「キョンくーん、朝だよ!起きてー!」
「ぐおっ!」
お前は手加減を知らんのか?いきなり全体重をかけて飛び掛かってくるとは……。
何かあったらどうすんだ?
「だって、キョン君、彼女を待たせて、シャミみたいにグーグー寝てるんだもん」
……待て、今なんと言った?彼女と言ったか?俺に?
「キョン君、寝ぼけてる?昨日そう言ってたでしょ。
有希ちゃんと付き合うことになったーって。
有希ちゃんさっきから家の前で待ってるよ」
ああ、そうだったな。昨日の帰り道の途中に告白した、んだよな?
何やら記憶がぼやけてる。多分夜更かしのせいだろう。
そんなになるまではしゃいでたんだな、きっと。
まあ、それも無理なからぬことで、良く考えれば我が人生最初の恋人である。

ふと時計を見ると、もう結構な時間だ。さっさと着替えて家を出ることにしよう。
しかも、今日はもう十一月。
だいぶ寒くなってきた頃だからな、有希に風邪を引かせるわけにもいかんだろう。

朝飯も食わずに急いで家を出ようとする俺をおふくろが呼び止める。
「朝ご飯、食べてかないの?」
外に人を待たせてるからな。
「家に上がってもらってるけど?」
……そういうのは先に言ってほしいものだ。
まあ、何はともあれGJ、おふくろ。
「よう、有希。悪いな、少し待ってもらっていいか?」
北風にふかれてかじかんだであろう手を擦り合わせて暖めてる有希に声を掛ける。
「……いい」

とはいえ、時間が時間だから、あまり待たせる訳にもいかないし、
借り物の猫状態の有希を一刻も早く開放しなければならない、という変な義務感から、
俺はいつもの倍の速さで朝食を食道経由で胃に詰め込み、
結果、飯を喉に詰まらせて窒息しかけた。

「死ぬかと思った……」
「大丈夫、キョン?」
ちなみにお互いをあだ名と下の名前で呼ぶようになったのは昨日からのはずだ。きっと、そうだ。
……誰に弁解してんだろう?
「ああ、問題ないから、気にすんな」
朝、通学途中の会話、今日はこれだけ。
後は延々と、黙々と学校まで歩き続けるだけである。
手を握りながらな。

ずっと無音でいて楽しいかと聞きたい奴もいるだろう。
だけど、これが俺たちの付き合い方だ。
毎日、周りを気合いと、声でなぎ倒してるような
ハイテンション且つ、騒がしい奴に付き合ってたら身がもたん。
いや待てよ。俺にそんな知り合いはいたか?
いないな。
じゃあ、誰だ?
一体、誰のことを俺は思い浮かべていたんだ?


さて休み時間、有希は俺の後ろの席で本を読んでいることがほとんどだ。
思うんだが座席の位置関係が入学当初から変わってないって、ものすごい偶然だよな。
確率の計算は苦手だから、分かった奴は後でこっそり教えてくれ。
誰だ、苦手なのは確率だけじゃないだろう、なんて言ったのは。
……そうだよ、その通りだよ。数学なんて嫌いだ。
そんなことを考えていると、谷口と国木田がからんできた。
いや、からんでくるのは羨ましそうな、恨めしそうな、顔をしている谷口だけだが。

「毎朝、毎朝お前に行きあう度に殺意を覚えるぞ」
「まあ、そう言うなって。
谷口、お前にもきっと春は来る。
十干十二支が一回りした頃までにはな」
そう、言ってやると谷口の顔が一段と暗くなり、
何かをキョロキョロさがし始めた。
言っておくが、凶器の類いはそこら辺には落ちてないぞ。
「そう言えばさ、キョン。正式に付き合い始めたって本当かい?」
ああ、昨日からな。それにしても、情報出回るの早いな。
「そんな事いまさら確認してどうすんだ、国木田。どうせ時間の問題だったろ。
それに事実上付き合ってたようなもんだしな、こいつら。
ああ畜生、俺も可愛い彼女が欲しいな……」
事実上付き合ってたようなもの、か。今となっては否定する気はない。
そう言えば、谷口は当たっては砕ける、を繰り返してるが
こいつはまともに付き合ったことはあるのか?
「失礼な、あるぞ、ちゃんと。一番短くて、五分だが……」
思い出し涙は、見てて寒気がするからやめろ。
それになんだ、五分って?何の罰ゲームだ。
「罰ゲームでも何でもねーよ。相手が悪かっただけだ」
相手が悪かった、ね。本当かよ。
そもそも五分で振るならオーケーすんなっての。誰だか知らないけどさ。
「涼宮ハルヒっていうやつなんだけどな」
涼宮、ハルヒ?
……ハルヒ?

俺が何かを掴みかけた瞬間、国木田が谷口を促した。
「それで?」
「ああ。ともかく普通なことが嫌いな奴でな。
中学時代はわけの分からんことをずーっとやってたな」
現在進行形かもしれん、と谷口は付け足す。
どうやら、谷口の脳内には涼宮とか言うやつの伝記が入っているらしく、
話が出て来る、出て来る。
まあ、そんだけ話題には事欠かないやつってことか。
そんな谷口の延々と続こうかという涼宮の武勇伝も、大詰めにさしかかったらしい。
「その涼宮の一番有名なのはあれだな、校庭ら……」
話を遮るかのように本の落ちる音がした。
「有希?」
後ろを見るとそこには顔から血の気が失せた有希がいた。
「おい、大丈夫か?保健室に行くか?」
顔色が悪い、なんてものじゃない。顔に色が、ない。
「いい。大丈夫」
本当かよ。真っ白だぞ。
「……大丈夫」
本人はそう言うけれど、百人に見せたら、百人とも病気だ、としか
言わないような顔色をしたやつをほっとけはしない。
幸いなことに今日の授業は残すところ後一つだけであるから、
俺は保健室に有希を連れていき、そのまま居座ることにした。
有希は最後まで健康体アピールしていたが、
万に一つ倒れられたら困るから絶対安静だ、
そう主張したところ、渋々ながらの同意を得た。

放課後には体調が回復したと言い張る有希と二人で文芸部室に向かう。
できれば今日は休みにして様子見にしたかった。
文芸部の部員は二人だけだから誰にも迷惑はかからないしな。

渋々向かった文芸部室の扉を開けると、そこには不思議な光景があった。
最新のコンピュータに、団長と書かれた三角錐、
多量のコスプレ衣装に、種々雑多なボードゲーム。

どこか、懐かしい光景。
「こりゃあ、なんだ?」
誰がこんなことをしたんだ。随分手の込んだいたずらだな。
なんて悠長に考えていていい事態ではなかったようである。

有希が気絶するなんざ、予想もしなかったよ。
というわけで、有希を背負いながら保健室に逆戻りだ。
やれやれ。

意識のない有希をベッドに寝かせ、布団を掛けてやる。
無理やりにでも今日は休みにするべきだったかと猛省。
寝ている有希がうなされている。よく耳を凝らすと、
「彼女……いる。……邪魔する、……わたし、……わたしたちを」
と、意味が詳しく分かるわけではないが、なかなか物騒な感じである。
そもそも彼女って誰だろう?
俺たちを邪魔しようとするやつに心当たりがないんだが。
有希と同じマンションの委員長・朝倉には有希の部屋にお邪魔した時に遭遇し
泣かすな、と(包丁を片手に持っての)警告をうけてはいるが、
俺が気にいらないから、というわけではないらしいし。
そうとなると、悪夢を見ているって解釈の方がピンと来るな。
そんなことを考え始めた俺の腕を誰かが弱い力で引っ張る。
当然、有希だ。
「目が覚めたか」
うっすらと目を開けた有希が小さくうなずき言う。
「もう、大丈夫」
さあて、その言葉を信じていいものか、悩みどころだな。
「大丈夫」
深い海のような目がテコでも動かせないような
決意の色を抱いているのを見て、俺は説得をあきらめた。
「分かった。帰ろう。ただし、」
有希が青い西瓜を見たかのような顔をする。
「病人はおとなしくしてろよ。俺が責任持ってちゃんと家まで送ってくから」

というわけで、俺は有希をおぶって下校中だ。
言い出したのは俺だが、これはなかなか恥ずかしい。
背中の上の有希も恥ずかしいと小声でつぶやいていた気がする。
はたから見れば俺は誘拐犯か何かと思われるんじゃないかと心配である。
俺は悪いことしてないぞ、と心のうちで念じながら、ひたすらに駅を目指した。
色々な意味で無事、駅に着いたので一旦有希を下ろす。
思うんだが俺は過保護すぎないか?
そう訊くと有希は肯定したものの、嫌ではない、と言ってくれた。
続けて言うことには、誰かに頼れるのは幸せだ、だとさ。
やけに実感がこもっている。
まあ、こんな俺に出来ることなら何でもやってやるさ。
「ありがとう」
そう言う有希の顔には藍色の背景に書かれた青色みたいに
目立たない悲しみが浮かんでいた。

誰かが俺たちの間から言葉を盗んだかのような沈黙。
普段は心地よいそれが、今日に限って重苦しい。なぜだ?
そのまま電車に乗る俺たち。

「なあ、今度の土曜日出かけないか?」
電車に揺られながら唐突に訊く俺。
「どこへ」
一瞬で答えが返ってくる。
行く、行かないをすっ飛ばして場所の相談である。
一瞬考えるが、
「そうだな、図書館へ行こう」
ここ以外思い付かない。
有希と話すようになったのも図書カードを作ってやってからだったな。
「そう」
嬉しそうに微笑する。
付き合い始めたにもかかわらず、行く場所が変わらない事への微笑か。
はたまたこの嫌な空気を浄化させるための微笑か。
何でもいいか。有希が嬉しそうに笑ってる、それだけで十分だ。

電車から降りたあと、自転車の後ろに有希を乗せる。
そして気付けば有希のマンション前である。
「じゃあ、また明日。お大事に、な」
「わかった」
そう言って小さく手を振ってくれた姿は、俺の脳内アルバムに永久保存だな。

さて、平穏無事に時は過ぎ今日は約束の土曜日である。
待ち合わせ場所には有希の姿はない。
まあ、今はまだ約束の三十分前だから当然であろう。

と、思っていたんだが、五分もしないうちに有希は来た。
ちょっと早くはないかね?
「待った?」
「いいや、全く」
下手したら俺が待たせるところだったかと内心冷や汗ダラダラである。
妹式目覚まし法も百回に一回ぐらいの割合で役に立つものらしい。

何はともあれ俺たちは図書館へ向かうことにした。
そこで『見知らぬ女』と俺が『再会』を果たす、なんて奇妙なことが起ると予想するのは
俺に限らず、誰であれ不可能なことだったろう。
そんなわけだから、俺は今日もいつも通りの一日になると考えていた。
図書館で、有希が黙々と本を読み続けるその隣りで俺も何冊か読んでみたり、
本を読んでいる間にふと気が緩んで睡魔に敗北し、夢の世界へ捕虜として連れて行かれ、
ようやく本国へ送還されて一番最初に見るのが拗ねたような、
落ち込んだような有希だったから、慌てて弁明したり。
そんな他愛のない、けれども幸せな一日になると思っていた。

そう、あいつが巻き起こす他の誰にも真似できない非日常とは対極にある幸せな日常に。

――なあ、俺。
一つ訊いていいか。

あいつって、誰だよ?

また、ここ最近ずっと感じている妙な気分に襲われる。
敢えて言葉にするならば、知らないけれども大事な何かを忘れている、とでも言おうか。
「有希」
馬鹿みたいだが、この妙な感じを有希に話したくなった。
理由は全くないが、有希ならば分かりやすい答えを示してくれると
心のどこかでそう信じている俺がいる。
……どんな盲信だよ、おい。
「何?」
「近ごろ、誰かを忘れてるような感じをずっと感じてるんだが心当たりはないか?」
有希が一瞬強張ったように見えた。しかし、
「ない」
そう普段の口調で断言した。
「そうだよな。俺の事だから、心当たりあるわけないよな。
すまん、忘れてくれ」
本当に、俺は何を考えているんだか。自分の事は自分にしか分からないというのに。

それからしばらく歩き続けると図書館が見えて来た。休日だから人の出入りは多い。
そして出る人も入る人も例外なくいったん立ち止まる。
何故かと言えば、入口の辺りで仁王立ちしている奴がいるからだ。
どう考えても邪魔以外の何物でもない。俺が図書館の職員なら即刻、退去させるぞ。
馬鹿な行いに義憤を感じつつ俺は歩を進めようとした。
しかし、それは適わなかった。
なぜなら有希が俺の服の袖をつかんで進ませまいとしたからだ。
物理的にはとても弱い力だったが俺はそれ以上進めない。
だってそうだろう?
理由は知らないが、怯えた顔で俺の服の袖をつかんでるんだぞ?
もし、この状況で相手を振りほどける奴がいたら、
俺が責任を持ってヒトラーよりも上の悪人に認定してやる。
もっとも有希ではなく谷口辺りが同じことをやったならば、
俺はそいつをボコボコにしてドブに捨てるがな。
……まあ、それはおいといて。
有希に理由を訊いてみても首を左右に振るだけである。
だがしかし、俺は無理強いする気も、理由もない。
だから入口付近で交通を滞らせている奴を、暇潰しに観察する事にした。

遠くてよくは分からんが女のようだ。
髪は長い。腰ぐらいまであるんじゃないだろうか。
この距離から分かることはこれくらいしか……。

何かゾクッとした。
間違いない。
今、そいつと視線があった。
なぜ分かったって?

そいつがこっちに向かって、陸上部も真っ青な速さで走って来るからだ。
いや、まあそれだけが理由じゃないんだがな。

そいつが俺たちに近付くにつれ、細部まではっきりしてきた。
まず、美人である。
谷口ランクで良いところまで行くんじゃないか?
次。
あんな遠くにいたこいつと視線があったと感じたのは、
その強い意志の光を放つ瞳のせいだ。
超新星爆発のような光を放つ瞳は今、真っ直ぐ俺たちを向いている。

さらに言えば獲物を見つけた雌ライオンを彷彿させる目付きでもある。
俺たちの周りには人がいないから、こいつの獲物は
必然的に俺たちってことになるんだろうが、いかんせんそいつに見覚えがない。
だから俺はさっき感じた戦慄とは裏腹に余裕を持って立っていた。

対照的に有希は逃げの態勢に入っていたが、女の方が早かった。
女はよく通る声で次のように叫んだ。
「有希、キョン!」
俺たちの名前とあだ名を知っている?
だが、相手には全く見覚えがない。
当惑する俺をよそに女は俺たちの目の前にいつの間にか来ていた。
驚くべき事に息一つ切らしていない。
「ちょっと、反応薄いわよ。何か言いなさいよ!」
目の前で騒いでいるこいつではなく、後ろに隠れた有希に訊く。
「俺はあいつを知らないんだが、有希の知り合いか?」
基本こういう輩は無視だ。返事をしたが最後、何が起こるか分かったもんじゃない。
だが、有希の知り合いの可能性もあるから、一応確認したってことだ。
「知らない」
結論。関わり合いになってはいけない。
目を逸らし、徹底無視の方針だ。

相手もそれくらいはお見通しだったようだ。俺の肩に手を掛け
強制的にフェイス・トゥー・フェイス。
どうやら相手をしなければならないようだ。
神様、恨むぞ。俺は何か悪い事をしたと言うのか。
ともかく、こいつとはサッサとおさらばしたい。

俺は不機嫌な顔を作り、不機嫌な声を出した。
「誰か人違いをしてないか?俺はお前を知らないし、有希もそう言ってる。
記念すべき初デートの最中の俺たちのことは放っておいてくれないか?」
普通の奴ならスゴスゴと帰っていくだろう。
ところがこいつは普通じゃないらしい。
「デー……ト?」
訳が分からないといった顔でつぶやく。
言葉の意味が理解できないのか?本格的にやばいんじゃないだろうか。
「それはあんたたちが付き合ってるって事?」
他にないだろう。

おい、何でそんな世界の終わりだって顔をしてるんだ。
「まあ、いいわ。どうせ……」
女は言いかけた言葉を途中で切り、俺たちを見た。
「ねえ、本当にあたしを覚えてないの?」と念押しした。
俺の脳細胞のどこにもお前みたいな奴は記録されていない。
有希も
「知らない」
だとさ。
さて、そろそろこの俺の肩におかれた手を放して欲しいのだが。
「嫌よ」
「はあ?」
なんだこの分からず屋は?
「嫌だって言ってるの。ちょっと付き合いなさいよ」
「俺は知らない奴の相手をしてる暇はない。
放してくれ」
本当に、何でこんなのに付き合わなくちゃいけないんだか。
「……なんで、なんでよ。なんでそんなこと言うの?
なんであたしを覚えてないの?」
いや、待て待て待て。
何でそんなに声を震わせているんだ?
おい、顔を伏せるな。髪で顔を隠すな。肩を震わせるな。つーか何か雫がこぼれてません?
これはあれか、あれなのか?
道行く人々が俺たちを好奇の目で見やがる。
期待してる状況じゃねえよ。見るな。たかるな。去れ。

……とにかく、こういう時こそ冷静にならねば、冷静に。
まず、ここに居続ければ嫌になるくらい目立つのは確定である。
かといって泣いてる奴をおいて逃げるのも後味が悪い。
後味が悪いだけでなく下手したら後日、背後から刺される羽目になるかもしれない。
つまり俺の取るべき手段はこの泣いている女と有希を連れて、どこかへ避難。
しかる後にこいつの誤解を解く、の一つしかない。
ああ、ちくしょう……。

さて、俺たちは駅前の喫茶店に来た。とんだ逆戻りだ。
場所はこのわけの分からん女が涙声でリクエスト。
俺も律義だねえ。わざわざこんな奴のリクエストに答えるとは。
「さて、話を聞こうか。お前は……」
そういえば名前をまだ訊いていない。
まあ、いいさ。どうせ今日限りでサヨナラだ。
「俺たちを誰と間違えてるんだ?」
女は不機嫌そうな視線をぶつけてくる。
どうやら涙はどっかに引っ込んだらしい。
「人違いじゃないわ。あんたたちが変わっちゃったの。
大体キョンなんて馬鹿みたいなあだ名の奴がほかにいるわけないでしょ」
分かったことその一。こいつの辞書に、遠慮と気遣いの項目はない。
悪かったな、馬鹿みたいなあだ名で。俺だってまともな呼称が良いさ。
「俺たちが変わったってのはどういう意味だ。
昨日も、今日も、一週間前も、一か月前も俺は俺のつもりだが」
そう言うと女は大袈裟に溜め息をついてやれやれと言った。
それは俺の台詞だ。色々な意味で。
「それが、違うのよ。ハロウィンの夜を境にして、世界が変わっちゃったのよ」
こいつ、どっかから電波受信してるんじゃないか?
俺が信じてないことが相手にも分かったらしい。
変わる前の世界のことを延々と話し続けた。
大方聞き流していたが、聞こえたことを要約すると
俺たちはこいつと何とか団ってところで馬鹿騒ぎをしていたらしい。
分かったことその二。本格的に、本格的にやばい奴だ。
そんな詳細に話されても、いや、むしろ話されたからこそ信じられん。

女はまだ語り続けているが、馬の耳に念仏だ。
俺は、それを聞き流しながら有希にどうやって今日の埋め合わせをしようか考えていた。
俺のせいじゃないのにな。損害賠償でも請求してやろうか。
そんなことを思っていた俺だが、次の台詞が耳に飛び込んできた時は
もう、ただただ絶句するしかなかった。
「それで、ハロウィンの日の夜にね、キョンがあたしに告白したのよ」
……まずい、逃げた方がいい。間違いなく。
ストーカーか、こいつ?
何で俺なんだ?俺よりはほら、九組の古泉とかいう奴の方がいいと思うぞ。
俺は気に食わないが。

しかし、この場で逃げようと思っているのは俺だけだったようだ。
有希には全くその素振りはなく、それどころか怒りを顔に浮かべて女を睨んでいる。
そして女は延々と、桃色の描写を続けている。いかん、俺まで頭がおかしくなる。
誰か助けてくれ。

この女から出ている桃色毒電波を除去したのは有希だった。
「違う。あの時、あなたたちはそんなことまではしていない」
有希がそう言うと、今までニヤニヤとしていた女の顔に今度は不敵な笑みが浮かんだ。
……どうやら電波を除去するのと引き換えに地雷を踏んだらしい。
それも、とっておきのを。
「そうよ、そんなこと『まで』はしていないわ。
じゃあなんで有希はそのことを知ってるの?
あたしを知らないはずなのにねえ」
有希が動揺をあらわにする。
「やっと引っ掛かってくれたわ。
さ、話しを続けましょうか」
つまりこいつは延々と有希をはめるための話を続けてたのか?
いや、そんなことより問題はそのことを有希が否定しないことだ。
二者択一において否定しない事は肯定。
つまり女の主張を全面的に認めているってことだ。

……本当にこの世界が改変された世界だと言うのか?
元の世界ってのがあって、そこで俺は別の生活を送っていたと?
冗談じゃない。俺にすれば世界は今あるここだけだ。
頼むから、誰か嘘だと言ってくれ。

そんな俺の切実な願いを叶えてくれる奴はいないらしい。
有希は黙っているし、女は俺の理解を超えた話をしている。
「ともかく、あたしにはこんなことになった心当たりがあるのよ。
ねえ、有希?」
というかだな、その口調といいなんといい、こいつは嫁をいじめる姑か?
「……」
沈黙。
有希は一言も喋ろうとしないし、
俺も有希とは別な意味で黙り込む。
女が溜め息をついた。
「だんまり決め込んじゃって……。
いい?たとえ有希が世界を作り直せるんだとしても、これはなしよ。
そんなにキョンと付き合いたいんなら、元の世界で堂々と勝負しなさい!」
だがしかし、ついに有希が口を開いた。
「わたしには、行動の自由はなかった。あなたの言う正々堂々となんて無理だった」
俺には有希が普段はみせない感情をみせているような気がする。
それは激昂。
しかし、それは女に対してのものではない。
俺は直感的にそれがわかった。
もっと、何と言うか、根本的なものに対して怒っているようだ。
そして、それに触れてしまった女に怒りの矛先を向けている。
まあ、八つ当たり半分嫉妬半分といったところか。
「わたしには何も許されなかった。わたしはあなたの観察のためだけにいた。
それに彼が好意を寄せていたのはあなた。
わたしに勝ち目はない」
完全に自分達の世界を築き上げてるよ、この二人。
で、俺は完全に蚊帳の外。ああ、今日もいい天気だなあ……。
ともかく、このまま永久に放置してくれるのならば御の字だ。

それにだな、この二人は元の世界とやらが分かっているみたいだが、
俺も含めた世界の他の何十億人にとっては今ある世界の方が本物である。
――いや、本物だと信じていると言うべきか。
ともかく、多数決の世界の住人である俺たちから見たらこの二人こそが異常となる、
……はずなのだが俺には何故かそうとは思えない。
二人が正しくて俺たちは間違ってる、そう思えて来るのは、さてなんでだろう。
「なんで最初から、勝負投げ出してんのよ!」
女が机を強く叩いた音で我に帰る。
「ここは喫茶店だ、お静かに」
周りの客がこっちを見ている。
どうも、お騒がせしています。
「うるさいわよ、キョン!
いい、有希?キョンはあたしよりあんたを見てる時の方が多いのよ。
あたしなんかよりずっとあんたの事をね、……」
いつの間にか世界がどうのこうのって話から、
女の喧嘩に発展しているのは気のせい、じゃないか。
しかし、お互いに俺の好意は自分ではなく相手に向いていると主張しているあたり、
当事者じゃなければ微笑ましい喧嘩だよな。
当事者じゃなければ、な……。
「それはあなたの勘違い。
たとえそうだとしても彼とわたしの繋がりは信頼感でしかない。
わたしはそれ以上の繋がりを感じてみたかった。
あなたと彼が元の世界で持っていた繋がりを。
だから、あなたを、あなたの痕跡をこの世界から消したはずだった」

やっと本題に入った。
ここんとこ俺がずっと感じてた妙な感じは消しカスってことでいいのか?
文芸部室のいたずらもふくめて。
「そう」
即答である。
まいったね。
嘘でも芝居でもなく、今、この世界が改変世界だとは。
それをあっさり信じてしまう俺は案外肝がすわっているのかもな。
誰だ、思考放棄とか言う奴は?後で体育館裏に来い。
「本来、彼女はこの世界に存在しないはずだった。
しかし、元の世界で彼女は無意識のうちにわたしのすることを理解し、
情報操作に抵抗した。その結果が今のこの状況」
有希の顔にはあきらめの表情が浮かんでいる。
「種明かしをしたってことは元通りにする気になったってことかしら、有希?」
対してこの女の顔にあるのは期待。
「違う」
しかし、女の質問に答える有希の簡潔な否定。
「何でよ?」
理由は違うが俺もそう訊きたいものだ。
さっき見せたあきらめの表情はなんだったというのか?
「嫌だから」
あっさりと言う有希に、明らかに不機嫌そうな女。
「嫌ってなによ、嫌って!」
分からず屋、と女は続けた。
それに対して有希の口が小さく動いた気がする。
ともかく、有希は淡々と話し続けた。
「そのままの意味。わたしは元の世界が嫌。
正確に言えば、元の世界のわたしと彼の関係が嫌。
だから、このまま……」
そしてその淡々と語る声を怒声が遮る。
「もう、いい!今の有希と話しても埒が明かないわ!
ちょっとキョン、後ろ向きなさい」
いきなりなんだ?後ろ向いた瞬間にグサリ、なんてシャレになんないからな。
『事件の背景には痴情のもつれが云々』なんて報道されたくないぞ。
「安心しなさい。たんなる『自己紹介』よ」
女は自己紹介を強調した。
確かに名前すら知らない。だが、別に知りたいわけでもない。
それに自己紹介で後ろを向け、とはどういった理屈だ?
後ろから聞こえる自己紹介は入学式の後とか、
クラス替えの直後ぐらいにしか存在しないだろう。
呆れながらふと、隣りの有希を見ると顔が引きつっている。
「さっさとしなさいよ」
しかし、逆らったらところでこいつは聴きはしないだろう。
しょうがないので後ろを向いてやる。

そして、後ろで人の立ち上がる気配。

「東中学出身、涼宮ハルヒ」

その言葉を聴いた時、何かが背筋をかけ上がり、

「ただの人間には興味ありません」

そのかけ上がった何かは俺の頭の奥底を蹴飛ばす。

「この中に宇宙人」

蹴飛ばされた俺の頭から別の何かが、

「未来人」

溢れでて次々に広がる。

「異世界人」

それは作り物ではない本物の、思い出。

「超能力者がいたら」

頭の中であの時のハルヒの台詞が聞こえる。

――あたしのところに来なさい。

「あたしのところに来なさい」

そうだ。この自己紹介から俺の高校生活は、

「以上」

俺の非日常は始まったんだ。

ハルヒが席に着く音がする。
俺はハルヒの方を向いた。
長門はじっと俺を見つめている。

ひどく罪悪感が掻き立てられる。
それと同時にさっき浮かんだ疑問に一つの答えが見えた気がする。
なぜ、あきらめながらも世界を元に戻す事を拒否したか。
――それは、また世界を改変する気だから。

あの表情は、今のこの世界をあきらめる事に対して浮かべたものだろう。
現状分析している場合ではない。
酷く心が痛むが長門を止めなければならない。
ここが、この世界が、今まで俺が散々世話になった長門の望みであっても。
なぜなら、俺はハルヒが好きだから。

身勝手な理由だってことは十分すぎるほどわかってる。
その身勝手さの代償を今払っているとも言える、か?
いや、これは償い切れるものではない。
長門の頼みを断るくらいなら……、なんて散々言っておきながらこれだからな。

突然、長門が立ち上がりハルヒに近寄る。
そして机の上のコップを取り、中身をハルヒにぶちまけた。
あまりの出来事に呆然とする俺たちを残して店を出た。

ハルヒより先に我に帰った俺。
「ハルヒ!」
まだ何がおきたかわからないといった雰囲気のハルヒの名前を呼ぶ。
「キョン、あんた……」
思い出したけど今は後回しだ。
「長門を追いかけるぞ」
二度あることは三度あるって言うからな。
「……あんたにしては良い意見ね。じゃあ、行くわよ!」
勢いよく立ち上がるハルヒに、
知らず知らずのうちに伝票を握ってしまう俺。悲しいなあ……。

俺の容量不足の頭が、長門ほどの奴ならば前回の失敗から学び、
その対策を見つけないはずがないことに気がついたのは、
俺とハルヒがあの変わり者の聖地でようやく長門を発見した後だった。
走りに走ってやっと見つけた長門の姿。
「有希!」
「長門!」
距離的にはハルヒの方が長門に近い。
だが、その長門は俺たちに呼ばれても無反応である。

その時である。
普段は働かない俺の頭がある予想を弾き出した。
さっきも言ったことを繰り返すが、長門は頭が良い奴だ。
当然、今回失敗した原因もわかっているだろう。
ハルヒが無意識のうちに抵抗した。それが原因だと言っていた。
と、なれば後は簡単な話。

邪魔な物は?
――排除すれば良い。
邪魔な物とは?
――ハルヒに他ならない。

ハルヒを見ると、長門にさっきより近付いている。
俺は喉が痛くなるほどの声で叫んだ。
「ハルヒ、下がれ!」
俺は叫ぶと同時に全力疾走を始める。
今なら世界記録が出せるだろう。
しかし、俺の声に反応したのは長門の方が先だった。
突如振り向く長門。
その手には、ナイフ。
ハルヒに迫る長門。
ハルヒのもとへ走る俺。
結果、俺の方が早かった。
ハルヒは守れた。
そう、ハルヒは。
俺の腹から生えているのは、間違いなくナイフだな。
高校入ってから二回も刺されることになるなんて、入学前は予想もしなかったぞ。
「キョン!?」
後ろでハルヒが俺を呼ぶ声がする。
目の前の長門は呆然としている。

けれども俺はその刺した張本人の小さな体を引き寄せて抱き締めていた。
いくら俺たちよりはるかに頭が良いこいつでも、
たかだか三、四年で自分の感情に、何かがうまくいかなかったときに
感じる心の痛みに、対処するなんて到底無理な話だ。
だから、誰かが吹き出た痛みや何かを
受け止めなければいけなかったんだろう。

そういった意味において、長門に必要なのは
今までみたいに頼りにされる立場ではなく、
頼れる相手だったのだろう。

そういう無条件で頼っていい相手は何か?
恋人?違うな。
一番最初に知る他人。
他人でありながら他人ではない人。
そう、親だ。

だが、長門の生みの親はこいつに何をしてやった?
無感情、無感動につくっておいて人を観察しろだ?
感情を抜きにして人がわかるか?
そうだと思ってんなら馬鹿だ。断言できる。

「長門……」
あれ、何だろう?言いたいことはあるのに言葉にできない。
ああ、血が……、足りねえな。
「――」
途切れゆく意識の中で俺は誰かの名前をを口にした。
そして、何かをした。
耳にはハルヒが叫ぶ声が飛び込んで来る。
暗転する視界で見た最後のものは驚いた長門の朱に染まる顔だった。

……
………



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