「あの、キョンくん。明日のお休みの日、一日空いてますか?」
 
この世でエプロンドレスがもっとも似合う女性にそんなことを言われれば、例え未来的
な厄介事を背負い込むことが確定的であっても、オレは首を縦に振るしかない。
とはいえ、出来ることならその意図の裏に何が含まれているのか、事前に教えておいて
もらえると心の準備ができてとても有り難いんですが……。
 
「あ、大丈夫です。今回はホントのホントに何もありません。ただ一緒にお出かけしたい
なぁって思って」
 
そういうことなら、オレが拒否する理由なんぞミジンコ程度もありゃしない。むしろ明
日を国民の休日にして祝いたいくらいだ。それどころか、本当にオレでいいのかと考える
のは、これまでの人生で恋愛運がつねに1つ星だったせいだろう。
 
「でも……なんで急にそんなことを?」
「えっとぉ、急なのは分かってるんだけど……実はこれを鶴屋さんからもらっちゃって。
一緒にいってくれないかなぁって思ったの」
 
そう言って朝比奈さんが取り出したのは、遊園地の1日フリーチケットが2枚。なんで
も鶴屋さんの家がスポンサーについている遊園地だそうで、そのツテでタダ券をもらった
のはいいが行く機会がなく、朝比奈さんに巡り巡ってきたそうだ。
 
「どう……かな?」
 
ぜんっぜんダメじゃありません。そんな段ボール箱の中でにゃーにゃー鳴いてる子猫み
たいな上目遣いで見られてしまえば、拒否する言葉が出てくるわけもございません。
 
「よかったぁ、断られたらどうしようかと思っちゃった。それじゃ明日……ええっと、朝
から行ってみたいけど、大丈夫?」
 
「もう明日はまるまる1日空けておきますから、何時でもおっけーですよ」
「それじゃ9時に駅前で。お弁当作っていくから、楽しみにしててね」
 
よし、明日は朝から何も食わずに家を出よう。笑顔で手を振って去っていく麗しの上級
生の姿を見れば、自然と目尻も下がるってもんさ。
 
「マヌケ面」
「いやいや、誰だってそうな……って、なんでおまえがここにいる!?」
「そりゃ学校だもの。下駄箱前にあたしがいちゃ悪いっての?」
 
眉をきりりとつり上げ、口元は笑っているという器用な表情で仁王立ちするハルヒに、
オレはイヤな予感を覚えた。よもやこいつ、さっきの話を聞いてたんじゃないだろうな?
 
「ぶぇっつにぃ~。あんたとみくるちゃんが明日の朝9時に駅前で待ち合わせてデートす
るなんて話、ぜぇ~んぜん興味ないもの」
 
しっかり聞いてるじゃねぇか。
 
「ハルヒ、なぁハルヒ。いいから聞けよハルヒ」
「人の名前を連呼すんな」
 
ぽん、とハルヒの両肩に手を置きながら、オレはこれまでの人生でサボり続けていた脳
細胞をフル活動させた。
落ち着けオレ、冷静になるんだオレ。明日はオレのドドメ色だった学園生活で唯一訪れ
たバラ色の一日じゃないか。ここで悪魔の介入はなんとしても阻止せねばならんだろうが。
 
「ああ、わかった。わかったから落ち着け。いいか? 明日は休日だ。つまり、プライベ
ートタイムってわけだ。どんな大企業の社長だってプライベートを満喫する社員の行動を
邪魔するようなことはしないだろ? それはSOS団だって同じだとオレは思ってる。い
やいや、おまえを信じてるんだ。だから邪魔すんな」
 
おっと、最後に本音が出ちまった。
 
「あんた、バッカじゃないの? なんであたしが、あんたみたいな雑用ぺーぺーのお楽し
みを邪魔しなきゃならないわけ? そうね、明日は休みだもの。好きにすればいいわ。知
ったこっちゃないわよ」
 
両肩に乗せていたオレの手をパシンと払いのけ、ハルヒは馬みたいに鼻を鳴らして靴を
履き替え、さっさと下校してしまった。
ありゃどうみてもご機嫌ナナメだな。……とりあえず古泉、閉鎖空間で頑張ってくれ。
 
そして翌日。
まるで遠足前の小学生のように朝6時には目を覚ましていたオレは、待ち合わせ30分
前には駅前に到着できるようにと家を出た。とりあえず待ち合わせ場所に朝比奈さんだけ
が来ることを祈るばかりだ。もしこれでハルヒや長門や古泉がいてみろ、オレは人間不信
に陥ってもう二度と家の外に出たくないね。
 
そもそも今日は朝比奈さん自ら、本当にただのお出かけということで、オレを誘ってく
れたんだ。そしてよく考えろ。休日に若い男女が2人っきりで遊園地に行くわけだ。
誰がどう見ても間違いなく完璧にデートじゃないか。
それを邪魔するってんなら、そいつは馬に蹴られて豆腐の角に頭をぶつけて死んでくれ。
 
待ち合わせ場所の駅前には、まだ朝比奈さんはいなかった。どうやらオレが先に到着し
たらしい。もっとも、到着してちらりと時計に目を向けたと同時に現れたから、ほぼ同着
だったようだ。
 
「ごめんなさい、あたしから誘ったのに遅れちゃって……」
「オレも今来たところですよ」
 
本当に申し訳なさそうに目を伏せる朝比奈さんに、オレは出来る限りの笑顔で返事をす
る。それにしても今日の朝比奈さんは素晴らしい。いやもう、有り体な言葉だが、それ以
外に思いつく言葉がない。
 
お出かけする場所が遊園地ということもあって、珍しくパンツスタイルだが、それでも
どこかしらフェミニンな格好だ。長いストレートヘアも、今日はお団子にしてまとめてあ
り、それがまた格段に似合っている。両手で持っているバスケットの中身は、昨日言って
いたお弁当なのだろう。こんな時間に待ち合わせして、おまけにちゃんとお弁当まで持っ
てくるとは……オレもう泣きそうですよ。
 
「それじゃ、行きましょ」
 
ここで腕を絡めて来たり、手を繋いでこないのはやや残念だが、それもまた、朝比奈さ
んらしいくていいじゃないか。ちょこまかと幼い足取りで歩く麗しの上級生を、後ろから
見守るってのもオツなもんだ。
 
「そういえば」
 
と、電車に乗っての移動中、オレは隣に座っている朝比奈さんに気になることを聞いて
みた。今日のこれがちゃんとしたデートであることは、もう疑うまい。ただそれでも、ど
うしても腑に落ちないことがある。
 
「どうして誘ったのがオレなんですか?」
 
鶴屋さんから遊園地のフリーチケットをもらったから、というのでは理由としては弱く
ないか? そもそも男の人と一緒に歩くだけでも照れるような人だ、SOS団で一緒に行
動していて免疫ができたから、って言われると、それはそれでちょっとショックだぞ。と
どのつまり、オレのことを男として見てくれてないってことになるじゃないか。
 
仮にそうだとしたら、誘うのはオレじゃなくて古泉でもよかったはずだ。朝比奈さんは
長門が苦手みたいだし、わざわざ休日にハルヒと面を付き合わせたくないってのもわかる。
残る選択肢はオレか古泉ってことになるだろ。
 
「ち、違いますよぉ。キョンくんだから誘ったんです。ほら、あたしっていつもドジばっ
かりでキョンくんに助けられてばかりだから……。その恩返しになればって思って。鶴屋
さんからチケットをもらったとき、すぐにキョンくんを誘おうって思ったの」
 
えへへ、と笑う朝比奈さんの姿は反則的なまでに可愛かった。ここが電車の中じゃなけ
れば思いっきり抱きしめていただろう。いやむしろ、電車の中だろうがなんだろうが、抱
きしめるべきだったかもしれない。そうそう、今からだって遅くはないじゃないか。
そう思ってしまうほどに、今の朝比奈さんの笑顔と一言は媚薬的な魔力を秘めていたわけだ。
 
「あ、朝比奈さん……」
「はい?」
 
笑顔を見せる朝比奈さんを、オレはほぼ無意識で肩を抱こうと手を伸ばしていた。が、
その直前に、雷が直撃したような凶悪な視線を感じて振り返った。
今のは……いやいや、気のせいだ。そうに決まっている。周囲を見渡しても、それらし
い人影はどこにもないじゃないか。
 
「キョンくん、どうしたんですか?」
 
キョトンとした表情で聞いてくる朝比奈さんに、オレは頭を振って答えた。
 
「いえ、なんでもないですよ。今日は思いっきり楽しみましょう」
「はいっ」
 
ああ、やっぱり朝比奈さんの笑顔はいい。もし仮に、今ここで肩を抱き寄せていたらこ
の笑顔が見られなかったかもしれない。そう思うと、あの不穏な空気が漂う最悪な気配も
役に立ってくれたわけだ。
 
さすが祝日。遊園地は親子連れからカップルまで、多種多彩な組み合わせの人でごった
返していた。ここはけっこう昔からある遊園地で、某ネズミ王国や映画会社のテーマパー
クに比べると地味だ。観覧車やジェットコースターはあるが、あまりにも大がかりな代物
はない。イメージ的には……そうだな、基本は遊園地なんだが、ショッピングモールみた
いにショップも数多くある、って感じだな。
 
入園するだけなら無料なので、近所の人はおそらく「散歩のついでに」とか「買い物つ
いで」で利用しているみたいだ。オレたちのように、「いざ遊園地に!」と気合いを込め
て来ているのは少数派かもしれん。
 
「迷子にならないように気をつけてくださいよ」
「もぅ、やだキョンくん。あたし、迷子になっちゃうほどドジじゃないですよ」
 
いやいや朝比奈さん、そういうこと素でやらかしそうじゃないですか……などと言える
わけも言うつもりもなく、頬をふくらませる未公認ミス北高を微笑ましく見るめるオレは、
なんだか幼い娘を見守る父親の気持ちを感じている。
 
もしこれがハルヒなら、オレは別の意味で頭を抱えることになるんだろうな……って、
なんでこんなときまでハルヒのことを考えねばならんのだ。ええい、忌々しい。
 
「それじゃ、まずどこ行きましょうか?」
「あたし、こういうところ初めてなんです。どういうのがあるんですか?」
 
どのくらいの未来の話かは知らないが、朝比奈さんの元時代には遊園地というテーマパ
ークは存在しないのだろうか? それとも、観覧車やらジェットコースターやら、そうい
うのは前時代的な代物になっているのかもしれないな。
 
「そうですね、荷物もありますし、あまり激しくないのから行ってみますか」
 
朝比奈さんが鶴屋さんからもらったのは、任意の1日に限り、乗り物関係はすべて乗り
放題のチケット。人の多さと比べて、アトラクションを利用する人は少ないので、乗ろう
と思えば長くても30分程度待てば乗れる。
 
が、ここで絶叫系のアトラクションに乗るのは愚の骨頂。何故かって? 朝比奈さんが
作ってきてくれたお弁当がめちゃくちゃになるじゃないか。
そんなわけでオレが選んだのは……まぁ、メリーゴーランドだ。さすがにオレは恥ずか
しいので、未体験だという朝比奈さんを乗せてあげることにした。一緒に乗るのも悪くな
いが、楽しんでいる朝比奈さんを愛でていたほうが楽しいのさ。
 
「キョンく~ん」
 
ほら見ろ。ああやって笑顔で手を振る朝比奈さんは、そうそう見られたもんじゃないぞ。
おまけにあの笑顔はオレだけに向けられたものだ。これに感動を覚えないヤツは、男とし
て如何なものかと思う。マジで。
 
オレは朝比奈さんにつられるように、笑顔で手を振り返す。ああ、どうしてカメラを持
ってきてないんだ。せめて脳内の「mikuruフォルダ」に収めることで我慢しよう。
その後も、オレと朝比奈さんは絶叫系のアトラクションは避けてゴーカートなどの、あ
まり激しくない乗り物系を堪能した。オレも年甲斐にもなく楽しんだもんさ。
やっぱり女の子とのデートはこうじゃないとな。ハルヒとじゃ、とても純粋に楽しめな
い。何時どこで何をしでかすか、ハラハラしなけりゃならんからな。
 
「次、あそこ行ってみませんか?」
 
そろそろお昼時という頃合いに、おとなしめの乗り物は一通り堪能したオレたちが、午
前中の最後に決めたのはホラーハウスだった。ま、こんな場所の遊園地にあるお化け屋敷
なんぞ、たかが知れているというもの。オレはそんなに怖くなかったが、一緒にいるのが
朝比奈さんだ。
 
「ひゃあぁぁぁっ!」
 
なんて悲鳴を上げつつ、オレに抱きついてくるわけだ。いやもう、生まれてこの方、お
化け屋敷がこれほどまでに素晴らしいスポットだとは思いもよらな……。
 
「うげ……っ」
 
なんだ、今のおぞましい気配は!? ここのホラーハウスは本物のバケモノでも飼ってい
るのか? 殺気だけで人を殺せそうなヤツは、オレが知る中で一人しかいない。
 
周囲を見渡す。見つけた。一瞬、お化け屋敷に本物の物の怪がいるかと思ったぜ。
 
あの野郎……野郎じゃないが。いやいや、そんな些末なことはどーでもいい。それで隠
れてるつもりか。こうなったら今のうちにとっつかまえて、ご退場願うしかあるまい。
 
オレが近付くと、相手も気づいたのか脱兎のごとく逃げ出した。逃がしてたまるか。
 
「待てコラ!」
「ふぎゃっ!」
 
ホラーハウスの出口で追いつき、思いっきりタックルを食らわせると、今時マンガでも
聞かないような声を出して倒れた。
ありがとう中河。おまえのタックルのやり方を見ておいて助かった。そうでもなけり
ゃ、この厚顔無恥な団長さまを取り逃がすところだった。
 
「なんのつもりだ……」
「あははー……」
 
そんな笑ってるのかキョドってるのかどっちつかずの笑顔で騙されてたまるか。
 
「何をやってるんだ、ハルヒ」
「えーっと……お買い物? みたいな」
「なんで疑問系なんだ。つーか、それなら一人で静かにオレの邪魔をせずこっそりと買い
物でもしてろ」
 
やや言い過ぎな感じもするが、冷静になって考えてみてくれ。北高で1、2を争うプリ
ティフェイスの朝比奈さんとのデートなんだ。それを、遠巻きでチクチク痛い視線で見ら
れているんだぜ? そりゃ口調もキツくなるってもんさ。多少なりとも世間一般のまとも
な神経をしていれば、オレの気持ちもわかってくれるだろ?
 
だが、これが失敗だった。相手は、まともな神経なんぞ外宇宙の彼方にまで投げ捨てて
いる涼宮ハルヒその人なんだ。いきなりキレやがった。
 
「うっさいわね! 別にあんたの邪魔なんて一度もしてないでしょ! 勝手にチチクリ合
ってればいいじゃない!」
「おまえなぁ……だったら陰でコソコソしてるなよ! おまえにチラチラ覗き見られてい
ると気が散るんだ!」
「何の気が散るっていうのよ! あんた、みくるちゃんにヤラしことしようとでも思って
んの!? ぶっ飛ばすわよ!」
「何がヤラしいことだ! そもそもおまえにゃ関係ないだろ!」
「あのぉ~……」
「関係あるわよ! あんたはともかく、みくるちゃんはSOS団の大切なマスコットなの
よ! あんたみたいなヤツの手垢なんてつけられちゃたまんないわ!」
「ンだとこの……」
「あのぉ、キョンくん、涼宮さん……?」
「「うるさいな!」」
「ひゃう! ご、ごめんなさいぃ~……」
 
モノの見事にオレとハルヒの怒声が被ってしまったわけだが……しまった、勢いに任せ
て怒鳴りつけた相手は、事もあろうに朝比奈さんだった。あまりにもエキサイトしすぎで
気づかなかった……。
 
「ああ、朝比奈さん、すいません。ちょっとここで変な物体を見つけたものでつい……」
「変な物体って何よ! あたしはモノじゃないんだからね!」
「置物のほうが、まだマシだ!」
「なんですってぇ~っ!」
「あ、あのあのっ! け、ケンカはダメですよぅ! それに、どうして涼宮さんがここに
いるんですか?」
 
オレとハルヒの間に割って入り、泣きそうな顔で朝比奈さんが、当然ながらその疑問を
口にした。そりゃそうだよな。
 
「へ? あ~……えっと」
「1人寂しく買い物に来たんだよな? さっき自分でそう言ってたんだ、そうなんだろ?」
 
せめてもの仕返しだ。朝比奈さんの言葉尻に乗っかるようで申し訳ないが、少しでもや
り返さないと気が済まない。そんな剣呑な目で睨まれたところで知ったことか。
 
「そーよ、買い物に来ただけなの!」
「え、お1人なんですかぁ?」
「何よ、1人じゃ何か問題でもあるの!?」
 
だからって朝比奈さんにまで噛みつくな。けどまぁ、こうなればもう、負けん気の強い
ハルヒのことだ。ほかにどんな思惑があったにしろ、これからオレたちの邪魔すれば恥の
上塗りになっちまうこともわかるだろ。そう思ってたんだが……。
 
「それなら、あたしたちと一緒に遊んでいきませんか?」
 
おぉ~い、朝比奈さん。あなたも空気が読めない人なんですか。てか、どうしてハルヒ
を誘うんですか。
いやいや、朝比奈さんがハルヒを誘う理由もわかる。もし仮に、ここにいたのが長門だ
ろうが古泉だろうが鶴屋さんだろうが、1人でいるところを見つければ声をかける、そう
いう優しさのある人だってのはわかっている。
けれど、今のこの状況でそりゃないでしょう。
 
わかってるな、ハルヒ。ここで気を利かせてこその尊敬できる団長さまだ。今まで尊敬
したことなんざただの一度もないが、せめて今、このとき、この瞬間だけはマトモな思考
回路で行動してくれ。いや、そんな不気味な笑顔でニヤリと笑うな。
 
「そうね、あたしも暇じゃないけど、みくるちゃんがそう言うんだったら、ちょっとくら
いは時間を割いてもいいわよ」
 
おまえにミジンコ程度はあると思っていた良心に、期待したオレがバカだった。
 
目の前で朝比奈さんと談笑しながら、朝比奈さん手作り弁当を食べているハルヒを見て、
オレはため息を吐いた。
ここに長門と古泉がいないとは言え、ハルヒが1人いるだけで、それはもうデートなん
て甘い響きが似合う代物じゃなくなってくる。SOS団の集まりみたいなもんさ。
どうしてこうなっちまうんだろうね?
 
「みくるちゃん、また料理の腕上がったんじゃないの? これ、とっても美味しいわ」
「え~、そんなことないですよぉー」
「ほらキョン、あんた食べないの? 食べないなら、あたしが全部もらっちゃうわよ」
「オレの分はいいが、朝比奈さんの分くらいは残しておけ」
 
まったくこいつは、さっきまでキレかかっていたと思えば、一転してこの上機嫌ぶり。
そんなにオレを邪魔したかったのかね?
どうやら運命ってヤツは、オレと朝比奈さんの2人だけの甘い時間を過ごせてはくれな
いらしい。ハカセくん救出のときもしかり、今回もしかりだ。これはオレの運が悪いのか、
それともハルヒがそう望んだからそういう結果になったのか……やめておこう、考えるだ
けで鬱になる。
 
「さ、みくるちゃん。午前中はおとなしめのツマンナイのばっか乗ってたでしょ? 午後
はエンジン全開でいくわよ!」
 
朝比奈さんに抱きついて、満面の笑顔を浮かべるハルヒは、してやったりという顔。
 
はわはわ言って狼狽する朝比奈さんはカワイイが、ここが野外だということを忘れるな
よ。おまえが乱入してきたことに対する怒りが収まりつつあるのに、またオレの堪忍袋の
緒を切らせたいのか。
 
「ハルヒ、チケットは買ってきたのか?」
「あんた何言ってるの。女の子にお金出させるつもり?」
 
勝手に着いてきただけの、グリコのオマケ以下のヤツが何を言ってやがる……。
 
「今日は別にSOS団の集まりじゃないからな。おまえに出してやる金の持ち合わせなん
ぞ、あるわけがない。ほれ」
 
邪魔者のために自腹を切るつもりはさらさらないが、オレは代わりに自分のチケットを
ハルヒに手渡した。あ~あ、まったくオレは何やってんだろうね?
 
「え? な、何のつもりよ」
「何もどうも、オレのチケットを使えって言ってるんだ。荷物もあるからな、荷物番はオ
レの役目なんだろ」
「そうだけどさ。でも……」
 
おいおい、なんで戸惑うんだよ。おまえはおまえらしく、「あら、悪いわね」とか本心
にもないようなこと言って、チケットを受け取ればいいんだ。妙な情けをかけられるとオ
レがバカみたいだろ? もう腹は決まってるんだ。
 
「だ、ダメですよぉ。今日はあたしがお誘いしたんですから、キョンくんも楽しんでもら
わないと……」
 
もうね、朝比奈さんのその一言で救われたよ。だから、もういいのさ。午前中だけとは
言え、朝比奈さんと2人きりで遊べたわけだしな。ホラーハウスで抱きつかれもしたし、
それで十分さ。
 
「朝比奈さんは、こういうところはあまり来たことがないでしょう? オレは十分楽しみ
ましたよ。あとは、美女……2人が楽しんでいる姿を見られれば満足ですって」
 
2人と言ったのは、お世辞だと思ってくれ。本心としては、朝比奈さんだけでも楽しん
でくれればいいんだ。それに、見守ることには慣れている。妹やハルヒのわがままに振り
回されているおかげでな。
 
「それじゃ……チケットもらうけど、あとで返せって言っても返さないからね!」
「あぁ、わかったわかった。だから行ってこい」
 
オレの言葉でようやく踏ん切りがついたのか、ハルヒは空腹の犬が目の前に差しだされ
た肉の塊を奪うようにチケットを手に取ると、朝比奈さんの手を取ってジェットコースタ
ーに向かった。それでいいのさ。
 
それからのハルヒと朝比奈さんは、そりゃもう積極的に絶叫モノに挑み続けた。きゃー
きゃー悲鳴を上げる朝比奈さんと、わーわー騒ぐハルヒはそりゃ対照的だったが……うん、
悪くないね。いいじゃないか。
ハルヒは最初こそ浮かない顔をしていたが、隣で悲鳴を上げる朝比奈さんにつられるよ
うに、一緒になって騒ぎ始めた。本当に仲の良い親友同士って感じだ。もし隣にいたのが
オレだったとして、朝比奈さんがあそこまではしゃいでくれたかどうかは……正直、自信
がないね。下手に気を遣って、あそこまではっちゃけてくれなかったかもしれない。
 
そういう意味では、ハルヒのおかげか。荷物番になった甲斐があったってもんさ。
 
「これでアトラクション関係は全制覇ね!」
 
いったいどこからわき出てくるのか、凄まじいまでのバイタリティで次々と乗り回った
ハルヒが、満足げに胸を反る。とは言え、まだ全制覇してないと思うんだがな。
 
「観覧車はいいのか?」
 
絶叫系アトラクションばかり楽しんでいたのは、いかにもハルヒらしい。それに付き合
っていた朝比奈さんも、見かけによらず体力があるものだと新たな一面を発見した気分だ。
そのためか、午前中にオレと朝比奈さんで楽しんだおとなしいアトラクションはほとん
ど無視して、さらに観覧車など見向きもしなかった。
 
「観覧車か……そうね、すっかり忘れてたわ。でも、あんま好きじゃないのよねー。あん
な狭っ苦しいとこに10分くらい乗って外の景色見るだけだし。高いところに昇るのはあ
んたの役目ね。はい」
 
それは暗にオレがバカと言いたいのか、煙と言いたいのか、それとも猿だとでも言いた
いのか悩むところだが、いい加減、怒る気力すら沸いてこない。そんなハルヒは、オレに
アトラクションのフリーチケットを返してきた。
 
「なんだよ?」
「せっかくだから、みくるちゃんと乗ってくればいいじゃない。あたしは買い物に来ただ
けって言ったでしょ。それじゃね~」
 
ヒラヒラと手を振って、ハルヒは人混みの中に消えていった。あいつが何をしたかった
のか、わかるヤツは三行で教えてくれないか?
 
「朝比奈さん、どうしましょう?」
 
「う~ん、せっかくだから、乗ってみましょ」
 
朝比奈さんがそう言うのなら、オレに断る理由はない。さすがに夜景を見るカップルが
多いのか、それなりに待たされて、オレと朝比奈さんは観覧車に乗り込んだ。
 
……ちょっと待て、この状況はすなわち、朝比奈さんと密室で2人きりってことじゃな
いか? 気づかなければよかったぜ。今になって緊張してくるじゃないか。
 
「わぁ~、綺麗ですねぇ」
 
オレの緊張などお構いなしに、朝比奈さんは徐々に高度を上げていく観覧車からの景色
に、感嘆の声を漏らしていた。なるほどね、夕闇迫るこの時間帯、見える景色はなかなか
ロマンチックじゃないか。
ここであれか、オレは「あなたの方が綺麗ですよ」とか言っちゃえばいいわけか。はっ
はっは、言えるわけがねぇ。
 
「ねぇ、キョンくん」
 
外の景色を眺めながら、朝比奈さんが不意に真面目な声音で尋ねてきた。一瞬、ドキっ
としたのは内緒だ。その声がどこかしら……大人版朝比奈さんに似ていたんだよ。
 
「何ですか?」
「今日はずぅーっと涼宮さんのこと考えてたでしょ?」
「……は?」
 
いきなり何を言い出すんですか。オレが朝比奈さんとのデート中にずっとハルヒのこと
を考えていたって? そこまであの団長さまを崇拝していないですよ。
 
「そういうことじゃなくて……んと、涼宮さんのこと、一緒になってからずぅーっと見て
たの、気づいてなかった?」
 
そんなつもりはなかったんだが……そうなのか? ううん、自分じゃわからないな。
 
「それにキョンくん、どうして涼宮さんがいることに気づいたんですか?」
「そりゃあ……いつも背後から浴びている、あの凶悪な視線を感じましたからね。どんな
鈍感なヤツだって、それを知ってれば気づきますって」
「うーん、そっかぁ~……あたしは気づかなかったなぁ」
 
あいつの視線は特殊ですからね。日中、絶え間なく浴び続けているオレが過敏になって
いるだけかもしれん。
 
「あ、ううん。そういうことじゃなくて……ええっと、あたしが言いたいのは、キョンく
んだから涼宮さんに気づいたんじゃないかなぁ、ってことなの」
「そんなことないですよ」
「うーん、本当ですかぁ?」
 
えへへ、といつものように微笑む朝比奈さんだが、オレはそこに妙な艶っぽさを感じた。
場所の雰囲気だけの話じゃない。なんだろう……なんだろうな、なんだかんだ言っても、
朝比奈さんは上級生のお姉さんってことなんだろう。
いつものふわふわした子供っぽさと、今の妙な色気を見せられると、本当に何歳なんだ
と聞きたくなる。
 
「キョンくん、今日電車の中で、どうして誘ったのか聞いてきましたよね。覚えてますか?」
「ええ、まぁ」
 
いつも助けてくれる恩返しだ、とか言ってたっけ。そんな気にすることもないのにな。
オレの方が、好きこのんで首を突っ込んでるだけの話なんだ。
 
「本当はこうしてあたしの方から誘うのって、実はすっごい禁則なんですよぉ。でも、キ
ョンくんだから平気だったみたい。だから、キョン君はあたしにとってトクベツなんです。
でも……お誘いしたことが恩返しになってるのか、ちょっと考えちゃいます」
 
嬉しいことを言ってくれるね。オレが朝比奈さんにとって特別な存在になっていたとは。
もう十分過ぎるほどの恩返しですよ。一緒にプライベートな時間を共有できたたけでね。
それだけでオレは満足さ。
 
「うーん、でもぉ……」
「いいですよ、真剣に頑張ってる朝比奈さんにこんなこと言うのもアレですが、オレは楽
しんでますからね。それより、そろそろ頂上ですよ」
 
せっかくの絶景だ。オレも窓の外に目を向ける──と、不意に観覧車が揺れ、顔に影が
かかった。「えっ」と思う間もない、オレの頬に柔らかい感触が慎ましやかに一瞬だけ触
れて離れる。
 
顔を正面に向ければ、驚くほど間近に朝比奈さんの真っ赤になった顔。何をされたのか、
しばらくの沈黙のあとに気づいた。
 
「ええっと……今のが、恩返し……ですか?」
 
我ながら、みっともないっつーかなんと言うか、どうしようもない質問だなと思うよ。
女性に、しかも朝比奈さんに恥をかかせるような質問じゃないか。つくづく、こういうシ
チュエーションに慣れていない自分が情けない。
 
「うん……あ、ううん。今のは、えっと、自分へのご褒美って言うか、わがままって言う
か、そのぉ……わ、忘れてくださいっ」
 
うん、それは無理ですね。記憶喪失になっても覚えていられる自信が、漲っていきた
と断言できますよ。
 
「えっとぉ……今のこともそうなんだけど、それとは別にキョンくんに謝ることがあるの」
 
朝比奈さんに謝罪されなければならにようなこと……はて? オレが謝らなくちゃなら
ないことなら、即座に10個くらいは頭に浮かぶんだが、朝比奈さんのほうから謝罪され
ることなんてあったかな?
 
「実は今日、涼宮さんが来るんじゃないかなって、ちょっと思ってました」
「……え?」
「ううん、思ってたんじゃないわ。試してた……んだと、思います。キョンくんが今日、
涼宮さんのこと考えていたように、涼宮さんもキョンくんのこと考えているのかなって」
 
「考えるもなにも……ハルヒは毎日、訳の分からないことしか考えてないでしょう」
「ううん、そういうことじゃなくて。えっと……ココロの繋がりって言うのかなぁ、うーん、な
んて言うのかな? ごめんなさい、自分でも何言ってるのかわからなくなっちゃいました」
 
んー……っと、オレはどう答えるべきなのかな? 返答に窮していると、朝比奈さんは
ちょっと恥ずかしそうに、けれど楽しそうにオレを見ていた。
まったく……朝比奈さんも、ハルヒの悪いところが感染したんじゃないのか?
 
「あとで、涼宮さんのところに行ってあげてね」
「あいつなら、もう帰っちゃいましたよ」
「本当にそう思う?」
 
やれやれ……どうしてSOS団に集まった女性陣は、一筋縄ではいかない相手ばかりな
んだろうな。とっくにわかっていたことではあるがね。
 
「もしかして、それが朝比奈さんからの恩返しですか?」
「それは……ふふ、禁則事項です。でも、もうバレバレですね」
 
どこか寂しそうで、でも満足そうに、ヴィーナスさえ霞むような笑顔を浮かべて朝比奈
さんはそう言った。
 
観覧車から降りると、朝比奈さんは「今日は本当にありがとう」と、何度も何度も頭を
下げてくれた。礼を言うのはむしろオレの方かもしれない。いや、誰が一番礼を言うべき
かは、他でもない、土産物屋で所在なげにウロウロしているコイツだろう。
 
「いったい誰に対する土産を買うつもりだ」
「いいでしょ別に。この人形、けっこうカルトな人気があるのよ」
「おまえが人形って柄かよ」
 
ハルヒが手に持っているのは、この遊園地のマスコットキャラクターの人形だ。名前は
忘れたが、人型キャラクターでロングヘアの女の子。好きな食べ物はスモークチーズだっ
けかな。どこかしら鶴屋さんに似てるのは、鶴屋家がスポンサーになってるせいなのかね?
 
「そんなことよりあんた、なんで1人でここにいるのよ。みくるちゃんはどうしたの?」
「先に帰っちまったよ」
「はぁ? あんた何やってんの!? ちゃんと女の子を家まで送り届けるのが正しいデート
じゃない。あっきれた、トコトン甲斐性なしね」
 
お、女を殴りたいと思ったのは生まれて初めて……でもないが、さすがに暴力で物事を
解決するのはイカンよな。言葉の暴力なら、受けて立ってやるが。
 
「何がデートだ。おまえが乱入したおかげで、朝比奈さんも落ち込んでたぞ。せっかく楽
しみにしてたのに、邪魔されちゃいました……ってな」
「え……ホントに……?」
 
100パーセント、完全無欠にウソだ。ウソなんだが……これがけっこう、ハルヒ的にダ
メージが大きかったようで、こいつにしては珍しく、表情を曇らせた。
こりゃまずい。このせいで閉鎖空間でも作られた日には、古泉にどんな愚痴を言われる
かわかったもんじゃない。
 
「ウソだよ。朝比奈さんがそんなこと言うわけないだろ」
「……へ?」
「朝比奈さんは、これから鶴屋さんと約束があるってんでタクシーの乗せて送ったよ。今
日はありがとう、ってことだ」
 
よくもまぁ、オレも咄嗟の思いつきでそれらしいウソを言えるようになったもんだ。
 
「な、何よそれ! あんた、あたしをからかったってこと? それが何を意味するか、わ
かってるんでしょうね!?」
 
知らん。というか、オレのささやかな抵抗くらい、大目にみてくれたっていいだろ。
 
「その人形でも買ってやるから、少しは大人しくしてくれ」
「ふん、あたしをモノで釣ろうってわけ? そうはいかないわよ! そうね、あと……あ
たしと一緒に観覧車に乗るのこと! これは団長命令なんだからね!」
 
「観覧車には興味がなかったんじゃないのか?」
「これはっ、だんちょーめーれーなのっ! 文句も拒否も却下よ、大却下なんだからね!」
 
どこの子供だ、おまえは。うちの妹だってもうちょいマシだぞ?
 
「やれやれ……それじゃ、仕方ないな」
 
朝比奈さん、これもすべて規定事項ってヤツですか? フリーチケットをわざわざオレ
に渡していたのも、こうなることが分かっていたんですかね? いつもは庇護欲をそそる
愛くるしい上級生なのに、今日はまるで朝比奈さん(大)みたいじゃないですか。
 
それとも、SOS団でもっとも女性らしい女性だと納得するべきなのかな。オレにはわ
からない女心ってのが、よくわかってらっしゃると感心するところなのか。
 
「ほらキョン! ぼさーっとしてないで、早く行くわよ!」
 
会計を済ませた人形を両手で抱きながら、真夏の太陽でさえ曇って見える燦々とした笑顔を浮かべ、一人さっさと駆け出すハルヒを見て、オレはため息を吐く。
 
「おい、待てよ」
 
わざわざハルヒに合わせて走るオレもどうかしてると、我が事ながら思う。
でも、仕方がないじゃないか。これが、朝比奈さんからの恩返しらしいからな。せめて
観覧車くらいはハルヒに付き合ってやらなきゃな、罰があたるってもんさ。


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最終更新:2021年09月10日 15:07