きっかけは些細な口論だった。
その日、朝比奈さんにSM女王様の格好をさせようとせまっていたハルヒを止めるべく立ち上がる。
いや、俺も男だ。
本音を言えば朝比奈さんの女王様ならば縄で縛られることも低温蝋燭であぶられることもいとわないが、それはまた別の話だ。
しかしまあなんだってこの部屋にはハルヒの暴走を止める人間が一人もいないもんなのかね。
古泉はにやにやと笑みを浮かべるだけだし長門は手にもった本をめくる機械と化してるし……
こいつらに期待するほうが間違っていたか。
とにかく、今日もいつものように俺とハルヒが小芝居じみた口喧嘩をして、
いつものようにハルヒがぶすくれてそれでも日常はいつものように流れる──
 
はずだった。
 
「またあんたなの! いっつもあたしの邪魔ばっかりして、あんたいったい何様なの!?」
「それは俺のセリフだ。いつも朝比奈さんを着せ替え人形にして、お前のほうが何様のつもりだ」
「あたしはこのSOS団の団長よ。この団において唯一にして絶対の存在で──」
わけのわからんことを言い出した。こいつは何かの宗教を開くために生まれたんじゃなかろうかと考
える俺には人を見る目があるという他ないだろう。
世迷言をのたまうハルヒを軽く無視して部屋の隅で小さくなっている朝比奈さんを振り返る。
「朝比奈さんも嫌なものはきっちり断ったほうがいいですよ」
「え……? でも……」
「いいんですよ。ハルヒのバカに付き合ってたらそれこそ時間がどれだけあっても足りません」
この麗しい方の貴重な時間をあの電波団長の気まぐれに割くことほど無駄なことも早々ありはしまい。
と、あれだけわめいたハルヒが急に静かになる。いかれた演説が終わったのか?
まあどうでもいいことだ。俺は朝比奈さんを立たせると鞄を渡してハルヒに向き直る。
「おいハルヒ、俺と朝比奈さんは今日はもうかえ──」
「許せない……」
見るとハルヒはぷるぷると肩を震わせ、いつもの怒り顔によく似た、初めて見る表情で言葉をつなげている。
「このあたしをさんざ無視した上にバカ扱いなんて……」
「お、おい。ハルヒ?」
「あんたなんていなくなればいいのよ! SOS団どころかあたしの視界に入ることすら我慢ならないわ!」
ハルヒがそうがなり散らしたとき、今までずっと何もいわずに本を読んでいた長門が顔をあげる。
「涼宮ハルヒ」
「何よ! ……!」
いつもの平静な声で話す長門に対し声を荒げたハルヒはそのことを軽く自省し、改めて長門に聞きなおす。
「……有希、どうかしたの?」
そんなハルヒの心情など意に介せず長門は無表情にハルヒに言葉をつなげる。
「それが本当にあなたの望み?」
「それって……ああ、バカキョンのことね。ええ、そうね。こいつにはもうこの世からすらも消えて欲しいわ!」
「ちょ、ハルヒ……」
俺が思わず言葉を失い、それを取り戻す前に長門は一言「そう」とつぶやき、手に持っていた本を閉じた。
それと同時に俺の視界が白く染まる。
 
「う……」
次に目覚めたとき、俺は部室にはいなかった。
荒れた大地に既視感を覚え、それがコンピ研の部長氏にとりついたカマドウマの世界と同じだと俺が気づくのと、長門が口を開くのはほぼ同時だった。
「大丈夫?」
「長門……? ここはどこだ?」
「私が情報統制を行っている情報制御空間。位相はずれているがあの部屋と同じ場所にある」
さっぱりわかんねえよ。
そのとき、突如として空間にスクリーンのようなものが現れ、部室を映し出す。
『何これ……どうなってるの……?』
スクリーンに映し出されたハルヒが誰にともなく呟いている。
『ねえ、みくるちゃん……キョンと有希はどこに行ったの……?』
『わたしに聞かれても……』
わかるはずもないのにハルヒは朝比奈さんへとそんなことを聞く。
 
「な、なあ長門。これどういうことだ?」
「あなたの存在を涼宮ハルヒによくない影響を及ぼすものと判断して情報統合思念体に情報制御空間の作成の許可を申請した。
しかしあなただけが消えた場合、涼宮ハルヒはわたしを言及し、真実の隠匿が困難と判断したため私もこちらに移動した。
今後、涼宮ハルヒの監視はこの空間から行う予定」
「えーと……」
やばい、さっぱり意味がわからん。ただなんとなく俺にもわかったことといえば──
「つまり俺とお前はこれからずっとここで過ごすってことか?」
容量限界突破した俺の脳がひーこら言いながら吐き出した答えを聞いた長門は顕微鏡で見なければわからないほどわずかに首を動かし、
「そう」と告げた。
 
「『そう』ってお前……!」
ようやく現状の認識が追いつきパニックになることまではできた俺のことなど知るはずもないハルヒは
部室で呆然と立ち尽くしている。
『そんな……あたしがさっきあんなこと言ったから……?』
『涼宮さん、まずは落ち着いて──』
古泉がハルヒを落ち着かせようとしているがハルヒが立ち直る気配はない。
『落ち着けるわけないじゃない……私があんなこと言ったから二人は消え──』
そこまで言ったとき、ハルヒの双眸から流れた一滴の涙が頬に透明な線を引いた。
『あ、あた……取り返しのつかないこと……!』
一度決壊したダムがその氾濫を止めることができないようにハルヒの涙はとめどなく流れ、
ほんの数秒後、ハルヒの心の堤防も決壊した。
『うわああぁああぁぁぁああぁあ! あたしが! あたしのせいで二人が!』
 
見たことのないハルヒの涙を目の当たりにし、思わず俺はスクリーンに駆け寄り叫ぶ。
「ハルヒ! 俺はここにいるぞ! 長門も一緒だ! 待ってろ、すぐ戻るからな!」
「無駄」
そんな俺に無感情な長門の声が届く。
 
「こちらからあちらの様子を見ることはできるけど言葉は届かない」
「そんな……」
そうしている間にも部室の状況はどんどん悪化していく。
『涼宮さん……』
『ひっ……あの二人はあたしの団員……団員の不始末は団長がとるものじゃない……なんでこうなるのよぉ……」
近くによる朝比奈さんも目に入っていないハルヒはぶつぶつとそんなことを呟く。
『帰ってきて……いなくなるのはあたしでいい……なんでも、なんでもするから帰ってきてよ…………』
 
「おい長門」
「何」
「お前は、情報統合思念体はあんなハルヒが見たいのか?」
「…………」
「違うだろ? あれじゃ朝倉のやろうとしていたことよりひでえじゃねえか」
長門はほとんど無表情のような顔のままだが、少し迷っているように見える。
「……帰ろうぜ。俺もハルヒに謝らなきゃいけないし。もちろん、お前もな」
長門が次の言葉を発するまで、ほんの数秒だったかもしれない。
俺にとっては何時間にも感じられたその数秒はしかし、やはり数秒でしかなく。
「そう」
長門の簡素な一言で俺達はあっけなく元の部室に戻っていた。
 
「あ……」
そう声を漏らしたのは朝比奈さん。
ハルヒは俺がいつも座っている椅子に腰掛け、机に突っ伏して嗚咽を漏らすばかりだ。
俺はそんなハルヒの肩に手を置いた。
「何似合わないことやってるんだお前は。そういうのは可憐な美少女の特権だって知ってたか?」
その言葉に、ハルヒはびくりと肩を竦ませたが、頭は机の上で組んだ両手に乗せたまま顔を上げることはなく。
「うるさい、バカ」
と、短く発するのだった。
 
ともかくこれで一件落着かと思ったとき、部屋にとさりという軽い音が響く。
全員が音のした方向に視線を注ぐと、そこには床に倒れ伏した長門の姿があった。
 
「有希!」
真っ先に駆けつけたのはそれまで机についてきた付属品なのかと思うほど動きを見せなかったハルヒだった。
ハルヒに抱き起こされた長門はよく見ると少し息が荒く、辛そうな顔をしている。
「おそらく、力を使いすぎたのでしょう」
古泉がハルヒに聞こえないように俺に話しかける。
「キョン! あたしは有希を保健室に連れていくからあんたはここにいて! 絶対帰っちゃダメよ!」
「お、おお」
すさまじい剣幕に気圧され怯んだ俺をそのままにハルヒは長門を抱きかかえたまま部室を出て行った。
「……ちょ、ちょっと待てハルヒ!」
半分は俺の責任でもあるのでハルヒを追いかけようとしたとき、古泉が俺の肩に手をおき、ゆっくりと首を横に振りながら言った。
「涼宮さんのためにも今は行かせてあげてください」
古泉のその言葉に、俺は足をとめて自分の椅子に戻った。
椅子には、まだ少しだけハルヒの体温が残っていた。
 
「…………」
長門は目を覚ますと、自分の状況を確認する。
白いベッドにそれを囲むように閉ざされたカーテン。
どうやらここは学校の保健室であるらしい、と理解した直後、体に少し強い衝撃と重さが加わる。
その衝撃と重さが、涼宮ハルヒが自分に抱きついたことから生まれたものだとわかるのにそう時間はかからなかった。
「ごめんね……有希、本当にごめんね……」
自分の名を呼びながらまるで自分以外の全てに宛てたかのように、ハルヒはひたすらに謝り続ける。
 
言わなければならなかったことがいくつかあったような気がする。
「あたし、もうあんなこと言わないから……もっとみんなのこと大事にするから……」
 
いくつか言おうと思っていた台詞があったような気がする。
「だからもう……絶対いなくならないでね……」
 
ただ、今やらなければならないことはそんなことではなかったような気がしたので。
 
「……わたしも、ごめん」
 
ただ一言だけ、あのいたって普通の男子生徒に言われたように短く謝り。
震える体をそっと抱き返した。


 
了。




 
同刻。
椅子に座りしばし脱力していると、いつもは俺の対面に座る古泉が今日は横に腰掛ける。
「向こうで何があったかは聞かないでおきましょう」
「…………」
古泉の言葉を右の耳から左の耳にスルーさせた直後、体に少し強い衝撃と重さが加わる。
その衝撃と重さが、古泉が自分に抱きついたことから生まれたものだとわかるのにすげえ時間がかかった。
なんだこいつは。そういう趣味なのか?
「すいません……本当にすいません……」
ただひたすら謝りながら、古泉は俺を抱きしめる。
 
(ハルヒに)言わなければならなかったことがいくつかあったような気がする。
「僕も、もう少し止め役に回りますから……この団を大事にしますから……」
 
(ハルヒに)いくつか言おうと思っていた台詞があったような気がする。
「だからもう……絶対にいなくならないでください……」
 
ただ、今やらなければならないことはそんなことではなかったような気がしたので。
 
「抱きつくな、気持ち悪い」
 
ただ一言だけ、短く罵り。
震える体をぶん殴った。



 
本当に終了。

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最終更新:2020年03月15日 18:13