Report.07 長門有希の幸福


 わたしの寝室は、彼女の『今の』希望に応えることはなかった。
「……ほんま、(なん)もないなぁ……」
【……ほんと、何もないわね……】
 和室、布団一式。以上。
 『実用本位』『質実剛健』
 人間の言葉で表現するとそのように形容される。『寝』るための『室』と書いて『寝室』。その部屋は『寝る』ことに特化した、それ以外の機能を一切廃した潔い部屋。
「まぁ、この方が有希らしくてええかも。」
【まぁ、この方が有希らしくて良いかも。】
 それはあなたが望めば……またエラーが発生しそうなので、考えるのはやめておく。
 彼女は布団に入ると、布団の自分の横の部分をぽんぽん叩きながらわたしを呼んだ。
「さ、有希♪ (はよ)こっち()ぃ♪」
【さ、有希♪ 早くこっちにいらっしゃい♪】
 彼女の顔はにやけている。わたしは、これから彼女にされるであろう行為を想像し、体温が上がることを感知した。
「今日はうんと可愛がったげるからな♪」
【今日はうんと可愛がったげるからね♪】
 わたしは覚悟を完了した。
 …………
 ………
 ……
 …


 今日はもう寝るだけとなった。
「はぁ……はぁ……すごい……はぁ……はぁ……」
 彼女は肩で息をしながら言う。
「まさかあんたが、あんなにすごいことしてくれるなんて……」
 今度のわたしは、されるがままではなかった。それなりに、彼女の行為に応えたつもり。
「最後の最後で……ええもん見せてもろたわ。」
【最後の最後で……良いもの見せてもらったわ。】
「……けだもの。」
「うっ……! そ、それじゃ、有希! おやすみっ!!」
 それだけ言ってわたしに背を向けると、すぐに彼女は寝息を立て始めた。
(すう、すう……)
 彼女の寝顔は、とても安らかだった。先ほどまでの激しさや、ここ数日の弱りきった表情はどこにも見当たらない。ようやく彼女は心から安心できたのだろう。できれば『会話』によって、彼女をそのような状態に誘導したかったが、元々わたしの会話能力は低く設定されている。会話では目的達成は困難だっただろう。
 また人間には、言語によらない意思疎通手段も備わっていて、時にそれは、発達した言語による意思疎通に勝ることもある。今の彼女にとっては、非言語的意思疎通が必要だったのだろう。
 今日の彼女との一件で、初めて『実感』したことがある。
 彼女は……『愛情』に『飢えて』いた。人との『ふれあい』を求めていた。そして、できればその相手を『彼』に求めていた節があるが、『彼』は異性。『彼』に『ふれあい』を求めることは、そのまま性交を求めることになってしまう。彼女は、そこまでの関係になることは望んでいなかった。
 そこで、『SOS団随一の万能選手』にして『無口だけど頼れる団員』であるわたしを選んだのだろう。わたしの肉体は女性、彼女から見て同性に設定されている。間違いは起こらないと判断したのだろう。
 ……結果的に、間違いは起こった。だが、反省も後悔もしていない。他に方法はいくつもあったが、結果的に相当効率の良い方法に辿り着いた。おかげでわたしは、人間の感情をより深く実感することができた。
 そしてわたしは、彼女のことを好きになりだしているらしかった。


 以前読んだ本に、このような内容のものがあった。


 ――最初は単なる好奇心だった。
 ――毎日なんとなく眺めているうちに、だんだん気になりだした。
 ――そして気が付けば、ただの気になる人から、愛しい人に変わっていた。
 ――いつのまにか、恋に落ちていた……気が付いた時には、既に。


 わたしは、任務として、彼女をずっと観測してきた。それがわたしの存在理由だから。

 そしてSOS団に取り込まれ、彼女の間近で彼女を観測しながら時を過ごしてきた。生み出されてからさほど時間が経っていないわたしにとって、彼女やSOS団と共に過ごした日々は、人間に例えるなら『人生の大半』を費やした時間になる。
 そこでわたしは、常に彼女を見続けていた。最初は任務として淡々と。それからは、一万回以上繰り返す八月の二週間にうんざりしたり、何をしても『彼』の庇護を受ける彼女達を羨ましく思って暴走し、世界を改変したりした。
 そういえば『彼』のことも気になる存在になっていたが、それは人間で言う異性に対する思いとは違っているように思える。似た思いを検索すると……それは、娘が父親に感じる思いに似ているよう。『彼』がわたしに向ける眼差しも、どちらかというと父親が愛娘に向けるそれと同種のように思える。
 そして『彼』が彼女に向ける眼差しは、複雑過ぎて近い感情が推定できない。もっと観測が必要だろう。
 わたしは、もしかしたら、『彼』を通して、やはり彼女を見ていたのかもしれない。気になる彼女と、気になる『彼』を通して見た彼女。
 わたしは彼女の寝顔を近くでまじまじと見つめて言った。
「……だいすき。」
 以前、夏の孤島の王様ゲームで言わされた台詞。しかし今は全くその意味が違う。そこにはわたしの、自覚したばかりだが精一杯の『感情』がこもっている。
 彼女の耳には届いただろうか?
 届かなくても良い。
 わたしは、わたしの『素直な想い』を言葉にした。それだけでも十分だった。


 そしてわたしは、ふと思い当たった。
 言語による情報伝達には、齟齬が発生する。言語化できない想いや概念は、余りにも多い。人間は、言語化できない想いを非言語的手段を使ってでも、伝えようとする。
 伝えたい、伝わらない。
 その『もどかしさ』『不完全さ』が、人間を、この星に発生した知性を、発達させたのではないだろうか。
 もどかしいから、不完全だから。伝えたいのに伝わらないから。無知で無力だから。
 人は、工夫をする。より良い明日を願って。


 それこそが、自律進化なのではないだろうか。


 有機生命体には、寿命、すなわち耐用年数が存在する。例えば人間なら長くても100年程度。しかも生まれてから十数年間は、心身の発達のために費やされ、新たな思索を行うことはほとんどない。
 そして、伝承された知識を身に付け、それを使いこなすまでにさらに数十年掛かる。伝承された知識を次の世代に伝承しつつ、新たな知識を身に付け、新たな知見を得ようとするが、そうこうしている間に心身は衰え、思考も行動も停滞していく。そして最後は生命活動を停止する。実質的に新たな知見を生み出す時間は、数十年しかない。
 ここに有機生命体に宿る知性の限界がある。有限の時間という制限。
 知的探求は次の世代に託すしかないが、新たな世代は毎回知識も経験も……持っている情報が何もない状態から始まるため、準備が整うまでに十数年、今までの成果の引き継ぎに数十年、情報量が増えると一定量以上は引き継ぎきれない。だから、他にも有機生命体に知性が宿る例はあっても、それほど高度には発達できなかった。
 しかし、この星の知性は、あることに気が付いた。
 情報をいつまでも自分の体に蓄積できないのなら、情報を外部に保存すれば良い。そして外部化した情報を複製し、広く流布する。更には流布された情報に付加情報を付けるなどして、情報を増やしていく。
 こうして人間社会全体で情報を蓄積し、増加する。誰でも情報に触れることができるようにしておけば、誰かがその情報を基に新たな情報を生み出し、それらを基にまた新たな情報を生み出す者が現れ、情報の生成が連鎖していく。
 そう、例えば『本』。
 人間は、『本』という形で自分の得た情報、自分の感情その他を流布し、社会に残す。人間が情報の重要性に気付き、情報の保管……『本』の保管に気を付けるようになると、情報の散逸や消失が減少していった。
 情報生命体である情報統合思念体による情報処理に比べれば、遥かに遅い、稚拙な仕組みだが、しかし人間は確かに、有機生命体に宿る知性の限界を打ち破った。ほんのわずかずつでも積み重ねていけば、長い時間を掛ければいずれは人間も、情報統合思念体レベルの知性を獲得することになるだろう。
 一つの世代では不可能なことも、何度も世代を重ねることで可能にする。世代間の引き継ぎは、情報を外部化し、共有することで解決する。人間は、世代を越え、時を越えて、築き上げてゆく。
 それが人間の力。人間の進化する力。……新たなものを生み出す力。
 そう。涼宮ハルヒほどではないにしても、人間は新たなものを生み出す力を持っている。その力は単独では微々たるものだが、集団となり、力を合わせることで大きくなる。
 それでは情報統合思念体はどうだろうかと考えたところで、わたしも眠くなった。もう寝よう。


「おやすみなさい……」
 わたしは彼女の額……ではなく唇に、そっと口付けをした。
 おやすみなさい、涼宮ハルヒ。わたしの大好きな人。


 その夜、わたしは夢を見た。
 夢とは、活動時間に得た情報、『記憶』を整理統合するために睡眠中に起きる脳の生理現象。
 わたしは端末であって厳密な意味では生命体ではないので、本来は夢を見ることはない。情報はすべて情報統合思念体側に送られ、処理されるので、端末側で情報を整理する必要がないから。
 しかしわたしは、今は情報統合思念体との接続を余り行っていない。そのため、端末側で情報を整理統合する処理が必要となり、結果、夢を見るようになった。
 それは人間が見る夢と同じで、脈絡などを無視した意味不明な映像として認識されることが多い。そして多くの場合、目覚めたときには内容は覚えていない。せっかく情報を整理したのに、その途中経過をいつまでも記憶していては意味がないから。
 しかし物事には例外が付き物で、たまにではあるが、起きてからも夢の内容を鮮明に記憶していたり、夢で見た内容が現実に発生したりする。それもまた人間と同じだった。ちなみに、こうした性質は人間にとって、夢に対する好奇心を掻き立てるものとなっている。
 この時わたしが見た夢も、そんな鮮明に記憶している夢の類だった。夢の内容は長くなるので割愛する。機会があれば、別途報告することにする。


 翌朝。光が動く気配で目が覚めた。わたしは目を開ける。視界を彼女の顔が埋めていた。彼女と目が合う。
「!?」
 彼女は驚愕した顔で、慌ててわたしから顔を離した。見る見る顔が真っ赤に染まっていく。唇に暖かい湿った感触が残っている。わたしは、彼女が何をしていたのか理解した。
「お、おはよっ! 有希!」
「…………」
わたしはゆっくりと体を起こす。
「あふ……」
 あくびが出た。彼女になら、この姿を見せても良いと感じているのだろう。
「うっは……有希のあくび、めちゃめちゃ可愛い……寝顔もえらい可愛かったし……」
【うっは……有希のあくび、めちゃ可愛い……寝顔もえらい可愛かったし……】
「寝顔を見ていたの。」
「!? え、あ、う……し、しゃーないやんかっ! 起きたら有希はまだ寝てたし! 寝顔がめちゃめちゃ可愛くて、その、つい見とれてたら、思わずチュッ! て……」
【!? え、あ、う……し、しょうがないじゃない! 起きたら有希はまだ寝てたし! 寝顔がめちゃ可愛くて、その、つい見とれてたら、思わずチュッ! て……】
「キスもしたの。」
「うわわわわ! そ、それは言葉のあやで、その、決してやましいことは……」
 しどろもどろになる彼女。たまに見られるが、珍しい部類に入る。その原因がわたしであることに、少しおかしさを感じた。
 そしてわたしは、ふと、いたずら的なことを思いついた。わたしも変わったものだと思う。わたしは、まるで朝比奈みくるのようにおろおろあたふたしている彼女に顔を寄せる。
「!? ゆ、有希?」
 ちゅっ。
 わたしは彼女の唇に口付けをした。彼女は首まで真っ赤にした。
「おはよう、ハルヒ。」
「!?」
「あんたも、めっちゃ可愛いで。」
【あんたも、めちゃ可愛いわよ。】
「!?!?」
 彼女は、照れと驚愕と愕然とが入り混じった複雑な表情で、顔を真っ赤に染めていた。
「っ、くは……心臓が止まるか(おも)た……」
【っ、くは……心臓が止まるかと思った……】
 彼女は荒い息を整えながら、
「今、『ハルヒ』って……それに、その言葉遣い……」
「あなたにだけ。」
 わたしは答える。
「たまになら、ハルヒにだけ、見せたってもええわ。」
【たまになら、ハルヒにだけ、見せたげても良いわ。】
 わたしは微笑みながら……そう、『微笑みながら』言った。
「ハルヒは、わたしの特別な人やから。」
【ハルヒは、わたしの特別な人だから。】
 彼女はびくんと体を震わせた。
「有希……その顔でその台詞、反則……雷に打たれたかと(おも)たわ……」
【有希……その顔でその台詞、反則……雷に打たれたかと思ったわ……】
「そう?」
「あーもう! 嬉しいこと言ってくれるやないの!!」
【あーもう! 嬉しいこと言ってくれるじゃないの!!】
 彼女が抱きつき、そのままわたしは押し倒される。
「朝から……けだもの。」
「ちゃ、(ちゃ)うっ! 朝は普通にいちゃいちゃするだけ!!」
【ち、違うっ! 朝は普通にいちゃいちゃするだけ!!】
「……どのくらい?」
「18禁にならへん程度にっ!」
【18禁にならない程度にっ!】
「やっぱりけだもの……」
 わたしの口は、彼女の口で塞がれた。舌も挿入され、口の中を蹂躙される。朝から濃厚。
『あふっ……んむっ……』
 しばらくして、彼女が唇を離した。二人の唇の間にきらきら光る糸が引いていた。
「朝は……静かに抱き合っていたい気分。だめ?」
 わたしは彼女の顔を上目遣いで見上げながら言った。
「有希、その体勢でその仕草で頼みごとしたら、逆効果やで?」
【有希、その体勢でその仕草で頼みごとしたら、逆効果よ?】
 彼女は怪しい笑みを浮かべながら言った。
「そんな可愛くおねだりされたら、またあたしに火ぃ付いてまうやんかー♪」
【そんな可愛くおねだりされたら、またあたしに火が付いちゃうじゃない♪】
 わたしは彼女に抱きすくめられる。
「でも、まあ……今はあたしも、ゆっくり抱き合いたい気分かな? でも、キスまではええやんな?」
【でも、まあ……今はあたしも、ゆっくり抱き合いたい気分かな? でも、キスまでは良いわよね?】
「キスは、いい。わたしもしたい。」


 今日は土曜日。最近、不思議探索は休止中。時間はいくらでもある。
 わたしは、休日の朝の心地よさと、抱き締め合った彼女の暖かさに身を委ねることにした。
『幸せ』
 人間の言葉で表現するなら、この言葉がもっともふさわしいと思った。
「だいすき。」
「あたしもや……」
【あたしもよ……】
 お互いの耳元で囁きあう。本当にしあわせ。
 窓からは、爽やかな朝日が差し込んでいた。わたし達の行為とは正反対なほど爽やかな朝だった。
『今日は何をしようか』
 彼女を抱き締め、彼女に抱き締められる幸せを感じながら、わたしはぼんやりと、そんなことを考えていた。

 


【追加報告:Extra.3 長門有希の夢想



←Report.06目次Report.08→


|