新章:snipe

部室のドアを開けると朝比奈さんがメイド服から制服に着替えて、まだ下校時間には早すぎるというのに帰ろうとしていた。

「あ、丁度よかったです。あたし、ちょっと急用ができちゃったんで……今日はこれで帰っちゃっても大丈夫ですか?」
「もう帰るの? うーん、それじゃ今日はこれで解散にしましょっか。ところで……ミヨキチちゃんはどこ?」

妹を引き連れて部室を出ていたのは、ハルヒと俺、それと古泉の四人だ。コンピ研の部室に行った長門はもとより、朝比奈さんと美代子は部室に残っていたわけだが、今は朝比奈さんしか残っていない。ハルヒが疑問に思うには当然であり、俺もしかりだ。

「え? みなさんが部室を出てから、すぐに後を追いかけて行きましたけど……会いませんでした?」
「そうなの? 誰か見かけた?」

古泉が首を横に振る。妹も横に振る。俺も見てない。
嫌な予感がした。

「変ねぇ……迷っちゃったのかしら? キョン、あんた探しに行ってきなさいよ」

言われるまでもない。これで解散ということで自分の荷物と、ついでに美代子のランドセルを持って部室を出た俺は、やや早歩きで部室棟から本校舎に向かいつつ携帯を手に取った。
電話をかける。

…………。

出ない。
続けてメールを送り、それから駆け足で校内を移動した。美代子が携帯を持っていないわけがない。あいつと妹が北高にやってきたことを伝えたのは、向こうからのメールだ。
いったいどこをほっつき歩いてるんだ? 久しぶりの北高で、感傷にでも浸ってあっちこっち歩き回ってるのか?

まさかな。

相手は朝倉だ。感傷に浸るなんて感情があるのかどうか怪しい。それに、いくらなんでも電話をかければ出るだろう。それで電話に出ないというのは怪しいさ大爆発だ。電波が届かないところにいる、ってわけでもない。ちゃんと呼び出しコールは鳴っていたから、電波の届くところにはいるはずだ。
いったいどこでどんな悪巧みをしているかわかったもんじゃない。その悪巧みも年相応の可愛らしいもんならまだいいが、あいつの悪巧みは人の生死が関わっていそうな気がする。

俺はもう一度、自分の携帯を取り出してコールしたまま校内を歩き回った。

ヴヴヴヴヴ、と耳障りな音が聞こえたのは、俺のクラスの教室前でのことだった。人の気配が途絶えた廊下で、落ちていた携帯が震えている。
自分の携帯を切ると、落ちていた携帯はバイブレーションを止めた。携帯を拾い、勘違いなら申し訳ないと思いつつも着信履歴を見ると、俺の番号が映し出される。着信時間は今さっき。
間違いなく、この携帯は美代子のものだ。

落としたのか? あいつが落とし物? 違和感ありまくりだ。

自分の携帯と美代子の携帯をスラックスのポケットの中に突っ込み、教室のドアを開ける。中には誰もいなかった。

「キョンくん、ごめんなさぁ~い!」
「え?」

突如聞き慣れた声が耳に届いたかと思えば、体全身を使ってのタックルで俺はドアの前から突き飛ばされた。と同時に、耳に届くのはガラスが砕ける粉砕音。何事かと思って廊下の窓に目を向ければ、ガラスには丸い穴と蜘蛛の巣のようなヒビが走っている。それも、廊下側だけではなく教室の窓もだ。

「な、なんだ!?」
「こ、こっち! こっちです、早く~っ!」

いまいち状況を把握しきれていない俺を、吹っ飛ばした相手が手を引いて走り出す。何をそんなに慌てているのか知らないが、引っ張り込まれたのは屋上へ出るドアの前。SOS団設立の際にハルヒに引っ張り込まれた件の場所だ。
いったい何がどうなってるんだ? どうして俺が突き飛ばされて、挙げ句の果てにこんな場所に連れ込まれなければならないんだ? 状況が違えば嬉しいシチュエーションだが、今は困惑するしかない。

「だ、大丈夫でしたか? よかったぁ、間に合って」
「大丈夫は大丈夫ですが……どういうことなんですか、朝比奈さん」

俺を突き飛ばしたのは朝比奈さんだ。急用があって帰ったはずなのに、なんでまだ校内に残っていたんだ?

「どういうことって……あたしの方も理由を聞きたいくらいなんですぅ。未来からの最優先事項の指示で、さっきのあの時間、キョンくんを力一杯突き飛ばしたら、ここまで全速力で連れて行けって。そうしたらガラスがぱりーんって割れちゃうじゃないですかぁ~。もう、あたしびっくりしちゃって」

またか……またこのパターンか。朝比奈さんは、ただ未来の指示に従って行動しただけで、理由は何も分からず終いか。こりゃもう、朝比奈さんに聞いたところで何もわからないことは確定だ。

「また未来絡みの厄介事ですか?」
「うーん、どうなんでしょう? あ、これ禁則事項じゃないですよ。本当にあたしもわからなくて……ごめんなさい」
「いえ、別に謝ることじゃないですよ」

美代子を捜していたら朝比奈さんに突き飛ばされてこの状況、か……。何か変だな。どこかおかしくないか? ちょっとこれまでの経験をふまえて考えてみよう。

朝比奈さんが俺を突き飛ばしたのは、未来からの指令でだ。未来から指令が来る、ということは、そうしなければ朝比奈さんが知っている未来と食い違うことになるからだろう。つまりあそこで俺を突き飛ばしていなかったら、朝比奈さんの未来にとって都合の悪いことになっていた、というわけだ。
そういやガラスが割れていたな。教室と廊下の窓のガラスだ。それが──パッと見の感覚だが──ほぼ同じ位置に穴が空き、同じような壊れ方をしていた。廊下の割れたガラスの破片は外に落ちていたから、教室側の窓の外から何かが飛んできたんだろう。
待てよ? もしあそこに俺が立ったままだったら……二枚のガラスを割ったその正体に貫かれていたんじゃないか? だとしたら死んでるよなぁ……え?

もしかして、もしかしなくてもだが……俺が狙われていたってことか?

「キョンくん、どうしたんですか?」

おそらく青くなっているであろう俺を見て、朝比奈さんが訝しげな表情を浮かべる。
まずい。俺が狙われたって話をすれば、朝比奈さんのことだ。卒倒しかねない。

「いや、何でもないです。大丈夫です。えーっと、それで俺たち、いつまでここにいればいいんですか?」
「あ、そういえば『いつまで』って指示はないです。もういいのかな?」
「うーん、ちょっと待ってください」

たとえ『もう平気だ』となっても、すんなり動く気にはなれない。またいつどこで狙われるかわかったもんじゃないからな。
俺は自分の携帯を取り出し、まず真っ先に電話しなければならない相手を呼び出した。
こういう状況にうってつけな知り合いがいて、本当に助かる。むしろ、こういうときくらいは活躍してくれと願うばかりだ。

『もしもし』

すぐに古泉は出てくれた。

「俺だ。今、そっちには誰がいる?」
『今ですか? 涼宮さんとあなたの妹さんがいますよ。なかなか戻ってこなくて、先に帰ろうかという話になっているところです』

のほほんとした口調だな。この様子だと、俺が狙われたってことを知らないらしい。

「ハルヒや妹に気取られないように聞いてくれ。どうやら俺は今、何者かに狙われたらしい」

電話越しでも、古泉の雰囲気が普段のチャラけた感じから引き締まったものに切り替わるのを感じる。こいつでも驚くということがあるらしい。

『冗談……ではなさそうですね。このままで大丈夫です。二人は目の届くところにいますが、会話は聞かれていません』
「わかった。それでだ、俺の方は朝比奈さんのおかげで難を逃れたが、この狙いが俺だけなのか、それとも俺たちなのかわからん。おまえの方で何か知らないか?」
『申し訳ありません。この件に関しては『機関』の方からも何も情報は入っていないもので、僕としても寝耳に水です。ただ──状況が状況ですから白状しますが──涼宮さんに限って言えば、大統領警護クラスのガードを行っているので、万が一もありません。そちらの現状を教えていただけますか?』

俺は自分の教室前の出来事から、ここに至るまでの状況を詳しく説明した。ちゃんと話をしたつもりだが、なにぶん俺としても初めてのことだ。妙なテンションになって、正確に伝わっているのか自信がない。

『つまり、狙撃されたということですか?』

狙撃……そうか、あのガラスの割れ方は、弾痕ってわけかー……ってなんだって!? どうして一介の一般人たる平凡で健全な男子高校生が、通い慣れた普通の高校で狙撃されなきゃならんのだ!

『落ち着いてください。今、屋上に出る扉の前にいるのですね? そこなら窓も磨りガラスですし、あなたの姿が外から見えません。おまけに狙撃できる場所もないですからね。それと……ひとつ気になったのですが、朝倉涼子は見つかりましたか?』

朝倉? ああ、そういやあいつのことをすっかり忘れて……まさか、そういうことだと言いたいのか?

『可能性としてはかなり高い確率だと思います。ともかく、そちらへ森を向かわせました。すぐに到着すると思います。こちらは涼宮さんと妹さんを責任持って送り届けますので、ご安心ください』
「ああ、わかった。しばらく大人しくしているよ」

通話を終えて、ため息を吐く。これが……朝倉の仕業だと言うのか? 古泉がそう考えるのも無理はない。もし狙われたのが別の誰かだったら、俺だってそう思うだろう。だがなぁ……。

「キョンくん……大丈夫なんですか?」

傍らにいる朝比奈さんが、今にも泣き出しそうな顔をしている。やばいやばい、どんな理由であれ、朝比奈さんに涙を流させるなんてもってのほかだ。

「大丈夫ですよ。ただ、状況がいまいち不明ですからね。古泉に、大人の人が迎えに来てくれるように頼みました。朝比奈さんも知ってるでしょう? 夏と冬の合宿でお世話になった森さんですよ。ここまで来てくれるそうですから、もうしばらく我慢しておきましょう」
「そうなんですかぁ、よかったー」

その台詞で笑顔を取り戻した朝比奈さんにホッとため息を吐き、俺はふと思い出して拾った美代子の携帯を取り出す。
ロックがかかっていないことは確認済みだ。あいつがどんな相手と連絡を取っているのか、もしかするとそれである程度のことがわかるかもしれない。同じメーカーの携帯なので、使い方はなんとなくわかる。
メールを見ると、ほぼ自分から誰かに送った痕跡はない。消しているのかもしれないが、あいつがメールを送っているのは……どうも俺だけのようだ。逆に送られてきているメールは、学校での友達か家族だけのようで、それに対しての返信もほぼなかった。
通話に関しても同じだ。着信はあちこちからあるようだが、発信頻度はほぼゼロ。掛けている相手は、これまた俺くらいときたもんだ。

調べてはっきりしたのは、美代子が携帯をまったく活用してないってことだけ。自分から掛けている相手が俺だけってのも問題がありそうだが、俺が狙われた理由を携帯から探り出すことは不可能っぽいな。
これとは別の携帯を持っているなら話は別だが、少なくとも美代子の背後関係では、古泉が所属する『機関』と似たような秘密結社みたいな時代錯誤も甚だしい奴らはいないということになる。だからこそ、あの狙撃が美代子の手によるものだとは思えない。

改めて言おう。あいつは朝倉だが、その中身の半分と家庭環境はミヨキチなんだ。本人に関して言えばやや特異な状況だが、家族については俺と同じ普通の一般家庭のはず。おまけに小学六年生だ。
そんなヤツが、どうやって狙撃用の銃なんぞを入手するってんだ? 古泉は疑っているようだが、俺にはどうも納得できない。そりゃ、かつては朝倉に命を狙われていたが、今回はやり方が……なんというか、スマートすぎる。あの狙撃は、位置を考えると俺の頭を狙っていた。命中していれば即死コースだ。
今のあいつが何を考えているのかなんてさっぱりだが、ひとつだけ言えるのは、改変された世界のこととは言え、あいつは俺を苦しませて殺そうとしていた。自分が殺されることなんて考えたくもないが、即死させる真似はしない気がする。おまけに粗悪品の短銃でさえ入手困難な現代日本で、おいそれと狙撃用のライフルなんて入手できるもんじゃない。

だが……美代子の行方がわからないのも事実だ。狙撃される前まで、俺は校内を歩き回った。けれどどこにもいない。もしかすると、校内にはいないのかもしれない。
だったらどこに行った? って話になるが……まったく見当が付かない。

何だろう。胸の奥がざわつくような、この嫌な感覚は……何なんだ?


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最終更新:2007年01月15日 02:03