Report.03 涼宮ハルヒの認識(中編)


 翌日。わたし達は涼宮ハルヒに学校で出会うことはなかった。
 朝の地域版ニュース、新聞の地方面、すべてがある話題で持ち切りだった。
『お手柄女子高生、犯人逮捕』
 そんな見出しが、新聞に躍る。その「お手柄女子高生」は、実名で報道されている。
『涼宮ハルヒ(17)さん=西宮市、写真』
 紙面は、昨夜たまたま歩いていた涼宮ハルヒに暴行しようとして襲い掛かった変質者を、彼女が返り討ちにして警察に通報、御用となったと、情報に濃淡はあれど一様に伝えていた。
 わたしは昨夜の事件発生時点で把握していたが、普段は接続していない情報統合思念体から強制通信で、『彼』の動向に注意を払い、わたしが最善と考える行動を取る様に指示があった。
 こんなことは初めてだった。
 もちろん情報統合思念体の接続を切っていること自体、初めての経験なので、当たり前といえば当たり前だが、接続を切ってから、わざわざ情報統合思念体から強制通信で指示があったのは初めて。
 最初に涼宮ハルヒが宣言した通り、涼宮ハルヒとSOS団の名前は一気に広い地域に知れ渡ることになった。北高前には大勢の取材陣が詰め掛け、大混乱となっていた。
「押さないでください! 道を開けてください!」
 急遽配置された教員が声を張り上げ、生徒達を校内に誘導する。生徒が通るたびに大量のフラッシュが浴びせかけられ、記者とマイクが殺到する。
「同じ学校の生徒さんがお手柄ですね! あなたはどう思いますか!?」
 ある者は驚き立ちすくみ、ある者は表情を硬くして俯きながら、教員に誘導され校内へ入って行く。
 ――校長がコメントを出さないと、混乱が収まらない――
 そう判断した学校側は、校門横で校長本人が対応し、取材陣を引き付けて混乱を収拾することにした。
「えー、この度は我が校の生徒の勇敢な行動により……」
 この時ばかりは、生徒達は校長の話が長引くことを祈ったかもしれない。
 取材陣の殺到、その様子に集まった野次馬達。それら人波による混乱は、涼宮ハルヒ宅前が最も凄まじかった。
「お手柄ですね、涼宮さん! なにか一言を!」
「当然の結果よ! まったく、アホな変質者やで~! この私を襲おうとしたのが運の尽きや!」
【当然の結果よ! まったく、バカな変質者だわ! この私を襲おうとしたのが運の尽きよ!】
『うおおお……』
 野次馬からどよめきと拍手が沸き起こり、取材陣と、ついでに野次馬から大量のフラッシュが浴びせられる。涼宮ハルヒは満面の笑みでそれらを一身に浴びていた。
「さて、学校があるから、話は歩きながらでもええかな?」
【さて、学校があるから、話は歩きながらでも良いかな?】
 こうして、さながら大名行列か内閣総理大臣の記者質問のように取材陣と野次馬を引き連れて、涼宮ハルヒは登校した。取材陣から投げかけられる様々な質問に、次々と答えていく。涼宮ハルヒはこの状況に酔っていた。普段の満面の笑みが100Wだとすると、さしずめ1kWの笑顔で教室へ向かった。
 涼宮ハルヒはまだ気付いてはいなかった。いや、知る由もなかった。人の好奇心が、時に残酷に人を傷付けることを。
 涼宮ハルヒが北高の伝説にまた一つ名前を刻んだこの日、彼女は部室に来ることはなかった。
「えらいことになったなぁ……」
【すごいことになったなぁ……】
 『彼』はやれやれ、を通り越して何と表現すれば良いのか分からない顔で言った。
「いやぁ、昨日の時点で、犯人の近くに涼宮さんがおることは把握しとったんですが、『機関』の決定は、『涼宮ハルヒに捕り物をさせて満足させる』やったもんで、手ぇ出せんかったんですわ。まぁ、彼女の望み通り、犯人を捕まえて一躍時の人になりましたからな。こちらとしては『バイト』が当分無くなりそうで、万々歳ですわ。」
【いやぁ、昨日の時点で、犯人の近くに涼宮さんがいることは把握していたんですが、『機関』の決定は、『涼宮ハルヒに捕り物をさせて満足させる』だったもので、手が出せなかったのですよ。まぁ、彼女の望み通り、犯人を捕まえて一躍時の人になりましたからね。こちらとしては『バイト』が当分無くなりそうで、万々歳ですよ。】
 古泉一樹が肩をすくめる。
「俺としては、今日には例の件を片付けたいと思(おも)とったけど、とてもそんなことできる状態違(ちゃ)うしな……どうしたもんか。」
【俺としては、今日には例の件を片付けたいと思ってたけど、とてもそんなことできる状態じゃないしな……どうしたもんか。】
「事の成り行きを見守る、でええんちゃいますか? 当分涼宮さんの精神状態は閉鎖空間を生み出す状態にはならへんでしょうし、なに、人の心は移ろいやすいもんやさかい、どうせすぐにいつもの日常に戻りますよって。」
【事の成り行きを見守る、で良いのではないですか? 当分涼宮さんの精神状態は閉鎖空間を生み出す状態にはならないでしょうし、なに、人の心は移ろいやすいものですから、どうせすぐにいつもの日常に戻りますよ。】
「そうなればええんやけどな。」
【そうなれば良いんだがな。】
 『彼』は窓の外を見ながら、そう呟いた。


 涼宮ハルヒへの取材はますます過熱していった。
 最初は、『お手柄女子高生』だった。その日の昼には『お手柄美少女女子高生』に変わっていた。こうなると、人々の興味は『美少女女子高生』の私生活に移っていく。
 まず、現在の涼宮ハルヒの生活として、『謎の部活「SOS団」の団長』が紹介された。しかし、このSOS団は学校側非公認であるため、学校側からの情報は得られない。生徒からも、『謎の活動』という情報しか得られないため、すぐに人々の興味から外れた。
 次に、涼宮ハルヒのSOS団以外の学生生活に取材が進むと、世間の興味を大いにそそる事となった。すなわち、入学初日の涼宮ハルヒの自己紹介等、彼女の奇矯な振る舞いの数々。
『ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上。』
 涼宮ハルヒの呼称は『美少女女子高生はオカルトマニア』となった。
 そして、涼宮ハルヒの中学時代のエピソード、特に『告白されても断らず、すぐに破局したこと』が紹介されると、世間の評判の方向性が決定付けられることとなった。
『オカルト女子高生はヤ○マンだった!』
『美少女は百合ゲラーがお好き』
 週刊誌、スポーツ誌等がこぞって書き立てる。
 当初は嬉々として取材に応じていた涼宮ハルヒも、この頃になると、
「うるさい!」
「写真撮んな!」
 などと、取材を嫌がるようになっていた。その態度が取材陣をさらに煽る。
『ヤ○マン女子高生は変質者がお好き』
『哀れ変質者、オカルト女に貞操を散らす』
 ネットワーク上では、巨大掲示板群に専用スレッドが立ち、涼宮ハルヒの顔写真を使ってグレイ形宇宙人と性交しているコラージュ等が作成され、「SS」と呼ばれる長短様々な小説風の文章が、無数の書き手によって多数掲載された。特に涼宮ハルヒをいじめるSSと、様々な人や人以外のありとあらゆる存在と性交させるSSは、それぞれ一つのジャンルとして、スレッドが乱立するほど人気となった。
 この頃になると、日本各地から涼宮ハルヒの元を直接訪問し、宇宙人等の扮装をして告白してからかう行為や、怪談風、猥談風などいたずら電話を掛ける行為がしばしば見られるようになった。
 涼宮ハルヒは次第に彼らの相手をしなくなったが、そうなるとますます彼らはいきり立ち、涼宮ハルヒに反応させようと、行動はますます過激になっていく。
 たまりかねて涼宮ハルヒが反応すると、その様子が詳細に電子掲示板に書き込まれ、
『さすがハルにゃん!』
『モノが違うぜ……』
 こう返すのが、ネットワーク上での定形文となった。
 ついに涼宮ハルヒは、ネットワークを通して、無数の『好奇心』の観察対象となった。
 涼宮ハルヒはあの日以来、部室に姿を見せなくなった。いや、部室に行けなくなった。
 今や涼宮ハルヒはネットワーク上に多数存在するむき出しの好奇心の観察対象であり、どこに監視の目が潜んでいるかも分からない状態と自身は認識していた。自分に関わりがあると知れれば、他の団員も巻き添えにしてしまうと考えての行動だった。もちろん土日も不思議探索は行っていない。涼宮ハルヒは休日は自宅に引きこもっていた。
 実際、涼宮ハルヒはその奇矯な振る舞いの過去ゆえに、何をしてもネットワーク上のむき出しの好奇心たちの関心を引き、それらを喜ばせる『燃料』を提供する存在となっていた。また、それに伴い表面上は気丈に振舞っているが、閉鎖空間の発生頻度、規模ともに増大した。古泉一樹も、ここ数日は『バイト』のため、学校にすら姿を見せていない。
「あたしにできるのは、これだけですから……こんなときやからこそ……こうやって、いつものようにみんなが揃うのを待ちたいんです……」
【あたしにできるのは、これだけですから……こんなときだからこそ……こうやって、いつものようにみんなが揃うのを待ちたいんです……】
 朝比奈みくるは寂しげな笑顔で、今日も部室でお茶を淹れている。『彼』と、わたしと、朝比奈みくるの三人だけしかいない、団長不在の部室。
 これがここ数日の部室の日常風景となった。
 あの日から三週間が経っていた。


 放課後の部室。『彼』がわたしに話しかけてきた。
「なあ、長門。その、頼みがあるんやけど……」
【なあ、長門。その、頼みがあるんだが……】
 『彼』は恐る恐る口を開いた。
「こんなこと俺が頼むんは、正直どうかと思うけど、でも、どうしても頼みたい。今回の一件、なかったことにとは言わへん。それでは意味もないし。でも、あまりにも影響が大きすぎる。ハルヒも十分思い知ったことやと思うし、その、もうそろそろこの異常な状態を終わらせられへんか? ……情報操作で。」
【こんなこと俺が頼むのは、正直どうかと思うけど、でも、どうしても頼みたい。今回の一件、なかったことにとは言わない。それでは意味もないし。でも、あまりにも影響が大きすぎる。ハルヒも十分思い知ったことだと思うし、その、もうそろそろこの異常な状態を終わらせられないか? ……情報操作で。】
 わたしは『彼』を見つめる。
「今回のことは、ハルヒにとって、良い薬になった。自分が他人にしたことと同じことが、何倍にもなって自分に跳ね返って来たんやからな。あいつにとって、人として成長するための良い経験になったと思う。でも、さすがにもうこれ以上は見てられへんわ。閉鎖空間がどうこうとか、そんな話違(ちゃ)うねん。良い経験とは言(ゆ)うても、これ以上続くんはあんまりやろ? これは、人として、友人として、ハルヒを思う俺の気持ちや。長門、お前もハルヒの友人として、あいつを助けてやってくれへんか?」
【今回のことは、ハルヒにとって、良い薬になった。自分が他人にしたことと同じことが、何倍にもなって自分に跳ね返って来たんだからな。あいつにとって、人として成長するための良い経験になったと思う。でも、さすがにもうこれ以上は見てられねえ。閉鎖空間がどうこうとか、そんな話じゃないんだ。良い経験とは言っても、これ以上続くのはあんまりだろ? これは、人として、友人として、ハルヒを思う俺の気持ちだ。長門、お前もハルヒの友人として、あいつを助けてやってくれないか?】
 『彼』は手を合わせてわたしに頼み込む。
「……わかった。」
「ほんまか!?」
【本当か!?】
「ただし、わたしの独断で実行するわけにはいかない。情報統合思念体に許可を求める。許可が下りない場合、あなたの希望には応えられない。」
「ああ、それは分かっとぉから。」
【ああ、それは分かってるから。】
 わたしは情報統合思念体と交信する。
「……許可が下りた。」
 わたしは立ち上がり、言った。
「今殺到している人々が涼宮ハルヒへの興味を失うように情報操作を行う。」
「ああ、頼む。」
 わたしは情報操作を開始した。
「……………………」
 わたしは『彼』に向き直る。
「お、おい……どないしてん長門? 何でそんなに驚いた顔しとぉ!?」
【お、おい……どうしたんだ長門? 何でそんなに驚いた顔してる!?】
 『彼』はわたしの微細な表情の変化がわかるらしい。あるいは、誰にでも分かるほどはっきりと、わたしの顔は驚きの表情を浮かべていたのだろうか。
「……信じられない。情報操作が弾かれた。」
「何(なん)やて!?」
【何だと!?】
「何度も情報介入を行ったが、すべて無効化された。」
「何(なん)でや……」
【何でだ……】
 心当たりはある。
「恐らく涼宮ハルヒの意思。彼女は現状をありのまま受け入れることを望んでいると思われる。」
「マジか……」
「今の言い方は正確ではなかった。より厳密に言うと、一部を除いて現状をすべて受け入れたいと望んでいると思われる。」
「……その一部ってのは、何(なん)や?」
【……その一部ってのは、何(なん)だ?】
 わたしは部室のパソコンを指差した。
「ネットワーク上に存在する、涼宮ハルヒの身元を特定できる個人情報。」
「! ……そういうことか……」
 『彼』は納得した顔で言った。
「現在、ネットワーク上には、人間が『まとめサイト』と称する、今回の一連の出来事をまとめたwebサイトが構築されている。そこには人類の好奇心を満たすための様々な情報が集約され、世界中から参照できる状態になっている。直接身元を特定できる情報は掲載されてもすぐに削除されるが、一度ネットワーク上に情報が掲載されれば、すぐに無限に複製される。よって、一度ネットワーク上に存在した情報を消去するのは、人間には事実上不可能。半永久的にネットワーク上に情報が残ることになる。涼宮ハルヒの意思の影響は、このネットワーク上の情報については薄い。事実を正確に知れば、ネットワーク上の情報は消去したいと思うようになる可能性が高い。その時に情報介入すれば、消去できる。現実世界の状況は、涼宮ハルヒの意思が変わらない限り介入は不可能。」
「…………」
 『彼』は沈黙を保っている。
「たぶん、へいき。」
 わたしは言った。
「人間の興味の対象はすぐに変わる。あなた達の言葉に、そのような意味の格言があったはず。」
 以前に本で見かけた。
「『人の噂も七十五日』。違う?」
 わたしはそう言うと、首を傾げた。

 



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最終更新:2020年03月15日 18:42