ふと思う。今は何時だ。時計も無ければ窓も無いこの部屋。
 蛍光灯が一日中点いている。電気代がいくらかかるのだろうかと、
 無駄な事を考えられる辺り、まだ頭は働いているらしい。
 この状態になってから結構な時間が経った。

 俺の後ろに居るもう一人も意識を取り戻したようだ。
「目が覚めたか?ハルヒ」
「うん……、おはよう、キョン」
「こんな状況でおはようも無いと思うけどな」
「そうね……どのくらいになるかしら」
 実際分からない。そう、俺とハルヒは今閉じ込められているのだ。
 つまり監禁状態。全てはいつもと同じ、ハルヒの行動が始まりだった。

「自由への奔走」

 その日、俺とハルヒはいつもの様に市内探索の為に集合していた。
 例によって俺は一番最後に到着し、朝から全員分のお茶代を奢る羽目になる。
 財布がまたも軽くなったが、マイエンジェル・朝比奈さんに
「キョン君、いつもありがとう」という一言が貰えたのだ。安い代償だろう。
 例の如くくじ引きを行ってその日の探索ペアを決める事になる。
 その日の組み合わせは俺とハルヒ、長門と古泉と朝比奈さんというペアだった。
 ハルヒと組む事になったか…やれやれ。どこに連れまわされるやら。
 案の定ハルヒはあちこちに行くと言い出しては俺の腕を掴んで連れまわした。
 そんなに探したって出てくるものじゃないだろうに。野良猫じゃないんだぞ?
「何ぶつぶつ言ってるの!あ、あそこの狭い通りなんて怪しいんじゃない?」
 また何か見つけたらしい。そろそろ集合時間なんじゃないのか?
「いいのよ!少しくらい!あそこ見たら帰るわよ!」
 と、また俺の腕を掴んで走り出した。まぁ大した事はないだろうさ。今までもそうだったんだ。
 そんな事を思うべきでは無かった。が、運命は残酷だった。

「万が一」って言うやつは時に素晴らしい偶然を引き起こすらしい。
 だからって、何もこんな時にその確立に当てはまることはないだろう。
 だが、当たってしまったのだからしょうがない。
 俺たちはまず変な声を聞いた。呻くような声。
 それはこの狭い路地を作っている塀の向こうから聞こえるようだった。
「ちょっとキョン、今の聞いた?」
 ハルヒが小声で尋ねてくる。
「ああ、離れた方がいいんじゃないか?」
「何言ってるのよ、これは事件よ、事件」
「だから尚更離れた方が……」
「あ!少し向こうから中に入れそうね……行くわよ、キョン」
 おいおい、マジかよ。辞めておけって。
 しかしハルヒは一人で塀の隙間らしい所に入っていく。

 仕方ない、俺も行かなきゃならんだろうな。
 何故だかわからんが塀に穴のような欠けがあった。俺たちでも潜れるくらいだ。
 子どもとかなら喜んで入っていきそうに思える。
 入ると丁度ドラム缶が置いてあり、姿を隠す事ができた。
 呻き声の正体は人間だった。……見た限りでは普通の。
 倒れている。その周りに散っている赤い点は、たぶんペンキでは無いだろう。
 どうやら本格的にマズい状況に出くわしたらしい。興味本位で入ってきたハルヒも顔が引きつっている。
 倒れている人間の周りには何人かの男が居た。その内の一人が喋りだす
「これでお前らの機関はどう対応するかな?こっちとしては適度に動いてもらいたいんだが」
 何だこれは?なんかの団体の抗争かなんかじゃないのか?マジで関わらない方が……
 しかし、ハルヒは何を思ったかドラム缶伝いに少しずつ近づこうとしている。
「おい、ハルヒ!」俺は小声でハルヒを呼び止めたが、ハルヒは手で俺を制した。
 静かにしろってか?この状況では逃げる方が大事だと思うぞ。
 ふと、立っていた人間の視線のひとつを感じた。ドラム缶の隙間から見ただけだが、明らかにこちらを見ていた。
 まずい!その人間は手をこちらに向けた。銃でも持ってるのか?とにかくやばい!
 次の瞬間、俺は意識を失った。目の前が暗くなる寸前、ハルヒも同じようになったように見えた。

 目覚めたら窓の無い一室に居た。

 床に座った姿勢で意識を失っていたらしい。体を動かそうとしたが何かに止められた。
 意識がはっきりと戻るにつれてその原因も分かった。手錠だ……。
 どうやら俺の手は手錠に繋がれているらしい。想定しうる最悪の状況じゃないか?これは。
 それだけではない、どうやら背中にあるのは柱だ。

 首の動く範囲でしか物が見れない。
 ハルヒはどうなっただろうか?この状況がどうあれ、女であるハルヒは俺より危険がある。
「う……ううん……」ふと後ろから声がした。同時に手錠を伝って俺の手に動作が伝わる。
「……ここは?何よこれ……」ハルヒが手錠をガチャガチャとさせながら呟く。状況は分かるだろう。
「大丈夫か?ハルヒ」俺はとりあえず声をかけた。

 柱を挟んで二人は繋がれているらしい。
 どう動いてもハルヒの顔を見ることは出来なさそうだ。
「キョン?キョンなの?あたしの後ろにいる?」
「ああ、どうやら俺たちは手錠で繋げられてる状態らしい」
「そんな……」
 ハルヒの声が絶望感に染まっていた。目が覚めたらいきなり監禁されてると来た。これが普通の反応ってもんだ。
「この状態じゃ、ろくに動けないな」
「何でよ……どうしてよ」
 まあ言ってしまえば余計な事に首を突っ込んだためだろう。
 だが、確かにこの状況は突然すぎる。そもそも何をされたのかもわからない。
 いや……あの手のかざし方には見覚えがある。
 いつも呪文を唱える長門のポーズと同じだ。と、言う事はこれは宇宙人の仕業か?
 だが、あそこにはそこそこの数の人間が居た。あれだけインターフェースが集まっているのに、
 長門から何の警告も無いと言うのは不自然だろう。他にも何かが関わっているのか?

「キョン……あたし、怖い……」
 そのハルヒの言葉で俺の思考は途切れた。そうだ、今はハルヒの事だな。
「大丈夫か?どこか痛んだりは?」
「大丈夫……でも、どうなるの?あたし達……」
 わからないさ。解るのはすぐに俺達を殺さずに、何かの目的の為にこうしているって事だけだ。
 もし、宇宙人絡みなら身代金のため、って事は無いだろうなあ。
 たぶん、ハルヒの観測が目的なのだろう。曰く『鍵』である俺と共に。

 とりあえず俺たちは状況の把握に努めた。
 片手に一つの手錠、二つの手錠が俺たちの手を繋ぎ、柱を挟むことで動作は制限されている。
 お互いに一方向に動くことでとりあえず部屋を見渡すことはできた。
 どうやら手を通じて拘束されているだけで、柱に直接繋がれてはいない。
 それでもこの柱がある限り動けない事に変わりは無かった。
 マニアックな事をしてくれるぜ。
 時計も窓もなく、時間を把握する手段はとりあえず皆無、携帯も取られているようだ。
 部屋はこの柱がある意外は物も置いていない。外部の音も聞こえないことからすると、
 人の通らない様な場所にあるか、防音処置が施されているかだろう。
 できれば後者だと願いたい。ドアは一つ。現状では一度も開いていないので開くかどうかも分からない。
 いや、俺たちを入れるために開いただろうから構造上開かないって事はないだろうが、鍵をかければそれも意味が無い。
 思い出したくも無い朝倉の事を俺は浮かべていた。あのドアだってあるだけかも知れない。
 ハルヒはずっと俺の手を握っていた。その感触だけでハルヒが震えているのが解った。
 柱は思いの他太く、どんなに努力してもお互いの顔は見えなかった。
 声と手だけがそこに居る証だった。ついでに言えばこの状態が続けば脱出は絶望的だろう。

 ハルヒも同じ考えだったらしい。
「キョン、どうしよう……これじゃどうにもならないわ……」
 と言ってきた。
「ああ、助けを待つしか無さそうだ」
「来るかしら……」
「来ると信じるしかない。信じよう」
「いつ殺されるかもわからないのに!!」
 どうやら相当不安定になっているらしい。常に何も恐れない感じすら振りまくハルヒだったが、
 この状況に置かれてすっかり「普通の女の子」になってしまっていた。
 そしてこの緊急時なのにそれを可愛いと思ってしまった。場違いだな、俺。
 俺達はしばらく黙っていた。部屋を見渡しても何も無い。
 することもできることも無いのだ。数少ない選択肢であるハルヒの会話が無くなれば、
 ただぼんやりと天井を見つめるくらいしかなかった。
 俺はその沈黙の重さを感じていはいなかった。考えていたからだ。
 様々な超常現象に触れてきた事でこんな状況でも頭が働くようになったらしい。
感謝すべきか恨むべきかは保留しておこう。
 しかし、俺の後ろに座っていたハルヒはその限りではなかった。
「ねえ……キョン」
「ん?どうしたんだ?」
「良かった、起きてるのね」
「ああ、何もする事は無いけどな」
「それでも……黙ってたら怖くなるのよ……」
 ハルヒは俺を握る手に力を込めた。そんな感じがした。

「今ここに居るのはあたしとキョンだけでしょ……。だからキョンが黙ってたらすごく怖いのよ」
 おいおい、そんなキャラじゃないはずだろう。お前は。
「らしくもないな。でも何を話せばいいんだよ」
「何でも良いのよ……そこにキョンが居るって解るから……」
「俺はいきなり蒸発したりはしないぜ?」
「うるさいわね!とにかく怖いの!」
 どうやら本当らしい。怒鳴る声にもどこか空虚な響きがある。
「お願い……キョン。何でもいい……何か話そうよ……」
 普段から可愛さを3割くらい増してるハルヒにこんな事を言われれば俺だって断れない。
 いつもだって別の意味で断れないが。俺は日常的な話をした。
 そうする事で俺自身も気を紛らわせようとしていたのだろう。
 俺の中学校の頃の話もした。普通ならどうでもいい話だっただろう。
 だが、こんな時ではその状況すら恋しく思える。
 やっぱりさっさと出たいな。こんな所は。
「ありがとう……キョン。少し気が楽になったわ……」
「そうか、それなら良かった」
 ハルヒは俺が話す前も、話してからもずっと俺の手を握ったままだった。
 しかし、途中から手全体を握っていたのが、指を絡めて握る状態に変わった。
 いわゆるカップルの手の握り方だ。まあ不可抗力ってやつだろう。
 何しろ他に誰もいないのだ。たとえ俺でも最高点が取れる。
 今限りのことだ。別にこれくらい構うまい。
 言っておくが最初にそうしてきたのはハルヒだぞ?
 しかし、こんな二人きりの状態ならいつぞやの閉鎖空間の方がマシだ。
 あの空間だって好きじゃないが、縛られたりはしてなかったからな。


 ハルヒがあの時の事を思い出しているかはわからない。
 だが、この状態が続けばまたハルヒは力を発動させるかも知れない。
 それが脱出の糸口になるか、世界ごと崩壊させるかは紙一重だろう。
 今一番有効なのは長門の助けを待つことくらいか。我ながら情けない。
 最初に意識を失うときでさえ集合時間は過ぎかけていた。
 今なら俺達が戻らないことで異常事態が起きたのは把握しているはずだ。
 古泉の機関は調査も得意なようだし、この場所も遠からず調べられるはず。
 あいつらが助けに来てくれるのを待つのが一番の得策みたいだな……。
 どれくらい経っただろうか、長らく動きひとつ無かったドアが突如開いた。
「やあ、目が覚めたかね?」
 男の声だった。意識を失う前に喋っていた男と同じ声だ。
 俺もハルヒも何も言わなかった。さっき俺が言っておいたのだ。
 もし誰か来ても何も言わずに黙っていよう、と。
 そうでもしないとハルヒの性格なら相手を省みず怒鳴り散らすだろう。
 下手に逆鱗に触れてハルヒの身に何かあったら大変な事になる。
「おや、どうやらご機嫌が優れないようだ。無理もないだろうがね」
「……」
「……」
 長門の様な3点リーダを俺たち二人は返す。
 男は素顔のままで俺たちの前に姿を現していた。これは生かすつもりが無いって意味じゃないだろうな。
「とりあえず、食事を取ってもらいたいんだが、如何かね?」
「……」
「……」
 以前、沈黙。食事と言ったって相手が用意するものだ。何が入っているかわかりゃしない。

「おやおや、まさか言葉を忘れてしまった訳じゃあるまい?黙っていても解決にはならないぞ」
「状況もつかめていない俺たちに何を言えと言うんだい」
「おや、やっと喋ってもらえたか。今言った通りさ。そろそろ空腹だと思うのだが」
 やっと言葉を返す俺に、反応する男。まるで古泉みたいな喋り方しやがる。
 ハルヒが無言のまま俺の手を強く握る。どうやらハルヒのほうは空腹らしい。
 俺だってそこそこには空腹だった。ここは応じるべきか。
「そうか、それなら是非何か食べさせてもらいたいね」
「分かった。今用意しよう」
 そう言うと男は部屋から出た。
 しかしこの状態でどうやって食えと言うのだ。手はおろか、体だってほとんど動かせない。
 誰かが食べさせてくれるとか?そんな手間をかけるとも考えにくいが。
 今度は大した時間も掛からずに男が入ってきた。
「お口に合うと良いのだが」
 そう言って出してきたものはパンが5つ。コンビニで売っているような何所にでもあるパンだ。
 気取ったことを言いながらも、メニューは質素なのは何だろうな。
 しかも袋入りってのはどういうわけだろうかね。開けるだけでも一苦労だ。
「それでは、これで失礼するよ、好きなように食べてくれたまえ」
 男は部屋を出てドアを閉めた。鍵を閉める音も聞こえた。
 俺たちの状況に変化は無し。どうやら袋を開けることから始めなきゃならないらしい。
「どうする?ハルヒ」
「とりあえず食べましょ。腹が減ってはなんとやらだわ」
 まあ確かに。こんな物で腹が膨れるとも思えないが。
 二人で袋の両端を引っ張る。何度かやっているうちに袋の破れる音が聞こえた。
 ここからが問題だ。上半身の動きだけでこのパンを食べなきゃならんらしい。

「5つあるから1人2つは食べれるわね。これはどうする?」
「ハルヒがまずは食え。俺はまだ大丈夫そうだ」
「本当に?キョン、無理はしないで」
「ああ、大丈夫だよ」
「ありがとう……じゃあ、食べるね」
 ハルヒは食べるのに試行錯誤しているようだ。
 ゴソゴソと音はするものの、首を動かしたって見えないし、体を動かせば
腕も動いてハルヒを引っ張ってしまう。一度それをやってハルヒが「痛っ」と声を上げてからは
 俺は動かない事決めた。聞くところによると腕がほとんど動かせないので、体をどうにか伏せた状態にし、パンを食べたらしい。

 端から見れば餌を食べる家畜となんら変わらない光景だろう。
 助かったらあの男を思いっきり殴ってやりたい。
 ハルヒに教えられた方法で俺もどうにかパンを2つ食べる事に成功した。
 我ながら情けない姿だが、とりあえずは生きなきゃならないのも事実だろう。
 さて、残ったパンはどうしようか。
「キョンが食べて……あたしはいいわ……」
「何を言ってるんだ。普段はお前の方がよく食うだろうに」
「いいのよ……あたしよりキョンの方が冷静じゃない……」
 それはそうだが。だがここは少し強引でも渇を入れるべきだろう。
「何を言ってるんだ!」
 突如俺が声を上げたからだろう。ハルヒの驚いた声が聞こえた。
「絶望したって何も起きやしない!とにかく気をしっかり持て!」
「キョン……」
 少々言い方が強かったか。だが、ハルヒが意気消沈する姿なんざ見たくはない。
「本当にごめんね……でも……怖いのよぉ……」
 持ち直した気が再びダウンしているらしい。

「怖いのは俺だって同じだ。でも、飯を食わすって事はとりあえず殺される事はないみたいだろ?」
「……うん」
「それなら、今は出来ることをしないとな」
「だからハルヒ、残ったこのパンはお前が食え。俺は大丈夫だ」
「わかった……ごめんね、キョン」
 どうにかして食事を終え。このゴミはどうするんだと言う疑問が思い浮かぶくらいの余裕はできた。
「どうだ、ハルヒ。少しは腹が膨れたか?」
「……うん。さっきよりはいいわ」
 食事が終わるなりハルヒは再び俺の手を握っていた。
 何でもハルヒの言うところだと
「こうしていないとキョンが居ないような気がするのよ」
 だそうだ。ありがたいのやら悲しいのやら。
 だが、俺としても助かるのは確かだ。こんな状況に孤独ってステータスまで足されたら、
 俺は舌を噛んで死んでいたかもしれない。
 そこからまた少し俺とハルヒは話をした。
 高校に入ってからの事。今までのSOS団の活動について。
 俺は気を紛らわせようとしての事だったんだが、それがまずかったらしい。
「早く……帰りたい……」
 途中からハルヒが涙声になり、ついには泣き出したようだった。
「すまん、余計な話だったか」
「ううん、違うの。思い出してたら怖くなっちゃって……」
「すまん」
「ううん、いきなり泣き出してごめんね……」
 ここに居るのは本当にあのハルヒなのか?偽者じゃないだろうな。
 そう思いたくなるほど人が変わったみたいに今のハルヒは弱弱しい。
 いつぞやの時みたいに改変された世界になってたりしないよな。おい。

「肝心のお前がそんな調子で、俺にどうしろって言うんだよ」
「そうね……。あたしがしっかりしないとね……」
 俺が必死に元気付けようとしたのが実ったか。とりあえずは泣き止んだらしい。
「……少し眠った方がいいかも知れないな」
「え?」
「こんな状態だ。頭もロクに回りはしない。難しいかもしれないが、眠った方が良さそうだ」
「うん、そうね……」
 実際眠ろうと意識して目を閉じたって手錠のせいで手は痛むし、床も痛い。
 それでも意識を落とすようにイメージし続けたのが上手くいったらしい。俺は眠りについた。

 そして今に至る。どうやら座った姿勢でも人は眠れるらしい。
 寝起きの俺は再び頭を働かせようとした。
 どれくらい寝たかはわからないが、少なくとも最初から1日くらいは経っているだろう。
 長門や古泉、朝比奈さんが何をしているかは不明だが、まだ何も手を打てないのだろうか。
 だとすれば、この誘拐は本当に宇宙人他が関わっているって事になる。
 あいつらの力と張り合って行動できるのは同種のインターフェースくらいだろう。
 前に長門が俺にかけたなんだかの遮断フィールドみたいな物がまたかかっているのかも。
 じゃあ、仮にそうだとしてこの誘拐の目的は何だ?
 ひとつはこの状態下に置かれたハルヒの観察だと見ていいだろう。
 だが、俺までセットで誘拐したのはどういうわけだ。
 曰く「鍵」である俺をセットにしないとまたあの空間を作って逃げる可能性があるから……か?
 単純に俺もハルヒと行動していたからかもしれない。
 考えたってわかるものでもないが、とりあえず可能性は模索すべきだ。
 仮にインターフェースが絡んでいるとなれば、部屋に盗聴器が無くたって
 相手側にこちらの会話は伝わると見てもいいだろう。

 ハルヒは自覚してなくたって力があるのは俺が知っている。
 誘導して力を使わせるような発言をしたら、相手も強引な手段に出るかもしれない。
 つまり、自力で脱出しようと思ったら、ハルヒだけじゃなく相手にもそれと伝わらないようにしなきゃならないのか。
 結構難しい注文だな、それは……。
「ねえ……キョン」
 ハルヒに声をかけられて俺は我に帰った。どうした?
「無事に帰れるかな……あたし達」
「帰れると信じるしかないだろうな」
「そうね……帰りましょ。絶対に」
「ああ……」
 俺が続けて何を話そうか考えていると、ドアが開いた。
「やあ、気分はどうだい。いや、これを聞くのはナンセンスかな」
「その通りだ。今度は何の用だい」
「そろそろ気分転換も必要かと思ってね。それに人体と言うのは御し難い」
 少し間をおいてこう続けた。
「どちらか一人づつ、トイレとシャワーを許可しようと思うのだが、どうだね?」
 随分親切なこった。
「それが本当ならハルヒから頼む」
「いいだろう。おい、入って来い」
 そう言うと男がさらに3人入ってきた。少なくとも4人は居るらしい。
 その後に女が1人入って来た。男達に比べると若いように見える。
 もしかして、こいつがインターフェースなのか?
 俺の体を押さえ込んでる間に1人がハルヒの手から手錠を外し、手錠同士ををかけなおす。
 なるほど、わざわざ2つも用意したのはこのためか。
 俺はまだ柱に拘束状態であり、ハルヒが逃げても俺が捕まったままって事だ。

「すぐ戻ってくるわ……待っててね……キョン」
 ここに来て初めてハルヒの顔を見た。いつもの元気は消えうせ、
 今にも泣きそうな顔をしている。どうやら相当ショックが大きいらしい。
 ハルヒが部屋から出た後も、最初に来た男は残っていた。
 好都合だ。ついでに言いたい事を思いっきり言っておこう。
「お前ら、ハルヒには手を出すなよ」
「そんな状態でも威勢はいいね。まるで状況が解ってるみたいじゃないか」
「どうだかね。こんな監禁に意味なんて無いと思うが」
「どう思ってもらっても構わないさ」
 俺は女の方を見て言ってやった。
「お前は思念体の親戚か何かか?」
 女は意外そうな顔をした。どうやら図星らしい。
「へえ、あなたはわかっているみたいね。じゃあどうにもならないこともわかるんじゃない?」
 その通りだった。こいつは間違いなく長門に場所を探知できないような防壁を作っている。
 ついでにさっきまで想像していた最悪の状況に今は当てはまる事になる。
「俺とハルヒをどうするつもりだ」
 その質問には男が答えた
「わかっているんだろう?観測と変革、さ」
「ハルヒに世界を壊してもらいたいのか?」
「言うな、君も。残念ながらはずれさ。そのつもりなら君を殺していたよ」
 それはそうだろうな。目の前に俺の死体が転がっていればハルヒがどんな反応をするのやら。
 別に俺の死体じゃなくたって世界を壊すだろう。

「じゃあ、何の変革をするつもりだ」
「わからないか?彼女の力を制御したいのさ」
「何だって……!?」
 ようするにこいつらは自分の都合に合うように情報を改変させたいって事か。
 ハルヒに無自覚のまま力を使わせ、それを自分の利になるように仕向ける。
「だから君も殺すつもりは無い。車のエンジンにだってキーが要る。同じことさ」
 なるほどな。具体的にどうするのかは知らないが、俺を操るくらいこいつならできる。
「だから安心していてくれたまえ。命は取らないし、彼女にも手は出さないさ」
 そう言うと男は笑い出した。不愉快な笑い方だ。
 俺に計画を簡単に漏らしたのも、問題ないからだろう。
 ハルヒに言ったって不安にさせるだけだ。気が狂ったと思われて終わり。
 しばらくしてハルヒが戻ってきた。シャワーに行ったこともあるからだろう、
 さっきまでより少しさっぱりしている。
 続いて俺がハルヒと入れ替わりにシャワーとトイレに行く番になる。
 だが、俺は時間をかけないつもりだ。何かあるなら俺よりハルヒだ。
 シャワーとトイレが同じ部屋にある。どうやら洋風の建物だな。
 数分で用を終えると、部屋の前に居た奴にその旨を伝えた。
 どうやら新しい服も用意されているらしい。
 親切極まりない事だ。あの男の言葉からすれば殺す気はないらしい。
 歩いている間周囲をゆっくり見たかったが後ろから押され、急がされる形で部屋に戻った。
 ドアを開けて中に入るとハルヒの顔に安堵感が戻った。ように見える。
 再び俺たちは手錠で繋がれ、一通り作業が終わると男たちは出て行った。

「……大丈夫?キョン」
 しばらくしてハルヒが声をかけてきた。
「ああ、どうやらお前も何もされなかったみたいだな」
「うん……」
「良かったな。お互いに」
「……ねえ、キョン」
「どうしたんだ?」
「……あたし、怖かった……、一人でシャワーを浴びてても、ここで待ってても……」
 ハルヒ……
「キョン、お願い……離れないで……」
 そう言うと握っていた手にさらに力が入った。
 離れたくたって、動けないんだけどな。
 だが、ここは了承すべきだろう。俺だって離れたくはないさ。
 ハルヒはしばらく黙っていた。
 何分くらい沈黙していたかはわからない。ハルヒがまた喋りだした。
「ごめんね……キョン……あたしの……せいで……」
 また泣き声だ。こいつは今だけで一生分泣いてるんじゃないか?
「あたし……あの時キョンの言う通りにしていれば……」
「そうだが、今更言ったって仕方ないだろう」
「ごめんね……こんな事になっちゃって……」
 ハルヒから「ごめんね」なんて聞くのは一生に何回あるだろう。
 たぶんここにいる時間だけで前払いしきっているに違いない。

「そんなに謝るなよ。ハルヒらしくしていたほうがいいぞ」
「キョン……」
「俺の知ってるハルヒはこんな所で弱音を吐いたりはしないはずじゃないか?」
「あたしにだって怖いことくらいあるわよ……」
 どうやら重症だ。なんだかんだで俺には耐性が付いているんだな。
 こればかりはハルヒに感謝すべきなのかもしれないな。
「だから」
 ハルヒは懇願するような声で俺に言った。
「ここで何があっても、キョンだけは傍に居て……お願いよ……」
 ハルヒに言われなくたって、どうやら相手はそのつもりみたいだしな。
 どれだけ監禁する気かは知らないが、ハルヒはともかく、俺は脳ミソをいじられるかも知れん。
 相手の口ぶりから見ればこの状態は当分続きそうだし、宇宙人絡みである以上は、
 長門の助けを期待するだけでは難しそうだ。今回はしっかり対策も立てているだろうしな。
 あのインターフェース。恐らくは急進派ってやつだ。
 何だってこんな荒っぽいやり方しか思いつかないのかはわからないが、とにかくハルヒを動かしたいらしい。
 最低な野郎共だ。拉致って恐怖心を駆り立てて、意のままに操る?
 冗談じゃない。俺は腹を立てていた。
 ここから出るには通常の手段では不可能だ。
 相手のルールに則ってこちらも策を考えなきゃならない。
 ただ問題は、俺の思考を相手に読まれているかどうかだ。
 長門の普段の言動を見ていたら、そんな感じもしなくはない。
 それは出来ないと祈るしかないか……

 これまで俺が知っている限りだと、ハルヒの力を介した事だけは未来的には予測できない。
 つまり、上手くハルヒの力が働けば、ここから出る可能性が生まれる。
 だが、どうする?余り無茶な事は言えないし、俺の頭では上手く誘導する言葉なんて浮かばない。
 ここまで来て手詰まりか……。

 それから、食事とシャワーをそれぞれ2回行った。
 シャワーに出る際はハルヒの顔を見れる貴重な機会だ。
 その時のハルヒはみるたびに元気が無くなっている。
 こいつらは……ハルヒから抵抗する意志をまず奪う気だ。
 徐々にハルヒの気持ちを削って、錯覚を植えつけていく。
 そして自分達の有利になるように情報を改変させる。その媒体が何かは分からないが、
 たぶんハルヒに力を使わせてると自覚はさせないはずだ。
 自覚させてしまえば今度は手に終えない方法で脱出されてしまうから。

 この間に俺とハルヒは3回の睡眠を挟んだ。俺が少しでも眠ることを進言したためだ。
 だが、ハルヒはそれも少しずつ拒否するようになってきた。
「嫌よ……もし起きたときにキョンが居なかったら……あたし……」
「大丈夫だ。俺はちゃんと居る。約束するよ」
「でも……でもぉ……」
 ハルヒが震えている。このままじゃ本当にあいつらの思うままだ。
 くそっ!!どうすればいい?
 俺は本当に何も出来ないのか!!ハルヒ一人元気付ける事も!

「元気出してくれよ……ハルヒ……」
「キョン……」
「ここから二人で出よう。その為にはまずはお前が元気じゃないと」
「あたし……怖い……キョンが居なくなるのが」
「俺はここに……、」
「居られるかわからないじゃない!もし逃げようとして、キョンが捕まったら、
 キョンが殺されたらどうするのよ!あたしはそんなの嫌!それなら大人しくするわ!」
 おいおい、それじゃ本末転倒……そうか!!
 しまった……そういう事か。俺がここに居るのはこの為だ。
 ハルヒを支えるために俺が居る。俺の安全がある限り、ハルヒはあいつらに従う。
 俺はとんでもない思い違いをしていた。あいつらはハルヒに力を教えるかもしれない。
 でも今のハルヒに正常な判断力は無い。あいつらの言葉に嘘があったって信じるだろう。
 例えば、
「でもね、涼宮ハルヒ。力が発動するには時間がかかるんだ。それにこっちで察知できる」
「もし逃げようとすれば、彼を殺すよ」
 こんな感じの事を言えば、ハルヒはあいつらの思うままになるだろう。
 どうすればいいんだ?そもそもハルヒは何で俺に拘る?
 確かにSOS団を作って結構な時間が経ったし、今更知らない仲ではない。
 俺だってハルヒが消失した時は結構動揺していたし、
 俺が倒れた時のハルヒだって古泉の言う所じゃ動揺してたらしい。
「だから、キョン……大人しくしてよう?きっといつかは開放されるわ」
 ハルヒの心が折れかけている。完全に折れてしまったら全ては終わりだ……


「今度の食事は少し手間をかけさせてもらったよ」
 男がいつも通りの冷静な口調で喋る。
 もう何日経つんだ……シャワーの時間に簡単な身支度も許可されている。
 辛うじて無精髭が伸びたような状態にはなっていないが、精神的には結構きていた。
「我々は料理は不得手な物で、出来はいま一つだが食べてくれたまえ」
 そう言うと男達が入って来た。手には弁当箱のような物がある。
 何で手間をかけて作ったんだ?毒でも混ぜようってのか?
 いや、そんな必要は無い。殺すつもりなら他に方法がいくらでもある。
 俺の前に弁当箱を持った男が座り込む。そうやら食べさせるサービス付らしい。
 俺が口を開けないで黙っていたからだろう。
「おや?食べないのかね?」と俺の目の前の男が言った。
 俺がどうしようか悩んでいると、俺の手を握っているハルヒの手に力が入った。
 食え、って事か。そうだろうな。
「ああ、もらうとするよ」
 俺は口をあけて、男が差し出す料理を食った。
 正直イマイチ分からない味だ。マズく無いのはせめてもの幸いかもしれない。
 ずっと俺たちが手を握っているのを見たのか、リーダーらしき男は
「おやおや、随分親密になったようだね」と言ってきた。
「お熱い事で羨ましいよ。君たちは大事だからね。そうしていてくれたまえ」
 食事が終わると、男たちはまた出て行った。
 監視役を残さないのは、ハルヒにしてみたら不気味だろう。
 嫌味な奴だ。開放されたらまずぶん殴ってやる。
「キョン……大丈夫?」
「ああ、飯がマズくなかったのは幸いだ」
「そうね……」

 ほとんど話すことも無い。うっかりとハルヒの恐怖を増長させるわけにも行かないしな。
 だが、沈黙していても同じだ。とにかくハルヒと繋がっているのはこの手だけだしな。
「もう……結構経つね」
「ああ、時間が分からないから具体的にはどのくらいなのか……」
「あたし達……解放されるのかな」
 されない……だろうな。あいつらはハルヒの力を死ぬまで使うだろう。
 抵抗できない様に心身共に疲弊させ、屈服させてから。
「いつかはされるさ……きっとな」
「あたし……キョンと居られるならこのままでいい……」
「!! 何てこと言うんだよ!」
「もういいのよ……キョン以外はいらない……」
「お前の探したがってた不思議はどうするんだ?」
「もういいわ……今怖いのはキョンが居なくなる事だけだもん……」
「ハルヒ!!」
「何よ……」
「そんな事言うのはハルヒじゃない!お前は俺を全てに優先するような奴じゃ……」
「だって……他に何があるのよ!」
「……!!」
「今のあたしに何があるって言うの?他に誰も居ない、自由も無い」
「ハルヒ……」
「キョンまで居なくなったら……あたしもう生きていけないわ……」
「そんなバカな……」
「だから、キョンが居てくれるなら、あたしはずっとここに居てもいい……」
「こんな生活死んでるのと同じじゃないか」
「生きてるわよ……あたしは、今キョンと一緒に居る」
「こんな状態なんて……、」
「お願い……それ以上言わないで……離れないで……」

 そう言うとハルヒは俺の手を強く握る。食い込んだ爪が痛い。
 心が壊れかけている。今のハルヒはたった一つ残された『俺』の存在にすがりついてる。
 あいつらの目的がもうすぐ完成してしまう。どうすれば……
 もう四の五の言ってられないな……。
 ハルヒに力の事を伝えて、どうにかなるだろうか。
 いや、きっと混乱させるだけに違いない。
 何か、俺を信じさせる事があれば違うかも知れないが、俺には何も出来ない。
 自分の無力感にこんなに苛立つのは初めてだ。くそっ!
 いっそ俺が最初から居なければ……最初から俺にすがらなければ、ハルヒだけでも……!
「キョン……?」
 いきなりハルヒに呼ばれて驚いた。どうやら俺も強く手を握ってしまったらしい。
「ああ、すまん……」
 ハルヒは黙っていた。何が起きたのかわかっていないのかもしれない。
 最初から比べたら、ハルヒが俺の手を握る力は格段に弱くなっていた。
 精神的疲労が大きすぎて、肉体に影響が出始めている。
 あいつらはこれでも異常だと思わないのか?
 最低限の生命活動さえ行ってれば、それでいいってか?
 ふざけやがって!
「ねえ、キョン……」
 黙っていたハルヒが再び喋りだした。

「ん?どうした?」
「あたし……好き……キョンの事」
「……なんだって?」
「ずっと……好きだったの。一緒に居たかった」
「告白するムードじゃないぜ、ここは」
「本当ならあの探索の日に言おうと思ってた」
「でも……こんな事になっちゃって……言えなかった」
「どうしてだ?」
「あたしのせいでこうなったのに……迷惑じゃない」
「そんな事は無いさ……」
「……キョン?」
「ありがとう、ハルヒ」
「…………あたしはキョンと居られるならいいの」
「……」
「大好きなキョンと居られるなら……あたしはこのままでもいい」
「……俺は戻りたい」
「…………え?」
「こんな状況じゃない。どこでもいい。そこでもう一度言ってくれ」
「…………キョン……」
「そしてさ、二人でデートにでも行こうぜ。その方が楽しい」
「あたしもそうしたいよ……本当は……」
「だったら、その光景を思い浮かべりゃいい」
 俺はもう誘拐犯の事を気にしていなかった。
 この会話を把握したらどんな手に出るだろうか。
 ハルヒが思い浮かべて望めば、それは叶う。
 それを阻止するためになら何だってしてくるだろう。
 これは、賭けだ。ハルヒを信じるなら……今しかない。

「キョン…………あたし……『そこまでだ』」
 やはりか……。リーダーの男が入って来た。早いな。効果がある証だ。
「まったく、折角順調だったのに、君は何と言う事を」
「え……?」
 ハルヒが疑問を声に出す。
「出来ればこんな事はしたくなかったのだが」
 男が言い終わると同時に部下らしき男が入ってくる。
 俺たちはすぐに押さえつけられた。
「君が悪いのだよ、君がね……」
 リーダーの男が失望しているといった感じの声を出す。
 俺の手錠が外された。だが、開放する気では無いのだろう。
 実際、俺は押さえつけられたままだ。
 男の一人がハルヒに掛かっている二つの手錠をかけなおす。
 俺だけをつまみ出すって事か。ただの隔離か、それとも殺すか。
 だが、俺だって無策じゃない。俺に出来ることはハルヒを信じるだけだ。
 一瞬でいい、力が残っててくれよ、俺の体!
 俺は精一杯の力を込めて男を突き飛ばした。
 不意を突かれ、男が派手に転倒する。
 その勢いのまま、俺はハルヒに組み付いている男を蹴り飛ばす。
 どうやら綺麗に顔面に入ったらしい。痛みに男がもがいている。
 俺はハルヒの前に座り込んだ。ハルヒは驚いた顔のまま目を潤ませている。
「ハルヒ……俺は信じてるぞ。必ず帰れるって」
「キョン……」
 リーダーの男が懐に手を入れるのが視界の端に見えた。
 だが、俺は構わず両手をハルヒの背中に回す。
「俺も……お前が好きだ。ハルヒ……」
 俺はそれだけ言ってハルヒと唇を重ねた。

 同時に雷が轟いたような音が響く。
 俺の中を何かが通り抜けた。痛みとも何とも付かない感覚が走る。
 だが、俺はそれすらも気にならなかった。
 ハルヒの唇は、まだ温かい。ハルヒの心はまだ消えていない。
 大丈……夫だ……きっと…………帰れ…………る…………
 その思考を最後に、俺の意識は落ちていった。

「……キョン!キョン!」
 ハルヒ……?ハルヒなのか?
「起きてよ!キョン!」
 俺は……どうなったんだ?
「お願い!起きて!起きてよぉ!」
 ゆっくりと目を開ける。開けられる。
 目の前にはハルヒの顔があった。涙が雨のように俺の顔に降ってくる。
「キョン!良かった……」
 ハルヒが微笑んだ。ずっと見てなかった表情だな……。
 ハルヒの顔の奥には灰色の空がある。
 やはり……ここに来たか。
「ここ……覚えてる?」
 ああ、覚えてるとも。本当なら二度と来たくはなかった場所だ。
 実際にそんな事を言うわけにもいかないだろうが。

「いや、どこなんだ?」
「あたしも分からないけど……ここは危ないわ」
「どうしてだ?」
「変な巨人が出るのよ」
「なんだよ、夢かなんかとごっちゃになってるのか?」
「違うの!ここが夢の中なのよ!」
 夢の中だと思っても俺を必死に起こそうとしていたのか。
 ……それはそうか。ハルヒは俺を想ってくれているんだから。
「じゃ、とにかく逃げないとまずいのか?」
「ええ、でも……ここはどこ?」
 見渡すと見慣れない建物ばかりだ。知らない町なのか、それとも別の何かか。
「わからない、隣街とかじゃなさそうだ……」
「……でも、いいわ」
「どう言う事だ?」
「だって、キョンが居てくれるんだもん……」
「ハルヒ……」
「あ、ここのキョンにはまだ言ってないのかな?あたしね……キョンの事……」
「いや、知ってるよ」
 俺はそう言ってハルヒを抱きしめた。
「キョン…………」
 ハルヒも力を込めて俺を抱き返す。
 現実の俺はたぶん撃たれた。ハルヒはきっとその俺を見てあの状況を否定した。
 どうやら賭けの一つは成功だ。もう一つはまだわからないが……
 それと、ここが構築される新世界なのか、ただの閉鎖空間なのか。まだわからない。
 まだ全てが終わったわけではない。ここから帰還しなきゃいけない。

 だが、もう少しハルヒを抱きしめていたい。俺の素直な想いがそれだった。
「好き……大好き……もう、離さないよ……」
「ああ、俺も離さないよ……ハルヒ」
「キョン……」
 どれだけの間抱きしめていたかわからない。
 お互いの温もりが心地よかった。肌寒い灰色の空間にあって、
 俺たちだけが別世界に居るようだった。
「あたし……このままここに居てもいい……」
「どうしてだよ、元の場所に帰らないのか?」
「嫌よ……だって……」
「だって?」
「ここにはキョンが居るから……」
「元の世界にも俺は居るさ。ちゃんとお前の傍に」
 だが、俺の言葉も虚しく、ハルヒは震えだした。
「嫌……あっちのキョンは遠くに居る……」
「そんなはずは無いさ。そいつが俺なら、ハルヒが好きなはずだからな」
「違うの……向こうのキョンは……撃たれて……」
 ああ、やっぱり撃たれてるのか。
 俺の意識がここにあって、さっきまでの記憶もある。
 つまり、まだ俺は生きているはずだ。
「だが、まだ生きてるんだろう?」
「でも……死んじゃったら……」
「なあ、ハルヒ」
 俺は抱きしめていたハルヒを一度離し、肩に手を置いた。

「お前が信じてやらないでどうするんだ?」
「え……?」
「俺がお前を好きなら、向こうの俺だってお前が好きだ。そんな俺をお前が信じないで誰が信じるんだ?」
「でも……」
「大丈夫だ。ちゃんと生きる。そして、約束を守るさ」
「キョン……」
「だからさ、信じてやれよ。お前が信じれば、アイツは必ず応えるから……な?」
 ふと違和感を感じて足元を見る。俺の足元が消えかかっていた。
「!! ……キョン!!」
「行け……ハルヒ」
「嫌!消えないで!」
「待ってるぞ……元の場所で。ちゃんと来いよ?」
「キョン!!」
 ハルヒが飛び掛ってくる時には俺は体のほとんどが消えていた。
 どうやらマジで命が危ないらしいな。頼むぜ……ハルヒ。
 残された動作でハルヒの唇に触れる。一瞬だけ。
 ちゃんと……帰って来いよ……。

――俺は床に倒れてる……のか?
 目の前にはもがいている男。柱に縛られたままのハルヒ。
 ハルヒの顔を見ようと思っても体が動かない。
 だが、今の感覚は……

「……あっ!!キョン!しっかりして!」
 数秒してハルヒの声が聞こえる。ああ、今立ち上がるさ……
 いくらそう思っても体は動かなかった。どうやら指一本動いていないらしい。
「済まないね……涼宮ハルヒ。彼の役目は終わりだ……」
 誘拐犯のリーダーらしき男の声が聞こえる。
「やめて!お願い!キョンを殺さないで!何でもするから!」
「ダメだよ……彼は出すぎた真似をした。生かすと危険だ」
「嫌あぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 再び雷鳴が轟く。同時に何かが砕ける音がする。
 俺の命か?命ってこんな瓦礫みたいな音で砕けるのか?
 すまない……ハルヒ……約束……
 だが、俺の目に映ってる光景は変わらなかった。死んでも目は見えるのか?
「…………お前……何故ここに!?」
 男の意外そうな声が響く。何だ?何が起きたんだ?
「……有希?」
 長門?長門が……来た?
「遅くなった。でも、もう大丈夫」
 紛れもない、長門の声だった。
 そうか……上手くいったみたいだな……
「涼宮さん!今開放します!彼を連れて逃げてください!」
 古泉の声も聞こえる。良かった。ハルヒだけでも助かる。
「古泉君!キョンが!」
「わかっています!表に救急車が!朝比奈さんもそこに!」
 俺はまだ生きているのか?だが間に合わないかもしれないな……

 さっきから自分の中の"何か"が流れ出ている。とても重要な"何か"が。
 体の中に残っている分も少しづつ流れていく。
「キョ……!し……りしなさ……!」
 とうとう音も聞こえなくなってきた。
 いつの間にか目の前も真っ暗になっている。
「ふえ……ョン君……!……」
 朝比奈さんの声か?何ですって?聞こえないですよ……
「バ…………いて…………さない……」
 ハルヒ……もう一度頼む……
「目………………約そ…………」
「……!…………!………………」
「…………………………………………」
 声が次第にノイズになり、遠退いていく。
 良かった。お前だけでも助かって……
 俺が居なくたってお前は大丈夫だよ……
 お前は涼宮ハルヒなんだから……
 約束、ごめんな……

――
――――
――――――定期的に刻むように何かの電子音が頭に響く。
 うるさいな……目覚ましにしては音が小さい。それがまたむかつく……。
 ……なんだこの音は……時計?いや、違う。病院にあるやつだ。心拍数を出すあれ……
 誰だよ……こんな端迷惑な機械の世話になってるバカは……
 どれ、一発殴りに行ってやるか……
「ん……」
 俺の視界に天井が見える。家の天井にしては白い。白すぎる。
 そして相変わらずうるさい音が続いている。
 はっきり目が開いた。俺は……生きてるのか?
 俺は横になっているらしい。体もほとんど動かない。だが、首は動かせるし、
 幽体離脱してるって訳じゃないらしい。この音は……俺の心音か。
 ふと左手に感触があるのに気付いた。誰かの手……?
 俺は必死に寝起きの体を動かし、どうにか上半身を起こした。
 ハルヒが椅子に座ったまま俺の寝ているベッドに伏している。
 両手を俺の左手に重ねたままで。
 俺が体を起こして揺らしてしまったのか、ハルヒの体が小刻みに動き出す。
「う……ん……」
 ゆっくりと顔を上げるハルヒ。俺はそのハルヒに言った
「目、覚めたか?」
「……え!?」
 ハルヒががばっと起き、目が合った。
 お互いに数秒間そのまま固まる。
 だが、ハルヒは見る見る涙目になっていった。

「……キョン!!!!」
 いきなりハルヒが抱きついてくる。
 あまりの勢いに折角起こした体がベッドにぶつかった。結構派手に。
「バカ……バカァ……心配したじゃない……」
 ハルヒの涙が再び横になった俺の胸元を濡らしていく。
「すまないな……ハルヒ……」
「あたしがどれだけあんたの事……」
「ああ、わかってるよ……」
「バカァ……」
 俺はしばらく胸元で泣くハルヒの頭を撫でていた。
 最初に切った時より少し伸びているけど、やっぱりポニーテールには足りない髪。
 でも柔らかく、心地よい感触だった。
 長く泣いていたハルヒは、泣き止むと顔を上げて俺を見た。
 涙で顔がくしゃくしゃになってる。だが、そんなハルヒは普段の3倍増で可愛かった。
「……おかえり、キョン……」
「…………ああ、ただいま。ハルヒ」
 俺もハルヒもほぼ同時に目を閉じた。すべき事はわかってる。
 俺たちは再び唇を重ねた。今度はちゃんと、しっかりと伝えよう。
 しばらく唇を重ねた後、俺は言った。
「ハルヒ……俺はお前が好きだ。これからもずっと傍に居て欲しい」
「当たり前じゃない……あたしもキョンが好きだから……離れたりしない」
 俺たちは再び目を合わせ、キスをした。
 帰ってきたんだな。俺達は。



 その後の事を少しだけ話すと、俺は数日で退院できた。
 何でも俺が眠っていたのは一週間らしい。
 眠っている間に傷は完治していたとの事だ。銃創も残っていない。
 現実にそんな筈は無いから、長門が治してくれたのかもしれない。
 あるいは本当にハルヒが望んだから、俺は生きているのかもしれない。
 そうだよな、ハルヒが約束を破るなんて許すわけが無い。
 きっと俺が死んだって、あの世まで引っ張りに来るに違いない。
 俺が退院する時に、病院の皆が祝福の視線を送っていた。
 ハルヒがずっと俺の腕にくっついていたからなんだろうが、
 ここらの人間は皆機関の関わりに違いない。いつだったかも世話になった。
 今後はあんた達の仕事も減る事になればいいな。
 俺がハルヒを苛立たせないように努力するからさ。

 翌日、俺とハルヒは一緒に登校していた。ハルヒは俺の片腕に両腕を絡めてくっついてる。
 朝からこの調子では授業中ですらこれが続くかもしれない。
「よう!キョン!」
 後ろから声をかけてきたのは谷口だ。
「お!お前らついにくっついたのか?」
「ああ、両者の同意だ」
「ケケケ、随分かかったなあ」
「うるさいわね!別にいいでしょ!」
 ハルヒが笑顔で答えている。谷口はハルヒに始めて向けられた笑顔に戸惑ったのか、
「じ、じゃあ俺は邪魔みたいだし……先行くわ……」と去っていった。
 その背中に何か敗北者のような哀愁があったのは目の錯覚ではあるまい。

 一応ハルヒにも分別はあるらしく、さすがに授業中にまでくっつく事はなかった。
 相変わらずシャーペンでつつかれてはいたが。朝に腕を組んで教室に入ってから、
 俺たちは即座に公認カップルと認定され、それが学校中に広がるまで三日もかからないだろう。
 ハルヒが学食に行く少しの時間、俺はヤボ用があると言ってハルヒと別れ、部室に向かった。
 部室に入るなり長門は言った。
「あなたには大変な思いをさせてしまった。私が発見できなかったせい」
「仕方ないさ。相手も宇宙人だったんだ。きっと対策されてたんだろう?」
「私がついていながら、妨害フィールドも見破れなかった。不覚」
「いいさ、ちゃんと来てくれたんだからな」
「……そう」
「あとさ、俺の傷を治してくれたのは、お前か?」
「……回答を拒否する」
「どうして、何か事情が?」
「どうしても」
「そうか、じゃあ仕方ないな」
「ない」
 俺は部室を後にした。ドアを閉める寸前に
「……嫉妬」と聞こえた気がする。気のせいだよな?

 帰り際に廊下で古泉に会った。
「今回は災難でしたね。我々がいながら申し訳ありません」
「いいさ、それよりよく気付いてくれたな」
「ええ、あの場所で閉鎖空間が発生した事で場所を特定できました」
「狙い通りに行って助かったよ」
「そうですね。でもどうやってあの空間を作るように誘導したんです?」
「聞くな、禁則事項ってやつだ」

 古泉はいつものスマイルを崩さないまま肩をすくめた。
 普段なら腹の立つ仕草だが、今日は見逃してやろう。


 放課後、部室に入るなり朝比奈さんが飛び込んできた。
「ふええ、キョン君、良かったですぅ、無事で……」
「ありがとうございます。朝比奈さん」
「ちょっとみくるちゃん!あたしのキョンに抱きつかないで!」
「ふえぇ!?」
「キョンも緩んだ顔しないの!」
 ハルヒが俺に絡めている腕に力を込めた
「痛!痛いってハルヒ!」
「ひえぇぇぇ」

 日常が再開する。前と少しだけ違う日常が。
 今日も空は晴れ渡っている。俺とハルヒの心のように。
 これからは何があったって大丈夫だろう。
 俺は何だってできるさ。このハルヒの笑顔を守るためだったらな。
「キョン!もう離さない!絶対に離さないからね!」

FIN...


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