機械知性体たちの狂騒曲 第5話
――この世界への浸食を食い止め、かつ「彼ら」に対抗する手段を探し出す必要がある。 今はいかなる停滞も望むべきではない。 情報資源の獲得闘争に敗北することも許されない。 対抗措置の策定は、緊急かつ最優先、最重要課題と認識している。 世界のありようを変え、主導権を握るのは常に我々でなければならない。
――我々思索派は現状をありのままに受け入れ、その意味を探ることにのみ意義を感じる。 革新派の提唱する性急な干渉は望ましくない。 こちらの動きに対してどのように「彼ら」が反応するのか、その予測すら立たない現状の中、情報端末群独自の直接行動が有効であるのかも不明だ。 今回の天蓋領域による介入工作の真意を探り出すべき。
――了解です。 今回は革新、思索の両派の意見を参考にしながら、実際の対抗措置の策定に入ります。 ただし静観派端末からの情報は常にリアルタイムで、全派閥に遅滞なく、齟齬なく、瑕疵なく共有されるべきです。 そのこともあり、現在崩壊しつつある我々の情報ネットワーク防衛、維持が最優先というのは譲れません。 それと「彼女」の保護については、すでに穏健派が主流派、急進派の双方の派閥の意向により実行しています。 ……それでよいですかね。長門さん。
――問題ない。
――現地の情報端末たちによる緊急会議――
「……眠い」 お味噌汁の匂いが漂う台所は微妙に薄暗くて、これまで使っていた七〇八号室の洗練されたシステムキッチンとは大きく赴きの異なる場所でした。 ほんとうにレトロなのです。一番驚いたのは湯沸かし器がないこと。 正直、冬場にこれは辛いです。 あらためて洗い場の上から見渡すと、うすぼけた蛍光灯の明かりよりも、窓からわずかに差しこむ冬の弱々しい光の方が強いくらいの、とっても小さな台所。 大変な冷え込みようです。室内だというのに、息が白いのです。身がピリピリするほどの寒さでした。 ストーブは居間にしかありませんので、我慢するしかありません。 それにしても、うう。まだ目が覚めない。 というか、完全に寝不足です。
「ふあー……むぐむぐ」 大きなあくびをかみ殺しながら、台所の上をちょこちょこ移動して煮える寸前のお味噌汁の火を止めました。 この体でたったひとりでの作業だと、かなりアクロバティックな行為を要求されるのですが、それもすでに長門さんのお家で慣れたおかげで、問題はありません。 たまに落ちそうになりますけど。
おっと。そうこうしている内に、ガス炊飯器のお米が炊けたようです。 ちなみに都市ガスではありません。念のため。 タイマーとか保温機能など、気の利いた装置はいっさい付いてない、シンプルな構造の炊飯器でした。 かなりの年代モノですよ。よく現役で残っていたものだと感心してしまいました。 説明したように保温機能がないので、台所の隅においてあった木製の御ひつに後で入れ替えないといけません。 こういうのは知識でしか知りませんでしたが、手間をかけた分おいしくなるといいなぁ。
おかずの方は、簡単にベーコンと卵とトマトを、オリーブオイルでささっと炒めたもの。 塩コショウで味付けすれば、はい完成。 手間もかからず作れる割にはおいしいのでオススメの一品です。
「食材だけはよくそろえていてくれましたねー」 ついつい感心してしまいました。 わたしがご飯を作るのに必要なひととおりの食材は、すでに冷蔵庫の中に買い揃えてくれていたのです。 ご丁寧に調味料も、わたしの好みのものがそろえられていました。 これも長門さんの伝言なのかな。だとしたら、わたしのしていることを意外とよく見てくれていたのかもしれませんね。 ……自分では絶対やらなかったけど。あの人の場合。
さてと。あとはほうれん草のゴマあえくらいでいいでしょうか。 台所に登れるはしごまで用意してくれていたのは、さすが穏健派の代表端末と評価するべきなのでしょう。 なにごとにも抜かりはないよう、なのですが……。 ここで、ひと仕事を終えた以外の意味でのため息をつきます。
……その彼女を起こさなければ。
「喜緑さん、朝ですよー」 ふすまを開け、寝室となった六畳の部屋に入ります。 そこには、今までは絶対に信じることのできなかった光景が。
「うーん……むにゃ」 ふとんの上で、両手、両脚をだらしなく広げて大の字という姿勢。 乱れた髪の下にある幸せそうな微笑みと、よだれが垂れたお口が可愛いというか、なんというか。 寝巻き代わりのぶかふかのTシャツはめくれていて、おへそが丸見えの状態。 つまり、かぶったふとんは半分以上、無意味なものとなっているわけです。
「――ふとんが、ふっとんでる……」 ……寒い季節に、我ながら寒い言語情報が浮かんできます。いや、ほんとに寒くないのでしょうか。彼女。 しかし、まさに目の前に展開しているのは、そうとしか解説のしようのない状況。 年齢設定的に、しかも可憐な彼女にはふさわしくない、というか断じてあってはならないものだと思うのですが。
「……喜緑さーん」 彼女の顔のそばまでてくてく歩き、もう一度声をかけます。「朝ですよー。ごはんができましたよー。遅刻しちゃいますよー」「すー……もう、ちょっとだけ……」 そうつぶやくと向こうを向いて、再び気持ち良さそうな寝息を立て始めてしまいました。「…………」 これが。 この姿が、あの、情報統合思念体が誇る最強の端末の姿。 信じたくは、なかった。
……わたしが寝不足だった理由が、まさにこれでした。
昨晩落ち込むわたしを慰めてくれたあと、食事をしてから一緒に寝よう、となりまして。 用意してくれていた布団に、これまで長門さんとそうしていたように、彼女と一緒に入って寝ようとしたわけです。「その格好で寝るんですか?」「ええ。朝倉さんのための準備だけで、わたしの方までは余裕がなくて」 そう言いながらセーラー服を無造作に脱ぐと、下着の上にTシャツを一枚だけ被る喜緑さんなのです。「……はぁ。まぁ、仕方ないですか」 自分の方は、長門さんの部屋から持ち出した例のハジャマがあるので、それに着替えようとして。そこで、ひとつ気になったことが。「あの、お風呂には、入らないんですか?」「え?」 不意をつかれたように、彼女がTシャツから頭を出して振り返りました。「……ああ、そういうものも必要でしたね」「…………」 彼女の言い方に一抹の不安が。 "そういうもの"という……。「というか、明日も学校あるわけですし。ね?」「そうですねぇ」 いやいや。検討する余地など、ないです。 それ以前に毎日入るべきで。年若い、女性という設定なのですから。わたしたちは。「わかりました。ではこれからお湯を張りましょうか」 ……だいじょうぶかなぁ、この人。
入浴に関するてんやわんやは省略で、ようやく就寝。 いろいろあった一日もようやく終わり、夜更かしもできない体になってしまったわたしですからあっという間に睡魔に襲われるわけです。
「おやすみなさい、朝倉さん」「はい。おやすみなさい」 そういって、ふたりでひとつの布団に入り、横になります。
そして古い作りの天井を見つめながら、思います。 ほんとうに、激変の一日でした。よもやこんなことになるなんて。
そう考えながらウトウトしていた、時でした。
「……もがっ?」 突然、顔の上になにかが降ってきたのです。「む、むぐぐーっ?」 な、なんですか、これは? じたばたしながら、這い出したわたしがそこで見たものとは。「……むにゃむにゃ」 となりで寝ていた、喜緑さんの腕がわたしの顔面を直撃していたのです。 ……なんという寝相の悪さ。 長門さんでも、こんなにひどくはなかったのに!「もう……!」 眠りから強引に呼び戻されたわたしは仕方なく、喜緑さんの腕をどけてもう一度布団に入りなおそうとしたのですが。 その後ろから奇妙な気配が……。「うふふ……朝倉さん……」「うひゃあっ!?」 なんと、喜緑さんが嬉しそうな表情でわたしを抱きかかえてくるではありませんか!「な、なにを……!」「うーん……ちっちゃくて、やわらかくて気持ちいいですー」 ……完全に、寝ぼけてる。 いや、ちょっと待って。そんなに頬ずりしないでください!「ちょっ……お願いですから、離してーっ!」「いやですー……離しませんよぅ」 いつもなら。こういう場合――長門さんである場合ですが、容赦なくキックで撃退するとか反撃の方法はいくらでもあるのですが、なにしろ相手が喜緑さんです。 遠慮というのか、間合いというのか、やっていいのかどうかの判断が瞬時につきません。「お、お願いですから。目を覚ましてーっ!」「うふふ……」「ぬおおぉぉーっ」 もがき続け、なんとか腕をすり抜けると、一気にふとんから這い出たわたしは、即座に部屋の隅まで走りました。「……はぁ、はぁ……」「……すー……むにゃむにゃ」 ふとんには、完全に眠りに落ちた彼女が。
追撃の気配はないようで一安心なのですが。 あの優等生の見本のような彼女の本性が、まさかこれなのでしょうか。 話に聞いていたのとは全然違うではありませんか。 もっとこう……なんというか、おしとやかでお上品で……。
「……困ったなぁ」 枕元の目覚まし時計を遠くから見てみると、まだ午前一時です。 しかしあの布団に戻るのは恐ろしい。 なにをされるのかわかったものではありません。「……仕方ないです」 居間にある座布団を引きずって寝室まで持ってくると、部屋の隅に脱ぎ捨ててあった喜緑さんのカーディガンとセーラー服を頭から被って横になりました。 もちろん、あの布団の中の悪魔を監視しながら、ですが。「とにかく、今夜はこれで……明日のことはまた別に考えなければ」
しかしその日の夜の冷え込みは尋常ではなく、その寒さから完全に眠りにつくことはできなかったのでした。
「……うう……さぶいよぅ」 ガタガタと震えながら考えます。 これは、この状況は。長門さんと暮らすよりも、恐るべきモノなのではないでしょうか。 このちっこい体にはヘビーすぎます。
もしかすると……これはまだ推測なのですが。 喜緑さんは、人間としての偽装生活の経験がないのでは……?
いや、まさか。 わたしも完全であった頃は、五〇五号室で普通に人間と同様の生活をしていたわけですから。 でも考えてみると、長門さん以外の端末が普段どのような偽装生活を送っているのか、知らないのですね、わたし。 てっきり自分たちと同様のことを実行していると疑いもしなかったのですが、ほかの派閥の情報端末のことですから、どうしているのか知らされていなかっただけなのかもしれません。
長門さんやわたしは、あの涼宮ハルヒとの直接接触する機会の多い配置でしたから、可能な限り人間と同様の生活を送る必要があったというだけのことだったのでしょうか。
……このように、なぜか屋内だというのに、底冷えする一月の寒気に襲われながらサバイバルな一夜を過ごすはめになったのでした。 それも、座布団の上で。 なんですか、引越し早々このせつない展開は。
――回想、終わり。
「……と、寝不足をおして朝食まで作ったというのに」「くー……すー……」 ほんとに気持ち良さそうです。 ほとんど裸のくせに、どうして寒さも感じずに寝ていられるのでしょう。 それに。 わたしが同居する人は、こうもだらしのない人ばかりというのも、納得できません。いやマジで。「もう!」 喜緑さんの上に飛び上がって、ついに声を張り上げてしまいました。「起きてくださいっ! ほんとに遅刻しちゃいますよっ!」「……は」 ようやく目が覚めたのか、喜緑さんが馬乗りになっているわたしを見上げます。「ああ……おはようございます、朝倉さん」「……おはようございます」 ……これから、どうしよう。 喜緑さんの起きぬけの微笑みを、どんよりとした気持ちで見つめながら思うのでした。
「ごちそうさまでした」 きっちりと朝食を食べ終えた喜緑さんは、行儀よく両手を合わせて言いました。「たいへんおいしかったです。ありがとうございますね」「それは、良かったです」 いくらか棘のある口調で返事しましたが、そういうニュアンスは彼女にはいまひとつピンと来ないようでした。
「さて。それで、今後のことですが」 寝癖そのままのぼさぼさ頭で、カーディガンだけをひっかけた喜緑さんは、食器を集めようとテーブルに乗ったわたしに向かって話し始めます。「わたしが学校に行っている間ですが、このお家からは出ないようにお願いします。多重防御障壁を展開し、そのほかにもいろいろと仕掛けはしてありますが、万全であるとは言いがたいものですので。そして、わたしが不在の間になにかあるようなら、これを」 そう言って近くのカバンを引き寄せると、なにかを取り出してわたしの前に置きます。「必要がなければ、そのままで結構ですから」「これって……ケータイ」「はい」 ニコニコしながら彼女は説明を続けました。「今の朝倉さんですと、わたしたちと思考リンクでの情報通達はできませんので。もしなにかがあれば、この登録ボタンの一番を押してください。1コールでもあれば、すぐにわたしが駆けつけます」 「はぁー」 考えてみれば不便なものです。 かつてのわたしであれば、そもそもこのような会話なども必要なかったのに。 情報統合思念体の構築した情報ネットワークからは完全に切り離されたままになっていました。
「……って」 あれ? 長門さんと一緒にいた頃は、こんなことはしていなかったのですが。「あのー……やっぱり、なにか深刻な状況が発生しているのでは」 今回の急な引越し、というか異動もそうですし、駐留拠点に防護措置であるとか。 明らかに尋常な状況ではないです。「……それと、昨日の」 あの喜緑さんの言葉です。
『なにがあっても守ります。それがたとえ、広域帯宇宙存在そのものであっても』
……現在では、天蓋領域と呼称を改称したという、我々とは違う、もうひとつの情報生命体。 その存在が関係しているのでは。
「申し訳ありません。今のところは、まだなんとも」「……そうですか」 説明は、できないのでしょう。 仕方ありません。 事情というものがあり、今のわたしにはそれに関わる権限が与えられないのは理解できますから。「ということで、今日は学校が終わりましたらすぐに戻ります。一応、必要そうなものは長門さんからの説明どおりに、急ごしらえではありますが整えたのですが、それでも不足のものはあるのでしょうから」 ええそうですね。パジャマとか、わたしの布団とかですね。 絶対に買ってもらわなければいけません。「はい。朝倉さんの必要だと考えるものは、今日のうちにそろえてしまいしまょう。なるべく早く戻りますので」
こうして喜緑さんを送り出し、ようやく一安心です。 出かける前に、着替えとか整容とか、さらなるひと騒動はあったのですが。 「はぁー」 自分のためにお茶を入れ、おおきくため息をつきました。 お掃除は簡単にしてしまうとして、その後はどうしよう。 彼女が戻ってくるまでは、ひとりきりですしね。 キミドリさんはいないし……。
そんなことをぼうっと考ていると、部屋の壁にかけられたカレンダーに目が止まります。 一月二十五日、かぁ。まだまだ寒い季節は続くなぁ。
……あ、そうだ。
そこで気づきます。 長門さんの誕生日が、すぐではないですか。
二月一日。 彼女がこの世界に降り立った、その日。 雪が降ったその日に、わたしたちは出会ったのです。 あの、七〇八号室の前で。
『はじめてまして、長門さん』
その時のことを思い出していました。 まだなにも知らなかった彼女。 彼女と一緒に過ごした、わずかな……あれ。 うまく思い出せない……。
「……ま、それはいいか」 それよりも、せっかくです。 彼女に誕生日プレゼントを贈ってあげたいですね。
「――よし」 この世界に彼女が生まれた、大切な、記念するべき日。
その日までに、なにかをしてみよう。 今の自分に許された範囲の中で。 わたしはそう、決意しました。
―つづく―
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