「いいですか、朝比奈さん。あまり視覚を頼りにしないで、心で感じるんです」
「はぁ・・・」
「ジーッと見てもダメです。パッと見てパッと離す。それでなんとなくは分かる筈です・・・よ?」
「はぁ・・・」
「・・・」
「・・・」
・・・おっす、オラキョン。今回も何かよく分かんねぇことになってるぞ。
などと、キャラを変えてみても、この状況は打破できない。俺は今、ある意味では東大の入試問題より難しいことを、朝比奈さんに教えようとしている。
「それでは、部室に入って、長門の顔を見てみてください」
「はい・・・やってみます・・・」
 
小学2年生のときの担任の先生は、逆上がりの出来なかった俺に対して言った。
「だからね!こうちゃんと鉄棒を握って、タタタッって助走して、ポーンって踏み切るの。そしたらクルッって回るから。じゃぁやってみなさい」
そんな感覚的な説明で分かるわけ無ぇだろ!と子供心ながらに思ったのだが、今はその先生の気持ちがなんとなく分かる。
ちゃんとした言葉で説明しようが無い。逆上がりの仕方も、今俺が教えようとしていることも。
長門なら、逆上がりのやり方なら上手く言語化してくれそうだ。多分それを聞いたら生後5ヶ月の赤ん坊でも逆上がりが出来るようになるだろう。理解出来ればの話だが。
ただ今回の場合は、長門に聞くわけにはいかない。
「じゃぁ、やってみます。長門さんの顔をパッと見てパッと離すんですよね?」
何故なら、俺が教えようとしているのは、長門の表情の読み方だからだ。
 
事の発端は、30分程前に遡る。
 
部室に居たのは、長門と朝比奈さんだけだった。
「あれ?2人だけですか?」
少なくともハルヒは来ているものかと思っていたが。あいつはいつも音速で教室を出て行くからな。
「は、はい・・・まだですね・・・」
何故かメイド姿の朝比奈さんのテンションが、何時に無く低い。それはそれで可愛いけども。
「朝比奈さん、元気ないですね。何かあったんですか?」
「いえ、その・・・」
もじもじする朝比奈さんもまた可愛い。
「キョン君、ちょっといいですか?」
「はい、なんでしょう」
「あの・・・ちょっと外へ・・・」
ええ、貴方のところになら頼まれなくてもついて行きましょう。ってそれはただのストーカーか?
俺は、いつものように部室の端で読書に耽っている長門をちらっと一瞥する。別に俺達が居なくなっても問題は無いだろう。
 
「で、なんですか?」
部室の前で、俺が聞いた。何故か不安そうにしてる朝比奈もかわい・・・って俺こればっかりか?
「そ、その・・・長門さんのことなんですけど・・・」
「はぁ・・・」
それは珍しい。朝比奈さんは長門には関わらないようにしているものかと思っていた。
「で、長門がどうかしたんですか?」
「その・・・さっきまで部室に二人で居たんですけど・・・何か気まずくて・・・」
あー、よく分かります。場面が目に浮かびます。
「それはあまり気にしなくていいんじゃないですか?元々ああいう奴なわけですし」
「でも・・・折角一緒に居るんだから・・・仲良くなりたいじゃないですか・・・?」
世界中の人々が、この人のようだったら戦争なんか起きないのになぁ。
「でも長門さんが苦手なのって私だけじゃないですか。涼宮さんも古泉君もキョン君も。長門さんとは仲良しでしょ?」
んー、『仲良し』とは多少違う気がするが。
しかし、少なくとも俺は長門のことは全然嫌いじゃない、というかどちらかと言うと好きだ。
相手がどう思ってるのかはよく分からんが、嫌われてはいないんじゃないか?
「えーっとそれで・・・どうやったら長門と仲良くなれるかを俺に聞いてるんですか?」
「はい」
それは難しい・・・が朝比奈さんの頼みだ。断るわけにはいかない。
「じゃぁとりあえず、長門のことを分かってあげることから始めてみてはどうでしょうか?あいつだっていろんなことを考えてるんですよ」
「そう・・・なんですか?私にはずっと同じ顔のようにしか・・・」
普通の人はそうかもしれないな・・・。
というか自分だって何故長門の表情が分かるのかが分からない。それを人に教えようとするのがまず無理なのかも知れない。
とりあえず分かる範囲で教えて差し上げよう。何かの参考にはなる筈だ。
「いいですか、朝比奈さん。あまり視覚を頼りにしないで、心で感じるんです」
「はぁ・・・」
 
という感じで今に至る。
 
今更ながら自分に「お前はオビワン・ケノービか!?」とツッコミを入れたくなる。心て、心で感じろて。
ただ、長門関連について言ったことだったら問題無いような気もする。あいつは確実にジェダイの騎士以上の力は持ってるさ。
「じゃぁ、やってみます。長門さんの顔をパッと見てパッと離すんですよね?」
「はい。まぁとりあえず一回やってみれば良いと思います」
「はい」
「・・・」
「・・・」
「戻りますか?」
「はい」
俺が扉を開け、二人で部室に再び入ると、長門はさっきと全く変わらない姿勢で読書中だった。
俺と朝比奈さんは向かい合った席に座り、一度目を合わせた。
 
「・・・」
「キョン君、ちょっと・・・」
根気良く13回ぐらいそれを繰り返したあと、朝比奈さんはこう言って席を立った。俺もそれに習う。
再び部室の外に出るやいなや、朝比奈さんが言った。
「分かりません。全く」
「そうですか・・・」
「もしかしてキョン君、からかってます?」
「まさか」
からかう、と言うか俺自身も何をどう教えればいいのか良く分かっていないのだ。多目に見てください。
「じゃぁ・・・普通に話し掛けてみればどうですか?無視はしない筈です」
多分。
「・・・そうですよね・・・そうしないと何も始まりませんよね」
「じゃぁ、やってみますか?」
「はい」
こうして俺達は再び部室へと舞い戻る。
 
部室を出たり入ったりしてる俺達を長門はおかしいとは思わないのだろうか。もしかしたらもう感づいてるかも知れないな。
「じゃぁ、行ってきますね」
朝比奈さんが決心したような顔をしたあと、パッと長門の方を向き、パッと視線を俺に戻した。それを何度か繰り返す。
決心したような顔がまたもやかわ(略
朝比奈さんは、多少ギクシャクした動き方で長門の近くまで歩いていくと、口までギクシャクさせながらこう言った。
「な、長門さん!何読んでるんですか!?」
朝比奈さんの100%ギクシャクな感じが非常に微笑ましいが、笑ってはいけない。朝比奈さんは大真面目なのだ。
大声でそんなことを質問された長門は、以前俺にそうしたように、朝比奈さんに対して本を持ち上げて表紙を見せた。
見たところ朝比奈さんには表紙の文字が読めなかったらしい。俺が見るところドイツ語っぽいがどうだろうな。
「・・・お、おもしろいですか?それ」
「・・・普通」
「へ、へ~・・・よ、良かったら今度貸してくれませんかぁ?」
「貴方には理解出来ない」
「で、ですよね~・・・」
また、気まずくなってきたな。さて、俺が救いの手を差し伸べてやろう。そう思ったその時、長門が言った。
「貴方と私が親密になる必要は無い。私は仕事でここに居る。あなたも」
「・・・」
部室に沈黙が降りてきた。
数秒後、それを破ったのは、朝比奈さんの震える声だった。
「ど・・・どうしてそんなことを言うんですか・・・?私は長門さんと仲良くなりたくて・・・」
「私の仕事は涼宮ハルヒと、そこ居る彼の観察と保護。それ以外は無い」
「そうだけど・・・折角一緒に・・・なったのに・・・!」
そうこまで言うと朝比奈さんはダッシュで部室を出て行った。
「朝比奈さん!」
俺があとを追おうとドアを押し開け、体を半分外に出したところだ。
「あれ?何やってんのキョン。そんなに慌てて」
ハルヒと出くわした。
 
「え?何かあったの?キョン?」
ここで詳しく説明している暇は無いだろう。
「あー・・・まぁちょっとあって、朝比奈さんが逃亡してしまった。しかもメイド服のままだ」
「え?何で?」
「それはあとで説明する。だから今は朝比奈さんを探しに行ってくれないか?多分あっちだ」
「んー、あんたの指示で動くのは癪だけど・・・まぁいいわ。団長は団員一人一人の心に気を使うべきよね」
「そうだな、じゃぁ頼む」
いきなりでくわしたハルヒとそんな会話を交わし、俺は急ぎ部室へと戻る。長門とは今話をすべきだ。
 
何事も無かったかのように、読書に戻っている長門に、俺は少しの憤りを覚えながら言った。
「どうしてあんなことしか言えないんだよ」
長門は本から俺に視線を移して言う。今のところ何の表情も浮かんでいない。
「私は事実を言っただけ。それは彼女も理解している筈」
「そうかもしれないがな、朝比奈さんはお前と仲良くしてやろうとしていたんだぞ?それを突っぱねること無いだろ」
「私と朝比奈みくるが交友関係を結んだところで何の意味も無い」
「それもそうかも知れないが、お前も人の気持ちを考えるってことを学んでみたらどうだ?お前なら簡単だろ」
・・・俺は気付いた。今長門に一瞬だが、悲しみの表情が見えたことに。
「どちらにしろ朝比奈みくるは、私のことを良く思っていないし、これからもそう」
そうとは限らないだろ。そう言おうとしてハッとなる。
世界の消失のとき、朝比奈さん(大)は「長門のことが苦手」だと言っていた。これは結局朝比奈さんが長門苦手を克服していないことになる。
 
だがな、
「・・・せめて朝比奈さんに、愛想良くしろとは言わないが、仲間として接してやってくれないか?」
今の長門は無表情。だが、きっと何か考えてくれている。
「ハルヒが勝手に、突発的に作った団だが、一応お前も俺も朝比奈さんも、あと古泉も同じ団員で、仲間だろ?」
やはり無表情。
「お前にはお前の、朝比奈さんには朝比奈さんの事情があるのかもしれん。でも二人の間じゃぁ関係ないだろ?」
無表情。
「お前が態度を変えれば、朝比奈さんの考えだって変わるさ。頼む、少し考えてくれ」
長門は、俺の目を数秒間凝視し、その後静かに言った。
「そう」
本に視線を戻す。
「わかった」
「・・・ありがとう、長門」
 
俺がそう言ったとき、朝比奈さんとハルヒ、それに古泉が部室に戻ってきた。
 
「で、一体何があったのか聞かせてもらおうかしら」
長門をチラチラ見ながらそわそわしている朝比奈さんの横で、腕組みをしながらハルヒが俺と長門に聞いてくる。
すまないがハルヒ、今回お前の出る幕は無さそうだ。
「そのことだが・・・さっき長門とは話をした。今は何も言わないでくれるか?」
「えー・・・良いの?みくるちゃん」
「はい?えーっと・・・」
朝比奈さんは、ハルヒの突然の振りに多少戸惑ったようだが、しばらくするとこう言った。
「良いです。キョン君がそう言うなら」
俺はそれなりに信用されてるようで、良かったね。
「そ、そう?そう・・・」
ハルヒが団長席に座りながら「なんか今回私の扱い酷くない?」と呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
いつもお前に尽くしてるんだ。今日ぐらい許せ。
「話は終わりましたか?通常の活動に戻ってもよろしいでしょうか」
古泉が苦笑しながら言う。ところでお前の言うSOS団の通常の活動とは今出してる囲碁のことなのか?
 
それからはまぁいつも通りだ。長門と朝比奈さんが話さなくても違和感無いのが現実だからな。
俺は囲碁で古泉に三十六目半勝ちしたし、ハルヒはネットサーフィンに興じていたし、長門は読書していた。
朝比奈さんも俺と古泉の対局を黙って眺めていただけだ。
いつも通りの部室。
いつものように長門がパタンと本を閉じると、俺達は帰り支度を始めた。
 
「待って」
帰り際、長門が朝比奈さんにそう話し掛けるのを俺は見た。
「え!?え?な、なな、何ですか?」
多少キョドる朝比奈さんに向かって、長門は淡々と続ける。
「貸す。読んで」
そう言って長門が差し出したのは、海外の童話の本だった。当然翻訳本。
「え?え?私にですか?」
「そう」
「え・・・はい・・・ありがとうございます!長門さん!」
「いい」
 
そう言う長門の顔は、心なしか微笑んでいるように見えた。
 
END

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最終更新:2020年04月13日 05:27