朝倉がいなくなった。

僕の最上の観察対象であった朝倉涼子がいなくなったのだ。
美少女特有のシャンプーの匂いをまとい、長い髪をゆらしていたあの子。
後ろからでも分かる、華奢な体つきと品格。

まあ、僕は絶望したさ。
後ろで涼宮ハルヒとかいう――こちらも美少女だが――品性のカケラもない
イかれた女が喜んでいたのには思わず腹を立てたね。
自宅にゴキブリでも郵送してやろうかと思ったよ。
もしかしたらあんな女でもかわいらしい反応を見せるかもしれない。
ま、そんなことばれたら何をされるか分からんので何もしないが。

さて、当面の問題は朝倉の後、誰を追いかけるかということだ。
僕はこの学校の美少女リストを参照した。
そして対象を絞り込んだ。

――朝比奈みくる。

生まれついてのアイドルとはこの人のことを言うのかもしれない。
中学生にも見える、整った童顔。
庇護欲をそそりまくりのその行動や言動。
対象としてはこの学校でトップだったが、
今までは目の前にいつもいる朝倉の方が対象としやすいのでそちらを選んでいた。
だが、その朝倉はいなくなった。
一世一代の大勝負だ。
まずは、身辺調査から始めないといけないな。
ぐへへ。

僕にはアイドルオタクとしてちゃんとした規律がある。
その一。
本人と接触を図ってはいけない。
その二。
盗むなどの犯罪行為はだめ。撮影は許可。

以上を守り、健全なアイドルオタとして邁進しているというのが分かってくれたかな。

僕は朝比奈みくるを徹底的にマークし、
その日常生活や言動にいたるまで全てを暗記した。
僕には特殊な能力が備わっていて、
見た目でその人のプロポーションがミリ単位で当てられるというものだ。
朝比奈みくるは最高だな。

だが、僕は今非常にまずい状態に置かれている。
暴走する車の中で、怪しいメイドさんに連れ去られているのだ。

「君、名前はなんていうの?」

メイドさんは運転をしながら話しかけてくる。
おい、しっかり前を向きやがれ。
公道で百四十キロとかおかしいんじゃねえか?

「山根です」

「そう、山根君ね。私は森。森園生よ」

笑顔で自己紹介をするメイドさんだった。
って、前を向け。僕はまだ死にたくないんだ。

「あの、森さん。なぜ僕は拉致されたんですか?」

「現場を見られたからよ」

そう、なぜ僕が狂ったメイドさんに連れ去られたかというと。
じゃあ、それついて話そうか。

僕はすでに日課となっていた朝比奈みくるの追跡をしていた。
ストーカーじゃないぞ。健全な追跡だからな。
で、そう、それは一瞬の出来事だった。
突然黒塗りの車が現れたかと思うと、朝比奈みくるを連れ去ってしまった。
呆然と立ち尽くしていた僕は身長の高いおっさんに後ろからもの凄い力で持ち上げられ、
そしてこの今乗っている、狂気のメイドさんの運転する車にぶち込まれたわけだ。
そんで今に至ると。

「山根君、あなた車の中の人は見えた?」

「そうですね、若い男が一人と、これまた若い女が一人ってところですかね」

ねえ、前向いて。ふざけやがって。しまいには泣き出すぞオラ!

「ありがとう。山根君には少しついてきてもらうけどいい?」

「あ、はい」

なんでこんなに簡単に頷くかというと、それはこの人がやたらと美人だったからだ。
そのメイド姿のはまりようも凄かったし、大人のおねえさんの観察もしてみたいしな。

「じゃあ、もうちょっととばすわよ」

そういうと、デジタルの速度表示は百八十キロまで上昇した。
まだ、とばすのかよ。あなたは死にたいのですか。そうですか。
僕はまだ死にたくありません。降ろしてくれ! 頼むから!

ひとつ分かったことがある。
車酔いは恐怖という感情ががあれば起きない。
まさしく現状がそうである。
公道を弾丸のように突っ走るこのシベリア超特急のことだ。

「あっ!」

前方に先ほど見た車が現れた。黒塗りのやつだ。
店が立ち並ぶ大通りで、人が行きかう中、僕達の車はやっと追いついた。
そう思っていると、突然その車の前から別の車が現れ、進路を封鎖した。
メイドさんの運転する車もドリフトしながら急停止し、その車を囲んだ。

「山根君は乗っていてね。外は危険だから」

メイドさんはそういうと、車からゆっくりと降りて、
大声で例の車に呼びかけた。

「朝比奈みくるを開放しなさい! もうあなたたちは囲まれているわ!」

メイドさんがそう叫ぶと、中から僕が見たとおりの二人組が手を挙げながら出てきた。

「分かったよ。逃がせばいいんだろ?」

若い男のほうがそういうと、朝比奈みくるをひっぱりだし、自分の前に置いた。
朝比奈みくるは涙を浮かべ、身体をビクビクと震わせている。
かわいい。なぜ、今日はカメラを持ってこなかったんだろう。

パンッ!

突然の銃声が鳴り響いた。
打たれたのは僕の乗っている車の近くに立っていた森さんだった。
肩口を打たれ、しゃがみこんでしまった。
白いエプロンドレスが血で染まった。

パンッ!

それとほぼ同時に、僕達とは反対側に構えていた車から銃声が聞こえた。
若い男が大腿を打たれ、引きずるようにして車の中に逃げ込んだ。
朝比奈みくるはその場で女の子座りをして声を出さずに泣いている。

「や、山根君。悪いんだけど、今のうちに朝比奈みくるをかくまって!」

その場にしゃがみこんだままのメイドさんは痛々しげな表情でこちらを見つめた。
いや、無理だろ! あっちは銃をもってるし。
だから何度も言ったろ? 僕はまだ死にたくないんだ。
それに、僕はヒーローになっちゃいけないんだ。
観察対象との接触は最重要のタブーなんだ。
でも……。
助けたい。僕はヒーローになっていいのかな?
アイドルを助けたら、僕を好きになってくれるかもしれない。
そんな下心満載なまま僕は車を降り、かわいく座り込む朝比奈みくるに近づいていった。

パンッ!パンッ!

一瞬のことだった。
僕が朝比奈みくるに近づいていくと、突然若い男が飛び出してきて僕に銃口を向けた。

やばい! 

思った瞬間横からメイドさんが飛び込んできて、
僕を倒し、その上から被さった。
二つの緊張が僕を興奮させた。
銃口を向けられるの初めてだし、女の人がしかも綺麗な人が僕に抱きついているのだ。

同時に向こう側からの発砲もあった。
当たらなかったが、男は車へとまた逃げ込んだ。
ああ、こんな光景はじめてみたな。

車がさらさらと砂のように消えていったのだ。

「山根君、お願い、早く朝比奈みくるをかくまって!」

「わ、分かりました」

肩口からの出血が僕にもべっとりとついていた。
メイドさんをどかし――この柔らかい感触を味わっていたかったが――、
朝比奈みくるのもとへと向かった。
近づくと、アスファルトが黒くなっていて、朝比奈みくるは失禁していることに気付いた。
ああ、美少女の失禁とはまたなんとオツなものだ。

「だ、大丈夫ですか?」

僕はできるだけ優しく言ったつもりだったんだ。しかしなぜ?

「気持ち悪い」

朝比奈みくるは真顔でそういった。

「キョン君がよかったですぅ! こんなキモオタいやなんですぅ!
わたしをつけまわしてるやつなんかだいっ嫌いです!」

わんわんと泣き出してしまった。
助けてやったのに、気持ち悪いって。
はは、そんな十五の昼さ。

「ありがとう」

後ろから森さんの声が聞こえた。

「ごめんなさい。巻き込んじゃって」

そういって、森さんは僕に抱きつくように倒れこんできた。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。このぐらい、慣れてるもの」

耳元で呟く、森さんの声がいやに艶かしい。

「さあ、帰りましょうか」

その後のことを少しだけ語ろう。

あの後僕はおじさん――荒川とかいったかな――に車に運び込まれて、
元いた場所へと帰ることになった。
森さんが残した最後の笑顔が印象的だった。

そう、僕は森さんに恋をしていた。

初めて本当に女の人を好きになった。

でも、もう会うことはないだろう。
一時間だけの恋だった。

その代償は朝比奈みくるに顔がばれてしまったことだ。
偶然会ったりすると、途端に嫌そうな顔をし、僕に殺意を向けてくる。
そしてこの一言だけはかかさなかった。

「気持ち悪い」

そのたびに僕は森さんを思い出し、あの日を思うのだ。


おしまい。

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最終更新:2020年06月13日 09:35