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俺の名前は岡部。下の名前は…名乗るほどのものでもあるまい。
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俺が少し前、とある高校で教師をしていた頃の話をしよう。
その頃俺は、その学校でハンドボール部の顧問をしていた。
まさに順風満帆な教師生活…だと思っていた。
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…そう、あの日までは。
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それは、確かあの学校に赴任して暫くしたとある秋のことだ。
その日、俺はいつものように部員へのプリントをパソコンで作成していた。
と、その時。
ピロリリリリリ…
聞きなれない音と共に、「新着メールあり」と言う表示が。
俺にメール?一体誰が…
見ると添付こそあるものの差出人表記がない。
俺は無意識にそのメールを開いていた。
そこにはこう書かれていた。
「一週間後の午後3時、お前の勤めている高校にこの写真をばらまく。
阻止したくば50万円用意せよ。」
どういうことだ?
一週間後?
写真?
ばらまく?
50万?
俺は恐る恐る添付された写真を開いた…
「…!?」
そこに写っていたのは…
俺と思しき男。
そしてうちの高校の制服を着た女性。たしかうちのクラスにこんなのが居た気がする。
その2人が抱き合っている…
そう、俗に言う「存在しないはずの」援助なんたら、の写真だった。
新手のサギか、はたまたこういうことをするプログループがいるのか…。
教育委員会にその手の注意を喚起する情報は出回っていない。
もちろん朝のニュースでもこういった事件が取りざたされた覚えはない。
俺だけを初めから狙っているのか?
俺は独身だから、身内を間接的に狙ってというのは考えにくい。
50万か。用意できない額じゃない。
あっさり払ってしまうこともできるが、
それでこの要求主が引き下がるかどうかは怪しいものだ。
「岡部先生?どうされました」
数学の吉崎先生だった。
「あ、いえ。何でもないですよ」
「何だかぼーっとしていましたよ。会議中なんですからしっかりしてください」
確かに考え事に没頭していて、会議中なんてことはすっかり忘れてしまっていた。
体育教師は目下体育祭の実行に向けて率先して仕事をしなければならない。
一週間後には体育祭はもう目の前で、脅迫の件をを早く片付けないことには
日常生活にも支障をきたす。
真っ先に考えたのは警察に相談することだ。
だが、信じてもらえるだろうか。援助交際などしていない、と言って。
これだけ事件が起きている現代日本において、
一高校教師の言い分にはどれだけの信憑性があるだろう。
落ち着かぬままに一夜が明ける―。
起きだして携帯で時間を確認する。
新着メール―。
「一週間の間うかうかしていられると思うな」
それだけだった。他には何も書いていない。
俺は登校時車の中で考えていた。
俺に恨みを持つような人物がこれまでにいただろうか。
自慢できるところがあるとすれば、俺は根っからの体育会系であるということだ。
これまで人に嫌われたことはない。と少なくとも俺自身は思っている。
HR。
俺はいつも通り挨拶して教室に入り生徒を着席させる。
だが何か違和感を感じる。生徒達がひそひそ話を止めない。
「どうした?さぁ、ホームルームだ」
ホームルーム中もちらほらと噂話のようなひそひそ声が聴こえた。
一体どうした。俺を見ているのは何故だ。
思い当たることはひとつしかない。
あの脅迫メール。
うかうかしていられると思うな
何かが起きている。
直感でしかないが、この噂話は俺についてのものだ。
「さぁ、一時間目の準備をしろ」
気付かない素振りはうまく行っただろうか。
俺は教室を出た―。

「キョン、岡部何か変じゃなかった?」
「噂を聞いてないのかお前は」
「噂?」
「あいつか援助交際したとかって噂が流れてる」
「岡部が援交!?」
「お前はどう思う」
「ありえないわねそんなの。あいつはそんなことできるほど図々しくないわ」
「お前に言われたくはないと思うぞ…まぁ俺も同意見ではあるが」

古泉一樹はその頃1年9組で携帯電話を見ていた。
携帯には『機関』からの指示メールが表示されている。
彼はぱたんと携帯を閉じた。席を立つ。
「古泉君、どこに行くの?」
クラスメートの一人が訊く。
「一時間目は欠席します。体調が悪いのでね。
 吉崎先生に伝えておいてもらえますか」
そう言うなり彼は9組を出た。どことなく表情が曇っているように見える。
一樹は保健室へは向かわず、生徒会資料室に入る。
そこには誰もいない―と思われたが、
一人だけ窓辺でうつむいている女子生徒がいる。
ウェーブのかかった鮮やかで長い髪、彼女は喜緑江美里。
情報統合思念体穏健派のヒューマノイドインターフェース。
「話があると伺いましたが」
一樹は慎重に言った。彼の物腰は落ち着いているが、
それでいて警戒していることをはっきりと示すような空気がある。
「噂はご存知ですか」
江美里はため息のついでのように言った。
「岡部教諭のですか」
「ええ」
「聞いてはいますが、それに何か関わりが?」
「分離派」
江美里は物憂げに言う。続けて、
「統合思念体には少数ですが分離派と言う勢力があります」
一樹は黙っている。軽く頷いて先をうながす。
「その分離派がこの北高にインターフェースを置こうとしています。
 思念体のインターフェースは女性が基本ですが、
 男性型を作れないこともありません」
「岡部教諭のポストにその分離派インターフェースを置こうとしている」
一樹が引き取るように言った。
「えぇ。彼の元に脅迫メールが届いています」
「そうなんですか?」
「はい。一応お金を請求していますが、本当の狙いはそこではありません」
江美里は一樹のほうを見た。物憂げな表情はそのままに。
「教師としてインターフェースを涼宮ハルヒのクラスに置き、
 他派閥に対し優位を築こうとする。これが本当の狙いです」
「なるほど」
「穏健派はあなた方機関の手を借りたいと考えています」
「用件は承知しました。あとは我々のほうでも話し合いをしますから。
 追って連絡します」
一樹は資料室を出た。表情はまだ険しかった。
江美里も同様にため息を吐いた。

生徒の間で俺についての噂が広まり始めた。
二日目―、今日もメールが来ていた。
「お前をひきずり下ろすことは簡単だ」
悪質だな。北高に何らかのコネクションがあると言うことか。
思っていたより事態は深刻のようだ。
俺だけが迷惑を被るならばまだいい。
だが学校全体に影響を及ぼし、生徒を不安にするような奴を許すことはできん。
とはいえどうすればいい。
なおのこと警察に相談するのは困難に思われた。
傍目に見れば援助交際をして写真を撮られ、その噂が広まった体育教師が俺だ。
そんな奴の言うことを信じるとは到底思えない。
しかし何かアクションを起こさねば事態は悪化の一途をたどるだろう。
50万を振り込むという選択肢は俺の頭にはなかった。
そんなことはこいつらの狙いじゃない。俺は勘には自信があるんでな。
問題は犯人に心当たりがまったくない、というところにある。
これでは動きようがない。待機はもっとも嫌いなことだ。
大学時代を思い出す―。
俺は2年で、レギュラーの座を狙っていた。
ギリギリベンチスタートというのが当時の俺で、始まりにはいつだって待機が命じられた。
俺があそこにいないのは何故なんだ?
走り回りたかった、あのコートを。
―そうだ、あの時のような気持ちだ。
もどかしいんだ俺は。
体育教師になったのは身体を動かすのが好きだったからだ。
それなのにここでじっとしてなきゃならんのか?
認めんぞそんなもんは。当たって砕けるのがハンドボール魂だ。
続けていればいつか大きく跳んで、ゴールにシュートが届く。
俺は放課後生徒に話を訊こうとした。
早々に教室を離れるものや、話を聞いてくれないものが大半だった。
教室の窓際後方、しょっちゅう前後で会話している二人組に話す。
「お前ら、俺について流れている噂のことを聞かせてくれないか」
「…。キョン、あんたが言いなさいよ」
「俺がかよ!ずるいぞハルヒ、いつも俺はこんな役回りか…」
「さぁ、話してくれ」
「分かりました。岡部先生。
 先生がこのクラスの生徒と援助交際しているという噂が広まっています」
やっぱりか…。大した驚きはない。
「それでクラスの雰囲気が妙だったんだな」
「えぇ、たぶんね」
「お前達はどう思った?噂は本当だと思ったか」
「いいえ、こいつも同意見ですよきっと。そうだろハルヒ?」
「まぁね、そんなことできるタマじゃないでしょ」
本人を前にずかずかと物を言うのがこの涼宮ハルヒという生徒だった。
俺が今まで受け持った生徒の中でも極めて異彩を放っている。
「確かに俺はそんなことしていない。どこかに噂の出所がある。
 お前達、心当たりはないか?」
この二人は一瞬目を見交わしてから首を振った。
「そうか。何かまた聞いたことがあったら言ってくれると嬉しい」
俺は教室を出た―。

「キョン、何か事件の臭いがするわ」
「またかよ、お前はあの孤島で満足してたんじゃないのか」
「たったひとつの事件を解決したくらいでつけあがってちゃダメなのだよ、ワトソン君」
「始まったか…やれやれ」

文芸部部室―。唯一の部員、長門有希は窓辺で小説を読んでいた。
窓は開いていて、レースのカーテンがはためく。
彼女以外誰もいなかった教室に、二人目の人物がやって来た。
古泉一樹である。昨日とは違い柔和な微笑を浮かべている。
彼は鞄を机に置き、つかつかと歩み寄って窓際の壁に寄りかかり、腕を組んだ。
「どういう状況ですか」
一樹は有希の方を見ずに言った。
「主流派は分離派の説得を開始している。成功する見込みは低い」
「そうですか」
しばしの沈黙。風が吹き抜ける。
二人の髪が揺れる。
「分離派は我々にとって常時内包するバグのひとつ。抹消は困難」
有希も小説を読むことを止めない。表情もまったく変えない。
「我々も学内調査を開始しました。
 疑わしい人物のリストアップの最中です」
「そう」
風は吹き続ける。陽光は高い。

三日目―。今日も日課のように携帯を見る。
「一週間はかからないかもしれない、楽しみにしていろ」
この状況をこいつは面白く思っているということか。
多くの人の平和に軽々と侵入し、かき乱す。
許せんな。俺は勧善懲悪な主義を持っているところがある。
体育祭の準備が忙しくなってきた。
通年ならば高校の体育祭は俺がもっとも心躍るイベントであり、
それは体育教師になって何年も経つ今でも変わっていない。
体育祭に余計ないざこざを持ち込む気は毛頭ない。
その頃には全てに片をつける。
気勢を上げても現状が善い方へ向かっているとは思えなかった。
噂は他学年にまで広まりだしたようで、同僚や教頭、さらには校長の
耳に届くのはもはや時間の問題であるように思える。

「朝比奈さん、体育祭では何に出るんですか?」
「えへへ…私はムカデ競争と、借り物競争と、リレーに」
「競争物ばっかりじゃないですか」
「はい…何だか気付いたらそうなっていて…」
「皆!聞きなさい!わがSOS団は部活動対抗リレーに出るわよ!!」
「何だって!?ハルヒ、お前とうとう気が狂ったのか」
「あたしはいつだって正気よ、さぁ、さっそく走者順を決めるわ!」
「またアミダクジかよ…」

―インターフェースを特定。現在事務室にて勤務中。
 最小限の情報操作によって担任教師の座を奪う期を窺っている。
―容疑者リストアップ。学校関係者。現在非教員。
 教職以外で北高に接触できる人物。

四日目。曇り。ニュースでは午後から雨。
進展を見ない現状をどうにもできないのだろうか。
今日あたり全校の人間が噂を知っていてもおかしくはない。
俺に恐怖はない。自分の行き方に後悔もないからだ。
だがこのままなすすべなく教師を追われるのは願い下げだ。
そんなことになるなら自分から辞めようじゃないか。
だがまだ諦めない。
シュートすら打っていない。
俺はいつかのようにベンチに待機したままだ。
登校すると案の定周りの同僚が俺を白い目で見始めた。
隣の机の吉崎先生は終始こちらに背を向けていた。
授業が始まる―。

―誰もいない廊下を二人の生徒が走っていた。
体育祭の全校合同練習。現在全ての生徒が体育館に行っている。
外は雨が降り、暑かった日々をつかの間冷やす。
生徒たちはある部屋の前で立ち止まる。
「ここですか」
「そう」
「…鍵がかかっていますね」
「これは情報封鎖。プログラムをデコード、解除コード申請」
ドアには何の反応もないが、それで十分だったらしく、
「解除完了。侵入する」
長門有希は古泉一樹の手首をつかみ、空いた手でドアを押さえる。
掌が溶け出したようにドアと一体化し、二人の生徒はやがて吸い込まれて中に消えた。

俺は虚ろな気持ちでいた。学校にいるものはほぼ全員が今この場にいる。
この中に噂を流し、俺に脅迫状を送りつけた奴がいるのだろうか。
生徒だとは思いたくない。クラスだけじゃなく、学校全体でもそんなのはあってほしくない。
今日のメールはこうだった。
「決着だ。思ったより早かった。たわいない」
決着だと?俺はまだコートにすら入ってないぜ。
勝手に勝負を終わらせるな。ボールすら握ってないんだ。
体育館では現在ムカデ競争の予行が行われている。
小柄な二年生の女子生徒が足を引っ張っているようだが…頑張れ。
君が回りを困らせているんじゃない。
君が頑張ることでようやく皆が動けるんだ。君は必要な存在だ。
いつかの練習中にそんなことを言われた。
もう具体的な学年は思い出せないが。
「岡部先生、校長がお呼びです」
来たか。何を言われるのだろうか。
俺の首が飛ぼうが、そんなのは構わない。
だが学内の晴天を雨にした奴の存在が心残りだ。
戦わずに試合が終わるのか?
何もしないで終わったことなど俺のスポーツ史にない。人生史にもない。
戦うことが俺の白星だった。
例え試合に負けようと、その試合に参加できれば俺は満足なんだ。
悔いは残らないからな。
悔いを残さない。
俺は体育館を出た。

「この部屋は何なんですか?」
「空間を拡大させた異次元。情報統合思念体分離派が作り出した」
「いつからあったんです?」
「わからない。分離派は他派の監視の目を欺いた。
 岡部教師のポストに自派のインターフェースを置いて、
 涼宮ハルヒの起こす情報を解析する。
 でもそれは危険。我々は彼女に近付きすぎてはならない」
「長門さん、あなたは…」
長門有希はその問いには答えず、真っすぐ前を見た。
古泉一樹もすぐにそちらを見る。
「ふふふ。そうか。気付かれてしまったか。
 君たちは優秀だねぇ。だが残念だねぇ。
 その功績を称えてくれるものもいなければ、祝福を受けることも
 君たちはもう出来ないんだ。
 何故なら、ここに君たちは永遠に閉じ込められるからだ!ははははは!」
中年の男。どこにでもいそうな人相風体。
だらりと顔を下げ、両手から光を発する。
直後に長門有希は二人の前にシールドを展開する。
無数の光弾がシールドに当たり、しかしシールドには傷ひとつつかない。
「ここではあなたの力が使えるはず。
 わたしが奴の相手をする。機を見てあなたがとどめを刺して」
「了解しました」
一樹はどこか強張ったような表情だった。
統合思念体のインターフェース同士の戦いに立ち会うのは初めてだったのだろう。
会話中にも攻防は展開する。
有希がシールドの規模を半分に縮小し、片手で巨大な銃器のようなものを作り出して
レーザー光線を放つ。敵は即座に反応し、同じく半分をシールドに変える。
実力均衡。
両者まったく引かない攻防が一分ほど続く。
「優秀」
有希はつぶやいた。一樹は視線を敵から離すわけには行かない。
かつ手に意識を集中する。赤い光がそこへ集まっていく。
「ラチが明かんなぁ?え?これでどうだ?」
照明が急速に落ちる。暗闇。光りだけが弾け飛ぶ。
戦況はそれまでと変わっていないが、視界はブラックアウトする。
「どうだ?そこの超能力者、貴様はなにも出来ないだろう?」
そうではなかった。敵が言った直後に赤い光の炸裂があった。
バシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
部屋の明かりが元に戻る。
中年男は倒れている。
「終わりましたか?」
「まだ。数分で元通りに回復する。アンチコードを送り込む」
有希はさっと近付いて右手を男の首筋に突いた。
「が…貴様ら…。く…」
「統合思念体分離派との接続機能を破壊する…完了。
 情報結合解除を開始する…」
その時だった。男は信じられないほどの跳躍力でドアに跳び、
次の瞬間には逃走していた。
「待て!」
二人は駆け出す。
「奴には今並の人間をわずかに上回る運動性能しかない。
 慌てずとも捕獲は容易―」

自分から辞表を提出する。
どうにもならないのならそれが俺の出来る最善の処置。
だが、いいのか?それで。
コートの場所が分からず、会場にすら辿り着いているか定かでない。
それなのにもうボールを握らないのか?
体育教官室で俺は鞄からあるものを取り出した。
ハンドボール―。
手にしっくりと馴染む。当たりまえだ。
何年これを追いかけたと思ってるんだ。
いつだって全力だった。
あの時の空は晴れ渡っていた。
後悔しない―。
俺はボールを持ったまま校長室に向かう。
誰もいない廊下を歩いていく。
右手に力がこもる。
そうだ。
俺は今でもハンドボールが好きだ。
そして身体を動かすことが好きだ。
同じようにスポーツに打ち込む生徒達が好きだ。
迷いはないじゃないか。
生徒達のためだ。

ふいに足音が聞こえた。走っている。
急速にこちらに近付いてくる。
誰だろう。こんな時に。
「泥棒です!岡部先生!」
直後に中年の男が現れた。
俺は何かを感じ取る。
―こいつだ。
迷いは毛ほどもなかった。
俺は左足から踏み出す。
1。
右足に体重を移し大きく前進する。
2。
最後に左足に全ての勢いと全体重をかける。
3。
跳躍。
俺は何か不思議な光景を見た。
今よりずっと若かった頃。
俺はこんな風に跳んでいた。
そう、ゴールが見えるのはほんの一瞬。
狙う隙間はわずか。
今だって見える。
そこだ!!!!!!!!!

ずどん!
―。

五日目。
メールは来ない。
何も変わらない日常が、妙に懐かしい。
「よし、ホームルームをはじめるぞ!」
そうだ。俺はここが好きだ。
生徒達が好きだ。
そして
ハンドボールが、好きだ。

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