ハルヒは悩んでいた。
午後の授業が始まってからずっとなのだが、昼前は機嫌が良かったので、
恐らく昼休み中に何かあったんだろうなあ。
最近はいつも昼休みになると首根っこ掴まれて学食で奢らされるのだが、
今日は昼休みになるなり何も言わず、教室を飛び出して行った。
俺も財布の中身を確認しながら安堵したのだけど。
それが授業が始まる直前に教室に戻ってきてかと思うと、
不機嫌そうな面持ちで頬杖をついた。
俺が、どこいってたんだ?と声を掛けると、

「あんたには関係ないでしょ」

と言った。
確かに関係ない。だがお前が不機嫌になるときは俺にとって都合があまり良くないってことを
ほんの微塵でもいいからわかっていただけるとうれしいんだけどな。
俺もそれ以上ハルヒに追及をしなかった。ハルヒも話すつもりはなかったんだろうし。
それで、今に至るわけだが、ハルヒがダウナーな気分になっていることなんて、
珍しいことではない。
ただ今日はいつもの不機嫌とは違うということに俺はなんとなく気づいていた。
……しかし、まあ何で俺がハルヒのご機嫌なんかを伺わんといけないんだ?
この代償は高くつくぞ、ハルヒ。

 5時限目が終了して、ハルヒはすぐに教室から出て行った。
俺はトイレに向かって歩いていた。すると廊下の反対側に、俺を見つけて微笑する古泉が手を振っている。
「こんにちは。今日もいい天気ですねー」
なんだそのすっとぼけた態度は。
「え?なんのことです?」
「ハルヒの事なんだがな」
「涼宮さんがどうかしましたか?」
こいつの組織がまた変な事をけしかけたというわけではないのか。
俺が疑うような素振りを見せると、古泉は肩を竦めた。
「残念ながら私は何も知りませんよ?」
まあ、嘘をついているようにも見えないし、本当に何も知らないんだろうな。
「まあいい。例の閉鎖空間は最近どうなってる?」
古泉は、驚いたように目を少し見開いたと思うとニヤケ顔を近づけてきた。
「あなたも心配してくれているんですね。どうですか?例のバイトの件考えてくださってもいいんですよ?」
心配してるのは自分の身だ。そんなもんやらん。顔を近づけるな。
「まあ今となっては、ほとんどあなたが無償でバイトをしてくれているようなものですしね」
古泉は指先で前髪をピンと跳ねると続けた。
「あの時以来、閉鎖空間は安定したままです。あなたのおかげですよ」
「今もか?」
「ええ。特に変化はありません」
それに、と古泉は続ける。
「涼宮さんなら昼休みに会いましたが、あなたが心配しているような様子ではありませんでしたよ?
いつもどおりの涼宮さんでした」
いつもどおりのハルヒとは何だ? 感情の起伏の激しさじゃ右に出る奴はいないからな。
全くもっていつもどおりの想像がつかん。
「いえ、普通にあいさつをしただけですが、別段不機嫌だとか逆に機嫌が良いとか
そういうのはなく本当に普通の涼宮さんです」
「そうか」

古泉が言っていることが本当だとしたら俺のただの思い違いか。
そうであればいいんだがな。
それに……俺はハルヒに振り回されすぎだな。
別に何が起こってもいいじゃないか。
SOS団には長門もいる。ちょっと頼りないが朝比奈さんも。
そして、今目の前にいるこの男も一応な。
俺は今まで何を学んできたんだ。ハルヒのことにしてもだ。
もうちょっと俺が信用してやらなきゃならんのではないか。
「古泉」
「はい?」
「今話したことは忘れてくれ。ハルヒ云々言ったことをな」
古泉は素直にそれを聞き入れた。
「わかりました。悩みごとがあるなら僕でよろしければいつでもお聞きしますよ」
「結構だ」

 教室に戻ると、ハルヒはすでに席についていた。
さきほどと変わらない表情で外を見つめている。
俺も今は何も聞かないでおこう。そう思い席についたのだが、
ハルヒはそんな俺の考えを見透かしたかのように言った。
「何よ、その顔。言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「言いたいことはさっき言ったぞ」
「あんたには関係ないって言ったじゃない」
「だからこれ以上聞こうなんて思ってない」
ハルヒは一層不機嫌そうな表情を作ると、再び外に目を移した。。
そして、ため息だろうか、小さく「はぁ」と声を漏らした。
なんなんだろうなあこいつは。

 6限が終了し、部室に行こうとしたその時、ハルヒが声をあげた。
「キョン、ちょっと私寄るところがあるから先に行ってて」
そう言うとハルヒは教室を後にした。
俺はその言葉に従い、先に部室へと向かった。
部室のドアをノックすると、毎度ながら愛らしい声で、
「はぁぃ」と声が聞こえる。朝比奈さんだ。
ドアを開け、中に入るとすでにハルヒ以外の全員が揃っていた。
俺は軽く挨拶を交わすと、いつもの指定席に腰かけ、
メイド姿の朝比奈さんがお茶を入れるのをボーっと見ながら、
あんな服やこんな服を着てくれないかなあと健全な高校生なら誰でもしてしまうような妄想を
頭の中に描いていた。きっとだらしない顔をしていただろう。
それを見た古泉がクスッと笑うと俺の目の前にオセロを差し出した。
トレイにお茶を乗っけて不器用に歩く朝比奈さんが、長門、古泉、俺の順にお茶を渡してくれた。
朝比奈さんはお茶を渡すと、思い出したかのように俺に言った。
「そういえば、今日涼宮さんが珍しく5限と6限の間に私のところにきたんです」
ハルヒは授業の合間に校舎中渡り歩いているんじゃないんですか。
朝比奈さんは、ゆっくりと首を振った。
「確かに、涼宮さんが廊下を歩いているのは私も何度か見たんですけど、
その、私のところに直接来たのは、初めてここに連れてこられた時以来で」
それで、ハルヒは朝比奈さんのところに何しにきたんです?
まさか授業中にバニーになれとかとんでもないこと言ったんじゃないですか。
「ううん。突然、涼宮さんが来たのでちょっと怖かったんですけど、
その、『みくるちゃん、あなた明日家に来なさい』って」
ハルヒが自分の家に朝比奈さんを? ますますわけがわからないなあいつは。
「私悪いことしたのかなと思っちゃって」
いやいや、朝比奈さんが悪いことしたって言うならハルヒは犯罪者ですよ犯罪者。
それも、国際指名手配されてもおかしくないぐらいの大物犯だ

「涼宮さん、どうしちゃったんだろう……」
朝比奈さんが不思議そうな顔をして俺の目を見てくるので、
その愛らしさに思わず手を握りたくなったが、消え入るような声で目を覚ました。
「私も」
窓際の椅子に腰掛けていた長門がこちらを見て口を開いていた。
「涼宮ハルヒに呼ばれた」
「家にか?」
「そう」
また何でだろうな。ふと古泉を見たが不思議そうに首を横に振るだけだ。
呼ばれたのは、長門と朝比奈さんだけか。以前、バレンタインの時には長門の家に行って
3人でチョコケーキを作ったという話はあったが、その時は2人に硬く口止めをしていたし、
それに今は記念日とかそういうものもないからな。男2人を外す理由も特に考えられない。
普通の女の子だったら、恋の悩みを相談したり、男子の悪口を言って盛り上がったりとかするんだろうが、
ハルヒに限ってまさかそんな会話を繰り広げることは断じてないだろう。
「そういえば」
古泉が時計を見て言った。
「涼宮さんがまだいらしてないですね」
「ああ、ハルヒなら寄るところがあるから先に行ってろって言ってたな。そろそろ来るんじゃないか?」
俺が話し終えるとほぼ同時にドアが勢いよく開いた。

「遅れてごっめーん!」

なんだこのテンションの高さは。
そんな俺の顔を見てハルヒは眉をひそめた。
「何よキョン。何か文句ある?」
今更文句なんかねえよ。ここに来てから随分俺も大人になったからなあ。
「何それ。まあいいわ。みんな注目!明後日の日曜日、野球観戦にいくわよ!」

一同は唖然とした。
「みんな忘れたの?今年も町内野球大会に出場するのよ!そのためにプロの試合を見て技を盗むのよ!」
一回プロの試合を見に行ったぐらいでその技を盗めたら、そこら中プロ野球選手だらけだぞ。
「気持ちの問題よ。自分もやればできるんだって思い込むことが大事なのよ」
ハルヒは得意げに演説を始めた。
「自分もプロ野球選手みたいに上手くなりたいって思うことで体も動くようになるの!」
お前がそんな精神論的なことを言い出すとはな。
それに野球はもう飽きたんじゃなかったのか?
「当たり前でしょ?まずは気持ちからよ。何か不思議なことを見つけようと思わなければ
いつまでたったって見つからないでしょうが!」
ちょっと待て、話がずれてきてないか。
「とにかく、行くわよ!ちゃんと予定空けときなさい。来なかったら死刑だから!」
一年前から常に死刑と隣合わせに生きてるんだなあ俺らは。いや、俺だけか。
しかし、ハルヒの突然の欝はどこに飛んでいったんだか。
心配した俺が損したみたいじゃないか。ええい、こんな生活から早く脱却したいものだ。

 どうやら野球のチケットを親父にもらったらしく、それで去年の野球大会のことも思い出したらしい。
ハルヒの親父さんも余計なことをしてくれるぜ。また俺が4番なんかにされてみろ。
あっという間に世界の危機が到来しちまうぞ。
その後、特にやることなく、だらだらと部活での一時を過ごし、
時計が五時半を指した頃に、ハルヒが椅子から立ち上がった。
「さて、帰るわ。キョン行くわよ」
ハルヒ、俺はお前の下僕じゃないぞ。
まさかそんなセリフをここで吐けるはずもなく、俺は言われるがまま席をたった。
残った三人も帰り支度を始めていたが、ずんずんと先を歩き始めるハルヒを追って俺は部室を後にした。

校門を出て、坂を下っている途中、ハルヒは一言も口を利かなかった。
二人だけになった途端にこれか、俺はハルヒの肩を掴んだ。
「なに?」
「すまないが、もうちょっとゆっくり歩いてもらっていいか? 足首が痛むんだ」
実は今日の体育の途中、俺はサッカーをしていて見事にこけた。
元々サッカー自体そこまで上手くもないが、だからといってボールを踏んでこける程間抜けでもない。
しかし、何がどうなったか、俺はボールの上に乗るような形で反転し、
足首を捻ったのだった。
それをクラスの女子にも見られていたわけで、ハルヒに至ってはこけた俺を指差して大笑いしていた。
「キョンー!あんた本当にドジねー!」
ほっといてくれ。心からそう思った。
結局途中退場し、保健室に向かった。
足首を捻ったといっても歩けないという程のことでもなく、
もし後日に足が痛むようなら病院に行けと言われたぐらいだ。
ハルヒに合わせて坂を下ると若干の痛みが走ったのだ。
「ほんとドジよね。まああの時は笑っちゃったけど……痛い?肩貸してもいいわよ」
珍しく優しいこと言ってくれるじゃないか。
「ま、団員が怪我したらそれを見るのも団長の務めだからね」
このハルヒの照れ隠しにはもう慣れたが、たまには
「キョンのことが……心配だから!」
とか聞いてみたい気もするね。
「何馬鹿なこと言ってんのよ。置いてくわよ!」
つっけんどんにハルヒはそっぽを向いた。
ここ最近は、ハルヒを自転車の後ろにのっけて家の近くまで送ってやるんだが、
いや、送らされてるというほうが正しいか?
なんせそこらのカップルのような甘い時間はなく、騎手が鞭を力の限りに叩かんばかりに
ハルヒは俺にスピードを要求するので、まるで俺は競走馬さながらなのだ。
しかし、今日はどうにもそれもできそうにない。
「別にいいわよ。そんなんで悪化されたってSOS団の活動を妨げることになるしね。
いいわ、今日は私が家まで送ってあげるから」

 正直、驚いた。
ハルヒの口からまさかそんな言葉が出るとは。
俺がどんな顔をしていたか、ぜひ鏡で見てみたいが、ハルヒは俺の顔を見て
「あのねー。あんたのためじゃないんだから。あくまでもSOS団のために……」
「わかってるよ、ハルヒ」
途中で俺が言葉を遮った。
「わ、わかってるならいいのよ!ほら行くわよ」
ハルヒは先程の半分程のスピードで歩き始め、たまに俺がついてきてるか横目で確認しながら坂を下っていった。
 俺の家についた時には、完全に日も暮れていた。
結局、いつもとは逆にハルヒが自転車をこぎ、俺はその後ろに乗って帰ってきたのだが、
ハルヒの運転は逆に俺の命を縮めんばかりのもので二度と乗るまいと誓った。
家の前まで来て、ハルヒが意外そうな声を挙げた。
「へー。結構いい家に住んでるのね。意外だわ」
お前は一体俺がどんな家に住んでると思ってたんだ。
「あ、ハルにゃん!」
また余計なタイミングで出てきやがった!
「おー、妹さん。元気?」
「うんー元気だよ! ハルにゃんどうしたの? 遊びにきたの?」
俺は妹が抱えてきたしゃみせんを抱き上げた。
「足を怪我したからな、ハルヒが送ってくれたんだ」
「えーキョン君ずるーい。あたしもハルにゃんと遊びたい!」
妹よ。お前は兄の言葉をちゃんと聞いていたか?遊んでいたんじゃなくて送ってもらっただけだ!
「ハルにゃん寄っていかないの?」
おい、待て勝手に話を進めるな。
「そうね。キョンの部屋でも見せてもらおうかしら。どうせやらしい本とか一杯あるんでしょうけど」
ハルヒは不気味な笑みを浮かべると目を細めた。


「キョン君、エッチな本持ってないんだよー。あたしいつも部屋に入るけど見つからないの」
「甘いわ。キョンのことだからきっとせこい場所に隠しているのよ」
ハルヒは俺にも見せないような満面の笑みを浮かべると、妹に言った。
「ハルにゃんこっちだよー!」
そう言うと妹はハルヒの手を引き、家の中に消えていった。
俺は呆然として、固まっていたが、まずい!部屋の中を荒らされてみろ!
末代までハルヒに脅しをかけられるぞ。
次第に痛みが増す足を引きずりながら俺は玄関に挙がった。

 それからハルヒが帰るまでの1時間程の時間が、俺にはどれだけ長く感じたことだろう。
勝手に部屋に上がりこみ、引き出しからタンスまで開けて物色しようとするハルヒを押さえながら
面白がってハルヒを加勢しようとする妹を諌め、俺の疲労度は極限まで来ていた。
ハルヒは俺の部屋からやましい本が出てこないことに対して真剣に悩みだしていた。
「キョン。あんたまさか……そっちの気があるんじゃないでしょうね」
こいつの目は本気だ。
「断じてない」
俺は妹が持ってきたお茶とお菓子をハルヒに差し出した。
「あんたぐらいの年頃の男ならそんな本の一冊や二冊持ってるもんでしょ? 出しなさいよ」
「嫌だ」
「じゃあやっぱり……」
やれやれ。どうすれば信じてもらえるのかね。
このままじゃ万が一そんな本を見せたりして、それをネタに散々言われるか、
それとも良からぬ疑惑を掛けられたままになるか、どちらにしろ俺が損するだけじゃないか!
ハルヒはアヒル口をすると、今度はベッド下を覗き込んだ。
「やっぱりないわねえ」
「大体そんなもの見て、お前はどうしようというんだ」
「別に、どんなものを見てるのか興味を持っただけよ」
人様の恥ずかしい物に興味があるという理由だけで、部屋の中を荒らさないで欲しいね。

「それより明日、朝比奈さんと長門がハルヒに呼ばれたって言ってたが、何かあるのか?」
ハルヒは一気にお茶を飲み干すと、まるであらかじめ答えを決めていたかのようにきっぱりと言った。
「特に理由なんてないわ」
理由もないのに呼び出したのか。
「なんだかんだで1年経つけど、ゆきのこともみくるちゃんのこともまだまだ知らない事も多いから」
なんだか本当にまともな部活動の部長のようなことを言い出したぞ。
「団長として知っておかなきゃいけないことだってあるのよ」
ハルヒはやはりどこか変わった気がする。
古泉も口にしていた。
ハルヒは以前のようにただ不思議なことだけを追い求めるだけではなく、
自分の周りの環境もしっかりと構築しようとする面も強くなってきていると。
つまり、それだけ安定してきているということなのだが、どうにも何のきっかけでまた暴走するかわからんからなあ。
ハルヒに限ってだけは安定なんて言葉は簡単に当てはめていい言葉じゃないな。
「あんた明日も足痛かったら病院行きなさいよ?」
わかってるよ。日曜日に死刑になりたくないしな。
ハルヒはお菓子をある程度口にすると、すくっと立ち上がり、
「帰るわ」
と言った。
玄関の外で俺はハルヒに自転車を貸そうとしたが、
「そんなに遠くないからいいわ。それより明後日ちゃんと来なさいよ?」
そう言いのこすと、早足で闇の中に消えていった。


 翌朝、切れるような足の激痛によって目を覚ました。
しゃみせんが足首の上に乗っていたのだが、この痛みはただ事ではない。
俺は布団を捲り上げ足首を確認すると、明らかに腫れあがっていた。
まさか折れているわけじゃないよな。
ベッドから這い起きると服を着替え、朝食をさっさと済ませると俺は病院へと向かった。
外科のある病院まで行くのには歩きで二十分程かかる。
自転車に乗って片足でこげばまだ楽かなと思い、自転車を引っ張り出すとよろけながらなんとかこぎ始めた。
こんな時に限って風が強く、俺の体は何度となく煽られ、今にも転びそうになっていた。
走り出して5分程して、細い道の交差点に入ろうとした時、
自分のことで精一杯だった俺は横からの進入者に全く気づいていなかった。
気づいた時にはすでに遅く、なんとか体を捻り正面衝突は避けられたものの、
横から来た人の自転車の先が調度俺の自転車の横から衝突するような感じになり、
俺は横に勢い良く倒れた。
同時に右足首で体を咄嗟に支えてしまったため、激痛が走り、俺は思わず叫び声を挙げた。
「ぐわっ!」
転がったまま右足首を押さえころげていると、衝突した自転車から降りてきた人が声を掛けてきた。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
声からして女性のようだ。
普通ならここで運命の出会い的なものを感じでしまうのかもしれないが、
生憎そんな余裕もなく俺は痛みに耐えながら返事をするのが精一杯だった。
「ば、なんとか……」
「あれ、あなた昨日の?」
俺は顔を上げてその女性の顔を見た。女性ではなく、朝比奈さんのような幼さのある女の子がそこにいた。
昨日のという言葉から、昨日どこかで会ったことがあるはずだと必死で思い出そうとしたが、
痛さと昨日は色々と考えることが多かったためか、全く思い出せなかった。

「えと、どこかで会ったっけ?」
女の子は、ちょっと怒ったように目じりを吊り上げると、
「保健室で、手当てした保健委員の斉藤です。キョン君でしょ?」
保健室……、思い出した! 怪我をして保健室に行ったんだが、その時近くにいた隣のクラスの保健委員の女の子が
ついてきてくれたんだった。それがこの斉藤さんだったのだ。
名前は覚えていたのだが、顔を忘れてしまうとはね。
斉藤さんは俺の顔を覗き込むと、足に目を向けた。
「ちょっと見せて!」
そう言うと、自転車をどけ、ものすごい勢いでGパンの裾をまくりあげた。
ちょ、ちょっと!
と、止める間もなく捲り上げられたわけだが、斉藤さんの目は大マジである。
まるで獲物を狙う鷹のような目つきだ。
俺はその目に少し違和感を感じた。
前にもどこかで見たような……。
「こんなに腫れてるじゃない……病院はいかなかったの?」
「今向かっている途中だった」
斉藤さんは、すくっと立ち上がると、俺の自転車を脇に寄せると、
自分の自転車にまたがり後ろの荷物載せを指差し言った。
「乗って。下田病院でいいんでしょ?」
「一人で行け……」
と言いかけるより早く腕を掴まれて起こされた。
「いいから早く。そんな足なんだから」
それじゃお言葉に甘えて、と俺は後部に腰掛けると手のやり場に困っていたが、
「腰に回して、落ちないでね」
という言葉に抵抗することなく斉藤さんの腰に手を回した。
自転車をこぎ始めた斉藤さんからは香水だろうか、それともシャンプーの残り香だろうか、甘い匂いが漂ってきた。
なんだろうか、こう妙に落ち着く匂いというか……眠くなりそうな匂いというか……。
なぜかその時、一瞬、ハルヒの顔が頭によぎったが、その甘い香りにかき消されていった。

 病院で診察待ちをしている間も、斉藤さんは俺の側から離れなかった。
本人は「保健委員気質だからいいのよ」と笑っていたが、
週末だけあって診察まで二時間程待たされる形になり、
診察が始まってからもレントゲンを撮ったりしていたので結局病院についてから3時間を過ぎていた。
検査の結果は骨には異常はないが、重い捻挫であると診断された。全治2週間だそうだ。
診察室を出ると、斉藤さんが待ってましたと言わんばかりに近づいてきて肩を貸してくれた。
「どうだった?」
「ただの捻挫みたいで」
斉藤さんはほっとした表情を見せると、可愛らしい笑顔を見せた。
「びっくりしたよ。昨日病院行ったと思ってたし」
ここまで痛くなるとは思ってなかったからなあ。俺は椅子に座ると斉藤さんに礼を述べた。
診察料を支払い、再び斉藤さんに肩を借り、外に出る。
どうやって帰るかな、と思案していると斉藤さんが自転車を持ってきて、
「家まで送るわ。自転車も後で届けてあげるから」
とまるでお姉さん口調のように言った。
俺は、家に電話して迎えにきてもらうつもりだと告げようとすると、
「遠慮しなくていいじゃない。こういう時はお互い様だよ。あたしは暇だし、乗りかかった船だからね」
どうも俺はこういう押しに弱いらしい。姉属性に弱かっただろうか。
しかし、可愛らしい顔に似合わず積極的な人だな。
まるで朝比奈さんとハルヒを足して2で割ったような感じだ。
斉藤さんの押しには逆らえず、俺はお世話になることになる。
足に貼ったシップの匂いと、斉藤さんから香る甘い匂いが混じって複雑な香りがする中、
自転車はゆっくりと走っていく。
その時、誰かが自転車の前に飛び出してきた。
「ちょっと止まりなさい!」
この声は……ハルヒ!

鬼のような形相のハルヒが、自転車の前に立ちはだかっている。
良く見るとその後ろのほうには朝比奈さんと長門の姿が見える。
まるで浮気現場に彼女が現れたような気持ちになった。
いや、俺は実際そんなこと体験したことないがな。
恐らくこんな気分になるんじゃないかと思うぞ。
男性諸君、浮気は、やめよう。
冷静に考えてみれば、別に浮気でもなんでもないぞ? 俺、しっかりしろ。
ハルヒは彼女ではないし、こんな鬼のような形相の彼女は欲しくない。
後ろめたい気持ちなんてないが、ハルヒの迫力に圧倒されてまるで俺は蛇に睨まれた蛙だ。
「あんた誰?」
しかし、ハルヒの矛先は俺ではなく、斉藤さんに向かっていた。
違うぞハルヒ、俺はこの人に助けてもらってだなあ。
「あんたは黙ってて」
すまん、斉藤さん。こちらの不注意でぶつかっておいて助けてもらっておきながら、
あなたをとんでもないことに巻き込もうとしている。
なんでこんなタイミングでハルヒに会ってしまうかなあ。
そもそもこいつは今日家に二人を呼んでいるんじゃなかったか?
「あなた、涼宮さんでしょ? 私は隣のクラスの斉藤よ。体育でいつも会ってるじゃない」
意外にも斉藤さんは笑顔だった。
ハルヒはその言葉を聴くと、一層眉間にしわを寄せた。
朝比奈さんは後ろでおろおろしているし、長門は……、あれ、長門がいない。
と思ったら、俺たちの横に来ていた。そして、ジーッと斉藤さんを見ている。
「まあいいわ。斉藤さんだったわね。キョンとどこにいくつもり?」
「どこにいこうと、あなたには関係ないんじゃない?」
まるで斉藤さんはハルヒに喧嘩を売るように挑発的な言葉を続ける。
「関係ないわけないじゃない。キョンはSOS団のメンバーなんだから!」
斉藤さんはくすっと笑うと、
「SOS団って部活でしょ?その部活では部員の私生活にも干渉するものなの?」

ハルヒが珍しく、悔しさを顔に出している。唇を噛み、体を震わせている。
このままでは余計な事態になりかねないと俺は判断し、ハルヒの前に出た。
「ハルヒ、とりあえず話しを聞け」
「聞きたくないわ。キョン、あんたSOS団クビよクビ!
あんたみたいなのをSOS団に入れたのが間違いだったわ」
「ちょっと待てよ。事情も聞かずにそれはないだろ? 今だって病院に行ってたんだ」
「ふん。大体、大した怪我でもないのに大げさなのよ。あんたみたいなドジにはお似合いだけどね!
とにかくクビよ。そんな女とちゃらちゃら遊んでるのがあんたにはお似合いよ!」
俺はカチンときた。
気づいた時には時すでに遅く、俺の右手はハルヒの頬を張っていた。
「おまえ……それ本気で言ってるのか」
ハルヒは頬を張られたことに驚きの表情を見せ手で頬を覆ったが、
すぐにこちらを睨み返すと、
「本気よ!除名!クビ!二度と顔見せるな!」
そう言うと、ぐっと歯を食いしばりハルヒは走り去った。
その目にはわずかだが涙が見えた。
「す、涼宮さーん!」
朝比奈さんがハルヒの後を追いかけると、長門も俺の顔を見るとスタスタと歩き去っていった。
「なんなのあの子?」
斉藤さんは呆れ顔で言った。
斉藤さん、あなたの言ってることは確かに最もなことですよ。
ただ、俺の中にも複雑な気持ちが湧き上がってきたわけで。
俺は斉藤さんに礼を言うと一人で帰ると伝えた。
斉藤さんは納得のいかない顔をしていたが、俺の表情を見て気の毒そうな顔をすると
「それじゃ、帰るけど無理しないようにね」
と告げ、自転車で去っていった。
俺は深くため息をつくと、家に向かって歩き始めた。


 いつもの歩く速度の3分の1くらいの速さでやっとのことで家に到着すると、
妹が玄関まで駆けてきて不思議そうな顔をした。
「あれーハルにゃんは?」
「ハルヒはいないぞ」
「でも、会わなかったの? ハルにゃんわざわざ家まで来てくれたんだよ?
キョン君いるかって。病院に連れていくって。それで、もう病院行っちゃったよって言ったら
急いで出ていっちゃったんだから」
「そうか」
俺は右手を見た。
痛めた右足よりも、手の平のほうが痛いな。
妹は手の平を見る俺を不思議そうに見ていたが、インターホンが鳴ると
「はーい」
と元気良く返事をした。
「あ、あたし、朝比奈と申します」
「みくるちゃん? 今開けるよ!」
妹がドアを勢いよく開けると、そこには朝比奈さんが一人で立っていた。
「あ、キョン君。ちょっとお話してもいいですか?」
「はい」
俺は妹を押さえつけると朝比奈さんと玄関の外に出た。
「今日ね、涼宮さんの家に行ったんです。だけど、ずっと落ち着かない様子で。
私が何かあったんですか?って聞いたら、キョンを病院に連れていく!って」
朝比奈さんは前をまっすぐ見ながら続ける。
「それでね、涼宮さん謝ったの。私たちにね? びっくりしちゃいました。
私も長門さんもキョン君の怪我のことは知らなかったけど、
涼宮さんは、せっかく来てもらったのにごめんね。って」
ハルヒらしからぬ素直さですね。

「涼宮さんは私たちに謝ってまであなたのこと心配してた」
「それは俺も事情を話そうとはしましたけど、ハルヒはあんな感じで聞く耳がないですから」
朝比奈さんはちょっとうつむくと、声を小さくした。
「それは……私にもわかるけど。そういうことじゃないの」
どういう意味です?ハルヒの行動を朝比奈さんは正しいと言うんですか?
「違うの……うまくいえないけど、あんなキョン君格好悪いです」
ハルヒの頬を張ったことだろうか。
朝比奈さんに格好悪いと言われるとぐさっときますよ。
「私が涼宮さんなら……。ううん……上手く言えないけど」
刹那、体が動かなくなった。
ただ、ただ、甘い鼻につく匂いを感じるだけで、まるで体が言うことを利かない。
頭がボーっとしてきたかと思うと、俺は自分の意思に反した言葉を発していた。
「もう放っておいてください。俺はもうSOS団の団員ではないですし、ハルヒに謝る気もありません」
朝比奈さんは驚き、足を止めると肩を震わせた。
「キョン君どうしちゃったんですか? 私の知っているキョン君はそんな人じゃないです!」
またも俺の意思とは異なる言葉が口から出てくる。
「そんな人ってどんな人だと思っていたんですか?勝手に俺という人間を決め付けないでください」
朝比奈さんは、一歩二歩と体を引くと、涙を流し走り去っていった。

自分の意思ではない誰かが俺の体を、心を動かしている。
まるで操り人形だ。
まさか、ハルヒか……?
あいつならそれも可能だろう。
人間一人の存在を消してしまうことぐらい簡単にできるような奴だ。
ハルヒは俺という人間を別のものに変えようとしているのかもしれない。
俺は、恐怖を覚えているのと同時に、ハルヒがそう望むのならそれでも構わないとも思っていた。
俺のいない世界を望むのなら、いっそのこと全て変えてしまえばいい。
俺はそこで別の人間として生きるさ。そうさ、そしてまたお前を必ず見つけてやる。
覚えてなくたって、いやむしろ俺がお前のことを忘れるはずがない。
なんせ人生で一番の衝撃だったからな。
気がつくと、俺は地面に横になっていた。体に力が入らない。
声もでない。目の前がどんどんと暗くなっていくことだけがわかった。
ハルヒ、俺は……。

気がつくと、俺はベッドの上に寝ていた。ここはどこだ?
いやその前に俺は誰だ?名前は?思い出せない。
ここは病院ではなさそうだが、誰の家なんだ?
頭の中は「?」だらけになっていた。
すると、ドアを開いて一人の少女が部屋の中に入ってきた。
見覚えがある。けれども名前を思い出すことができない。
「あら、目が覚めた? 食事持ってきたわ」
俺は色々なことを聞きたかったが、その少女から香る甘い匂いに引き付けられて、
言葉を発することができない。この匂いどこかでかいだ記憶がある。
「あなたの身柄はしばらくの間拘束させてもらうわ。ごめんなさいね」
何を言っているんだこの人は。拘束ってなぜだ。
「一時的に記憶を奪うための薬をあなたに投与してるわ。だから、その間は何も思い出せない。
感覚的なことは、匂いとか味とかは覚えているかもしれないけれど、自分の名前も思い出せないはずよ」
その通りだ。この甘い匂いも、運んできた食事の匂いもどこかでかいだことのある匂いだ。
「手荒なことかもしれないけれど、許してねキョン君」
キョン? それが俺の名前か?随分と変わった名前だな。
キョンと名づけた親の顔が見てみたい気分だぜ。
「俺はここにいつまでいればいいんだ?」
「観察が終わるまで。それが終わる時にはもうこの世界はないかもしれないけれど」
なんの観察だ。一体何を観察したら世界が終わるようなことになるのかぜひお聞きしたい。
「涼宮ハルヒの観察よ。あなたにこの名前を言ってもわからないでしょうけど」
涼宮ハルヒ……。
わからん。そもそも他人の名前がわかるぐらいなら自分の名前を思い出してるわ。
「それじゃ、用があったらその電話で呼び出して」
無機質な部屋には、電話とベッド、そしてタンスが一つおいてある。
あとは小さめのドアが一つ、どうやらトイレのようだが。
しかし、どうして俺は記憶を失くさなきゃいけない状況になっているんだ。
その涼宮ハルヒとかいうやつの観察のためにと言っていたが、
俺はそいつといったいどういう関係なんだ。
いくら頭を捻ったところで思い出せもしないことを俺は延々と考えていた。

 それから何日経っただろう。
たまに襲われる嫌な感覚で意識が遠のき、正確な時間を把握できなくなっている。
そもそも記憶を失う前にどこにいて何をしていたのかもわからないんだ。
あれから同じ少女が食事を持ってくるだけで、俺が質問しても何も答えようとはしない。
一体何がどうなっているんだ。考えてもどうにもならないもどかしさだけが残る。
部屋に窓はあるが、人間が出られるような大きな窓ではなく、
朝か夜か判断できるぐらいの大きさの窓である。
実質、もし脱出するとしたら少女がいつも食事を運んでくる入り口になるのだが、
とてもじゃないが、足が痛くて脱出できそうにもない。
しかも、なぜかここからでないほうがいいような気がしている。
それはなぜだかわからないが、そんな気がするのだ。
小さな窓に目をやると夕焼けの光が差し込んでくる。
そろそろ夜になるのだろう。と考えていた矢先に、大きな爆発音のような音が響いて、
建物自体が揺れた。地震とは違う、何かが衝突したような響きである。
しばらくの間、誰かが叫ぶ声が聞こえたりしていた。悲鳴も混じっていたようだ。
そして、入り口の扉が開いた。
「キョン君!」
見たことのないような美少女が入り口に立って叫んだ。
その後ろには顔の良いやたらきざっぽい男と、大人しそうな少女が立っている。
「良かった、どうやら無事のようですね」
美少女は目に涙を浮かべ、俺に抱きついてきた。
ちょっと待ってくれ、あんたらは一体誰なんだ。
そして、一番に俺が誰なのか教えてくれ。
美少女は一歩あとずさると手で顔を覆った。
「キョン……君?」

キザたらしい男は真顔で近づくと俺の顔をのぞきこんできた。
「どうやら記憶操作されているようですね。長門さん」
長門と呼ばれた大人しそうな少女は、ゆっくりと俺に近づくと頭に手を置いた。
「私の知らない方法で記憶操作されている。恐らく、ここより先の時代で作られた新種の薬」
「となると、やはり未来から来た連中の仕業ということになるんでしょうか」
「恐らく。それだけじゃない。この建物自体に大きな時間軸の歪みがある。
時間凍結を応用して時間の進みを早くしていた可能性がある」
「涼宮さんの観察をするため、ですね」
無表情の少女は小さく頷いた。
こいつら一体なんの話をしているんだ?
俺にもわかるように説明しやがれ!
「とにかく、ここを出ましょう」
キザっぽい男が俺を立たせると、肩を貸してくれた。
階段を下りると、そこには数人の大人がいて、何かを言っているのだが、
俺には理解することができない。
 車に乗せられると、どこかで見たような気のする病院に連れていかれて、
様々な検査を受けさせられた。
検査の間中、ずっと先程の美少女が泣きそうな目で俺を見ていたが、
知らない人でも抱きしめてしまいたくなるようなそんな庇護的な欲を感じた。
こんな感覚を以前にも味わった気がするのだが。

一通りの検査を終えると、個室の病室に入れられた。
長門と呼ばれていた少女が再び俺の頭に手を置いた。
5分くらいそうしていただろうか。俺はどんな顔をすればいいのかわからなくなっていた。
少女は俺から手を離すと、後ろを振り返った。
「すでに薬は切れている。体内に不純物も見当たらない」
なんだこの少女は、医者なのだろうか。医者にしたって頭に手を置いただけで
体内の物質がどうとか言う神のような人の話なんぞ聞いたことがない。
いや、今の俺が知らないだけかもしれないがな。
「となると、後遺症という可能性ですかね」
キザ男が考えるような仕草を取る。
「違う」
「違う?……まさか!?」
キザ男は絶句している。美少女も同じく手で顔を覆っていた。
長門と呼ばれる少女は俺のほうを見るとゆっくり口を開いた。
「彼は、涼宮ハルヒに消されかけている」
涼宮、涼宮ってそんな大層なやつなのかね。
それに俺を消そうとしているってのは一体どういうことなんだ。
名前も顔も知らないようなやつに殺されるのはごめんだぜ。
涼宮ハルヒ……か。
しばらくして俺は、人目を盗んで逃げるようにして病院を飛び出していた。
どこに行く宛てがあるわけでもないし、ましてや自分の家がどこにあるのかもわからない。
とりあえず足の向くままに俺は歩き出していた。
なるべく賑やかそうな場所にいけば、もしかしたら何かを思い出すかもしれない。
俺は無意識的にそう考えていたので、自然と町に向けて歩を進めていた。
賑やかな繁華街を抜けて、駅の近くまで来た時、正面から誰かが近寄ってきた。

「キョン。ちょっと来なさい」
誰だこの女は。すげえ美少女ってことはわかるが、名前は……やはりわからん。
俺が不審者を見るような目で少女を見ていると、その少女は俺の手首を掴み歩きだした。
「ちょっと待て、お前誰だよ!」
そう言うと、少女は顔を曇らせた。なんだその目は、どこかで見た、何でも見透かしてしまうような目。
俺は、知っている名前を挙げることしかできなかった。
「お前がひょっとして涼宮ハルヒか?」
少女は驚きの表情を見せたが、すぐにまた前を向き、俺を引っ張って歩きだした。
どうやらこいつが涼宮ハルヒのようだ。
とりあえず引かれるがままこの涼宮の後をついていくことにした。
なんせ今の俺にはあらゆる記憶がないし、この涼宮が俺のことを消そうとしていると聞いている。
殺されるのかと思ったが、どうやらそんな雰囲気でもないし、今は言うことを聞いておいたほうがよさそうだ。
道中ずっと黙っていた涼宮が突然言葉を発した。
「あたし、あんたが消えればいいと思ったわ。そりゃそうよ。このあたしをひっぱたいたのよ!許されざる行為だわ
普通なら死刑ね。三回ぐらい死刑よ」
団長? 何の団だ? 俺がお前を無視したって言われても全くわからん。
「でも、あんたが何度もあたしの名前を呼ぶんだもん。仕方ないから許してやろうって気にもなるわ」
呼んだ覚えなんてこれっぽっちもないぞ。
「あたしも大人気ないことしたと思う。今になって考えればね。素直じゃないわ」
「俺は何をしたんだ?」
「何もしてない」
涼宮は見覚えのある学校の前で立ち止まった。
「登って」
涼宮は校門をよじ登ろうとしている。俺もそれにならって登ると、
真っ暗闇の校庭内に足を踏み入れた。

「あたし、後悔したわ。あんたがいなくなればいいと思ったこと」
涼宮は、校庭のほぼ中心で立ち止まった。
「交通事故にあって記憶喪失になったなんて聞いたら誰だって後悔するわよ」
どういうことだかよくわからないが、俺は交通事故で記憶を失くしたのか?
「病院にいこうとしたのよ、そしたらあんたの声が聞こえてきたの。あたしの名前を呼んだわ」
いや、俺は呼んだ記憶がないんだが。
「聞こえたのよ、ご丁寧にどこに向かってるかも言ってくれたわ。だから、あたしは駅前で待ってたの」
つまり、なんだ。俺がお前のことをテレパシーだかなんだかで呼び出しだとそういうことか。
「さあ。私の空耳かもしれないわ。だけど、あんたの声だったしね、1%ぐらい信用してやろうと思ったのよ」
そりゃどうも。
「簡単に私は人を認めたりしないわよ。だけど……認めた人間はそれなりに重要だし、大事にしたくもなるわ」
「何を言ってるんだ?」
涼宮は少し眼を潤ませて唇を噛んだ。
「キョン……思い出しなさい。あたしのことも自分のことも、そしてSOS団のことも……」
突然唇に柔らかいものが触れた。それが涼宮ハルヒの唇だということに気がつくまでそう時間はかからなかった。
なんとなく懐かしい感じがする。
唇から一気に頭に情報が流れ込んでくるような感覚を覚える。
ああ、これが俺の記憶。涼宮ハルヒとの出会いやSOS団との出会い。
そして、俺が何者なのか。
今、はっきりと頭に蘇ってきた。
俺は、目の前にいる涼宮ハルヒを力強く抱きしめて名前を呼んだ。

「ハルヒ」

 俺とハルヒ以外の三人が北高につくまでにそこまで時間はかからなかった。
その後全てを思い出した俺が聞いたのは、隣のクラスの斉藤と名乗っていた奴は未来から来た強行派の人間だったこと、
そしてそれに協力している情報統合思念体の存在が後ろにあったことということだ。
俺のあの怪我自体が初めから仕組まれていたことのようで、
斉藤という保健委員は存在せず、俺の記憶が操作されていて本当にいると思い込まされていたそうだ。
ハルヒが不機嫌になっていたとき、調度あの頃から俺は奴らの術中にいたってわけだ。
ハルヒはそれを敏感に感じていたようで、気分が悪くなったのはそれが原因だったと。
「これは何か事件の臭いがするわ。きっと異世界からやってきた人間だったのよ!」
あながちその推理は間違いではないんだがな。
しかし、長門がなぜそれに気がつかなかったかというと、
どうやらそのバックについていた情報統合思念体から妨害を受けていたため、
正確な情報が得られなかったと言うのだ。
そのため監禁されたことを知るのにも時間がかかり、俺は何日もの間閉じ込められていたってわけだ。
しかし、現実世界では一日しか経ってなかったらしい。
つまり、外での細かい観察記録を時間をかけて整理したいが、
もし世界改変がすぐに起きてしまうようなことがあれば、その情報は意味のないものになってしまうというわけだ。
そのため、その情報統合思念体は、建物内と外界との時間流の速さを変えてしまうことで、
外では一日しか経っていないのに、建物の中は1週間経過しているようなカラクリを仕込んだのだ。

長門によると斉藤はすでに消えていたらしい。
それと一部の強行派の未来人を拘束したと、朝比奈さんが言っていた。
やはり、俺を使ってハルヒを観察するのが最も効率的であるという見解は強行派の中で変わってないらしく、
わざとハルヒを煽ってみたりしたのも俺という人間に対してハルヒがどのような感情を持っているのか
確かめるつもりだったんだろう。
正直、危なかったんだよなあ。
もう少し俺の救出が遅れていたら、ハルヒは俺の存在を消していただろう。
俺はテレパシーなんざ使えない普通の人間だが、ハルヒが俺の声が聞こえたって言うなら
それは最後の俺の足掻きだったのかもしれないな。
ハルヒのことはどんなことがあっても忘れないと思っていたが、
ハルヒの唇を忘れないに訂正させていただこう。
それぐらいの妥協はいいよな? ハルヒ。 



|