「振られんぼ」
「復讐」の続きになっています 全ての人間は、2種類に分類できる。 それは、持つ者と持たざる者。 前者と後者にある壁は大きく、その壁は容易に超える事はできない。 そして、持つ者が失ってしまう事もありえる。 では、自分が持たざる者だと気づいた時、人はどうするのだろう? 例えば力を手にしたいと思えば、その為の努力をすればいい。 権力を手に入れたいと思えば、その為の努力をすればいい。 だが、手に入れたい物がこの世に1つしかなかったら? それが、すでに誰かの物であったなら? それでも――欲しいと願ってしまったなら? 生徒会室の空気が以前とは違ってきている事に、俺は食後の珈琲を飲んでいる時気がついた。 先に言っておくが、珈琲の味がいつもと違っていたなんて理由ではない。 あの大人しい書記官は、缶コーヒーでもこうはいかない程に毎日同じ味の珈琲を淹れてくれているからな。 この部屋には物静かな彼女と俺だけが居て、彼女がタイプするキーボードの音だけが緩やかに響いている。 学校内において散見された諸所の問題に対する対応方法の模索、及び検討――という名目で、何をするわけでもなく生徒会室で過ごす放課後の時間は、俺にとって楽しみな時間だった。 なんせ、生徒会長としての仮面を外して何も気にせず気楽に過ごす事ができるのはここだけだからな。 ……じゃあ、この違和感はいったいなんだっていうんだ。 彼女は音量をミュートにしたパソコンの様に静か。 珈琲はそのまま新製品として売れそうな申し分のない味。 タバコもまだ残っていて、俺はいつものように寛いでいる。 考えた末に出た結論は――……気のせい、だな。 俺は机の上に投げ出していた足をくみ直し、半分ほど灰に変わっていたタバコを灰皿へと押し付けた。 最近はあの団長さんとやらもやけに大人しいし、古泉からの依頼も途絶えたっきりだ。 つまりは……退屈が過ぎただけなんだろう。 俺は自分の中にある直感に、そんな名前を付けて保存した。 適当に投げた視線の先で、相変わらず機械的に事務をこなす彼女の姿が見える。 ……たまには部下を労うのも、上司たる立場の者の職務だろう。 2人で居る時にだけ使う、気安い口調で俺は彼女の名前を呼んだ。 江美里。「はい」 数秒遅れての彼女の返事。 この間は悪かった。ほら、そのパソコンを君に買いに行ってもらった時だ。1人で大変だっただろ? 彼女が少しでも不満を見せれば、俺はその埋め合せとしてどこかへ誘うつもりでいた。 自分の言った言葉に連想されて浮かんだ、いくつかのデートスポットの取捨選択を返事を待たないまま脳内で進めていく。 しかし――彼女は手元のパソコンに視線を落とした後、小さく口元に笑みを浮かべて首を横に振った。「いえ、大丈夫です」 ……そうか。 続く言葉も無い。 再び彼女の手元からキーボードをタイプする音が響くまで、数秒もかからなかった。 「ああ、その場合はツールに保護という項目があるからそこを選択すればいい」 ツール、ですか?「ああ。この上の部分に表示されている灰色のバーの……ここだね。保護する内容も指定できるんだけど、今の場合は選択不可でいいと思う」 なるほど……あ、これですね。 モニターの上をゆるゆるとカーソルは進み、目標地点に到達してそれは止まった。「そう。選択不可にしてパスワードを設定しておけば、生徒会のデータのセキュリティーとしては十分だと思うね。もっと安全な方法もあるが、頻繁に編集するデータには向いていない」 そうなんですか。 彼に言われるままにデータの編集を終えて、上書き保存を選択してから私はファイルを閉じた。 その動作で、まるで今部室の中の時間が動き出したみたいに――こっそりと様子を伺っていた――部員さん達の手は動き始めました。 わざわざ教えて頂いて、本当にありがとうございました。「いや、別にこれくらいの事気にしなくてもいい」 私の後ろに立っていた彼は、照れるように視線をそらしてしまう。 そんな彼と仕草に何故か頬が緩むの感じつつ、私は持参した袋の中から焼き菓子を取り出した。 あの、またお菓子を焼いてみたんですが、よかったらみなさんで召し上がってください。「え? あ……その」 大丈夫、今日もちゃんと人数分持ってきてありますので。 差し出されたお菓子を前に固まる彼の手を取り、私はお菓子を手渡した。 ――部長さんの指って不思議です、どうして脳内情報が伝達される前に指が勝手に移動を開始したりするんでしょう? しかもランダムではなく正確に。「……あの、どうかしたのかい?」 あ、すみません。 つい、部長さんの手を握ったままでいてしまいました。 そっと彼の手を離すと、気まずい沈黙が部室内に流れる。 誰も何も言いませんでしたが、なんとなく居心地の悪い感覚を感じて私は頭を下げ、また来ますと言い残してコンピューター研の部室を後にしました。 手に残った焼き菓子の袋と……つい数分間、確かにそこにあった喜緑さんの柔らかな手の感触。 マウスとキーボードの感触に慣れきっていた僕に、異質なその二つの情報は様々な疑問符を投げかけてくる。 最近、喜緑さんがこの部室をよく訪れる理由は何なのだろう? 本当にパソコンや表計算ソフトの疑問を解決したいだけなのだろうか? それに、何故いつもお菓子を焼いてきてくれるんだろう? ……僕が好きな、甘いお菓子を。「部長、お茶が入りました」 考え事は一旦中止するか。どうせ答えは出ないんだろうし。 部員が入れてくれた苦いお茶を飲みつつ、僕達は彼女のくれたお菓子を食べ始めた。 ――僕が彼女、喜緑江美里さんと知り合って数ヶ月が過ぎる。 僕と彼女の関係はただの知り合いでしかなく、それ以上を望もうなんて思わない。 それでも、今日みたいに部室を訪ねてきてくれる回数も増えてきていて、部員達も彼女に対して打ち解けてきている事が僕には嬉しかったんだ。「喜緑先輩、お菓子作るの上手になりましたね」 そうかい? 部員の評価を聞いた上でもう一度よく味わってみると……確かに、最初にもらったお菓子と比べて美味しいかもしれない。 何かお礼を……そういつも考えるのに、結局何もできないままだ。 こんな時どうすればいいのかどこかにまとめサイトとか、マニュアルでもないのかい? ……あるわけ無いよなぁ……。 「……以上で、今年度前期予算会議を終了する。予算の内容、配分について疑問等があれば今週末までに書面で提出してくれ。何か質問は? ――では、解散」 会議室に一斉に響き渡ったパイプ椅子を引く音が一段落し、そのまま喧騒と共に部長達が部屋から退室していく。 やれやれ、今日の仕事はこれで終わりか。 混雑する会議室の出入口を「早くこの伊達眼鏡を外して背伸びがしたいから、さっさと部屋から全員出ろ」と念を混めて睨んでいると、混雑が過ぎるまで待とうと離れている大人しそうで、野菜に例えればもやしの様な外見の男が目に付いた。 ……あれは、確かコンピューター研究会の代表だったな。。 ただ待つのも何なので、手元の資料の中からコンピ研に関する資料を見直してみた。 名称 コンピューター研究会 所属人数 9人(名義上、席を置いているだけの4名を含む) 活動内容 情報可社会に適応できるスキルの育成 なるほど、使い道のあるオタクって奴か。 早々と興味をなくした俺は、資料をテーブルの上に放り投げた。 ……しかし、予算をくれてやっている以上は役に立ってもらうべきだろうな。 働かざる者、食うべからず。 ようやく混雑が収まり、部屋から出ようとしていたその男の肩を俺は叩いた。 生徒会室に近づいてくる足音が複数だった事で、私は電源を切ったばかりだったパソコンの電源を入れなおした。 この時間にお一人でないという事は、どうやら今日は定時では帰れないようですね。 近づく足音を聞きながら何が起きたのかを考えてみる。 予算会議で何かあったのでしょうか? 万一、彼の指示で予算の一部を不透明にしておいたのが見つかったのだとすれば……残業確定かもしれません。 モニターの画面が立ち上がり、ようやく動作が安定した頃――部屋の主である会長が、ノックも無しに部屋の扉を開いた。「ネットの環境を整えてもらいたいのはこの部屋だ。見積もりは、生徒会執行部宛てに頼む」 生徒の前で話す時の作った会長の声、「わかりました。1両日中にはお届けします」 続いて聞こえてきたのは予想外な声だった。 あっ! 思わず声をあげてしまった私に視線が集まる。「……どうかしたのか?」 不思議そうな顔で会長がこちらを見ている。 いえ、なんでもありません。 会長の後ろで生徒会室の壁や天井を事務的な目で見ていたのは、コンピ研の部長さんでした。 ――この後、コンピューター研究会に寄ろうと思っていたのでちょっと驚いただけです。 深呼吸をしながら、私は静かに来客者へ頭を下げた。 部長さんは私に気づきながらも表情を変えず、「どうも。……特に問題はないみたいですので、僕はこれで帰ります」「よろしく頼む」 部長さんが部屋から出て行き、その足音が聞こえなくなるまで私はじっと部屋の扉を見つめていました。「以前、君がここでネットが出来れば便利になると言っていたのをたまたま思い出してな。迷惑だったか?」 いえ、ありがとうございます。 あ、あれ? どうしたんでしょう。「……」 何故か会長は私の顔を不思議な顔で見つめています。 まるで、探していた何かが見つかった様な顔で。 喜緑江美里。 いつの間にか生徒会に居た、不思議な女。 何を指示してもそつなくこなせるのに、自己主張する事もなく常に冷静。 俺がこの女に興味をもったのは、最初は単なる好奇心でしかなかった。 男と2人っきりになったら、彼女はどんな風に変わるんだろうか? その疑問を解決する為、俺は彼女を休日にどこかへ遊びに行かないかと誘ってみた。 俺の誘いをあっさりと承諾した彼女と何度か付き合ってみてわかったのは……彼女は想像以上にただの女じゃないって事だった。 まず、知識が半端じゃない。 政治経済から音楽の話題、ゲームの話題から車の話まで、何を聞かれても完璧に答える彼女に俺は度肝を抜かれた。こんな女が居るのかってな。 次に、彼女は自己主張という概念を知らないとしか思えない。 別に彼氏でもない俺を相手に、遊びに行く場所、食べる物、映画の選択に至るまで彼女はその一切を自分で選ぼうとしなかった。最初は単に人任せな女なのかとも思ったがそうでもないらしい、冗談で明日は深夜2時に会おうかと伝えたら彼女は普通に承諾してしまった。今更冗談だったとも言えなくて、俺は翌日本当に待ち合わせ場所に行ってみた所、彼女はすでに待っていた。 意味不明な場所に連れて行っても何一つ文句を言わないし、退屈そうな顔をする事もない。 下の名前で呼ぶ事にも抵抗が無いし、もしかして俺に惚れているのか? そう考えていた時期もあったんだが、それも違う様な……。 彼女は……そう、何も知らない気がするんだ。 全てを知っていて、何も知らない女。 こいつを、俺に惚れさせてみたい。 俺がそう思い始めるまでに、それ程時間は必要なかった。 あの、お話ってなんですか? 放課後、生徒会室の中には僕を呼び出した生徒会長だけが残っていた。 どうやら喜緑さんがすでに帰ってしまったようだ。昼間、彼女を見かけた机の上には見覚えのあるノートパソコンだけが置かれている。「よくきてくれた。まずは座ってくれたまえ」 はぁ。 不自然な笑顔を浮かべる会長が気になりつつも、僕は応接用のソファーに座った。 僕が座るのを見てから、会長も向かいに座る。 会長はいつもの自信に溢れた態度ではなく、何故か居心地が悪そうにしていた。 あの、もしかして値引き交渉なんでしょうか? お渡しした見積もりの内容は、原価だけで工賃を入れていないので正直な所あれ以上は下げようがないですよ。「いや、違うんだ。その件じゃない。君を呼んだのは、個人的に聞きたい事があっての事だ」 はぁ……聞きたい事ですか。「そうだ。そして、ここでの話は内密にしてもらいたい」 含みを持たせるような会長の言い方が気になりつつも、僕はとりあえず頷いておいた。「では単刀直入に聞こう。……君は、うちの書記である喜緑江美里と交際している。そうだね?」 いいえ? ……思わず即答してしまった僕に、会長は固まってしまった。 交際も何も……僕と彼女の関係を文字にするならただの知り合いだ、どう考えても。「隠さなくてもいいんだ。別にその事を咎めようという訳じゃない」 いえ、本当に違います。 なんなら、今までのメールのやりとりを見せてもいいくらいだ。「本当に?」 はい。 いったい、会長は何が言いたいんだろう?「……そうか。いや、すまない。どうやらこちらの早とちりだったようだ」 はぁ。「では代わりに聞かせてくれないか? 最近、彼女は君の研究会によく出入りをしているみたいだが、いったいそこで何をしているのかね?」 パソコンの操作方法や、表計算ソフトの使用方法を教えています。 自分の趣味じゃなくて生徒会の仕事の為なのに、本当によく頑張ると思うよ。「……彼女に?」 はい。「君が?」 まあ、部長ですから。 たまに遊びに来てくれる長門さんを除けば、適任者は僕になるだろうからね。「……そうか、よくわかった。何故、こんな事を君に聞いたのかと言うとだね――」 生徒会室から部室に戻った時、すでに下校時間を過ぎているのに、部屋の中には部員が一人残っていた。 なんだ、まだ残ってたのか。「あの、部長が生徒会長に急に呼び出されて。僕の見積もりに何か問題があったんじゃないかって心配で……」 安心していい。その件じゃなかった。「本当ですか!」 ああ、違う話だったよ。 僕が頷くのを見て、彼は安心したのかほっと息を吐き出した。「よかったー! あ、でも結局何の話だったんですか? コンピ研に関わる事とか」 ん~……正直、僕にもよくわからないんだ。生徒会長に聞かれたのは部活の事ではなく、喜緑さんの事だけで「あ」 ん、どうかしたのかい?「すみません、言うのを忘れてました」 ……何を?「喜緑さん、いらしてます」 そう言って彼が手で指し示す先、ちょうど僕のパソコンの影に隠れた位置に喜緑さんが座っていた。 ――気を使ったつもりなんだろうか? 足早に彼は帰ってしまい、部室には僕と喜緑さんだけが残されていた。 ついさっき、会長との話題で出ていた相手だけに、やはりなんとなく意識してしまう。 や、やあ。「連絡もなく突然お邪魔してすみません。生徒会の方が今日は早く終わったので、立寄ってみたんです」 いや、それはいいんだ。いつでも君が好きな時に来てくれて構わないよ。ただ……。「ただ?」 その……えっと。 ――しまった、そういえばこの話は内密にって言われてたんだった。 かといってここまで言っておいて何も言わないってのも、話の内容が内容だけに問題かもしれないよな。 それに……伝えるなら今がいいのかもしれない、後になればよけいに言い出しにくくなる。 考え込んで言葉が出ない僕を見る彼女は、とても綺麗で……そうだよな厚意を好意と勘違いしていた、僕がいけないんだ。『実は、彼女と私は付き合っているんだ』 思い出した会長の言葉に胸が痛むのを無視して、僕は口を開いた。 ……喜緑さんがこの部室に出入してる事を、君の彼氏は快く思っていないみたいなんだ。「彼氏……ですか」 ああ。生徒会長さんにさっき呼ばれてね、君がここで何をしているのか聞かれたんだ。もちろん、本当の事しか言っていない。「あ、あの」 うちの部員は男子しか居ないから、君の彼氏が心配する気持ちも僕にもわかる。だから……君はもう、この部室には来ないほうがいいと思うよ。もし、パソコン関係の知識が必要ならメールで聞いてくれてもいいし、よかったらパソコンが得意な女子生徒を紹介するよ。彼女なら、必ず僕より適切な助言を「あの、待ってください」 彼女は強い口調で、僕の言葉を遮った。「会長とは、確かに遊びに連れて行ったりしてもらったりと交友はあるのですが、私は彼との関係は友達だと思って居ました。……それと、私がこの部屋を訪れるのは……今貴方に言われた様な理由だけではないんです」 ……じゃあ、いったい何の為にここへ。 どこかの団長さんが言ってたように、パソコン以外にコンピューター研を訪れる理由なんて無いと思うけど。 彼女は僕の顔と自分の手元を交互に見ながら、「その……うまく言葉に出来ないんですけど……。私、初めてなんです」 困ったような顔でそう言ったのだった。 へ? 思わず硬直した僕に、「この人の事を、もっと知りたいって思ったのって……初めてなんです」 彼女は――あのいつも冷静でおしとやかな彼女は、頬を赤く染めながらそう言ったんだ。 その人って、もしかして。 この場所には今、僕と君しか居ない訳で……。 困った様に俯いていた彼女の顔がゆっくりとあがり、僕の目を見た後、彼女は確かに頷いた。「この気持ちが何なのか自分でも、よくわからないんです、でも知りたくて……パソコンの事だけでなく、貴方の趣味や考えや、どんな事が好きなのかとか……貴方の事を凄く知りたいんです。……それって、御迷惑でしょうか……?」 いや! そ、そんな事はない! 絶対にない! 全力で手を振って否定する僕を見て、彼女はほっと息をついていた。 お互いに何かを言いたくて……何も言えない沈黙が流れる。 彼女が……僕に興味があるだって? 本当にこれは現実なのか? もしかして、白昼夢って奴なんだろうか? 自分の正気を疑い始めた僕に、「……今日は、もう帰ります。また、遊びに来ても……いいですか?」 照れるような笑みを浮かべながら彼女はそう聞いてきて――僕は期待と共に頷いた。 「振られんぼ」 ~終わり~ その他の作品
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