SOSvsSOS Epilogue
「キョンくーん、起きなさーい!」 バフボフとクッションで俺の顔が強かに打ち据えられる。休日で起きるのが遅いときに下される、昼前の洗礼だった。しかしだな、そんな程度じゃあお兄ちゃんヌルくて起きれませんよ。いつもみたいに二人掛りでドカバキやったらどうだ?「ふぇぇ?二人がかりって?」 っ、おっかしいなぁ。確かこういう時はもう一人ヤンチャなことをしてくるヤツがいたはずなんだが……。まあいい。気のせいならそれでいい。「それにしてもよく寝たよく寝た」 時計を見ると朝十時。この日で三月が最後を迎えたとはいえ、新学期までは後数日あるのだ。招集でも掛からない限りは、ゆっくりこの貴重な休みを日向ぼっこでもしながら堪能できるというものだ。 しかし実に気持ちが良かった。何せ久し振りに心から良い夢を見れたのだから。所詮夢だ。内容なんて覚えちゃいねぇ。ただそれが俺の異性への願望をそのまま形にした理想そのものの異性が現れる夢。 と、その時だった。その夢の余韻に浸っているところに、メールの着信音が響いた。送信元は我らが団長殿。内容は非常召集。して集合時間は……、さ、三十分後だと!?しかも駅前で、一秒でも遅刻したら昼食を全額負担しろだと?!冗談じゃねぇ!「キョンくーん、いってらっしゃーい!」 やっぱり見送りの声が少ない気がするが、やはり気のせいだろう。うちは父母とオレと妹の四人家族なのだ。他に兄弟なんていないのだから。 交通規範を遵守しつつ全力で自転車をかっ飛ばし、ようやく駅前に到着。だが時間は集合時間を二分もオーバー。もちろん遅れたのは俺だけ。朝比奈さんも長門も古泉もとっくに到着していた。 「今年度最後の日に、遅刻してくるなんて弛み過ぎよ、キョン!」 烈火の如く怒り猛っている今日のハルヒ。古泉の方をチラリと見ると、いつものようにヤレヤレと顔を横に振るだけ。まったく、今朝はこっちはいい目覚めを迎えたってのに、なんでそんなに不機嫌なんだ? 「こっちは夢見が悪くてムシャクシャしてんのよ!遅刻者は死刑よ死刑!」 悪夢を見たから不機嫌ってか。しかし何故その矛先が俺にだけ十字砲火されるんだ?「ラスト寸前までこれまでにないくらい楽しい夢を見ていたのに、最後の最後でアンタに裏切られて奈落の底に突き落とされて、その上、口舌にし難いほどの侮辱まで受けて目覚めたからよ!」 ちょっと待て。団長の命令には口先で愚痴を垂れても、諸葛孔明や忠犬ハチ公さえ同情の涙を禁じえないほどに忠実に働くこの俺が夢の中であっても裏切っただと?! あまつさえ口舌にし難いほどの侮辱までって、その口舌にし難いほどの侮辱というのはどんな事だ?!十五字以上五十字以内で、年端も行かぬ幼稚園児にでもしっかり理解できる表現で説明してくれ。 するとハルヒと来たら、赤色巨星よりも激しく顔をまっ赤にプロミネンスで染め上げると、選挙カーや街宣車も裸足で逃げ出す、騒音公害で逮捕される寸前の大音量で絶叫しやがった。 「うるさいうるさいうるさーい!可憐な乙女の口からそんな憤死級の言葉を言わせようなんて、アンタ一体全体何を考えてんのよ!」 つまり俺はお前の夢の中で、可憐な乙女が思い詰められて憤死してしまうような、いやーんであはーんな事をしでかしたと言うのか。冗談じゃないぞ。生涯この方、クソガキの時さえ万引きすらやっていないこの俺が、可憐な乙女を悲憤に思い詰めさせるような、身の毛もよだつほどのおぞましい凶悪犯罪に手を染めるとでも言うのか? ましてその夢の中で犯した罪とやらを、どうして身に覚えも無いのに現実世界で償わねばならんのだ? ハルヒが一通り今朝の悪夢の鬱憤を辺り構わずぶちまけきったのを確認して、例によって不思議探索と称して取留めもなく移動となる。 やれやれ、まったくうちの団長はこれだからな。と、歩き出して暫くすると携帯が鳴った。相手が誰なのか特に確認しない。このタイミングで掛けてくるのはアイツぐらいのものだし、ましてアイツも同じような事態に直面しているのだろう。すぐに出てやった。 おう、どうしたんだ。やっぱりそっちはそうなってたか。こっちはどうなんだって?そうだビンゴだ。お前の推察どおり、こっちは朝からお冠だぜ。あげくオレは重罪人なんだそうだ。おい、笑い事かよ。ったく、やっぱり俺の方がやっぱり大変じゃねえか。 「ちょっと、キョンく~ん!何しているんですか?!」 と、ここで朝比奈さんが、親鳥からのエサを待ちわびる、ひな鳥のような可憐な声が耳に飛び込んできた。 そういうわけで、ぼちぼち電話を続ける余裕がなくなったみたいだ。なぁに、好き好んで選んだ道だ。気張っていくさ。そっちも気張って頑張れよ。じゃあな。 パタンと携帯を閉じて意識を目の前に戻すと、朝比奈さんが道路の向こうで叫んでいる。気がつくと交差点の横断歩道。俺は呆然と立ち尽くしたまま横断歩道の前でベラベラと話をしていたのだ。 すでに歩行者用信号は点滅を終えて色を赤に。車用の右折信号が灯り、押さえつけられていた自動車たちが我先にスピードを出して眼前を次々と横切っていた。今飛び出せば確実に跳ねられる。間違いない。 「キョンくん?キョンく~ん!」「みくるちゃん、行くわよ!団長の命令を無視して、電話相手との会話に夢中になっちゃうようなヤツなんて、相手にする必要は無いわ」 ふざけるなハルヒ!一体誰から掛かってきたと思っているんだ?!アイツからの電話を優先して何の問題があるんだと、着信履歴をよく見てオレは魂消た。「なんじゃこりゃ?!」 着信履歴に残っていた送信先には、なんと“キョン”と表示されていたのだ。 驚き慌てて返信してみたが、しばらくして耳に飛び込んできた音声は“この電話は電波が届かないところにあるか、電源が入っていないため掛かりません”という電話会社の女性のアナウンス。 「おいおい、俺は一体誰と話してたんだ?!」 アドレス帳を表示させて再確認してみる。カ、キ、キョン。キョンだと?!しかしその登録番号にはやはり覚えが無い。つまりオレは、見覚えの無い番号に、キョンという自分のニックネームをつけてアドレス帳に登録していて、あまつさえそこから掛かってきた電話を受けてダラダラと愚痴をこぼしあっていたというのだ。 寝ぼけて登録しちまったのか?それとも妹のイタズラか?しかし俺はその声もよく覚えていない、気がつくと記憶から消えてしまったその声の相手と、さも当然のように近況を阿吽の呼吸で語らい、取り留めのない愚痴を互いに流し合っていたのだ。 「ったく、何をやっているんだオレは」 そのキョンと表示されていたアドレスを消去しようと操作したオレだったが、言いようの無い感覚に背後から肩を叩かれて、消去を思い止まった。 そのキョンという相手とは二度と繋がらないと直感が教えていたが、それを消してしまうのは自分にとって掛け替えのないものを捨て去る事に思えたし、何より使われていない番号ではないのだ。 電源が入っていないというなら入るときもあるのだろうし、電波が届かないところにあるのなら、届くところに来る事もあるのだろう。 朝比奈さんが懸命に何かを叫んでいたが、ハルヒに連れられて先に進んで雑踏に消えていった。行きそうな場所は解っていたが、俺はこのまま置き去りにされてしまったのだ。 さりとてこのまま引き上げたら、全員の昼食をおごらされる以上の懲罰が下されてしまうのは間違いない。 やがてジリジリ待ちわびていると信号がようやく切り替わりはじめる。やれやれと溜息を付いて携帯をポケットにねじ込み、切り替わって突っ込んでくる車が無いのを確認して走り出した。まだあいつらは視界に収まっている。今ならまだ追いつける。だから。 オレも気張ってくから、そっちも気張ってけよ“キョン” END
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