涼宮ハルヒの舞台裏 長門有希の恋心
「なぁ長門、最近皆が自分のエピソードを語ってるみたいなんだが。お前もやってみないか?」 いい。私には語る事など何もない。「そんな事言うなよ。今までお前がどれだけ成長したかこの眼で見てきているんだ。だから、俺はもっと知りたいお前の事」 ……そう。あなたがそう言うなら。「そっか、んじゃ試しにやってみてくれ」 長門有希。「長門よ、名前だけじゃ何も伝わらないと思うぞ…。仕方ない俺が見本ってやつを見せてやるよ。問題ないな?」 問題ない、あなたに任せる。「この話は私が現在に至るまで経緯の一部でしかない。だが、私の胸中に抱き続けた心を垣間見ることが出来るはず。こんな感じでどうだ?」 …解った。ユニーク。「ユニークかどうかは解らないがな。タイトル何がいい?」 解らない。でも、恋がいいかもしれない。「はっは、まさか長門の口から恋なんて聞けるとは思わなかったな。んじゃ、始めるか」 了解した。長門有希の恋心はじまり。
――長門有希の恋心――
私は蓄積したエラーに耐えきる事が出来なくなり世界改変を行った。私の残した世界再改変の鍵を集めた彼。私はヒトで在りたいと願った。 だが彼はヒトである私より、インターフェースである私を選んでくれた。私はそれに喜びという感情を抱いた。 そして、一時的であるにしろ情報統合思念体を消失させた私は、処罰を逃れる術は無かった。それは当然の業。だが、彼はそんな私を責めたりしなかった。むしろ、私の存在を許してくれた。彼の言葉が私を救ってくれたあの日、私は彼に恋をした。
私は今まで自分に蓄積していたエラーに対する価値観が変わった。今までは只、理解不能なデータの塊でしかないと思っていた。だが、彼が教えてくれた。『それは、お前の心だと』
私は、ヒトに成れるのだろうか。彼と同じ道を、同じ速度で歩けるのだろうか。だが、それは叶わない。私は情報統合思念体により製造された、只の端末に過ぎない。 自分の存在する理由、此処にいる理由。涼宮ハルヒを観察する為。只、それだけなのだから。それ以上望んではいけない。 私は今日も自分を殺して、彼等と共にいる。
二年への進級を間近に控えた春休みのとある一日。私はSOS団の団活に強制的に参加させられていた。いつもと同じ場所、同じ時間に。私には世界観など無かった、そんな漠然としたものを模索するより、自らに与えられた役目を全うするのに徹していた。 だが、いつからだろう。同じ場所でも季節事に見れる景色、物、人全てが違う。その様な事を過去に考えた覚えなどない。そう考えると自分がおかしく思える。私は今日も待つ、皆より早く定位置にて時間まで待機する。 だが、あの日からこうしていつも最後に来る彼を待つ時間が幸せだった。そう、思える様になった。
最近の私は物事をなるべく論理的に考えない様にしている。そのせいか、見える景色が全て違う物に、綺麗に見えた。彼のくれたアドバイスのお陰。
まだ時は八時一分五十二秒。ふと思い付いた様に空を仰ぐ、空はクレヨンで塗り潰した様に蒼く澄みわたっている。早朝の風は清んでいる。それを肌で感じるのが最近出来た楽しみの一つ。
「おはようごさいます。相変わらず早いですね、長門さん」見慣れた人物が声を掛けてきた。古泉一樹、彼はいつも決まってこの時間に来る。私は黙って頷く。それがいつもと変わらない古泉一樹との挨拶。 古泉一樹は黙って私の隣に立ち、左腕にはめた腕時計に視線を落とした。 私には時計など必要ない。それが私はヒトとは違うという証拠。…やめよう考えたくない。「遅いですね皆さん」「あなたの到着が予定時刻より早いだけ」 彼は少し苦笑いを浮かべ、気を取り直す様に咳払いをした。「罰金は勘弁して頂きたいですからね。それに、彼の役目の一つでも有ります。それを涼宮さんも望んでいるんじゃないでしょうか」 そう。私にはその理屈は理解不能。「微妙な乙女心といいますか、これに付いては解ってしまうとしか言えませんが。勿論、涼宮さん限定です」 そう。 私がそれだけ言葉を返すと、古泉一樹はそれ以降黙り込んでしまった。きっと、彼なりに私に気を遣ったのだろう。
暫くして、朝比奈みくるが到着した。「ごめんなさい、お待たせして」 深々とお辞儀をすると、満面の笑みを浮かべている。何故、そんなに意味もなく笑顔を作れるのか私には理解出来なかった。 朝比奈みくるは古泉一樹の隣に立つと、楽しげに会話を始めた。私は黙って彼を待つ。早く会いたい。
八時四十分二十三秒、涼宮ハルヒが到着した。「皆、おっはよー!バカキョンは……うんうん居ないわね」元気よく声を張り上げた後、彼を探す為か辺りを見回した。その後、何故か嬉しそうに何か含んだ笑みを浮かべていた。これが古泉一樹の言う、微妙な乙女心というものなのだろうか? 理解不能。 最後になった彼を待ちながら楽しげに会話をする三人を眺める。やはり、私は浮いた存在なのだろうか。必要最低限の質問ぐらいしかされない。 涼宮ハルヒが到着して間もなく彼が到着した。彼の体は上下に揺らす程息を荒げ、急いで集合場所まで来た事を表していた。 そんな彼に向かって涼宮ハルヒはいつもと変わらない決まり文句を言う。「遅い!罰金!」 自分と然程大差はないだろうに、それでは余りにも彼が理不尽だ。「今日こそお前より早く着いたと思ったんだがな…はぁはぁ…あーぁ。たく、仕方ないな」 彼は皮肉っぽくそう言葉を漏らした後、私に視線を送ってきた。「長門、おはよう」「……よう」 思った様に言葉が出なかった。だが、彼は満足そうに笑顔を浮かべていた。何故?「ちょっとキョン!さっさと来ないと置いて行くわよ!」 気付いたら三人は既に喫茶店へと向かっていた。彼は「へいへい」と気だるそうに答えた後、再び私の方に向き直す。「行こうぜ長門」 コクりと頷く。少し前を歩く彼の背中を眺めているだけで、何故か私は満たされた。 こうしている間にも、私の中に大量のエラーが蓄積していく。内容は理解不能。でも、何故か胸が苦しくなる。これが彼の言う心なのだろうか?
喫茶店にて、各々自分の飲み物を頼んだ後、涼宮ハルヒがいつもの様に二本だけ爪楊枝の尖端を赤く塗り、拳で握ると皆の前に突き出す。 私が引いたのは尖端の赤い楊枝。最後に引いた彼も赤い楊枝。これは本当に嬉しかった。少しでも彼と二人きりでいられる。そう思うと心が踊る様だった。 だが、それを快く思わない人物がいた。言わずと知れた涼宮ハルヒ。彼女は唇をカモノハシの様に尖らせ、不機嫌オーラを発しつつ頼んだアイスコーヒーを一気に飲み干し、独りで喫茶店を出た。「何怒ってんだあいつ」 彼が呆れた眼差しで出入口を眺めている。「おや、そんな事も解らないんですか?」「そうですよ、キョン君。乙女心は繊細なんです。私達も行きましょうか」 二人も続いて出入口に向かう。それを追うようにして私達も付いて行く。「一体何だってんだ?」 彼がぼそりと呟いた。彼は未だに涼宮ハルヒの好意に気付いていない模様。彼と涼宮ハルヒが交際すれば、涼宮ハルヒに多大な影響を及ぼすかも知れない。それは、情報統合思念体が待望している自律進化の可能性が秘められているかもしれない。 だが、もう一つ。涼宮ハルヒの能力が消滅するかもしれない。だが、これは私の見解であって総意ではない。可能性に付いての報告をしていない。彼の身を再び危険に晒してはいけないのだ。 だが、私は何故こんなに苦しいのだろう。解らない。だが、知りたいとは思う。でも理解しない方が良いのかも知れない。
最後に会計を済ませた彼が喫茶店から出て来ると私の隣に並ぶ。「何回も言ってるけど、デートじゃないんだからね!?解ってんの!?」 涼宮ハルヒの怒号が頭に響く。「解ってるって、お前こそしっかりやれよ」「い、言われなくたって解ってるわよ!」 涼宮ハルヒは踵を返すと、肩をエベレスト山が如く突き上げ、ずかずかと歩いて行く。その後に続いて、苦笑いを浮かべながら二人が付いて行く。「さてと、何処に行こうか長門。やっぱり図書館か?」 …図書館。彼は私と二人になると必ず図書館に連れて行く。やはり私と一緒では退屈なのだろうか?そんなに私の相手は苦痛なのか。 私は自分が頭を横に振っているのに気付く。自身でも予期出来ない行動。「嫌なのか?なら何処がいいかな。行きたい所あるか?とは言ってもこの周辺しか無理だぞ?」 行きたい所……。私は今までその様な事を考えた事は無かった。正直、反応に困った。黙り込む私を見て察してくれたのか彼は。「すまん。別に困らせたかった訳じゃないんだ。いきなり言われても思い付かないよな。取り敢えず、散歩でもするか」 私は頷いた。やはり彼は優しい。私をまるで自分の妹を見る様な慈しむ瞳で見ている。私は彼にとって妹、又は子供の様な感覚なのだろうか。
暫く歩くと、遊歩道の並木道へと出る。時間も早い為か、ウォーキングや犬の散歩などをする若年層から高齢層がちらほらと見える。右手に見える畔の水面が微風に揺らぎ、そこに注がれる太陽光が反射しキラキラと輝いている。 そんな一足早い春を感じながら、私は彼と並ぶ様に歩いている。初めは彼の二歩後ろを付いて歩いていたのだが、今は隣を歩く事が私にとって至福の時なのだろう。そう、思いたい。「どうした?何か良い事でもあったのか?」 彼は微笑を浮かべながら私を見下ろす。 別に何もない。 私は素気ない態度で返す。最近は、極力思考や感情を表面に出さない様に心掛けている。以前の私には必要なかったのだが、今の私にはそうして自分の役割を遂行する為に必要な処置なのだ。他との境界線を引く、それが長門有希という個体が在るべき姿。望んではいけない。求めたら私はもう戻れなくなる。 だが、彼は表面に出さない私の感情を、数少ないだろう情報から汲み取ってくる。それは正直に言えば、嬉しいという表現に当てはまるものを私は感じている。だから、彼にだけは許してしまう。だが私は自分の感情を表現に結び付けるプロセスを知らない。 そんな、私の素気ない態度など気にする様な素振りを見せずに、彼は「そっか」と一言呟いた後、「ならいいんだ」と続ける。 彼は安堵したかの様に、優しく微笑んでいる。 私といる時、多くを語らない彼。やはり私といると退屈なのだろうか。そう思うと胸が苦しい。
ベンチに腰を下ろした彼に続き、その横に私も腰を下ろす。二人の間に開いた一人分のスペース。それが私と彼との距離を表している。それを自らが作り出し、落胆していると思うと酷く滑稽な有り様だ。 そんな私の心境を見抜いたのか彼が口を開く。「どうした?やっぱ悩み事とかあるんじゃないか?俺で良ければ力になるが」「……問題ない」 そう答えるしか私は術を知らない。彼は少し困った様に顔を顰めていた。
暫しの間、沈黙が続く。でも、彼と私の間ではそれが通常であり、むしろ言葉を交す事の方が少ないだろう。私の語彙が少ない為と思われる。様々な書物等から得た情報を基に、日常に用いられる会話を想定しシュミレーションを行った事がある。だが、私には柔軟な会話は不可能とも言えるぐらい酷い結果だった。
先に沈黙を破ったのは彼だった。「喉渇かないか?」 特に活動に支障を気足す程水分を浪費している訳でもなかったのだが、此処は彼の好意に甘えておくべきだろうか。「ジュース」「幅が広いな、好きな物は無いのか?」 頭を掻きながら苦笑いを浮かべる彼。「甘い物」 私がそう答えると彼は。「んじゃその検索項目から俺の独断で決めさせて貰うが構わないか?」 彼が選んでくれる物なら尚更問題はない。「ない」「了解、じゃちょっと待っててな」 そう言い残し、小走りで自販機に向かう彼の背中を眺めていたら、不思議と楽しい気持ちになる。だがそれが同時に恐怖でもあった。恐らく私はこの任務を終了した時、異常処理を起こした不良端末として削除されるだろう。 彼との過ごした時間、それは賭けがえの無い大切なもの。私は今過ごすこの平穏な日々を噛み締める様に、記憶媒体へと記録していく。
「待たせたな」 彼に手渡される350mlのアップルジュース。「俺の奢りだ」 私は彼から缶に視線を落としプルタブを引く。プシュッと音を起てると同時に林檎独特の甘い香りが漂う。 私がそれを口元に運び、チビチビと飲みながら目の前の景色を眺めてると。隣からプシュッとプルタブを引く音がすると同時に、独特な甘い香りがしてきた。缶を傾けゴクリと三回程喉を鳴らした後、私の視線に気付いたのか微笑みながら。「飲みたいのか?」と一言。 私が頷くと彼は嫌な顔一つせず私に缶を手渡す。 それを私は一口含んだ。薬の様な味がするのに、妙に甘ったるい。この喉がチリチリとする感覚は炭酸だろうか。 初めて飲んだそれをしげしげと見つめていると。「どうだ?コーラは美味いか?」 と聞いてくる。正直、二択から選択するとなると迷う。 私が悩んでいるのを汲み取ったのか彼は。「無理して答える事ないさ。俺も最初飲んだ時、思わず顔を歪めたしな。でも慣れたら結構美味いんだよな」 何かを思う様に空を仰ぐ彼から自然に溢れ出す笑い声。そんな彼を見て、私も口元が緩んでしまう。「何だ、笑えるんじゃないかお前も」 迂濶だった。よもや彼に見られてしまうとは。「笑ってなどいない」「何強がってんだ?いいじゃないか、それだけ長門が成長したって事だろ?」 思わず口から溢れた否定句。だが、彼に言いくるめられてしまう。反論の一つも浮かばない。
暫くして、彼の携帯に着信が入る。恐らく、口振りからして涼宮ハルヒだろう。電話を切り、苦笑いを浮かべながら彼は。「戻るか」 と一言言った後、ベンチから立ち上がる。私もそれに続いて立ち上がり、先を歩く彼に付いて行く。 無言なまま二人並んで歩く並木道、私は彼の手にそっと触れてみた。最初は驚いたのか目を丸くしていたが、私の意図を理解したのか。「仕方ないな」と呟くと、私の手を握り返してきた。 大きな手、温もり、この繋がりだけで私の中のエラーが消えていく。
少し恥じらう様にはにかむ彼を見上げ、私は思う。
私がここにいる理由。
私が私である理由。
彼と生きたい。
そう、私はヒトとして彼と共に過ごしたい。
それはきっと叶わぬ儚い願い。
でも、信じたい。
いつかその日は訪れると――
おしまい。
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