第〇七〇七小隊SOS団 第二章 異國の丘
誰かが傍にいる。 それは当たり前のようで、とても心強いことなんだ。 挫けてはならない。仲間のためにも、自分のためにも。 昨日も今日も、失ってからでは意味が無い。 ~第二章 異國の丘~ 激闘の初陣を乗り越えてマレー作戦に終止符を打った俺たちだったが、どういうわけか翌月に転属の命令が下された。 SOS団含む歩兵第四十一連隊は比律賓の民答橈島(ミンダナオ島)へ配置され、物資の輸送や現地の治安維持などに従事している。 本心を言うと、シンガポールやマレー半島に留まっていたかった。初めて戦い、初めて勝利した場所だからだ。 だが、そんな贅沢は言っていられない。戦闘が無いだけマシだと思わねばならん。 ある日の昼食後、俺は何の前触れも無く長門に呼び出された。 この世界に来てからというものの、SOS団の誰かに呼び出されることはめったに無かった。元の世界に比べれば、な。 召集されるたびに無意識に身構えてしまうのは、SOS団発足以来の悲しい性だ。厄介ごとだけは勘弁してくれよ。 ええと、場所はここで合ってるよな。三階建ての、薄汚れた豆腐の中に入る。 入り口奥の左側、第一会議室と書かれた深い茶色の扉に手をかける。 中を覗くと、長方形の長机が横向きに一つ。それを囲むようにして、一番奥に長門、その手前に古泉と朝比奈さんが正対し、朝比奈さんの左側には朝倉が座っていた。 なんだ、俺だけじゃなかったのか。それはそれで余計に心配だ。 このまま突っ立っているわけにはいかない。古泉の隣に腰掛ける。 ふと、後ろを向いて半開きの窓に目を向ける。木漏れ日が部屋の中に差し込み、床が斑点模様になっていた。 全く、この暑さはどうにかならんもんかねえ。「長門、俺たちをここに集めてどうするつもりだ」 貴重な休養日だ。早く用事を終わらせて、そうだな、谷口と国木田の三人で海水浴にでも行こう。「記憶復元実習を行う。 現実世界での記憶を取り戻すことが目的」 表情一つ変えることなくそう告げる。記憶復元実習、か。「そういえば、記憶がどうたらこうたらって言ってたな。 で、具体的には何をするんだ?」「わたしの記憶を映像化したものがある。今日は、それを観てもらう」 ほう。他人の記憶を目で見られるとはな。人の考えを覗き見するような感じだろうか。「わたしの後方にある映写幕を観てほしい」 そう言われて長門の奥を見てみると、天井から吊り下げられた薄っぺらの幕が風に煽られていた。「始め」 長門の宣言と共に、真っ白の幕にうっすらと色がつく。「長門、部屋を暗くしないと見れんぞ」「うかつ」 電気を消して、窓に布をかけ、準備は万端だ。「よし、始めていいぞ」「そう」 映写機も無しに画面が染まる。しかも鮮やかな色だ。 これは、北高の入学式だな。 文芸部室。勢いよくドアを開けるハルヒ。 なるほど、長門視点のSOS団ってわけか。これはおもしろい。 ところでどうでもいい話だが、この映像を観ている俺たちが全員軍服ってのは相当バカバカしいよな。 要約された長門の生活が垂れ流される。 自分が出てくるたびに控えめな歓声を上げる朝比奈さん。楽しそうで何よりだ。 いちいち解説を加える古泉。ちょっとぐらい集中して観たらどうだ。 しかし、押し黙ったままの朝倉が気になるな。自分が消えてからの北高、複雑な気持ちになるのは仕方が無いか。 いつの間にか、実習と称した、ただの鑑賞会と化していた。 こんなことで、本当に記憶の調整とやらが進むのだろうか。 内容が終わらない夏休みに入ったところで、長門が口を開いた。「今日はここまで」 その言葉と共に、俺を含む四人が一斉に伸びをして、沈黙の後、笑った。 昼過ぎから始めて、結構時間が経ったなあ。 窓の布を取ると、空が少し紅くなっていた。もう夕方か。 海で泳ぐのはまた今度でいいか。結構楽しかったしな。「解散」 さて、陣地に戻るとしますか。 出口に向けて歩き出そうとした矢先、何者かに左肩を掴まれた。 驚いて振り返ると、右手で俺の肩を握り締めている長門がいた。「どうした?」 突然のことで、心臓が必要以上に元気になってしまう。 無駄な抵抗だが、できるだけ平静を装って話しかけた。「あなたには残ってもらう」 あれか、補習授業ってやつか。俺だけ理解が足りなかったってか。 「あなただけに観てもらいたい映像がある。 今からそれを映写する」 やはり表情を変えることなく、いつも通りの眼差しでそう言った。 俺だけにしか公開できない映像か。きっと、未来人超能力者には見せられない内容なのだろう。 再び布に色がつく。 朝倉が何かを飛ばしている姿が映る。これは、俺が朝倉に襲われたときのできごとか。 確かに、みんながいる前でこれを流すわけにはいかんな。 砂のように消える朝倉。長門を抱える俺。『眼鏡の再構成を忘れた』『してない方がかわいいと思うぞ』 できればこの部分は省略してほしかった。暑いぞこの部屋。『この機会に、お前に言っておきたいことがある。 ……。長門、俺は、お前のことが好きだ。一人の女性として』 おいちょっと待て、今のは何だ! 長門に告白だと?「長門、これは一体なんなんだ!?」 あまりに突然のことだったから、椅子を倒して立ち上がってしまった。「県立北高等学校の生活」 表情を微塵にも動かさず、長門はそう答えた。 「そうじゃなくて、今の場面だ!」 思わず声を荒げてしまう。 驚きと恥ずかしさで胸が一杯だ。「お前に告白をした覚えは無いぞ」「あなたの記憶から削除されているだけ」 そう言われると、何も言い返せない。 本当に、俺が忘れてしまっているだけなのか。 この状況では、疑う余地が無い。「長門、信じていいのか?」 返答は無い。 もしかしたら、これは実際にあったことなのかもしれない。 俺がここまで強烈に否定したがるのも、単に恥ずかしいだけなのかもしれない。そう考えると辻褄が合う。 だが、一つ気になる点があった。告白という高校生の一大行事を完全に忘れ去ることはできるのか、ということだ。 今日観た他の映像は全て事実だったと言える。それは、観ていると自分の記憶を脳内から引っ張り出すような作用を感じたからだ。 観ていて、不自然に思うところは無かった。 だがこれはどうだ。どうしても納得できない。記憶を取り戻すどころか、新たな記憶を頭に押し込められているような感覚さえあった。 俺はひとしきり考え、そして結論を出した。「長門、どうしてこんなものを俺に見せたんだ?」 反応は無い。部屋を覆い尽くす沈黙が重苦しい。 俺が怒っていると思ったのだろうか。言葉を発する素振りすら見せない。「どんな意図があったのかは知らんが、人の記憶を弄ぶのは駄目だ。 でも、お前は俺をからかうためにやったわけでは無いだろ? 何かを伝えたかったのはわかった。だが、これでは何もいいことが無いぞ。 手段を選ぼう、な」 長門、俺は本気で憤慨しているわけじゃないんだ。仲間なんだからな。お前のことは信じている。 さっきは、ちょっとばかり驚いただけさ。 心の中で、そう付け加えた。 相変わらず、返事は来ない。 長門は床を見つめている。人間に近づいているってのがよくわかる。「エラー」 不意に、長門がそう呟いた。「一連の動作は、蓄積されたエラーによるもの。 わたしに発生した感情が、エラーの内部処理を許さなかった。申し訳ない」 今のお前なら、ストレスが積み重なったって認識でいいよな。 これまでよくがんばってきたんだ。そういうことなら一向に構わない。「感情が抑止できない。 この場で処理をしたい。許可を」 俯いたまま、俺の返答を求めている。 ストレス発散ってことだろうか。長門に限って、突然暴れだすようなことは無いと思うが。 何にせよ、断る理由は無い。「お前の好きにすればいい」 ゆったりとした口調に乗せて、俺は委任状を渡した。「そう」 俺がそう伝えるや否や、正面を向きなおす長門。 そして……、えっ? 長門の全体重が俺にかかってきた。何とか態勢は崩れなかった。 あたたかく、柔らかい感触が、皮膚を伝って脳を刺激する。「長門。俺に抱きついて顔をうずめるのが、ストレス、じゃなくてエラーを処理する方法なのか?」「そう」 そう言って、長門はより強くひっついてきた。 俺も負けじと抱きしめてやった。 忙しく動く時計の針が、たった今一周した。 長門は、一向に俺から離れようとしない。 定期的に感じる暖かいのは、長門の吐息だろうか。「長門、もういいか?」 無粋を承知で声をかける。長門は無言で離れていく。「満足したか?」 黙ったまま、僅かな頷きだけが返ってくる。「さて、そろそろ帰るか。今日の夕食は何だろうな」「カレー」「それは無いな」 夕陽が、長門を紅く照らしていた。 数ヶ月ほどは、戦闘も無くミンダナオ島での平和な活動が続いた。 もっとも、俺たちがやっていることが平和に繋がるなんて全く思えないがな。 そろそろ、内地で海開きが始まる頃だろうか。 そんなとき、俺たちSOS団はハルヒに呼び出された。「今日は重大発表があります!」 向日葵のハルヒ。「我がSOS団の転属が決まったのよ! これからは、第五十五師団の南海支隊として活動するわよ! 場所はニューギニア島! ポートモレスビーとかいう拠点を奪いに行くらしいわ」 新几内亜島(ニューギニア島)か。どんなところか想像がつかん。 ちなみに、支隊ってのは師団などの臨時的な下部組織である。 集団の一部を切り取って、別働隊として一時的に独立させる、という感じだ。「で、いつ出発なんだ?」「八月四日に出航よ。 一旦ニューブリテン島のラバウルに寄港してから八月二十三日にニューギニアへ上陸、同地で戦闘開始だから!」 ラバウル? 航空隊で有名なあれか。 それ以前に、一気に固有名詞を出されても何が何だかわからんぞ。「じゃあ、各自準備を始めてね。解散!」 いつも思うのだが、えらいあっさりした会議だな。 それから一週間ほどかけて準備を進めて、きっちり八月四日にミンダナオ島を出航した。 辺りは緑色の海ばかりだ。 ああ、平穏な日々もここで終わりか。消え行く陸地に別れの言葉を告げる。 敵艦と出くわすことも無く航海を続けることができ、八月も半分を過ぎた頃、俺たちはラバウルに辿り着いた。 接岸時の揺れがあった後、順に鉄の階段を下りていく。 朝陽が階下の人々を照らしている。 地に足をつけ、集合場所で手荷物を下ろしたところで、ハルヒが大声で喋り始めた。「みんな、これから二日間の休暇を与えるわ。自由に動いていいわよ。 それと、明日には内地からの郵便船が到着するから。 各自、手紙とお土産を用意するように!」 なかなか気前がいいな。ハルヒじゃなくて連隊長が。 せっかくの自由時間だ。寝てばかりじゃなくて精一杯楽しんでやるか。 さて、このしがらみの無い時間を好きなように使おうと思っていたのだが。 俺は、いつの間にかハルヒたちの買い物に付き合わされていた。 つまり、ここにはSOS団全員がいるわけだ。何のための解散命令だ。 道を挟むようにして露店が並んでいる。色とりどりの商品を携えて。 その外側には、椰子の実が落ちてきそうな木々が間隔を空けて生えている。 店の端々から漂ってくる甘ったるい香りが、俺の鼻腔を刺激する。「みくるちゃん、あれなんかどうかしら?」「そ、そんなに引っ張らないでほしいです」 この光景だけ切り取ったら、元の世界でのSOS団と何も変わらないな。「長門さん、わたしたちは誰にお土産をあげたらいいかな」「……」 朝倉も、今ではすっかりSOS団に溶け込んでいる。何の違和感も感じない。「古泉、あっちの果物屋に行こうぜ!」「またバナナですか。 先の宴会で盗み食いをして中隊長に怒られたというのに、全く懲りない方ですね」 谷口と古泉って、なぜか仲がいいんだよな。 磁石の両極は引き付けあう、ってところだろうか。「国木田、俺たちも行くか」「そうだね」 力無く笑う国木田。たまには国木田に注目が集まってもいいだろうに。 二時間ほど店を回り、俺たちはお土産その他を買い揃えた。 俺の手の中で、星の砂が入った小瓶が光っている。 太陽は、遥か西で業務の仕上げを行っている。「じゃあ、今日はこれで解散ね。 門限は、今日と明日だけ特別に一時間延ばしてあげるわ。八時に、ここに集合だからね。 それと、明日は郵便船が来るから、それまでに手紙を書いておくこと! 以上!」 船の前で、ハルヒは快活に宣言した。 直後、七人が散り散りに船内へ向かう。荷物を置きに行くのだろう。 俺も、それに追従するようにして階段に足をかける。 ようやく俺の時間ってか。 とは言うものの、普段ハルヒに振り回されている俺が、いざ自由な時間を貰ったところでそれを有効に使えるとは思えない。 誰かを食事に誘ってみるか。俺ができる限界はこれぐらいだ。 おもむろに船室を見回す。部屋の両側に配置された二組の二段ベッド、そのそれぞれで古泉、谷口、国木田が荷物整理をしている。 こいつらとはいつも食堂で隣同士だからな。今日は止めておこう。 俺は男だらけの部屋を飛び出した。 鉄の壁に挟まれた廊下を歩いていると、俺の思惑通り、見知った人物と出会った。「よう、朝倉」 浅葱色に声をかける。「こんなところで会うなんて奇遇ね」 いつもと変わらぬ笑顔だ。だが、そこに機械的な冷たさは無い。「ああ、そうだな。 ところで朝倉、この後予定は無いか?」「うん、特に無いよ。 なに? デート?」 朝倉の言葉が俺の心臓に突き刺さる。くそ、心地よい刺激だ。「バカ言うな。誰かを食事に誘おうかと思ってたんだよ」「ふうん、そうなんだ」 視線が痛い。「で、どこに連れてってくれるの?」 笑顔のまま尋ねてくる。 そう、その質問を待っていたんだ。思わず笑みが零れる。「いい場所を見つけたんだ」 俺たち二人は、海沿いの料理店に到着した。 海に面して、木製の食卓とこれまた木製の椅子が、大空を屋根にして並んでいる。 どちらも焦がしたような茶色だ。「へえ、結構いいところね」 初めて見る風景なんだろう。朝倉はしきりに周囲を見回している。「そうだろ? 雑貨屋の邦人店主に教えてもらったんだよ」 陽も暮れかけて、辺りの木々は薄闇に覆われている。 海面は、必死に今日最後の輝きを発していた。「それで、日本語しか話せないあなたがどうやって注文するのかしら? 御品書きなんて無いわよ」 盲点、考えもしなかったことを指摘されてしまった。 急激にかいた汗で軍服が纏わりつく。「すまん、全く想定してなかった」 正直に言ってやったぞ。 朝倉は一瞬顔をしかめて、「そんなことだろうと思った。わたしに任せなさい」 直後、微笑しながら席を立つ朝倉。そして、朝倉は店員相手に饒舌な英語を使い始めた。 さすがはナントカインターフェースだ。それに加えて委員長だったからな。 谷口と二人で来たらどうなっただろうか。想像するだけでもぞっとする。「肉と魚、どっちにするの?」「肉で頼む」 俺が誘ったという立場は完全に無くなったようだ。 「サラダとスープは自分で取りに行くんだって。早く行きましょ」 そう言われて、鍋や大皿がいくつも並ぶところに向かう。 おい、そんなに急がなくても無くなりはせんぞ。「自由に取っていいのか。朝倉、何を頼んだんだ?」「シェフのおすすめスペシャル、ってやつ。 メインディッシュに、サラダとスープとデザートがセットになったものだけど?」 おお、それはまさに俺が頼もうとしていたやつだ。財布の心配をする必要は無くなったな。 目の前の大皿群には、レタスやブロッコリーなどの高原野菜が並ぶ。 端のほうには、内地では決して見られないような野菜まである。かなりの品揃えだ。 右の机上には果物か。後で手をつけよう。 しかし、これだけ種類があると逆に選びづらい。取り放題ではないからな。 食べられそうなものを適当に選んで、俺はさっさと席に戻った。 隣の食卓には、よく知る男三人組がいた。なぜだ。「おうキョン。お前も来てたのか。 誘ってやればよかったな」 名前のわからない野菜をもっさもっさと食べる谷口。 口に物を入れながら喋るのは下品だぞ。「別に一人で来たわけじゃねえよ」「なんだ? また涼宮とふたりっきりか?」 俺=ハルヒみたいな扱い方をするな。「あら、そこにいるのは谷口くん?」 間合いを計ったかのように、皿を抱えた朝倉が戻ってきた。 ここまでゴキゲンの谷口だったが、朝倉を見た瞬間、氷のように固まりやがった。 ここは南国だぞ。「お、お前……、甲一級の朝倉を……」 口を開閉させながら何やら呟いているが、よく聞き取れない。「谷口、そっとしてあげようよ。お楽しみのところを邪魔するのは、ちょっと気がひけるな」「何事も諦めが肝心ですよ。 そうですね、あちらでムームー料理を作りに行きましょう」 硬直する谷口を引っ張っていく国木田と古泉。このときばかりは、さすがに谷口が不憫に思えた。 サラダ、メインの肉と順に平らげていき、あとはデザートのマンゴーを残すのみとなった。「たまにはこんな贅沢もいいな」「そうね。いい気分転換になったし。 誘われたときはびっくりしちゃったけど、楽しかったよ」 満面の笑みで話す朝倉は、夜の闇に屈しない輝きを放っている。「そうだ。訊きたいことがあるんだが、いいか?」 知りたいことがあったのを思い出した。 少し迷ったが、この機会を逃す手は無いな。「いいよ。何でも質問してね」 お前は本当に、純粋というか棘が無いよな。 これを機に、俺の枷が取れてしまった。「朝倉、お前はどうやってこの世界に来たんだ?」 言った直後、自責の念でいっぱいになる。 またしても、朝倉にきついことを訊いてしまった。よりによって、こんな和やかな雰囲気の中で。 だが朝倉は、笑顔を崩すことなく答えた。「そんな質問をするぐらいならある程度はわかってるんだと思うけど、わたしは涼宮さんの意思だけでこの世界に来たわけじゃないよ。 涼宮さんには、力を借りただけ」 いまいち理解できん。「もう少し、詳しく説明してもらえるか」 溢れる探究心がおさまらない。「ええと、なんて説明したらいいかな。 わたしは、もともと復活したいって願望があったの。 それで、涼宮さんは急に転校したわたしのことを気にかけていたから、この世界ができたときにわたしも一緒につくられたんだと思う」 なんとなくわかるが、ちょっと抽象的過ぎやしないか?「これだけじゃ全部は理解できないよね。でも、これ以上は喋りようが無いの。ごめんね」 え? そんなに壮大な話? まあ、ある意味では世界規模の問題だがな。 「わかった。余計な詮索はしない。 こんな質問しちまって悪かったな」「ううん、全っ然気にしてないよ」 目の前で花火が炸裂する。 朝倉が朝倉でよかった。素直に、そう思えた。「じゃ、そろそろ帰ろうぜ。今日は俺の奢りだ」 最後の最後で主催者を強調してみる。我ながら虚しい抵抗だ。「本当!? やったね」 しかしまあ、以前にも増して表情豊かになったな。 俺は勘定を済ませて、先を行く朝倉の背中を追いかけた。「おいおい、置いていくなよ」「ゆっくり歩いたつもりだけど? それとも、わたしが離れてさみしくなっちゃった?」 なんてこと言いやがる。突然熱帯夜になっちまった。「先に帰るぞ」「あ、ちょっと待ってよ」 月明かりが、俺たちを包み込んでいた。 船内に響き渡る声と共に目が覚める。「みんな! 朝食の時間よ!」 どうして、廊下からの音が室内まではっきりと聞こえるのだろうか。 今日のハルヒは、普段のハルヒに輪をかけて元気一杯だ。 何かいいことでもあったのだろうか。 それがわかったのは、朝食を終えてから二時間ほど後のことだった。「みんな! 郵便船が来たわよ!」 太陽が、自ら真相を語ってくれた。 走るハルヒを追いかけていくと、一隻の小型輸送船と薄い茶色の群れが目に入った。 近づいてみると、なんだなんだ、船の周囲だけがやけに活気付いている。 銀座にでも迷い込んでしまったのだろうか。「慰問袋を取ってくるから、ちょっと待ってて」 そう言い残して、ハルヒは駆け足で人ごみの中に消えていった。 全く、忙しないやつだ。 数分後、息を切らしたハルヒが戻ってきた。 薄い灰色の袋を、宝物であるかのように抱え込んでいる。「これが、みんなの、手紙よ。 古泉くん、配って」「仰せのままに」 両手を使って丁重に袋を受け取る古泉。「ええと、これは国木田くんですね。 これは涼宮さん」 一人一人と目線を合わせて手紙を渡している。「はい、あなた宛てですよ」 封筒を手に取る。表面に砂が撒かれたような感触だ。 妹の名前が、妹の字で書かれている。 左上には、検閲済みを示す黒い判子がある。「これ、今すぐ開けてもいいのか?」 早く中を見たい。焦りが俺を突き動かした。「いいわよ! 思う存分読んでちょうだい! あ、その前にみんなが送る封筒を集めておくわ。この袋に入れて」 各自が、ここで調達した大型の封筒を袋に投函していく。 検閲があるのでどれも簡素なものだが、色調に微妙な個性が現れているのがわかる。 俺は、どこにでもある茶色の封筒だ。 さて、手紙を読むとするか。 封筒を慎重に破ると、二枚の乳白色が俺を待ち構えていた。 妹のやつ、一体どんな手紙をよこしたのだろうか。 南の島のキョンくんへ 七月十八日 縣立第一高等女學校 一の二 妹 今年の夏は格別暑いね。 キョンくん、比律賓での活動は樂しいかな。 私も毎日元氣にやつてるよ。 もうすぐ學校は夏休み。 でも、心と體(からだ)を鍛えるために一生懸命がんばらないとね。 朝は、毎日五時に起きて庭の掃除をしているんだ。 晝(ひる)は、皆でプールに行つて水泳。 初めは全く泳げなかつたけれど、最近は大分進めるやうになつたんだ。「海に圍(かこ)まれたこの日本のお國をより強くするには、水と仲良しになって、水泳ぐらいは誰でもできなくてはいけない」と先生がよくおつしやるんだよ。 天皇陛下をいただくこの立派な日本のお國に生まれて、本當によかつた。そう思わなきやね。 キョンくんにも、成長した私を見てほしいな。 でも、戰地にいらつしやるからそれはできないよね。少し殘念だな。 その代わり、私がかうしていろんな勉強をしている間、キョンくんが戰地で一生懸命働いてお國を守つてくださると思ふと、とつても心強い氣持ちになるんだよ。 キョンくん、しつかりがんばつてくださいね。私も一生懸命がんばる。 さうして、立派な大人になつてお國を守るんだから。 では、キョンくん、體を大切になさつてね。 さやうなら。 俺はもう一度宛名を確認した。妹の名前。 いや、口調というか文体はいかにも妹って感じなんだが、内容が――。 信じられない。 何度も読み返す度に、紙は重みを増していく。 戦場に立ってからというものの、俺は妹の存在をすっかり忘れていた。世界のことやらマレー作戦やらで、家族に目を 向ける余裕が無かったからな。 妹がこの世界の住人なのか、はたまた俺と同じ元の世界から飛ばされた人物なのかはわからない。可能性、としては後者の方が高いらしいのだが。 だが、一つだけはっきりしたことがある。俺がこうして敵と対峙している間にも、あいつはあいつの人生を歩んでいたんだ。 父が諾門罕(ノモンハン)で散った今、そんな妹を護れるのは詰まるところ俺しかいない。 それなのに、俺は帰ることができない。顔を見られない。そばにいてやれない。 気がつくと、俺は人目を憚らず涙を流していた。 慌てて腕で顔を覆う。 誰も俺に触れない。ハルヒと谷口すら、俺を茶化そうともしなかった。 ひとしきり感情を曝け出して、俺はようやく平静を取り戻した。 ふと右を向くと、両手で紙切れを持っている長門が座っている。「長門、誰からの手紙だ?」 黙々と読んでいたので少し躊躇ったが、声をかけてみることにした。「わたしが保有する情報には無い人物」 知らない人からの手紙? 傍に置いてある封筒を手に取ってみると、俺も聞いたことの無い名前が書かれていた。 波止場に足を投げ出している古泉に尋ねてみよう。「古泉、長門が見知らぬ人からの手紙を持ってるんだが、どうなってるんだ? お前の仲間が送ったものじゃないだろうな」「まさか。そのような業務は承っていません」 似非笑顔で否定されても信じがたいぞ。「あなたは、見知らぬ兵隊に向けた慰問文があることをご存じないですか? 学校単位で、満州や南方の部隊にまとめて送るんですよ」 あいにく、俺はこの世界の住人じゃないもんでな。それを言っちゃあおしまいか。 それを聞いた俺は、駆け足で長門の元へ戻った。「長門。この時代には、知らない兵隊さんに手紙を送る習慣があるらしいぞ」「そう」 どこか嬉しそうな顔つきになっている。俺の気のせいかな。 しかし、差出人はまさかこの手紙が女性の兵士に届いたなんて思いもしないだろうな。「よかったな、長門」 そう言ってから、俺は長門の頭を撫でてやった。さらさら。 昨日、貴重な休暇を有意義に使うと宣言した俺だったが、その脳内公約を早くも破ってしまった。 昼寝だ。疲れてたんだよ。 それから早めの夕食を船内の食堂で取って、俺は残り少ない時間を持て余しているところだ。 何の気なしに甲板に出てみた。沈みゆく西日を眺める。 透き通る海に、太陽光の反射が映える。 暫く何も考えずに見ていると、誰かが俺の服を引っ張った。 ぼんやりしていた脳が、ゆったりした右向け右をさせる。 そこには、俺を見上げる小さな兵長さんがいた。「どうした、長門」 少し屈んだ姿勢を取ってから、長門に向けて声を放つ。「来てほしい」 長門は、それだけぽつりと言って歩き出してしまった。 無言のまま十分ほど歩を進めていくと、灰色の滑走路と大量の航空機が目に入った。「長門、ここは何だ?」 なんとなく予想はつくが。「ラバウル海軍航空隊、ラバウル基地」 ああ、やっぱりな。 これが、ラヂオや伝聞で散々聞いたラバウル航空隊か。 しかしなんだ、長門がこういうのに興味があったとは意外だ。「現代人」としては、な。「これが見たかったのか?」「そう」 道沿いに歩きつつも、長門の頭はずっと飛行機の方を向いている。 こうして見ていると、初めて動物園に行った子どもみたいに思える。 相違点は、国防色の特徴的な服を着ているかどうか、それぐらいかもな。 「おや、こんなところで会うとは」 突然、俺の視界を微笑顔が占領しやがった。「古泉、お前こそどうしたんだ」「ここに知り合いがいまして。 半年前、あなたに紹介しようとしていた方ですよ。この機会に、今から会ってみますか?」 そういえば、そんな約束があったようななかったような。「犬猿の仲と名高い陸軍と海軍が、そう気軽に対面できるものなのか?」 そう尋ねると古泉は苦笑いを浮かべて、「いえ、さすがに堂々と会うのは無理ですね。 予め、待ち合わせ場所を指定しているんですよ。 それでは行きましょうか」 そうまくし立てた。俺の意見が入る余地は無しか。 結局、古泉に乗せられるままに俺たちはついていくことになった。 茂みの中にある、一際大きい木を発見する。 その根元には二つの影。「こんばんは、多丸ご兄弟。 こちらは、鍵とTFEI端末の長門有希です」 あの多丸さん? まさかこの二人がいたとは、想像もつかなかった。「お久しぶりです」 驚いて言葉を失った俺は、挨拶を絞り出すのが精一杯だった。 あ、忘れていた。慌てて敬礼をする。「私用の場だ。改まらなくてもいいんだよ」「やあ。いつ以来だったかな」 二人と順に握手を交わす。皺の入った、大きな手だ。「このお二方が、半年前に飛来した試作爆撃機『彗星』の、操縦手と機銃手です」 右手を添えて紹介する古泉。「あのときはありがとうございました」 もしかすると、俺はあそこで死んでいたかもしれないからな。 この程度の陳腐な言葉では、感謝を表しきれない。 「敵を殲滅させるのは、軍隊の責務だからね」「もっとも、我々は第〇七〇七小隊を護ることを第一としているが」 高らかな笑い声と共に話す二人。 それにしても、この二人はまさに軍人って感じだ。 風格が俺たちとはまるで違う。傍にいるだけで、見えない何かに押されているような感覚を受ける。 古泉、お前もまだまだ修行不足だな。「会ったばかりですが、これから内々の話がありますので、先に帰ってもらってもよろしいでしょうか。 申し訳ありません」 躊躇いがちに話す古泉。 寧ろ、はやくこの場を去りたかったから好都合だよ。 機関とやらの空気は、俺には一生馴染めそうに無いな。「わかった。門限までには帰れよ。 多丸さん、機会があればまた」 別れの挨拶を簡単に済ませてから、俺は再び額に右手を添えてしまった。 太陽はすっぽりと地平線に埋まってしまい、月明かりだけが俺たちの水先案内人となっていた。「長門、見学は楽しかったか?」 控えめな頷きを視認する。 それにしても、なんだってこんなところに来ようとしたのだろうか。 数機の戦闘機が着陸する場面があったが、それが見たかったのか? ふと、一機の戦闘機を凝視する長門が頭に浮かぶ。「長門、あの飛行機になんか思い入れがあるのか?」 歩みが止まる。「乗りたい」 長門は、唐突にとんでもないことを言い出した。 じっと見つめられてもなあ。 長門、その願いはさすがに無理だ。歩兵科の俺ではどうしようもない。「まず、飛行特技章をつけてもらわないとな」「その手段を教授してほしい」 瞬きもせず見つめられてもなあ。「すまん。俺は知識不足なんだ。 明日にでも、そうだな、古泉に教えてもらうといい」「そう」 長門の囁きが、頭の中でうっすらと響く。 「ところで、どうして乗りたいなんて思ったんだ?」 この問いかけに対し、暫くは何も反応が無かった。 少しの沈黙の後、長門が口を開く。「護りたいものがある。 九二七〇六四九一界限」 護りたいもの、か。以前の長門なら絶対に言わないようなことだな。 長門の大切なものってなんだろう。 きゅうにーななれい、なんとかかんとか。後半の数字が気になるが、宇宙人的な暗号か何かだよな。「そうか。護り切れるといいな。 いや、護り抜かないとな」 そう言うと、長門は少し浮かない表情になった。ような気がした。「よし、帰るか。 なに、ニューギニア戦線が終わればまた見に来れるさ」 月光に照らされた長門の頭が、ほんの少しだけ動いた。 「もう一つ依頼がある」「なんだ? 何でも言ってくれ」 こういう風に、長門が自分の意思を持つようになったのはいいことだからな。俺もできる限りの協力をしなくては。 長門は、無言ですっと右手を差し出してきた。 悪い長門、食べ物は何も持ってきていないんだ。そう言おうとしたときだった。「手を繋ぐ」 俺は耳を疑った。 手を? 繋ぐ? 俺と? なぜ! 目の前には、俺の左手を待つ、小さな五本の指がある。 腹を括れってか。ああもう仕方ない。「わかった。今日だけだからな」 安易に承諾してよかったのだろうか。 疑問を抱きつつも、とりあえず長門の右手を握る。ひんやりとして柔らかい。 すると、それまで微動だにしなかった長門の指先が動き出した。 俺の指と長門のそれが絡まる。 握っている方とは別の手が、じんわりと汗で濡れる。「長門、この繋ぎ方はどこで覚えた」 如何せん動揺してしまって、質問を投げかけることぐらいしかできない。 すると、長門は無表情のまま答えた。「これが一般的な手の繋ぎ方であると、涼宮ハルヒから見聞した」 ハルヒの入れ知恵か。くだらん。 あいつには、一度釘を刺しておかねばならんな。「これも今日だけだからな」 長門は俺を見上げている。「なぜ」と言いたげな目だ。「よし、そろそろ行くぞ」 それから、しきりにこちらを覗く長門と並んで歩き、俺たちは闇夜の中を徐行していった。
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