七夕の日の女二人
人類標準時21XX年7月7日、地球衛星軌道、「機関」時空工作部第二軌道基地。 「失礼いたします」 入室してきた朝比奈みくるに対して、長門有希は黙ってうなずいただけだった。 朝比奈みくるは、テーブルの上の鉢に植えられた植物に視線を向ける。「今年も立派な笹ですね」「最上級の天然物を取り寄せた」「連邦政府指定の絶滅危惧種を勝手に取ってくるのはどうかと思いますが」「一本ぐらい取ったところで、生態系に影響はない。誤差の範囲内。細かいことは気にする必要はない」「なんかその理屈は涼宮さんみたいですよ」「私の成長過程において、涼宮ハルヒの影響が大きいことは認める。彼女と出会ったとき、私は三、四歳だった。三つ子の魂百までということわざもある」「はぁ」 長門有希は、短冊を二枚取り出した。これも、日本地方政府が人間国宝に指定している職人に作らせた和紙だったりするのだが。 7月7日に笹に短冊ときたら、やるべきことは決まっている。 二人は、黙々と短冊に願い事を書き始めた。その手に握る筆も、実は世界遺産級である。 墨痕豊かに書き終えた短冊を笹につるす。 「計画の立案は順調か?」 長門有希がそう問う。「はい。近日中には、最高評議会に上程できるかと思います。介入時点はまた七夕です。あのお二人はよっぽど七夕に縁があるみたいですね」「二人が最初に出会ったのも、交際を決めたのも、初めて結ばれたのも、暦の上では7月7日。おそらく、涼宮ハルヒがそう望んだからであろうと推測できる」「あのう、なんで、その……結ばれた日を知ってるんですか?」「私の任務は観測」 「機関」時空工作部最高評議会評議員というのは世を忍ぶ仮の姿。 長門有希の正体は、地球圏で最高権限を有する情報統合思念体製インターフェースである。 朝比奈みくるも、そのことを忘れていたわけではないが。 「あのう、覗きはいけないと思います……」 朝比奈みくるは、顔を赤らめながらそうつぶやいた。 しかし、長門有希は、朝比奈みくるの羞恥心などお構いなしに続けた。「遺伝子と遺伝子が接合して新たな遺伝情報を構築する。情報統合思念体はそれに関心を示していた。そこに情報の自律的進化の可能性があるかもしれないから。それゆえ、私は、二人の生殖行為から妊娠出産までの過程を精密に観測するように命じられた」 朝比奈みくるは、顔を真っ赤にしながら黙りこむしかなかった。 長門有希は、ここで話題を時空工作計画に戻した。「先日、周防九曜から連絡が入った。あちらでも、同一時点に対する介入が予定されている。場合によっては、共同介入もありうる」「あちらの工作員は藤原くんですか?」「そう」「あまり協力的な態度は期待できないですね」「彼は斜に構えて粋がっているだけ。口付けのひとつでもすれば、素直になる」「誰がそれをするんですか?」「この組織においては、あなた以外に適任者はいない」「あのう、それは冗談ですよね?」 長門有希のジョークは分かりにくいのが欠点だ。それは、昔から『彼』が指摘していたことでもある。 だが、今回は、半分はジョークではなかったらしい。長門有希は、こう続けた。 「あなたもそろそろ真剣に考慮した方がいい年齢。かなわなかった初恋の思い出をいつまでも引きずっていては、私のように手遅れになる」「……」 朝比奈みくるは沈黙した。そして、その沈黙こそが彼女の意思を示していた。「あなたの意思がそうならば、私がこれ以上いうべきことは何もない」 話を再び工作計画に戻す。「上程前に計画案を検討したい。送信して」「はい」 朝比奈みくるは、情報通信デバイスを通じて、計画案を送信した。 そして、過去をいじくりまわす計画について、二人は真剣な討議を始めた。 その真剣さの理由はもちろん自分たちの世界を守るためというのもあるのだが、二人にはさらにもう一つの理由があった。 笹の葉につるされた願いがより端的にその理由を示している。 二枚の短冊には、全く同じ言葉が記されていた。 ──思い出の保全。 二人の願いはただそれだけだった。
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