機械知性体たちの狂騒曲 第6話
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――いつかきっと。 だから、その時まで。
――うん。きっと迎えに来てね。 待ってるから。 ずっと、待ってるから。
―ある情報端末たちの約束―
『それでねー奥さん。あんた駄目だよ、そんなんじゃ』 突然ですが、テレビの中で色黒なおじいさんが、電話の向こうで悩みを抱えている奥様に妙に偉そうに説教している場面です。『どうなのそれって。あんた、本気で旦那を愛してるんじゃないの?』『……はい』『だったら、自分からどうにかしないと! 旦那も待ってるよ、絶対!』
お昼によく流れている情報バラエティとかいう、ニュースの体裁を取っていながらニュースではないという、わたしにしてみれば意味不明な番組なのです。 ひとりきりの昼食を取ったあと特にすることもなくこたつで例のお子様イスに座り、なんとなーく居間でテレビを観ていたらなぜかこんなものが。 別にこれを観ようと思ったわけではなくて、適当にチャンネルを"回し"(ほんとにここのテレビのチャンネルは切り替え装置を回すのです)、ぼーっとしていたらこんな番組が流れていたという次第です。
大した事情も知らないはずなのに、よくこんなに断言できるものだと思わず感心してしまいます。
この司会の人物は、すべての事情を瞬時に齟齬なく解析できる高度な共感能力でも保有しているのでしょうか。 えーと……あ、まだ塩せんべいが残ってた。らっきー。 おやつ用の缶から、わたしにとっては大きすぎるその一枚つかんで、両手で抱えながらぽりぽり。 テレビはそのまま。
『ね、あんたがずっと支えてきたんだから。それはほんとうのことなんだから。自信持ちなさいよ』『そうですね……ありがとうございます』 どうやら司会者の無意味に情熱的な説得は功を奏したようで、相談者の女性は涙ながらに自分のふがいなさを悔い改めたようです。 これで別居中の旦那さんのところに赴き、今後のことを話し合う、というところでコマーシャルへ。 めでたし、めでたし。 ……なのかなー。
「ふう」 テレビの賑やかなコマーシャルを聞き流しながら、こたつから縁側の向こうにある小さなお庭に目を向けます。 さすがに寒いので戸は閉めてありますが、障子戸の下にあるガラス窓からわたしの背丈だとちょうど庭の様子を見渡せるのです。 桜の木が一本植わっている以外は特になにもない、ほんとに小さなお庭。 そこにはブロック壁などという野暮なものはなく、ささやかな植え込みで外世界とこのお家を仕切っているだけでした。
一月二十八日。 真冬のお昼すぎ、平和そのものの光景です。
このお家に引越して来てから、もう三日が経ちました。 喜緑さんとの生活も、ほんのちょっぴりではありますが慣れつつあります。 我ながら環境適応力、高いんですねぇ。 考えてみると長門さんのところに連れていかれた時もそうでした。 わたし自身、長門さんのバックアップという基本構成は変わらなかったみたいで、彼女の周りの世話をするのは苦になりませんでしたし。
そういえば家事の中で一番比重の多いお食事のことですが、長門さんと暮らしていて意外なことにそれで悩んだことがないのです。 好き嫌いもなく、いつももくもくと食べてるだけでしたが、 最後は必ず「おいしかった」「ごちそうさま」を言ってくれたのが妙に印象的でした。
いろいろと滅茶苦茶な生活ではありましたが、どういうわけか、こと食事に関しては礼儀作法を守ってくれていたのです。 まるで……誰かに教わったかのように。あれだけは不思議でした。
わたしがいない今、なにを、どのようにして食べているのか、それだけが気がかりでしたが、 料理の手伝いはしてくれていたわけで、それさえ覚えてくれていたら致命的なことにはならないでしょう。
もともと、わたしが引き取られて七〇八号室に行くまでは、彼女ひとりで生活していたわけですし。
そうすると今の一番の心配ごとは例のあのゲームなのです。 熱中するのはよいのですが、時間を決めてやってるでしょうか。 内容はもうこの際ですからあえて言いませんが、せめて睡眠時間くらいはわたしがいた頃のように守っていてほしいものです。 キミドリさんにあとのことをよろしく、とは伝えましたが、もともと長門さんが親みたいなものでしたし、そういう注意がうまくできるとは期待はしてませんでした。
ふと振り子時計を見るともう一時になろうというところ。 昼食のお片づけを済ませたら、例の計画に取り掛かることにしましょう。
「よいしょっと……」 タンスの中から古い布切れを選び出し、それを抱えて居間まで運びます。 すでにお裁縫道具は居間のこたつの上に用意済み。 これらは喜緑さんが買ってくれたものではなく、このお家にもともとあったものらしいのです。 以前、ここに住んでいた方のものを勝手に使ってよいものか悩んだのですが、喜緑さんは構わない、と言ってくれました。『この家にあるものは、すべてご自由に』 それだけです。 ですので彼女が留守中、なにをしていいのか、それともいけないことなのかを悩むことはありませんでした。なにをしてもいいのです。 ただひとつだけ。『ひとりでこのお家から出ないこと』 これだけは絶対に守るように言われていました。
「もともとひとりで外出できる身体じゃないのですが」 こんなチビっこい身体になってなにが不便かといえば、それはもう生活全般すべてにおいてなのですが、特に問題なのは「自分の姿がヒトに見られる」のを避けなければいけないこと。 これが、許されない。
まぁ当然ではあります。幼児体型ではすまされないのです。 どちらかというと「ミニミニサイズの人間」な今のわたしはこの世界では明らかに不自然ですから。 のこのこ歩いているのを見つかって、大騒ぎになるのだけは避けなければなりません。 ただでさえ仲間たちに迷惑かけているのに。 仮にですが、もしも涼宮ハルヒになど見つかるようなことがあれば……。
『わっ! なにこれ!? キョン、見なさいよ! カナダに行ったはずの朝倉がこんなチビっ子になって――』
問答無用に捕獲され、彼女の好奇心を満たすべくさまざまな尋問を受け、そしてその結末は想像することもできません。 彼女のいきいきと輝く瞳に映る捕獲された自分、という光景を脳裏に描き思わず身震いしてしまいました。 もしもですが、そんな事態に至れば「人間矮小化現象」とかなんとか妙な事件が現実化するとか、それ以上に世界が変容してしまうかも。 そんなことだけは、絶対にあってはならないことなのです。
「……で、結局」 そう。 結局ここを出ることが叶わない以上、いろいろお話できるのもその情報端末の仲間たちだけ、ということになってしまいます。 キミドリさんは例外として。 あらためて思うのですが、やっぱりひとりきりの時間が長い、というのは寂しい。「……まぁ、いまさらそんなことを言っても始まらないのです」 今は我慢の時です。そう決めたではないですか。 気を取り直して、目下計画中の「あること」を始めましょう。
先ほど居間に運んできた綺麗な柄の古い布きれ。それと針と糸と、はさみ。 自分の手の平くらいの大きさの、よくわからない材質ですが、しっとりとして落ち着いた色彩に彩られた乳白色のボタン。 もしかしたら貝でできてるのかな。「――きれい」 昨日、お掃除をしているときに、たまたま見つけたものでした。 それはとてもとても古い作りのタンスの奥に、大切に保管されていたのです。 以前、このお家に住んでいたヒトはお年寄りだったのかも。 全体的に漂う古風な内装もそうなのですが、このような残された家財も、そのすべてがとても古い。 喜緑さんが「用意した」と説明していましたが、それにしても……。「そのうちにわかるのかな」 考えても答えが出ないことは、後回し。 ここにあるものはすべて自由に使って構わないということでしたから、さっそく使わせてもらうことに。「そーっと、そーっと……」 慎重に針に糸を通します。 唯一この身体になって便利だと思うのは、こういう細かい作業のときくらいですか。 なにしろ自分にとっては周囲のものはすべて巨大化しているわけですから、針の穴だってとても大きい。 糸を通すのも容易なのです。「へへー……」 うまくできたので、思わず頬が緩みます。 では、さっそく。 昨日の午後に作っておいた厚紙の形を取り出し、それに合わせて布きれを切り出し始めました。 うまくいくと、いいなぁ。
「ただいま」 ガラガラとガラス戸の音。 このお家の現在の家主さん、喜緑さんの帰宅です。「おかえりなさ~い」 とてとてと玄関にお出迎えに行きます。 やっぱりひとりでいるのは寂しいので、彼女が帰ってくるのが待ち遠しかったりするのです。「はい。ただいま」 わたしの姿を認めて、にっこりと微笑んでくれます。「わたしの不在中、なにかありましたか?」「いいえ、別に」 まぁ、いろいろと作業がはかどったのですが、実はこれは彼女には内緒なのです。 計画は喜緑さんに内密に進めることにしようと考えていたので。 ……ちょっと気がひけるのですが。「お留守番、ご苦労さまです」 一日中、家の中にいるだけですから、何が起こるわけでもないのですけど。それでも喜緑さんはいつもこう言ってくれるのです。 なおさら後ろめたい気がするのですが、それでも今はまだ、彼女には言えない。 自分の考えを悟られないようにしないと。
お夕飯は適当に残ってる食材で作りました。 喜緑さんも手伝ってくれるので、ずいぶんはかどります。 かなり実生活の怪しさが露呈しはじめた彼女ではありましたが、それでもこちらの言うことはよく理解してくれるし、 長門さんのように意味不明なことを言い出して煙に巻くようなこともしません。 そういう意味では大変な優等生なのですが……。 どこかが、ずれている、とでも言いましょうか。 初日の夜の混乱ぶりは今では是正はされてはいるものの(お風呂とか、着替えとか、いろいろです)それでもやはりなにか違うというか。 ……彼女、もしかすると長門さんより実生活能力がないのかも。 なんでもできると思われていた、高精度端末の彼女なのに。 少しずつその現実をわかりつつあるわたしは、一抹の不安を覚えるのでした。「ほら、とてもいい匂いがしてきましたよ、朝倉さん」 とても嬉しそうに、彼女はコンロの上から香る肉じゃがのお鍋を覗き込みます。 無邪気というか、なんというか。 そんな喜緑さんの様子を見つめながら、それに微笑んで火の調節の説明をするのですが、同時に心の中に浮かび上がるものを隠しきれません。
――つくりもののせかい。
突然、頭の中に浮かんだ言葉です。 説明などできるものでもないですし、どうしてそんな単語が出てきたのかもわかりません。 ざわざわとした、これまで経験したことのない異常な感覚。 まるで、作られた幻覚の上で成り立っているような、というか……そうとしか言い様のない、実体のないものでした。
……だからこそ、わたしはあの計画を実行に移すことを考えたのですが。
このせかいに、起こっていることを確かめる。 自分にできる範囲の中で、ですけど。
なにごともなく数日が経過。一月三十一日になりました。 朝、食事と身支度を整えた喜緑さんをいつものように送り出しに玄関に向かいます。「雲行きが怪しいようですね」 今朝の冷え込みも大したものでした。 空は鉛色の雲で覆われ、朝だというのにずいぶん暗いのです。 屋内だというのに、玄関先でも白い吐息が見えるほど。「では、行ってきますね」「はい、気をつけて」
……さて。 彼女が完全に行ってしまったことを確認してから、わたしは台所に向かいました。 喜緑さんに内緒で続けていた作業の成果がそこにあるのです。
「なかなかうまくできたと思うのですが」 秘密の隠し場所、シンクの下の扉の中、米びつの陰にそれはありました。 わたしのつたないお裁縫技術で作った、きんちゃく袋。 この家に残されていた布とボタンだけで作られた、蒼色の小物入れです。 これがなにか? というと。「……自分の誕生日、覚えてるかなぁ」 長門さんへのプレゼントというわけです。 お買い物も自由に行けないこの身体で、なんとか用意できそうなものはこれくらいでした。 それを彼女に、直接手渡したいと考えていたのです。
もっとも、正確に言ってわたしたちに誕生、という概念が当てはまるのかはよくわかりません。 ですが、この世界に、この身体を授けられて現れた日をそうと言うのなら、確かに明日は長門さんの誕生日なのです。 そしてわたしたちが初めて出会った日。 なにも知らなかった彼女に、わたしの知るすべてを教える、その作業を始めたあの――。
「あ、あれ……?」 ……めまいにも似た立ちくらみが。 そこから、微妙に記憶が曖昧になっていくのを感じます。 霞がかかるというか、視界が急激にぼやけていくような。 確かに、出会ったその光景は思い出せるのですが、そのあとのことがなぜか曖昧になっている。 北高に入学するまでの三年間、わたしたちは確かに一緒に偽装生活を送っていたはず……。
「……妙なのです」 ここのところずっとそれが気になっていました。 この喜緑さんとの生活でも感じていた違和感。 それがこうして過去を思い出そうとすると、突然顕在化してくるというか。 なにかが起こっている。もう何度も、それを考えていました。 この引越しのこともそうですし、長門さんのよそよそしい態度もおかしい。もちろん、自分のこの身体のことも。
誕生日をお祝いしてあげたいのは確かでした。 でもそれ以上に、彼女に会いたい。 会って、きちんとお話をしたい。
喜緑さんの言いつけを破ることになってしまいますが、なんとかこの家を出て彼女の元へ行きたいのです。 長門さんに会うことで、なにかがわかるかもしれないのですから。
「でも……」 こうしてプレゼントを用意したまではいいとして。 実際、この家を出られるのかどうか、それが問題でした。 喜緑さんはなんらかの脅威が迫っていると暗に言っていました。それからわたしを守るために、この家にも仕掛けをしている、とも。 もしそれがほんとうだとすれば、おそらくは結界のようなものが張り巡らされているはず。 彼女の力で構築された物理的か、または位相空間操作などの高度に制御された防御フィールドが存在するとなれば、今のわたしではそれを解除したり突破することはできない。 そんな力は残されていないのですから。
「やっぱり計画倒れかなぁ……」 長門さんに渡すつもりきんちゃく袋を抱きしめながら溜息をついた、その時でした。 こたつのそばに置いてあった携帯電話が着信音を立て始めたのです。「喜緑さん……?」 この携帯電話を渡してくれたのは彼女です。学校に行く途中で、なにかがあったのでしょうか。 実際、これを使うことなど考えもしていなかったので音が鳴ったことに少しだけ驚きます。 折りたたみ式のその携帯電話の外部画面には、送信者の名前はありませんでした。「……もしもし?」 おそるおそる携帯電話を取り、通話ボタンを押し込み、尋ねます。 すると――。
『――あなたを支援する』
「え?」 聞いたことのない声。若い、女性のようでした。「……誰ですか?」『今から五分間だけ、その駐留拠点に展開している防護フィールドを無効化する』 思わず息を呑みます。『正確に、三〇〇秒だけ。それ以上はわたしの力では無理だ。穏健派端末に気取られる』「いったい、誰です。どうしてそんなことを」『外に、出たいのだろう』 声は冷たい、低いものです。そこに感情はいっさい込められていませんでした。『あと二八七秒だ。行動に移すのなら、急進派らしく決断するといい』 その言葉に確信します。 これはわたしたちと同種、同等の情報端末です。間違いなく。 わたしが、急進派に創造された端末だということを知り、しかも喜緑さんの構築した防御フィールドの存在を知り、その上でそれを無効化できると言うなんて――。
「……どの派閥の端末なんですか、あなたは。目的は」 いつもののほほんとした雰囲気など、そこにはありません。 きわめてシリアスで、緊張感のある、ピリピリとした空気が支配する空間に一変していました。
『急げ。時間は限られている。あと二七五秒』
それだけ言うと、あっさり電話は切られました。
あの喜緑さんの構築したものを無効化する? それがどれほどのことなのか。 わたしがかつての姿と能力を持っていたとして、果たしてできたかどうか、というくらい。 それをできる、と言ってのけたのです。つまり、わたしや長門さんと同クラスの高精度端末としか考えられない。 そんな存在は、各派閥に一体ずつしか存在していないはずなのに……。
「どうしよう」 考えている時間はあまりありません。 彼女の言っていることが事実なら、もう残りは四分ほど。 「……行こう」 自分のできる範囲で。 この世界に起こっているなにかしらの"異常事態"。 それを突き止めるのです。
わたしはきんちゃく袋を握り締め、玄関へと向かいました。 その先に待ち受けるものがどういうものであるのか、わからないまま。
―番外編「あらしのよるに」へつづく―
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