第四章『消えなさい!あたしの弱さ!』
キョンの机やあたしの机を懐かしむ暇はない。おぼつかない足取りを正しながら、一年五組の出入り口を跨いだ。――ピンポンカンコーン。 いきなり鳴り響くチャイムの無機質な音。『みなさんこんにちわ、ENOZです』 五組の黒板上に取り付けられたスピーカーから流れてきたのは、あたしの声だった。『Lost my music!』 同時に、体育館のある方角から、かすかにドラムの軽快な音が聞こえてきた。「誰かいる……わけないわね。でも、なにかがある」 足は自然と体育館へと進み出した。
体育館の中には予想通り誰もいなかったが、今すぐにもバンドがライブを行うかのように、ステージに楽器一式が設置されていた。「懐かしいな……。もう三年か」 ステージによじ登り、マイクとギターを軽く握った。高一の文化祭でのライブは本当に楽しかった。ただ、もうちょっとしっかりした演奏をしたかったわ。――ダン!ダン!ダンダンダン!「え!?」 ドラムソロが広い体育館内に響いた。「これ、God Knowsのイントロ?」 ドラムに続いて、派手なギターサウンドにベース音が鳴りだした。「乾いた心で――駆け抜ける」 あたしは歌った。なんでかわからないが、歌うべきだと感じたからだ。ギャラリーがいないのが残念だけどね。
「だから!私!ついていくよどんな辛い世界の闇の中でさえ!きっとあなたは輝いて!超える!未来の果て弱さゆえに魂壊されぬように!My way重なるよ今 二人にGod bless……」 ――ダーン! フルコーラスを完璧に歌え終え、言いようの無い高揚感が体中に満ち溢れた。――コツ。「イタッ!誰よ!?あたしのオツムに……って何これ?」 気分の良い気持ちに浸ってる途中、カチューシャのすぐ後頭部あたりに、CDケースが直撃した。レーベルのない綺麗なCDだが、そのおかげで何のCDかはわからない。 「これを何かに使えってことかしら?」
体育館を出た瞬間、世界が変わった。「え!?食堂!?」 そこは本館と体育館を結ぶ渡り廊下ではなく、あたしがいつも利用していた食堂だった。―ーザー!ザー! 耳を痛めつける恐怖の不協和音。だが姿は見えない。「また化け物!?出てきなさい!」――ガシャン! ガラスを破って食堂に侵入してきたのは、カラスを思わせる黒い翼とヤギの頭蓋骨を合わせ持った、半人半獣の悪魔だった。――ボォォォォォォォォ! 低い呻き声を上げながら、ヤギもどきは飛び掛ってきた。「くっ!ちょこまかと!!」――パン! ダメだ。ヤギの軌道を逸らすことはできたが、肝心の弾丸は当たらなかった。空を飛んでるから素早すぎる。「ならこいつの出番ね!」 背中に背負っていた猟銃を下ろし、空飛ぶヤギに狙いを定めた。――ボォォォォォォォォ! ヤギの滑空に恐れず、充分に弾き付けてから……、「吹き飛びなさい!」――ドガァァァン! 猟銃から散弾が飛び散り、ヤギの頭蓋骨をぶっ壊した!イダダダダダ……肩が外れるかと思ったわ。 食堂の床で、苦痛にのたうち回るヤギもどきに近づき、――グシャ! 鉄パイプを振り下ろした!「くたばれ!くたばれ!くたばれ!!」――グシャ!――グシャ!――グシャ!!「これで止めよ!」――グシャ! 最後はブーツのかかとで首の骨を踏み潰し、完璧に絶命させた。体液が顔にかかったが、そんなことは今更気にならない。「驚かすんじゃないわよ……ん?」 こと切れたヤギもどきの背中に、キズ文字で何かが書かれていた。
『ちゅうぼうきんむしゃへ れいぞうこのなかに、しんせんなレバーがあるので、 きょうのBランチはレバニラいためでおねがいします』
こんな奴をご用聞きに使うな!と、思わず大声でツッコミを入れてから、業務用冷蔵庫の中からレバーを取りだした。絶対に何かに使うはずだ。「うぐっ!なによこのにおい!」 豚レバーを冷蔵庫から取り出すと、目の前の流し台から、鼻を腐らせるような刺激臭が漂ってきた。 迷わず、用意されていた消臭用の洗剤で流しを消毒した。ゲホゲホ!吐きそう!「おえっ……気持ち悪い~……ん?底にメモが……」
『タンパク質と混合することで酸素が発生。火をおこすことも。これにより、緊急時には消毒薬と精肉で火をおこすことも可能である』
…………はいはい。これも持ってけってことよね。放火でもしろなんて言うんじゃないわよね。……なんか本当にありそうで恐いわ。 洗剤も一緒にデイバッグにつめ、食堂を出て行くことにした。早く旧校舎の部室棟に行かなきゃ。
曲がり角に教室の入り口、階段、天井、床。全てにおいて恐怖が潜んでいると仮定しながら慎重に進んだおかげで、ベストの胸ポケットから鳴る不協和音に耳を煩わせることなく、旧館部室棟入ロに到達できた。 「あと少し……あと少しで」 謎が解ける。呼吸を整え、出入ロを開放した。
両開きの扉を内側に開いた瞬間、目の前を全て邽じるような巨大な絵画が飾られていた。 絵画は中央に火刑に処されている黒衣の魔女が描かれており、その魔女も、焼かれながらも恍惚の表情をつくっていて、不気味な画だ。
『火は全てを解き放つ』
額縁に少さく記載されており、「ここでレバ一と消毒薬を反応させて……」 あとは火と種火になりそうな紙ね。 まずは火。あたしは天井の蛍光灯を無理矢理引きはがし、中から配線コ一ドを引っ張り出した。よし、エナメル線を剥き出しにし、あとはスイッチを入れれば、簡易発火装置の完成ね。 「残るは種火か……。あ、そうだ」 デイバッグから目的の物をさがすため中味をあさる。え一と……あった。 あたしが取り出した物、それは故郷に戻るきっかけになった、「キョンから届いた『白紙の』手紙」だ。「……ごめんね」 キョンに短く謝罪をしてから、レバ一に消毒薬をかけた。 うぅぅ・・・少し臭いけど、この気化した混合物に手紙を当てがい、気体の中にコードをのばした。スイッチオン!「キャッ!」 火花が飛び散り、絵画はいきおいよく燃え上がった。「ふう……。ちょっと危険だったけど、なんとか成功ね」 良い子は真似しちゃダメよ?へ?あたしはいいのよ。危物破損しまくってるし、不法侵入もしたし。 絵画の燃えカスを踏み分け、やっと懐かしい部室棟の廊下と対面を果たせたわ。「あとはこのCDね」 レーベルのないCDか。一体何が記録されてるのかしら?
懐かしい匂いを少しだけ感じながら廊下の踏み板を一歩一歩踏み越えて行き、「そこ」にたどりついた。「みんな……」 旧文芸部室であり、SOS団のアジト。そして……あたしの全てがつまった場所。「キョン……。本当にここにいるの?」
キョンは死んだ。
でもここにいる。
SOS団のドアに目線を配ると、ノブの下に縦が細長い切れ込みみたいな物がはしっていた。……なにかのスロット?「ああ。きっとこれかこれね」 バッグから、体育館にてあたしのオツムに直撃したCDと、有希の部屋で見つけた機関誌の中に挟まれていたDVDを取り出した。とりあえず……CDから試してみよ。 スロットはCDを拒むことなく、すんなりと受け入れてくれた。
『星空見上げ私だけのヒカリ教えて あなたはいまどこで誰といるのでしょう―――』
廊下のスピーカーが歌う曲は「Lost my music」だった。 あたしの声とENOZの伴奏が途切れた時、旧文芸部室が解放される音が耳に届いた。
あたしはいったい何をしたのか?
キョンはあたしを待っているのか?
「怖いよ?自分の中の真実を知ることが」 でも、「引き返すわけにはいかない!」
みくるちゃんのコスプレ衣装。 有希のハードカバーだらけの本棚。 古泉くんのボードゲームコレクション。 文芸部室の木造のドアを開くと、冷蔵庫、笹、団長腕章など、あたしたちのSOS団を証明する物が『ここにあることが当たり前だ』と主張しているかのように存在していた。
蹴り飛ばしたドアを越え、この部屋であたしの体温を一番奪っていた椅子に腰を下ろした。「やることはわかってるわ」 PCを起動させ、CDホルダーを開く。「教えて!キョン!!」
「あんたまた大学サボって佐々木と会ってたんだって!?」「会っちゃわりーかよ!あいつは俺の親友だぞ!?」 他の大学生に比べたら、それなりにいいランクのマンションの部屋で、あたしはキョンに怒鳴り声を上げた。「そうやって遊び呆けてると本当に留年するわよ!?言いなさい!あんた佐々木とどこでなにしてたのよ!」 こいつはこいつはこいつは!!あたしの気も知らないで!このナマクラキョンが!「…………」 飴玉を舐めるみたいに口をもごもごと動かし、キョンはバツが悪そうに黙りこくってしまった。「なんで黙るのよ!?あ、あたしに言えないことなの!?」 あたしたちは別に付き合ってるわけじゃない。でも、いつの間にかキョンの近くにいるのが心地よくて、いつまでもいっしょにいたいと思っていた。だからこそ、こいつの沈黙は許せない。よりによって佐々木と!あたしが一番厄介だと思っていた佐々木と! 「ふざけんじゃないわよ!!あんたはあたしの下僕なんだから!とっとと白状しなさいよ!!」
「うっせー!!大体彼女でもなんでもないおまえには関係ねーだろうが!!」
キョンの言葉が耳に届いた瞬間、何かが壊れた気がした。あんたなんかあんたなんかあんたなんか!
『死んじゃえぇぇぇぇぇぇぇ!!』
衝動のおもむくままに、あたしの両手がキョンの胸を突き飛し。 キョンの頭が、背後のテーブルの角に。 直撃した。
「キョン!!」 あたしの声にもキョンは無反応。「ねえキョン!これはあんたの体の張ったギャグってことくらいわかってるんだからね!だから早く起きなさいよ!」 今起きたら許してあげるから!他にもあんたがあたしのプリンを勝手に食べたことも、昨日佐々木と会ってたことも、なんでも許すから! でも、キョンは目を閉じたまま何も応えてくれなかった。「……嘘でしょ?」
イヤぁアアああァアアアア!
部室の全てを破壊するかのような絶叫を最後に、灰色のディスプレイに戻った。「キョンくん~は、どこにいるのかな~。あ!ハルにゃん!」 妹ちゃんが部屋に入ってきた。「ね~?キョンくんはいた~?」「……いなかった」「そっか~じゃあどこにいるのかな~?」「……もう会えないわ」「……どうして?」
「あたしがキョンを殺したから」
そう。いまから三日前の七月四日。あたしはキョンの住むマンションにいった。理由はキョンと佐々木がデートしていたという情報を手に入れたからだ。ちょっととっちめて、罰ゲームをさせるだけのつもりだった。 「だった」。だけど気がついたらキョンの亡骸を抱いており、部屋の真ん中で、壊れたように立ち尽くしていた。「嘘だよ!ハルにゃんはそんなことしない!」「したのよ!あたしがキョンを殺したのよ!」 そこから先は覚えていない。気がついたら「ここ」にいた。「ハ、ハルにゃんはキョンくんが嫌いになったの!?」「違う!今でもキョンが大好きよ!」 好きだからこそ、佐々木と会っていたことが許せなかった。「ハルにゃんのバカ!!」 妹ちゃんは大粒の涙を流しながら、部室から出て行った。「……ごめん……ごめん……妹ちゃん……」 嗚咽と涙は留まらず、あたしはその場でいつまでも泣き続けた。
「……ケリをつけないと」 涙を拭い、立ち上がる。やるべきことはわかってるわ。これを終わらせないと、あたしはキョンに謝ることができない。「朝倉……涼子」 鉄パイプを握りしめ、部室を後にした。
「こんにちわ。涼宮さん」 部室を出ると、そこは旧館の廊下ではなく、中庭だった。 キョンの大輪の笑顔を見た思い出の中庭。「無視?ひどいなー」「黙りなさい」 冷たく言い放つ。「イヤよ。それが私の役割だからね」 朝倉が指を華麗に鳴らした瞬間、「キョン!」 全身を真っ赤に濡らしたキョンが、朝倉の背後の木から落ちてきた。「……ハ……ハル……グボォ!」「ごめんなさい。感動の再会を邪魔しちゃったみたいね」 朝倉のサバイバルナイフがキョンの胸を開き、中から心臓を取り出した。「朝倉ぁ!」「さすがキョン君。綺麗な心だったわ」 キョンの心臓だった物をゴミみたいに投げ捨て、不気味な微笑をこちらにみせる朝倉。
「……あれ?どうしたの?涼宮さん?」 だけどあたしの瞳は臆することなく朝倉の微笑を強い眼光で真っ向から睨み返す。「……あたしは弱かった……誰かに叱ってほしくて、許されたかった。だからあたしにはあなたが必要だった」 キョンを殺した罪、それを「もう!ダメじゃない!」と叱ってほしかった。でも……、「本当はわかっていた。そんなことはムダだってことくらい」「ム……ムダ?」 朝倉はあたしの強い眼光に押されるかのように、一歩引き下がる。
「自分を許せるのは他の誰でもない自分だけなのよ!!たとえ何年かかってもいい!!あたしがあたし自身を許すことができるまで、あたしは死ぬわけにはいかないの!」
あたしの思いに呼応するかのように、朝倉は背後の木の幹に叩きつけられた!「ふ……!ふざけるな!あなたは死にたがっていたはず!なのに!」 はあ?天下無敵宇宙最強のSOS団の団長様にむかって、どの口が言うのかしら?あたしが死にたいわけないじゃない。
「消えなさい!」 ここまで疲労と恐怖を共にし、相棒と言っても過言ではない鉄パイプを強く握り、うろたえている朝倉の正面に仁王立ちをした。「あたしの弱さ!」 鉄パイプは朝倉の脳天を叩き割り、アスファルトに叩きつけられたトマトのように中身が飛び散った。 これはただの殺害じゃない。あたしが自分の弱さを克服したことと同義だ。そして。「……フフフ。もう私はいらないみたいね。あ~あ、まさかあなたに否定されるなんてね~。残念」「何の話よ?」「さあ……ね?じゃあね涼宮さん。あなたの覚悟、空の上から見守らせてもらうわ」 朝倉は灰色の粒子になりながらも、最後には穏やかに微笑んで、灰色の世界に溶けていった。
「そろそろスタッフロールが流れてるころね」 終わった。これで全てが終わった。「そう。本当に……全……て……」 そこまで言ってから、あたしは涙を流していることに気づいた。いや、気がついてはいたが、認めたくなかった。「……キョン……ごめんね」 鉄パイプを投げ捨て、地面に膝から崩れ落ち、赤ん坊みたくワンワンと醜く大泣きをしてしまった。「……キョンに会いたいよぉ……」
「呼んだか?」
低くてけだるそうな声が、あたしの耳に届いた。「……キョン?」 どうやら元々狂っていた頭が、ここに来て、ついにぶっ壊れたようだ。キョンはもうどこにもいないんだから。「おいおい、まさか俺を俺の皮をかぶった宇宙人なんて言うんじゃないんだろうな?俺以外に誰がいるんだよ」 間違いない。このグチグチな言い方はキョンだ。「なんであんたがここにいんのよ!!」 だってあんたはあたしが殺し……「知るか。気がついたらここにいたんだよ。つーかお前泣いてるのか?」「う、うっさい!雨よ雨!だからこっち見んな!」「へいへい。そいつは悪かったな」 と言いつつも、あたしはこいつが一瞬だけニヤッと笑ったことを見逃さなかった。「だ、だいたい何しに来たのよ!?」 キョンに会いたいとは思った。でも、今まさに大泣きしていたわけだし……つまり、出てくるならもっと空気読め!「さっきも言っただろ?しらねーって」「このバカキョン!」 手を振り上げた瞬間、キョンはあたしに殴られるのかと思ったのか、まぶたを強く閉じた。「……バカキョン。探したんだからね?」 振り上げた手をキョンの頭から背中に回し、あたしはキョンを優しく抱きとめた。「……すまん。ハルヒ」「なんであんたが謝るのよ。悪いのはあたしじゃない…………ごめんなさい。本当にごめんなさい!」 謝って済んだら警察は要らない。何をしたって、あたしがキョンを殺した殺人鬼なのは覆らない。でも謝らなきゃ、あたしは鬼畜以下になってしまう。「いいさ。こうやって、お前の腕の中に帰ってくることができたんだからな」 はずかしいセリフ。……でも嬉しい。「もうどこにもいかないで……。あたしのそばにいて」「……それは団長命令か?」「違うわよ!あたしからのお願いよ!だからずっといなさい!あたしはあ、あ、あんたのことが大好きなんだから!」 今までずっと言えなかったことを、今、やっと言えた。「ありがとうハルヒ。俺もお前が大好きだぜ。……だがすまんな。お前と一緒には帰れない」 なんでよ!?「こういうことだ」 するとキョンはさっきの朝倉同様、足元から灰色の粒子に変わっていき、「キョン!?」「やれやれ。どうやら時間切れらしいな」「ふざけんじゃないわよ!気合でなんとかしなさい!」「ムチャクチャ言うな。これが自然の摂理だろ。灰は灰へ。塵は塵へ。それを覆すわけにはいかんのさ」「待って!」 だけどあたしの手は消え始めたキョンの体を捉えられず、無様に何度も空をかいた。お願い!行かないで!せっかく分かり合えたのに!「ハルヒ!」 その瞬間、あたしの体はキョンに抱き寄せられ、
「俺はここにいる!」
そう宣言し、「いつまでもおまえの心にいる!だからずっと一緒だ!」 刹那、唇に当たる柔らかい感触。 あたしは唇にキョンの体温を感じなくなるまで、ずっと目をつぶっていった。
「ありがとう……キョン……」
最終章『ただいまっ!』に続く
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