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 俺にしてみれば恋愛などというものは、ハルヒの如く一時の気の迷いとまでは言わずとも、それでも縁深いものだとはまったくもって思ってなどいなかった。
 だが、これ見よがしに自ら遠ざけていたというわけでもなく、俺にだって何かキッカケとやらがあろうもんならその青春の代名詞たる物にあやかりたいという、健全な一介の男子高校生としての一般的な意見は持ち合わせている次第である。
 だがもちろん、どこぞのアホのように類稀なる積極性などを俺が持とうもんなら、俺という人間を知りうるすべての者に脳の調子を疑われること請け合いであり、また俺がそういうキャラではない事は俺自身がよく理解している。まったく、ここぞという時に行動し辛い損なキャラを持ってしまったもんだ。
 だからといって、間違ってもこの類稀なる積極性を持ったアホを羨ましいなどと思う事は、太陽が西から昇ろうがありえない話なのだが。

「……と思うんだがよ、キョン。お前には解るか?この俺の気持ちがよ」
「谷口、お前のその熱い恋愛論に関して、俺は何一つ文句を言うつもりはない。だがな、あたかも健忘症の老人のごとく同じ事を何度も熱弁するのは勘弁してくれ」
 最近、何やら谷口のハートを鷲掴みにして離さない女が現れたようで、ここ数日のあいだ、谷口はしきりにその子の魅力がどうやら気持ちがどうやらといった事をお経のように俺に吐き続けている。
 まあ、こいつの女に対する執着心は今に始まったことではないが、どうにも今回は本気で好きになったらしく、俺も根気強く聞き役に徹してやっているという訳だ。
「キョン、今回はマジなんだ。お前には涼宮という北高中公認の相手がいるからいいけどよ。俺にはまだいないんだぜ。だから頼む。俺のキューピッドになってくれ」
 ハルヒが何の相手かはしらんが、何だってそのキューピッドが俺なんだ?俺がその手の話で谷口にしてやれるアドバイスなんぞ、朝比奈さんの食欲の数十分の一ほどにも満たない量だと思うんだが。
「してあげなよ、キョン。なんか谷口も珍しくマジみたいだしさ。僕も、まあできる範囲でだったら手伝ってあげてもいいし。もちろん、後でたっぷりとお礼はしてもらうけどね」
 何やら国木田までもが、俺を谷口陣営に引きずり込もうとしている。
「……いや、何というか。俺は、こと恋愛に関しては全く無知だと自負しているんだが。役に立たんと思うぞ」
「何言ってんだよ。そんなことねえよ。お前だから頼んでんだぜ」
 まったく、仕方ねえな。
 俺はスイスのように永世中立国として悠々と傍観していたかったのだが、まあ、数少ないSOS団以外での悪友の頼みだ。深入りしない程度になら、付き合ってやるか。
「解ったよ。俺がそのキューピッドとやらになってやろうじゃないか。ただし期待はするもんじゃないぞ」
 なんせ俺だからな。
「おお、解ってくれたか。ありがとよ。さすが俺のキョンだぜ!」
 そう言うが否や谷口は藪から棒に席を立ち、とっとと教室を出て帰路に付いた。
 どうやら俺は、いつの間にやら谷口の所有物になっていたらしい。自分でも気が付かなかったが、ハルヒがこの事実を認めるかどうかは甚だ疑問だ。
 すまん、ハルヒ。どうやら俺はSOS団である前に、まず谷口家に所属しているらしい。
 俺は、俺を自分の物として考えているアホ面の将来を心配しつつ、毎度の如く文芸部室へと足を進めていた。
 
 
「おや、何だか浮かない顔をしていますね。どうかされましたか?」
 人を心配しているとは思えないほどの笑みを浮かべ、古泉が訊いて来る。
「……まあ、何かあったことにはあったんだが、今回はハルヒを初めSOS団には全く関係のない事だ」
「そうでしょうか。あなたが悩み事を抱えているということ自体が、涼宮さんに影響を及ぼすと思うのですが」
 今、この文芸部室には古泉と長門の姿しか見当たらない。ハルヒは掃除当番、朝比奈さんはもうすぐ受験生という肩書きゆえに、何やら特別授業があるらしい。
 それはともかくだ。
 何だって俺が悩むとハルヒがどうこうって事になるのかが解らん。揃いも揃ってアホばかりか、ここは。日本が平和な証拠だ。
「僕で良ければ相談に乗りましょうか?できうる限りの事はさせて頂きますよ」
「せっかくの申し出だが、今回ばかりはSOS団の出番は無さそうだ。まあ、言ってしまうと谷口の事だからな」
「まあまあ、そう言わずに。差し支えなければ内容をお訊きしたいところです」
 どうなんだろう。これは言ってしまっていいのか悪いのか。いくら相手が谷口といえども、他人の恋愛に関する事を勝手にぺちゃくちゃ喋ってしまうのは、少なからず良い事とは言えないだろう。喋った俺だって後味が良いとは言えんだろうしな。
 だが、そんな善良的な思慮を巡らせていたにも関わらず俺は、
「どうやら、真剣に好きになった子がいるらしい。そこでキューピッド役として俺に白羽の矢が立ったってわけだ」
 気付いた時にはすでに口が滑っていた。
 OK、まずは俺の言い分を聞いてくれ谷口。今のは親友たるお前の恋の行方を心配してるが故の発言であってだな……。
 まあ、ほれ、あれだ。協力者は多い方がいいに決まってる。人海戦術ってやつさ。
「なるほど。確かにそれは、あなたには不向きな役割かもしれませんね」
 もっともその通りなのだが、こいつに言われるのはなぜか無性に腹が立つ。
「まあ、僕も大層な事は言えませんが、僭越ながら協力させて頂きましょう」

 そういうわけで心強いかどうかは解らんが、とにかく俺は協力者を得たことになり、いざ谷口の恋の成就へと不本意ながら第一歩を踏み出した。
  
  
 その翌日。
 俺は谷口の恋愛を多少なりとも気に掛けてやっていたにも関わらず、当の谷口は俺に対する感謝の気持ちなどを微塵も感じさせない様子で、国木田とどうでもいいようなアホ丸出しの雑談を繰り広げている。
 俺は一度乗りかかった船を降りてやろうかという少々の怒りを覚えつつ、怒りで潜在能力が引き出されるという漫画的アニメ的事態にならないかと子供じみた妄想を巡らせていた。
 そんなさなか、
「キョン。早速で申し訳ないんだが、お前に頼みたい事があるんだ」
 それこそ申し訳なさそうには聞こえないトーンで谷口が話しかけてきた。
「その前にだな。お前、俺に対する感謝の気持ちとかそういうものは持ち合わせていないのか?」
「おいおい、何言ってんだ。感謝してるに決まってるじゃねえか。キョンなら、そういうのを態度に出さない方が良かれと思ってのことなんだぜ。何だ?お前、俺がしおらしくでもしといた方がやりやすいってか?それなら、本心を包み隠さず態度に出してやるぞ」
「……いや、やめとく。そのままで頼む」
 そう言われりゃそうかもしれん。つまり朝比奈さんが乗り移ったかのような谷口なんぞ、まず正視に耐えうるシロモノではないだろう。まあ、この谷口がそれほどまでに大人しくなるとはミジンコほども思ってはいないが。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
 その内容如何によっては、やはり俺は船を降りることになるかもしれんぞ。
「ああ、安心してくれ。実に簡単にしてベタだ。お前からその子に、俺の事をどう思ってるかを聞いて欲しいんだ。自然に、それとなくだぞ」
「ちょっと待て。俺はお前の好きな子とやらに直接コンタクトを取らなければならないのか?初対面の人間に対して、それはちょっとできかねん」
「何言ってんだ?俺は昨日、お前だからこそ頼んでると言ったはずだぜ。その子は間違いなく俺よりもお前の方が親しいに決まってんじゃねえか」
 何やら背筋に冷たい物が走る。嫌な予感がしてきた。
「……おい、それって……」
 
「まあ、お前の後釜ってのは気にくわんが、好きになっちまったもんは今さら仕方ねえ」
 俺の後釜? どういうことだ。
 俺が知っている人間で、俺との仲をいわゆる恋人だか何だかの関係にあったことがあると谷口が勘違いしている人物。だがそれは過去形である為、つまりハルヒというわけではない。
 ……まあ、まさかな。ありえんだろ。思い当たる節がないわけではないが、ほとほと予想とは掛け離れて過ぎていて現実感に欠ける。どう考えても谷口が好きになるようなタイプではない。
 それが杞憂に終わってくれることを祈りつつ、俺は今から谷口に決め手となる質問を投げ掛ける。
「……誰だ、それは」
 爛々と目をギラつかせた谷口は、
 
「長門有希さんだ」
 
 俺は盛大に頭を抱えた。
 ……いや、何というか、もうご愁傷様としか言いようがねえ。
 俺はこの暴走男に何を言ってやるべきか適当な台詞を捻り出そうとしたが、差し当たってそんな都合の良い言葉などが俺に思い浮かぶはずがなく、ただ顔を引きつらせこの自信満々のアホ面を眺め続けるほかに道はなかった。
 
 やがてそのアホ面を眺めるのにも飽きてきた頃、俺はようやく口を開くことにした。
「おい谷口。ちっとも笑えんジョークだぞ。それはマジで言ってんのか?」
「大マジだ」
 あの寡黙な宇宙人を、あろうことかこの谷口が好きになってしまうとは。やっぱり日本は平和だ。
「だから、な。頼むよ。それとなく訊き出してくれねえか?」
「谷口……何というかだな、あれだ。長門はやめといた方がいい」
「何でだよ。やっぱ今でもお前とドロドロの関係にあんのか?」
「いや、そういうわけではないが……」
 というか、今であろうが昔であろうが、俺と長門がそういった関係にあったことなど断じてないのだが。
「じゃあいいじゃねえか。任せたぜ、親友!」
 何とも都合の良い親友だ。俺と谷口でさえ親友という関係に当てはまるってんなら、俺と古泉あたりでも親友ということになりかねん。それは勘弁願いたいぜ。
 いや、谷口や古泉ですらそれほどの関係だってんなら、朝比奈さんとは何かもっと深い関係にあったところでなんら不思議ではない。そういうことなら俺は大手を振って歓迎してやるが。
 そんな人類皆兄弟的な思慮を巡らせつつも、俺はひたすらこのアホを諦めさせる手段を捻り出そうとしていた。
 俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、谷口は「結果を楽しみにしてるぜ!」と、のたまいながら足早に教室を出ていってしまった。
 
 やれやれ、どうしたもんか。
 何がどうあろうと無理なもんは無理だぞ、谷口。それが自然の摂理というものだ。
 だが、それを俺はどうやって説明してやればいいってんだ。
 谷口、お前と長門では、例えお前が十万人の束になったところでスペックにマリアナ海溝ほどの開きがある。ってのはどうだ?
 ……いや、駄目だな。たちまち頭を抱えてクエスチョンマークの雪崩が押し寄せてくるに違いない。長門の事情を知っている者以外にしてみれば、全く意味が解らんだろう。なんせ俺自身でも解り辛い説明だからな。
 しかし、まさかよりによって谷口までもがこんな厄介事を俺に突き出してくるとは。谷口の分際で一体どういう見解だ。俺はハルヒに習えなどと言った覚えはないのだが。
 俺は盛大に溜息をつきつつも、不意に出された懸案事項に対処すべく、授業の講義の代わりに谷口の台詞を脳裏でリピートさせていた。
 
 いよいよ脳内が、危うくも谷口色に染まりかけてきた頃、助け舟を出すかのように午前の授業の終了を告げるチャイムが鳴り出す。
 俺は早々に昼食を済ませ、従順にもまず谷口に出された課題を遂行すべく、部室棟へと足を運ぶことにした。
 何というか、見事に谷口に振り回されているのにもかかわらず、とくに抵抗を感じない自分が恐ろしい。ハルヒの洗脳のいかに恐ろしいことか。どこぞの宗教団体の教祖にでもなれるんじゃなかろうか。
 だが、ハルヒに至っては本当になりかねない危険性が大いにありうるので、その事は自分の胸にしまっておくことを決め、とっとと部室を目指す事にした。
 そうして俺は部室前に到着。お決まりの三点リーダでの返事を確信しつつ、扉を軽くノックする。
「…………」
 予想通りの返事に満足しながら、俺は早速扉を開けた。
「よう」
 読書中という姿が見慣れた色白な宇宙人は、一度こちらへ目をやり、再び活字の海に視線を沈める。
「長門、今いいか? ちょっと話があるんだ」
 俺がそう言うと、長門は読みかけのハードカバーをパタリと閉じ、ゆっくりとこちらへ顔を上げる。
「前に映画を撮った時にちらっと出演してもらった、俺のクラスメイトの谷口って奴なんだが……ああ、朝倉に襲われてお前に助けてもらったすぐあとにも、ばったりと出くわしたな。そいつなんだが、覚えてるか?」
 どうにも嫌な事を思い出してしまう。ギラッと光るナイフが脳裏をよぎる。
「記憶している」
「そうか。いや、実はその谷口がだな……お前のことを恋愛的な意味で好きになったと言ってるんだ」
 長門は、五秒ほどじっと俺の目を見据え、
「……そう」
 まるで自分の事を言われているとは思えないほど淡々と答えた。
 
 さて、ここでひとつ俺は確認すべき事がある。こういった長門へのいわゆる愛の告白というやつは、今回が初めてというわけではない。確認というのは、その前回の例を踏まえた上でのものだ。
「なあ、前の中河の時みたく、谷口に妙な力が備わったために好きだと思い込んでるってことはありえないか?」
 そう、あの長門一目惚れ事件を否が応にも思い出させる。
「可能性はある」
 俺としてはそうであることを願うのだが。
「会ってみないことには解らない」
「そうか。じゃあ近いうちに俺のクラスにちょこっと顔出してみるか」
 俺はそう提案してみるが、長門は全くといっていいほど無反応で、ひと時も目を離さずじっと俺を見つめ続ける。
 俺も負けじと見つめ返してやるが、睨めっこに関しては常勝無敗の長門有希に俺が敵うはずもなく、
「……わかったよ。また適当に会える機会を作っておくからさ。そん時に見定めてくれ」
 ついに根負けした俺は、しぶしぶ代案を出すことで手を打った。長門有希侮り難し。
 
 
 そんなこんなで午後の授業も一通り終了し、ようやく放課後に突入。
 俺はハルヒが教室から出て行くのを見計らい、早速あのアホ面に話し掛けることにした。
 そういや、俺は今回の事をハルヒには一切黙っておこうと思っている。なんせあいつのことだ。この事を知ろうもんなら「あのアホが有希を手に入れようなんて百億年早いわ!」などど絶叫しながら、そこがクラスメイト溢れる教室であろうがお構いなしに谷口に掴みかかりかねん。それはそれで谷口に綺麗さっぱり諦めさせてやれるかもしれんが、流石にそんな形での終焉は気の毒すぎる。俺も鬼ではないからな。言わぬが花、だ。
「谷口、さっき長門に伝えたんだが、何か会う機会があってもいいそうだ」
 俺がそう言うや否や谷口は、
「マジか! よし、デートだ!今度の……土曜、土曜日だ!予定を訊いておいてくれ!」
「ま、待て。俺は何も二人でとは……」
「よっしゃあー! 俄然、燃えてきたぜ!」
 俺の言う事など全く耳には入らない様子で、意気揚々と立ち上がって雄叫びを上げている。何やらクラスメイトから哀れみや蔑みの視線が垣間見受けられるが、今は気にしないことにしておこう。
 
 その日は、俺が文芸部室に入るとすでにハルヒが団長席にどっかりと腰を下ろしていたので、SOS団の活動中に谷口の話を切り出すことはできず、つまりいつもどおりのひと時を過ごすこととなった。
 そうして、これまたいつもどおり長門がパタリと本を閉じ、その日の活動の終了を告げる。
 ハルヒの一言でそれぞれが帰り支度を始める中、俺はわざとゆっくりと手を動かし、ハルヒが出て行くのを待つことにした。
 すると期待通りにハルヒは鞄をむんずと掴み、一番に扉を開けて出て行く。わざわざゆっくりするまでもなかったな。
 俺は頃合を見て、
「長門、谷口の事なんだが……」
 長門は動きを止めるが、こちらの方へは向かない。
「……というわけなんだ、すまん。土曜日、何か予定あるか?別になくても、嫌ならいい。谷口には俺からきっちりと断っておくからさ」
 俺は先程の谷口との会話を掻い摘んで説明した。
「ほほう。もうそこまで話が進んでいましたか。非常に積極的な方ですね。あなたにも多少は見習って頂きたいところです」
 余計な横槍を入れるんじゃない古泉。お前、協力するとか言っておきながら、結局何もしてないじゃないか。
 俺があのアホに何を見習うかは知らんが、そんな文句を言う暇があるんなら、多少なりとも俺の気苦労を肩代わりしろってんだ。何なら全面的に交代してやっても一向に構わんぞ。
「ふふ、遠慮しておきましょう」
 古泉は見慣れたあのジェスチャーを見せる。
 何やらお前のせいで話が逸れたじゃないか。やっぱり責任取って俺と代われ。あれだ、意外と楽しいかもしれんぞ。
 どういう責任なんだか自分でもよく解らんが、こんな俺と古泉の寸劇なんざ、蚊に吸われた血の量以上にどうでもいいことなのは確固たる事実であり、俺は気を取り直して話を元に戻すことに決めた。
 
「で、どうだ? 長門」
「構わない」
 ということは、
「土曜日に二人で会ってもいいってことか?」
「そう」
 いま俺は決して、消しゴム貸して、と頼んだわけではない。何だかそれくらい簡単に答えてくれる長門。
 まあ、それこそ長門が難しい顔で唸るなんて光景を目の当たりにしようもんなら、俺はショックでしかるべきところに通院すること請け合いだろうが。
 何やら先程から、朝比奈さんが俺たちのやり取りを驚きの表情で見つめている。そういや言ってなかったっけ。
「ああ、朝比奈さん。つまり……まあ、今の会話のとおりってわけです」
「ふえ……びっくりです。でも、何だか羨ましいなあ。わたしもそんな風に思われてみたいです……」
 何を言ってるんですか、朝比奈さん。俺はいつだってあなたの事を胸に抱いて生きているという事は、例え人類がゴキブリ並にまで退化しようが変わらぬ事実です。
「ようやく僕の出番が訪れたようですね。どこかデートの場所を……」
 古泉が口を挟んだその時だ。
 
 バンッ
 
 傷んだ扉が悲鳴を上げそうな勢いで開いた。
「……どうりで、あんたの様子がおかしいと思ったわ。さあ、キョン。あたしが納得いくまで説明してもらおうじゃないの!」
 ……どうやら、事態はより厄介な方向へと向かうようだ。
 こいつの恐ろしいまでの勘の鋭さをすっかり忘れていた。
 
「こんな大事なことを団長に隠しておくなんて、無礼にも程があるわ!キョン、あんたにはこれから卒業まで毎日、何かしら罰ゲームをさせてあげる。とりあえず話を聞いてる間に半年後までの罰ゲームはもう考えてあるから」
 あらずもがな伝記として残る高校生活になりそうだ。いよいよ俺も有名人か。
 だが、その前にしかるべき救急車両の世話にならないことを祈った方がよさそうだが。
「けど、あのアホが有希を手に入れようなんて百億万年早いわ!猿が人間に告白するようなもんよ。明日会ったらあの出来損ないリーゼントを出来損ないアフロにしてやるんだから!」
 早くも谷口に掴みかからん勢いだ。
「ちょっと待て、ハルヒ。確かにあいつはアホだが、これに関しては真剣なんだ。あいつだってアホなりにだな……」
 これほどまでにアホという単語が飛び交う会話を、漫才以外でかつて聞いたことがあるだろうか。少なくとも俺はない。もしかすると伝記として残るのは谷口の方なのかもしれん。
 とにかく俺は谷口の真剣さをこれでもかと熱弁し、なんとか渋々ながらもハルヒを納得させることに成功した。
 やれやれ、この埋め合わせは後程しっかりとしてもらうからな、谷口。
「安心して、有希。土曜日のデートはあたしがしっかりと見張っててあげるから。あのアホがちょっとでも変な事しようもんなら、あたしがその場で奈落の底に突き落としてあげるわ」
「待て。お前、尾行するつもりか?」
「あたりまえじゃない。有希はおとなしいから、あのアホが何かしようとしてもきっと抵抗できないわ。あんたは有希が心配じゃないの?」
 それこそ長門が本気で抵抗でもしようもんなら、谷口は宇宙の塵と化すことになるだろうが。
「……いや、しかしだな。尾行ってのはあんまり趣味のいいもんではないぞ」
「何言ってんのよ、あんた。これはあんたが持ち込んだ話なんだから、責任取ってあんたも付いて来るのよ!」
 何やら古泉から生温かい視線が寄せられているが、ここは懸命にスルーし、
「何だって俺が付いて――」
「文句はあたしが考えた罰ゲームを全て終えた上での場合のみ受け付けるから!」
 どうやら俺は、廃人と化した後にようやく拒否権を発動できるらしい。
 一度ハルヒが言ってしまえば、テコどころかまず大型タワークレーンであろうとそれを動かすのは不可能であり、心ならずも俺にはハルヒの令に従う以外に選択肢はなかった。
 まったく、とんだ巻き込まれ体質だ。
 
 
 そして運命の土曜日。
 俺は異常気象でスコールにでもなり、このデートが破棄にならないかという慎ましやかな願いを抱いていたのだが、あろうことか皮肉にも空は山の向こうまで青く続いており、とてもじゃないが破棄になりそうな要素は何ひとつ見当たらなかった。
 そして、そんな晴天には似合わず、只今俺とハルヒはそそくさと物陰に隠れて、谷口と長門のデートを見守ろうとしている。
 もう一度言おう。
 "谷口と長門"のデートを見守ろうとしている。
 どう考えても信じ難い組み合わせだが、事実なんだからしょうがない。
 とにかく今は、待ち合わせ場所で微動だにせず長門が谷口を待っているという状況である。
 
「ああもう。遅いわねあのアホ。有希を待たせるなんて資格は、あのアホには死ぬまで発生しないってのが解ってないわね」
「まあそう焦るな。時間まであと十五分あるじゃないか。俺たちが早いだけだ」
 今日一日ずっとこいつをなだめ続けるのかと思うと、とてもじゃないが休日気分にはなれそうもない。月曜日に振り替え休日を申請したいところだ。
 いや、まて。となると、土日のうちのどちらかはまずハルヒによって奪われるわけであり、俺は毎週のように振り替え休日として月曜日を休日にできることになる。だが、それをハルヒがむざむざ見過ごすはずはないだろうから、結局月曜日もハルヒによって強制的に奪われ、次の日の火曜日に俺は……やめだ。これ以上考えると、俺はハルヒ考案の罰ゲームを余すところなく遂行する以前に、都市伝説的な救急車を呼ばれることになりかねん。
「あんた何ぶつぶつ言ってんの。脳が収縮してきたんなら救急車呼んであげるわよ」
 そらみろ。
 そんな愚にも付かない堂々巡りで時間を潰すこと約五分。
 見慣れたガニ股のアホそうな男子高校生が長門に近づいていくのが見えた。
「お、谷口が来たみたいだ」
「こうして見ると、ほんっとにアホ以外の何者でもなさそうね。谷口って」
 何やらさっきから酷い言いようだ。内容に関しては俺も概ね同意だが、どうにも言い方が問題だな。
「ぶつぶつ言ってないで、見失ったら定年退職まで毎日罰ゲームだから」
 どうやら、やはり伝記に残るのは俺で間違いないようだ。
 そうして有名人の地位を約束された俺は、盛大に溜息をつきつつも谷口と長門のやり取りに耳を傾ける。
 
「なな長門さん!まま待たせてしまったようで……も、申し訳ないっ!」
「いい」
「こここの度は、わ……わわたくしめの誘いに……」
 おいおい、緊張しすぎだ。何だかこっちまで緊張してしまうだろうが。
「……ふう」
 ゆっくりと深呼吸をする谷口。
 一方長門はといえば、いつもと何ひとつ変わらぬ様子で、じっとそんな谷口を見ている。
「時間もちょうど昼時だし……ちゅ、昼食に行きませんか!?」
 何かを決意したように谷口は切り出す。
 俺にしてみれば今長門が頷いたように見えたのだが、おそらく谷口には解っていない。
「……え、えーと。昼食でいいのかな?」
 やはり解っていないようだ。
 そりゃそうだろう。俺だって長門の表情を読めるレベルに到達するまでに、かなりの経験値を積んだからな。
「すっげえうまい創作料理の店があるんです!案内します!」
 おそらく必死で調べ上げたに違いない。実に良い心掛けだが、この女に対する情熱を何かもっと別の物にも注げないだろうか。
「…………」
 相変わらず無言の長門。それを受けて何だか谷口は気まずそうな雰囲気だ。
 安心しろ谷口。長門はそれがデフォルトであり、決してお前を嫌っているというわけではない、と思う。
 
「やっと移動するようね。さ、あたしたちも行くわよ」
 とにかく谷口長門組が動き出したので、俺とハルヒもそろっと後を付けていく。
 どうでもいいが、声がでかいのはどうかと思うぞハルヒ。
「……うるさいわね。ばれなきゃいいのよばれなきゃ」
 寡黙なカップルをつける饒舌なカップル。
 何だか妙な図式が出来上がっているが、これに意味などというものは皆無である。
 ちなみに、饒舌なカップルといっても、俺とハルヒが文字通りカップルというわけではないので、あしからず。
「あたしたちも入るわよ」
 寡黙カップルが店に入ったのを見て、俺たちもそのあとに続く。何やら小洒落た店だ。
「あのアホにこんな店は似合わないわね」
 それに関しては俺も同意だ。
 そうして谷口長門が席に着いたのを見計らい、俺たちもある程度の距離を置いて席を陣取る。
 
 
「俺はランチセットだな。長門さんはもう決まりました?」
 早くも谷口は緊張が解けてきているようで、声のトーンが割と落ち着き出している。四六時中、女に関する妄想を繰り広げているだけのことはあるな。
 長門は、いつもの如く本を読み終えた時のようにパタリとメニューを閉じ、顔を上げ谷口に視線をやる。
 俺はそれがYESの合図だとすぐさま理解したが、谷口はしばらくオドオドと視線を泳がせ、やがて長門の意思を理解したのか手を上げて店員を呼ぶ。
「い、いやあ、俺こないだドジやっちまってさあ……」
 料理到着までの間、谷口はここぞとばかりにオモシロエピソードを並べ長門を笑わせようとしているようだが、俺ですら今だ到達していない長門の領域に谷口が踏み込めるはずがなく、虚しくも谷口のアホっぽい声だけが店内にこだまするのが何か悲しい。
 
「あたし決まったから店員呼ぶわよ。あんた決まってないんなら、店員が来るまでに決めときなさい」
 何というか、ことごとく何から何まで相反する二組だ。
 ハルヒは俺に構わず勝手に店員を呼び、それを受けて俺もメニューの決定を余儀なくされる。
 やがて両カップル共に料理が到着し、それぞれがそれぞれなりのランチライムを満喫することとなった。
 ふとあちらへ目をやると、相変わらず長門が凄まじい勢いで箸を進めている。谷口が呆然としているのも無理はない。
 かといって、こっちはこっちでハルヒががつがつと大盛りのライスを伴ったセットを平らげているのは、この際気にしないことにしよう。
 どうやらこの二組に共通点を見つけたようだ。まこと意味の無いどうでもいいような、むしろカップルとしてはマイナス方向かと思われる共通点だが。
「駄目ね谷口。全く有希を楽しませてあげられてないわ」
 目の前に出された幾つかの皿を綺麗に空にし、ハルヒは呆れたように言う。
「長門はあれが普段通りなんだから仕方ないだろ」
 
 
 こうして、思い当たる限り共通点はひとつである二組は、お互いに昼食を終え、お互いに会計をすませ店を出る。
 さて、次はどこへ行くのやらと思いを馳せていると、
「長門さん、ひとつ訊いていいかな?」
 長門は顔を前へ向けたままピタリと立ち止まる。
「その……何で制服なんですか?」
 まあ、長門と面識のない人間にしてみれば、もっともな質問だろう。なんせ俺にだって説明しかねるからな。多分、ただ単に服を持っていないだけだとも思うが。
 長門はその質問に対しても無言を通し、再び前へと足を進める。
 そんな長門の反応を悪い方向に受け取ったのか谷口は、
「すすすいません!変なこと訊いちゃって。そうだよな、人にはそれぞれ事情ってもんがあるよな。うん、そうだ」
 長門の気を悪くしたと思ったのか、谷口はガックリと肩を落とす。
 だが、谷口は必死に気を取り直そうと、
「よ、よし、長門さん!俺が服をプレゼントしましょう!」
 
 そんなこんなで俺たちは今、デパートのレディースフロアで万引きでもしかねない不審者の如く立ち振る舞いで、ひっそりと一組のカップルを見守っている。
「有希に服を買ってあげるのは感心だけど、あの谷口のセンスなんて全く信用に足りるもんじゃないわね」
「まあ、あれだ。芸術的なセンスがある奴ってのは大抵どこか頭のネジがおかしいのが多いじゃないか。もしかするとあいつも例外ではないのかもしれんぞ」
 そう言いつつも、谷口に限ってまずそんなことなどありえないのが現実というものだ。
 だが、谷口は長門の性格を考慮しているのか、先程から割とおとなしめで地味過ぎない服を選んでいるあたり、人並み程度のセンスは持ち合わせているようである。
 
 
「これなんてどうです、長門さん!」
 谷口に目を向けたまま、相変わらず無反応の長門。谷口はそれをNOだと受け取ったのか、
「……駄目か。お、じゃあこれはどうだ!うん、似合うと思いますよ!」
 幾度となくそんなやり取りを繰り返していくうちに、谷口は再び肩を落としていく。
 ついに長門が満足する服を見つけられなかったと思ったのか、谷口はぐったりとしょぼくれて足を引きずるようにデパートを出て行った。何だか可哀想になってきた。
 いつの間にやらロミオとジュリエットを凌ぐ勢いの悲劇になりつつあるデートも、いよいよ終劇を迎えるべく谷口がラストシーンの台詞を吐く。
「今日は……もう帰ります。サンキュー長門さん。俺、すごく嬉しかったです」
 健気にも谷口は、終始ほぼ無言だった長門に礼の言葉を掛ける。
「そう」
 かくして一部の人間に涙を呼んだ悲劇の物語は、今幕を閉じることとなった。
 谷口、明日ジュース奢ってやるからな。
 まあ、長門にはこれっぽっちも悪気はないということだけ理解してやってくれ。もう一度言うが、長門はこれがデフォルトなんだ。
 俺は心の中で谷口を慰めつつ、谷口長門が別れるのを切ない気持ちで見送った後、ハルヒともども帰路に付くことにした。
 
 
 そして翌日。
 予想通り、普段のアホ丸出しのテンションは影を潜め、谷口は先程からしきりに溜息をついている。
 そして昼休み、ハルヒが教室を出るのを見届けてから、俺はそんな谷口に声を掛けてやることにした。
「よう、昨日はどうだったんだ?」
「……駄目だ、キョン。俺は長門さんにちっとも気に入られなかったようだぜ……」
「谷口、もしそれが全く喋らなかったからだとか笑わなかったからだという理由なら、落ち込む必要はない。あいつはいつだってそうだからな。もちろん俺に対してもハルヒに対しても、だ」
「そうなのか?」
「ああ。嘘偽り無く、そうだ」
 まあ、俺に対しての方が少しばかり言葉が多いと思ってはいるが。そこは嘘も方便ってやつだ。
「じゃあ、まだ望みは絶たれたわけじゃないと思っていいんだな?」
 それはどうかは解らんが、
「たぶんな」
 一応希望を持たせてやることにしよう。
 何とも無責任だが、まあ、長門も嫌いというわけではないだろう。
 多少の嘘も織り交ぜつつ何とか谷口を立ち直らせた俺は、弁当をかき込んだあと、早速あの結果を確認すべく部室棟へと足を向かわせる。
 
「よう」
 いつも通り、長門は俺の方にふと目をやってから、また手元のハードカバーへと視線を戻す。
「早速だが、どうだった長門?谷口に妙な力は感じられたか?」
 そう、これの結果によっては、俺の谷口への対応も変わってくるからな。
「特に、一般の有機生命体に逸脱した能力は見受けられなかった」
 そうか、ということは、
「谷口は本当にお前が好きなんだな」
 長門は何も言わず、黙々と活字の海に視線を浸らせている。
「長門、谷口のことをどう思う?」
「おもしろい人」
 何だか以前も聞いたことのある台詞だな。
「付き合ってもいいと思うか?」
 ここで長門が肯定でもしようもんなら、俺はどういった行動に出るのだろうか。
 昨日の悲劇たるやまさしくロミオ・アンド・ジュリエット級なデートを目の当たりにする以前であれば、俺は間違いなく谷口の危険性やらアホさ加減を声を大にして熱弁していたことだろう。
 だが、今の俺は多少なりとも谷口に同情の念を抱いている。それは紛れもない事実だ。
 かといって、長門と谷口がいわゆる恋人同士などというものになるのは、やっぱり何だか釈然としない。
「人間の言葉で言う交際というものを、わたしがすることはできない」
「何でだ?」
「わたしの任務に支障が出ると推測される」
 まあ、お前がそう言うならそういう事にしておくよ。
「そうか。じゃあ、やめた方がいいな」
「いい」
 だが、やはり俺は、長門にこの質問を投げ掛けられずにはいられない。
 今回の告白は間違いではなかった。
 それを受けて、この長門有希はどう感じたのだろう。
 以前と似た質問を、俺はそっと投げ掛けてみる。
「嬉しいと思わなかったか?」
 あの時よりもさらに、こいつの内面の振り子は大きく揺れているのだろうか。
 
「今回は間違いじゃない。本当にお前を好きだと言ってくれるやつが現れて、嬉しいと思わなかったか?」
 長門はページをめくる手を止め、しばらく微動だにしない。
 やがてゆっくりと、だがはっきりと、その言葉が俺に届けられた。
 
 
「……わりと」
 
 
 長門、お前は気付いているか?お前にとってのその言葉の意味を。
 わりと。
 前回俺が聞いた答えは「少しだけ」だった。
 それが文字通りの意味を表しているのだとすれば、間違いなく前回より大きく感情が揺れている。
 いや、俺の記憶が正しければ、長門が俺に文字通りの意味ではない言葉を掛けたことなど、いまだかつてない。
 きっと、その通りの意味なんだろう。
 長門は、ほんの少しずつだが今も確実に感情を育み続けている。
 
 お前の笑顔が見られる日も、そう遠くはないのかもしれないな。
 
 
 ――そうだろ、長門?
 
 
 そのページをめくる白い手が、俺はいつもより少しだけ小さく見えた。
 

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