「ベットの下」
「さて、どうしたもんかな」 その日、普段よりも1時間ほど遅く目を覚ました俺の第一声がそれだった。 今日は休日で学校は休み、いつもならこの後に「だが、ハルヒによって駅前に何時に集合を」となるのだが、梅雨の晴れ間とでも言えばいいのか、今日に限って何の予定も無かった。 毎週毎週、懲りもせずにハルヒが思いつくイベントに強制参加させられている時は、たまには家でのんびりしてたいもんだぜ……と、常々思っていたのだが「暇……だな」 ぼんやりした頭をかいてみても、特に何もやることは浮かんで来なかった。 このまま二度寝をするのもいいかもな……とも思わなくは無いのだが、このまま眠って夕方にでも目を覚ませば、せっかくの休日をなんて無駄に過ごしてしまったんだと後悔する事になりそうだ。 とにかく起きるとするか。 殆ど体温と同じくらいに温まっていた布団から抜け出し、目を覚まそうとカーテンを開けてみると――お、今日はいい天気だな。 ここ数日の雨もあがり、そこには久しぶりの青空が広がっていた。 どうやら、本格的に梅雨明けらしい。 トーストとコーヒーという簡単な朝食を終え、ついでに何処かへ出かけられるようにと身支度も整えてから部屋に戻った俺だったのだが……なんていうか、一人で出歩いてもなぁ。 ここ暫くの間ハルヒにずっと引きずられっぱなしだったせいなのか、いまいち自分では何処かに行きたいという欲求が湧いてこない。 誰か誘ってみるか。 そう思って携帯を取り出し、俺は適当に電話帳をスクロールさせてみた。 せっかくの休みだ、ハルヒに電話するなんて無謀な事はしたくない。 となれば……たまにはこいつを誘ってみるとするか、いつも誘われてるってのも何か癪だし。 そんな思いつきで電話をかけてみると――数回のコール音の後、一回留守番電話に切り替わった後電話が繋がった。「もしもし? 珍しいですね」 その第一声は、そいつにしては珍しく慌てている様だった。 忙しいなら切るぞ。 別にそれ程の用件でも無いし。「いえいえ、お気づかいなく」 そう答える古泉の声と一緒に、広い場所を大勢の人が歩いている喧騒が聞こえる。 外出中だったのか。「ええまあ、森さんの買い物の荷物持ちをしている所です」 なんていうか、お疲れさん。「ありがとうございます、それで……ご用件とは?」 ん、ああ。お前が暇してるなら何処かに行かないかって言うつもりだったんだ。「それは残念です、また機会があれば是非誘ってください」 そうするよ。 休日だってのに営業職の様な口調を崩さない古泉に苦笑いを浮かべつつ、俺は電話を切った。 さて、となると……だ。 次に電話してみようと思う相手と言えば、考えるまでもなく浮かんでくるのは朝比奈さんの名前だ。 単純に考えれば、俺が休日を二人で過ごしたい相手といったら彼女が一番に上がるのは間違い無い。 それは間違いない事実なのに、携帯の上で朝比奈さんの名前が反転した所で指は止まった。「わたしとは、あまり仲良くしないで」 以前学校で聞いた、大人の朝比奈さんのこの言葉。 その意味は未だに解らないが、きっと何か深い意味があるんだろう。 っていうか、そんな心配をするまでもなく俺からの誘いじゃ、断られる可能性の方が圧倒的に高いんだろうけどな。 朝比奈さんにいらぬ気遣いをさせるのも何だし、俺はその選択肢を試す前に諦める事にした。 となると残るは長門か。 なんとなくだが、電話さえすれば長門はそのまま誘いに応じてくれる気がしてる。 というよりも、長門は断るって事を知らない感じなんだよな……。 だから何となく誘うのは悪い事の様な気がして、あまり長門に電話する気になれないでいたんだが……ま、たまにはいいか。 せっかくの休日を一人で過ごすのも、電話をするまでもなく暇をしているであろう谷口や国木田と過ごすのも勿体ない。 そんな事を考えながらコール音を何度か聞いた後、「もしもし」 聞きなれた感情の感じられ無い声が、携帯越しに聞こえてきた。 よう、長門。今何してたんだ。「特に」 そっか。 この静かさからすると、マンションの部屋の中に居るみたいだな。 せっかくの休みだが、図書館とかに出かけたりしないのか?「その予定は無い」 これはつまり、長門も俺と同じ様に退屈してるって事なんだろうか。 なあ長門、もしお前が良ければなんだが。「何」 これから俺とどこかに出かけないか? たまには、ハルヒに振り回されずに外出するのもいいと思うんだが。「……」 そんな提案から十数秒間、もしかして長門は断る台詞を考えているんじゃないかと俺が思う位の沈黙を挟んだ後、「行く」 長門はそう、淡々と答えるのだった。 となると……そうだな。「どこか行きたい場所とかあるか?」「行きたい場所」 ああ。 前に言ってた図書館でもいいし、他に行きたい場所の当てがあるのならそっちでもいいぞ。「……」 再び始まった沈黙に、さて、宇宙人が休日に遊びに行きたいと思うのはどんな場所なのかと想像力を働かせてみた俺なのだが、「貴方の家に行きたい」 その答えは、俺の現在地だった。 ……っていうか、「いやまあ、俺の家で遊ぶのはいいんだが……別に面白い物なんて何も無いと思うぞ?」 だからこそ俺は外に出かけようって思ってたんだし。「いい」 まあ、お前がそう言うのなら。 ゲームだって新しいのは買ってないし、パソコンも無い。この、我ながら面白味の無い部屋のどこに長門は興味を惹かれたんだろうか。 ともあれだ、長門が来るとなれば多少は掃除しておいた方がいいだろう。 電話を切った後、我ながらあまり物がない自分の部屋の掃除に俺は取りかかった。 それから30分程が経ち、とりあえず掃除が一段落過ぎた頃、玄関から来客を告げる呼鈴の音が聞こえてきた。 さて、と。長門はどんな服装でやってきたんだろうな。普通に考えればいつもの制服姿だとは思うんだが、少し楽しみでもある。 足早に階段を下り、玄関の扉を開けた先に俺が見たのは――「おはよう、キョン」 カジュアルな夏物の服に身を包んだ……ハルヒだった。 ……えっと。「何であたしがここに居るの? って顔ね」 御理解が早く助かるね。 ちなみに、ハルヒの後ろには長門の姿もちゃんとあった。 ついでに言えば珍しい事に長門も私服姿で、その感想を言おうにも間に立ちはだかるハルヒが邪魔になっている。「で、何でお前がここに居るんだ」「聞きたい?」 ああ、是非お聞きしたいね。「あたしね、たまには初心に返るのも大事かなって思って、今日は一人で宇宙人探しをしてたのよ。そしたら、偶然有希にあったってわけ」 そうかい。 目的通りに宇宙人を発見する辺り、流石はハルヒって感じだな。「それで有希はこれからどこへ行くのって聞いたら、あんたの家に行く所だって言うじゃない」 なんだ、その人を蔑むような目は。 何か問題でも。「大いに問題ね。あんた、休日に女の子を自分の部屋に連れ込んで何するつもりだったのよ」 何をするつもり、って言われてもなぁ。 正直な所を言えば、俺は長門が我が家を訪問したいと言い出した理由をまだ知らないんだ。「……そんなに言い辛い事なの? まったく、あたしが一緒に来て正解だったわ」「勝手に早合点するな。長門が俺の家に来たのは、別に何か予定があっての事じゃない」 多分だが。「ふ~ん、じゃああたしも一緒にお邪魔してもいいのかしら」 どうだろうな。「俺はまあどっちでもいいんだが。長門、お前はどうなんだ」 ずっとハルヒの後ろで沈黙していた本来のお客様に、俺はそう聞いてみた。「一緒でいい」 本当か? 断りにくいんなら、俺が代わりに言ってやるぞ。「いい」 まあお前がそれでいいならいいんだが。「決まりね! じゃ、お邪魔しま~す!」 ……やれやれ、今日はゆっくり出来ると思ってたんだけどなぁ。 俺を押しのけて玄関へと入っていくハルヒを溜息で見送りつつ、外に立ったままでいる長門を家の中へと招き入れた。「……思ったよりまともな部屋ね」 断りも無く勝手に部屋に入って待っていたハルヒは、俺と長門が部屋に着いたのを見て退屈そうに呟いた。 っていうか、誉めてるんだよな? それ。 口調はともかくとして、汚いとか狭いとか言われるよりはいいが。 家主の視線も気にせず部屋の物色を始めるハルヒを、長門は淡々と視線で追っている。 さて、この三人で集まって何をすればいいんだ? 夏休みの時みたいに宿題がある訳でもないし、本当に何もする事は無いと思うんだが。 ……このまま立ってても仕方ないか、「何か飲み物でも取ってくるから、長門はその辺に座っててくれ。ハルヒ、お前は少しは大人しくしてろ」 無駄と解っていながらもそう忠告を残し、とりあえず俺は部屋を後にした。 ――しっかし、まさかこうなるとはなぁ。 冷蔵庫から麦茶を取り出し、お盆に氷を入れたコップを人数分乗せて部屋へと戻りながら、俺は自分が何故こんな状況に置かれているのかを考えていた。 朝起きた時、俺には何の予定も不安要素も無かったはずだ。 それは退屈ついでに古泉の奴に電話した時も変わらないだろう。 朝比奈さんに電話するのを遠慮して、代わりに長門を電話をかけた時だって、まさか休日にハルヒが俺の部屋に来るなんて事になるとは思いもよらなかったんだ――が。 自分の部屋の扉を開けた時俺が見た光景は、もはや思いもよらなかったとかそんなレベルではなかった。 まず目に入ったのはベットの上に腰かけ、ドアの前に立つ俺を静かに見つめる長門。 そして目に入ってきたものの、その存在を否定したくなったのは……だ。そんな長門の足元蠢く、ベットの下に入り込んでいるらしい誰かの足だった。 ま、言うまでも無くそれが誰の足なのかは解っていた訳で、俺は何も言わないままコップの中に入っていた氷の一つをその足の上に落としたやった。 俺の手を離れた氷は真っ直ぐ目標へと到達し、「――ひっつ冷たっ。痛ぁ!」 驚きの混ざった悲鳴に続き、ベットの上に腰かける長門の体が振動で小さく揺れた。「……まだ頭が痛いんですけど」 釈明の前に言う言葉がそれか。 ベットから這い出し、俺が差し出した麦茶を受け取ったハルヒは頭を押さえながら不満そうな顔をしている。 そもそもベットの下なんて場所までまともに掃除しているはずもなく、ハルヒの服のあちこちについた埃がついてしまっていた。「で、ハルヒ。何でお前は俺のベットの下に潜り込んでたんだ?」 そんな場所にお前が好きそうな物は無いと思うんだがな。「別に。ただ待ってるのも退屈だったし、何か面白い物がないかなって思ってちょっと探してただけよ」 そうかい。 その代償が頭のコブだってんなら、少しは好奇心を抑える努力をして欲しいもんだぜ。「で、どこに隠してるのよ」 何の話だ?「だから、どうせこの部屋の何処かにあるんでしょ?」 いい加減、物事を主語から話す癖をつけてくれ。「お前はいったい何を探してるんだ」 金か? 言っておくが金なら笑える程持ってないぞ。 ハルヒは俺の顔を見て一瞬言い淀んだ後、「……エッチな本」 部屋の空気をあっさり凍りつかせてくれたのだった。 ……お前、今なんて言った。 一応、念の為にそう聞きなおしてみると、「だから、エッチな本を探してるって言ってるの」 どうやら、俺の聞き間違いでは無かったらしい。 腕を組んだまま俺を見ているハルヒは膨れっ面のままで、それ以上何も言って来ないでいる。 まったく、ここには長門も居るってのに何を言い出すかと思えば、「ハルヒ、男が読む様なエロ本にお前が何の用があるんだ?」 詳しい事までは知らないが、女性用と男性用とでは内容に違いがあると思うぞ。「ち、違うっ! あたしが読みたいんじゃないわよ」 じゃあ何で。「あんたが変な趣味とか持ってて犯罪に走ったり警察に捕まったりしない様に、あ、予め性癖とかを把握しておこうと思っただけよ」 ……誰か、この馬鹿に女子高生らしい発想ってのを教えてやって下さい。「で、どこにあるのよ。出しなさい」「断固黙秘する」 自分の年齢的に一冊も持ってないなんて言いはしないが、何が悲しくてお前に俺のエロ本何ぞを見せなきゃならんのだ? 百歩譲って、相手が古泉だってんならまだ話は解る。男同士だからな。「隠すって事は、どうせ人に言えない様な趣味を持ってるんでしょ」 どこぞの政治家みたいな頭の緩い発想は勘弁して欲しいんだが。 とまあ、ここまではいつもの横暴なハルヒだったんだ。が、「ああもう! 有希だって確かめておきたいって思うでしょ?」 俺への要求が通らない事に不満でも感じたのか、一人沈黙を守っていた長門にまで絡み始めやがった。 おいおい、勘弁してくれよ。 お前が馬鹿な事を言い出すのはいつもの事だから気にしないが、そこに長門まで巻き込むんじゃない。 いくら静かな顔で聞いてるからってな、長門はこんな話題を振られたって困るだけ「見てみたい」……へっ? 再び凍った部屋の空気の中に、「興味がある」 長門の静かな声が響いた。 ――自分から聞いておいてなんだが、ハルヒもまさか長門が同意するとは思って無かったんだろうな。「え、ああその。やっぱり止めておきましょう? まだ昼間だし、こんな話題をする様な時間じゃなかったわ」 こんな時になんだが、慌てて手を振ってるお前のその意見には同意しておこう。 ついでに、これが普通の高校生の男女がするような話題でも無いって事も理解して欲しいが。「何故」「それはその、あれよ。そういう話題は、深夜とかにする物だって決まってるの」「時間帯を気にする理由がよく解らない」「ええっと、そ、それはね? つまりその――」 本気でハルヒの言葉の意味が解っていないらしい長門の追求の前に、慌てるハルヒの姿はある意味見物だったのだが、「まあその辺にしておこうぜ? 俺の趣味に興味があるってんなら、そこの本棚に並んでる本なら好きにしてくれていい」 珍しい事に、俺はハルヒに助け船を出していた。 もしかしたら初めての事かもれんな。「そ、そうね。そうしましょう! ――って、あんたの部屋の本棚って漫画ばっかりじゃない」 それが何か。「少しくらいは真面目な本とか……一応、一冊だけあるわね」 背の低い単行本が並ぶ本棚の中、一つだけ置かれた背の高い本にハルヒは気付いた様だ。「その本なら長門のだ」「有希の?」 ああ。「前に部室で読んでたのを貸してくれたんだよ」 読み終わるのに随分かかったぜ、それに見合うだけの内容ではあったが。「ふ~ん……で、あんたのお勧めってどれ?」 ――俺が適当に選んでやった本を見て、最初は「漫画なんて読むだけ時間の無駄よ」等と言っていたハルヒだったのだが、「ちょっとキョン、早く読みなさいよ? あんたは一度読んでるんでしょ」 やけに静かに読んでると思ったら、1巻を読んでる間にはまってしまっていたらしい。 ベットの上で寝転ぶハルヒは、まるでここで遊ぶのは何時もの事だとでも言いたげな程に馴染んでいた。 ったく、そんな恰好で寝転ぶのならスカートで来るな。 暇だからって理由で開いていたその漫画の2巻を渡してやり、俺はまた違う漫画へと手を伸ばした。 ちなみに長門はと言えば、ベットに寝転ぶハルヒの隣に腰かけたまま「……」 本であればどんなジャンルであってもいいらしく、部室に居る時と同じ様に黙々と漫画を読んでいる。 普段はタイトルを解読出来ないようなジャンルの本ばかり読んでいるから、漫画には興味を示さないんじゃないかって思ってたんだが……意外だな。 っていうか、よく見ると今日の長門の服装はどこかで見た事があるような気がする。 街でみかけたとか、テレビとかじゃなくて……あ、そうか。 俺が以前、たまたま部室で読んでた雑誌の表紙に写ってたアイドルか何かの着ていた服装にそっくりなんだ。 って事はもしかして、長門はこう見えて漫画とかにも結構興味があるのかもしれないな。 長門の趣味が増えるのはいい事だろうし、俺としても同じ話題で話せる相手が出来るってのは素直に嬉しい。「キョン、次の巻取って。ついでに面倒だから最後まで全部」 あいよ。 普段お前の無理難題と比べれば、こんなのはお安い御用だ。 ――とまあそんな具合に、俺達は珍しく普通の高校生みたいな休日を過ごした訳だ。「本当に借りてってもいいの?」 ああ。 結局、読み切れなかった分を借りる事になったのはハルヒだけではなく、「貸してくれてありがとう」 長門の手にも数冊の雑誌があった。 返すのはいつでもいいぞ、面倒なら学校で返してくれてもいい。 俺はもう読んだ本ばっかりだしな。「じゃあまた明日学校で! 有希、行きましょ」 頷く長門と一緒に歩いていくハルヒを、俺は玄関で見送った。 さて、どうやら無事乗り切る事が出来たみたいだな。 部屋に戻った俺は、数時間ぶりに一人になった事に何故か安堵していた。 別にそれは俺が孤独を愛しているとかそんな訳ではないんだが、まあ色々と人に言えない事情があるんだよ。 少し休むか。 そう思ってベットに倒れこむと……えっと。 特に意図していた訳ではないのに、ベットから香る明らかに自分とは違う女性的な匂いに俺は気が付いていた。 えっと、確かここは……ちょうど長門とハルヒがくっついて座ってた辺りか。 一度意識してしまえば余計に気になる訳で、俺は急いでベットから立ちあがると今日一日開けっぱなしだった部屋の鍵をかけた。 いったい何をするつもりなのかって? 野暮な事を聞くんじゃありません。 俺だって健全な一、男子高校生である訳で、その辺の事情は大いに考慮して欲しいもんだね。 手際良くレースのカーテンを引き、ベットの前へと戻った俺はマットレスとベットの間へと手を差し入れた。 普段は野生動物並みに勘がいいが、今日は鈍ってたみたいだなぁハルヒ。 そもそもベットの下なんてのは、その手の本の保管場所としては衛生的に見ても不適格であり、一人部屋をもった年頃の男は安全かつ機能的な隠し場所の一つや二つ準備しているもんなんだよ。 俺の場合はマットレスの足側のカバーの内側だ。 頑張ればベットの上から下りなくても本が取れるし、マットレスの上にシーツをかけてるから急な洗濯にも慌てなくていい。 一人になった解放感に浸りつつ保管場所で目的の物を探していた俺なのだが……嘘だろ? 俺の手は、虚しくベットとマットレスの間で空を切るのだった。 手を動かすだけでなく、マットレスを持ち上げてみても、そこにあるはずの本の姿はどこにも無かった。 待て待て、落ち着け。俺。 えっと、あの本を最後に読んだのはいつだ? あれは……確か一昨日の夜だったな。 その時は確かにここにしまった覚えがある、って事はまさか。 最悪の想像の前に、血の気が引いたのも無理は無い。 何せその本は、長門に良く似ているグラビアアイドルが制服姿で色んな写真を撮られるという内容だったのだから。 本来で言えば高校生が買ってはいけない指定の本だっただけに、その本の後半では色んな意味で口には出来ない様な写真が続いている。 知り合いに似てる奴が写ってる写真集を買うなんて趣味が悪いって? それこそ思想の自由って事でほっといてもらいたい。 もし、万一だ。……あの本を持って行ったのがハルヒだったら? 良くてSOS団を追放、運が悪けりゃ世界崩壊の危機って奴かもしれない。 いや待て、まだ慌てるような時間じゃない。 ――自分の勘違いって線や思いつきで始まる母親の掃除、ついでに妹の狼藉って可能性も考慮しての捜索は、その日の夜遅くまで続いた。 翌日、学校で俺を待っていたのは「ねえキョン! あの漫画の作者の他の漫画もあんた持ってたわよね? 今度また読みに行ってもいい?」 漫画の感想を話したくて仕方ないって感じのハルヒだった。 ……よかった、お前じゃなかったか。「ちょっと何よ、朝からそんな低いテンションで」 いや、心配事が杞憂に終わってほっとしてるんだよ。 ――結局、例の本は日付が変わっても見つからなかった訳なのだが、どうやら何処かに隠れてしまっただけみたいだな。 正直かなり惜しいとは思うのだが、世界の命運の為とあらば仕方がない。「読みたきゃいつでも読みにくればいい。その時間が無いなら、2、3冊ずつ位だったら学校まで持ってきてやるぞ」 もし来るのなら、それまでに家探しをしておく必要はありそうだが。「本当? じゃあ早速明日からお願いね! それにしても、少年誌って意外と面白い漫画が載ってるのね……昨日は思わず借りた巻を何度も読み返しちゃったわよ。でね? あのみんなが集まる最後の戦いのとこなんだけど――」 楽しそうに語り始めたハルヒを前に、俺はこの話はこれで終わりだと思っていたんだ。 しかし放課後、俺が寝不足の体を引きずって部室を訪れた時、その認識が間違っている事に気付かされた。「みんな揃ってるわね~うんうん、いい心がけだわ」 ハルヒと一緒に部室に部室に入った俺が見たのは、何時もと変わらぬ微笑みを浮かべた朝比奈さんに、無意味に笑顔を向ける古泉。そして――「あれ? 有希がヘアピンつけてるなんて珍しいわね」 窓際に座って読書を続ける長門の髪に、今日は白いヘアピンが付けられていたのだ。 それはこの部室で見るのは初めての姿であり、長門が普段服装や装飾に気を使わない性格だけにハルヒも気になったんだろう。「ふ~ん、可愛いけど……これってみくるちゃんが付けてあげたの?」「いえ。違います」 首を横に振る朝比奈さんを見て、「そう」 ハルヒは暫く何かを考えていた様だったが、やがて自分の席へと座って鞄の中に入れていた例の漫画を読み始めるのだった。「昨日は誘ってもらったのにすみませんでした」 別に、気にするな。 正直な所、最初にお前を誘った事は忘れてたし。 古泉とそんな適当なやり取りをかわしながら何時もの席に座った俺なのだが、その内心は大いに動揺していた。何故なら、だ。 ……長門が今日しているヘアピンは、俺が無くしたと思っている例の本の中でアイドルがつけているのと全く同じ位置に付けられていたのだから。 これが日替わりで髪形を変えてた時期もあったハルヒなら偶然だと思ったかもな。だが、さっきも思ったが長門はアクセサリーを殆ど付けたりはしないんだ。 よくよく見れば今日の長門は、例の本の中のアイドルと同じ様にスカートの丈が微妙に短い様な気もする。更に言えば靴下の色までアイドルに合わせているようであり……これはもう、あの本を持っていったのは長門で確定だと言ってもいいだろう。 しかし、当たり前だがハルヒやみんなが居るこの部室でその事を聞く事など出来る訳がなく、俺は一人複雑な心境で部活の時間が過ぎるのを待っていた。 ――そう、あの本のシチュエーションは俺達が今居る様な学校の教室で、二人っきりになった生徒がついつい若さ故の行為に浸るというコンセプトだったはずだ。 となれば長門、お前も今履いているのだろうか? あのアイドルと同じ様に――青と白のしましまの下着を。
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