「不安ですか?」
 昇降口に向かう道中、古泉が窺うように聞いてきた。
 ちなみに朝比奈さんは制服に着替えなくてはならなく、長門は部室に鍵を掛けなくてはならないので別行動だ。
「何がだ」
「今日の告白のことですよ」
「別に」
 と言うしかない。なんでこの正体不明のモヤモヤを古泉に吐露せにゃいかんのだ。
「けれど先ほどよりずっと暗いオーラが出てますよ?」
「ほっとけ」
 俺だってこの鬱々な精神状態から抜け出したい。しかし、原因がわからなきゃ対策のしようがない。
 まったくハルヒが告白されただけなのに、なんで俺がこんな気分になっているのだろう。とばっちりもいいとこだぞ。
 古泉は困ったような笑顔を浮かべ肩を竦めた。
「そろそろあなた自身にも気付いてほしいですね」
「? 何をだ?」
「自分の本音と向き合うべきだ、と言ったんですよ」
「本音?」
「そうです。あなたの、涼宮さんに対する本音です」
 ハルヒに対する本音……?
「あなたはそのことに関して結論を先送りにする傾向がある。故意なのか無意識なのかは知りませんが、そのアルゴリズムをそろそろ解除してはどうですか?」
「……俺は自分なりにハルヒのことを考えているつもりだが……」
「ええ、でもそれは一定の範囲内に限られていますがね」
 と古泉は含み笑いを寄越した。
 何だよ気色悪い。
 昇降口に着いて、古泉は立ち止まった。出入り口の方を眺めながら、
「僕は今回のことは、涼宮さんにとってもあなたにとってもよい機会だと思いますよ」
 と言って踵を返す。
 どうした?
「忘れ物をしました。どうぞお先に帰ってください」
 そう言って来た道を戻っていく。
 しかし忘れ物なんか本当にあるのか、部室に。まさか朝比奈さんとか言わないだろうな。それとも長門か?
 と阿呆なことを考えながら靴を履き替えガラス戸を押して外に出ると──
 すぐ横の柱にもたれ掛かった人影があった。黄色のリボンが風に揺れる。
「遅い!!」
 そいつは──涼宮ハルヒは振り返り俺の姿を認めるや否やずかずかと近寄ってきた。
「何もたもたしてたのよ!結構待ったわよ!!」
「待っててくれと言った覚えはないんだが……」
「うるさい!行くわよ!!」
 むんずと俺の腕を掴んでハルヒは校門に向かう。俺は引き摺られるまま学校を後にした。



 ハルヒの手から俺の左腕が解放されたのは坂を半分ほど降り切った頃だった。
 同じく下校している北高生徒が半径200メートルいなくなったのを見計らったように。
 普通逆なんじゃないか?という言葉は口に出さずにいた。
 ハルヒは何やら思案顔でいたからだ。無言のままずんずん進んでいく。
 俺は肩口で揺れるハルヒの毛先を眺めながら、二歩後ろを黙ってついていった。
 二十歩ほど無言で進んでからハルヒは突然立ち止まった。俺も倣って立ち止まる。
 ハルヒは振り向かずに深呼吸一つして言った。
「あたしね、今日9組の男子に告白されたの」
 内容とは裏腹に声のトーンはまったく浮ついてなく、寧ろ重く感じた。まるで『重大な事故が起こりました』と告げるアナウンサーのようだ。
 その重大ニュースを報告された俺は俺でどう反応したらいいものか悩んだ。
 その事実は現場の直下に居合わせて知っていたからな。驚きは半減以上だ。
 しかし俺は『今初めて聞いたフリ』をしなくてはならない。
 ここは何も余計なことを言わない方がいいな。というより、その件に関してこれ以上考えたくないというのが正直な気持ちだ。
 沈黙を守っているとハルヒがゆっくり振り向いた。目が合う。
 ハルヒはそれ以上何も言わず、俺の瞳を覗きこむ。まるでその奥底に潜む俺自身の感情を読み取ろうとするように。
 俺は堪らず「そうか」と言って顔を背けた。
「……それだけ?」
 その声が怒りを含んでいたら何万倍マシだっただろう。
 しかし現実は、
 『悲嘆』
 が混じっているように聞こえた。
 顔を戻すとハルヒはもうこちらを見ていなかった。
 再び坂を降り始める。俺も遅れながら歩を進めた。
──空気が、重い。
「返事はしたのか?」
 沈殿する沈黙を誤魔化すかのように『今初めてこのことを聞いた人間が言いそうな台詞』を述べてみた。その答えは勿論知っていたがな。
「……まだ」
 終了。
 さらに空気が重くなる。
 なんだろう。俺は知らん内に地雷を踏んでしまったのか?
 しかもいつもの『激怒×罵倒攻撃』よりも、『悄然×無言攻撃』の方が数段俺の精神の弱体化を促進させてくれる。
 もともと俺のほうが鬱々状態だったのに、まるで伝染したかのようにハルヒの精神まで暗雲が垂れ込めてしまった。神人が暴れてなきゃいいが。
 この状況をなんとか打開したかったがハルヒが何故そんなに沈んでいるのかさっぱりだ。
 解決策など浮かばぬ内にとうとうハルヒと別れる地点まで来てしまった。
 少しの安堵とひどい焦燥。
「……じゃあな」
 成す術もなく俺は沈黙を守るハルヒの背中に声を掛けて、自転車置き場に向かおうとした。
 一歩進んだところで立ち止まる。いや、立ち止まるしかなかった。
ハルヒが俺のブレザーの裾を掴んでいた。表情は俯いているから見えない。
 さてどうしたもんだ、と俺は考えた。これはどういう要求を意味しているんだ?
「ハルヒ」
 無言。
 俺はハルヒと向き合うために裾を掴むハルヒの右手をとって振り向いた。
「どうしたんだ?ハルヒ」
「……って」
 なに? よく聞こえなかったんだが……
「送って!」
 いきなり我が儘言い始めた。
 支離滅裂だぞ、お前。
 しかしさっきまでのハルヒより、こういうことを言ってくるハルヒの方がホッとする。
 それに数分前の気まずさを解消するにはいいかもしれないと、俺は反論なしでその勅命を受諾した。
 日も暮れて薄暗くなった道をハルヒのナビで進む。つまり自転車で二人乗りだ。
 ハルヒは俺の両肩に手を乗せ、器用に立ち乗りしていた。
 何度も繰り返した夏休みを思い出す。あのときはハルヒという重石の負荷にうんざりさせられた。
 長門も乗っていたがアイツは空気みたいに軽かったから今と状態は同じようなものだ。
 にも関わらず今の俺は肩にかかるハルヒの体重の一部を心地好く感じていた。
 ハルヒは「次の交差点で右」とか「真っ直ぐ」とかしか言わなかったが、その口調はさっきよりもいくらか和らいでいたので俺の気も少し紛れた。
 西の空に細い三日月が浮かび街灯が灯る頃、涼宮邸に無事到着した。
 俺の家よりでかいな。予想はしてたが。
 ハルヒはストンと地面に着地した。手が俺の肩から離れる。
……なんだろう、この感覚は。
 一瞬だけ俺の胸に苦いものが過ぎった。
──虚無感?
 よくわからん。今日の俺は不安定だな。ハルヒに負けず劣らず。
 カゴに入れていた鞄をハルヒに渡した。無言で受け取るハルヒ。
 沈黙。
 気まずい雰囲気再来。
「なんか俺まずいこといったか?」
 沈黙に堪えかねて単刀直入に聞いてみた。このまま帰ったら気になって寝不足になりそうだ。
「……別に」
「じゃあなんでそんなに落ちこんでいるんだ」
「落ちこんでなんかない」
「じゃあヘコんでる」
「それ同じじゃない!」
 よし、幾分いつものハルヒになってきたぞ。言葉数少ないハルヒなんて相手にしていたらこっちのペースまで狂っちまう。
「元気がないおまえなんてらしくないぞ?」
 思わず口に出していた。
 口に出してからしまった、と思った。
 これじゃ「お前が元気ないと俺は心配なんだよ」と言ってるのと同じじゃないか。
 受け取り方によっちゃ厚意を持った台詞に聞こえなくない。俺のペースはまだ狂ったままだったらしい。ぬかった。
 ハルヒはどう受けとめただろうね。
 視線を下ろしハルヒの顔を覗うと、俺の右肘当たりを見つめながら何かを考えている。
 そして突然振り仰いで俺を見据えた。
「『あたしらしい』って何?」
 そりゃ漠然とした質問だな。それに対する答えも漠然としたものなんだが。言語化しにくいぞ。
 しかしここで答えなかったらまた悄然ハルヒに戻るかもな。何せ今も答えを期待するかのように真摯な目で俺を見上げている。
 あまり期待せんでくれ、あとでガッカリするから。
 俺は十秒かそこら頭を捻った挙句、一言でまとめることに決めた。
「そうだな──『普通じゃないとこ』か」
 何点でしょうねハルヒさん。
「もっと具体的に」
 再テストらしい。しかし具体的にと言われても……思いついたこと並べていくか。
「元気が有り余っている。行動派。言動が突飛。我が儘。唯我独尊。俺の話を聞かない。他人を平気で振回す。天気屋。大食漢。馬鹿力……」
 ハルヒの表情はどんどん不満顔に移行していった。そりゃそうだろ。
 お前を評する誉め言葉なんぞこの世に存在するのか。あるなら逆に俺に教えてくれ。
「──あんたあたしにケンカ売ってるでしょ?」
「売っていないから買わないでくれ」
 ここで美辞麗句を並べたってお前は納得せんだろうに。
「まあいいわ。じゃあ『あたしらしい返答』ってどんなのよ」
「?何の返答だ?」
「……『告白』のよ」
 なるほどね。第二問はハルヒらしい告白の答えか……と、一瞬考えかけて思考を止めた。
「待て待て、俺がそれを考えてどうする」
「あんたの意見も聞いてあげてんの」
 いつもは俺の意見なんか聞かんくせに。都合のいいヤツだ。
「あのなあハルヒ」
 ぐるりと言うべき言葉を一周考えて、俺はハルヒに語りかけた。
「その告白してきた奴は他の誰でもないお前に気持ちを伝えたんだ。ということはな、そいつはお前自身の返事が欲しいいんだよ。誰の介在もない涼宮ハルヒ本人が出した結論をだ」
 正論を述べる。本当は気が重いし、虚しい。何で声しか知らない他人の援護なんぞしているんだ俺。
 ハルヒは珍しく黙って俺の話を聞いている。口はへの字に曲げたままだがな。
 俺は続けた。
「ハルヒのことはハルヒ自身が一番よくわかっているハズだ。俺よりもな。一晩しっかり一人で考えて結論を出せ。それにハルヒは人の意見なんぞに左右されない不可侵の団長様だろう?」
 ハルヒは始終複雑そうな表情を浮かべていたが、最後の言葉にハッと表情を閃かせた。何かを掴んだらしい。
 うんうんと頷く。その表情には太陽のフレアに似た輝きがある。どうやら通常ハルヒモードが復活したようだ。
「うん、キョンもなかなかイイこと言うじゃない!」
「そりゃどうも」
「そうね!あたしはあたしなのよ!!あたしが決めたことには間違いはないわ!」
 勝手に一人で納得し始めた。しかも最後に何やら物騒な物言いもしている。
 ハルヒのアベレージを維持させるほど困難なものはないね。こいつの機嫌は常に極端だからな。
 暗雲を吹き飛ばしたハルヒは勢いつけてくるりと踵を返し、
「じゃあね、キョン!!」
 と玄関に駆け込んでいった。
 俺はやれやれと肩を竦める。自転車のペダルに足をかけ踏み出そうとしたその時、
 さっき閉まったばかりの玄関の扉がまた勢いよく開いた。
「キョン!この道真っ直ぐ行けば大通りに出るから!──あとアリガト!!」
 ハルヒの珍しい謝礼の言葉は、扉を勢いよく閉める音と重なっていたが聞き間違いないだろう。
 俺は一人苦笑して大通りを目指してペダルを漕ぎ出した。


 自宅に到着した頃には空がすっかり藍色の闇に染まってしまっていた。
 俺はいつもより帰宅が遅くなったことについて母親に小言を言われながら飯にありつき、妹にじゃれつかれながらテレビをぼんやり見て、父親にチャンネルを変えられたのを契機に風呂に入った。
 湯船に浸かりながら俺はようやく俺自身と向かい合う。別に古泉に言われたからというわけじゃないぞ。
 実を言うと、ハルヒは復活したというのに俺の方はまだ本調子じゃない。まあ俺自身のことよりハルヒの方をまず優先したからな。
 ずっとモヤモヤとしたものが胸の中に蟠っている。相変わらず正体はわからない。
 いや少し見えてきたことがある。
 俺は古泉や朝比奈さんのように楽観的に『ハルヒが断る』と思えないのだ。
 『ハルヒが断る』と思うには何か理由があるのだろう。
 対して俺がそう思えない理由が不透明で、自分が何を不安に思っているかさえ見えてこない。
 何かを忘れているような気がする。
 さてここで思考を中断した。このままだとのぼせてしまう。
 風呂から上がり、これは一晩中考え込むのは俺の方ではないかとげんなりしていたが、
 この後思いもかけない形で解答を得られることになる──



 髪を乾かし自室に戻った。鞄の中の教科書などを入れ替えて、ふと携帯を手に取る。
 そういや放課後からチェックしてねえや。
 着信メール1件。谷口からか。
 内容は予想通りくだらないアホメールだった。
 何やら今日の帰り駅前でもろタイプの女子と遭遇したらしい。他校の生徒でこれからナンパしてくるから健闘を祈れとのことだ。
 時刻からして今更健闘を祈っても無駄だろうな。いやリアルタイムでも無理か。
 しかし谷口もナンパにかける情熱を、自分を磨く方向に持っていこうとしろよ。脳内アホだからハルヒに五分で振られる──

「あ」
 俺は思わず声を出していた。
 まだハルヒの髪が長かった頃、谷口が言った言葉。
『告られて断るってことをしないんだよあいつは』
 謎解けたぜ。
 その言葉を思い出してモヤモヤはすっかり消え失せたが、フィルターがなくなった分胸の重石は存在感を増しやがった。
 つまりだ。
 俺はハルヒがこの前例によって断らないんじゃないかと不安に思っているのだ。
 まあ中学生時は遅かれ早かれ全員振ったそうだから、今回もその可能性が高い。
 だが、一時期でもハルヒが他の男とオツキアイするのかと想像しただけで軽い絶望を感じた。ハルヒに『YES』と答えてほしくない。
 あのじゃじゃ馬の手綱を引いていってくれることを誰が望んでた?俺だろ?ならこの状況を潔く受け止めろよ俺。
 しかし理屈でわかっていても心の片隅で、今にもハルヒに『断れ』と電話をしたくて仕方ない俺がいる。
 現に携帯を持つ手が今にもハルヒの番号を引き出しそうだ。
 俺はハルヒが誰かのものになるのは嫌なのだ。これはもう認めざるを得ない。
 俺は自分に問う。
『ハルヒが好きか?』
 YESだ。それは断言しよう。ただし「友人として」という名目がつくがな。
 じゃあ恋愛対象としてハルヒをどう思っているかと言われても、答えを出すための確信めいたものが今ここにはない。
 なんとも中途半端だな、おい。古泉の言っていた『一定の範囲内』とはこのことか。
 そのくせハルヒには是非とも断ってほしいと願っている。子供の駄々じゃあるまいし。
 しかし俺自身が『自分で考えろ』と言った手前、それを進言するのは憚られた。
 と言うより俺にできることはほとんど制限されてしまっていた。もうハルヒの出した結論にすべてを委ねるしかない。
 俺にとってハルヒの答えイコール判決なのだ。今の俺は差し詰め判決が下るのを待つ被告人だな。
 ああ、鈍いとこういうしっぺ返しがついてまわるのか。今更気付いても遅いんだが。



――続く

|