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 いまだぼんやりとした意識の中で考える。
 目が覚めたら俺はどの世界にいるのか。
 元の世界か、あるいは長門の改変世界か。はたまた全く別の世界か。
 そもそも俺の言う元の世界とは何だ? それは俺がそう信じているだけではないか?
 ……どうも古泉に影響されてきてんな。
 俺がそんな形而上学的、哲学的な事を考えたってしょうがねぇ。
 世界はいつから出来たか、とか、未来がどうだとかその他諸々を考えるのは
 古泉や長門や朝比奈さんに任せよう。
 今するべきことをする、それが俺の役目だ。


 視界の端に光がちらつく。俺は目を開けた。
 そして見たのは俺のコートを制服の上に着たハルヒである。
 この光景は近ごろ見た覚えがある。いつだ……?
 しばらくして俺の決して高機能ではない脳はこれをあのハロウィンの夜の光景と断定した。
 となれば、次にハルヒが言う台詞は――。
「ねえ、キョン。さっきの続き、聞かせて」
 まあ、どう考えたってふだんのあのハルヒから出る台詞ではない。
 いつものこいつだったら、
「言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ、この馬鹿キョン!」
 とか情緒も何もあったもんじゃない台詞を言うんだろう。
 なのに今のハルヒときたら、口調といい、表情といい全く別人だ。
 だけどそんなことは百年後のブラジルの天気予報なみにどうでもいいんだ。
 『ついさっき』俺は自分の中で答えをだして覚悟を決めたじゃないか。そう、
「俺は、ハルヒが好きなんだ」
 俺は呆然としているハルヒの目を見てもう一度、はっきりと言う。
「俺はお前が好きだ」
 何だか妙に達成感がある。
 よく考えるまでもなくこれが人生初の告白だしな。
 唐突にハルヒが顔を近付けてくる。ちょっと手順をとばしすぎじゃないか?
「何言ってんのよ、馬鹿。耳を貸しなさい」
 まさか……、まさかとは思うが面と向かってじゃ答えられないなんて言わないよな?
「……うるさい、そのまさかよ!」
 本当にこいつはハルヒか? 誰かの変装じゃないか?
 そんな俺の疑問なんかどこ吹く風なハルヒは俺の耳元でささやいた。
「キョン……、」
 沈黙。
「……ユキ」
 ユキ? ユキって何だ? 噛んだのか?
 困惑することしきりな俺の袖辺りを誰かが掴んだ感覚がある。
 振り向くとそこには、
「長門……」
 あの、何でこんなところにいらっしゃるんですか?
 また世界改変しにきました、とか言いませんよね?
 うん、思わず敬語になってしまうのはなぜだろうね。恐るるべきは長門オーラか。
「こんばんは。いい夜ですね」
 長門の後ろから出てきて挨拶する古泉。
「……古泉もか」
 まあ、こいつがいつものいけ好かない表情作ってんだから大丈夫だと思うがな。
 むしろ大丈夫じゃないと困る。無限ループは勘弁だぞ。
「何やってんの二人で?」
 訝しげに言うハルヒに実に嫌な感じなニコヤカ笑いで言い返す古泉。
「涼宮さんはこんな夜遅くに何をしているのですか?
……彼と一緒に」
 途端に慌てるハルヒ。今日のハルヒは分かりやすいね。
「な、何でもないわよ。遅くなっちゃったから、送ってくれるって、キョンが……。
ね、そうよね、キョン」
 ハルヒの眼は、同意しろと訴えているが、
 迫力はいつもの1パーセント未満と言ったところか。
 少しからかってやるとする。
 こんな時でもなきゃ俺がハルヒをやり込めるなんて金輪際ないからな。
「それだけじゃないぞ。ついさっき告白してな、」
 ハルヒの顔が面白いくらいに赤くなる。
「何てこと言い出すのよ、馬鹿!」
 俺はわざとらしく言ってやった。
「そうか、俺は振られたのか。そうか、そうか」
 ハルヒはもう何がなんだか分からない呻き声をあげている。
 そんな俺たちを見て古泉が楽しそうに言う。
「おやおや、やっとですか」
 やっと、とは何だ。
「言葉どおりですよ。全くあなたときたら……」
 以下、延々と古泉が語り続けたが、要約すると「鈍感」の一言で片付いてしまう。
 全く、お前の言い回しはくどいうえに無駄が多いんだよ。
 今や時代は省エネだろ。
 それに一言いわせてもらえば俺が鈍いんじゃなくてハルヒが分かりづらいだけだ。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。例えば……」
 延々と(以下略)。
「分かった。取りあえず俺が鈍いということにしておこう」
 取りあえずって何よ、とハルヒが言うが無視だ、無視。
「それで話が変わるが、なんでお前らはここにいるんだ?」
 古泉は苦笑しながら、
「それは、長門さんに訊いてください。
僕は彼女がどうしても、と言うから付いて来たまでです」
 俺とハルヒは同時に長門の方を見たのだが、長門は目をそらしやがった。
 長門さん?
「なに?」
 そんな「わたしは無実です」みたいな目をするな!
 古泉もいたなら止めとけよ。
「僕が長門さんを止められるとお考えですか?」
 ……無理だろうな。よく考えれば。
「しかし、これ以上ここにいては『アルバイト』が入るかもしれませんね。
お邪魔虫は退散するとしましょう」
 最初はハルヒに聞かれないようにぼそぼそと、
 後の方は長門に言い聞かせるように多少大きめの声で古泉は言った。
 突然ハルヒも叫んだ。
「あ、キョン。あんたもここまででいいわ! あたしの家すぐそこだから!」
 はい?
「また学校でね」
 陸上部も真っ青な速さで走り出すハルヒ。これは敵前逃亡ですか?
「逃げやがった……」
 もう、なんと言っていいのやら。このやるせない気持ちをどこに持って行けと?
 それを目の前に持ってくあたり、俺も器が小さいね。
「古泉、お前と長門が俺の家を出てからもうだいぶ経つわけだが、
何でまだ二人で行動してんだ?」
 古泉は「お忘れですか」と言って両手を広げてみせる。
 無性に腹が立つ。
「僕たちは主義主張は違えど涼宮さんの監視が仕事ですから、あなたの母上が涼宮さんを
引き止めたので、もしかして二人で熱い夜を過ごすのでは……」
 長門に睨まれ、咳払いする古泉。朝比奈さんだったら咳払いじゃすまないな。
「失礼。つまり何らかの進展があるのでは、と思いましてね。
この寒空の下ずっと外にいたんですよ。風邪を引いたら労災申請しようと思います」
 ……ご苦労なことで。十中八九その申請は却下されるだろうがな。
「ああそうだ、長門。ハルヒはあの世界のことを覚えているのか?」
 長門は首を横に振る。
「そっか」
 一安心だね。……だがしかし、今、誰と、一緒にいるかを俺は考えるべきだったね。
 そう、あの解説大好きな古泉が黙ってるわけがない。


 結局というか当然というか、俺から話を聞いたあと古泉は語り出した。
 俺もなれたもので華麗に聞き流している。
 こいつの話に耳を傾けるくらいなら、シャミセンと話してた方がまだましだ。
 どっちにしろ意味はなく不毛な事この上ないが、
 後者の方は俺の気が紛れるだけまだましとも言えよう。
 十分をこえたあたりから、肌寒さを感じるようになった。
 コートをハルヒに貸してしまい、そのハルヒが逃亡してしまったわけだしな。
 風邪を引いたらどうしようか。ハルヒと古泉に慰謝料でも請求するか。
 ハルヒはたぶん風邪を引く方が悪いと言うんだろうな。古泉は……。
 止めておこう。ここで古泉の思考をトレース出来たら何か大事なものを失う気がする。
「……と考えられます」
 どうやら締めたらしい。さあ、帰るか。
「待って」
 どうした、長門?
「風邪を引くといけない。コートを構成する」
 そう言い終わるや否や、長門の手にはコートがかかっていた。
「ありがとう、長門」
 ……ところで何でピンクに花柄?
「嫌い?」
 そんな目で俺を見ないでくれ。
「いやいやいや、そんな事はないぞ! 大好きだ!」
 押し殺した笑い声が聞こえる。
「笑うなっ、古泉!」
「失礼。ですがあなたの慌て方が、あまりにあまりなもので。
……似合ってますよ、花柄」
 そう言って耳障りな笑い声をあげる古泉。
 殴りてぇ……。
「おや、似合ってると言われるのは嫌ですか?」
 そう言って視線を長門の方におよがす古泉。うまい具合に長門を盾にしやがって。
「……俺はもう帰る。
ありがとな。コート、あったかいぞ」
 俺は長門にお礼を言ってから、さっきまで歩いてきた道を引き返すことにした。
「また明日」
 長門はそこで逡巡し、
「――」
 ようやく長門の口からこぼれた言葉は無粋な北風に持って行かれた。
 でも、長門のとなりにいる古泉の驚いた顔を見りゃ何て言ったか分かろうってものだ。
 俺は答えた。
「ああ、また明日な。――」


 家に帰ると妹とおふくろに笑われた。ほっといてくれ。
 ……それにしても、『今日』は一日というにはあまりに長い一日だったな。 事実、意識のうえでは一週間ほどすぎている。
 布団に潜りつつ俺は考えていた。あの改変世界が俺に何をもたらしたか。
 一番分かりやすいのは俺がハルヒに告白したことか。
 だがあのハルヒのことだ。これくらいじゃ変わりゃしないだろう。
 となればハルヒ率いるSOS団だって現状のままだろう。
 つまり俺はこれからもあの超常的な日常を送るわけだ。


 そんな予想が覆されるとは考えもしなかった。
 だが、それは起きた。


 俺がそれに気付いたのはいつくらいだったろうか?
 あのハロウィンの夜から二週間くらいだったか。
 俺は何か物足りない、そんな風に思うようになってた。
 まだハルヒから返事を聞かされてないことにか?
 それもあるだろう。だが、何かもっと大切なことを忘れてないか?
 この二週間を思い返してみる。
 平日には普段どおり古泉の相手をしながら、朝比奈さんの淹れてくれたお茶を飲んでいた。
 そして、土曜日には恒例となった市内探索を――。
 していない。
 それだ。俺の感じた違和感、ハルヒが静かすぎるんだ。
 七夕の時みたいな憂鬱さゆえの静けさでもないし、嵐の前の静けさとは程遠い。
 あの涼宮ハルヒが完全に大勢いる高校生の中の一人として振る舞っているのだ。
 「普通」、それはあいつがもっとも嫌うものじゃなかったのか?
 違和感のもとに気付いてしまうといてもたってもいられなくなった。
 昼休みに弁当食おうと誘う谷口と国木田を無視して俺は文芸部室へ向かった。
 そこには予想通りの長門と予想外の古泉がいた。
「そろそろ来る頃合だと思ってましたよ」
 古泉の似非スマイルが二十パーセント増量なことに腹が立つ。
「本題だけ聞こう。ハルヒが……」
「世界改変でもなければ、敵性存在の攻撃でもありません。
特にイベントの予定もないですよ」
 俺が訊こうとしたことを先回りして全て答えてしまう古泉。
「じゃあ、あいつの様子はなんだっていうんだ? 明らかに今までと違うだろう?」
「昔、話しましたね、彼女もその実、まともな思考形態を持つ一般人種だと」
 それがどうした。
「今、涼宮さんの精神は小休止を取っているのですよ」
「ますます分からん」
 古泉の顔が笑顔の形に歪む。こいつは俺が分からないのが楽しいんじゃないのか?
「そのうち涼宮さんから直々に教えてもらえると思いますよ。
大事なことは今の涼宮さんも涼宮さんであるということです」
 要するに今のハルヒを否定すんなってことか?
「似たような物ですね。もちろんすべてを許容しろとは言いません。
しかし今の彼女も涼宮ハルヒであるということをお忘れなく。
……僕からはこんな所です」
 古泉の話は終わりか。長門は?
「これ」
 またいつかのような分厚い本が渡される。今読んだ方が良いか?
「帰ったらよんで」
 それだけ言うと指定席に着き本を読み始める長門。


 結局、ハルヒはしばらくこのまま様子見、か。きっと長門の本には栞が挟んであるんだろうな。
 一つの懸案事項を解決するために部室に行ったはずなのに、
その目的を果たし損ねたばかりかさらにもう一つ懸案事項を抱えるはめになるとは。
「やれやれ」
 そして教室についてさらに一つ悩みの種が芽生えることとなった。
「おい、ハルヒこれは何の真似だ?」
 俺の目の前には空になった俺の弁当箱があった。
 形ある物はいつか滅びる、当然の摂理である。
 そうであるが、なぜ俺の弁当がハルヒの手によって空にされねばならんのか?
「良いじゃない。今日あたし財布忘れちゃったのよ」
 お前はそれでも良いかもしれないが俺はどうしろと?
 そう俺が言うとハルヒは何かを思い付いたらしく顔を輝かせた。
「じゃあ、今度あたしが特別に手料理を食べさせてあげるわ! それでおあいこでしょ?
いいえ、むしろあんたの方が得してるわよ? このあたしの料理を食べれるんだから!」
 さも名案といったように語るな。
「今の、俺の空腹はどうやって解消するんだ?」
「我慢しなさいよ、それくらい」
 誰のせいだと思ってるんだ、こいつは?
 まあいい。ハルヒにこんなこと言ったって聞いてくれるはずがない。
 それにしてもこのいかにもハルヒらしいやり取りは久々だ。俺は弁当箱を包みながら、
「……なあハルヒ。思うんだが、近ごろお前丸くなっ――へぶっ」
 見事な右ストレート。
「仮にも女の子に向かってなんてこと言うのよ!」
 仮にもって自分で言うか、普通?
「違う。体型が、じゃなくて性格が、だ」
 途端に体中にたぎらせていたエネルギーを霧散させるハルヒ。
「そうかもね……」
 いったん間をおき、
「キョン、放課後ちょっと付き合って」


 放課後の文芸部室が重い空気に包まれていたと感じるのはどうやら俺だけらしい。
 長門や古泉、朝比奈さんはまったくもっていつもどおりだ。
 もっともさっきから盤越しに意味ありげな視線を送る古泉には軽く殺意を覚えるが。
 このボードゲームでコテンパンにのしてやろうか?


「珍しいですね」
「……同感だ」
 そしてなぜ……、なぜ今日に限って古泉に敗北しなければいかんのか。ええい、忌々しい。
 負けっぱなしは気分が悪いが再戦を申し込むのも負けず嫌いなガキくさいし、
 (そんなことを気にする時点でガキくさいってのはこの際だ、棚に上げておこう)
 どうも古泉の野郎はこのまま勝ち越しで終わるつもりらしい。
 ちっぽけな自尊心を傷つけられて、名誉挽回のためには
 もっと大事な物を傷つけるはめになるというジレンマに陥ったわけだが、
 定刻通りに長門が本を閉じる姿に助けられた。
 ゲームを片付け始める古泉に、
「早くしなさいよ!」
 ハルヒに引きずられるようにして部室を出ていく俺。
 部室に残された三人の目は「頑張れ」と言ってたような気がする、というかそうであって欲しい。


 高校を出て、坂を下りきるまでハルヒは終始無言だった。
「一年生の時にさ、」
 ようやく口を開いたハルヒ。
「野球場の話したでしょ? 今日はその続きの話。
谷口辺りから聞いてるかもしれないけど中学一年の時、
校庭に宇宙人語を描いたことがあるの。そのとき手伝ってくれた高校生がいてね、
そいつはジョン・スミスって名乗って、あたしが『宇宙人、いると思う』って訊いたら
『いるんじゃねーの』って答えるような奴だったわ。
しばらく話したんだけどジョンの周りには面白い人達がいたみたいでね、それが羨しかった。
……でも、あたしは一つ許せないことがあったの。ようやく完成してあたしが家に帰る途中に
そいつ最後になんて言ったと思う?
『世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく』って言ったのよ!
その頃のあたしは世界が自分を中心に回ってないってことをあの球場で実感して、
だから自分で自分の世界を楽しいものにしようって四苦八苦してたから、
そいつの発言にいたく傷ついたわ。
『俺が世界を盛り上げてるんだ』って事でしょそいつの台詞は?
悪気はないんだろうけどあたしの努力を否定された気がして。
だからSOS団の名前もジョンの台詞を借りたし、
活動目標もそいつがいるんじゃないかって言った宇宙人やなんかを探すことにしたのよ。
要するにそいつに対抗しようとしたわけ」
 なんとまあ、ハルヒの異常なまでの不思議への執着も俺が原因なのか。
「でも、ジョンが嫌いなわけじゃなかった。
ジョンより面白い人生を送ってやるって目標のおかげであたしはここまでやってこれた。
ジョンはある意味あたしの目標で憧れで……、そうね、初恋の人ってよんでもいいかもね」
 ハルヒにとって俺とジョンは別人だろうが、実際は俺がジョンなわけだから、
 気恥ずかしいことは海より深く山より高い。今すぐ穴に入りたい気分だ。
「あんた今日、あたしの性格が丸くなったって言ったでしょ?
丸くなったんじゃなくて、あれもあたしなの。普段はジョンへの対抗心から隠してたんだけどね。
でも、あんたに告白されてからこんな日常もいいかなって思えて来て……」
 そこまで言って黙るハルヒ。
 俺に告白されてから普通の日常でもいいって思えてきた?
「それは遠回しにオーケーされたってことか?」
「……確かめてみれば?」
 ニヤリと笑うハルヒ。やれやれ。
「ハルヒ。好きだ、付き合ってくれ」
 ハルヒは偉そうに、
「どーしてもって言うなら、いいわよ」
 何で告白がこんなにムードのかけらもないんだ? 寂しいな。
「どーしても、だ」
「じゃあ、あんたは今からあたしの彼氏よ」
 だから、あっさりしすぎだっての。もうちょっと雰囲気とか……なあ?
「いい? あんたが普通のことしたら容赦なく振っちゃうからね、覚悟しなさいよ!」
 人差し指を俺に突き付け宣言するハルヒ。
 やれやれ。結局こいつはこうなるわけか。
「何ぶつぶつ言ってんのよ。あたしはまだ宇宙人も未来人も超能力者も諦めてないのよ!
そいつら見つけてひっ捕まえてぐるぐる巻きにしたら、
今度はジョンを探し出して『参った』、って言わせるんだから!」
 お望みなら今すぐ言ってやるよ。長門、朝比奈さん、古泉と一緒にな。
「そしたら……、しばらくは普通の女の子でいてあげる」
 ハルヒは続けて、
「でも、特別に今も普通になってあげるわ」


 目を閉じるハルヒ。
 倣って俺も閉じる。
 夕日に照らされてできた俺たちの影が重なる。
 目を開けるとハルヒが笑っていた。
 俺もたぶん笑っている。


 だが普通なことはここまで。
 明日からはまた、ハルヒによる奇想天外、波乱万丈、驚天動地の俺の日常が始まるんだ。
 めでたしめでたし。


 ……と、終わってくれたらどんなに良かったことだろう。
 ところがこの瞬間ふと思い出した。長門が貸してくれた本の存在を。
 あの脈絡のない渡し方からいって栞がはさんであるのはもはや規定事項レベルであり、
 あいつが本に栞を挟む時は大抵大事な話がある時だけだ。
 あいつの大事な話ってことはまた一波乱、二波乱あるのはもう目に見えている。
「どうしたのよ、突然マヌケ面を作ってあらぬ方角まで見つめちゃって」
「いや、何でもない」
 勘のいいこいつのことだ、俺の嘘に気付いているだろうが、「ふーん」と軽く流してくれた。


「また、明日ね、キョン」
「おう」
 ハルヒと適当なところで別れ、家に帰り着くや否や俺は本を開いた。
 やはりそこには一枚の栞があった。ワープロ顔負けの綺麗さでそこには、
「午後七時。わたしの家で待つ」とあった。
 俺は六時半頃に家を出て、自転車をこぎつつ一体今日は何の用かと考えていた。
 七時ちょうどに長門のマンションにつき、708号室の番号を押した。
「長門、俺だ」
「入って」
 一体何回繰り返しただろう、このやり取りを。
 そしてまた長門の部屋に入る。
「それで、今日はどうしたんだ?」
 俺の疑問が聞こえないのか、どうなのか。長門はそれに答えずただお茶をだした。
「飲んで」
 そう言われれば飲まないこともないが……。とりあえずお茶を啜る俺。
「改変世界でのあなたが最後にしたこと、覚えている?」
 あいにくと最後の方は意識が朦朧としていたんだ。
「……そう」
 そんな悲しそうな雰囲気を醸し出さないでください。お願いします。
「そう」
 それからしばらく俺はお茶を飲み続けた。 空になった急須。何時かのように腰を上げた長門を制す。
「そろそろ聞かせてくれないか」
「……」
 ストンと腰を下ろした長門はしばらく黙っていた。
「……情報統合思念体がわたしの処分を、」
 おいおい、またか。もう一度くそったれと伝えてもらうことにしよう。
「決定した」
 むせた。
 決定だと? この腹の底からフツフツと何かが沸き上がる感触は去年の文化祭以来だ。
 情報なんとか体は記憶力ゼロか?
「おい。それはマジか」
「そう。彼らはわたしが脱出プログラムを用意しなかったことを重要視している。
彼らはわたしの中のエラー、バグが許容限界を超えたと判断した。
ゆえにわたしは回収され、処分される」
「おい、長門。もう一度くそったれと伝えろ。今度こそ俺はハルヒを焚き付けてやるぞ」
 長門はうなずいたあと黙ってしまう。
「……なあ、なんでまた突然そんなことになったんだ?」
 長門は黙ってしまう。


 それからは何を訊いたって、うんともすんとも言わなかった。
 どうやらこれ以上聞かせてくれないらしいので俺はお茶の礼を言って部屋を出た。
「長門、ちゃんと伝えておけよ」
 うなずく長門。その姿にあきらめが漂っていたのは恐らく気のせいだ。


 家に着くとおふくろにどこへ行っていたのかと問い質されたが、
 俺は生返事しながら部屋に引っ込んだ。
 そもそも思念体とかいう奴は何を考えているんだ?
 俺たちが黙って長門を消させるわけないだろう。
 だがいくら考えたところで馬鹿野郎の考えなんざ分かるはずもなし。
 気付けば俺はベットの中で熟睡していた。


 次の日ほど一日が長いと思ったことはない。
 そしてやっと訪れた放課後
 偶然か故意か知らないが部室には俺とハルヒしかいない。
「なあ、ハルヒ」
「何よ?」
 はい、深呼吸。吸ってー、吐いて。よし。
「ちょっと話を聞いて欲しい」
「……? いいわよ」
 とりあえず最後まで聞いてくれ、と前置きしてから、
「単刀直入に言う。長門は宇宙人で、朝比奈さんは未来人、古泉は超能力者だ」
「はあ? あんた前にも……」
 叫ぶハルヒをある一言で黙らせる。
「俺がジョン・スミスだ」
 世界が停止したかと思われた。


「あんたが……? そんなわけないじゃない。あたしより三つか四つぐらい上のはずよ」
「だから言ったろ、朝比奈さんは未来人だって。
ジョンは眠ってる女の人を連れてただろう、それが朝比奈さんだ」
 ハルヒが口を開いたり閉じたりしている。あまりのことに頭がついていけないのか。
「お前はあの日織り姫と彦星宛にメッセージを書いたはずだ。『あたしはここにいる』と」
「……何で分かったの?」
「長門が翻訳してくれた」
 駄目押しの一撃を受けてハルヒはまた黙ってしまった。


「……つまり、あたしはもうとっくに目的を果たしていたの?」
 そう言うことになる。徐々にハルヒの顔が紅潮していく
「あんたがジョンだなんて……、なんで突然そんなこと言うのよ!
昨日までそんなこと一言もいわなかったじゃない!」
「昨日まではお前に言うわけにはいかなかったんだ」
「何でよ?」
「普通に考えたら宇宙人に未来人に超能力者がピンポイントで集まるはずはないよな」
 うなずくハルヒ。
「三人が三人とも同じ目的でここに来たんだ。それが――」
「何をしているんですか!?」
 突如古泉が乱入した。俺の胸倉を掴みあげてあっと言う間に壁際に追いやる。
「あなたという人は自分が何をしているか分かっているんですか!?」
「ちょっと、古泉くん何やってるの?」
 鬼気迫るとはこのことか。ハルヒが目の前にいるのを忘れていやがる。
「……古泉、雪山での約束忘れちゃいないよな?」
 古泉はそれだけで察したらしい。手の力が抜ける。
「……長門さんが?」
「そうだ」
 ハルヒが尋ねる。
「有希がどうしたの」
 伝える内容が内容だけに俺の声も重く、低くなる。
「長門が作り主に処分される」


 ハルヒの表情の変化をお伝えしよう。
 口を開いて呆然とし、次の瞬間には顔が蒼白になった。
 なったと思ったらいきなり顔が真っ赤になった。
「何よそれ! あたしは絶対に許さないわよ! どこにいるのそいつらは?
今からギタギタにして来るわ!」
 ちょっと落ち着け、ハルヒ。
「それで、さっきの続きに戻るわけだが、三人の目的はハルヒ、お前の観察だ」
 さすがのハルヒもこれは予想していなかったらしい。
「へ? あたし?」
 俺に変わって古泉が口を開く。
「ええ。
かなり真実に近い仮説だと我々は考えているのですが、涼宮さん、あなたには――」
「願望を実現させる力がある、でしょうか?」
 突然どこかで聞いた声が響き、部室が歪んだ。俺が教室で朝倉に殺されかけた日のように。
 こんなことができるのは、
「喜緑さん、ですね?」
 しまった、これは予想外だ。さすがの穏健派も自身の存在の危機とあっては動くのか。
「そんなに構えないでください。わたしは確認しに来ただけです」
「何を確認するって言うんですか?」
 喜緑さんは笑顔を崩さず小声で何かをつぶやき始めた。
「……キョン、この人も?」
「見ての通り長門の親戚だ」
 非常にまずいな。
「……やっぱり」
 何事か確信したらしい喜緑さん。
「通りで主流派が長門さんを回収したんですね」
 何を納得したというのか?
「残念ですがと言うべきでしょうか、おめでとうございますと言うべきでしょうか?
……ともかく涼宮さんから情報爆発を起こすだけの力はもう検出されませんでした」
 全く意味が分からん。
「涼宮さんに『力』がもうないということです」
 古泉が消え入りそうな声で言う。
「つまり、俺たちは……」
「もう、思念体を止められません」
 ようやく合点がいった。
 思念体が長門の処分を決定したわけが。長門が諦めていたわけが。
 もう、俺には何も出来ないのだ。
「キョン、どういうことよ? 有希が、いなくなっちゃうの?」
 もう言葉を発する気力もない俺はしぐさで肯定した。
「何あきらめてんのよ! まだ何か出来るはずよ!? いいえ、何とかしなさい!」
 そう叫ぶハルヒの声に湿気が混じっていた。
「最後に長門さんからの伝言があります」
 全く動揺を見せない喜緑さん。
「あなたは全く動揺していないんですね」
「ええ、彼女とは違う派閥ですし、あなたたちの言う死の概念がよく分からないんです。
心停止、および脳死。たったこれだけじゃありませんか」
 この台詞だけでどれだけ長門が人に近付いているかも分かろうと言うものだ。
「……長門の伝言、聞かせてください」
「『また図書館に』だそうです」
 喜緑さんが言い終わると部室が元に戻った。
「……おや、長門さんが何らかの情報操作をしていますね。
彼女はエラーとバグを切り離して何かに保存しているようです」
 エラーとバグ、ね。この人にはたぶん感情の概念もないんだろうな。
 笑っているのは外見だけか。
「長門さんの所へ行かないのですか?」
「まだ、長門は消えてないんですか?」
 不思議そうに首をかしげる喜緑さん。
「ええ。なぜか思念体に抵抗していますね。消えるのは時間の問題ですけど。
この様子だと情報の残滓と接触くらいは出来ると思いますよ」
 途端に活気づくハルヒ。
「喜緑さん、有希は図書館にいるのね? ほらキョン、行くわよ!」
 俺を掴んで全力疾走するハルヒ。
 つられて俺も自分の限界以上の力をふり絞る。


 走りに走った。
 肩でいきをしながら俺たちは図書館に駆け込んだ。
「キョン、あそこ!」
 どうやら間に合ったらしい。そこにはまだ長門がいた。
「長門!」
 ゆるりと振り向く長門。
「待っていた」
「有希! まだ消えてないわね!? て言うより消えるなんて許さないわよ!」
 長門が笑った気がする。
「あなたに教えたいことがある。来て」
 長門の手招きに応じるハルヒ。そのハルヒの手に長門の手がふれた。
「え、何これ? ……キョン、有希?」
 頭を押さえるハルヒ。
「長門、何をした?」
「改変世界の記憶を修復した。一度の情報転送量を誤った。大丈夫、すぐ治まる」
 そう言う長門の姿が薄れていく。
「時間。最後に、あなたたちにこれを預ける」
 差し出された図書カード。
 俺はそれを受け取った。
「また、図書館で」
 その言葉を残して長門は消えた。
「マジかよ」
 凄まじい虚無感だ。
「ちょっと、キョン」
 なんだ?
「あんな事したんなら、有希をちゃんと幸せにしてあげなきゃ駄目じゃない」
「俺が何をしたって? ……いてっ、蹴るなよ」
「馬鹿キョン……」
 ハルヒはまだ長門のいた辺りを睨んでいた。


……
………


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