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        新章:reason

長門のマンション前まで到着した車から降りたとき、森さんは「何か進展があったら連絡する」と言う旨の言葉を残して去っていった。
進展……進展ねぇ。どういうわけか、厄介事の神様は俺のことが大好きらしい。何か進展があるとすれば、それは俺の身の回りで起こりそうだと妙な確信がある。

……いやな確信だ。

高校に入学してからの俺は、貧乏神と死神がダース単位で取り憑いているとしか思えない。その死神と貧乏神をまとめ上げているのが誰かなんて、考えたくもない。
はぁっ、とため息が漏れる。ため息を吐くと幸せが逃げるというが、俺の幸せなんて遙か宇宙の彼方だ。今更逃げる幸せもあるまい。
長門のマンションへ向かう前に、せめて冷たいものでも口に入れて頭を冷やそうと考えた。が、財布の中はカラッポだ。喜緑さんから借りた千円も、昼飯で底を突きかけている。ジュース一本くらいなら買えるが、それで尽きてしまっては、帰りの足代が困ったことになりそうだ。
仕方なくコンビニに向かって金を下ろしてジュースの一本を買って後にしたところ、意外な人物と遭遇した。

「こんなところで何をやってるんだ、阪中」

別に驚かすつもりはなかったが、不意打ちで声をかけられたせいか、阪中は飛び上がらんばかりに「ひゃっ」などと悲鳴を上げた。おいおい勘弁してくれ。薄暗い時間帯にそんな声を出されたら、俺が変質者に思われるじゃないか。

「もぉ、びっくりした。驚かさないでほしいの。急に声かけるなんて」
「いや、そっちの驚き方が異常だろ。阪中の家、この辺りじゃないよな。何やってんだ?」
「そうそう、あたし見ちゃったの。さっきのことなのね。でもあれ、間違いないと思うの」

だから何を? また幽霊とか言い出すんじゃないだろうな。

「違うの。生きてる人は幽霊って言わないと思うのね」
「そりゃそうだ」

そもそも阪中は話し下手なヤツだったな。こんなところで話しかけて、無駄に時間を費やしている暇は俺にはないんだ。自分から話しかけた手前、こっちから話を切るのも悪い。飲んでるジュースがなくなったら適当な理由をつけておいとましよう。

「あのね、あたしが見たのは朝倉さん」
「ぶっ! げほっ、ごほっ……」

あ、あぶねぇ。危うく鼻からジュースが吹き出すところだった。
何を見たって? 朝倉だと!?

「ちょっ、大丈夫なの?」
「どこで見た」
「へ?」
「朝倉だ。いつどこで見た!?」
「どこって……三十分くらい前かなぁ。ちょこっとしか見てないから人違いかもしれないけど、商店街を歩いてるとこを見かけたの。でも朝倉さんぽかったのね。別人かな?」

三十分も前か。それだと、今から駆けつけたところで影すら見つけられそうにない。学校からいなくなったと思ったら、こんなところをうろついて……るわけがない。
阪中は朝倉を見たと言っている。ミヨキチじゃなくて『朝倉』の方だ。こいつはミヨキチのことなんてまったく知らないわけだから、見たのは『長門に消された朝倉の姿』ってことになる。存在しないはずの朝倉だ。
冗談じゃない。それこそまさに幽霊じゃないか。ルソーに取り憑いた謎の宇宙情報体どころの話じゃないぞ。

「それは間違いなく朝倉か?」
「そこまで言われると自信なくすのね。でも、朝倉さんぽかったかな」

情報が曖昧だな。おまけに三十分も前の話となれば、捜し出すのは不可能だ。本音で言えば一か八かで駆けだして捜し出したいところだが、そもそも俺は長門に呼ばれていた。こんなところで油を売ってる場合じゃなかったな。

「朝倉はカナダに引っ越したんだろ? 商店街をほっつき歩いてるわけないさ」
「うーん、そうかなぁ。すっごい朝倉さんぽかったの」

おまえは朝倉を見たのか見てないのか、そろそろ意見を統一してくれ。

「一緒に捜してみる?」
「遠慮しとくよ。これから用があるんでね。おまえも早く帰ってルソーの散歩に行ってやれよ」

思わぬ所でさらに混乱させるような情報を提供してくれた阪中と別れ、俺はようやく長門のマンションにやってきた。何時でもいい、って話だがさすがに遅くなりすぎたな。
玄関口で708号室を呼び出す。そういえば、こうやって呼び鈴を鳴らすのは数え切れないくらいだが、長門の方から呼ばれてナンバーを押すのは初めてかもしれん。

『はい?』
「俺だ……て?」

もの凄い違和感を覚えた。流れ作業のように名乗ったが、その前にその……インターフォン越しに反応があったぞ。

「えーっと……長門さんのお宅でしょうか?」

押した部屋番号は紛れもなく708号室なのだが、それでもインターフォン越しに聞いてみなければ信用できない。何しろ反応があったんだぜ? 驚天動地とはまさにこのことさ。

『ああ……どうぞ、お入り下さい』

俺の動揺で、何か知らんが納得された。カチッと言う音に合わせて自動ドアが開き、マンション内に足を踏み入れる。戸惑いがまったくないわけではないが、あの声はどこかで聞いた覚えのある声だ。無論、長門ではない。
だったら誰なんだってことになるが、その正体は──なんて、意味ありげに引っ張るまでもないか。708号室の扉を開けて顔を出したのは、喜緑江美里さんだった。

「なんで喜緑さんがここに?」
「お留守番です。どうぞ」

促されるまま部屋の中に入る俺だが、頭の中にはハテナマークがいくつも浮かんでいる。喜緑さんが長門の部屋にいることはもちろん、そこで留守番をしていることに驚き、俺を呼び出した長門が不在ということに驚いた。
ここ最近になってようやく生活感が出てきたリビングは、それでも殺風景だ。テレビのひとつでもあれば暇つぶしにもなるんだが、何もない。あれこれ喜緑さんに聞きたいところだが、俺を部屋の中に通したと思ったら、その足でキッチンへ引っ込んでしまった。
所在なげにコタツの前に座っていると、喜緑さんがお盆にカップとティーサーバーを持って戻ってくる。いつもここで差しだされるのは緑茶ばかりなので、紅茶が出てくることにも驚いた。まるでここが自分の部屋だと言わんばかりに、使い慣れているのは気のせいか?

「まだ茶葉が開いてませんから、もう少し待ってくださいね」

お茶の飲み頃なんてこの際どうでもいいんだが……なんでこうも平然と喜緑さんは俺にお茶を淹れてくれているのか、誰か説明してくれないか?

「長門はどこに行ったんですか?」
「お出かけ中です。あなたを呼んだのはわたしですから、気になさらなくても結構ですよ」
「え?」

長門じゃなくて喜緑さんが俺を? 朝比奈さんの話と食い違ってるな……。

「どういうことですか?」
「本当は傍観を決め込むつもりだったのですが、事態がやや混迷してきましたもので。長門さん、あの通り口下手でしょう? 少しフォローをしておいたほうが無難かと」
「フォローって……喜緑さん、今何が起きているのか知ってるんですか?」
「ええ。すべてを話すことはできませんが、ある程度の疑問になら答えられますよ。例えば……朝倉さんと共生している吉村さんの行方……とか」

意味ありげに「ふふふ」と微笑む喜緑さんに、俺は目を剥いた。
あれだけ散々捜し回ったっていうのに、まさかこんなところで答えが得られるなんてな。朝比奈さんが先に言ってくれれば、もしかすると俺は狙撃されずに済んだんじゃないか?

「それは違いますよ。あなたはあそこで狙撃されて、無事でいなければならなかった。朝比奈さんの言葉を借りるなら、規定事項ですね。そうでなければ、未来が変わってしまう」
「よくわかりませんね」
「その話は後ほど。あ、お茶もそろそろ飲み頃ですね。どうぞ」

いやもうホントにお茶なんてどうでもいいんだが……わざわざカップに注いでくれた手前、唇を湿らす程度に飲むことにした。

「ええと……そうそう、今は吉村さんのことです。そのお話をする前に、あなたは彼女のことをどうお考えですか?」
「どう、とは?」
「率直に言えば、好きか、嫌いか」

これまたストレートな質問だな。それでいて、答えにくい質問だ。
相手がミヨキチなら、そりゃ妹の親友ってこともあるし、それを抜きに考えても礼儀正しい良い子だと思う。逆に朝倉だったら、迷い無く『苦手だ』って答えるね。少なくとも自分を殺そうとした相手に好意を寄せられるほど、俺はお人好しじゃない。

「正直な方ですね」
「質問の意味がわかりませんよ。ウソ言ったって、それが正解なのかどうかわからないじゃないですか」
「確かにそうですね。でも今の答えだと……どうしましょう、わたし迷ってしまいます」
「俺にどんな答えを期待してたんですか」
「そうですねぇ。ここは男らしく『俺が守る』くらいの言葉が欲しかったような、そうでもないような~……」

好きか嫌いか問われて『俺が守る』と答えるヤツは、言葉のキャッチボールができない可哀想な子だと思うのは気のせいかね?

「今の朝倉さんは、特殊な立場なんです。長門さんから聞いていませんか?」
「俺が聞いたのは、あいつは普通の人間と変わらないけれどインターフェースだったころの記憶を持ってるって話ですね。砕けて言うと、ですけど。そうなんですよね?」
「その認識で間違いありません。ただ、長門さんはこうも言ってませんでしたか? 進化の可能性のひとつだ、とも」

ああ……そんなことも言ってたな。

「そのせいで、彼女は狙われています」
「狙われている?」
「はい。あなたには、彼女を守っていただきたいと思いまして」
「ちょっ、ちょっと待ってください」

あいつが狙われてるとか言う話も急だが、なんで超能力者でも未来人でも宇宙人でも、ましてや異世界人でもない平凡で一般的な俺が、そんなことをしなけりゃならんのだ? 守るってことは、攻撃してくる相手がいるってことだろ? なら、俺よりよっぽど戦力になりそうな相手を選べばいい。それこそ喜緑さんこそが適任じゃないか。

「わたしではダメなんです。あなたでなければ」
「その理由を教えてください。なんで俺なんですか?」
「あなたが長門さんを変えて、朝倉さんもそれを求めているから」

なんだそれは? 俺が長門に何かした覚えなんてないぞ。むしろ長門に助けられてばかりで申し訳なく思ってるくらいだ。

「いいえ。あなたは長門さんにいろいろなものを与えています。わたしにはないものを、あなたは長門さんに与えているんです」
「だから、何を?」
「感情です」

いつもと変わらない笑顔のまま、喜緑さんはそう断言する。

「わたしたちインターフェースには基本的に感情はありません。理解はしていますが、それを表すことができません。今のわたし、こうやって微笑んでいますけれど、これは円滑なコミュニケーションを取るためのひとつの手段です。でも長門さんの場合は違います。彼女は表情にこそ表しませんが、喜び、呆れ、悲しみ、怒ることがあります。長く側にいるあなたになら、思い当たることがあるでしょう?」

ないわけがない。生徒会に文芸部部室を奪われそうになった会長室では、長門は明らかに怒っていた。十二月に世界を改変させたのはストレスだろうし、世界改変を正すために七夕の日に訪れたこのマンションでは、俺たちが去るときの長門はどこか寂しそうだった。さらに病室では「ありがとう」と言った。あのときの長門の姿は、今も鮮明に覚えている。

「そのすべては、あなたから与えられたものです。長門さんは涼宮さんではなく、あなたと出会ったことで変わりました。あなたには、その自覚がなさそうですけれど」

そりゃなぁ。感情なんて、最初からあるもんだと思うさ。それを俺が長門に与えていると言われてもだ、自覚しろってほうが無理だろう。

「朝倉さんも、それを欲しています。長門さん、あなたに『朝倉さんの目的はなんだ?』と問われてなんて答えたかしら? そうそう『感情のコントロール』でしたね。つまりそういうことなんです。言葉だけで見れば誰かを操りそうですけど、そうではなくて、自分を制御する、という意味ですね」

ああ……なるほど。だから長門は今回のことに関しては不干渉を決め込んでるのか。部室に美代子が現れてもさして気にする素振りも見せなかったのは、親玉の命令もあったんだろうが、俺たちに対する危険もないからってことなんだ。

「つまり……美代子──というか、あの朝倉は、長門みたいになりたくて俺に近付いたってことですか?」
「そういうことになるのかしら?」

なんつーわかりにくい話だ。もうちょっと理解しやすいように説明してくれよ長門さん。

「それで長門さんを責めるのは酷というものです。彼女の──性格ですから。その辺りのことは、本人に聞いたほうが早いでしょう。吉村さんは今──」

喜緑さんは、スッと俺の背後の襖を指さした。

「隣の部屋で寝てます」


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