長門ふたり

第五章 長門を消去せよ!

「エージェント番号○×□□、朝比奈ミクル、定期レポートを提出し状況を報告しなさい」
「はい」
みくるは久しぶりに自分の時空に戻っていた。時間管理局でのレポートはいつも緊張する。
「今回提出したレポート番号○○にある通り、涼宮ハルヒには変調は見られません。
過去一ヶ月間に新たな時空の歪みを生成した痕跡もありません」
「よろしい、朝比奈みくる。ご苦労だった」
ほっと溜息をつくみくる。思えば、ここに出頭して「過去」でエージェントとなる
命令を初めて受けてから、既に1年以上の時間が経過していた。
最初は嫌だった。一人だけで、知る人もない世界に行き、自分の正体を明かすことも
許されない。心の内を打ち解けられる友人も、甘えられる恋人も作ることは許されない。孤独と
欺瞞に満ちた日々。ここに来る度に「任務解除」を申し渡されることを心密かに願ったものだ。
今も心密かに、ここに来る度に願うことがあるのは変わらない。もっとも、今では
「任務解除」を申し渡され「ない」ことを願っているのだが。
「みくる」
「はい」
「新しい任務を言い渡す」
「えっ」
「心配するな。お前が今の時間平面での任務継続を可能なかぎり長く続けたいと
思っていることはよく認識してる。新任務は、同じ時間平面での任務だ」
「はい、ありがとうございます」
「新任務は情報統合思念体の情報端末の破壊だ」
「はい」
「このデータカードに当該情報端末の情報が入っている。
確認してから破壊するように。破壊のための手順もデータカードに
記述されている。下がってよろしい」
「はい」
どうやら、みくるは情報統合思念体の情報端末の破壊という付加的な
任務を命じられたようだった。観察以外の任務を請け負うことは滅多に無かった。
「頑張らなきゃ」
自分がドジなのはよく認識している。自分がすることは観察ばかり。
規定事項と禁則事項の山。未来人なのに何も知らされない不合理。
そんな自分が時おり悲しくなる。そんなとき、SOS団のみんなとすごすと
本当にほっとする。正体を明かせないはずだったのに、今では自分の未来人という正体を
知りながら、それでいて仲間だと思ってくれる人間があの時間平面に3人もいるのだ。
古泉君、長門さん、キョン君。なるべく長く、今の任務を続けたい。そのためには
この任務を確実にやりとげなくては。自分の情報端末にデータカードを差し込む
(と言ってもキョンの時代の人間がみたら、名刺大の板を額にあてたようにしか
見えないだろう。この時代の情報端末は脳に内蔵である)。

ターゲット:ヒューマノイドインターフェース

長門の顔が思い浮かんだ。ちょっと気分が暗くなった。あんなのを破壊するのだ。
ちょっと見には人間と見分けがつかない。気分がいい仕事じゃ無いな。
でも、いくら見た目が人間でも所詮、ヒューマノイドインターフェースは死の概念
すら理解できない冷酷な機械に過ぎないのだ(長門さんは違うけど)。
躊躇してどうする、みくる頑張れ!
続けてデータを読み込み表示したみくるが脳内ディスプレイの中に見たのは
無表情な長門の顔だった。

「できません!」
みくるは泣きながら時間管理局に取って返した。
「なぜ、できない」
「長門さんは、長門さんは、大切な友人なんです」
「だから?」
「だから殺すことなんてできません」
「殺すのではない。破壊するのだ」
「同じことです」
「この任務を拒否すれば現在の任務も解除しなくてはならないが
構わないのか?」
任務の解除?じゃあ、もう二度とみんなに会えない。
「こ、困ります」
「それでは、ヒューマノイドインターフェースの破壊を遂行するのだな?」
「そ、それは」
みくるの目から涙があふれ出た。長門有希を殺すか、このまま一生みんなにあえないか、
どちらかを選ぶしか無いのだ。答えは決まっていた。
「任務を解除して下さい...」
みんなの顔が思い浮かんだ。キョン君、長門さん、涼宮さん、古泉くん、鶴屋さん。もう二度と
会えない。お別れも言えなくてごめんなさい。
「朝比奈みくる」
「は、はい」
「お前は解ってないようだな」
「何が、ですか?」
「お前が辞退しても当該ヒューマノイドインターフェースは別の時間監視員の手で
破壊されるのだぞ。お前にその任務を与えたのはせめてもの情けだと言うことが解らないのか?」
「ど、どういうことでしょう?」
「お前以外のものがこの任務遂行を命じられていたらどうなるかよく考えてみることだ」

談笑するSOS団員。ふいに襲い来る影。倒れる長門有希。呆然と立ち尽くすみくる。

私が拒否しても何も変わらないんだ...。みくるは自分の無力さを噛みしめていた。
「わ、わかりました。任務を遂行します」
「よろしい。では行きたまえ」
長門有希の破壊は規定事項なのだ。自分にどうこうできることではない。
だったら、せめて、自分の手で。少しでも長門さんが苦しまない方法で....。

時間管理局から渡されたデータカードに入っていたヒューマノイドインターフェースの
破壊方法は拍子抜けする程簡単だった。データカードには粉末ウィルスの作成法が
記されていた。これをお茶に入れて飲ませる。ただそれだけ。ウィルスは人間には全く無害。
ヒューマノイドインターフェイスにとっては致命的。摂取後、1秒でウィルスはインターフェースの
情報中枢を破壊する。それでおしまい。SOS団所属メイドであるみくるにとっては
この上なく容易な長門有希破壊方法だった。

次の日、みくるは早めに部室に行くとお茶の用意をし、準備してきた粉末ウィルスを
お茶に溶かした。味も匂いも全く無い。長門有希が入って来る。すかさず、お茶を
だす、みくる。

「大丈夫?」
「え、どうしてですか?」
「あなたの脳波がはげしく乱れている。不安感の印」
「なんでもないですー。ちょっと夜更ししたんです、昨夜。
さ、お茶を飲んで下さい」
長門は黙って湯飲みを手に取るとぐいっと...
飲まなかった。そのまま湯飲みを机においた。
「朝比奈みくる」
「は、はい!」
「本当のことを話して」
「本当のことって」
「なぜ、あなたはそんなに不安感に苛まれているのか。理由があるはず」
「そ、それは」
「話して。真実を」
もう限界だった。
「ご、ごめんなさい。長門さん。わたしはあなたを「殺そうと」したんです」
「そう」
長門は本を開くと続けて読みはじめた。
「あのっ、怒らないんですか?」
「あなたは悪くない。悪いのはあなたにこの任務を与えた人間。
あなたを怒っても無意味」
「そ、それはそうですが」
「とにかく、話して、全部」

その日の部活が終わるとあたし達は長門さんのマンションに集合した。涼宮さんの
前で放せる話題ではなかったからだ。そこでキョン君達が聞かされたのは驚天動地の
真実だった。
「朝比奈さんが長門さんを殺すのを拒否するとどうなるんですか」
「わたしの任務は解除され、より強力なエージェントが送り込まれてきます。
今度は私のように観察が主たる任務のエージェントではありません。
実働部隊としてありとあらゆる特殊任務を遂行するように高度の訓練を
受けたエージェントです」
「そいつらは長門に勝てるんですか?」
「わかりません。でも、彼らにはいろいろな能力が与えられているはずです。
勿論、申請無しで時間移動する権限も与えられています。
たやすい相手ではないと思います」
「あなたは失敗したと報告すべき」
「でも、そうなったら、わたしは任務を解除されます」
「されない」
「されないにしても新しいエージェントが...」
「構わない」
「わたし『たち』は消去されない。大丈夫。信じて」
「わかりました。言う通りにします」
「明日、粉末ウィルスをもう一度飲ませて。いまからワクチンを
作成するのでわたしには効かなくなる。あなたはただ
ウィルスを飲ませて失敗したとだけ報告して」
「はい」

翌日。お茶の中に粉末を溶かし、みんなに出す。
何も知らない涼宮さんは勿論、ぐいっと飲み干す。
古泉くんとキョン君もゆっくりと飲み干す。
いよいよ長門さんの番。手が震える。今にもお茶をこぼしそう。
お盆がかたかたなってしまう。もし、ワクチンが効かなかったら?
長門さんが「死んで」しまったら?
「大丈夫。信じて」
長門さんはお茶を飲んだ。それから永遠と終われる程長い一秒が経過した...。
長門さんは静かに茶碗を置いた。
みくるは跳び上がって喜ぶのをなんとかこらえなくてはならなかった。

「状況を報告せよ」
「失敗です。粉末ウィルスを摂取させましたが効果ありませんでした」
「そうか。さすがに簡単にはいかないようだな」
「はい」
「さがってよろしい」
「は?」
「任務に戻りなさい」
「ですが、わたしは失敗を」
「朝比奈みくる。君の本来の任務は涼宮ハルヒの観察だ。
その点に関しては今の君の当該時空での立場は余人をもって代え難い。
今回の任務の失敗は大きな問題ではない。君は指令通り任務を果たした。
失敗したのは君ではない。ウィルスだ。下がってよろしい」
みくるは驚いていた。てっきり、これで終わりだと思っていたのだ。
だが、長門さんは正しかった。彼女は私が任務解除されないことを知っていたのだ。

部室で長門と二人っきりになった時、みくるは長門にこっそり告げた。
「ウィルスは効かなかったと報告しました」
「そう」
「新手のエージェントが来ます。わたしとは比べ物にならない凄腕が」
「大丈夫。まかせて」
本当に大丈夫なのだろうか?みくるは不安だった。

長門しかいない文芸部室。しずかにページをめくる長門。
ふいに、時空の乱れを感じて顔をあげると目の前には
不敵な笑いを浮かべた男性が一人。手には奇妙な装置を
持っている。
「あなたは誰?」
「おまえが知る必要は無い。なぜならこれから...」
「あなたが死ぬから」
突然、後ろから声をかけられて男は驚愕して振り返った。
そしてもっと驚くことになった。そこにも長門有希が立っていた。
「な、何?」
「さようなら」
さすがの手練のエージェントにも一瞬のスキが生じた。
いうまでもなく、この「一瞬」は長門にとっては無限の時間が与えられたのとあまり
変わらなかった。二人の長門が呪文をつぶやく。
「★◯◎×αβγ□...」
男の胸に小さな黒い点が出現したかと思うと、男は悲鳴をあげる間もなく
黒い点に吸い込まれてかき消えるように消滅してしまった。
ドアが開き、キョン、みくる、古泉が入って来た。
「すごいですね。長門さん」
「なにやったんだ、長門?」
「彼の体内にマイクロブラックホールを作成した」
「ヒュー」
「すごいですね、長門さん」
ああ、長門さんが敵じゃなくて本当に良かった。
自分が長門さんに粉末ウィルス入のお茶を手渡した時、
長門さんは「本当のことを話して」と言う代わりに
今、時間エージェントに目の前でやってのけたことをわたしにしても
よかったのだから。
......
...




レポート○×□□-1379

結果:失敗。

経過:当該時空の観察要員に当該ヒューマノイドインターフェイスの消去を
指示するも失敗。ついで実行要員を三度に渡って派遣するも失敗。

分析:当該任務の失敗理由は不明。任務の重要度と人的損失の軽重をはかりにかけ、
当該任務は遂行を中断し、無期延期とする....

朝比奈さん(大)はレポートを読み終わると情報端末のスイッチを切った。
もっとも、「端末」とは言っても実際には自分の脳内に設定された情報
機能に過ぎない。キョンの時代の人間が見たら、朝比奈さん(大)が瞬きしてから
ちょっと微笑んだようにしか見えないだろう。あの時はなぜ、長門さんを消さなくては
いけないのか、それがどれくらい重要なことなのか全然、わからなかった。
ただ、任務と友情の板ばさみになって苦しんだだけだった。今は、未来人
(自分をこう考えるのは奇妙だったが、長い間キョン達と暮らすうちにそう
考えるようになっていた)がなぜ長門を消そうとしたのか、それがどの程度
重要なことだったのか、よく解る。あの時、今の知識があればあんなに苦しむことも
なかっただろう。でもそれはそれ。あの時はあの時。結局、自分は長門さんを助けたのではなく
自分自身を、あの時空にいることができる自分を救ったのだった。

これからキョン君に会いにいく。彼があたしと会うのは初めて。でも、何も教えてあげられない。
白雪姫としか。でも、頑張ってねキョン君。あなたならきっと乗り切れるわ。
これから起きることを。全て。だって、あの時、わたしがあなたちと過ごした
時間平面であなたは立派に全てをやり遂げたのだから。



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