「おやおや…参りました。今日のあなたはことの外、お強いですね」
「いや、いつも通りだろ」
「そうですね。では久々にダイヤモンドゲームでも」
「え、そう?」
俺の指摘に、朝比奈さんと古泉もハルヒの方へ顔を向ける。長門だけは相変わらずハードカバーに目線を落としたままだが、こいつはそれでも状況は理解できるわけで、まあご愛嬌だな。
「ん~、集中してるとついつい画面に見入っちゃうのよね」
「それはあまり良い事ではありませんね。視力も落ちてしまいますし、背骨の歪みは様々な体調不良をもたらすそうですよ」
と、不意にその顔をこちらに向けたかと思うと、ハルヒは左手の人差し指の先をくいくいと曲げて、不遜に俺を手招きした。
「なんだ、じゃないでしょ。畏れ多くも団長様の気分転換の手伝いをさせてあげようっていう、ありがたい思し召しよ。ほらキョン、さっさとこっちに来なさい」
「手伝えって、何をだ」
「ストレッチ。どうせあんたヒマでしょ?」
まあいい、たまには団長様のご機嫌でも取ってやろう。将棋で3連勝していた気分の良さもあり、俺は従順に席を立つ事にした。
「手首を持って、上に引っ張って」
「うーん、肩は伸びるんだけど背骨はあんまり…」
「じゃ、もう少し後ろに反らしてみるか」
「あいたっ。ちょっと、ヘンな事しないでよっ!?」
「するかバカ。痛いのはずっと同じ姿勢で筋肉が強張ってるからだろ。ほら、力抜いて体を伸ばせ」
ここから後ろに放り投げればフルネルソンスープレックスだが、もちろんそんな事はしない。つーか出来ない。俺はゲーリー・オブライトではないし、たとえ空想でもハルヒにそんな事をしたら、いったいどんな報復を受ける事か。俺はまだまだ命は惜しいつもりだ。
「へいへい、そいつはどうも」
「へっ? ちょっとキョン、何を…」
このまま上昇して宇宙まで飛び出せば廬山亢龍覇だが、もちろんそんな事はしない。つーか出来ない。俺はドラゴン紫龍ではないし、まだまだ命は惜しいつもり…って、いいかげんしつこいな。
ともかく、俺はハルヒを抱え上げた状態のまま、その場でくるくる連続で回転してやったわけだ。
「やっ、ちょっ…バ、バカっ! 面白いわけないじゃない! もうやめ、やめてよっ! ふあっ、目がまわる…」
すると本当に目を回していたのか、ハルヒは床にくてっとへたり込んでしまう。そして焦点の合わない瞳で、キッと俺を睨み上げた。
「いや、すまん。本当にサービスのつもりだったんだ。
妹が小さい頃に、よくこういう遊びをやっててさ。どんなにむずがってても、『ほーら人間メリーゴーラウンドだぞー』って振り回してやると、あいつはすぐに機嫌を直してきゃらきゃら笑ってたもんだから、お前も面白がると思って…」
もう、なんか興が削がれちゃったわ! 今日はこれで解散っ!」
「差し出がましい真似をして申し訳ありません。ですが」
「ダメですよぅ、キョンくん! すぐに涼宮さんを追いかけて、家まで送ってあげてくださいっ!」
「あなたとしては非常に寝覚めが悪くなるのではないか、とお察しいたしますが」
ええい、分かってるよ俺だって。ただなんとなく、あいつに涙目で睨み上げられて、思わずたじろいじまっただけで…って、いたずらがバレても素直に謝れない小学生か俺は。
ああ忌々しい。まったく忌々しい。忌々しい。
あまりこのセリフを使いたくはないんだが…やれやれ。昨日はわざわざ遠回りしてやったっていうのに、ハルヒの奴はまだ不機嫌を引きずったままだってのかよ。どうしたもんかな、とその背中を眺めながら掛けるべき言葉を考えていると、逆に俺の方が後ろから声を掛けられた。
「ああ、阪中か。いや、別にどうも…」
「もしかして昨日、涼宮さんと何かあったのね?」
っていうか阪中、お前はなんでそうニコニコ顔なんだ。二人で仲良く、だと? 絶対何か勘違いしてるだろ。
確かに公園のベンチで並んで焼き芋は喰ったが、ハルヒの奴はその間ずっと「あたしは妹なんかじゃないんだから!」とか延々文句を垂れてたし、挙句には俺の食べかけの芋まで取り上げて喰っちまうわで、ちっともフレンドリーな雰囲気なんざ無かったんだぞ。
「じゃあ、どういう事だっていうのよ」
振り返って、俺は盛大に溜息を吐いた。なんだよハルヒ、そのわざと作ったようなしかめっ面は。昨日あれだけ焼き芋貪っといて、まだ足りないってのか? いいかげん機嫌直せよ。
いい、キョン! 今度またあんな真似したら死刑だからねっ!」
「キョンくん、何か涼宮さんを怒らせるような事したのね?」
「いや、俺は別にそんな」
「しらばっくれるつもり!? だいたい、あんたが強引にあたしを抱き上げたのがそもそもの発端でしょ!?」
「いきなり背中から抱きかかえられて、ゆさゆさ揺すられるなんて思いもしなかったけどね」
「ちょ、ちょっと涼宮さん…声が大きいのね…」
「き、気持ち良かったのね?」
「でもね、そこからがヒドいのよ! キョンの奴ったら『これはサービスだ』とか言って、あたしをぐるぐる回し始めたの! 信じられる、阪中さん!?」
「そうよ、キョンを中心にして。って言うか、くっついてなきゃ回しようがないじゃない? なに言ってんの?」
「ご、ごめんなさいなのね」
けれどもハルヒはやはりというか何というか、外野の事など全く気にも掛けていない様子だった。
ようやく床に降ろされた頃には、もうあたしはフラフラでまともに立つ事さえ出来なかったわよ」
「だから俺はお前を喜ばせるつもりだったんだって、何度も――」
「そっちこそ! あたしはもう子供じゃないって、いったい何度言えば分かるのよ!?」
「に、人間メリーゴーラウンド…? 悦ばせ…?
ふぇ~、もうダメ、わたしには刺激が強すぎるのねぇ~」
「えっ、ちょっと阪中さん!? どうしたの、しっかりしなさい!」
いや本当に、これはどうした事だろうか?
まるで長湯にのぼせたみたいに上気した顔で、鼻血を噴きながらぶっ倒れてしまった阪中に、ハルヒも俺も慌てて駆け寄る。そうして成り行き上、二人で阪中を保健室に運ぶ事となり、俺たちの口論は棚上げになってしまったわけなのだが…。
当事者が揃っていなくなった、その後の教室では。
「でも、聞いた? あの涼宮さんを足腰立たなくさせたって!」
「ああ見えて、キョンくんってば意外と絶倫なのかも…」
「さすがだ、キョン! 俺は前々から只者じゃないと思ってたぜ!」
………
……
…
ちぇっ。どうせなら、もっと愉快な夢を選んでくれりゃいいのにな。どうして脳って奴は、思い出したくもないような事柄に限って夢に見させようとしやがるんだろうげほっ!?
せっかく公園に来たのに、つまんないつまんないつまんない!」
つまんないの連呼と共に、5歳児相当の重量が俺の腹の上でバウンドする。おかげで俺は、むっくり起き上がらざるを得なかった。
やれやれ、娘には「起こすなら起こすで、せめて優しく頼む」といつも言い含めてるんだがなぁ。ちっともさっぱり聞き入れてくれる様子が無い。この辺りは妹の小さい頃にそっくりというか、俺の家系の形質なんだろうな。でもって、全く悪びれもせずに俺を見据えるくりくりとした大きな瞳は、あいつの形質か。
本当、見事に双方の女性的形質が遺伝したもんだ。ダーウィン先生には平伏する他ないね。
「ん~っとね、ぐるぐるってやって! ぐるぐる!」
やっぱりか。お前は本当にこれが好きだな。
苦笑しながら俺は娘を胸に抱え上げ、芝生の上でくるくると横回転を始めた。途端に、娘はきゃらきゃら楽しそうに笑い出す。さっきまでのふくれっ面がウソのようだ。まったく、我が子ながら現金な奴だなあ。
とか思いつつ、俺もつられてはしゃいでるんだけどさ。
「きゃははははっ! パパすごいすごいっ!」
「あら、また『人間メリーゴーラウンド』? 飽きないわねえ、あんたたちも」
いかにも呆れたような表情で、そのくせこいつは眩しいものでも見るみたいに目を細めて、俺たちを見つめている。何というか、思い出すのさえ恥ずかしい誤解から成り行きで付き合って、そのまんま結婚しちまったような俺とこいつだが、可愛い子宝にも恵まれて、今の生活は割と悪くない、かもな。
「うん、大漁大漁! 今日の夕飯は腕によりをかけちゃうからね、せいぜい期待してなさい!」
「え?」
パパが遊んでくれてるんじゃなくてぇ、あたしがパパと遊んであげてるんだからねっ!!」