すぎて危険だそうです』
「そう・・・」

これで決心がついた。断ろう・・・、この胸の苦しさも時間が癒してくれる。
それに・・・能力も記憶も失った私を見た彼がどう思うかは想像もしたくなかった。

もっと胸が苦しくなりそうだったから────。

(ここまで)

「そうか」
俺は笑ってそう言ってやった。
長門は驚いたような呆れたような、とにかく形容しがたい表情を浮かべていた。

「・・・そう、だからあなたとは」
「何も問題なんてないさ。俺はずっと長門の負担を減らせないかって考えてたんだぜ?
これで一緒に困難に悩み、立ち向かうことができる仲間になれる。
そうなれば、恐らく、いや、必ずだろうな・・・俺たち一人ずつの苦労は間違いなく増えるだろう」

「じゃあ・・・どうして?」
長門は要領を得ないといった雰囲気で訊いてきた。俺はさっきの声の調子のまま続けた。

「だから、何の問題があるんだ?〝仲間〟は助け合うってのが地人間の基本性質なんだぜ?情報ナントカ体に聞かなかったか?
そして、お前は誰が何とか言おうと俺たちの仲間なんだ。これで分かったか?

「・・・」
俺は二度目の長門の涙を見た。
しかし、今回は目に浮かべているのではない。長門は涙を流していた。
「記憶も消・・・え・・・」
言葉にならない言葉を必死につぐもうとするが、やはり言葉にならない。
そんな長門に俺は今思っていることを無心で伝える。
「記憶?俺が長門を好きって気持ちは変わらないぜ?それに、俺は長門のそばでお前を支えたい、と言ったよな?
たとえ記憶がなくなっても、お前を本当に対等な仲間として互いに支え合っていける。それが、一番嬉しいんだ」

いつもクールで口数の少ないインターフェースの瞳からはとめどなく涙が溢れて、
無言なのは同じだが今は喋りたいが、言葉が出てこないといった感じの・・・

────1人の普通の女の子がそこにはいた。

俺はその方に一歩寄ると、抱きついてきた。それは抱きついてきたというより立ってられなかった。
とでもいうように足は震え、全身が啼いていた」

俺は上目遣いで俺を見上げる1人の女の子に唇を重ねた

そこに言葉は要らなかった。・・・が・・・今無性に言いたい言葉があった。それを発する。

「長門・・・大好きだ」

答えの代わりに非常に控えめな唇に触れるか触れないかのキスが返ってきた。

・・・うん、悪くないね。照れ隠しに偉そうに心の中で嘯いた。

(11)

「おっす」
俺は『それ』の当日文芸部室に入った。
俺と長門以外には誰もいない閑散とした教室。俺が喋らなければ常に無音の場所。

長門は視線だけこちらに向けるとそれが当たり前であるように淡々と言った。
「今から3分後・・・
情報統合思念体に対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースとしての能力の消去と記憶メディアの初期化を申請する」

「遂に・・・か」
「そう、あなたを信じる」
「ああ、待ってるぜ」
あの日に見た〝夢〟に出てきたもう1人の長門の台詞とのあまりの差異に俺は涙が出そうだった。
ちなみにお別れのキスなんかを期待していたんだが、どうやらないみたいだな。最後まで長門らしかったな・・・
それは違うか・・・もし、記憶がなくなったとしても、インターフェースとしての力を失ったとしても・・・・・・長門は長門だ。これは確実だ。

そう、この扉の向こうには真の仲間が居る。
苦しさも楽しさも辛さも悩みもなんでも共有できるような、そんな・・・


・・・・・・

・・・そして俺は扉を開いた。物理的な意味でも、意識的な意味でも。後者で使う場合『新しい』で扉を修飾する必要があるが。

・・・・・・

「よお、俺を知っているか?」
「知っている」

どうやら人物などの最低限の情報は残るみたいだな。自己紹介の手間が省けただけだ・・・そうに違いない。
その新生長門はというと、これは必然か、宿命かは分からないが自分の溜め込んであった蔵書に興味を示した。

「これ・・・あなたの?」
「いーや」
「そう・・・」
少しの間が空いて再び口を開いた
「なんて書いてあるかわからない」
「俺もだ」
苦笑しつつ即答する。
すると、彼女も微かにだが確かに笑った。その笑顔はもう反則的なほど可愛かった。
そのまま抱きしめたい欲求を断腸の思いで断ち切り、俺は言う。
「図書館でも行くか?」
「図書館?」
「本・・・そこにあるやつが沢山置いてあるところだ。多分、お前が読めるのもいっぱいあるぞ」

その問いに長門は静かにうなずいた。
笑っているか笑っていないか分からないほど薄く、でも純粋な、一点の曇りも見当たらない───そんな笑顔を浮かべて─────

(エピローグ)

先刻、俺は、俺たちは新しいページに文字を書き記した。
それに至るまで辛いこと、苦しいこと、楽しいこと(直前には最悪に辛いことと最高に楽しいことがあったが・・・)色々あった。
全てがゼロに戻って良かったなんて言えるはずない。しかし、俺は知っているはずだ。
辛い、苦しい、楽しい『過程』がどれほど充実していたかを。過程もなくなったって?違う。
俺は長門の初期化によってもう一度それを味わえる。
それも『記憶』としてではない。『体験』として。

俺は知っていた。物語も実際に書くより、構想しているときが最も充実していると。
そんなロジックも屁理屈だと言われてしまえば、そうだ。全くもってその通りだ。
しかし、読めもしない本を大事そうにカバンにしまい、こちらに顔を向けている少女の目を見ていると・・・・・・

そうでもいいね。そんなことは心底どうでもいい。
ページやセンテンスは取り除くことも、付け加えることも、書き換えることもできる。つまり俺たち次第なのだ。
俺は今ここから俺たちの物語の新しい構想を練り始めるつもりだ。
そして、新しい文字を、チャプターをそこに加えてやる。そんなのなんてことない作業だよな?
なんせ、読書少女と一緒だしな。


それに・・・エンディングはもう決まっているのだから──────



あとがき。


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