「ラブストーリーの映画を見に行くのも良いですねぇー。」

 

朝、目が覚めて、もしかしたら、昨日の事は夢だったかもしれない、なんて、それ事態が夢物語だと気付かずに願いを込めるのは幾度目だろう。
古泉に騙され、ハルヒと、仮ながらも恋人という関係になり、ほとほと疲れる体験ばかりだった。
あの後、放課後になれば、おんぶしてー、なんて言いながら足をぶらりと宙に浮かせて首に纏わり付いて来て、部室までの護送を任命され体の節々が痛い。
この場合、自分の体力の無さを悲痛さに嘆くもが妥当なのだが、そんなことの為に鍛える体は残念ながら持ち合わせてなどいない。
降りろと抗議の声も所詮は無駄なカロリーを消費するだけで結局、兄妹仲良くしている図と捕らえられる様に駆け足でハルヒを連れて行くことだけが俺の精一杯だった。
それだけでも大層精神面でも、身体面でも辛いものを感じると言うのに、不思議・不可解なことがあればSOS団にご一報をー、などど選挙カーの如く叫び散らすので汗よりも涙を流したい気分に浸ってしまった。
おまけに知人などに会えば、その演説部分に、キョンと恋愛関係になりました、なんて言わなくても良い追伸を付け足してしまう有様。
どうせ俺の言葉なんて何の意味も持たないので表情だけで否定する。それが相手に伝わっていれば幸いなのだが。

 

「ふたりでぇー、ソフトクリームを食べながらショッピングも捨て難いですよねぇー。」

 

幸いと言えば、その日、古泉は解るとしても朝比奈さんと長門まで部室に姿を現せなかった。
朝比奈さんは昼の出来事を引き摺っているとも考えられるが、長門までいないのは代打に投手を出すぐらい意外なことだ。
それぞれ姿を見せないのにも理由があるだろうし、咎める必要性も無い。
で、この3人が部室にいなくて何が幸いかと言うと、何よ誰もいないじゃない、詰まんない、というハルヒの台詞があってこそ。
普段、3人がいない時と言っていることは同じだと思われるが、言葉に含ませた意味合いが聞いた本人、即ち俺が違うと言うのだから違うのだ。
何というか、見せびらかせてやろうと思ったのに、という含みがあるとしか思えなかったのだ。

 

「手を繋いだり、腕を組んだりするのは乙女の夢ですよねぇー。」

 

で、どうやらその解釈は意を得ていたようで、2人きりの部室で、それはそれは筆舌し難い体験を齢17にして成し遂げたわけである。
それでも震える唇を噛み締めながらそれを言葉にするなら、お手て繋いだり、睨めっこしたり、頬を突付きあったり、オセロの罰ゲームでおでこにキスしたり、等々。
幼稚なのも認めるし、馬鹿げていることをしているのも認める。大体、俺のキャラじゃない。

 

そんな文字通り下らないことをしていても時間は過ぎて行くもので、目線を外にやれば夕日が沈みかけ、辺りは紅一色に染まっていた。

 

「あ、だったらこのお店も外せないなぁ。」

 

鉄球を繋げた鎖に結ばれたかの如く重い体に鞭打ちながら、ようやく自室のベッドに倒れ込んだ時には19時を周っていた。
あれからハルヒを家までわざわざ送り、そこから更に帰宅すればこんな時間になるのも頷ける。
そして、タイミングを計っていたかの如く携帯が鳴り出し、ディスプレイを覘いて見れば、憎たらしいアイツという存在を表す言葉が並ぶ。
開口一番、鐘の音は最高だったか?と嫌味たっぷりに聞いてみれば、それはもう、なんて負けじと嫌味を返して来る。
すらすらと述べられる言い訳に、良くそこまで悪びれた様子も無く言えるものだと、感心した。
あのまま真実を述べても、あなたは否定的態度を取っていたはずです、あれが最良の手だったとしか言えません、なんて自分の正当性だけを述べてさっさと電話を切る始末。
確かに、古泉の嘘がなければ閉鎖空間が生まれることになっていたかもしれないが、この結果も良しとするわけがない。大体それなら古泉よ、逃げるなよ。
なんて至極当然な言葉も既に誰に伝えたら良いのか解らないまま、飯を喰い、風呂に入って、さっさと寝た。

 

「あ、でもでも、このお店も良いなぁー。」

 

で、朝。迎えたくないのに朝は来る。
妹の圧迫する起床方法を何とか別の方法にさせられないものかと試行錯誤するが、結局何時もの朝通り、思い付かない。
俺が早く起きればそれで全て万事解決なのだが、出来ることが出来ていれば、人間なにに困るというのやら。
顔を洗い、歯を磨き、朝食を採り、妹と一緒に家を出て、途中まで場所は違えど学び舎に足を運ぶ。何時も通り過ぎて退屈なほどだ。
しかし、驚く事に妹と別れると決めていた場所にはハルヒが立っており、遅い、罰金、などとのた打ち回っており、約束した覚えのないものにどう対処しろと言うのか、理解できないし、対処したところで俺がエスパーだと騒ぎ立てるのは

 

目に見えている。どちらにせよ、宜しくない。
ハルにゃん、キョン君、じゃあねぇー、なんて笑顔で挨拶する妹に、こちらも負けじと笑顔で掌を振るハルヒ。俺にはがっくりと首を落とした体勢で手を振ることしかできない。

 

「あ、一緒にお弁当食べるのも素敵ですよねぇ。」

 

何故ここにお前がいる、なんて無粋なことを言うつもりはないが、やってられないことに変わりない。
そんな俺の心情など知ったことかと、一蹴するようにがっしりと手を握られ、さぁ、とっとと行くわよ、なんて妹に向けた笑顔をそのままに歩を進める。
失って初めて解るその大切さ、というやつで、何時も通りの退屈がこれほど恋しいと思うことは後にも先にも、これっきりなのではないか。
他人の好奇の視線を掻い潜りながらやっとこさ教室に到着すれば、友人等の質問責め。それには、俺の頭の中の引き出しを存分に使い、出来うる限りの言い訳をして納得させた。
嘘付け、なんて言葉が聞こえるが納得してもらったということにしておかなければ、人生やっていけないものである。

 

「でもでも、好きな人と一緒なら何をしても素敵に思えちゃうんですよねぇー。」

 

けれども、本人が人生やってられないと思っても人生は止まらないもので、普段なら欠伸を噛み殺しながら、早く終われ、と願う授業も幾ら、もっと長引け、と願えども何時かは終わりを迎えるもので
気付けば、昼食時間と相成り、何時ぞやにハルヒが寝転がっていた木の下で仲睦ましく弁当タイムとなった。
俺は変わらず母親が作った弁当だったが、ハルヒは自作の弁当を、じゃーん、と言いながら天高くそれを翳す。
早起きして作ったのよねぇ、などとほくそ笑みながら見せ付ける弁当の中身はそれはもう豪華であった。
それにしても至極残念なのはそれを映像としてお見せできない点だ。

 

いやはや、真に遺憾ながらこの部分の記憶がどうも欠落しており、どうにもこうにも記憶が甦らない。
恐怖体験による記憶障害と解釈してもらっても一向に構わない。最悪、病気ととらえられても口は挟むまい。
なので、俺の脳みその片隅で広げられる同時にあーんなどしている映像は虚像であり、しがない妄想の産物なので気に留める必要性は皆無だ。

 

「初デートですもんねぇー、あー、もう、迷う!」

 

出来ればこの目の前で繰り広げられている事柄も、俺の病による幻覚だと思いたい。
興奮しっぱなしの朝比奈さん、こんな姿を見ることになろうとはなぁ。

 

取り留めて授業中のハルヒはこれと言って変わりは無い。
よもや学園生活で一番の苦行が、今は安らかなる時間を得れる唯一の時間になるとは予想を凌駕している。
しかし午後の授業から何を思ったのか、メールしましょ、なんて勉学の放棄を促してきたのだ。まぁ、ほとんど放棄していると思われても仕方ない毎日を送っていたが。
ハルヒ曰く、恋人っぽいでしょ!なんて自慢気に言うが、恋人なら席が前後しているという特権を利用しないわけがなく、そこでこそこそと内緒話をするのが当然なのではないかと思ったが、口にはしない。
実行されたら堪ったものではない。
黒板にすらすらとスワヒリ語に負けないほど理解できない字を並べ、口から発せられる言葉も、本当に現代の言葉か、と疑うほど理解し辛い言語を吐き出す教師に見つからないように携帯を弄る。
普段何気に話す内容をそのままメールにしただけの遣り取り。必要あんのか、これ。

 

教師が教室を流す様に見る度に、ビクッと怯えながら、そろそろ止めにしないかと懇願するも、他に恋人同士ですることって何?なんて俺の意見を闇に葬る返事が返ってくるのは火には水を掛けるが如く、当然の理なのだろう。

 

知るか、と一言だけ送り返し、ほとほと疲れた俺はそのまま机に突っ伏して、1人の世界へと入り込む。
が、程なくしてぺちぺちと頬を叩かれる感触に目を開けるとそこには大方の予想通りハルヒが俺を文字通り叩き起こし、腕をぐいっと引っ張られる。
もう放課後なのか、と時間の概念に驚かされながらも慣れた手つきで鞄を取り、後は成すがまま。
昨日に引き続いておんぶという状態にならなかったのには安堵したが、どちらにせよ、また良からぬ出来事が待ち受けているのは経験上、これもまた当然なのである。

 

「手伝ってもらえば良いのよ!」

 

何をだよ、なんて呟く様に言ってみるがハルヒにはそれが聴こえたらしく、恋人同士ですることよ!なんて威勢良く答えてくれる。
ああ、さっきのメールの続きか、と気付いてみるも、それを手伝って貰う相手が該当しない。
大体何を持って手伝うと言うのか、その理論がまず理解できないのでは仕方もないことである。

 

「こういうのはやっぱり、年配者に手伝ってもらうのが一番よ!」

 

まさか、と思ったがもはやそれが予想なんてものじゃなく、大当たりー、と言いながら福引きで金の玉を出した俺に満面の笑みで鐘を鳴らす町内会のおじさんの姿が脳裏に浮かぶ様に、結果は出ているのだ。

 

「みくるちゃん、もう来てるかなぁー?」

 

とりあえず、言っておこう。年配者は流石に酷すぎる。

 

見慣れた扉のドアノブに、先頭を買って出ていたハルヒではなく俺が手を掛ける。お前が開けろよ、この怠け者が、なんて事を言うだけ扉ではなく無駄な時間が幕を開けるのでぐっと堪えてドアノブを捻る。

しかし、そこで体が覚えている普段の感覚とは違う、違和感があると訴えてくる。
不可思議に思いながら何度かドアノブを捻るが、ガチャリ、と鳴るはずの扉が今は、ガチャガチャ、と鳴るだけで、違和感の正体はこれか、と妙に納得してしまう。

 

「すいませぇーん、着替え中ですぅー。」

 

奏でられる音で誰かが扉を開けようとしているのに気付いたのであろう。朝比奈さんが、少し慌てた口調で、鍵を掛けた馴れ初めを扉越しに優しく包み込むように投げ掛けてくれる。
やっと鍵を掛けてくれたか、と安堵感もあれば、もう事故は起きない訳か、と残念がる気持ちもある。
健全な青少年であるが故だ、咎め立てられる理由もあるまい。

 

「ちょっとキョン、どいて。」

 

今の朝比奈さんの台詞が俺に届いていたのならこいつに届かない訳が無い。

 

何をするのかは知らないが、言われるがままに扉の前から右に数歩移動する。
扉をどんどん、と叩き、早く開けなさいー、なんて言うつもりだろうか。少しの時間も無駄に出来ないとでも言うつもりかね、このお方は。
なんて思ったがもはやそれは予想なんでものじゃなく、あちゃー、残念、ハズレだよ、と言いながら福引きで白玉を出した俺に苦笑を浮かべポケットティッシュを渡す町内会のおじさんの姿が脳裏に浮かぶ様に、ハルヒはそんな解り切ったことをしないのである、と痛感した。

 

「よいしょっ!!と。」

 

どかん!と言わんばかりに扉に蹴りを放ち、何食わぬ顔で部室内へと侵入し闊歩しているハルヒの生き方が、よもや羨ましいと思うことが来るなんてな。
ぎしぎし、と鳴る扉に破損部分が無いことにも驚愕し、失礼しました、と顔を上げずに交信を遮断させる。
遮断させる直前、ほんの僅かな隙間から、みくるちゃん、お茶ー、なんて台詞が聞こえてくる辺り事の重大性に気付いていないハルヒの、恋愛事云々よりも男女としての暗黙の了解を教え込む必要が早急にあると俺は感じた。

 

「はい、どうぞ。」

 

頬を朱に染めて申し訳なさそうに湯呑みをことり、と静かに置いてくれる。
いやはや、朝比奈さんが申し訳なさそうにするのは居た堪れない、かと言って俺が申し訳なさそうにするのはお門違いと言えばそう言える。

 

「みくるちゃーん、おかわりぃ!」

 

ぷはーっ、と一気飲みをしでかした元気ハツラツのその女にこそ、この気持ちは持ち続けるべきであるはずだ。
そんな俺の目線には気付けど、内心までは理解できぬようで、にひひ、と笑いながら極上の笑顔を見せつける。
それに釣られてしまったのか、俺も溜め息をつきながら苦笑と言えど、口元が少し緩んでいた。

 

「で、みくるちゃんに聞きたいことがあるのよ。」

 

さてはて、朝比奈さんに手伝ってもらうとは、どの様にしてもらうことで『手伝う』ということになるのかねぇ。
正直な所、現ハルヒのポジションから朝比奈さんに入れ替わるなんてことがあるかもしれないという砂粒ほどの可能性が存在するのだから少し楽しみにしても良いはずだ、それぐらいの権利は欲しいものだ。
しかし、この心情を悟られるのは聊か不穏である。表情が物語ることが多い俺としては特に。

 

それを誤魔化すように非現実的な存在でありながら日常を描き続けるかの如く、飽きもせず本を眺める長門に、何読んでるんだ、なんてハルヒの話に無関心を装い、興味がないわけではないので聞いてみる。
ほんの少し本を上に持ち上げ、タイトルを見やすい位置へと運んでくれた長門に感謝しながら目を凝らしてそれを見れば『我、関セズ』などと書いてあり、まさか、現状に対する長門の訴えではないだろうな、という疑問の目を向けるが、
それに答えるつもりどころか俺の目を見ることもないまま本を元の位置に戻す。
不在の超能力者と言い、この宇宙人と言い、最近俺に任せっきりではなかろうか。まぁ、俺もそちらに任せっぱなしの面はあったが。
だとするならば、やはりここは未来人に期待するしかあるまい。

 

「なんですかぁ?」

 

差し出された湯呑みに急須でお茶を注ぎながら、心持ち首を傾げて朝比奈さんは問う。
やはりメイド姿でのご奉仕姿は見栄えが良いものだ。

 

「恋人同士ですることって何かある?」

 

ずずず、と茶を啜りながらそんなことを言うハルヒに、そりゃあ、色々あると思いますけどぉ、と遠慮がちに話し、それほど特殊とも言えない質問だったがハルヒの口からそんな単語が出てくるとは思ってもいなかったのだろう、瞬きの回数が少し増えている。

 

「突然どうしたんですか?」

 

至極真っ当な質問である。
しかして、俺にとってはとても触れられたくない心の傷でもあるからして、出来ればそこは淡々と適当に答えて欲しい場面であった。

 

「キョンとあたし、付き合ってるの。」

 

「俺はただのお手伝いだ。」

 

誤解を招くのも程ほどにしてもらいたい。
結局の所、こうやって自分で自分をフォローするのが精一杯なのだが、不甲斐ない一般人には上等なもんだ。

 

「わぁー、それはおめでとうございます!」

 

だが残念なことに一般人のフォローは所詮一般人にしか通じないものであり、未来人である朝比奈さんは俺の言葉の意味を探ることなく、素直に喜んでいる。
そのまま鵜呑みにされて、ほいほいとこの話を広められては阿鼻叫喚するのは目に見えている。というか既にそうなっている。
違うんですよ、朝比奈さん、なんてキリッと凛々しい面持ちで語りかける。俺だって男の顔ぐらいできる。

 

「そういうことならお任せ下さい。」

 

余程似合わない事だったのか、それとも存在を忘れられているのか。
目をキラキラと輝かせながら自分の鞄を漁り始め、俺の言葉には何の興味も惹かれていないご様子。
よもや朝比奈さんから無視されるとは思ってもいなかったので、この凛々しい面はもはや無用の長物。茶と一緒に消し去ってやる。

 

「恋人同士ならやっぱりデートですよねぇ!」

 

じゃーん、と本来なら擬音に例えられるその単語を口にしながら取り出したるは可愛らしいうさぎのキャラクターが描かれたいかにも女の子が持ちそうな手帳。
朝比奈みくるという人物のありとあらゆる秘密がそこに込められているのだろう。
ただ、個人的意見とすれば、『閲覧禁止』などの言葉が一番しっくり来ると思うので『禁則事項』と書かれたシールを貼るのは如何なものか。

 

「ほらほら、見て下さい。このお店とかすっごい雰囲気良いんですよぉー。」

 

嬉々として話す朝比奈さんはどこか幼かった。
まさか、実年齢を教えてくれないのは、自分達よりも年下だからじゃないだろうか。強ち、馬鹿にできたものじゃない。
そんな乙女が見せ付ける手帳に目をやり、悪くないわね、と感心がないように言い放つが朝比奈さんほどではないにしろ、その目は輝きに満ちている。
朝比奈さんにしろハルヒにしろ、女の子はやっぱり女の子なのだろう。

 

「ここのお店なんか、こういうの売ってるんですよー。」

 

「あ、これ可愛い!」

 

雑誌の切り抜きや写真でも貼ってあるのだろうか、わいわいとどこぞの店の情報で盛り上がる2人に取り残された俺は、ちょっと興味を惹かれることもありその手帳の中を覘こうとして席を立つ。
が、お金持ちでやらしい性格のクラスメイトが、お前はダーメ!みたいに拒否するが如く、2人から男は来るな、などと言われてしまってはどうしようもない。
渋々、席に座り直し、なんだかなぁー、とぼやきながら横目で2人の和気藹々と話す姿を見るしかなかった。
それにしても、やはり朝比奈さんの盛り上がり方は尋常ではない。
普段大人しいイメージを振り撒いているが、どうやら『恋愛』などのジャンルには鼻息荒く反応するらしい。
冒頭部分にある台詞を、止め処なく、正にマシンガンの如くぺらぺらと述べているのだから。
ま、それもまた女の子たる由縁の1つだろう。

 

「これはまた、盛り上がってますねぇ。」

 

正直、驚かされた。
いや、突然扉が開いたからとかじゃなく、その人物が現れることが。
勿論その人物がここに現れるのは驚くべきことではないのだが、言うならば良くもまぁ俺の前にその姿を現せたものだ、というところだ。
部室内にいる全員に軽く挨拶を交わし、俺の鋭利な刃物のような視線を物ともせずに、極々自然にオセロを取り出し俺の前へと広げる。
どこかで聞いていたとしか思えないほどハルヒと朝比奈さんの盛り上がるステージには一切触れずに。
どうせ俺自身忘れられた存在であり、長門の様に読書に耽るつもりも無く、ただ暇を玩ぶしかなかったのでその誘いを断る理由もあるわけがなく、白の駒を卓上に乗せる。

 

「しかし、まぁ、昨日の今日で良くその姿を現せたものだな。」

 

「これ以上、部室に姿を現さないわけにもいかないでしょう。」

 

パチリ、と黒の駒を並べて、どうぞ、とこちらに先攻を譲る。
正直な所、回転を加えたパンチをそのニヤけた顔にぶち込みたい気持ちがあったが、ここでそれをすれば言い訳に一苦労だ。

 

ここはその気持ちを抑えるしかない。

 

「昨日も言いましたが、あれが最良だったんですよ。」

 

苦笑しながら卓上に駒を置き、一枚一枚丁寧に裏返す。ハルヒは朝比奈さんとお喋りに夢中になっていてこっちの会話を聞いている様子もない。

 

「勿論、貴方には結局、負担の大きいものとなったことには謝罪します。」

 

でも、幸せとも思えますけど、なんて言葉を付け足すのは毎度毎度余計である。
素直に謝りさえすれば、許してやらんこともないと言うのに。

 

「ですので、一度だけですが、如何なる理由でも構いません、助けが欲しい時は言って下さい。友人として手助けします。」

 

それはハルヒ絡みでも無くても構わない、と言うことだろうか。
確かに、こいつの力を借りれれば、ハルヒ以外のこととなると大抵問題を解決してくれそうではある。なんせ裏には巨大な秘密結社がいるのだから。
この状況の負担と釣り合うかどうかは天秤に掛ける事柄事態が違うので解らないが、悪くない条件とも言える。

 

「解った、それで手を打とう。」

 

「有難う御座います。それではこれを。」

 

ポケットに右手を突っ込んだかと思えば、すっと俺の前へと突き出す。
掌の上には、シールのような紙切れが乗っており、真ん中にはデフォルメされた古泉の顔がプリントされていた。
なんだ、これ?と当然の疑問をぶつけながらそれを手に取る。
裏面には『古泉カード』と謎の単語が並んでいた。

 

「『古泉カード』です。一枚につき一回お助けしますよ。」

 

所詮天才と馬鹿の考えることは良く解らない。お前がどちらに該当するのかは知ったことではないが、後者に推薦しておこう。
大体何時もこんなの持ち歩いているのか?

 

「何事も形から、と言いますし、ま、お遊びですよ。」

 

形ねぇ、などと呟いてそれをズボンのポケットへと押し込む。
それならそれで別に良いだろう、しかしだ、お前の顔がプリントされているのが大層腹立たしい。
そこでふと思いついた、このカード一枚でお助けしてくれるのであれば、当然思い付く願いである。

 

「じゃあ、早速ハルヒとの関係―「無理です。」

 

どうせ拒否されるのは解っていたが、言葉を全て吐く前に遮断されては、押さえ込まれていた怒りがまたしても沸いてくる。
しかし、一度了承したからにはそれを前面に出すのも大人気ないので、オセロで存分にへこませる事で解消させるしかないだろう。

 

「ねぇねぇ、キョン!」

 

茶を啜りながら駒を置き、今の一手は致命的だな、などと内心で笑みを浮かべていたらハルヒから突然声を掛けられた。
なんだ、と目も向けずに挟んだ駒を裏返す作業に入ろうとしたが、僕がやりますので、と古泉が俺の手を遮り自分で敵の駒を量産させている。
まぁ、ハルヒとの会話に集中してくれ、そういうことだろう。

 

「明日は駅前の午前九時に集合ね!」

 

ハルヒの言う明日は土曜日、世間一般で言う休日である。いや、学生一般か?
毎週毎週の定例行事である不思議探索も数えるのも億劫になっている。それだけコイツ等と一緒に時間を共有しているかと思うと、それ事態が不思議だ。

 

さてはて、ここでそれに釘を刺すということは俺がそのことについて忘れているとでも思っているのだろうか。
俺と言う個人を舐めて貰っては困るし、何より財布の痛みを感じるこの行事をどうやったら忘れられるのか教えて欲しい。

 

「忘れるわけあるまい、恒例の探索だろ。」

 

ちっちっちっ、と舌打ちを三連続でしたかと思えば、人差し指を振って、違いますよ、と仕草で答える。
そんなハルヒの態度を尻目に、ちょっと飲み物買ってきますね、と全て駒を裏返し終えた古泉は席を立ち、姿を消す。
勝負に負けたのが悔しいのかね。

 

「違うのか?」

 

まさかあの探索行為に名前でも付けたのか、凡人には解りかねる発想だ。
これが俺の正直な意見なのだが、超能力者でも宇宙人でも未来人でも唯我独尊の超絶パワーを持った人間でもない唯の一般人の方からすれば、別段普通と思われるだろう。

 

「明日はデートよ!」

 

わぁー、とか言いながらぱちぱち拍手する朝比奈さん。
もう、なんだかね、世の中全部の事が理不尽に思えるよ。
当然、真っ当な人間の俺としては抗議の声を甲高く上げ、そんなもの受け入れるつもりは毛頭無い事を示す。

 

「なによ、キョンだって同意の上でしょ?」

 

意味が解らん、何時、誰が、何処で、何を同意したと言うのか。
アンタ、デートって聞いても否定してないじゃない、なんてきょとんとした顔で言われるが、そんなもの記憶の中では――――朝比奈さんの台詞ではあるが二度ある。
何で俺はその時に疑問に思わないかなー?馬鹿か、アホか、間抜けか。
自分を罵る言葉ばかり思い付くが、考えてみれば了承した覚えも無い、反撃するには十分な要素だ。

 

「我が団では沈黙は了承とします。」

 

ふっと不適に漏らすその笑みは正に勝ち誇った笑みである。
どうせそれも今思いついたんだろうよ、しかし、それでも反撃材料は残っている。

 

「じゃあ、探索は無しにするのか?」

 

ハルヒの事だ、そんなわけないでしょ!と言って目を吊り上げるに決まっている。
そこを一気に畳み掛ければ、デートは無し!何時も通り、探索するわよ!となるはず。ここが正念場だな。

 

「そんなわけないでしょ!」

 

思惑通り、目も程良く吊り上がっており申し分ない。
さぁ、正義を掲げる弁護士の様に勝訴をもぎ取るとしますか。

 

「日曜日にするから。」

 

その発想は無かったわ。
敗訴の文字を高々と掲げられては正に打つ手無し。早すぎる敗北だ。
おまけにサラリと言っているが俺にとって休日と呼べる日が皆無ではないか。

 

「みくるちゃんの言う通り、あれだけ探しても見つからないんだから、土曜に探索をしているのを勘付かれたかもしれないわよね!」

 

だからって日曜に見つかるわけなかろうが、馬鹿タレめ。
しかもこれを吹き込んだのは朝比奈さんと来たもんだ。
自分の事じゃなく他人の恋愛事にまで首を突っ込みたがるのは、これもまた乙女たる由縁か。

 

そうでもなければ、目を輝かせて、精一杯お手伝いします!なんて力強く答えるわけがない。

 

「明日が楽しみねー。」

 

「ですねぇー。」

 

二人して鼻唄交じりにまたしても手帳に目をやり明日のデートコースでも考えているのだろう。よもや敵が一人増えようとは。
ちょっとした期待を込めて長門の方へ目を遣るも何時交換したのか『諦め』なんてタイトルの本を眺めて助けてくれそうにもない。
もう諦めるしか道は無く、ただただ身を流すしかないのかと心で盛大な涙を流しながら、ポケットの中の異物を思い出す。

 

先ほど飲み物を買いに退室した青年は言った、『助ける』と。このカードが何よりの証拠だ。
関係を無しにするのが無理ならばこのイベントぐらい回避させるぐらいわけないだろう。
必死の思いで携帯電話を取り出し、古泉へコールしながら何気なく目線をオセロの卓上へと向けてみる、そこには黒と白の単調な世界が広がるのみ。
だが、単調な世界にでも伝えられることはある。
そう、それはハッキリと文字として読めるのだ、『バカ』と。

 

『こいずみさんはおやすみです。もりさんいわく なんやまたかいな 』

 

ピーと甲高い音色が、『古泉カード』なんて馬鹿げたものを信じてしまった俺の情けなさと、この件に関して人知の力を超えた者達が全員敵になっていることに十分気付かせ、今の台詞が留守番電話であったことを教えてくれる。
もはやこの関係が周知の事実となるのも時間の問題であり、甘んじて受け入れる受身の態勢でしかないこの状況の早急な打破が必要であり、日曜日には力一杯拳で古泉を殴ってやろうと心に誓った。
泣くまで殴り続けるだろう、俺は。

 
 

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最終更新:2007年09月26日 23:03