瞼を開けると目の前に広がるのはいつもの自分の部屋の天井ではない。
昨日と同じくここはビジネスホテルの一室だ。

目を覚ました俺は、すぐさま昨日と同じく鏡の前に向かった。
俺が誰であるのか確認する必要があったからだ。
グレゴール・ザムザのように毒虫にはなってはいないことは確かだが、
人間のままなら安心かというとそうでもないのだ。
洗面台の鏡に映る自分の姿は……
普段は頭もよく人当たりもさわやかなハンサム好青年。
しかしその実体は謎の組織の一員にして限定的超能力者、古泉一樹。

──うむ、異常なし。
3日目ともなると何も感じないね。
むしろまた別の人になっていなかったことに少しの安心感を覚えていた。
ふと一瞬だけ、変な考えが頭をよぎる。
──俺はもしかしたら本当は生まれつき古泉だったりしないか。
それを何かの勘違いや思い違いや記憶喪失などで今はそう思えないだけで、
本来はこの姿があるべき姿だったと考えられなくもないのか?
普段なら考えもしない気味の悪いことが頭の中に浮かんでは消えていった。
何をバカなことを……いや、本当はそういうことを一番恐れているんだろうな、俺は。
昨日の朝比奈さん(長門)の話によると俺たちを元に戻せない可能性が僅かではあるがあるらしい。
このまま俺は古泉として一生を過ごすことが確定的になったとき、
俺はいったいどのように生きていけばいいのだろうか。
もはや元より俺は古泉だったとして第二の人生を送らなければならないのではないか?
はっきり言って今、俺は元々俺であると主張する自信はない。
つい二週間ほど前の終わらなかった夏休みを思い返してみてもそうだ。
あのときまさか俺は一万うんぜん回もの夏休みを経験しているとは体感では全く気づきもしなかったのだからな。
人間の主観性というものは意外と当てにならない物だ。

地下の食堂で朝食を取り、急いでホテルをチェックアウトし学校へ向かう。
外は9月だというのに朝から蜃気楼の立ち上るような暑さだ。
今日も30度を越える真夏日になりそうだ。
その中を必死に汗をかきながら坂を登っていく。
本当ならこんな日は休んでしまいたい。
今日はいろいろやらなければいけないことがあるのだ。
まだ学校の始まる時間には余裕で間に合うが、
早めにクラスに着いて、今日のやるべきことを考えなくては。
何せ長門(古泉)いわく、なんでもハルヒは今イライラの最高潮にあり、
早くハルヒ機嫌を直さないと俺たちが元に戻る前に世界が消滅する可能性もあるらしい。
この一見平和に見える街の風景が明日にも崩壊の危機に面しているとは誰が知るだろうか。
今日やらなくてはいけないこと。
まずそれはハルヒの機嫌を直すことだろう。
だが何が機嫌を悪くしてるのかはちっともわからない。
そのためにはまずハルヒの様子を伺うことが大切だ。
昨日の夜も機嫌が悪かったようだし、
もしかしたら学校に来ていない可能性もある。
まずはその辺りから確認することにした。

古泉(俺)のクラスの9組は3階の一番端にあるクラスだ。
1年5組の教室はさらにその1つ上の階にある。
まだ朝のHRまでは時間があるので5組の様子を伺いに行く。
まだハルヒは来ていないようだったが、いつも俺が座っている席に俺(朝比奈さん)がちょこんと座っていた。
なにやらおぼつかない様子で辺りをキョロキョロしていたが、
何もすることがなくただ時間が過ぎるのをじっと耐えているようである。
こちらの様子には気づいていないようだ。
あえて挨拶するのも変なのでそのまま通過することにした。
長門(古泉)のクラスはすぐ近くにある。
5組を通り過ぎてそのまま長門(古泉)のクラスを確認する。
窓側最前列の席が長門(古泉)の席であるが、
席に鞄も置いてある様子もなく、まだ長門(古泉)は学校に来ていないようだった。
そういえば長門(古泉)は昨日の話だと来れないかもしれないと言っていたな。
朝比奈さん(長門)も確認しておきたいが、おそらくあいつが休むことはないだろう。
それに二年生の教室はこの校舎の向かいにあり、特に用もなく二年生の校舎をうろつくことは
ハルヒのような非常識人間を除けば普通はしないことだ。
今のところ確認できたのは俺(朝比奈さん)だけか。

階段を下りようとしたところで、バッタリとハルヒに出会った。
「あら、古泉くんおはよう。こんなところで何してるの?」
一瞬だけ心拍数が跳ね上がった。
古泉のクラスは下の階にある。
授業の始まる前の時間帯に古泉がこの階を通りがかることはたしかに不自然である。
「おはようございます涼宮さん。えー、ちょっと僕の友達に用があっただけですよ」
あっけなく「あ、そう」とだけ言い残しハルヒはそのまま5組の教室へと向かっていった。
このときほんの少しだけであったが、ハルヒの様子に違和感を感じた。
違和感といってもほんの微かな引っかかりであったが、
半年間この女の前の席に座って後ろからの強烈なオーラのようなものを浴びせられていた俺には、
なんだかそのオーラのようなものが少し減っているような、そんな雰囲気を感じ取っていた。
気のせいかもしれないが。

9組に入ると昨日と同じくクラスの女子のほとんどがこちらに挨拶してきた。
古泉(俺)はこのクラスでは全ての女子と仲がいいらしい。
これがコイツの本当の超能力は女にモテる能力に違いない。
特によく古泉(俺)話しかけてくるのが後ろの席に座るこのクラスの委員長である。
「おはよう、古泉くん」
「おはようございます。今日も朝から暑くて大変ですね」
挨拶を返し、にこやかに目を細める。
そして歯を見せるように笑いながら、ほんの少しだけ首を傾ける。
俺もそろそろ3日目になり、この古泉スマイルもなかなか様になってきていると思う。
「ねえ古泉くん、三時間目の数学の宿題ちゃんとやってきてる?」
「え?あ……」
昨日も一昨日もホテル泊まりでそれどころではなかったといいたいところだがこのクラスは特進クラスだ。
宿題をやっていないと後で教師に何を言われるのかわかったものではない。
「んもう、しっかりしてよね。……今回は特別だからね」
そういうと、委員長は自分のノートを取り出しそっと手渡してくれた。
綺麗な字で数式の証明と細かい式が書かれている。
宿題の範囲は完璧に抑えられているようだ。
彼女は古泉に対して好意を抱いているのだろうか。
俺としては彼女はとてもいい人なのでぜひともその思いを遂げさせてやりたいものではある。
この親切も委員長にとってのポイント稼ぎに繋がるといいんだが、
いかんせん俺は本当の古泉ではない。
あと数日したら元の俺に戻る存在なのだ。……99.9996%ぐらいの確率で。
この記憶はおそらく古泉には受け継がれず俺個人が抱えることになるのに、
俺は彼女に嘘をついているような心境だ。
本当に申し訳ない。
そんなことを考えつつも、とりあえず今はこのノートを写す作業に取り掛かった。
今はそれどころではないのだ。
サンキュー委員長。
あとで元に戻れたら何か礼くらいしようと思う。
戻れなくてもこれはこれでアリなのかもしれないが。

一時間目が始まり、俺はずーっと考えていた。
ハルヒのストレスの原因は何か……
考えられる要因はいくつかある。
この数日間、俺たち4人は中身が入れ替わっている。
こんな怪しい状況にも関わらずハルヒにはそのことは当然のように内緒だ。
もしかしたら俺たちが何か隠し事をしていることを直感で感じ取っている可能性もある。
仲間はずれにされたような気になっているのかもしれない。
あるいは無限に続いていた夏休みが終わってしまい、いまさらながらに休みがまた恋しくなっているのか?
ハルヒはあんだけ遊んでもまだ遊び足りないっていう態度だからな。
長かった休み明けで憂鬱になるのは誰にでもあることだ。
しかし何より一番大事なことはこの4人の入れ替えとハルヒのイライラが同時にほぼ発生したということだろう。
この2つはおそらく無関係ではない。
つまりその場合4人の入れ替えはハルヒのイライラと関連性があるということだ。
そして気になるのが昨日朝比奈さん(長門)が言っていたことだ。
朝比奈さんの言動がハルヒに影響を与えたかもしれないということ。
それは朝比奈さんが無意識的に思っているところで、
朝比奈さんに直接聞いてみてもすぐにはわからないかもしれないが、
数日前にハルヒと朝比奈さんの間で何らかのやりとりがあったということは考えられる。
とにかく俺(朝比奈さん)に事情を説明してここ数日間で何かあったか聞いてみるしかない。

一時間目の授業の終わりの鐘が鳴るのを聞いて、
俺は1年5組へと急いだ。
もちろん俺(朝比奈さん)話を聞くためだ。

5組を通りかかる振りをしながら軽く中の様子を伺う。
俺(朝比奈さん)とハルヒがなにやら会話していた。
二人はそこそこ話が弾んでいるらしく、
俺(朝比奈さん)がうふふと口の前に手を置きながら笑い、
ハルヒもそれにあわせてニンマリと笑っている。
楽しそうだ。
二人はとても自然な感じで話し合っていて、
そこにいる俺が少しオカマっぽい笑い方をしていることなど気にもかけていない様子であった。
いったい何の話をしているのか聞き耳を立ててみると、
妹がアニメに出てくるキャラクターの動きを真似しようとして壁に頭をぶつけただの、
どうしたこうしたというなんとも他愛もない話だった。
いつもの俺もこんな感じで話をすることはある。だが何もこんなときに……
体の中に焦りとも違う何か妙な感情が浮かび上がるのを感じつつもそのまま様子を伺ったが、
なかなか俺(朝比奈さん)とハルヒの会話は終わりそうにない。
無理に連れ出すことも出来なくはないが、授業の合間の休み時間は短い。
それにここでハルヒの機嫌を損ねるのは余り得策とはいえない。
この調子ではまたの時間にするしかないようだ。

9組への帰りの途中、長門(古泉)のクラスを覗いてみた。
机の横のフックに鞄はかかっておらず、長門(古泉)の席は空席になっていた。
今日は来ていないのだろうか。
そうすると昨日からまだハルヒの精神不安定が続いているということになる。

今朝ハルヒに会った様子ではそれほど機嫌を悪くしているように思えなかった。
今もそうだった。
だが、現実としてハルヒが現在も閉鎖空間を頻繁に発生させているのであれば
それに対して何かしらの処置を施さなければいけない。
こういうとき今までの俺たちはいったいどうしてきただろうか。
古泉は前に言っていた。
中学時代のハルヒは常に精神が不安定な状態で、
数時間おきに閉鎖空間で巨人を生み出しているハルヒは、
さぞ凄まじいまでのストレスの塊であったことだろう。
そのストレスによる発生する閉鎖空間から世界の崩壊を救うために組織されたもの、
それが古泉を含む人間たちで結成された『機関』であった。
今までの小規模な閉鎖空間であればSOS団内でなんとか解決できたかもしれない。
しかし『機関』ですら対処のしようのない規模の問題をいったいどのように解決すればいいのだ。

9組の手前の廊下に差し掛かったところで廊下の向こうに朝比奈さん(長門)を発見した。
隣にいるのはあの元気印の上級生鶴屋さんだ。
なにやら二人で楽しそうに話をしている様子だ。
いつもなら普通の光景だが、よくよく考えるとこれは少し不思議な光景であった。
あの朝比奈さん(長門)が人と話している。
それも僅かではありながらも笑顔を交えながら。
彼女の中身を知るもののみにわかるこの不思議さ。
あの長門が感情を表に出すという仕草を形なりにも出来るようになっているという変化は
成長と見るべきか異変と見るべきかこれは大いに興味が注がれるところであった。
長門にとって朝比奈さんの体に乗り移るという現象は
無表情な宇宙人にとって、感情表現を体得するいい機会になったのではないか。
とにかく長門は朝比奈さんに成りすますことに徐々に慣れてきているようであった。
「うわーお、一樹くんっ!久しぶりっ!元気してたっ?」
遠くからこちらを見つけて威勢良く右手を振りながら鶴屋さんが駆けつけてきた。廊下は走らない!
「次の授業は教室移動なのさっ。みくるもこのとおりっ!
……んんんん?あれあれっ今日はどうしたのかなっ?
めがっさ重そ~な悩みを抱えた顔してるね!お姉さんにちょろ~んと話してみないかいっ?」
表情を読まれている。
しかしこれはちょろ~んと話せる内容ではないのだが。
「はは~ん、わかったっ! 一樹くん、ハルにゃんのことで何か悩み事を抱えているにょろ?」
このにょろにょろ語使いの上級生は他人の心が読めるのだろうか?少し怖くなってきた。
もういっそのこと全部ばらしてみたくなった。
この人ならなんとなくだが俺たちの秘密を最後まで厳守できるような気がする。
「だって一樹くんいっつもハルにゃんのことっばっかり考えて行動してるじゃないのさっ!
今回もきっとそうなんでしょっ?んっ?」
古泉がハルヒのことを第一に考えて行動していたとは知らなかった。
人の隠れた一面とはなかなか他者の視点からは見えないということか。
ここは一つ、元気属性ではハルヒに似ている鶴屋さんなりの意見を聞いてみるか。
「最近、涼宮さんの様子がおかしいんです。
何かに退屈してるのかずっとイライラしている様子でして……
本人は普通に振舞っているのでなかなか聞きづらいのですよ。
……どうしたらいいでしょうかね?
まさにお手上げ状態といったところです」
「うぷぷぷ、うまっあーっはっはっはっはー。く、くくくぅ……
ごめんよう、いやぁっなんでもないっ!なんでないよっ!!
こういうときこそ一樹くんの出番じゃないさっぷっ!
ハルにゃんはきっとまた一樹くんが何か楽しいことをしでかすのが待ちきれないんじゃないのかなっぷぷぷ!」
なにがそんなにおかしいのか。
「じゃ!あたしはもう時間だからいくね!頑張ってねーっ!
あ、何か面白いイベントをやるときはあたしも呼んどくれ!何でも協力するからさっ!」
元気よく言い放ち、鶴屋さんは奥にある美術室へとスタスタと歩いていった。
朝比奈さん(長門)が美術室の前でこちらを振り向いて小さく口元を微笑ませながら手を振っていた。
その仕草はまるで天使が初めて地上の人に出会ったかのように初々しく神々しかった。
とにかく鶴屋さんがいうにはこういうときは古泉(俺)がなんとかしなくてはいけないらしい。

──そうだ。
思い起こせばこの前の夏休みの合宿もそうだった。
古泉たち『機関』の人間はハルヒの退屈しのぎにはとても積極的であった。
ハルヒの機嫌が悪くなることがないように、
またハルヒが変な思い付きを実行に移さないようにするため、
何か行動を起こす前にあらかじめ先回りしてこちらからイベントへ導いていたのだ。
さらに今冬には雪山で合宿するという企画まであるらしい。
古泉たちだけではない。
コンピ研の部長の家で巨大カマドウマを倒したこともあった。
あれがSOS団に持ち込まれた初めての相談依頼だったな。
あれは長門の企画だったらしいがSOS団の存在意義を世間に知らしめたおかげでハルヒは上機嫌であった。
朝比奈さんはメイド服を自ら着てお茶汲み要員になったりバニーやナースの衣装を着たりなど、
ハルヒの言いなりになりながらも機嫌取りに終始している。
ハルヒ自身も自分の退屈を紛らわせるために野球大会に参加したり、
夏休みに団員全員を連れて遊びまわしたりもしている。
元はといえばこのSOS団自体がハルヒの退屈しのぎのために作られた物なのだから、
そういうみんなが行動を取るのは当然ともいえる。

そして俺だ。
俺はどうだった?
俺はハルヒの退屈を紛らわせるために自ら何かを企画したことがあっただろうか。
別に俺はハルヒが進化の可能性だとか神様だとか時間の歪みだとは思わないし、
そのせいでハルヒのために何かしろという上からの命令はない。
だが、SOS団という組織が退屈な毎日を打破するためのハルヒの望みであるとするならば、
そこの一員はハルヒの退屈しのぎをするというのが使命……
つまり運命の神様がいるとすればこういいたいのだろう。
次は君の番だと。

全く、ふざけるな。
である。

ハルヒ、お前は何様のつもりなんだ?
ちょっと気に食わないことがあるとすぐに機嫌を悪くする。
それは宇宙人いわく、情報爆発を引き起こし、
超能力者いわく、世界を存亡の危機に陥れ、
未来人いわく、時空間に大きな歪みを作る。
まるで超新星爆発クラスの超巨大駄々っ子だ。
そんなところまで面倒見切れん。

しかし、ここは俺がやらねばなるまい。
残された時間は余りない。
古泉の話ではもって明日までだという。
すると今日か明日には何かハルヒの退屈しのぎのイベントを起こさなければいけないのだ。
これはもういまさら論議しても始まらないことなのだ。
クラスに戻ってからも授業のことなど何も頭に入らなかった。
──何かハルヒにとって楽しいこと……
考えれば考えるほど俺の頭の中は深みに嵌まっていった。
もともと俺の頭は深く考えて何かいい案が出てくるようには出来ていない。
そもそも今この場所で今日明日に開催されるアウトドアイベント情報など知るすべなどなく、
俺の頭の中では古泉の企画したような殺人偽装事件などは考えられるはずもないのだ。
ハルヒの今までの行動パターンからいって季節ものの企画には食いつきやすい。
秋といえば……ベタなところでスポーツの秋とかはどうだろうか。
前にやった野球のように無茶苦茶な現象を引き起こすことになるかもしれないが、この際は仕方がない。
だが果たしてスポーツをやってハルヒのストレスを解消できるのかは甚だ疑問である。
大食いの秋は昨日やったがハルヒのストレスは増大しているようだし、
アイツが自分で言い出した企画にも関わらずストレスを溜めるとはいったいどういうことなんだ。
ぐるぐると考えだけが積み重なって螺旋状の複雑な図形を作りながら浮かんでは消えていった。
はっきり言ってこんなことをしているのは時間の無駄であった。
あっという間に時間は過ぎていき、
4時間目の授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。

昼休みだ。
周りの席からこちらに向けて集中的な視線が浴びせられる。
昨日、一昨日のパターンから言ってお弁当攻撃が予想されていた。
誠にありがたいことではあるが、今はやらなければいけないことがある。
俺(朝比奈さん)にどうしてもハルヒのことを聞いておかなければいけない。
授業の合間の休み時間ではおそらく時間も足りないであろうし、
ハルヒが一緒では聞けないし呼び出しするのも不自然だ。
よってハルヒと俺(朝比奈さん)必ず別行動になるこの昼休みに狙いを絞ったのだ。
しかし周りの女の子たちは古泉(俺)の机を中心に周りを固め始めていた。
麗しき乙女たちに囲まれてみんなの持ち寄ったお弁当を食う。
こんな機会がこれからの人生でいったい何回訪れるであろうか。
とりあえず昼飯を食ってからでもいいかな?そんな不謹慎な考えが浮かび始めた瞬間、
「古泉くん」
ふとそのとき後ろの席から声が掛かる。
「ちょっと話があるの……すぐ終わるから一緒に来てくれないかな……」
助かった。冷静に考えれば楽しい時間は高速で過ぎていきあっという間に昼休みは終わる。
今朝宿題を見せてくれた恩もあるし、彼女のいうことに逆らう理由はない。
委員長の誘いに連れられた形でなんとか古泉包囲網を突破することができた。
教室を出て行くとき、背中に痛い視線を浴びていたが今はそんなこと気にならない。後で古泉に回しておくツケだ。
階段を登る委員長の後をついて行く。
着いた場所は屋上に出るドアの前だ。
四ヶ月前ここでハルヒに部活作りに協力しろと命令されたっけね。
滅多に人が来る場所ではない。
だからこそ内密の話、例えば愛の告白なんかをするのに向いているかもしれないな。
ただ周りに転がっている未完成な美術品のせいで少しムードは足りないが。
委員長は両手をもじもじとさせながら足元に転がっているマルス像に目線を落としていた。

「あ、あのね、古泉くん……」
委員長が上目使いでこちらに熱い目線を投げかけてきた。
なぜか顔が耳まで赤くなっている。
こっちまでなぜか顔が赤くなりそうだ。
「明日の夜にうちのお庭でお月見パーティーをやることになったの。
あ、明日は満月で暦の上でも中秋の名月の日だからってことでね。
うちは毎年この日に友達とかを呼んでパーティーをするの。
それで……それでね……
古泉くんに来てもらえないかなぁって……」
委員長はそこまでいうと少しうつむき加減で目をそらした。
明日はもうそんな日だったか……中秋の名月ってたしか旧暦の8月15日だったかな。
ここのところ実家にも帰れない日が続いていたので気にもかけなかったな。
それどころではないのだからな。
しかし明日そんな時間があるのだろうか。
長門(古泉)の話ではハルヒの機嫌が持つのが明日くらいが限界だと言っていたが、
それまでに機嫌を直していたらいけるかもしれない。
だが……今ここでこれからどうなるかわからない明日の約束が出来るはずがない。
ここはうまく丁寧に断ろう。委員長には悪いが俺とお月見したところで本物の古泉と仲良くなれるわけではない。
それに古泉の知らない記憶をこれ以上増やしても古泉にも悪いだろうしな。
口に出すのをためらっているとこちらの言葉をさえぎるように委員長が先に声を出した。
「あ、あ……そ、それでね、古泉くんの他にも涼宮さんやSOS団の方々も一緒にどうかなって
……迷惑だった……かな?」
「え?ハルヒもですか?」
思わずハルヒと呼んでいた。
古泉ならここは涼宮さんと呼ぶところだ。
意外な展開につい言葉が漏れてしまった。

「うん……だって、古泉くん……涼宮さんと一緒じゃないとダメなんでしょ?
それにせっかくだからたくさんの人に来てもらったほうが楽しいかなって思って……」
いや、むしろこれはありがたかった。
ハルヒと一緒でもいいのだったらこの提案は天の助けともいえる。
そう、このとき俺の頭の中に天啓ともいえるべきいい考えが思い浮かんでいたからだ。
真っ暗な夜道にポツンとある街灯の明かりのごとくいささか頼りない考えではあったが、
しかしそこに一筋の光明を見出したのだ。
これを利用しない手はない。
「いえいえ、そういうことでしたらぜひ喜んでご招待させていただきます。
そうだ! 何かパーティの宴会芸でもSOS団の団員達で披露させていただきますね。
あと一つご相談なんですがSOS団とは直接の関係者ではないんですが、
僕の友達の一人も一緒にお呼びしてもいいでしょうか?」
友達とは鶴屋さんのことだ。
委員長は満面の笑みで首を縦に振った。
「うん。みんなで来てくれるとうれしいわ。それじゃあ、いっぱいお料理作って待ってるからね!」
委員長は 階段を元気よく降りて行った。
俺は委員長が見えなくなるのを見届けてから5組の教室へと向かった。

5組を覗くと予想通り俺(朝比奈さん)と谷口と国木田が机を囲んで弁当を食っていた。
「ふぇ? 古泉くん? きゅ、急にどうしたの?」
箸にウィンナーを挟んだまま動かなくなっている俺(朝比奈さん)の背中を軽く叩き、急いで立つように促す。
谷口が疑うような怪しい目つきでこっちを見ている。
急いでいるので形にはあまりこだわってはいられない。
構わず俺(朝比奈さん)の腕を引っ張り強制的に教室から連れ出す。
さきほどと同じく屋上へと続く階段を駆け足で登っていく。
「古泉くんって……キョンくんですよね? な、なんだか私にはさっぱりで……
そんなに急いでどうしたんですか?」
「実は話したいことがあるんです……」
俺(朝比奈さん)が落ち着くのを待ってから昨日の朝比奈さん(長門)から聞いた話を聞かせた。
要点をまとめるとハルヒのことで何か思い当たることはないかどうかだ。
「そう…だったんですか………長門さんが私の記憶から……そんなことまでできるんですね」
俺(朝比奈さん)はおもちゃを奪われた赤ん坊のように今にも泣き出しそうな表情をしている。
長門に知られると何かまずいことでもあるのだろうか。
「それでハルヒに何か言った記憶はありますか」
「涼宮さんが不機嫌になる原因が私にあったとは知りませんでした。
無意識に自覚している、と言われましても私自身そんなきっかけになりそうなことを話した覚えなんてないんですけど……
それにわたし、涼宮さんと二人きりのときにそんなに長くお話しなんてしてないです……」
「長門は言っていました。それは朝比奈さんとして俺には話せないことだと。
たぶんそれはすごく言いにくいことなんです。
でもそれがわからないとハルヒのイライラの原因がわからないんです。
朝比奈さん、言いたくないことは重々承知しています。
でも今はどうしてもそれを知らなければならないんです」
「うーん……」
俺(朝比奈さん)は考え込んだままじっと目を瞑っていたが、
ときどき顔を赤くしてはそのたびに首を振るばかりで何か思いついたような表情は最後まで見せなかった。
どうやら本当に覚えがないらしい。

「そういえばこの前の日曜日……ハルヒと一緒になりましたよね?」
朝起きて俺たちの体が入れ替わっていることに絶望を覚えたあの9月8日。
その前日の日曜日に、俺たちSOS団の面々は恒例の不思議探検パトロールに全員で参加していた。
この探索自体はいつものとおり何事もなかったんだが、
午後の回でグループ分けをしたときに朝比奈さんとハルヒがペアになった。
このとき二人の間で何があったかはハルヒと朝比奈さんしか知りえないことだ。
「ええ、あのときはデパートに行ってきました。夏休み明けで新しいお茶が欲しかったのでそれを買いに……
その後は集合の時間までは近くの川原を二人でお散歩しました。特に変わったことは何も起こりませんでした」
「そのとき少しくらいは二人で話とかはしましたか?」
「ええ、しましたけど……どんな内容だったかはほとんど覚えてません。もちろん禁則に触るようなことは何も……」
まあ、いちいちそんな細かいことなど覚えていないのが普通だろう。
俺だって昨日どころか今日の授業だって先生が何を話していたかなんてほとんど覚えちゃいないぜ。
だが、記憶の奥底に眠っていたからこそ長門がそれを知りえたのだ。
「未来に教えてもらうことは出来ないんですか?」
「ええ……未来からは何の指示も……こちらの申請も全て審査中です。
おそらくこのまま……この申請は通らないと思います」
俺(朝比奈さん)はガックリと肩を落とす。
ここで朝比奈さん(大)が出てきて「これはこういうことだったのようふふ」なんて教えてくれれば早いのにな。
とりあえずここは手詰まりだ。
あとは朝比奈さん(長門)に直接教えてもらうしかない。
この俺(朝比奈さん)の直接の許可があれば朝比奈さん(長門)に教えてもらうことくらいは出来るだろう。
俺(朝比奈さん9はまだ考え込むような表情を見せていた。
「ああ、そうそう。明日古泉のクラスの友達の家でお月見パーティーをすることになったんですが……」
「あっ!!!」
ふと急に俺(朝比奈さん)の顔が急に血の気が引いたようになった。
もしかしたらハルヒのことで何か思い出したのか!?
やっぱり朝比奈さんとハルヒの間には何か因縁のようなものがあるのか!?
思わず俺(朝比奈さん)に詰め寄り肩を握る。
次の瞬間背中が一瞬にして凍りついた。
「こんなところで何やってんの、あんたら」
氷点下273℃くらいの冷たい言葉が浴びせられた。

…………おい。
なんでこんなところにお前がいるんだ。
普段ならまだ食堂で残り物の恩恵にあずかろうという時間ではないか。
「なんか嫌な予感がして早めに教室に戻ってみたのよね。
そしたらキョンはいなくて食べかけのお弁当が置いてあるだけ。
谷口に聞いたわ。古泉くんと二人で出て行ったって。
それで何やってるかと思えば古泉くんと二人きりで暗い階段の踊り場で肩を寄せ合ってる。
……あんたアナル萌えだったの?」
ハルヒ……
仮にも若い女の子がいうセリフじゃねえだろ。
黙ってハルヒの方を振り返ると鉄板をも貫きそうな目でこっちを睨み付けていた。
主に俺(朝比奈さん)を。
俺(朝比奈さん)は古泉(俺)の体に隠れながら震えるばかりだった。
俺が何かを言わなくてはならない。
「違うんですよ。ちょっと話せば長くなるんですが……」
「うちのSOS団にガチホモ団員はいらないわ」
俺もいらん。
落ち着け。ここで取り乱してはいけない。古泉を思い出せ。
あのわざとらしいまでの芝居じみた笑顔を。
「誤解です。涼宮さんを不愉快にさせたのでしたら謝ります
僕はずっと前からも、そしてこれからも完全ノーマルですから」
ハルヒは疑いの目でじーっとこちらを見ている。
ここで焦ったら負けだ。

「明日の夜は中秋の名月なのをご存知ですか? 簡単にいうとお月見の日ですね。
その日に僕の友達に一緒にお月見パーティーをしないかと誘われましてね。
しかもSOS団の全員でいけるみたいなんですよ。
まあ、普通は月を見ながらおだんごを食べたりするだけのものですが、
僕たちなりに違う盛り上げ方ができればと思いまして……面白く宴会のような形で開催できないかと」
急にハルヒの目が強烈な輝きを取り戻した。
「へぇ~。 お月見パーティーねぇ……そんなものがあるのねー…… 
ねえ古泉くん! それはもちろんタダよね!? やっぱりお餅ついた杵でウサギ追っかけたりするの!?」
それはなんというふるさとの歌だ。
お月見が毎年そんな動物虐待のイベントだったらグリーンピースが黙っているわけがないだろう。
「せっかくパーティーに誘われたのなら、何か宴会芸の一つでもやらなきゃいけないわね。
キョン! ヘソで茶を沸かすくらいのことできるわよね?」
俺をなんだと思ってやがる。ヤカンか。
「ふぇ?え、え、えーっと……たぶん…できません……よね?」
そこはたぶんじゃなくていい。万一にでも出来るようになってほしくない。
未来の力でなんとかされても困る。
「実は僕たちだけでちょっとしたネタを考えてまして……
今僕たちがしていたのはそれの打ち合わせだったんです。
パーティーはついさっき決まったことなので後で涼宮さんにもお話しようと思ってたのですが、
さきほどクラスにはいらっしゃらなかったもので……」
「ああ、そうだったのね。なーんだ。変な勘違いしてたみたい。ごめんね古泉くん。
そうよね、いくらなんでもキョンが急にホモになるわけないわよねぇ。
ところでどんなネタをやる予定なの?」
「中身は明日になってからの方が楽しみではありませんか?
先に知ってしまうと面白さが半減してしまうと思いますが……」
「それもそうね。ん? ははーん……ニヤリ。ま、期待してるわよー!
なんせ古泉くんはSOS団の副団長兼宴会部長なんだからね!」
古泉のいないところで勝手な役職を増やすな。
ところでなんだその途中の含み笑いは。気になるじゃないか。
ハルヒは何かいいことを思いついた子供のようにニ段飛ばしで階段を降りていった。

「朝比奈さん、そんなわけで宴会芸をやることになってしまいました」
「ふ、ふぇえーー!? そ、そ、そんなの無理ですよー!! いきなり明日だなんて絶対無理ですー!!」
「大丈夫です。いい方法があるんですよ。これなら何も準備が要りませんし、
絶対に失敗しませんから。……おそらく。
それにこの宴会芸は最初から俺たちでやるつもりだったんです」
そう、このネタなら間違いなくこの朝比奈さんにも出来る宴会芸だ。
そして受け狙いも……まあ、おそらく大丈夫だろう。
そのためにお笑い要員の鶴屋さんを呼ぶんだからな。
俺は俺(朝比奈さん)に宴会芸の内容を教えた。

「……本当ですかぁ~? そんなのでいいんですか?
そんなにこれってなにか面白い芸なんですか?」
面白いかどうかは別として悲しいくらいまでに完璧だ。
きっと鶴屋さんは大爆笑に違いない。

教室に戻るともう昼休みはもうあと一分で終わろうとしていた。
古泉(俺)の机の周りに出来ていたバリケードのようなハーレムは全て解散となっており、
周りの女子の視線もいくらかクールダウンしたものになっていた。
結局お昼は何も食っていないがここは仕方ない。
席に着こうとしたとき後ろの席の委員長が何か含みを持った視線を投げかけてきたが、
こちらは何も言わずにただうなずくだけにしておいた。

次の授業の準備をしようとしてふと気づいた。
机の上にサンドイッチが二つ置いてあったのだ。
誰が忘れて行ったかは知らないがありがたく頂戴する。
うまい。
腹が減るとなんでもうまいというがこれを作った人は天才だね。

放課後、部室に入るといつものメイド服姿の朝比奈さん(長門)が一人で分厚いハードカバーを読んでいた。
じっと目線を本に落としたまま、こちらの様子などまるで気にしていないようであった。
「長門……朝比奈さんはそんな本は読まないぞ」
そういって朝比奈さん(長門)の手からさっと本を奪い取って栞を挟む。
そのまま長机の向かい側に本を放り投げた。
一昨日と同じやり取りだ。
朝比奈さん(長門)はこちらを向いて何も語らない目でじっと俺を見つめていた。
そんな目で見ても無駄だ。
とにかく今はそれどころじゃないってことを理解してくれ。長門。

ゆっくりと扉が開き、次に入ってきたのはなんとハルヒだ。
いつも扉を親の仇のように壊さんばかりの勢いで扉に体当たりをかますこの女が
今日は珍しく普通にドアを開けて入ってきた。
ついに扉が親の仇ではないことに気がついたか。

最後に俺(朝比奈さん)がやってくるのを見てハルヒはキリッとした顔で団長椅子の上に立ち上がった。
「さーて、全員揃ったようね。……ってあれ?有希は?」
「今日は朝からお休みです。なにやら風邪を引いてしまったみ……」
「そんなことより!」
長門の風邪をそんなこと呼ばわりか! なら俺に聞くな!
「今は秋よね?」
そしてまたこのパターンか。
「ええ、秋ですとも。
夏でもなければ春でも冬でもありません。立派に秋と言えるのではないでしょうか」
「はい、みんな秋といえば?」
「読書の秋」
瞬時に返答した朝比奈さん(長門)は立ち上がり、さっき俺に奪われた分厚いハードカバーを読み始めた。
ハルヒは朝比奈さん(長門)の方をちらりと一瞥すると、
次にギラリと俺(朝比奈さん)の方を睨んだ。

「え……えっと~。お月見は明日だから……紅葉の秋……とかですか?」
俺(朝比奈さん)は自信のなさそうにうつむいている。
「みんなぜんっぜんわかってないわねぇ! 秋といえばスポーツの秋に決まってるでしょう!
我がSOS団がこんな小さな部屋に立て篭もって何もしないということはありえないのよ!」
俺が昼間に考えたベタな選択肢と同じものを選んできやがった。
「この四人でですか? 今日これからではメンバーを集めるのは難しいと思いますが……」
これが古泉(俺)としての精一杯の抵抗だった。
普段の俺だったら一人で外でも走って来いと言うところなんだがな。
「何言ってるのよ。卓球だったら二人でも出来るじゃない。
さ、みくるちゃんも着替えて着替えて! ほーらキョン立て! 早く準備して!」
もはや決定事項になってしまったようだ。
今日のSOS団の活動は卓球になりそうだ。

朝比奈さん(長門)は後から着替えてから来るらしいので、先に卓球台を確保しにいくことになった。
「そうだ、卓球するのにはラケットも必要ねえ」
用意してないんかい。
あいかわらず行き当たりばったりの団長さんだ。
まあ、ハルヒのことだから卓球部が練習してるところを無理やり奪うんだろうなと思っていたら、
目の前を行進していたはずのハルヒが急に視界から消えていた。

足元を見るとハルヒが廊下にうつぶせになって倒れていた。


ハルヒ!?
こんなところで何してんだ?
おい、しっかりしろ!
なんとか動き出したハルヒは廊下に四つん這いの姿勢でまた立ち上がろうとしたが、
生まれたての小鹿のごとく足を滑らせるようにしてまた倒れこんだ。
見ると顔面は蒼白と表現するしかなく、しかめっつらで呼吸が荒くなってきていた。
「大丈夫か!? 救急車を呼ぶか!?」
「ん……大丈夫……。ちょっと立ちくらみがしただけだから……
あれ……? 目の前が暗くて……見えない……」
いったいどうしちまったんだ。
さっきまで元気に人の練習の邪魔をしに行こうなんて言ってたやつが。
こんな状態で運動など出来るはずがない。
ひとまず保健室に連れて行かなくては。
俺(朝比奈さん)は後ろでおろおろするばかりで役に立ちそうに無い。

「このままハルヒを保健室に連れて行くから朝比奈さん(長門)を呼んで!」
「え!? え!? でも……」
「いいから! 早く!」
ハルヒは担ごうとした俺の手を払いのけるようにして抵抗してきた。
「大丈夫。いいから……」
何を嫌がってるんだ。
こんなところで寝ているやつが大丈夫なわけ無いだろ。
だが抵抗する手にいつものハルヒほどの力は無い。
これなら無理やりにでも運んでいけるはずだ。
ハルヒの脚を左腕でささえ、首を右腕で支える。
いわゆるお姫様だっこの状態だがこれなら暴れられても運べる。
案の定ハルヒは微力な抵抗をしたが、すぐに具合の悪さが優先したかおとなしくなった。

保健室のドアのところに先生の不在を知らせる札が垂れ下がっていた。
中には寝ている病人もおらず、
ベッドが2台ほど空いたままになっていた。
その手前の方のベッドにハルヒを持ち上げて寝かせ、上から布団をかぶせた。
ハルヒの表情は苦しさを訴えていた。
すぐにも救急車を呼ぶべきかもしれないがひとまず保健の先生に診てもらってからにしよう。
「ちょっと先生いないか探してくる。このままおとなしく寝てるんだぞ」
「古泉くん……さっきからまるでキョンみたい」
……やばい。
俺さっきこいつのことハルヒって呼んでなかったっけ?
しかも口調も完全に俺の口調だったような気がする。
「……待って。行かないで」
弱々しくハルヒが声を出す。
ハルヒがこんなに弱っているのははじめて見る。
孤島で古泉の作った殺人ミステリーに巻き込まれたときより弱っている。

不意に保健室に無言の時が訪れた。
その静寂を打ち破って、急にガラリと扉が開かれた。

全身ピンクのナース服に身を包んだ看護婦さんが立っていた。

いや、今は看護婦じゃなくて看護士っていうんだっけ?
どちらにせよその人は本物の看護士でもなんでもない人だ。
長い髪をたなびかせてハイヒールの足音をカツカツと立てながらこちらに歩いてくる。
頭に載せたナースキャップが少しだけずれているのもポイントだ。
胸の部分がこのナース服の規格にあっていないのか、今にも布がはち切らんばかりに張り詰めていた。
その姿にはどんな死人も一発で死のふちから呼び戻す魔力(男のみ)と、
どんな健常者でも退院の日を拒むような神々しさ(男のみ)がそこにはあった。
右手に持った不釣合いなコンビニ袋がなければ俺も思わずクラリと倒れるところだった。
それくらいこの人のナース服は攻撃力が高い。
「みくるちゃん……」
「動かないで。これを」
朝比奈さん(長門)がコンビニ袋から取り出したものは120円くらいの菓子パンと牛乳300ml。
しめて250円くらいの物であった。
ところで長門。どうしてナースのコスプレをする必要性があったんだ。
ハルヒに卓球するから着替えるようにと促されて着替えた服がこれですか?
あとで詳しく事情を聞くとして、どこで買ってきたのかそのパンと牛乳をハルヒに与えるのはどういうわけだ?
まるでハルヒのこの病状を最初から知っていたかのようだ。
「食べて。おちついてゆっくり」
ハルヒは朝比奈さん(長門)から手渡されたパンを躊躇いながらじっと見つめていたが、
少しずつちぎって口の中に放り込んでいった。
そんなにまずそうな顔をするな。
朝比奈さん(長門)の買ったパンだぞ?
その120円のパンは売るところに売れば1000円以上の価値を持つパンなんだぜ。
「少しずつ。この牛乳と交互に」
そういわれるままにゆっくりとハルヒは食事を取り終えた。

飯を食えば治るのか?
ハルヒは貧血か何かだったのか?
とにかくパンを食べたハルヒはすぐにさきほどまでよりだいぶ顔色がよくなり、
目が見えないといっていたのも治ったようだった。
それにしてもなんで朝比奈さん(長門)はハルヒの倒れるところを見ていないのにそれがわかったんだ?
それにそのコンビニ袋に書かれているコンビニはこの学校の近くにはなく、
坂を下りて駅の近くにまで行かないとたどり着かない。
まるであらかじめ準備していたかのようだ。

「ごめんなさい」
この場面でこのようなセリフを聞くとは思わなかった。
どうみても迷惑をかけているのはハルヒの方なのに、
謝ったのは朝比奈(長門)さんであった。
朝比奈さん(長門)がハルヒに向かってごめんなさいと言ったのだ。
「なんでみくるちゃんに謝られなきゃいけないのよ……
別にあたしはなにも気にしてなんか無いんだから」
「先日のわたしの不用意な発言があなたの自尊心を傷つけたのならここに謝罪する」
「とにかくみくるちゃんは関係ないんだから……」

ハルヒは何も言わずに体を回転させ、ベッドに横向きに寝転がった。
ハルヒはそれ以降声をかけても何の反応も示さなかった。

朝比奈さん(長門)と俺(朝比奈さん)と3人で部室に戻り詳しく話を聞くことにした。
すると朝比奈さん(長門)の口から意外な事実が告げられた。
「涼宮ハルヒは今日の朝から何も食べ物を口にしていない」
「え……!?」
「その前の日も、口にしたのは朝に食べたリンゴ一かけら程度」
朝比奈さん(長門)はどうやらハルヒの毎日の食事まで観測しているらしい。
「わたしは涼宮ハルヒがなぜこのような自虐行動をとるのか原因がわからなかった。
しかし、朝比奈みくるの潜在意識の中からはこれに対する答えが導き出されてきた。
彼女は朝比奈みくるの発言を受けて以来、
自己の体重を減らすことを念頭に置いてそのような行動をとっているらしいということを認識するに至った」
そうだったのか……。
体重を減らす、つまり……

ハルヒはダイエットをしていたのだ。

ハルヒにとっての秋は大食いの秋でもスポーツの秋でも月見の秋でもない。
ダイエットの秋だった。あんまり聞かないが。
あのハルヒがなぜダイエットなんかしなくてはならないんだ?
何のために? 誰のために?
しかもその方法がリンゴ一口しか食べないなんてふざけるにもほどがある。
素人にもわかる明らかに危険な減量法だ。

「しかしわからない。なぜ彼女はあのような行動にでるのか」
「長門、お前はこのことをずっと知っていたのか。
なんですぐに教えてくれなかったんだ?
そうすれば閉鎖空間があんなに発生する前に止めることが出来たかもしれないじゃないか」
「そのことが閉鎖空間の発生と結びつかない。
なぜ食事を取らないと閉鎖空間が発生する?」
この宇宙人製の人間型端末は人間のストレスの仕組みを全然理解して無いらしい。

「長門、朝比奈さんの中でハルヒがダイエットするきっかけになったと推測するセリフって再現はできるか?」
朝比奈さん(長門)はじっと俺(朝比奈さん)の方を見つめていた。
話してもいいのかと聞いているようであった。
「お、お願いします。わたしにもなんであそこで謝らなければいけなかったのかわからないので聞かせてください」

「そう。了解した。
ただし推測される発言が幾多にも跨っている可能性があるので前後の会話と併せて聞かせる。

……朝比奈みくると涼宮ハルヒが川原を散歩しているときのことだった。
並木通りのベンチに腰掛けた二人はしばらく何も話はしていなかった。
突然暇ねえと小さくつぶやいた涼宮ハルヒが急に後ろに回り込み朝比奈みくるの胸を揉みしだいてきた。
朝比奈みくるは必死に抵抗するも涼宮ハルヒの力には叶わずたちまち両胸は涼宮ハルヒの手に落ちた。
周りの通行人に聞こえるような大きな声で涼宮ハルヒが質問した。
あ~ら、みくるちゃんまた胸が大きくなったんじゃない? このこの。
涼宮ハルヒの問いに朝比奈みくるは顔を赤く染めるだけで何も答えない。
ただ揉んでいるだけの行動に飽きたのか涼宮ハルヒは指で乳首の」
「ちょ! あ、あああの~!……そ、その辺の描写は余り細かくしないでくれませんか?」
俺(朝比奈さん)が泣きそうになりながら朝比奈さん(長門)の腕にしがみついていた。
朝比奈さん(長門)は淡々と文章を読むがごとく平坦な口調で語っていた。
俺としてはもうちょっと臨場感溢れる演技を期待したいところだ。

「そう。了解した。
胸をひとしきりもみ終えた涼宮ハルヒは朝比奈みくるに質問した。
こんなに胸を大きくして地球をどうするつもり?
朝比奈みくるは答えた。
す、好きで大きくなったわけじゃありませんよう。
涼宮ハルヒはさらに質問した。
今ブラジャーのサイズって何カップくらいあるわけ?
朝比奈みくるは答えた」
「答えちゃだめーー!! フツーにだめー!!」
フツーに!??
俺(朝比奈さん)が必死に朝比奈さん(長門)の口を押さえた。
俺(朝比奈さん)はこっちの視線を感じたのか、その顔がどんどん赤く染まっていく。
でもまだどの部分がハルヒの機嫌を悪くしたのかがわからない。
ここで止めるわけにはいかないのだ。
今わかったことは朝比奈さんの胸がいまだに成長期であることだけだ。
続けてください長門先生。
これ以上続けるのを嫌がる俺(朝比奈さん)を必死になだめ、
朝比奈さん(長門)にはいつでもストップをかけられるようにゆっくりしゃべってもらうことにした。

「そう。了解した。
涼宮ハルヒはさらに質問した。
みくるちゃんの前世って知ってる? ンモーって鳴いてた動物よ。
朝比奈みくるは答えた。
牛じゃないですよぅ。いじわるしないでください~。
涼宮ハルヒはさらに質問した。
そういえばみくるちゃんの背ってわたしよりちょっと低いくらいだよね?
朝比奈みくるは答えた。
あ、たぶんそうかもです。
涼宮ハルヒはさらに質問した。
ちなみに体重って今何キロあるの?みくるちゃん。
朝比奈みくるは答えた。
え、わたしの体重ですか? 最近2キロも重くなっちゃたんですが、よんじゅ……」
「わわっわっわあわああ!ストップです! もういいです! わかりました! わかりましたからあ!」
俺(朝比奈さん)が目に大粒の涙を浮かべながら朝比奈さん(長門)の口を止めた。

誘導尋問というやつか。
ハルヒは最初に相手の嫌がる質問からだんだんと聞きやすい質問へと絶妙なタイミングで相手を誘導し、
朝比奈さんの体重を聞きだしていた。
もうこれでわかった。
誰の目にも明らかであろう。

ハルヒは朝比奈さんの体重を聞いて愕然としたのだ。
で、40何キロだったんだ?

「朝比奈さんはつまりこの部分がハルヒの不機嫌の原因になったと考えてたわけか」
おそらく最近2キロ増えたというその体重よりハルヒの体重が重かったのだ。
「そういえば確かにこんなやり取りでした。
あのとき涼宮さんの表情が一瞬曇ったような気がしたんです。
2キロも、という発言はいらなかったかもしれないって気づいたんですが、
その後の涼宮さんの態度はいたって普通だったのですっかり忘れてしまいました」

このハルヒの行動からはもう一つのことが考えられる。
それはハルヒが朝比奈さんとの入れ替えを願ったということだ。
ハルヒには常識的な部分と非常識的な部分が混在すると古泉は言っていた。
ハルヒは自分が朝比奈さんになりたいと心のどこかで願ったとしても、
そんなことが出来るわけがないともう一人のハルヒに否定されるのだ。
そんな矛盾がどこかで願いに捻りを起こし、
今回の俺たちの入れ替え騒動に繋がったのではないか。
ハルヒに直接聞くわけにはいかないので、あくまでこれは推測の域を出ないのではあるが。

「朝比奈さん……でもこれちっともいつもどおりじゃないですよ。
昼休みに聞いたときはこの日何事もなかったように言ってましたけど」
「え、でもでも……涼宮さんはわたしと二人きりになるとよくこういうことをしてくるんです。
ただこのときは体重を聞かれてたんですね。そこがいつもと違うなんて気づかなかったです」
俺は心に決めていた。
次にもし中身が入れ替わることがあって自由に相手を選ぶことが出来るならハルヒになろう。
その前にこの鼻血を止めなくてはならないな。

俺は一人でハルヒのいる保健室へと向かった。
今いるSOS団の団員を代表して団長に直訴するためだ。
ハルヒはベッドに寝っ転がったままではあったが、
眠ってはいなかったようだ。
不機嫌そうに天井を見つめている。
「ダイエットでもしてたのですか?
どうやらまともに食事も取っていないように見えるのですが」
「……そうよ。わるい?」
「なんでこんな無茶なことをしようなんて考えたんですか?」
ハルヒは寝たままムスっとした表情で憮然と答えた。
「知ってた? みくるちゃんってあたしより4キロも軽いのよ」
えええ!? ハルヒより4キロも軽いのか! ちょっと前は6キロも軽かったのか!
ってあぶねえ。
思わず口を割りそうになった言葉をごくりと飲み込んだ。
あとはハルヒの体重を聞けば朝比奈さんの体重がわかってしまうな。
そんなもの聞く勇気は俺には無いが。
「朝比奈さんは涼宮さんよりも背が低いですから」
「でもあんなに巨乳なのに……それで4キロよ? しかもあんなに可愛い顔してるのに!」
顔は体重に関係ないだろ。
それだからこそお前が勝手にSOS団のマスコットに選んだんだろうに。
可愛いからって拉致ってきたのに今度は可愛いからって嫌いになるとか意味がわからないぞ。
やっぱりお前朝比奈さんに嫉妬しているのか?
「みくるちゃんは嫌いじゃないわよ。むしろ好きなくらい。
ただ……キョンが……」
俺? どうしてここで俺が関係あるんだよ。
そこでハルヒはまた黙ってしまった。

ハルヒは別にスタイルは悪くない。
むしろかなりいいほうだ。
かなり力はあるくせに意外なほど筋肉はついてないし、
背も高くはないし女子の中では体重は平均からやや軽い方だと思われる。
もしこの状態からいきなり4キロもの減量をしたら体調を崩すのは当たり前だ。
とにかくこいつのダイエットと世界が均等な価値であるはずがない。
頼むからやめてくれ。

「涼宮さん……彼も僕と同じことを願っています。
みんなすごくあなたのことを心配しているのです。
どうか無理に体調を崩すような真似はしないでください。
あなたは我がSOS団の団長なんですからね」
この瞬間頭に浮かんだセリフを言うべきかどうか、
俺は悩んでいた。
このままではハルヒを説得できるとは限らない。
もう一押しが必要なんだ。
言うぞ! 言え! 言え! 言っちまえ!

「それに……涼宮さんはそのままでとっても可愛いですよ
さっき持ち上げたときもビックリするくらい軽くて驚きました。
むしろこれ以上やせてしまわない方がずっと素敵です」
うおぉぉぉぉぉ!
やめろおぉぉぉぉぉ!
しゃべった口ががムズ痒くなるようなセリフだ。
歯が浮くとはこのことだ。
もし目の前にどこでもドアがあったら今すぐオホーツク海に飛び込んでカニに体を切り刻んでもらいたい。
この体が古泉の体でなかったら絶対に言えないだろう。
もしこんなことを俺が言ったら次の瞬間にはハルヒの強烈な右フックをお見舞いされる。
古泉ならこんなことをいうこともあるだろうというSOS団の共通認識がこんなセリフを可能にした。
長門に元に戻してもらう際に記憶の消去をお願いできないだろうか。

「ちょ、ちょっとぉ、どこからそんなセリフが出てくるわけ?
もうわかったわよ……恥ずかしいから変なこというのはやめて」
さすがのハルヒも顔を赤くしていた。
俺は自分がどんな顔をしていたのかわからなかったが、
きっと古泉(俺)のハンサムなニヤケ顔も真っ赤だったに違いない。
「でも……キョンもやめてほしいって思ってるのは本当?」
「ええ、本当ですとも。涼宮さんが体調を崩したのを見てとっても慌てていましたよ。
まるで我を忘れてしまったかのように焦っていました」
嘘ではない。
だからこそこうして目の前でお前を説得しているのだからな。
「そうね。もうこんな無茶なダイエットはしないわ。
あ~あ、悔しいけどスタイルではみくるちゃんには勝てないみたい。
それにいきなりあんな巨乳になるなんてできないしね……ところで」
ハルヒは急に顔を赤くしてこっちを睨み付けた。
「キョンにはこの話絶対にしないでよ!」
うん、それ無理。
なぜそこにこだわるのかはしらんがとにかくよかった。
ハルヒはもう無茶なダイエットをやめると言ってくれた。
本当にやめるかどうかは知らないが、ここはこいつの言うことを信じてやらないといけないだろう。
「でもこのままじゃなんか物足りないわ。
ねえ、もっと何か食べるものないの?」
いきなりだな。おい。

帰り道で偶然一緒になった鶴屋さんを誘って全員で駅前のお好み焼き屋に行った。
ハルヒの命令で俺(朝比奈さん)のおごりになったのは言うまでも無い。
後でこっそり長門(古泉)からもらった三千円を渡しておいたので正確にはおごりではないが、
ハルヒと朝比奈さん(長門)が物凄い勢いで追加注文するので会計はあっという間に三千円を軽々とオーバーしていた。

ちょうど食い終わってお店を出たところに長門(古泉)がいた。
俺たちが食い終わるのを待っていたのだろうか。
「あら、有希。今日は病気で休んでたみたいだけど大丈夫?
外から見かけてたのなら入ればよかったのに。キョンのおごりが増えたのにさ」
ハルヒはいじわるそうに笑うと長門(古泉)に手を振ってそのまま走って帰っていった。
走るのは食後の運動のつもりだろうかね。まったく。

長門(古泉)が話があるようなので俺たちは近くの公園へ行き、
近くの自販機で缶コーヒーを買ってから適当なベンチで腰掛けた。
座った瞬間長門(古泉)がふーっと息を吐きコーヒーを一口飲んだ。
「疲れたので今日はいつものしゃべり方で失礼しますね。
さきほどようやく涼宮さんの精神状態が安定してきました。
昼間はあっちで閉鎖空間を潰したと思ったら次はこっちでといった感じでして、
今日は一日中閉鎖空間の中でした」
おかげでこっちも大変だったんだ。愚痴はお互い様だぜ。
そして俺は今日あったことを長門(古泉)に説明した。
長くなりそうだったので朝比奈さん(長門)の乳揉み話は全て省略した。

「涼宮さんが体を壊すほどのダイエットをしていたと……なるほどね、ふふふ……」
「何がおかしい」
「失礼しました。彼女にそんな女の子らしい一面があるとは思いもよりませんでしたから。
以前ならダイエットなんて考えられないようなことです。
彼女は他人の目を気にするとかそういうことに関しては特に無頓着でしたからね。
これも女性としてきちんと成長してきた証として見てあげるべきでしょうね」
世の中の女性がみんなこんな無茶なダイエットを経験してるわけじゃないだろう。
「いえいえ、結構よくある話なんですよ。
ダイエットは女性なら誰でも一度は通る道です。
あの朝比奈さんだって2キロ増えたことを気にしてたみたいじゃないですか。
女性はみんな少なからずそのような意識を持っていると思うべきですよ」
古泉が得意げに女を語っていた。
まあ、だからこそあんなにモテるんだろうけどな。

「思えば涼宮さんからそれを伺わせるシグナルはいろいろと出ていたのです。
それに気づかなかった僕たちにも責任はあるでしょう。
そしてそれはこれからの僕たちの研究課題です」
僕たちの『たち』の部分には俺は入らないからな。絶対。
「大食い大会も朝比奈さんを太らせたいと願っていたのでしょうかね。
全く動じない朝比奈さんを見て逆に腹を立てていたとは。
それに自分はかなりの空腹状態にも関わらず、
みんながカレーを思いっきり食べているのをただ見ているだけというのはさぞかし辛かったでしょうね。
僕は涼宮さんの心理状態はかなり読めているつもりでしたがまだまだでしたね」

長門(古泉)に明日のお月見パーティーのことを告げると、
そのことを知っていたのか、あるいはなにやら思いついたのか、
こちらの提案を断り自分ひとりでやりたいことがあると言ってきた。
裸芸でもなんでもいい。とにかくハルヒの機嫌を損ねないもので頼むと言ったら、
任せてくださいと自信満々であった。

それから俺は今日泊まる部屋の鍵をもらい、長門(古泉)とその場で別れた。
その夜は体が入れ替わって以来、最も落ち着いた夜であった。
そうさ、明日はお月見じゃないか。
明日くらいは古泉の姿も思いっきり楽しもう。
窓から夜空を見上げるとほぼ満月に近い丸い形の月がこうこうと街を照らしながら光っていた。
月は何も飾りつけをしていないのに、ただそこにあるだけで十分美しかった。


──4章へつづく──