「何よ!キョンのバカ!いいわよもう!」
そうまくしたて、涼宮ハルヒは部室を飛び出した。
「ちょ、おい!待てよハルヒ!」
続いてキョンと呼ばれた少年が彼女を追い、部室を出る。
いつもどおり、というには多少の御幣があるかもしれない。
しかしそれは見慣れた日常。

「やれやれですね、ちょっと用事ができたのでお先に失礼します。」
古泉一樹はいつもの表情でそう言い残し、二人の消えた部室の扉をくぐる。
おそらく閉鎖空間。
涼宮ハルヒが生み出した超空間。
彼はそこで彼女の生み出した神人と呼ばれる巨人を退治する。
神人は涼宮ハルヒの精神とリンクしていて、彼女の精神に苛立ちという異常が現れた際に閉鎖空間と共に現れる。

「あのー、私も、もう今日は帰りますね。」
遠慮しがちに朝比奈みくるは私を見て言った。
返事を待っているのだろうか。
数秒の沈黙が場を支配する。
そう。
私はそう述べると、朝比奈みくるは少し安堵の表情を浮かべ、席を立つ。

誰も居なくなった部室。
私だけしかココにいなかった数週間を思い出した。
なぜ?
私は思考を止める。
なぜ今あの時のことを思い出したのだろう。
停止した思考、まるで時が止まったかのような静寂。
窓の外に目をやると、いつもどおりの空が広がっていた。

本を読もう。

そう思い、先程まで読んでいた書物に目を戻す。
字の一つ一つに思考を合わせる。
世界が揺れ、私は書物に刻まれた著者の思考と一体化する。
夢。
異世界。
冒険。
この時間が一番気に入っている。
私はこの時間、物語の主人公になる。
私はこの時間を好む。
好む。
好む、筈なのに。

エラー。

なぜ?何故?
書物に目を戻しても、もう思考に入り込むことができなかった。
頭の隅が重い。
それは、人が言う、感情。
私にもわずかだが感情が持たされている。
でも普段はそれを重要視することなどない。
朝倉涼子のように感情に身を任せることなど、しない。
絶対に。

本当に?

まるで心臓をつかまれているように。
私を取り込んでいく感情。
これは、何。
これはなにこれはなにこれはなにこれはなにこれはなに
落ち着いて。
私は必死に理性の糸を手繰る。
まるで濁流の中で蜘蛛の糸を紡ぐ感覚。
私は思考をめぐらせる。
思考することで感情を押しとどめる。
恐怖。
私は恐怖しているのだろうか。
だとしたら何に。
そんなもの知らない、私は私。
ただのヒューマノイドインターフェイス

「それは、逃げよ?」

幻覚。
そう、それは幻覚。
私の中の朝倉涼子が呟く。
「自分に、素直になりなさい?」
イヤ。
「なんで?」
朝倉は寂しそうに尋ねる。
イヤ。
「私は知っている」
何を。
「あなたが感情から逃げる理由。」
私が、逃げる、理由?
「そう、あなたが逃げる理由。」
イヤ、聞きたくない。
「あなたはね、」
やめて、お願い。
やめて、やめてやメてヤめテヤメてヤメテヤメてヤメテヤメテ
感情が心臓を握りつぶす。
自分でもわかるぐらい、顔をしかめる。
隠していたはずの表情が、顔に表れる。
「皆が好きなのよ。」
ス……キ?
「だから、誰も傷つけたくないの。」
私は彼女を見上げる。
夕方だからだろうか、その表情は陰に隠れて読むことができない。
しかし、こころなしか、寂しそうに感じた。
「誰も傷つけたくないから、感情を押し殺す。」
そう。
私は誰も、傷つけたくないの。
だからこれでいい。
これでいい、これでいいの。
そう思考するたびに、胸が痛くなるのは、なぜ?
「本当にいいの?」
朝倉涼子の手が私の頬に触れる。

「いいわけないじゃない。」

今度ははっきり表情が読み取れた。
彼女は泣いていた。
なぜ?
私の思考は完全に停止した。
朝倉涼子は寂しそうな、悲しそうな、哀れむような、そんな目で私を見た。
彼女の言葉に耳を傾ける。
「私はあなたの影、だからわかるの。」
何を?
「あなたは、望んでいるの。」
何を?
「あなたは、願っているの。」
何を?
「寂しいんでしょ?」

サミシイ?

私は、寂しいの?
そんなはずはない。
生まれてから三年間、私は一人だった。
「変わったのよ。」
何が?
「あなたが」
私が?
「そう、あなたが」
どうして?
「それは知らないわ。」
教えて。
「だめ」
教えて、このままじゃ、私。
朝倉涼子の頬に手を伸ばす私。
わたしは、こわれてしまう。
「ごめんね」
姿をかき消す朝倉涼子。
宙を掴む、私の手。
心臓がつぶれる。
エラーに、感情に押しつぶされる。








      誰 か     私 を 









「…な………と」

……?

「……がと」

………誰?

「長門!」

…………!!!
「長門、起きたか?」
彼がそこにいた。
私は、寝ていたらしい。
机に突っ伏して。
隣で彼が座っていた。
彼は心配そうに私を覗き込む。
「うなされてたぞ」
私が?
「宇宙人でも夢、見るのか?」
記憶中枢がある限り、生命体は皆、夢を見る。
「そうか」
私は、彼を見上げた。
「長門?」
寂しかった。
不意に、私の頬を何かが伝う。
「長門?」
涙?
私の?
「どうした?」
顔を逸らす、彼の顔をまともに見ることができない。
なんでもない。
「本当か?」
大丈夫。
「そうか。」
そう。
数秒間の沈黙が場を支配した。
これでいい、これでいいはず。
私は対有機生命体コンタクト用インターフェイス。
これでいいはず、これで、いい。

「何か、できることはないか?」

私は彼を再び見上げた。
私を心配している。
心配、してくれている。
私の体を支配していた、エラーが取り除かれる。

理解、した。

私は不意に、彼の胸に顔をうずめる。
「長門?」
5度目の呼びかけ。
少し驚いたような声
もう少し、このままで。
そう呟き、私は目を閉じる。
「……わかった」
彼の手が、私の頭を撫でる。
暖かい。
暖かい、暖かい。

ありがとう。

     -長門有希の深淵 完-

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