SOSvsSOS FinalRound
いっそこのまま布団を広げっぱなしの居間か自分たちの部屋で、最後の瞬間を迎えるまで延々と互いの体をむさぼりあっていようかという考えも浮かんだが、すぐにその案は脳内会議で多数決で否決された。確かに平行世界の自分の体を隅から隅まで調べ上げて、擬似融合を行なうチャンスはこれっきりなんだろうが、一度始めてしまうと他の事に体も頭も向けられず、本当にそれだけしか出来なくなる自信があった。 だから、苦渋の決断でその選択肢を消した。二人揃って服を着替えると、出発の準備をする。お袋のカバンの中を失礼して探ってみると、やっぱり出てきたぞ、俺の原付のキーが。早速キーを回して俺の相棒を目覚めさせてみる。快調快調。心地いいエンジンの音があたりに舞う。 キョンに予備のヘルメットを被せて俺も被ると、二人乗りで路地に走り出した。もう道路交通法を守る必要はねえ。「ねえ、これからどこに行くの?!」「決まってるだろ。街に繰り出すんだよ。気張って掴まってろ!」 信号は何事も無く点灯しているが青でも赤でも無視して走破する。他に動いている人も車も動物も居ないから当然だ。原付を走らせて小半刻もすると街の中心街に到着した。人っ子一人居はしないはずだが、街は付けっぱなしの照明と、自動点灯のイルミネーションで、生きているように煌々と輝いていた。 まったく、携帯は使えなくなったのに電気がしっかり生きているのは変な話だが、この世界が終わろうとしている最中に考えるのは時間とエネルギーの無駄遣いだからな。 素直に生きている設備を使って残った俺たちが楽しませてもらう事にするさ。 「ねえキョン!昨日来た時に欲しい服があったの!」「よし、じゃあまずは着替えからだな」 こうして最初に向ったのはデパートの若者向けで、少々値が張るブティック。好き放題に選べるからと迷いに迷うのだろうと思いきや、最初から目星をつけていたものだけを選んで、さっさと着替え終えてしまった。「ねえ、カワイイでしょ!」「ま、こんなものね。さすがに髪まではセットできないのが残念だけど」「何言ってるんだ。お前にはいつものポニーテールが一番お似合いだぜ。特に今夜のは反則的だ」 見惚れる姿になったキョンにドギマギしていると、今度は俺の手を引っ張って男用の店に連行してくれた。「ほらほら、次はそっちの番よ!男物はあんまり詳しくないけど、それなりのをちゃんと見繕ってあげるね」「へいへい」 こうして俺はキョンの着せ替え人形にされてしまった。四、五着ほど着替えさせられたところでようやく納得してもらったようだ。俺にとっては半分どうでもよかったが、キョンが楽しんでくれればそれでいいからな。 ―――エンジンの駆動音が音と色を失った住宅街を切り裂いていく。その力強さは原付ではなくバイクのものだった。フルフェイスのヘルメットの奥の表情を窺う事はまだできない。 住宅街を縫うように走っていたバイクは、やがて何を思ったか公園の前で立ち止まった。ライダーはヘルメットを脱ぎ捨てると、息をつきながら電光のように奥に向ってひた走る。ハルヒコだ。 ハルヒコは公園の奥、見晴らしのいい広場。その街路灯の真下に枯れ木のような置物、いや、少女が座りこんでいたそれはハルヒだった。手足は凍て付いた地面に根を下ろし身動き一つせず、瞳は暗黒の重力の穴に光を全て吸い取られ、呆然と虚空を見つめるばかり。「ハルヒ!おい、しっかりしろ!」 ハルヒコが両肩を掴んで揺すると、魂の抜けた人形のようにグニャグニャと体を揺らすばかりのハルヒ。揺らされたことでようやく肉体にわずかばかりだが魂が帰ってきたようだった。「あ、ハルヒコ……」「おい、何があった!何をされたんだ!」 ハルヒコに再び激しく揺らされて、ようやくハルヒは金魚のように小さく口をパクパクさせながら言葉を紡ぎだした。「私、私ね、キョンにフラれちゃった……」「キョンは私よりキョンちゃんの方がいいんだって。キョンはポニテ萌えで、私よりキョンちゃんのほうが似合ってるからって……」 ハルヒコはハルヒの顔を両手で力強く掴んで自分の方に向けさせる。すると今まで寒風にさらされ続けて乾ききった両の瞳から、間欠泉のように感情が吹き出した。「私、キョンにフラれちゃった!フラれちゃったよぉ!!」 わんわんと生まれたての赤ん坊のように泣き喚くハルヒ。その感情に呼応するように星空がガラス窓のようにヒビ割れていく。だが、ハルヒもハルヒコも、その事に全く気が付いていない。「落ち着け、落ち着けぇ!」 ハルヒコはハルヒの頭を鷲掴みにして自分の方に向けさせる。「いいかハルヒ!あいつらは俺たちをおちょくっているんだよ!アイツらは双子なんだぞ!恋人になったなんて、そんなバカなことがあるかよ!」「でも、でも!キョンはだからどうしたって。もうそんなの関係ないんだって!」「二人ともおかしくなっちまったんだよ!目の前で弟と妹が消えて、他の団員も、それどころか街中の連中が消えちまったのを見すぎたせいで!」 まだ動揺しているハルヒを強引に立ち上がらせ、腕を引っ張り連れ出すハルヒコ。「どう、すんの?」「目を覚まさせるんだよ!俺が嫁を、お前がアイツを!」 ハルヒにヘルメットを被せ、ハルヒコは再びバイクを疾駆させた。その瞳に灯った炎が筋のように流れていく――― 「よっし、しっかり着飾ったんだから、次は記念撮影だな!」「いえーい!」 記念撮影する場所となるとゲーセンでプリクラがデートの定番だ。ぴったりと顔をギリギリまで寄せ合って、ハートマークのフレームにバンバン収まりまくる。何十枚と撮影したが、お気に入りの分以外はシートごと床にばらまいてしまった。 次はクレーンゲームにした。どれを狙うか少し迷ったがベタに人形を狙う事にした。大物は掴めずコウモリの腕人形が唯一の戦利品だったがそれを手にして笑い合う。「ようし、俺さまは吸血コウモリさまだぞぉ。噛ませろぉ」「ちょっと、何よそれ!」 吸血コウモリになりきった俺は、少女の新鮮な血液を求めて目の前の標的を執拗に追い回す。しかし標的ときたら狙われている割に緊張感のカケラも無く、満面の笑顔を浮かべてゲーセンの中を逃げ惑ってくれた。そんな標的に向って俺もゲラゲラと笑いかけながら、少しずつ、そして着実に追いつめていった。「いやぁ、たすけてー」「まてぇ~!」 ようやく俺は標的を機械と機械の間の袋小路に追いつめた。互いにぜいぜいと上気だって息を切らしている。「そうれ追いつめたぞ。噛ませろぉ」「きゃあ~!」 うずくまった標的の手首に狙いをつけて、分身となった吸血コウモリのやわやわな牙をもふりと突き立てた。「キャブっと!」「あーれー!」 こうして目の前の少女の新鮮な生き血を堪能した我が分身だったが、それだけでは本体である俺の腹が全く満たされていない事に、今の今になってようやく気が付いた。 「分身による食事は終わった。だから次はこの俺さまの番だ」「ちょっと、急に……」 まだ息を整えきらず、やんわりと露出した部位から汗の匂いを発散させているキョンの体、その首筋に目標を定めると、俺は腕の分身と同様にその牙を軽くあてがうようにキャブっと噛み付いていた。「ちょ……!ああっ!」 それまで抵抗の姿勢を示していたキョンの体から力が抜け落ちてしまうのが、体を抱きかかえている俺の両腕からはっきり伝わってきた。キョンの体から上気した香しい香りを肺の奥底まで吸い上げ、今まで食してきたあらゆる食事よりも美味な肌の味を楽しんでいる。 このまま隠されたベールを剥ぎ取って、メインディッシュにまで思わず手を付けてしまいたい衝動に駆られたその瞬間、俺の後頭部に鋭く一閃、ハリセンの一撃が炸裂した。 「こ、こら!ここは飲食しながらのゲームは禁止なのよ!」 悪ぃ悪ぃ。思わず調子に乗りすぎちまったな。ここは軽く運動をして、せいぜい喉を潤す程度の場所だと予定していたんだが、思わず本気になっちまうところだった。 どうやら俺の中に住み着いている獣は、本当に吸血コウモリらしいな。 他にも運動系や対戦ゲームをハメを外してバカ騒ぎしながら楽しむと、小腹がすいたのでゲーセンを出る。街の明かりはさっきと変わらず煌びやかなものだ。俺たちは人類社会の英知が残した些細な遺産に感謝していた。 近くのコンビニに立ち寄ってチーズタルトをチンした。もちろん御代はキッチリ清算してレジに入れておく。外に出ると、タルトと自分たちの吐息からの湯気でまっ白になりながら原付を押す。「はい、あーん」「あーん……。うわっつう!」「失敗失敗。ちゃんとふーふーして冷まさないといけなかったね」 息を吹きかけてタルトを冷ますと、二人で同じ一つを一気にパクついた。「次はどうするの?」「決まってるだろ。青春を刻みに行くんだよ」 その時、燃え尽きる前のロウソクのように最後の輝きを見せる満天の星空から、淡い粉雪が舞い降りてきた。「何これ?すっごくキレイだけど、全然冷たくないし、感触もないなんて」 もしかしたら星空の亀裂から降って来た、空間の欠片なのかもしれないな。ほら、よく見てみろ。星があんまり沢山ギラギラしていて判りにくくなっちまってるが、天の川のど真ん中に亀裂が走っているぞ。そこにもここにもあそこにも。やっぱりあの亀裂から降って来ているみたいだな。「凄いわね。物理法則も何もあったもんじゃないわ」「まあ、世界が終わろうってんだ。身の毛もよだつほどおぞましい消え方じゃねえんだから、ここは素直に絶景を楽しもうぜ」 もしかしたら、ハルヒかハルヒコのどちらかの悲鳴なのかもしれないな、と、一瞬考えが及んでしまったが、考える必要もないとアイツを後ろに乗せてオレは愛車を再び目覚めさせた。 砕け散って降り注ぐ、世界の断片をその身に浴びながら。 まだ生きている街の明かりと星の明かりを反射したその欠片は、まるで極寒の局地で拝む事ができるというダイヤモンドダストのように煌いていた。それだけではない。世界の終焉のついでとばかりに、局地でもないのにオーロラまで見えていやがる。こりゃあ本当にスゲエな。 ―――ハルヒコはハルヒをバイクに乗せると、キョンたちの家に向った。彼にとっての嫁の方はともかく、義弟の自転車は止まっていて、車も健在だが家に気配は無い。玄関のドアが開いていたので入ってみると、二階の踊り場には着ていた服や下着類が散乱していた。血相を変えた二人がそれぞれの部屋に突入したが、やはり気配は無い。「やっぱり二人ともいない……」「でも徒歩じゃねえ。俺たちに内緒で原付でも手に入れてたのか?!」 感が閃いたハルヒコとハルヒは街に向った。相変わらず街にはイルミネーションが煌々と輝いている。店のBGMがまだ鳴り響いているため、いくら無人になっていてもバイクに乗ったままだとなかなか気配を探る事が出来ない。 人気の無い繁華街や大型店舗をしらみ潰しにして駆け回るが、やはり見つける事は出来ないまま。そして二人は中心部にあったゲームセンターに足を踏み入れた。二手に分かれて探索を続けていると、突如ゲームセンターの喧騒を引き裂いてハルヒの絶叫がこだました。「ハルヒ!どうした?!」 それはプリクラの機械が大量に並んでいるエリアだった。ハルヒはその一角に撒き散らされていたステッカーを見て悲鳴をあげたのだ。「私、見た事ない……。こんなに楽しそうに笑っているキョンの顔、一度も見た事ない……」 そこに写っていたのはハートマークの枠にぴったりとひっつき、笑顔を浮かべている恋人同士の顔。ただし、それは二人のキョン。 再び衝撃に打ちのめされ、その場に崩れ落ちるハルヒと対照的に、ハルヒコは噴煙を上げる活火山のように激怒していた。「アイツらぁ!ふざけやがってぇ!」 ハルヒコは目の前の現実を受け入れられなかった。いや、受け入れようとはしなかった。今はただ、目の前の現実を込み上げる怒りで否定し続けるだけだった。 そして砕け行く天上と呼応して地平線の向こうはどす暗い赤紫と青紫の織り成す混沌の海に消えていった――― やがて見えてきた坂道で原付を停めて徒歩に切り替えた。登りきれば我らが母校、北高の校舎が待っている。最後に青春を刻み付ける場所なんてここ以外に考えられなかったからな。僅かな時間だったが、迅速に事を進めてくれた相棒とは坂道を前にお別れをする。この世界での最後の登校なのだから、自分たちの足で行きたいという希望が後から出たからな。乗り捨てるには忍びないが、せめて倒れないように丁寧に駐輪してやるから勘弁してくれ。「よっし、学校までどっちが先に着くか競争よ!」「おう!」 よーいドンで一緒に駆け出す俺たち。二人で坂をパタパタと一気に駆け上がった。しかしスピードはまだしも、体力は雑用ばかり任されていた俺の方が上だった。ぜいぜいとキョンが息を切らせてしまうのを見ると、今度は俺がおぶってやる。朝比奈先輩やヒメほどの弾力は感じなかったが、そのこぼれる匂いが、心地良い温もりが、体の疲れを消し去り、少々重たい脚を前へと踏み出させる。「ねえ、せっかくだったらお姫様だっこしてくれたっていいんじゃない?」「やめとく。お前を両手だけで抱えられるとは思えねえ」「ちょっと、それどういうことよ?!」「どういう事も何も、それだけお前が重たいってこった」「ちょっ!」「違う違う。お前は両手だけで抱えられるような軽い存在じゃないって意味さ。とてもじゃないが、体全部を使わねえと支えられねえよ」「言ってくれるわね。そっちが軟弱すぎるだけでしょ」「よぉし、だったらちゃんとゴールでお姫様にしてやるよ」 ラスト十メートルで、キョンをお望みどおり抱きかかえて校門を潜ってやった。 体からどっと疲れが噴出してきて、腕が痺れるように痛くなってしまう。「ありがとう。私の麗しの王子様」 麗しの姫君から褒美として賜ったのは、頬への熱い接吻。これだけで疲れが全部吹き飛んでしまうとは正直驚いた。今まで数多くのスタミナドリンクを試してきた俺だったが、これほど短時間で効果が目に見えて現れるドリンクはなかったはずだ。なんてっこった。アイツのキスで体力が湧き出す泉のように回復すると知っていれば、バイトで昇天する寸前の時に何度ももらっておけば良かったと、己の洞察力の欠如にほとほとうんざりしてしまうぜ。 ともあれ体力が回復したので、構内に入ってまっすぐ倉庫に向い、そこから白線引きを引っ張り出してきた。中身の石灰は十分補充済み。野球部の連中の手入れが行き届いているのか、合計五台に全て粉が満載にしてあった。これだけやっているうちの野球部なのだが、残念ながら甲子園に出場した経験が無いと言うのだから驚きだ。こりゃあ甲子園の常連校なんてユニフォームに毎日ノリまで掛けているのではないかと勘繰ってしまう。「さあて、何を書く?」「こういう時はアレに決まってるでしょ。あっちにビュンしてこっちにギュンして!」「よっし決まりだな」 何をしようとしているのかは口に出すまでも、指で図形を描いてみせるまでも無く、手に取るように理解できる。そうだよな。こういう時にやるラクガキってのはこうするもんだと相場が決まっている。アイツらみたいにヘンテコリンでトンデモな図形を描くほうがどうかしているのだ。「い、よっしゃあ!」「できたぁ!」 所要時間は五分程度だっただろうか。誰の指示も受けずに自主的に、本能の赴くままに書き殴った壮大なラクガキが完成した。互いに手を叩き合って喜びを表現する。「よっし。どうなったか見に行くぞ」「うん!」 土足のまま階段を駆け上がって屋上に。屋上からグラウンドを見下ろすと、グラウンド一杯に、お世辞にも綺麗とは言い難い、ヘニョヘニョの相合傘が書かれていた。「うっわぁ!」「何だよこれ!」 二人して屋上でゲラゲラと笑い転げる。「こうして見ると凄いよね。ハルヒコもハルにゃんも」「そうだよな、屋上から指図せずに地べたから指図して、あんなに立派な文様を描いちまったんだからな」「私たちだけじゃあ、こんなヘニョヘニョしか書けないのね」「しょうがないだろ。第一、描こうとしただけでも大したものだと思うぞ」「だよね。あんまり馬鹿馬鹿しすぎて誰もやらないもん」 二人でまたゲラゲラと笑い転げる。腹筋が疲れ果てるまで笑うと、そのまま俺たちは亀裂が縦横に走りまくった天井を見上げていた。「今、ここって宇宙からどんな風に見えてるのかしら?」「残念。その宇宙はもう無くなっちまってるぜ」「そっか、そうだったね」 俺が腕を差し出すと、アイツはその頭をコロリと寄せてきた。二人して見上げた天井には、亀裂によって分断された星座たちが最後の抵抗ではなった光の痕跡が輝いている。 「でも、星がすっごくきれい」「こっちに届く光までは消されてないんだろ」それも本当なら見えるはずの無い季節のものや、南半球でしか見えないものまで勢ぞろいしているようだった。「ちょっと、寒くなってきたね」「さすがに真冬だからな」 ハメを外してバカをやりまくって高揚していたとはいえ、流石に真冬の外の寒さは身に染みる。俺でさえ少々寒いのだ。ましておしゃれを優先して、オレより薄着のキョンが寒がるのは当然。「このまま外に居たんじゃカゼ引いちまうな」「そうだよね。ちゃんとしたところで暖まんなきゃいけないよね」 ころりと愛らしく、きらびやかな刺繍が施された手毬のように、キョンは俺の腕を伝って懐に転がり込んできた。そのほのかに甘い匂いが鼻腔から脳天を貫くと、最後にまだ踏み止まっていた倫理で綯われた理性の綱がことごとく断ち切られ、体に雄としての本能に活動の本格的承認を与えた。 ムクムクと沸き立った情欲が衝動となって全身を刺激し、男の象徴にも屹立の指令を下していた。「?」「ったく、こんなところでおでましかよ」 原付のエンジン音が聞こえ、ライトの明かりも見えた。ハルヒとハルヒコが到着したのだ。「まだ一日が終わるまで一時間以上残っているだろうが。予定狂っちまったじゃねえか」「もう、空気読んで欲しいわよね」 俺たちが屋上に居る事までは気がついていないようだったが、二人ともグラウンドに何か書かれていた事に気がついたようだ。あいつらに書かされた正体不明でやたらめったら情報が内包された文字と違って、こちとらは日本人なら絶対に解るものをシンプルに書いているんだから、すぐに理解できただろう。 「あーあ。これからゆっくり保健室に転がり込んで、身を寄せ合って暖を取る予定だったんだがなぁ」「本当に残念ね。せっかくこれからって盛り上がってきたのに、半端にクールになったって仕方ないのに」男のオレはもっとだぞ。何だったら今から燃焼してみるか?「今からだと時間が無さすぎて不完全燃焼になるわよ」そいつは残念だ。もっとしっかり手を打っておくんだったな。「でもさぁ、こんな風にどこかでツメが甘いのがアタシたちらしいわよね」 とまあ、至らなさを笑い合っていると、こちらに気がついたのだろう。二人とも校舎に入って行った。それを確認すると、オレは屋上へのドアを閉め、鍵を掛けて動かないように細工した。 頑強なドアには違いないが、何せ相手が相手だ。アイツら相手に何分持ちこたえる事ができるのか検討もつかない。「ま、せめて最後は」「綺麗に決めましょ」 俺たちは名残惜しく身を起こすと手に手をとって最後の舞台に向って歩き出す。天上の亀裂は縦横に走り、やがて星空そのものが崩壊してきた。 ―――グラウンドの照明が収束している地点に描かれていた、巨大な相合傘を目撃し立ち尽くすハルヒとハルヒコ。ハルヒコはその吹き上がる感情を咆哮にして吐き出したが、ハルヒは表情を引きつらせて力なく笑っていた。二人のキョンを元に戻す前に、ハルヒは自分の方が砕けてしまいそうになっていた。そんなハルヒの腕を掴んで引っ張るハルヒコ。向った先は校舎の方。その屋上に人の気配があったのを見逃す訳がなかった。「あいつらぁ!」 階段を滝が逆流するような勢いで駆け上るハルヒコ。「待って!」 ハルヒが足を踏ん張ったので、二階の踊り場で足が止まってしまう。「何があった!?」「あ、あれ……」「!」 ここでようやく二人は気が付いた。世界が本当に消滅しようとしていた事に。小高い場所にある学校の麓は赤と青の光の柱の群れに覆いつくされて見えなくなっていた。 「クソっ!」 再び駆け上がるハルヒコとハルヒ。だが、屋上の扉は鍵が破壊されているらしく全く動かない。「こんちくしょお!」 渾身の力で蹴りを打ち込む。常人離れしたその力の前に、さしもの鋼鉄製の扉も軋んでいく。「私、見たくない」 ハルヒが扉への攻撃を止めてしまう。「キョンとキョンちゃんがこの先で何をやっているのか、見るのが怖いの!」「バカヤロウ!世界が終わるってんならなおさら止めさせるんだよ!」「どうして?!もう好きにさせていいじゃない!」「いいわけねえだろ!同じ親から同時に生まれた双子が、遺伝的に同一人物同然のヤツらが間違い犯しているのを止めないでどうする?!世界が終わるからって、そんな理由で許せるかよ!」 ハルヒコの蹴りの一撃が、鋼鉄の扉を大きくへこませた。あと数回も感情を叩きつければ破れるに違いない。だが、扉はまだ破れなかった。屋上で起こっている事を止めさせようとする力と、それを直視する事を拒絶する両方の力が、その場で激しくぶつかり合っていたからだ――― 最後の瞬間が迫っている事を悟った俺たちは、最後の仕上げの準備をした。少々土埃に汚れてしまったのを綺麗に叩き落として、簡単だが丁寧に身支度を終える。「今の今までありがとう。本当に楽しかったわ」「俺もだ。こんなに楽しかった事なんて今まで無かったぜ」「それは私も同じよ」 舞い降りる空間の断片も吹雪のように激しくなってきた。というか今まで空で輝いていた星が全部降ってきているんじゃないだろうか?「本当に星が舞い降りる景色を見るって、私はじめて」「当たり前だろ。こんな景色、他に拝める機会なんてあるわけねえんだから」 降りしきる星の雨の中キョンの体を抱き寄せ、その匂いを胸いっぱいに吸い込む。その柔らかさ、温もり。その全てが堪らなく愛おしい。 二人とも無言のまま、身を寄せ合っていたが、ドアの軋む音が今にも破れん音に変わってきたので顔を上げる。ふと見わたすと、天井はばらばらと亀裂から崩落を始め、地平線の向こうから何十、何百もの青と赤の神人まで現れてこの世界を破壊し始める。山も街も一飲みにされ、街中も自宅も、何もかもが叩き壊され引き潰され、空も外輪から虚空に飲まれて消えていく。「お別れなんて言わねえぞ」「だって私たち、同じキョンなんだから」「ああ。ずっとずっと一緒だもんな。お前と俺は」 ついに最後の障壁が破られた。原型を留めぬまでに変形したドアだったらしい金属の塊が吹きとばされ転がる。同時にアイツらが飛び出してきたようだが、俺たちは見向きもしなかった。二人とも最後の瞬間は眼前のキョン以外のものを見ているつもりなど無かったから。 二人とも何かを叫びながらこっちに向っているようだった。だが、こっちに来られる訳がねえ。 そりゃそうだ。校舎の方から隣の旧校舎まで自分でも驚く手際のよさで渡っちまったんだからな。その技術を仕込んでくれたハルヒコには心の片隅で感謝した。もちろん使ったロープはぶった切って地面に落とした。いくらお前らでも、もう最後の儀式をふん捕まえて止めさせる事はできない。 もうアイツらが何を叫んでいても耳を貸すつもりは無い。お互いの心臓の音と声以外、聞くつもりなんて無かったから。 これが俺たちの精一杯の抵抗だ。邪魔はさせねぇ誰にも。だからお前らは黙ってそこで見てろ。「じゃあな。これからも気張ってけよ、キョン」「そっちも気張っていきなさいよ、キョン」 オレとキョンが互いの唇を静かに、そして熱く激しく重ねるのと、ハルヒとハルヒコの血を吐くような絶叫。そして巨大な天井が崩落し世界の全てが白い光にかき消されたのはほとんど同時だっただろう。 世界が消され、記録が消され、そして記憶も消されていく。俺もここで起こった全ての事を、あっという間に忘れていく。 だが、消されない想いが、消されない姿が残っていた。 それは、俺が一人きりでは無いと言う確信。そして、ポニーテールの似合う誰かの姿……。
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