HOME…SWEET HOME 第2話
…━━━━「だあああっ!何で起こしてくれなかったのよっ!」半狂乱のハルヒがリビングと寝室をバタバタと行ったり来たりしながら喚いている。俺は食卓から、パンをくわえたまま「おはよう」と軽く手をあげた。ちなみにハルヒは『今日も』3台の目覚まし時計が鳴り終った後に、俺が十回程背中を揺すって起こした事を覚えてないらしい。「ボサッとしてないでアタシのぶんのパンも焼いてよ!あと、コーヒーもっ!熱いと飲むのに時間かかるからコーヒーには冷たい牛乳入れるのよっ?」「もう、やってる」「あーあ…時間がないわね…」礼くらい言え!と突っ込んでやりたくもならなくもないが、今のハルヒの大迫力な状態を考慮してやめておく。『さわらぬ妻になんとやら』ってヤツだ。やがて支度を終えたハルヒは、テーブルの上のコーヒーをグイッと飲み干してから口にパンをくわえると「いってきまふ」と言うや否や玄関から飛び出して行った。「慌てるなよ?運転、気を付けろよ?」と声をかけてみたものの…届いてないな、あれは。しかし、よくもまあ毎朝毎朝同じ行動パターンを繰り返せるもんだ…ある意味称賛に値するな。さて、俺もそろそろ出かけるか…━━━━… 【HOME…SWEET HOME】第2話「なんでもアタシに言わなきゃダメじゃないっ!」 ━1━ 会社へは自転車で十五分程、高校時代の通学に比べれば大した事の無い距離だ。とりわけ登り坂も無いし、健康の為と割りきれれば苦にもならない。しかし、最近の冷え込みは体に堪える。今朝も十分寒いが、これから年末に向けて更に寒くなるんだろうな。いっその事、車通勤に切り替えようか…と考えてみたりするのだが、実はそう出来ない理由を俺は二つ程抱えている。 1つ目は経済的な理由、とでも言っておこうか。さすがにこの原油価格高騰の時代にウチみたいな若夫婦が車2台を維持していくのはキツイ。2つ目は勤務先が車通勤厳禁、自転車通勤推奨である事。何故かって?簡単だ、自転車を売っている会社だからさ。この先の路地を曲がって、一番手前のビルの3階…「国内シェア3位のベルサイクルの子会社である中央ベル販売(株)」それが俺の職場だ。『会社の方針により社員に自転車通勤を強制するとんでもない会社』と覚えてくれても何も問題はないぞ。まあ、誰とは言わないが内緒で車で通ってる輩も居るから、1つ目の理由さえクリアすれば車通勤もなんとかなりそうな気もしないでもないが。 「よっ、キョン!おはようさん!」
ほら、内緒で車で通ってる張本人がタイミング良く登場だ。だが、今日は自転車の様だな… 「よう、谷口。お前、今日は車じゃないのか?」「いやぁ、今日は流石にマズイだろ!本社から新しい課長が来るんだぜ。前の課長みたいに気楽にやれるんなら構わんけどさ?暫くは規則を守りつつ出方を見なけりゃ、どれ程融通が効くが判らん」「…どうでも良いが谷口!お前、俺の事を新しい課長の前で『キョン』て呼ぶなよ?」「はあ?」「はあ?…じゃないっ!お前と同期でココに就職して以来、お前がキョンキョン言うもんだから誰も俺を苗字で呼んでくれないんだぜ?問題だぞ?これは!」「まあまあ、固い事言うなって!高校時代からの腐れ縁じゃないか」 高校時代から…そうだ、こいつとは何故か大学…それに大学時代のバイト先まで同じだったっけ。その先々でキョンキョン煩いもんだから、遂に俺は「キョン」という呼び名とこの歳になるまで付き合う羽目になっちまった。しかも俺の職場ときたら、総勢十余人のアットホーム感覚だけが取り柄の営業所だ。後輩から上司にまで「キョン先輩」だの「キョン君」だの…なあ谷口、貴様に罪の意識はあるのかっ? 「ん?どうしたキョン、ムスッとして」「…反省しろ。そして新しい課長の前で『キョン』と呼ばないと誓え」「わ、わかったよ!朝っぱらからアツくなるんじゃねぇってんだ、ったく…それよりほら、朝礼始まるぞ?さっさと上に行こうぜ?」 俺は「絶対言うなよ!」と念を押しながら、谷口と共に営業所のある3階へと向かった。 俺達が営業所の中に入ると、既にオフィスの中は妙な緊張感に満ち溢れていた。ちなみにこのオフィスには、俺の所属する営業二課の他に営業一課もちゃんと存在する訳だが、一課の連中は全員取引先に直行する為にこの時間にオフィスで朝礼をやるのは俺達だけだ。 つい先程までヘラヘラしていた谷口は雰囲気に感化されたらしく、神妙な面持ちで自分のデスク周りの整理を始める。そして、俺と谷口の前に席を得ている後輩二人に関してもそれは同じ様だ。まったく、本社から誰かが来るってだけで怖じけ付きやがって。でもまあ…良い機会だから、俺もデスクの上を片付けようか。別に本社の人間が来るからじゃないぞ?あくまでも仕事の効率を上げる為だ。カタログに受注票の綴り、在庫表のコピー…デスクの上に積んであったそれらを、引き出しの中に放り込もうとしたその時! 営業所の入り口のドアがガチャリと開いた! 俺の周りにいる同僚達の視線が、オフィスの入り口へと集中するのが雰囲気で判る…が、俺は敢えて引き出しの中を覗きこんだままで様子を伺ってみる。あまりジロジロと興味本意で視線を送るのは好きじゃない。だが、ドアの開いた音の次に聴こえてきた『カツカツ』というハイヒールが床を鳴らす音に、さすがの俺もつい顔を上げてしまった。そして…顔を挙げた瞬間… 俺は…固まった… そのハイヒールの音の主はウチの女房…ハルヒ………?いや?良く似てるが違う……? しかし、これは… そうだ、俺は最近疲れていたんだ!だから目の錯覚だって事もありうる…が…隣の谷口も『あれ?』という顔をしてるって事は、やはり… 困惑する俺と少しだけ驚いているであろう谷口をよそに、俺達の前の席の何も知らない後輩二人は、目を輝かせながらハルヒ…いや、新しく来た課長と思われる女性に見とれている。 確かに、事情を知らない人間から見れば『頭のキレそうでワリと美人な若手の女課長』であるのだろうが。そして、そんな俺達の胸の内など知る由もなく「女課長」は自分に用意された席の前に立つとこちらに向き直り、鋭く睨みを利かせながら堂々と言い放った。 「本社営業部から来ました、スズミヤハルヒです!とりあえず、先に言っておくわ!現在の業務体制、社の方針、自分の待遇に不満のある人!居たら今すぐここから出て行きなさい!」 ……っておい!なんだそりゃ!俺は驚きの連続で意識が飛びそうだ。ルックス…喋りかた…態度…そして、なんと言っても名前!そのルックスに関しては『他人のそら似』と言う言葉のもとに辛うじて納得してやる!喋り方と態度に関しても、キャリア女にアリガチと言えばアリガチだ…な。 だが、その名前は一体…俺は慌てて彼女の胸の名札を見た。 「営業課長 鈴宮春日」 あ… 良かった、とりあえず別人だっ!大体、冷静に考えてみれば女房である訳がない。偶然、顔と名前が似てただけ、それだけなんだよな… ようやく平常心を取り戻しかけた俺は、俺が「彼女自身」に驚いている間に、周囲が「彼女の発言」に対して動揺している事に気が付いた。まあ、このシチュエーションで「気に入らない奴は出てけ」といわれて「はい、わかりました」って出ていく馬鹿は居ないだろう。たとえ不満や不服があったにせよ、だ。 彼女は返事の無い職場を満足げに見回すと、「居ない様ね?では続けさせてもらうわ!」と職場全体に喧嘩を仕掛ける様な目つきで再び喋り始めた。「今朝、この営業所の過去3年分の実績に全て目を通させてもらった。はっきり言って最悪ね。特に今年度の現実績…昨年対比+0.12%…アンタ達、会社に何しに来てるわけ?」仕事に決まってるだろうが!…と言ってやりたくなるが、最近の自分の売り上げを考えると…そう言われても仕方が無い気がする。おそらく谷口や他の奴らもそうなんだろう、この営業所の中が心なしか灰色に淀んで見えるぜ。 「まあ、いいわ!今更何を言ってもしょうがないし!とりあえず、アタシはこの現状を打破して来年度の昨年対比を+40%まで押し上げるつもり!だから…まず、その手始めにアンタ達が『どれ程やれるか』を試させてもらうわ!来週の火曜の朝までに、これ全部売ってきて!」そう言うと彼女は在庫表のコピーらしきものを全員に一部づつ配り始めた。「うおっ?これかよ!」俺より少しだけ早く書類を受け取った谷口が、思わず声をあげる。(一体何だってんだ…)少し嫌な予感を感じつつも書類に目を通してみると、そこには『男児キャラクター16インチ-赤い光弾マッガーレ×10』と書いてあった。『赤い光弾…』は去年終わった幼年層向けのTVアニメ…つまりだ、とっくに終わった番組のキャラクターモノの子供用自転車を10台、金曜日の今日を含めて2日間で捌いて来い!という事らしい。…ていうか、普通に無理だろ。谷口の驚きの声にも激しく同意だ。「下代は4掛(※卸値が定価の40%の意)、特価品扱いでいいわ!いくらアタシでもコレをプロパー(※現行品の通常卸値)で売ってこいとは言わないわよっ?ウフフッ」 ウフフッ…じゃねぇよ…この年末のクソ忙しい時期に一体何を考えてるんだ。一言もの申してやろうと口を開きかけた瞬間、再び彼女が睨みを利かせながら声を大きくした。「異論は認めない!…だから初めに確認したのよ。解ってるわよね?」なるほど…ね。やれやれ、困った事になったもんだ。 ━2━ 窓から差し込む傾いた陽射しと、暗くなりかけた空が一日の終わり告げている。結局、例の女課長に押し付けられた『課題』には手を付けられないまま、一日が終ろうとしていた。業績が悪い…とはいっても別に手を抜いて日々仕事をしてる訳ではない。それなりに忙しいんだ。商品の出荷の手配をしたり、取引先である小売店に顔を出しに行ったり…だから急に『あんなもの』を売ってこいと言われても、すぐには無理だ。あ…「小売店に顔を出しに行ったついでに話だけでもしてくれば…」とか言われそうだから敢えて断っておくが、折角こちらを信用してくれている相手に『妙な特価品』を差し出したくはない。 だいたい、どうやって売るか考える暇もなかったし。
俺は、そろそろ帰ろうかと考えながら今日の分の伝票の整理を始める。すると、おそらくそれを横目で見ていたであろう谷口が「おっ?帰るか?じゃ、俺も…」と声を掛けてきた。 「なんだよ…まるで待ち構えてたみたいだな?」「いいじゃねえか!お前くらいしか愚痴を言う相手が居ないんだからさ?そこの販売機でコーヒー飲んでこうぜ?」とりあえず「奢れよ」と鼻を鳴らして答えてやる。それからしばらくして、支度を済ませた俺達は営業所を後にした。 「なあ、キョンよ?今朝のマッガーレの奴、売れた?」営業所の入り口にある販売機に寄りかかりながら、谷口が缶コーヒーを片手に言う。俺は販売機の取り出し口の中に手を伸ばしながら「いや、まだ売る事すらしてない」と答えた。そして取り出したコーヒーの蓋を開けながら、とりあえずコイツを奢ってくれた谷口に「ごちそうさん」と軽く礼を言う。「いいって、いいって!それより大丈夫なのか?売る事すらしてない…って」「ああ…今日顔を出した店はウチを贔屓にしてくれてるトコだからな、勧める品物も選ぶってもんさ。まあ、泣き付けば少しは買って貰えるだろうが、色々と後に響くのは困る」「おいおい、格好つけてる場合じゃないだろ!月曜までしか期限がないんだぜ?」「そういう谷口はどうなんだよ?」「お前の想像通りだ。ほっといてくれ……あ!そうそう、新しい課長だけどさ?似てたよな、涼宮に!」「ん?ああ、驚いた!…てゆうか、人の嫁を旧姓で呼ぶな」「おっと、悪い悪い。しかし…本当に驚いた!涼宮がさ?『ちょっと!ウチの旦那の給料上げなさいよっ』って殴りこみに来たのかと思っちゃったよ」どうやら谷口の中のハルヒ像は高校の頃から更新されていないらしい。俺は「そんなわけないだろ」と呟きながら呆れて見せるが、谷口はそのまま続ける。 「いや…マジな話、あの女課長には困ったもんだ。たぶん今日のアレは氷山の一角に過ぎないぜ?これから益々キツくなる気がする」「ああ」「まあ、今回の件に関しては後輩連中は楽勝だろうけどな?」「何でさ」「だって、あいつらの担当は殆んどが量販店のテナントじゃん。売れるんだよ?マッガーレとか、ああいう感じの特価がさ。だから大して苦にもしてないみたいで…さっきなんか、便所で仲良くハシャイでたぜ?『新しい課長、色っぽくね?』とか『セクシー課長』とか言ってさ」「はあ?セクシー課長!?どこが?」「解んねぇ!年上の女に憧れる年頃なんだろ?」ひとしきり喋り終えると谷口はグイっと残りのコーヒーを飲み干し「じゃあ、また週明けにな」と言い残して去って行った。セクシー課長ねぇ…そういえば、あの課長…どんな服着てたっけか… 谷口のおかげで、家に帰るのが少し遅くなってしまった。家に近付くと、近所の駐車場にハルヒの車が停まっているのが見える。今日は俺の方が遅かった様だな。別に急ぐ必要もないのだが、少し自転車を速く走らせてみたくなる。そして、家の前に辿り着いた俺は急いで自転車を停めると、慌てて玄関のドアを開けた。 キッチンに立つハルヒの後ろ姿が見える…。ああ…やっぱり本物はいい… ……って、何考えてんだ俺は!別に課長がハルヒの偽物って訳じゃないだろ! 全てが凄く似ているけど完全に別人だっ! 「あ!おかえり………何一人でブツブツ言ってるの?」 気が付くとハルヒが振り返って、不思議そうに俺を見ていた。「あ…ただいま…」気不味くなってリビングへ逃げ込む俺を、ハルヒの声が追い掛けてくる。「もう少しで夕飯出来るからさ?お菓子とか余計なモノ食べないで待ってるのよっ?」その余計なモノを大量に買い込んでくる張本人に言われたくないが。とりあえずソファーに腰を降ろす。そして…なんとなくあの課長からの課題の事を思い出した。(さて…どうしたものか…)俺は営業所の倉庫から持って来た『赤い光弾マッガーレシリーズ』のカタログを鞄から取り出すとテーブルの上に開いてみた。サイズは16インチ…終了済みの番組のキャラクター商品…それほど安くない卸値…キャラクターものである以外は何の魅力も無いスペック…駄目だ、せめて店で半額で出して貰えるくらいの下代(卸値)なら、なんとか捌けるだろうが、今回のは4掛(卸値が定価の40%)と来たもんだ。やはり贔屓にしてくれている店に泣き付くしか無いのか…? 案外…課長はそういう小売店とのコミュニケーションがどれ程出来るかを評価の対象にしてたり…いや、そんなわけないか… 「ねえ、何見てるの?」突然の背中からの声に、おもわずビクッとする。「あ…何慌ててるのよっ!またエッチい漫画とか…」「な、なんでもない」「ちょっと!結婚する前に『なんでもアタシに言わなきゃダメ』って約束したじゃないっ!」「わ、解ったよ!これ…」ハルヒは俺に近付くと、背中越しに手元にあるカタログを覗きこんだ。「何…?マッガーレって…子供用の自転車?」「そう」「新製品?」「違う、去年のだ。こいつを現行品と大して変わらない値段で月曜日迄に10台売って来いって…」「ねえ、キョン…」「なんだ?」「アンタ…会社でイジメられてんの?」「んな事あるかっ!新しく来た課長が、俺達の実力を試すとか言い出してさ?」「ふーん…まあ良いわっ!とりあえず夕飯出来たから、さっさと片付けて来てよ?あとさ、仕事の事ばかり考えてんじゃないの!今夜は週末なんだから『夜更かし』するわよ!」「ほう!『夜更かし』ねぇ…どっちの?」「バカっ!健全な方!」「そりゃ、残念」 我が家には週末の過ごし方として、二通りの『夜更かし』がある。ハルヒが言った『健全な方』とは、もっぱら映画やらドラマやらのDVDをまったり見ながら夜を明かす事で、もう一通りの『夜更かし』とは…まあ、その…一晩中…アレだ…勝手に想像してくれっ! 夕食を済ませた後、俺達はDVDを借りに近所のレンタルメディアへと向かった。店に着くと、入り口に『本日レンタル開始』の告知とともに何枚もDVD作品のポスターが貼ってあるのが見える。その中の一枚を見つけたハルヒが、指を指しながら騒ぎだす。「ねえ、キョン!あれが今日借りたかったヤツ!まだあるかしら…」「おい、アレって去年テレビでやってて…お前、観てたじゃないか」「いいのよっ!もう一回観るのっ!」ハルヒはそう言いながら、颯爽と店の中に消えて行った。 慌てて追い掛けるのはシャクだから、しばらく俺は店頭のポスター群を眺めてから行く事にする。右端から順に…うっ!なんか…嫌なモノを見付ちまった… 『赤い光弾マッガーレvol.1レンタル開始!』 ここでもマッガーレかよ…マッガーレは仕事だけで勘弁してくれ… 「あれ、キョン!まだここに居たの?」気が付くと、既にお目当てのDVDを借りてきたハルヒが目の前に立っていた。「ん?ああ…早かったな。ちょっと今、ポスターを見てた…」「何か面白そうなのあった?」 「いいや…どうも俺はマッガーレに魅入られてるらしい…」「何それ」「ほら、あそこのポスター」俺はゲンナリしながら、マッガーレのポスターを指さした。「ああ!さっきの自転車の!あははっ、本当に縁があるわねぇ」「まったくだ…」「…でもさ、キョン?あれって、DVD第1巻の告知でしょ?初めて観る人も居るって事よね?」「まあ…な」「てことはさ、キョンのあの自転車もDVDで初めて視る人達…いいえ、子供達には全然イケるって事にならない?」…そういえば…そうだな…と思う。だが「DVDでは未だに人気があるんですよ…」とか言った所で、簡単に「去年の」商品を買って貰えるとは思えない。 「なあハルヒ、おまえの言う事はもっともだがな、そう簡単にはいかないんだ」「あれ?でも、なんか今『それもそうだな』って顔してたわよ?」「………まあ、な」「よく分かんないけどさ…頑張って考えてみれば?それに…」「それに?」「アンタなら出来るわよ!」ハルヒはそう言いながらニッコリと笑うと、「コンビニも寄るわよっ」と俺の手を掴んで勢い良く歩き出した。 ━3━ 何も考えずにダラダラと週末を過ごしていたら、瞬く間に月曜日がやって来た。いや、何も考えずに…ってのは違うな。一応、例のマッガーレの自転車の事は、俺なりに一生懸命考えをまとめてみたんだ。まあ、ハルヒの一言がきっかけではあるが。それで今は…これからその「まとめた考え」を試しに行く所だ。試す相手は隣町の商店街の中程にある『日の出サイクル』個人経営ではあるが比較的大きな店舗を持っていて、地元の小学校の校庭を借りて年二回の交通安全教室を主催する程の実力を持っている。そして、なによりもウチを贔屓にしてくれている店だ。俺は商店街の駐車場に営業車を停めると、助手席の鞄をギュッと掴み取り、運転席のドアを開けた。(さて、行くか!) 店先まで行くと、店の奥のレジの側に店長が居るのがチラッと見えた。俺は早足で店の入り口に近付くと「毎度~!ベルサイクルです!」と声を掛ける。すると店の奥から「おー!ベルの兄ちゃんかい?」と声が聞こえた。「毎度どうも!近くまで来たもんで…店長の顔を見てから帰ろうかと…」「またぁ、よく言うよ!どうせ何か買わせるつもりだろ」ニヤニヤと店の奥から人の良さそうな小太りのオヤジが現れた。この人が、ここの店長だ。「いやぁ、鋭いですね!でもまあ、見るだけ見てやって下さいよ。大体、他の店には見せに行って、店長のトコには見せないって訳にいかないでしょう?」そう言いながら俺は、例のマッガーレのカタログを取り出した。すると、それまでニヤニヤしていた店長の表情が急に曇りだす。 「それ…去年の番組のじゃないか。当然特価なんだろうが…ウチじゃ難しいね」どうせ、そう言われると思ってたさ。だが、簡単には退かない。「いや店長、テレビでは既に終了している番組ですがね?まだ新番組として観ているユーザーも居るんですよ」「どういう事だね?」俺は鞄の中から、すかさずマッガーレのDVDを取り出した。先程、途中で寄り道して買ってきたものだ。4980円は痛かったが…「これですよ?店長…」「DVDか?」「ええ、『最近出たばかりの第1巻』です。調べた所、今のこの類の番組は日曜の早朝にやってる故に『早起きしてリアルタイムで視るユーザー』と『DVDやその他のメディアで公開されてからマイペースで楽しむユーザー』の二通りのユーザーを掴んでいるらしいんですよ。 それで…後者にとってはマッガーレは『新番組』な訳で、俺が持ってきた特価品は『新製品』とも言えるわけです」「なるほどね…。でもウチは現行品もやってるからな。新しいのと古いのを並べたら…やっぱり新しいのを買うよね?」「もしよろしければ、PR用にこのDVDと販促用のモニターをセットで置いて行きますよ。まあ、これをやったところで、現行品の売れ行きに差し支える事は無いと思いますし…」店長は少し考える素振りを見せる。俺は少々大きく出過ぎたな、と思いながらも「これだけ言えば、なんとか1台くらいは…」と甘い事を考えてみたりした。 そして、しばらく沈黙が続いた後、店長の口がゆっくりと開いた。「よし、それ貰うよ!」「本当ですか?ありがとうございます!」「ああ、いくつ在るの?」「え?ああ、会社からは10台預かってますけど…」「全部ちょうだい!」「……え?良いんですか?」「ああ!ただし条件がある。君のその『DVDでPRをするアイデア』さ?他の店には黙ってて欲しいんだけどな。上手く行けば、今の現行品を売り残した時にも使えそうだしさ?」「ああ…はい、解りました!」売れた…売れちゃったよ。上手く行きすぎだろ!俺は飛び上がりたい気持ちを押さえながら「では、ありがとうございました」と挨拶をすると店を後にした。そして、会社に戻るまでの間、俺はハンドルを握りながらふと思う。(もしかしたら…上手く売れたのはハルヒの力のせいなのか…)いや、そんな事は無い…な。アレは三年前に全てが終わった筈だ。とはいえ、今回のアイデアの出処はハルヒなんだよな…仕方がない、帰りにケーキでも買ってやるか。 営業所へ戻ると、谷口を含め俺以外の人間は未だ戻っていなかった。不覚にも…例の『セクシー課長』と二人きりになってしまった。なるべく目を合わせない様にデスクへ向かう俺を、課長が言葉で追い掛けてくる。「あら、随分早いのね!一体、どれ程の仕事をして来たって言うののかしら?」早速嫌味ったらしい…「仕事なら、してきましたよ」俺は、言葉を返しながらマッガーレの受注表を課長に差し出した。すると、それまで睨みつける様にに俺を見据えていた課長の目が、驚きの表情とともに丸くなった。「アンタ…全部売ってきたの?」「ええ」「…………あははっ!まさかこれ程やるとはね!」「……それ、笑うところですか?」「いいえ、ごめんなさい。一番売れたとして五台くらいかな、と思ってたのよ。大したものだわ!キョン…だっけ?」「は?」「いつもアンタの隣の彼がそう呼んでるじゃない!」課長はそう言うと、ハルヒそのままの満面の笑顔を俺に見せた。悪い気はしないものの…強烈に複雑だ。「まあ…この営業所の中で、とりあえずアンタだけは認めてあげる!よろしくね、キョン!」
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