少し風が冷たくなって来た、十月のある日。
俺が部室で古泉と勝負の見えて来たボードゲームをしつつ、
朝比奈さんがいれてくれたお茶を堪能し、長門が本をめくる音を聞きながら、
平和な一時を過していると、
まるで戦場がごとき爆音と共にハルヒが入ってきた。
その顔にはこれ以上ないくらいの満面の笑みが浮かんでいる。
さて、ハルヒの笑顔と俺の平穏の度合いは反比例となっている。
そして、ハルヒは実に良い笑顔。
即ち、俺の平穏な日々はたった今、終焉を迎えたわけだ。
おお、なんと見事な三段論法か。数学の試験もこれくらい楽ならいいのに。
……いろんな意味で虚しくなる。
まあ、それはともかく。
「扉は静かに開けような。
もし、壊れたとしても俺はなおさないからな、絶対に。何があっても」
しかしながらそんな決意をしたところで、
古泉辺りがいつものニヤケ面で屁理屈のような理屈を延々と俺に語り続け、
朝比奈さんがおろおろしながら俺とハルヒの間を往復し、
長門がじーっと俺の方をその澄んだ目で俺を睨む、もとい見つめてる間に
扉の修理に限らず雑用全般は俺の仕事となるのだ。
本当に平社員はつらいね。

「何よ、ケチキョン。ケチ、ケチ、ケーチ!」
そんなにむくれても無駄だ。いや、無駄ではないのだが、無駄だと言わねば
気がすまない。
ええい、忌々しい。割ってやろうかその風船面を。ぷにーって。
……そもそもだな、自分でしたことに自分で責任を持つのが大人であり。
「大人のありようなんてどうでもいいのよ。
今日の本題は別にあるんだから!」
……どうせ俺の意見なんか二月に届いた年賀状並みの扱いだって
分かってるのに、俺もよくやるよ。誰か褒めてくれ。
「SOS団でハロウィンパーティーをやるわよ!」
なるほどハロウィンね。去年はやらなかったしな。どんなことをするのやら。
あまり目立つことはして欲しくはないが、無理な願いだろうな。
「というわけで、みんなこのクジ引いてね」
そう言うとハルヒは手の上に八枚の紙を置いた。
「何で八枚なんだ?」
「こういうのは人数が多い方が楽しいからね、
鶴屋さんとおまけ二人の分も作っといたの。さあ、引いてちょうだい!」
おまけ。二人一組。まるでちり紙並みの扱いである。

俺が自分の引いたクジを開くとそこには
「狼男」
……これはあれか、またきぐるみを着ろと?思わずハルヒに確認してしまう。
「そうよ。クジに書いてある仮装をしてもらうから」
なんと無情な宣告であることか。
十月三十一日は厄日法が俺の脳内国会において賛成多数で可決されました。
反論は一切受け付けないからな。

気を取り直して、さて他の団員はというと、古泉は吸血鬼、長門は魔女。
この二人は妥当なところだろう。
朝比奈さんは、お化け。もう少し可愛らしい仮装がよかったのに。
無念なり……。
「ところで、ハルヒ。ハロウィンは外国の習慣だぞ」
だからなんだ、と言いたげに俺を睨むな。
「雪女ってのは、なしじゃないか?」
そう、紛れもなく日本の妖怪である雪女が紛れ込んでいたのだ。
ちなみに鶴屋さんの分な。
「文句あるの?時代はグローバリゼーションよ!」
その一言で片付けてしまうお前の頭に文句をつけたいところだ。
言っても無駄なのでそれは言わないとして。
それでは、ハルヒの仮装はと言うと「猫娘」らしい。
仮装と言うか、コスプレか?
「何よ、何か問題でもあんの?」
いや、特にないぞ。にしても、猫とは……。
「ハルヒには似合ってんじゃないか?」
自由奔放で自分からは群れを作らないくせに、なつき始めるとかわ――。
いや、ハルヒを可愛いと言っているわけではない。あくまで猫の特徴だ。
期末試験に出るぞ。忘れるなよ。

「ななな、なに馬鹿なこと言ってんのよ!そんなこと言ってると、酷いのに
するわよ。
フランケンシュタインとか!」
大差ないような気がするな。別にどっちでも構わん。
「それと訊いていいか?俺か古泉が雪女やなんかを
引いたらどうするつもりだったんだ?」
当然といった感じにハルヒは言う。
「決まってるじゃない。女装よ!」
そんなの見て楽しいのか。一度でいいから、お前の頭の中を見てみたいよ。

ちなみに、残りの二枚はフランケンシュタインに透明人間。
これは谷口と国木田の分だ。
谷口にフランケンシュタインをプレゼントしておこう。多分似合うだろう。
「それじゃ、準備するわよ。
有希は文化祭の時の衣装取ってきなさい。
みくるちゃんは、白い布地調達して、穴三つあけといて。
古泉君は黒いマントとか牙とか用意しておいてね」
相変わらず行動が早いね。これで理に適う指示を出せば
こいつは将来、有能な経営者になるだろう。
もっとも、そのときがきたら下っ端は間違いなく俺だな。
「キョン、これから町に買い出しにいくわよ」
当然、今もな。



さて、街で布地やその他諸々必要な物資を買い揃え、最後に向かった先は、
何てことだろうね。コスプレショップだった。
男女二人組で入ったら俺に、変態の烙印が押されるのだろうか。
俺にそんな趣向はないはずだ。
そんな俺の心情など一切顧みずにハルヒは店へ入っていく。
俺の手を取ったまま……。

「ねえ、キョン。こんなのどう?」
何個目だよ、それ。もうどれでも良いから早く決めてくれ。
猫の耳なんて模様が違うだけで後は同じ様なもんだろう。
「つまんないやつねえ。ところで、猫は何が好き?」
猫は飼ってるやつに愛着が湧く生き物でな、どんだけ変な猫でも
自分ちの猫だ、ってだけでとたんに可愛くなるもんだ。
「ふーん」
まともに聞いちゃいない。また、物色を始めたよ。

結局それから三十分後に俺たちは店を出た。
こんな精神的にいたたまれないことは二度とするものかと心に誓った次第で
ある。
もっとも、ハルヒが俺の希望を聞いてくれる日が来るのかは分からないが。
「なあ、お前は猫耳つけるだけか?あんまり仮装って感じじゃないよな」
「そうね……。何なら尻尾と鈴付の首輪でもつけてあげようか?」
そう言うとハルヒは挑発的に笑った。何やらドキリとしたのは秘密だ。
「語尾は、にゃ、か?」
言ってから後悔したが、時すでに遅し。冷ややかな視線が浴びせられる。
「あんた、そんな趣味あんの?」
いや、ない。絶対に、断じて、ない。多分。
……なんだその目は。信用してないな?
「どうしても、って言うなら、一度だけ言ってあげるけど?」
おいおいおいおい、どうした、ハルヒ?熱でもあるのか?顔が真っ赤だぞ。
「……ないわよ、バカ!
ともかく、また明日ね!」
そんな捨て台詞(と俺の顔に拳の跡)を残してハルヒは帰って行った。

つまり、俺はこの荷物を家に持って帰らないといけないんだな?
そんな素朴で、答えが分かりきってる疑問に答えてくれる奴はいなかった。

次の日。
坂を登っていると電子よりもお軽い野郎が後ろから来た。
「今度はなんだ?」
俺が何か大変そうな荷物を持っている時はハルヒが変なことを
企んでいる時、との認識がこいつの頭の中で出来上がっているようだ。
「ハロウィンパーティー。お前と国木田も強制参加だからな。
逃げんなよ」
俺は呻く谷口に袋を渡した。
文句をその口から際限なく垂れ流しつつ袋の中を覗き込んだ谷口は言う。
「このコスプレ類はキョンの趣味か?」
「なぜそうなる?」
俺の表情は怪訝そうな顔と怒りの顔の平均だろう。
「いや、そんな顔してんじゃん。お前」
……おい、谷口。お前は俺の逆鱗に触れたぞ。
みぞおち辺りに少々力を入れてパンチをいれてやると、
谷口は大袈裟に腹を押さえて不可解な音を発した。
どうなろうと俺は知らん。自業自得だ。
「心外だな。俺はキリストの生まれ変わりって噂されるぐらいだぞ」
そう言って祈るポーズを取る谷口。
お前が聖人君子なら俺は神様だ。
「あんたら、朝早くからよくそんな馬鹿な会話できるわね」
心底呆れたといった声が響く。誰あろう涼宮ハルヒだ。
「よう、ハルヒ」
「あ、ちゃんと荷物、持ってきたみたいね。感心、感心」
俺の挨拶を華麗に無視してハルヒが言う。
さすがハルヒ。これぞ涼宮ハルヒの真骨頂。
「お前の言いつけを破ると後がひどいからな。
嘘だと思うなら俺が処された罰ゲームの数々をあげてみるが」
「いいわよ、別に。約束は守らない方が全面的に悪いの!」
そうかい。悪かったな。
「お前たちが将来結婚すると、かかあ天下だろうな」
何てこと言うんだ、お前は!
「結婚生活なんざ気が早すぎる上に、
相手がハルヒと決まったわけじゃないだろう」
ハルヒではないと決まったわけでもないが。
「いいや、絶対お前らはくっつく。むしろくっついた方が全世界の一般人の
ためだ」
俺も平々凡々な一般人のはずだが。
「いいや、涼宮となんだかんだで、一緒に騒げる時点でお前は一般人じゃない」
そんな確信に満ちた口調で言われてもな……。
やれやれ。
なんか言ってやってくれよ、ハルヒ。ビシッと。
「へ?ああ、そうね。うん」
一体何が『そう』なのか。昨日に引き続き顔が赤いぞ。風邪か?
「ちが、違うわよ、馬鹿!」
「この鈍感男が!」
何で同時に言うんだ、お前ら。
ハルヒの顔はまるで全身の血が集まったかのように赤くなってるし。
ちょっと、来いと俺の手を引っ張る谷口に、
その谷口を止めるため、俺の反対側の手を引っ張るハルヒ。
俺は綱引きの綱か?痛いんだが。
「おう、すまん」
「ふん、自業自得よ」
俺は何か悪い事をしたのだろうか?
いくら考えても特に思い当たる節がないので、前世の俺を恨むことにする。
前世の俺の馬鹿野郎。

さて、このわけの分からないハイテンションな不条理集団にまた一人加わる
ことになった。
「朝から、元気だね、キョンたちは。でも急がないと遅刻するんじゃないか
な?」
俺は普通に登校するつもりなんだが二人がおかしくてな。
「「キョンの方がおかしい」」
見事にかぶった。
何だよ、俺はそんなに変なのかよ。どこがだ。
「国木田、キョンって鈍いよな?」
「んー、そうだね。鈍いと思うよ」
ブルータス、お前もか!
……国木田だけどな。
とまあ、朝にそんなことがあったせいでハルヒは一日中不機嫌だった。
一つだけ弁解させてほしい。実は国木田が来る前辺りから分かってた。
ただ、あそこで気付いたそぶりをしてしまうと、
ハルヒにあんまりだと思った次第で……。
「キョン。先、部室に行ってなさい」
問題は、ハルヒには俺の気遣いが一切伝わらないことだ。
今頃古泉が閉鎖空間の中で死んでるかもしれん。せめて亡骸に掌ぐらいは合
わせてやろう。
「いつまでボケッとしてるつもりよ?さっさと行く!」
「ああ、すまん」
色々とな。

「なんだ。まだ、誰もきてないのか」
珍しいな。古泉は今頃バイトだろうから、いいとして。
後ろで扉の爆発する音。
「ヤッホー、みんな来て……って、キョンだけ?
どうしたのかしら?まあ、良いわ。丁度いいから、キョン外出てて」


しばらく待つと中から声がかかったので、部室の扉を開けた。
いったい何の間だったんだろうと訝しむ俺が入ると紛うことなき猫がいた。
耳に、尻尾に、首輪。ご丁寧に髭まで描いてる。
ハルヒは何か思い付いたらしい。ニヤリと笑った。
顔を微かに朱に染めて。
「どうか、にゃ?」
「……良いんじゃ、ないか」
俺も恐らく顔が赤いだろう。自分に猫属性があった事に驚きだ。
微妙な沈黙が部室を支配する。
それを破る音。
「入りますよ」
「ちょ、ちょっと、待って!」
朝比奈さんがきたらしい。ハルヒは大急ぎで身に付けていた
小道具を取っ払って、髭を消していた。
「ちょっと、キョン、これとって。うまくとれない」
そう言ってハルヒが指差しているのは首輪。
「そんなに焦るんなら付けなくても良いだろうに」
「良いの!」
俺はハルヒの後ろに回って首輪をとってやる。
「……ありがと」
蚊の鳴くようなって慣用句の替わりに、
ハルヒがお礼を言うようなって表現を作らないか。
平常時に比べてあまりに小さすぎる。
「どう致しまして」
またまた沈黙。
そしてまた、ノックの音が沈黙を破る。

「もう、入っても良いわよ」
「はーい。何してたんですか?キョン君と二人きりで」
そう言ってふふっと笑う朝比奈さん。
「べべべ、別に何もしてないわよ」
本当に何もないのだが、こういうのは否定すればするほど、どつぼにはまる。
かといって、何も言わなければ、それはそれだ。悩ましいねえ。
「分かってますよ。ふふふ」
朝比奈さん?人の傷口をいたぶるのはそこら辺にしませんか?
ハルヒの顔が太陽並みに真っ赤ですから。
ついでに俺のも。
またノックの音がして、開く扉。今度は長門かと思っていたが。
「おや、長門さんはまだですか?珍しい」
何でお前が来るんだ?閉鎖空間は出てないのか?
「ええ、出てませんよ」
俺の小声の問いに小声で返す古泉。顔が近いぞ。
「ところで、あなたも涼宮さんも顔が赤いのですが、何かありましたか?」
「何もない!」
「何もなかったわよ!」
その顔は信じてないな。何だ、その分かってますよといった顔は。
……もっとも俺がお前の立場でも信じないが。


「ともかく、ハロウィンの準備をするわよ!
キョンと古泉君はカボチャをくりぬいて!
あたしと、みくるちゃんでキョンの衣装作っちゃうから」
……このまるで大仏のように床に置いてあるお化けカボチャをか?
「古泉、何日かかると思う?」
「さあ?期限は月末まで。間に合わなければ全く意味がありませんから、
何日かかるか、なんて考えていても仕方がありません。行動あるのみです」
そもそもハルヒはこんなどでかいカボチャ、いつどうやって持ってきたんだ?
「あたしじゃないわ。有希よ。何でも知り合いにもらったらしいの。
あの坂をこれ持って登って来たのかしら?やっぱり有希はすごいわね」
恐らくここで作ったものだろうけどな。
長門も罪なことをしてくれたもんだ。
「そう言えば長門は?」
「さあ?あたしは聞いてないわ」
何か不安になるな。いつもいる奴がいないってのは。
きっとよからぬ陰謀が裏で進んでいるに違いない。



それはどうやら俺の杞憂だったみたいだ。今、長門は定位置で本を読んでる。
いつぞやの魔女の格好で。
「実は気にいってるだろ、その格好」
「割と」
魔女の格好をした長門をしげしげとみていたそのハルヒのやる気スイッチが
オンになってしまったようだ。
「気合い入ってるわね、有希。みくるちゃん、あたしたちも頑張るわよ!」
空よ、揺れよといった具合の大声で吠えた。
「は、はいぃっ!」

こうして不思議な光景が部室に出現した。
俺と古泉は、ひたすらカボチャの中身をグリグリとくりぬき続け、
(おかげで部室はカボチャ臭が漂っている)
朝比奈さんとハルヒは俺のためのこっぱずかしい衣装をチクチクと縫ってい
る。
そして長門は、黒ずくめで本をモクモクと……って、お前は何もしないのか?
「そう」
そんな憂い成分1ナノグラム含有、な目で俺を見るな。
「あー、暇なら手伝ってくれないか?でかいからさ、人手は多い方がいいん
だ」
長門の顔が豆電球ほどにまで明るくなったのは気のせいではないだろう。


うなずいて、椅子から立ち上がりかけた長門をハルヒが制す。
「それよりさ、こっち手伝ってよ。有希」
その言葉を聞いた長門はまるで雷に打たれたかのように固まったあと、
首だけをぐるりと回してハルヒの方を
まるで親のかたきをみつけた子のような目で見る。
「……了承した」
長門、もしかして、もしかすると怒ってるのか?
「怒ってない……」
本当かよ。暗いオーラが漂ってるぞ。そこら中に。
朝比奈さんなんか今にも逃げ出しそうなぐらいだ。
逃げるときは是非とも俺も同伴させてもらいたい。
引きつった笑いを浮かべてる古泉辺りを人身御供にしておこう。


長門が入ってから、なぜか作業が滞り始めた
三人を横目で見ながら、俺と古泉は作業を続ける。
「悔しそうですね、長門さん」
「そうだな。怪我人がでなきゃいいが」
失敗ばかりしていれば単純作業のこっちに来れると思ってるのだろうか?
かわいいとこもあるな。ハルヒは許さないだろうが。
「わざとでしょ、有希?」
「そんなことはない」長門、そんなにムキになるなよ。

「ちょっと、有希、痛い、痛いって!針、刺さってる!」
どうやら実力行使に出たらしい。もう少し穏便に、な?
「迂闊。手が滑った」
嘘付け。
古泉が汗まみれだ。
「あまり滅多な事はして欲しくないですね……。
このままだとどちらに転んでも、バイトが入ります」
同情だけはしておこう。そのうち報われるだろうさ。多分。

しかしながら、長門の必死の抵抗もハルヒには通じなかったらしく、
ハルヒの手に絆創膏を三、四枚くっつけさせた辺りで諦めた。
今は憮然と衣装を縫っている。
そんな嫌な沈黙が支配していた部屋の扉が開き、
ハイテンションなお方が飛び込んできた。
「いよう、みんな!元気かい?
……おんやー、ハルにゃん怪我してるねっ。どしたの?」
「ええ、有希にね……」
「長門ちゃんが?珍しいねぇ。何か悪いこと、したんじゃないかい」
大きく、深く、頷く長門。その仕草に不吉なものを感じる。
「……なあ、古泉。近いうちにまた、長門が誤作動しそうな気がするんだが」
「いやあ、奇遇ですね。僕もそう思ってたところですよ……」
サハラ砂漠なみに乾いた笑い声。いや、笑い事じゃないんだけどな。
今度は脱出プログラムなんてものは作ってくれないような気がする。
「何よ、あんたたち。寒々しい笑いしちゃって」
俺たちには俺たちなりの事情ってやつがあるんだ。
ところで鶴屋さんは何をキョロキョロ探しているのだろうか?
「ねえ、みくるは?」
…………。
………。
……あれ?


「いないみたいですね」
「ホントだわ。仕事放り出してどこ行ってるのかしら」
朝比奈さんなら、と古泉が言う。
「先程、部室から出ていくところを拝見しましたが」
なるほどね。長門暗黒オーラに耐え切れなかったんだろう。
もともと長門耐性が低いからな、あのお方は。きっと瀕死の重傷に違いない。
「あのー、終わりまし、た?」
恐る恐る扉の向こうからこっちを覗いている朝比奈さん。
「ちょっと!どこ行ってたのよ!」
叫ぶと同時に朝比奈さんに飛び掛かるハルヒ。
「ひょえぇぇー!な、何ですかぁ?」
「みくるちゃん?SOS団員である限り敵前逃亡は許されないんだからね!」
長門は敵じゃないぞ、言っておくが。
「いいえ、敵だわ!今、はっきりしたわ!有希は恋が……」

ああ、時間が止まるってこのことか。誰一人身動きしない。
誰の物かは分からないが、不自然な咳払いが一つ。
固まっている朝比奈さんを手放して
ハルヒは何ごともなかったように言った。「さあ、作業を続けましょ。ハロウィンはすぐそこよ!」


幾らなんでも無理がある。ほら、古泉ですら肩を震わせている。
そして意地悪く笑いながらハルヒをいじる鶴屋さん。
ハルヒが何事か叫んでいるがそれは墓穴を掘る以外の何物でもない。
聞いている俺にとって恥ずかしいような言葉がその口からこぼれている。
「ハルにゃん、少し落ち着きなって!ほら、顔がリンゴだよ!
……ん〜、キョン君たちは、はかどってるみたいだねっ!」
思ってたよりは早く終わりそうですね。
「それは良い事だねっ!楽しみだなー」
「それで、何か用?鶴屋さん」
鶴屋さんの方をジト目で見ながらハルヒは言う。
「そんなツンツンしないでくれよ……。鶴にゃん悲しい」
大袈裟に泣き崩れるふり。かと思うと突然元の調子に戻る。
「まっ、用ってほどのものはないっさ!様子見だよ、様子見!」

それから数日はこんな光景が繰り広げられていた、とだけ言っておく。
俺はもう十分すぎるくらいに長門から出る障気にあてられてボロボロだ。
願わくば二度とこんな事がありませんように――。
誰に祈るとするかね?ハルヒか?

そしてハロウィン当日。恥ずかしすぎる衣装に身を包んでいる
俺を含め八人が部室に集合した。
谷口は最後まで抵抗していたが、時間の無駄だったな。
「なかなか似合ってると思いませんか?」
黒いマントに身を包み、牙を生やした古泉が訊いてくる。
化粧をしていて、顔は白く、唇はどす黒い赤。
「完璧ね!これぞドラキュラって感じ!」
はしゃぐのは構わんがドラキュラは人物名であって吸血鬼全体を指す言葉で
はない。
因みに、フランケンシュタインも本当はそれを作った博士の名前で
作られた当人には名前はない。
「そんな事はどうでもいいのよ!」
まあ、確かにそうだ。
「ふえぇ、歩きにくいです」
このシーツお化けを朝比奈さんだと判断する基準は声しかない。
なにせその名の通りシーツを頭から被ってるからな。
その危なっかしい動きを見たものは、
例外なく慈善の心を揺り動かされる。そんな動きだな。
世界平和のためには、戦場に一人づつシーツをかぶった朝比奈さんを
送り込めばいいような気がして来た。
冗談だが。
ただ、視界が狭いみたいでな、
「あっ、ごめんなさい」
……よく人にぶつかるんだ。
「何度目だい、みくる〜。凍らせちゃうぞぉー!」
洋風な化け物の中で、数少ない日本の妖怪の姿をしている鶴屋さん。
いや、ハロウィンは洋風なイベントだから和風な妖怪がいるのはおかしいの
だが。
まあ、ともかく、純白の着物を纏い、髪を下ろして顔を覆い、
白粉かなんかで肌が真っ白な彼女の前では、
本家本元でさえ無い尻尾を巻いて逃げるだろう、
それくらい似合っている。
「……」
長門に関してはあまり説明はいらないだろう。
いつぞやの文化祭を思い出してくれ。
とんがり帽子に黒いローブ。これぞ魔女。
あのよく分からん名前の棒も完備だ。
そしてこいつら。
「何でこんな格好をしなきゃいけねぇんだ?」
「似合ってるんじゃないかなあ?僕なんか包帯のせいで前が見えにくくって
さ」
「こんな格好、似合ってたまるか!」


谷口は頭にネジをさして、縫い跡のような模様をあちこちに描かれている。
俺は国木田の言い分に同意だ。似合ってると思う。
その国木田は顔を包帯でぐるぐる巻きにしていて、
その上からサングラスをかけ、深めの帽子に手袋までしている。
「さあ、みんな。準備はいいわね?それじゃ、出発!」
最後に我らが団長、涼宮ハルヒ。仮装と言うよりは猫のコスプレ。
それはおいといて、なんか変な言葉を聞いたような……。
「出発?」
「そ。出発」
どこへ行こうと?
「ハロウィンと言えば連想するもの、あるでしょ?」
子どもが家々を回ってお菓子をねだるあれか?
「他に何があるのよ」
俺たちがやる、んだよな?
「誰か他にやる人いんの?」
……この、格好、で?
「当たり前じゃない!何のための仮装だと思ってるの!」
勘弁してくれ。こんな格好で町を練り歩いていいのは小学生までだろう。
「誰が決めたのよ」
それは誰が、ってものじゃないな。
強いて言うなら、過去から現在に至るまでの時間の流れ、かな?
「はいはい、格好良さそうなだけで中身のない事言って誤魔化さないの!
要するに恥ずかしいんでしょ?」
ビシッと俺に指を突き付けて言い放つハルヒ。

谷口が無駄な反抗を試みる。
「おい、涼宮。外行くってんなら俺は帰るぞ。幾らなんでも恥ずかしすぎる」
「普段からチャック全開の奴が言う台詞?」
正論だ。
「うぐっ……」
「それにあんた一人ぐらいいなくても、どうって事ないわ。
帰りたいなら帰れば。バイバイ」
よーし、それじゃあ、ありがたく帰らせて……。
「あんたは駄目よ」
やっぱり駄目か。

と言うわけで――どう言うわけか俺には全く分からんし分かりたくもないが――
北高発、俺の家行の百鬼夜行が繰り広げられることとなった。
百人もいないし、夜でもないし、そもそも日本風の妖怪も少ないが、
それでも敢えて言おう。百鬼夜行、と。
……いかんな、だいぶ頭の方にきてるらしい。
こんな格好で家まで練り歩くだけで俺の精神的HPメーターは
限りなくに0近付くというのに、さらにこれを家族の目にさらすとなると、
俺は心労でこの世から退去する羽目になるかもしれん。

ああ、町行く人々の視線が痛い。
俺は好きでやってるわけじゃないと
全世界に向けて大声で宣誓したい。出来れば今すぐにでも。
「何をぶつぶつ言ってんのよ」
だが、この地獄の責め苦に勝るとも劣らない羞恥プレイも
終焉を迎えようとしている。
見よ。最後の関門たる我が家がすぐそこに見え……。
「痛えな」
「あたしを無視するなんていい度胸ね」
だからって殴ることはないだろう。
俺は精神の安定を図るために必死なんだ。
「みみっちいわねぇ。不安なんて着払いで送り返しなさい!」
俺の心臓は合金製じゃないんだよ。
「あたしだって違うわよ。あんたがどう思ってるかは知らないけどね」
何で最後の部分を強調するんだ?
「犬も食わない喧嘩はもう良いからさ、そろそろ入らない?」
おい、これは断じて痴話喧嘩の類いではないぞ、国木田。
まあ、しかし俺もこの恥ずかしすぎる状況にさっさと終止符を打ちたい。
「そんじゃ、さっさと終わらせますか」
投げやりに扉を開けようとする俺の首をハルヒがつかむ。
「馬鹿キョン、やり方ってものがあるでしょ。
まず扉をノックして、人が出て来たら……」
「あれー、ハルにゃん達何しに来たの?」
まさにハルヒが扉をノックせんとしたその瞬間、
扉が開いてカボチャを頭からかぶった妹が出て来た。
お前は透視能力に目覚めたのか?そもそもなぜ仮装をしている?
「キョン君、その格好なーに?」
これか、これはな……。
「分かった!キョン君達も一緒に来てくれるんだ。そうだよね?」
人の話を聞かんか!
それに一緒に行くって、どこへだ!
「お菓子もらいに行くの!ミヨキチも一緒だよ!」
お前もか、お前もハルヒ的思考の持ち主だったのか!

こうして、仮装パレードは延長する運びとなった。
誰か、一思いに、こうグサッと――朝倉以外でな――刺してくれる奴はいないか?

「疲れた……」
全て終わって、ここは俺の部屋である。
「情けないわねえ、あんた」
それじゃあ、何でハルヒがいるのか?
これには深いわけが……、あるんだろうか?
困った時の猫型ロボット。ではなくて、回想モード、オン。

「Trick or treat!」
扉を開けて出て来たその家の住人に浴びせられる理不尽な要求。
ちなみに、ノリノリな声が二つに、遠慮がちな声が二つ。
落ち着いた声と平坦な声と投げやりな声がそれぞれ一つずつ。
どれが誰の声かは想像が付くだろう。
大抵の人は目を丸くしたあと、妹とミヨキチを微笑ましげに見て、
そのあと俺たちを不審そうに見る。
俺と妹を知っている人の反応は、上に述べた二つの他に
労り、もしくはやっぱり微笑ましげに俺を見る。
さて、妹達に付き合って町内を練り歩いて帰ってみると
太陽はもう通常業務を終了していた。
暗い中、女の子は一人で返せないと主張するおふくろに対し、
「みくるはあたしがちゃーんと送ってくっさ!」
と言って、鶴屋さんは車を呼び、
「長門さんは僕が送って行きますよ」
と古泉がにこやかに笑って言ったのでそうなった。
ミヨキチは帰り道の途中で別れた。
俺が残ったハルヒを送って行こうとすると、おふくろが、
「今日、お父さんが出張なの忘れてて夕飯の材料一人分多いのよー。
ハルヒちゃん、食べてかない?」
と言った。確信犯だろう、たぶん。
だが、なぜ朝比奈さんや長門ではなく
ハルヒを夕食に招待したのか、甚だしく疑問である。
俺の周りにいる人の間ではハルヒと俺はセットと認識されているのか?
……まあ、悪い気分ではない。
とりあえずそんな事があってハルヒは俺の部屋にいる。
大体理解してくれたと思う。


「前に入った時にも思ったんだけど、案外片付いてんのよね、あんたの部屋」
案外は余計だ。お前はどんな部屋を想像してたんだ。
「そうね、もう少し乱雑な部屋かしら」
そんな部屋は妹が勝手に入ることが多々あるから怪我されかねん。
「あんたって本当に面倒見が良いわよね」
そうか?そんなことは全くないと思ってるんだが。
「そうよ。なんだかんだ言っていっつもあたしに付き合ってくれるしね」
お前はそんな事を言うやつだったか甚だしく疑問なのだが。
しかも、俺はお前の面倒をみているわけではない。
「それは別に俺の性格云々とは関係ないさ。
お前と、他三人と騒いでるのは楽しいからだ」
「そうなの……」
なんだその微妙な言い方は。嬉しいような落胆したようなそんな感じだ。
「あ、シャミセンだ。円形脱毛症は治ってるわよね」
無理やり話題を作った感じだな。
よう、シャミセン。ハルヒは今お前と同じように耳つけて尻尾はや……。

「どうしたの?」
「ちょっと気になったんだが、それ、いつまでつけてんだ?」
ハルヒが、わけが分からないと言いたそうな目で俺を見るので
黙ってハルヒの頭を指差してやった。
ハルヒは頭に手をやってようやく理解したようだ。
「あぁっ!そういうことは早く言いなさいよ!」
俺もついさっき気付いたばかりなんだ。だから俺を締め上げないでくれ。
ギブ、ギブ。白旗振るから。
何やら文句を言いながら手早く小道具を外すハルヒに既視感を覚える。
「キョン、これとって。うまくとれない」
そう言っていつかと同じように首輪を指差すハルヒに、
いつかと同じようにハルヒの後ろに回る俺。
そして、突然口を開くハルヒ。
「一つ、訊いてもいい?」なんだ?俺に答えられることなら答えるぞ。
「あんたさ、あたしに付き合っているのは、
SOS団にいるのは、楽しいからって言ったわよね?
本当に、それだけ?例えば、有希がいるから、とかさ」



俺はハルヒの後ろにいるので、一体どんな顔をしているのか全く分からない。
特に変わった所はないかもしれない。ニヤニヤとしているかもしれない。
怒ったような顔を作っているかもしれない。
でも、捨て猫のような顔をしているんじゃないだろうかと思う。
完全に俺の妄想だが。
「なぜそこで長門を引き合いにだすんだ。
だが、そうだな。理由の一つではあるかもしれん」
ハルヒが口を開く気配がある。
けれども俺はハルヒの言葉にかぶせるように続きを言う。
「だけどな、それを言ったら朝比奈さんだって古泉だって理由になる。
当然、お前もだ」
本当はハルヒが一番の理由かもしれない。素直じゃないね、俺は。
「……何であたしが最後で取って付けたような扱いなのよ、馬鹿キョン」
いつの間にやらハルヒは体をこちらに向けている。
そんな拗ねた目で見るなよ。
「ハルヒだけ別格って事にしといてくれ」
「どういうこと?」
ええい、覚悟を決めろ、俺。言え、言ってしまえ。
「つまりだな……」

「夕ご飯できたよー」
「うぉぃっ!」
「ふぇっ!?」
思わず間抜けな声を上げてしまう。
何というタイミングで現れるんだお前はっ!
「何の事?あっ、シャミ!やっぱりキョン君の部屋にいたー」
そう言って、シャミセンを自作の歌を歌いながら連行して行く妹。
「あとね、お母さんがね『ごゆっくり』だって」
わけが分からん。ゆっくりさせたいなら妹を刺客として送り出すな。
それとも妹にはその言葉の意味が分かると思っているのか?
もし、分かるとしたら今さっきの行動の意味が凄い事になりそうなので、
分からない、という事にしよう。
ええい、おふくろめ。恨むぞ。
「ハルヒ、下降りるぞ」
色々と陰鬱な気持ちを飲み込みつつ言う。
「分かったわ……」



「うう、寒いわね……」
もうすぐ十一月になろうとする夜である。寒くない方がおかしい。
「うるさいわね!あんたは良いかもしれないけどあたしは制服なのよ!
こんなに遅くなるんだったら、
鞄とか、カーディガンとか持ってくるんだった……わ?」
ぶつくさ愚痴るハルヒにコートを着せてやる事にする。
「風邪、引かれても困るんでな」
誰に、何のために、言い訳してんだ、俺は。
「ありがと……」
何だ、口ごもって?
「ねえ、さっきの続き、聞かせて」
さっき?さっきとは一体いつの事だ?夕飯前か?
「そう。妹ちゃんが入ってくる前にあんた何か言おうとしてたじゃない」
「何と言うかな、あの、あれだ、あれ」
「指示語が多過ぎで分かんないわ」
くすくすと笑うハルヒ。
俺はテンパってるんだよ。
おや……?


「長門じゃないか、何してんだ、こんな夜遅くに?」
俺たちの前にいたのは紛れもなく長門だった。
「本当だ、何やってんの有希?」

だが、普段と違う雰囲気を漂わせていた。
「――逃げてください!」
「古泉?」
何でそんなボロボロなんだお前。
「いいから、涼宮さんを連れて遠くへ!」
「とりあえず、分かった」
こいつの言うことの半分くらいは信用してもいい。
たぶん今はその半分に入る状況だろう。
それに俺の動物的本能も逃げろと叫んでいる。
気分はライオンに狙われたシマウマだ。
ハルヒの手を掴んで走り出そうとする。逃げ切れるなんて思ってはいないが。
「行くぞ、ハルヒ」
説明しろ、とハルヒはわめいているがそんな暇はないんだ。
長門の目が完全にいっちまってるからな。
そんな長門が何か高速で呟いている。つまり、それは――。
その意味を理解したときにはもう、俺の意識は闇に包まれていた。
………
……



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