○第一章

「キョーンくん! おはよ!」
翌日通学路で早速長門と出くわした。なんだお前、朝から俺の調子を狂わそうというのか。
「えー何それ? 今日はたまたま寝坊しただけだよ」
「寝坊してこの時間か。そういえばいつも何時に登校してるんだ?」
俺がそういうと長門は顎に人差し指をあて呻吟し、
「んーと、始業一時間前かな?」
いくらなんでも早すぎんだろ。
「だって、ハルヒちゃんの観測しないといけないじゃない? それがわたしのお仕事だもの。
万一ハルヒちゃんが学校に早く来た時のために、わたしはいつもそうしてたの」
なるほどな。一年経って明かされる真実があったものである。道理で一度も長門と出くわさないわけだ。
ん? となると……
「今日はいいのか? 観測するんだろ」
「だって寝坊しちゃったんだもん、しょうがないじゃない」
いいのかそれで! しょうがないで済むならハルヒの超変態パワーもまったく阻止する必要がない。
「この性格になってから、本当に危機的な状況以外は看過してもいいんじゃないかって思ったの。統合思念体のインターフェースはわたしだけじゃないしねっ!」
春本番のようなほわわんとした笑顔が俺の鼻腔にありもしない花粉を運んでくるようである。


そんなこんなで学校に着いてしまった。
いや着くことに何の問題もないのだが、何故俺は残念そうな物言いをしているんだろう。
「ようキョン!」
すぐに谷口に背中を叩かれた。
「ん、谷口か」
「見たぜ」
即座に嫌な予感が俺の神経回路を時速300kmで走り抜けた。
まだ起きてからそんなに経っていない。今までに見られてしまう出来事などそういくつもない。
「長門有希と実は付き合ってたんだなお前」
そこまで話が飛ぶのか! 飛躍しすぎだろ! いくらお前がウルトラSランクのアホでも、こうも快活に事実と違うことを言われると絶句するより他にない。
「……。お前、本気でそんなこと言ってるのか?」
俺は谷口の肩に手を置き、時間をかけて釈明しようとすると、
「おうよ! だって長門有希は誰とも喋りたがらないんだぜ? 急にお前とペラペラ喋ってるなんておかしいだろうが」
おかしいのは貴様の頭だ! と言えるわけもなく、俺は別の言い訳をした。
「なぁ谷口、いつでもいい。6組に言って、長門を見てくればいい。あの態度が俺に対するものだけじゃないってことに、お前も気が付くだろうぜ」
すると谷口はにかっと笑い、
「長門有希の態度なら今まで散々目にしてきてるぜ。今さら見に行くまでもねぇ。それに、今日は終業式だろ。
そのあとHRやって、無事に一学年終了じゃねぇかよ」
いや全然無事にじゃないぞ。俺は昨日から何かこう気持ち悪い感じがしてしょうがないのだ。別にあの長門が悪いってわけじゃないのだが、それに伴う俺の日常の雰囲気の変化というか、慣れないんだ要するに。
「何わけ分かんないこと言ってんだ。長門とお幸せにな!」
冷やかしを放って谷口は自分の席へ向かった。まぁいい。あいつにもいずれ分かることだ。6組の連中は今頃、というか昨日にはもう長門の変化に気付いているはずなのだ。
……どんな反応をしたのかが非常に気がかりである。
クラスメイトの性格が一夜にして変わっていたら、誰でも疑問を抱くだろう。


つつがなく終業式とHRは終了し、年度修めの通知表に心をそら寒くしつつ、俺は部室に向かった。
「なぁハルヒ」
「何?」
ハルヒと並んで部室に向かうのがこのところの日課であった。そりゃクラスが同じなんだから、どちらかが掃除当番でもない限り同じ場所に同時刻に向かうことになる。
「長門が昨日変だったとか思わなかったか?」
そう訊くと、ハルヒは一瞬表情をなくし、それからまた笑って、
「最初だけね。でも、有希にも変わりたいって思うことがあったのかもしれないわ。あの子はちょっとすることが極端なとこあるから」
それをいったらお前はどうなるんだ。長門が極端ならお前の奇行に当てはめるべき語句は辞書に存在しないだろう。しかしそれで納得してしまえるのが何ともハルヒである。こいつの勘の鋭さはいつも発揮されるわけじゃないのだろうか。
「それとね」
ハルヒは俺に挑戦的な目を向けて言った。
「言っておくけど、有希がどう変わっても、あんたあの子を泣かせるようなことするんじゃないわよ」
しねぇよ。それだけは誓っても……
「……」
「どうしたのよ? 有希を傷つけたら罰則を10個同時に課すからね!」
ハルヒはさっさと部室の方へ歩いていってドアを開けた。俺はその場に立ち尽くしていた。
よぎったのは年末のあの長門の表情だ。薄く微笑み、俺の袖を弱くつかんだ、幻の長門。
「くそ……」
あの長門がもしもあのまま存在していたら、俺はあいつに何もしてやれなかったことになる。
そればかりか、俺はわけの分からない発言をして、そのままあいつの前から消えてしまったのだ。
これは、傷つけたうちに入るのか……?


ハルヒより一分ほど遅れて部室に入る。
「あ、キョンくん! 元気?」
くすくす笑って長門有希第三人格は挨拶した。胸が傷む気がしたのは気のせいじゃないはずだ。この長門もいつか消えるのか? それともこのままか? だったら一昨日までの長門が消えたことになるのか? 俺は混乱していた。
「どうしたの? 何か心配事? それならSOS団にお任せだね!」
ぱたぱたと駆けて長門はお茶の用意を始めた。……ん?
朝比奈さんのほうを見る。
「あ、あたしと長門さんで日替わりでお茶をいれることにしたんですよー」
朝比奈さんはにこりと笑ってそう言った。メイド衣装なのは相変わらず。
俺はしぶしぶと椅子に座る。どうしてだろう。俺だけがこの変化についていけていない。これまで異常事態に遭遇した数ならここにいる四人に負けていないはずだ。それに対する順応力も去年の春に比べて格段に上がっている。なのになぜだろう。何か違うんだ。それとも、こんな事を思っているのは俺一人だけか?


部室を春風が通り抜けた。もう冬は終わりだ。
今まで色々あった。ありすぎた。全てはこの部屋から始まったんだな。
一年がこれで終わると思ったら、最後の最後で長門が変わっちまった。それでいいのか?
「浮かない顔をしていますね。一年生の終わりが名残惜しいのですか?」
古泉が微笑をたたえて言った。今思ったのだが、長門が変わったおかげで、この部室で普段笑わないのは俺くらいになってしまった。……これから俺もこいつみたいに微笑み君にならないといけないのだろうか。
「そんなことはねーよ。一年生をもう一度やるなんてのもごめんだ。十分すぎる」
「えぇ、その通り。涼宮さんもそう思っているでしょう」
古泉は首を傾け右側に流し目を送った。
ハルヒは長門となにやら話し込んでいる。二人とも節目節目で共に笑い、さらにハルヒは朝比奈さんに手招きをして女子ユニット全員で談笑を続ける。普通の仲良し三人組だ。
なぁ古泉、これがお前の言っていた平穏な日々なのか?
口には出さなかったが俺は思う。古泉はいつかハルヒが力を失うだろうと言っていた。ひょっとしたら長門が宇宙人属性を失って、いつかは朝比奈さんが未来に帰るとも。その時には古泉、お前の超能力も無くなっているのだろう。
だが、それはもう少し先のことだと思っていたし、今その時が来てしまったら、俺は受け入れる自信がない。
あの十二月以降、俺はこの団がかけがえのないものであるという認識を強めていたし、誰かがSOS団に危害を加えるようであれば、何としてもこの日々を守ってやりたいとも思う。
しかしこの状況はそうではないのだ。それに、終わりを告げられたわけでもない。
俺が何かを怖れているとしたら、それは目に見えない形で進行する変化だ。
変わらないことを望んでしまうから、変わったときにどうしてもうろたえてしまうのだ。
この長門の変化も、そのひとつだ。
これから春休みだが、俺はいつも通り振舞えるだろうか。この長門に、どんな態度で接してやればいい?
こいつが望んで変わったのなら、俺はそれを否定などしない。別に世界を変えたわけじゃない。
だが、あの長門がいなくなってしまったように思うのは、消しようのない事実だ。
ハルヒや朝比奈さん、古泉はどうしてこんなにすんなりと受け入れることができるんだ。

春風がたえまなく吹き抜ける昼下がりの部室で、俺は一人で思い悩んでいた。
俺以外の団員は、全員が笑っていた。


「それじゃ帰りましょう! 次にこの部室に来るのは新学期だから、忘れ物とかしないようにね!」
ハルヒが宣言した。俺はすぐさま訊き返した。
「春休み中は部室使わないのか?」
「うん。あ、明日は市内探索するからね! 皆朝九時にいつものところに集合」
春休み中遊び倒すつもりだろうか。



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