新章:reasonable

日常という言葉は、つまるところ日々の繰り返しを指す言葉だと俺は考える。それはつまり、朝起きて学校に通い、部室で朝比奈さんの淹れたお茶を楽しみつつ古泉とのゲームに興じ、家に帰って晩飯を食って風呂に入って宿題やって寝る。
それが俺にとっての日常であり、そこに何かしらのイレギュラーな出来事が発生すれば、それがどんなに些細なことであっても非日常なのだ。だから、その日常の一因子となる放課後の部室に、SOS団のメンツ以外が乱入していれば、それだけで非日常な出来事なのだ。
今、部室には俺を含めて七名の人間がいる。その中の一人が俺なのは言うまでもなく──。
一人はハルヒ。団長席に腰掛けて、頬杖を付きながら雌雄同体のクワガタでも見るような目で俺を睨んでいる。
一人は古泉。治療方法が見つからない難病患者を前にした医者のような目で、これまた俺を見ている。
一人は長門。いつもと変わらないのはこいつくらいだろう。目に見えない壁で世間と自らを隔離しているように、無関心無感動を貫いて本を読んでいる。
一人は朝比奈さん。どれだけ日々が過ぎても見飽きないキュートなメイド服に身を包み、猫の子を相手にするように俺の妹と戯れつつも、チラチラと俺に視線を投げかけている。
朝比奈さんと遊んでいるように、七名のうちの一人が俺の妹なのは言うまでもない。何をしているのか、などとはあえて言うまでもないが、それでも言及するなら、朝比奈さんのふくよかな胸部にうずめている顔を、せめてこの兄と交代してくれないか? と言いたいくらいだ。
そして、最後の一人。俺のささやかな日常を非日常にしてくれた、妹の親友にして猫をかぶっている虎、ミヨキチこと朝倉涼子が俺の正面でニコニコしていた。

「それで……ええと、もう一度、ここまでやってきた理由を話してくれないか?」
「キョンくん、物覚え悪いなぁ~。今日、学校の宿題で家族のことを作文で書くことになったの。でも、パパ帰ってくるの遅いから、キョンくんのこと書こうって思ったの。でもキョンくん、学校で何やってるか知らないから、見学に来たんだよ」

最初の一言だけは余計な付け足しだが、まったく同じことを妹は言う。
何を言ってるんだおまえは? と問いつめたいのは俺だけじゃないはずだ。学校の宿題と言うのなら、とっとと家に帰って片付けておけ。そもそも、見学してどうする。見たまま、ありのままに書いたところで、俺の日常なんてどう頑張っても面白おかしくなるわけがない。原稿用紙何枚がボーダーラインか知らないが、俺のことなんて書いても、せいぜい頑張って話を延ばしてもワンセンテンスで事足りるじゃないか。
まぁいい。それはいい。妹が家族の誰を題材にしようが知ったこっちゃない。

「それならなんで、ミヨキチも一緒に連れてきてるんだ」
「ああ、その子がミヨキチちゃんなのね」

俺の言葉にかぶせるように、事の成り行きを珍しく黙って眺めていたハルヒが声を上げた。そのまま静かにしていて欲しかったが、案の定、そうもいかないらしい。

「何を今更そんなことを言ってるんだ、おまえは」
「今更もことさらも、あんた、勝手に妹ちゃんとそのお友だちを連れてきて、ひとっことも説明なしに黙り決め込んでたじゃない。説明した気になってたの? もしかして、健忘症?」

健忘症にかかる原因を知ってるか? 人間関係でのストレスによるものが原因のひとつと考えられているらしいぞ。俺がそうだとしたら、間違いなくおまえのせいだ。

「へぇ、あなたがそうなのね。ふぅ~ん、なるほどね」

ハルヒは不躾なくらいミヨキチの姿をした朝倉──ええい、紛らわしい。今のこいつはミヨキチとか朝倉じゃなくて、美代子って本名で統一するか。
そんな美代子を見つめたかと思うと、ふと俺に視線を戻し、ニヤニヤと締まらない顔を見せた。何が言いたい。

「べっつにぃ~。あんたがあたしの言いつけ破ってまで、くっだらない自慢話を文芸誌に載せるのも納得って思っただけ」
何が自慢話だ。人に無理難題をふっかけて、苦労して形にしたのはどこの誰だと思ってるんだ。おまけにそのままボツにもせずに通したのは自分じゃないか。

「あったりまえでしょ。スケジュールも考えずにちんたらしてるんだもの。あれをボツにしたら〆切に間に合わないじゃない。本音で言えば書き直しをさせたかったんだけどね。無理そうだからそのまま通してあげたのよ。心優しいあたしに感謝なさい」

優しさを見せるなら、もっとわかりやすい優しさを示してもらいたいもんだ。意味もなく胸を張るハルヒに、俺はため息しか出ないね。
そんな俺とハルヒのやりとりを見て、美代子はくすくすと笑い声を漏らした。

「本当にお二人って仲がいいんですね。聞いていた通りです」
「仲がいいも悪いも、キョンはSOS団の従僕なの! って、誰から何を聞いたの?」

また妹からあること無いことを聞いているのか。どうやったらお喋りな妹を黙らせることができるんだろうね。

「わたしが聞いたのは朝倉涼子さんからで」

正直なところ、お茶を口に含んでいなかったのは不幸中の幸いだ。もし何か口の中に含んでいたら、そりゃもう盛大に目の前の美代子にぶちまけていただろう。
よりにもよってこいつは、本当に突然何を言いだすんだ。朝倉に聞いた? 自分のことじゃないか。そりゃこいつがハルヒのことを知っていても何ら問題はないが、今の自分の姿を忘れて……ないから『朝倉から聞いた』なのか。
だったらそんなことを何故急に言いだすんだ? 自分の正体を自らバラすつもり……だったら、『朝倉に聞いた』なんて言わないな。
何が目的だ?

「朝倉って……あの朝倉涼子? ミヨキチちゃん、あなた彼女の知り合いなの?」
「はい。涼子さんとは遠縁ですが親戚で、近所に住んでいましたからよく連絡を取ってたんです。急にカナダへ転校することになって、とても残念がっていました」

その転校も自分のせいだろう。
俺は転校の理由を作った長門に、ちらりと目を向ける。話を微塵も聞いていない風に、ただ黙々と本を読んでいる。ここに美代子がいても、まったく無関心なのは昨日の宣言通りか。

「あまりにも急で、わたしも転校してから連絡を受けて、はじめて知ったくらいで」
「本当にただ転校しただけなのね」

さもつまらなさそうに、ハルヒはそう言った。こいつはまだ、朝倉の転校に何らかの疑いを持っていたのか。もう素直に「転校した」と思っておいてくれ。

「涼子さん、わたしとお兄さんが知り合いだって知って、涼宮さんのことも話してくれましたよ。クラスで孤立してたけど、お兄さんとだけは仲が良かったって、」

饒舌な美代子の言葉を遮るように、パタンとひときわ大きく音を立てて、長門が本を閉じた。
全員の視線が長門に集まる。長門は、そんな視線を気にする風もなく立ち上がると、本を自分の鞄にしまい込んだ。下校時間にはまだ早い。

「どうしたの有希?」

ハルヒが訝しんで声を掛けると、長門は「コンピ研に呼ばれていた」と一言。そのまま自分の鞄を手に取り、部室を出る前に朝比奈さんの肩をつんと突いた。

「……え? 長門さん、あの」

明らかにキョドってる朝比奈さんは、どうしてここまで長門が苦手なんだろうね。別に取って喰うわけでもなく、長門は朝比奈さんにに向かって「二人にお茶を」と言うだけ言って、そのまま出て行ってしまった。
わからん。今日の長門はいつもにも増して、何を考えているのかさっぱりわからん。

「えーっと、とにかく」

一人減った部室で誰も喋らずにいるので、仕方なく俺が口を開く。

「ミヨキチも、おまえも、とっとと帰れ。校内は部外者の立ち入りは禁止だ」
「えー、や~だ~」
「やだ、じゃありません。宿題なら帰った後に手伝ってやるから、」
「いいじゃない、別に」

このふざけた状況を脱する俺の申し出を、団長さまは何も考えていなさそうな脳天気な声音で却下した。本当になんつーか……ハルヒは俺の言うことがすべて気にくわないのだろうか。こいつと意見が一致したことなんて今の今まで一度もないな。一致すりゃ、それはそれで自分的にオシマイな気もするが。

「あんたの妹なんだし、部外者ってわけでもないでしょ? せっかく学校の宿題であんたのこと書いてあげようとしてるんだから、協力してあげなさいよ。まっ、あんたのこと書いても仕方ないと思うけど……そうだ妹ちゃん、もし何だったらあたしのこと書いてもいいわよ」

ハルヒ。なぁハルヒ。おまえは妹の話をちゃんと聞いていたのか?  俺の記憶が確かなら、妹は普段の俺のことを知るために、わざわざハイキングコースを歩いて北高までやってきたんだろ? そもそも人の話を聞く耳をおまえは持っているのかと問いたい。問いつめたい。もう少し考えてから口を開いたほうが身のためだと思うぞ。

「でもハルにゃん、家族じゃないし。それともわたしのお姉ちゃんになってくれるの~?」
「へっ?」

だから、季節はずれのリンゴみたいに赤くなるくらいなら、もうちょっと考えてから喋ったほうがいいと言ったんだ。

「そ、そうね。家族のことを書かなきゃダメなんだっけ。じゃ、仕方ないわね。それじゃ変わりに、キョンがいつも何をしてるか教えてあげるわ」

何を吹き込むつもりかと思えば、どういうわけかハルヒは妹を連れ立って部室を飛び出して行った。あいつをあのまま放っておくとヤバイ気がする。
慌てて後を追いかけた俺だったが、無駄に手回しのいいハルヒは、まず真っ先に担任の岡部のところに向かって事情を説明し、妹と美代子が校内を歩く許可を取り付けた。続けて、何を考えたか生徒会室へ乱入したかと思えば、会長を指さして「あれがSOS団に敵対する諸悪の根源よ!」などと宣い、下駄箱で帰ろうとしていた谷口と国木田を捕まえて「これがキョンとつるんでるクラスの三馬鹿トリオよ!」と断言し、ここ最近、校内で起こった騒ぎのほとんどを俺のせいにしやがった。

「あなたも大変ですね」

と、辟易している俺に、古泉が珍しく同情の念を含めてねぎらってくれる。

「あの会長には、あとで適当に言い訳しといてくれ……」
「おや、珍しい。貸しひとつと考えてよろしいんですか?」

俺が睨むと、古泉は肩をすくめて「冗談です」と言い、ふと表情を引き締めた。

「あの妹さんのお友だちですが」

無駄にいろいろなことへ首を突っ込みたがる古泉のことだ、美代子のことについても調査済みだろう。わざわざ俺が答えるまでもないね。

「大切なことなのですよ。彼女が本当にあの朝倉涼子だとすれば、涼宮さんによからぬ入れ知恵をするとも限らない。彼女が自分の力を自覚してしまえばどうなるのか……あなたはそれが見たいのですか?」
「俺としては、おまえがいまだにそんなことを考えていた、という方が驚きだ。がっかりさせないでくれ」

そう言うと、古泉は驚いたような表情を浮かべて、いつも以上にしまりのないニヤケ顔を浮かべた。

「なるほど、愚問でしたね。では質問を変えましょう。彼女の目的は何なのですか?」
「情報フレアの観測と言っていたが、長門曰く感情のコントロールらしい。訳が分からん。俺の方があいつの本当の目的を知りたいところだ」
「そうですか」

何か思い当たることでもあるのか、それともよからぬことでも企てているのか、手を口に当てて考える素振りを見せる古泉に、俺は言うべき肝心なことがひとつあったと思い出した。

「あいつは、中身も完全に朝倉ってわけじゃないぞ。ミヨキチと半々らしい。おまけに外見はそのままだし、長門のような能力も何もない。部外者とは思えないほど内情を知っているただの一般人……でいいんじゃないのか? 鶴屋さんと一緒みたいな」
「そうですね。僕はそう、思っていますよ」

笑って俺の言葉に同意する古泉だが、どこか胡散臭いものを感じたのは……まぁ、こいつの日頃の行いのせいだろうね。

「ですが、彼女が何を企んでいるのか聞き出しておいたほうが無難ですね。普通の人間と変わりないのでしょう? 多少、強引な手を使っても聞き出しておくことをお勧めします」
「忠告のつもりか」
「助言ですよ」
「……考えておく」

古泉の言葉を素直に聞き入れるのは癪だが、言ってることはもっともだ。相手の中身が朝倉とは言え、問いつめるような真似をするのは気が引けるが……そうも言ってられないよな。

やれやれ……困ったもんだ。



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