Extra.2 長門有希の思惑


 いろいろな事件やらごたごたやら、すべてが終わった後。俺の目の前には朝比奈さん(大)がいる。
 そう。俺達は『すべてが終わった後』の、公園にいる。
「すべてが……終わりました。」
「……そうですね。」
 静かに、これまでの数々の出来事に思いを馳せる。
「いろいろ……ありました。」
「そうね。わたしはあなたより更に長い時間を掛けているんだけどね。」
 きっと、そうなのだろう。俺は一時的にとはいえ過去と現在を行ったり来たりし、三年ほどそのまま待つことになった時もあった。さらには、一万数千回も繰り返す夏の二週間、年換算で590年以上を過ごしたこともあった。
 だが、これらは俺の意識の上では経過していないことになっていて、見かけ上は、一繋がりの時の流れになっている。これは俺も、朝比奈さん(大)も同様だ。
 だが、朝比奈さん(大)が過ごした時間はそれだけではない。少なくとも、朝比奈さん(小)から朝比奈さん(みちる)を経て朝比奈さん(大)になるだけの時間が、目の前にいる朝比奈さん(大)には流れたのだ。感慨も一入だろう。
 さて。そろそろ話を切り出そうか。すべてが終わった後の、エピローグ。あるいは、解答編。
「朝比奈さん。それじゃあ、語ってくれるんですよね? これまであなた達が裏で何をしてきたのか。すべての……解答編を。」
「そうね……すべてが終わったんだものね。それじゃあ、語りましょうか。真相を……」
「わたしも同席させてもらう。」
 その時俺の後ろから声がした。朝比奈さん(大)は……驚愕していた。
 振り返ると長門がいた。いたのだが……違う。何かが違う。何が違うって、いろいろ違う。すまない。俺も正直混乱している。上手くまとめられる自信がないので、見たものをありのまま話すぜ。


 長門が……二人いた。


 二人の長門。こいつは今この世に一人しか存在しないはずだ。もちろん普通の人間なら、双子の存在を考えるだろう。一部の普通でない人間や、事情を一部知る人間なら、『同型機』の存在を考えるだろう。
 しかし俺は、ある事情から、こいつは正真正銘この世界に一個体しか存在しないことを知っている。それが二人いるということは……間違いない。『異時間同位体』だ。
 異時間同位体とは、分かりやすく言うと、朝比奈さん(大)と朝比奈さん(小)の関係だ。同一時間平面上に同時に存在するはずがない、異時間同位体。それが同一時間平面上に存在する光景は、実は結構目撃している。何より、俺自身もそんな状態になったことがある。
 そして、振り返ったところにいたこいつ、この銀河を統括する情報統合思念体によって作られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスであるところの長門有希もまた、異時間同位体が同一時間平面上に存在するところを俺は目撃した。というか、そうなるようにした。
 しかし、すごいな、俺。こんな難解な長文をすらすらと思い浮かべることができるようになったとは。俺にもいろいろあったからな。
 よし、それじゃあ、見たままの情景を語ろう。
 長門有希が二人いる。二人は手を繋いでいる。片方は俺が知っている、いつもの制服姿。もう片方は、パンツスタイルのスーツと眼鏡で知的な雰囲気を醸し出している。眼鏡のデザインは、以前に掛けていた飾りも素っ気もないやつじゃない。楕円形の、最近の主流な形だ。その眼鏡はそこに存在するのが当たり前であるかのように、見事に様になっていた。
 そうだな……一言で表現すると、『既定事項』ってやつだ。
 そして眼鏡を掛け、スーツを着た方の長門は……大きくなっていた。少しだけ。
 長門(大)。ワショーイ。
 以上だ。俺の混乱ぶりが言葉の端々から伝わったかもしれない。とにかく、そんな光景が俺の前に展開されていたのだ。最後の最後で、とんだサプライズかよ。どこの誰だ、こんなシナリオを書いた奴は。
 これもハルヒの仕業なのか? それとも……長門(大)? お前なのか?
 まったく。最後くらいは平和に美しく終わらせてほしいもんだ。
「やれやれ。」
 もう何回言ったか分からないくらい言った、もはや俺の決まり文句を言い、俺は肩をすくめた。まったく。本当にやれやれだぜ。


「さ、参事官……! なぜあなたがここ……この時間へ……!!」
 朝比奈さん(大)が震える声で搾り出すように言った。『さんじかん』? 何だそりゃ。
「ここ……この時間での呼び名は、それではない。この時間での呼び名で呼んでほしい。」
 長門(大)が静かに口を開く。
「え!? う、は、はい。……な……長門、さん……」
 朝比奈さん(大)は、恐る恐る言った。
「そう、それでいい。」
 あの~、長門さん? あなたは何をしておいでなのでしょうか。
「わたしはわたしの異時間同位体に呼び出され、ここに連れて来られた。」
 長門(小)が言った。どこか複雑な表情を浮かべているように見えた。
「朝比奈みくるがすべてを語ると聞いて、駆け付けた。」
 長門(大)が静かに語る。
「わたしもあなたに言うことがある。」
 朝比奈さん(大)は、何やら緊張している。
「わたしの今の肩書きは、こう。」
 そう言って長門(大)は、紙片を取り出した。栞を模したデザインの名刺だった。
 ――総務省時空管理局
 ――特務班時空湾曲対策担当
 ――参事官 長門有希
 名刺には、こう書かれていた。総務省……国家公務員なのか?
「そう。朝比奈みくるは、わたしの部下の一人。」
 何と……俺はてっきり、朝比奈さんの上司は朝比奈さんだと思っていたが、確かに朝比奈さん(小)の直属の上司は朝比奈さん(大)かもしれんが、更にその上、朝比奈さん(大)の上司は誰か、考えたことなかったな、そういえば。
「えーと、朝比奈さん。その、『参事官』って、どれくらい上の人なんですか?」
「偉い人です。審議官級だけど局長待遇で……ええと、民間企業で言うところの役員クラスね。送り迎えがある、って言えば、何となく想像が付くかしら?」
 なるほど、そう考えれば合点がいく。朝比奈さん(両)が、長門(小)を苦手としていた理由が。過去の存在とはいえ、すごく役職が上の者を相手に、先輩として振舞わなければならないのだ。さぞやりにくかったことだろう。
 ところで、もうお気付きかもしれないが、長門(小)が長門(大)になっていて、そして朝比奈さん(大)と同じ時間平面上で上司として存在しているわけだ。
 ということは、今この時間平面上にいる長門(大)もまた未来人……というか、未来から来た宇宙人ということになる。
それでは、元々この時間平面上にいる……本当にそうなのか若干疑わしくなってきたが、とりあえずそう仮定して、長門(小)との関係は一体? まさか未来までずっと長門は存在し続けるのか?
「話せば長くなる。」
「構わん。話してくれ。もちろん、余り長くならなければ嬉しいがな。」
「そう。では、話す。こういうことになる……」
 長門(大)は語りだした。いつぞやの呪文か、それ以上の早口で。もはや何倍速か分からん……
「……ということ。わかった?」
「はっきり言おう。」
 俺はきっぱりと言った。
「ぜんっぜん分からん。」
「それは残念。あなたが話を短くするようにと言ったから、一分以内に話し終えた。」
 そう言って長門(大)は、にひっ、と……悪戯っぽく笑った。長門(大)……お前もそんなジョークが言えるようになったんだな。
「わたしも長い時間を過ごした。有機生命体として存在する以上、変化は起こる。」
 長門(大)はにっこりと微笑みながら言った。笑顔が眩しいぜ、長門(大)よ。
「ありがとう。」
 ふと見ると、長門達の横に移動していた朝比奈さん(大)も笑っている。長門(小)は、いつもの通り無表情。だが、俺にだけ分かる微細な長門(小)の表情の変化によると、目の前の光景が信じられない様子だった。そりゃそうだろう。もう一人の自分、未来から来た自分が、現在の無表情な自分とは違って、表情豊かに微笑んでいるのだから。
 でもな、長門(小)。俺には分かるんだ。そこにいる長門(大)は、間違いなく今のお前と地続き、未来のお前自身なんだ。未来のお前は、それはそれは知的な雰囲気を醸し出して、その雰囲気にぴったりの、お前らしい笑い方ができるようになるんだ。それとな、長門(大)。前にお前に言った言葉は撤回する。そして、これだけは言わせてくれ。
 眼鏡も良く似合うぞ、長門。


「はいはい、皆さん。積もる話もあるでしょうし、立ち話も何ですから、お茶にしませんか? 今のわたしにとってみれば、昔取った杵柄。腕によりを掛けて、この時間でお茶を淹れますよ。あ、そうだ。せっかくだから、本格的にお茶を点てちゃいましょうか!」
「それなら、『この時間』のわたしの部屋がいい。気兼ねなく話ができる。」
 長門(小)が言った。もしかして、長門(小)を連れて来たのはこのためだったのか? 長門(大)。
「それもある。でも、それだけではない。わたしは過去のわたしと会いたかった。」
「それも既定事項なのか?」
「答えは……いつもあなたの胸に。」
 はぐらかされた。マジかよ。
「わたしは、あなたが点ててくれるお茶をまた飲みたいと思っていた。たのしみ。」
「わぁ、本当ですかぁ~!? うれしいですぅ~♪」
 未来から来た二人は打ち解けた様子で談笑している。朝比奈さん(大)のさっきまでの緊張はどこへやら。長門(大)の笑顔は、朝比奈さん(大)の心をも溶かしたのだろう。
「この時間のわたしも、顔には出していないが、本当はとても楽しみにしているはず。」
 長門(大)は、目を細めて長門(小)の頭をくしゃくしゃと撫でた。長門(小)は、無表情だがなんとなく満更でもない様な顔をしているように見えた。
 仲の良い姉妹、そんな光景のように俺の眼には映った。
 もし俺だったらどんな光景になるか想像して、やめた。きっとこうなるだろう。
 二人して誰かさんに振り回され、全く同じ顔で、同じタイミングで、こう言うのだろう。『やれやれ。』……情けないな、俺。
「ところでお二人さん。これだけは教えておいてくれませんかね。」
『?』
 俺の言葉に、二人は揃って首を傾げる。……あまりの美しさに、気が遠くなりそうだぜ。
「本当の……年齢と名前は?」
「それは……」
「…………」
 おー、長門(大)の三点リーダは初めて見るんじゃないか?
 朝比奈さん(大)は、例の見る者すべてを恋に落としそうな天使のような笑顔で。
 長門(大)は、見る者すべてを涅槃に誘いそうな慈愛に満ちた菩薩のような笑顔で。
『禁則事項(です)。』
 俺の意識は、極楽浄土へ運ばれた。
 …………
 ………
 ……
 …


「という、夢を見た。」
「そう。」
 放課後の部室、『彼』は言った。他の団員達はまだ来ていない。『彼』が見た夢。わたしと朝比奈みくるの異時間同位体。未来のわたしと朝比奈みくるの関係。
「ユニーク。」
「肝心な部分はさっぱり覚えてへんけど、何(なん)でか、お前らの表情だけははっきり覚えとぉで。」
【肝心な部分はさっぱり覚えてないけど、なぜか、お前らの表情だけははっきり覚えてるぜ。】
「そう。」
 『彼』は真面目な顔になって、言った。
「何でこんな夢見たんか分からへんけど、これだけは言わしてくれ。長門。眼鏡掛けたお前も、めちゃめちゃ可愛かったで。」
【何でこんな夢見たのか分からないけど、これだけは言わせてくれ。長門。眼鏡掛けたお前も、すごく可愛かったぞ。】
「…………」
 わたしは立ち上がり、窓辺に立って窓に向き合った。『彼』に顔を見られないために。
 別に照れているわけではない。この状況なら、あれができると思ったから。
 そして、昨日構成した眼鏡を掛け、昨日やってみたことをしてみる。問題はなさそう。眼鏡の意匠は、恐らく『彼』が夢で見たものに近いだろう。
「長門?」
 『彼』が訝しがる。わたしは逸る気持ちを抑え、努めて平坦に言った。
「あなたが夢で見たもの。それは……」
 わたしは振り返る。昨日鏡の前で練習した、今できる精一杯の、わたしらしいと思われる笑顔を浮かべながら。
「こんな顔?」


 この日、『彼』は眼鏡属性に目覚めた。


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最終更新:2020年03月15日 18:57