「雪合戦」「ヤンデレ」
1「雪合戦」 「……ねえ、雪合戦したくない?」 みんなで歩く映画館からの帰り道、セミのエンドレスコーラスが鳴り止まない夕方の街を歩いている最中にハルヒの口からそんな世迷言が飛び出した。 最初に思ったのは聞き間違いって線だ。 いくらこいつが本物のアホだとしても、今が夏で俺達が半袖姿で汗をかきながら歩いているという現実が見えてないとは思えない、というか思いたくない。 今、何て言った。 半ば呆れ気味に聞き返した俺に、「だーかーら、雪合戦よ!」 夕暮れ時の赤い光を顔に受け、目を輝かせて断言するハルヒを見た時――俺はただ、溜息をつくしかなった。 ……そうか、今年の夏は特に暑いもんな。 気の毒そうな目で見る俺の視線を受けて、「ナイスアイデアでしょ? こーんなに暑いんだもの、そろそろ涼しい遊びもしないと体に毒じゃない」 何故かハルヒはご機嫌だ。 おい古泉、いつもより少し多めにハルヒがご乱心だ。何か冷たい物でも買ってきてやってくれないか? 俺は微糖のアイスコーヒー。 世界のピンチを救う為、ちょうど近くに見えたコンビニへ超能力者を走らせようとすると、「ちょっとキョン! あんた何失礼な事言ってるのよ?! あ、古泉君あたしはファイブミニね」 とか言いながらお前もちゃっかり頼んでるじゃねーか。「承知しました。皆さんは何にしますか?」「え? 私もいいんですか?」「はい。構いませんよ」「じゃあ、私はネクターをお願いします」「了解です。長門さんは何にしますか?」 古泉が慣れた口調でオーダーを聞いて回る間に、ハルヒはさっきの世迷言を綺麗に忘「で、雪合戦しましょ!」 忘れてくれよ。 ったく、今度はいったい何でそんな事を思いついたんだ? さっきみんなで見た映画は「21世紀えもん」とかいう、4次元ポケットを駆使してホテル業を営む世界征服物だっただろ。 言われてみれば自分でも予想外な思い付きだったのか、ハルヒは自分の口元に指を当てて少し思案した後「ん~……何となく。ほら! 夏ってお互いに何かを投げつけあうスポーツってないでしょ? だからよ」 夏どころか、春も秋もそんなスポーツはねーよ。 節分はそれっぽいと言えなくも無いが、あれはそれ以前にスポーツじゃない。 とはいえ、だ。 Tシャツが肌に張り付くようなこの暑さの中、雪合戦なんぞしたくても投げるべき雪が無いんだ。適当に賛同しておいても大丈夫だろ? ――そう安易に結論付けちまった自分を責めてやりたい。 いいぞ、雪合戦でも何でも付き合ってやるよ。 古泉の持ってきたコーヒーを受け取り、さっそく冷たい液体で喉を冷やそうとしていた俺の真横で「決まり! じゃー雪は無いから、有希合戦ね!」 黙々とホームランバーを食べていた長門をハルヒが指差した瞬間、俺は口の中のコーヒーを噴出し「きゃっ! きったないわね! このバカキョン!」 すまん。 有希合戦。 この合戦はいったい何で、どうやって争い、どうなれば決着が着くものなのか? 大小様々な疑問が浮かんだ俺なのだが、一番の疑問は……誰が得するんだよ、これ。 ハルヒの先導の元、長門の部屋まで連れてこられた俺達の中にその答えを持っている奴は一人も居なかった。「はぁ~涼しい……やっぱりエアコンは一人一台あるべきなのよ」 風向き指定1つでご満悦とはお手軽だな。 残暑も厳しい夕方の街を歩いてきた事もあって、涼しい部屋の中でみんな思い思いに休憩を取っていた。 ふぅ……外が暑かっただけあって、涼しい部屋に居ると休まるな。 どうやらハルヒもここに来た理由を忘れてるっぽいし、このままちょっと休んだら帰るよ。 ハルヒに聞こえないようソファーの隣に座る長門に小声で提案すると、長門は扇風機の首振り機能の様に首を振って否定した。 ……どうした、帰ったらまずい事でもあるのか? もしかして、また何か問題ごとにでも巻き込まれているのかと思って聞いてみると「有希合戦という物に興味がある」 意外な答えが返ってきた。 まあ気持ちはわかるけどな、でもそれは答えが無い問いだと思うぞ? どんな検索サイトを使っても、きっと検索結果は0だ。「ちょっとキョン。あんた……まさか有希合戦を知らないんじゃないでしょうね?」 知るかそんなもん。 長門の声を聞いて、ここに来た理由を思い出しやがったらしいハルヒは、腕を組んでやけに得意げな顔で講釈を始めた。「い~い? 有希合戦っていうのはね……そうね、こうしましょう。有希を一番楽しませた人が、有希を一日自由にするの。その権利を手にする為の戦いの事なのよ!」 今、こうしましょうって言っただろ、お前。 ……っていうか、長門を楽しませるだと? 思わず振り向いた先に居る宇宙人は、自分が合戦の主目的かつ景品にされている事をどう感じているのか知らんが、今は静かに麦茶を飲んでいる。 長門、水分とミネラルと亜鉛を補給する事は大事だが、今はそんな事をしてる場合じゃないと思うぞ。「じゃ~有希合戦開始! みんなで有希が喜びそうな事をするのよ!」 それぞれソファーに体重を預けきってどう考えても休憩中な雰囲気の中、たった一人で100メートル走でも始めそうな勢いでハルヒは宣言するのだった。 毎度毎度、意味不明で、やっかいで、危険で、生産性が無く、どうしようもない事ばかり考えるハルヒなのだが、この思いつきに関して言えば俺は悪くない発想だと思った。 いつも迷惑ばかりかけてる長門に、オフィシャルな――オフィシャルか? ――理由で、さりげなく恩返しが出来るんだもんな。「ほ、本当にここがいいの? 痛くない?」「大丈夫」「じゃ、じゃあそっとするから。痛かったら言ってね?」「了解した」 ハルヒは……おお、長門にマッサージしているのか。 布団の上にうつ伏せになった長門の背中に座り、真剣な顔でハルヒはマッサージをしている。 古泉はといえば、部屋中の電球を交換して回っていた。妙に慣れてるな、お前。「私はお風呂のお掃除してきますね」 三角巾を頭に古風なスタイルで掃除に向かう未来人に手を振りつつ、さて……俺にも出来そうな事を探してみるかね。 長門が喜びそうな事か……本かな、やっぱり。 そう思って探してみるが、意外な事に長門の部屋には本棚が無かった。 あ、だから部室の本棚が一杯なのか。賢いな。 何か本を買ってプレゼントしようと思ったんだが、長門が好きそうな本ってのが思いつかない。ジャンルで言えば「難しそうな本」でいいんだろうが、それではあまりにアバウト過ぎて選びようがないんだよな。 他に長門が好きそうな物と言えば……駄目だ。長門は基本的に物に固執しないから全然思いつかない。 しょうがない、本人に聞いてみるか。「ほら……体が熱くなってきたでしょう? ふふ……有希って可愛い。もっと気持ちよくしてあげるからね」 何やら誤解されそうな発言を繰り返しながら、ハルヒのマッサージはどうやら佳境に突入しているらしい。多分。 一見すればプロレス技をかけている様でもあり、全体で見ると柔道の寝技の体勢にも見え、取りようによっては逆にハルヒが関節技を極められているようにも見えなくも無い状態にある長門に俺は聞いてみた。 長門。お前は何をされたら嬉しいんだ? どこまでがハルヒの体で、どこからが長門の体なのか分からない状態の宇宙人は暫く考えた後、「みんながこの部屋に居てくれる時間を、私は楽しいと感じている」 いつもの無表情な顔とはほんの僅かに違う顔で、長門はそう答えた。 なるほどね。 一人暮らしは気楽だって聞くが、気楽も度が過ぎれば寂しいって事か。 ……ん、一人暮らし? 一人暮らしで面倒な事って言ったら……ああ、あれか。 ようやく長門が喜びそうな事を思いついた俺は、財布を片手に部屋を出て行った。 ――十数分後、買出しを終えて部屋に戻った俺はさっそく台所へと向かった。 手に持ったコンビニの袋から感じる重量が、俺に勝利の予感を与える。 電子レンジ、よし。 鍋、よし。 お皿、スプーンよし。 ハルヒに気取られないように準備を終えた俺は、静かに完成の時を待った。 そして、長門の為に鐘は鳴る。 チーン! 部屋の中に鳴り響いた音に反応したみんなが見つめる中、俺はレンジの中から温まったサトウのご飯を取り出し、その上にレトルトのカレーをかけるのだった。 「ちょっとキョン、食べ物で釣るなんて卑怯よ! もっと正々堂々とおかわり!」 はいよ。 俺が買ってきた人数×2食分のレトルトカレー&サトウのご飯は、主にハルヒと長門によって順調に消化されていった。 おお、この分だと普通に無くなるな。「ふー、ふー……はふはふ」 猫舌らしく、何度も息を吹きかけてスプーンを運ぶ朝比奈さんよりも、「暑さで食欲が減退しがちな時期だけに、辛い物は嬉しいですね」 食べるよりも喋っている古泉よりも、「…………」 黙々とカレーを口に運ぶ長門が――顔は普段通りだったけど――誰よりも幸せそうな感じがした。長門、ルーが頬についてるぞ。 この顔が見れただけでも、ハルヒの馬鹿な思い付きにも価値があったってもんさ。 最後の一口を食べ終え、長門が満足そうにスプーンを皿に置いたのを見て「……悔しいけど認めるわ。第一回有希合戦はあんたの勝ちよ」 接戦の末敗れた高校球児みたいに無駄に清清しい顔で、ハルヒは俺の勝利を宣言した。 ありがとよ。 まばらな拍手を受けて、俺はそうしないと終わらない気がして軽く手をあげる。 ――本当の所、俺としては無茶な要求を出しそうなお前さえ勝たなければ誰が勝ってもよかったんだけどな。 っていうか、第一回って事は第二回もやるつもりなのか?「さ、勝者の権限よ。有希を一日好きにしていいわ。……言っておくけど! エッチな事は禁止だからね?! あたしの有希に手を出したら殺すわよ!」 安心しろ、それはない。 険悪な顔のハルヒを無視して、俺はぬるくなった麦茶を一気に飲み干した。 競技が終わり、時間が遅くなっていた事もあって食事を終えた俺達は帰り支度を始めていた時の事だ。 食器を台所に片付けを終え、部屋に戻ろうとした俺の前に長門がやってきた。 まだ、食べたりなかったのか? そう尋ねる俺に長門は首を横に振り……無言で俺を見つめたままじっとしている。 さて……これはいったい何なのだろう。 まるで何かを待つように俺を見る長門は……あ。もしかして、俺に何か命令されるのを待ってるのか? そう尋ねる俺に、長門は素直に肯いた。 命令ねぇ……。 小柄な同級生に、さて俺は何て言えばいいのか考えていたんだが、「何よ……見つめ合っちゃって」 帰り支度を終え、台所に顔を出したハルヒが険しい目で俺達を睨んでくる。 お前の意味不明な提案のせいだ。 と、本音を言った所で問題が大きくなる事はあっても、解決するなんて事はないしな……ここは俺が大人になって黙っていよう。 ――俺はここで、ふと思ったんだ。 言いたい事をそのまま言えずにストレスを溜めているのは、俺よりもむしろ長門なんじゃないか? と。 一人暮らしじゃ愚痴を言う相手も居ないだろうし、普段から自分の事は話そうとしないからな。 だから……まあ、有希合戦の権利って名目でもあれば、長門も少しは楽になれるかもしれない。俺はそう考えた訳だ。 じっと命令を待つ長門に、俺は指示を出した。 長門。今から一日、思った事はなるべく口にしてくれ。補足するが何もかも全部言えって事じゃないぞ? お前が秘密にしたい事は秘密でいいんだ。 そう告げた俺と「面白そうね、それ」と言いたげな顔で見るハルヒの視線を受ける中、長門は俺の服を掴み「……今日は、帰らないで欲しい」 台所の照明のせいなのか、寂しそうに見える顔で見上げながら長門はそう言ってきたのだった。 「雪合戦」 ~終わり~ 大手チェーンのファミリーレストランの一角、窓際の席に座った私と涼宮さんの周りはまるで明かりが届いていないみたいに暗い雰囲気に包まれていました。 あ、あの。本当は店内は明るいんです。 照明はいっぱいあるし、高い壁なんて無いんですから。 ……それでも、この席の周りだけ黒い霧が立ち込めているみたいに薄暗かったんです。 長門さんのマンションから出てから涼宮さんはずっと無言で、このお店まで私を連れてきてからも一度も口を開いていません。 怖いよう……でも、でも話しかけなきゃ……頑張らなきゃ。 小刻みに震える自分を励まし、私は一生懸命笑顔を作って話しかけました。 あの、涼宮さん。「何」 俯き、テーブルを見つめたままの涼宮さんの眼が一瞬私を見上げて……ひっ! な、なんでもないです。 私はすぐさま視線を逸らしてメニューを見つめる作業に戻りました。 ……ふぇぇ……だ、誰か助けてくださいぃ……。 「ヤンデレ」 それは、涼宮さんの提案から始まったんです。 提案の内容は……その色々と複雑で……、結局、長門さんを一番楽しませた人が優勝で、景品は長門さんを一日好きにしていい権利……というゲームをする事になりました。 もし優勝できたら……長門さんと可愛い洋服とか一緒に買いに行くとか、あ!動物園もいいですよね! そんな事を思い浮かべて、私もちょっとだけ楽しみでした。 長門さんの部屋の中、みんなで思い思いの方法で長門さんの為に頑張って……優勝したのはキョン君でした。 キョン君は一日好きにしていい権利を使い、長門さんに言いたい事は言って欲しいとお願いしたんです。 私はその時、キョン君って優しいなって思いました。 ……でも後になって考えてみたらそれって危険な事だったんです。 涼宮さんを前に、長門さんが普段は言えない事を言いました。 キョン君に、今日は帰らないで欲しいって……。「みくるちゃん」 ひゃいぃ! 自分の裏返った声が夕方時の混雑する店内に響いている事も気にならない程、私は緊張しきっていました。 涼宮さんは私の名前を呼んだ後、ゆっくりと手を伸ばして店員さんを呼ぶボタンを押し、「みくるちゃんの好きな物、適当に注文しておいて……私は、後でいいから」 そう呟いて、また俯いてしまいました。 びび、びっくりしました……。 自分の心臓が激しく鼓動するのを感じながら震えていると、「あの……」 突然、通路側から聞こえてきた声。 ひゃいぃ!「ご注文をお伺いします」 思わず立ち上がってしまった私を、注文を聞きに来たウエイトレスさんは不思議そうな顔で見ていました。 一人暮らしの女の子に「今日は帰らないで」……なんて言われるのは、男の夢の1つで間違いない。そして、その言葉の先に何の期待も持たない男などこの世のどこにも居ないだろう。 部屋には長門に呼び止められた俺だけが残り、みんなが帰ってしまった今、部屋は祭りの後の様に静まり返っている。 この時俺の胸中にあったのは、また何か不思議な事件にでも巻き込まれるんじゃないかという宇宙人的な展開への不安と……ほんの少しの期待だった。 2人っきりの部屋の中、長門は黙々と読書をしていて、俺は俺でそんな長門の様子をじっと見ている。 時折エアコンが思い出したように冷えた空気を吐き出す音と、長門がページをめくる音だけが響く静かな室内で、俺はのんびりとした時間を過ごしていた。 ま、たまにはこんな日があってもいいか。 退屈な時間があればつい携帯を触ってしまうような俺なのだが、その時はただ長門の様子を見つめるだけで何の不満も感じなかった。 ……意外と睫毛が長いんだな。長門って。 食べている間は、喋らなくても不自然じゃないですよね? テーブルに置かれたケーキセットを、少しでも長い時間をかけようとゆっくりゆっくりと食べていたんですけど……やっぱりケーキはケーキで、30分も立たずにお皿は空になってしまいました。 どうしよう……食べ終わっちゃった……ど、どうしよう? 再び訪れた無言の時間に脅える私に、涼宮さんは俯いたまま口を開きました。「……ねえ、みくるちゃん。なんで有希はキョンを引き止めたんだと思う?」 え! あ、あの。 長門さんがキョン君を引きとめた理由……えっと、やっぱりキョン君と2人っきりになりたかった……だ、だめ! そんな本音じゃだめぇ! えっとぉ……。「き、きっとその。何か用事があったんじゃ」「キョンだけを呼び止める用事……って何」 た、例えば……。 無難な答え、無難な答え……うう。 食べたばっかりのケーキの糖分にお願いして、私は必死に考えました。多分、今まで生きてきた中で一番考えました。 涼宮さんが納得して、しかも問題が起きそうに無い理由……あ! 今日の私、冴えてます! さすがケーキです!「あの、恋愛相談とかじゃないでしょうか?」「……恋愛相談?」 そうです!「長門さんが誰かの事が気になってて、その相手の気持ちを、キョン君にそれとな~く聞いてきて欲しいとか!」 私の意見を聞いて、涼宮さんの表情を覆っていた暗い影がふっと掻き消えました。「……なるほど、うん。有希はおくてだし、確かにそれはあるかもしれないわね」 ですよね~。 納得するように肯く涼宮さんに、私は急いで相槌を打ちながらメニューを差し出します。「涼宮さん、カレーの後は甘いものが美味しいですよ?」 喉が渇いた俺は、読書に熱中している長門の邪魔をしない様にそっと台所へと向かった。 ……ああ、麦茶が美味い。 よく冷えた麦茶で喉を潤し、冷蔵庫の中へと容器を戻し終えた時、台所に長門が入ってきた。「お前も飲むか? 麦茶」「いい」 そうか。 台所に来たというのに、長門の視線は俺に集中している。 はて、何か用事でもあるんだろうか。 しばらく沈黙が続いた後、長門は珍しく視線を彷徨わせながら「……貴方が帰ってしまったのかと思い、私は不安だった。ここで貴方を見つけて、嬉しと感じている」 言いたい事はなるべく言う、そんな俺の指示を健気に守ろうとする長門を見て……なんで俺が赤面してるんだろうな。「朝比奈みくるは、バスルームをとても綺麗にしてくれた。貴方に先に使って欲しい」 それだけ言い残し、長門は台所から出て行った。 ……シャワーか……別に深い意味はないんだよな。うん。 「みくるちゃんの想像が正しいとすると……有希が気になってるのは誰なのかしらね?」 ショートケーキの上に載せられた苺にフォークを刺したまま、涼宮さんは長門さんの事を考えているみたいです。 あ……そういえば。「なになに?」 最近コンピューター研究会に、長門さんはよくお邪魔してるみたいです。「ああそれね。最近コンピ研に生徒会の……ああそうそう、喜緑さんが顔を出してるみたいで、有希は彼女と会ってるみたいよ」 そうなんですか?「そう。それにしても、喜緑さんはあんな冴えない部長のどこが好きなのかしらね……今度あったら聞いてみなきゃ」 そんな恋愛話を続けていると、涼宮さんの機嫌はどんどんよくなってきました。 静かだった部屋の中に、今はシャワーの音が断続的に響いている。 先にシャワーを浴びた俺と入れ替わりに長門がバスルームに入ってから、何故か俺は落ち着かないでいた。 いや待て、この場合落ち着かないのが普通じゃないのか? 谷口にA-という評価を受けるだけあって、俺から見ても長門は可愛いんだ。 そんな長門に今日は帰らないように言われ、一人暮らしのこの部屋には長門と俺の2人っきり、しかも長門は今シャワーを浴びている。 OK。これで落ち着いてたらおかしい、つまり俺は正常だ。 完璧な理論を展開して自分を納得させた俺の耳が、シャワーの音が止まった事に気づいた。 意味も無く息を飲み、つい脱衣所の扉を凝視してしまう。 とはいえ、相手はあの長門なんだ。 ただの地球人である俺に、俺が思っている様な興味があるわけがないだろうし、期待するだけ……って期待ってなんだよ。 冷静さを取り戻そうと繰り返す自問自答で墓穴をどんどん掘り下げる中、静かに脱衣所の扉が開いた。 ふぅ、よかった。一時はどうなる事かと思いました~。 ほっと一息つき、メニューを広げて甘くて美味しそうなケーキの写真を眺めて幸せな気分になっていると「有希が気になってるのって、もしかして古泉君かしら? ……でも、古泉君はいつも部室に来るのが早いし、わざわざ呼び止めなくても有希と2人っきりになるチャンスなんていくらでもあるのよね」 涼宮さんの想像は進んでいって、そして――「コンピ研の部長は彼女持ち、部員は論外、そして古泉君でもないとなると……他に有希と関わりのある男子生徒って言ったら……一人しか居ないじゃない」 メニューの向こう側から、また黒い気配が漂ってきました。 自然と震え始めるメニュー……ではなくて私の手。 恐る恐る視線を上げた先で涼宮さんは無言のままフォークをケーキに突き刺していて、フォークの先端にあった苺の形にケーキには穴が開いていました。 パジャマに着替え、濡れた髪をタオルで包んだ姿で脱衣所から出てきた長門は、リビング居た俺の姿を見てほっと息をついていた。 袖が少し長めのパジャマを着た長門は、普段より幼く見える。 じっとその場で動かない長門に、俺は……その。「似合ってるぞ、その服」 ……なあ、パジャマを褒めるってどうなんだよ。 俺の意味不明なコメントに対して、長門は何故か顔を赤くし「ありがとう」 と答えた。 ……まずい、余計に意識してしまった。 濡れた髪も、薄赤い肌も、伏せ目がちな視線も……そして、何かを伝えようと動く、小さな唇も。その全てが色っぽく感じられ、俺はやけにどぎまぎしていた。 やがて、長門は視線を彷徨わせながら自分の思いを言葉にしていった。「……上手く言語化できない。情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない。でも、聞いて。私が貴方をこの部屋に呼び止めた理由。貴方がここに居る理由」 初めて俺がこの部屋に来た時と殆ど同じ台詞を口にして、やはりあの時と同じように真剣な目で俺を見ていた。 ゆっくりとフォークが手前に倒され、お皿の上のショートケーキが二つに分断されていく中、涼宮さんは口を開きました。「……あたし忘れ物をしちゃったの。だから今から有希の部屋に戻るわね」 えええええ!? あ、あのあなななえ、でもあ。「ちょっと忘れ物を取りに戻るだけじゃない。何の問題も無いでしょ?」 すでにケーキには興味が無いのか、涼宮さんはテーブルの上にあった私物を集めていきます。 でででも! もうこ、こ、こんな時間ですから! そう言いながら腕時計を差し出してみても、「22時ね。ちょっと遅いけど、有希なら許してくれるわ」 あっさりそう言って立ち上がり、レシートを片手に出口へと向かっていきます。 どうしよう? ど、どうしたらいいんですか?! 涼宮さんの姿が小さくなる中、私は急いでキョン君に電話を……で、電源が入ってないって……そんなぁ……まままさか?! 無慈悲なメッセージを告げる携帯電話と、ゆっくり開く自動ドアを無理やり手で押し開けている涼宮さんを交互に見ていた私は……私は!「まってください! 私も一緒に行きます!」 席から立ち上がり、急いで涼宮さんを追いかけました。 「今日、みんながこの部屋に居て私はその時間を楽しいと感じていた。それは勝負の為だけれど、一人ではないと実感できる事が嬉しかった事にはかわり無い。特に、みんなで食べたカレーはとても美味しかった」 俺の隣に座り、長門は淡々と話し続けていく。「みんなが帰る時間になり、私はそれが仕方の無い事だと感じていたけれど……同時に寂しいとも感じていた。その欲求を打ち明けても、相手を困らせるだけ。それでも、少しでも長くみんなと居たかった私は貴方の元へと行った」 俺の所へ?「そう。貴方が勝者の権限で私に何か指示を出せば、競技に参加した人はその後の結果が気になるはず。それは、もう少しだけみんなと一緒に居られる可能性。私は、その可能性を試してみた」 ……なるほどね。 告げられた長門の言葉は、俺の中にあった不純な欲求を消してしまうには十分すぎる程に純粋な物だった。 みんなと一緒に居たい、でも引き止めるのは悪い。でも一緒に居られたら嬉しい……そんな家の妹みたいな事を考えるくらいに、お前も成長してるんだな。 俺だけを呼び止めたのは多分、全員を呼び止める事に抵抗があったからなんだろう。 俺なら言い易いって事もあったのかもしれないしな。「…………」 無言で俺を見上げる長門の頭をそっと撫でてやると、まるで猫の様に長門が体を寄せてきた。 その体は、俺が思っていたよりも小さくて……そうだよな、本当はずっと前に気づいていたはずなんだ。 長門にも、寂しいと思うことがあるんだって。 変な目で見てごめんな? 俺がそう心で謝っていると、長門は俺の服を掴んで……迷いながら何かを言おうとしているみたいだった。 震える唇が小さく開いては、閉じる。 長門、お前のペースでいいんだ。ちゃんと待ってるから。 そう言って思わず顔を綻ばせた俺に、長門は「私は……、貴方と」 ピンポーン まるで長門の言葉を遮るようなタイミングで、玄関から来客を告げるチャイムが聞こえてきた。 ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピポピポピポ……ガチャン! 無表情でインターホンを連打していた涼宮さんのすぐ横で扉が開き、「近所迷惑だ」 よ、よかったぁ……信じてました! 部屋の中から出てきたのは、ちゃんと私服を着ているキョン君だったんです。 涼宮さんの視線がキョン君の服装の上を何度も彷徨った後、「……何してたの」「何って……話してた」「誰と」「長門以外に誰が居るんだ」「ふ~ん。……あたしも入ってもいいのかしら?」 挑発するように尋ねる涼宮さんに、キョン君は何故か嬉しそうな顔で「ああ、いいぜ」 あっさりと肯いていました。 あまりに自然なキョン君の態度に、不思議そうな顔をしていた涼宮さんは――リビングに通され、事情を聞き終えた時には笑顔になっていました。「何よもう! 有希ったら水臭いじゃないの~。有希のお願いなら何日だってここに泊ってあげるわよ。ね~みくるちゃん」 もちろんですよ~。 ご機嫌な涼宮さんに、私は素直に肯きました。 それにしてもびっくりです。長門さんっていつも一人で居たから、一人が好きなのかなって思ってたけど、実は寂しがりやさんだったんですね。 言葉にすると嫌がられるかもしれないから、ただ肯いてみせた私に、長門さんは静かに肯き返してくれました。 嬉しいです……ずっと、ずっと長門さんと仲良くしたかったんです。「麦茶を持ってくる」 そう言いながら立ち上がった長門さんの手伝いをしようと、私も一緒に台所へと向かいました。 後ろからはリビングに居る涼宮さんの楽しそうな声と、時折聞こえるキョン君の退屈そうに聞こえて本当は優しい相槌。 ふぅ、よかった~。 幸せ一杯の私が台所に入った時、電気はついているのに何故か台所は暗くって……あ、あれ? この暗い雰囲気って確か、ついさっきファミレスで……も。 静かな台所に響く冷たい声、恐る恐るその声が聞こえる方を見てみると「やっと、2人きりになれたのに……どうして……何故……」 麦茶の容器を持ったまま、冷蔵庫に向かって何かを呟いている長門さんの背中があったんです……。 「ヤンデレ」 ~終わり~ その他の作品
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