「メモ帳」
珍しくハルヒによる強制集合がかからなかった休日、俺は日常生活の中でそれなりに散らかってきていた自分の部屋を片付けていた。 もう俺も高校生なんだ。少しでも汚いままで放置しようものなら、母親がいやにうきうきと掃除しに入ってくるのはそろそろ勘弁していただきたいね。 しかし、我が家の人間が言葉での説得で応じる訳もないとすでに体で覚えている俺は、黙って掃除する以外にプライバシーを維持する道は存在しないって事も知っている。これなんだっけ? ああ、先週末に渡されたプリントか。ちょうど探してたんだ。 朝から始めた掃除は昼近くになってようやくの目処がついた。勢いでサッシの隙間まで掃除しちまったもんだから、普段から動かしていない体は早々と苦痛を訴え始めている。 さて、後は不要品の段ボールを整理すれば終わりだな。 ベットの上に置かれた段ボールの中には、見覚えの無い物やもう使わない物、分別が面倒な物などが詰め込んである。 ペットボトルはリサイクル……蓋はどうするんだっけ? 確か回収してたような、でもそれは無駄だってどこかで見たような。まあいい、集める奴の自己満足になれば、それはそれで意味があるとも言えなくもない。 適当に段ボールの中身を処理していくと、箱の底に見慣れないメモ帳が出てきた。 シンプルなデザインで見える所に名前はない、ついでに見覚えもないな。 中を見てみようか? そう思った俺だが、取りあえず表紙だけをめくってみる事にした。表紙の裏、隅の方に明朝体の様な文字で書かれていたのは、長門有希という四文字……。 さて、どうしたものだろう。 考えるまでもなく、これは持ち主である長門に渡すのが筋だ。 しかし、あの長門がメモ帳にどんな事を書いているのか? 興味がないと言えば嘘になる、というかかなり見てみたい。 俺がこの小さな紙切れの中身を確認する事に何故躊躇しているかといえば、そうだな。これが長門の持ち物だからだろう。いつも世話になっている長門に、小さな事でも不義理な事はしたくない。俺が中を見たことであいつが悲しむなんて所は想像できないが、それとこれとは話が別だ。 俺は掃除道具を適当に物置に押し込むと、さっそく長門に電話をかけてみた。 と、いう事なんだがな。「……」 メモ帳の話を聞いた長門は沈黙している。あれ、お前のじゃなかったのか? もう一度メモ帳の表紙をめくってみると、やはりそこには長門有希と書かれていた。こんな丁寧な字は長門かプリンターしか書けないと思うぞ。「私の持ち物に、貴方の言う条件に該当するメモ帳は存在しない」 そっか、じゃあ……なんなんだろうな? これ。「一度見てみたい」 ん、じゃあ明日学校で「今」 へ?「迷惑でなければ。今すぐ」 ……それはいつもの感情の感じられない声だったが、間を置かずに長門が喋るのを俺は初めて聞いた気がした。 長門はこっちへ来ると言ってくれたが、俺も外に出ようと思っていた――今日は妹が家に居るから乱入されるのも面倒だ――ので、昼食も兼ねて駅近くのファミレスで待ち合わせる事にした。外は……寒そうだな、厚手のジャンパーを着ていこう。 俺は妹に気取られぬ様にこそこそと家を後にした。 悪い、待たせちまったか?「……」 首を振る長門。そうか、でもお前が読んでる本はすでに中程まで進んでいる様な気がするんだが……まあいいか、多分今読んでる辺りに栞を挟んでいたんだろう。テーブルの上に何も置かれていないってのも居ずらいものがある、注文のボタンを押してソファーに座ると、俺はさっそく例のメモ帳を長門に渡した。 長門はメモ帳をじっと見つめて固まっている。 やっぱり、見覚えはないか? 肯く長門。そうか、じゃあいったい誰のなんだろうな。「見たことはない。でも、心当たりはある」 へ? 俺が間の抜けた声を上げたのが合図だったかのように、店員が注文を聞きに現れた。 適当に注文を済ませて、メモ帳を片手にフリーズしている長門に視線を戻す。さて、これはいったい俺はどうすればいいんだろうな? 声をかけていいのかどうかもわからず、とりあえず俺は朝からの労働で空腹を訴えてきている腹を黙らせる為にドリンクバーへと向かった。 子供っぽいと言われようとかまわないね、適当に好きなジュースをブレンドする楽しみがあってのドリンクバーだ。 70%のオレンジジュースにファンタオレンジ、さらにメローイエロー……ここの店員のセンスがわからん、なんでこんなにオレンジ縛りなんだ? どうみてもオレンジなグラスを片手に戻った時、テーブルの上にはすでに料理がいくつか運ばれてきていたが、長門に変化は無かった。 冷めたら美味しくない物から食べ始めて、結局殆ど食べ終えてしまった頃になってようやく長門は視線をメモ帳から動かした。「これは、以前私が改編した世界に居た私の持ち物」 ……ふと思い出される、マンションの出口で俺を見送るほほ笑んだ長門と、最後の時に震える手で俺から白紙の入部届けを受け取った長門。 あ、そうだったのか。 それ以上俺にはなんとも言いようがないよな。 あの世界の長門に返しに行く事はできないだろうし、となれば今目の前にいる長門に渡すべきだろう。ある意味というか本人なんだからな。「私はこのメモ帳の中身に興味がある」 そうか。 そうだろうな、俺も中を見てみたい。「恐らく、あの世界に居た私はそれを望んではいない」 ……まあ、確かに。俺がパソコンを貸して欲しいって言った時も、急いで何か隠してたもんな。でもだからといってこのままにしておくのもどうだろう? このまま押入れの中にしまってしまうのは勿体無い気もする。 なあ長門。そのメモ帳、俺が読んだらだめか? 「……」 駄目だよな、本人が見るのを躊躇ってるのに俺が見ていいわけないかって。 目の前に差し出されるメモ帳、そして長門の視線。 読んでいいのか? 首肯。……まあ、お前がそう言うならいいんだよな。 本人が読む前に俺が読むってのはどうかと思うが……あの世界の長門、ちょっと読ませてもらうぞ? 俺は心の中で断わりを入れて、さっそくメモ帳を開いてみた。 前半部分を読む限り、それはただのメモ帳だった。 小説のネタにするつもりだったのか、何かの本のタイトルや名前。よくわからないが専門用語や記号なんかが書いてある。 時折、学校の予定なんかも書いてある所を見ると何か目的があって使っていたというよりも本当にメモ書きの為に使っていたらしい。 ページをめくるたびに対面からの長門の視線が気になる、止めて欲しいようでもあり、続けてほしいようにも見える。 長門、読んで欲しくなかったら言ってくれよ? あと、冷めるから食べた方がいいぞ? 俺の言葉に肯いて、長門は冷めてしまったカレーに取り掛かった。 さて、続きだが……。 メモ帳の中盤に差し掛かり、ようやく内容に変化が訪れた。どうやらこのページを書いている時に何かあったようだな、ここだけ文字が乱れている。なんだろう、図書館に行った時の事の様だが……。 次のページをめくった瞬間、俺の目の前にあったはずのメモ帳は うわっ! 長門の手によってカレーの中に沈没していた。勢いよく突っ込んだせいで長門の服にまでルーが飛び散っている。 大丈夫か? 大丈夫な訳ないよな。ほら、これおしぼり。早く拭かないと染みになるぞ?「……ごめんなさい」 いや、謝る所かどうかはよくわからないがとにかく拭こうぜ? うつむく女子高生と焦る男子高生とメモ帳が沈んだカレー。シュールだ、って奴かもしれん。よくわからないが。 慌てる俺とは対照的に、長門はのんびりと服に付いたルーを拭いていた。当然ながら服は完全に綺麗にはならず、大きな黄色い染みができてしまっている。 しかし、何で長門はあんな事をしてまで俺からメモ帳を取り上げたんだろうか? 別に返してと言われればそうするつもりだったんだが。 このままのんびりファミレスに居る空気じゃない、それに長門は早く服を洗濯しないと染みになってしまうだろう。俺は手早く会計を済ませて長門と一緒に店を出た。ふと見ると長門の手にはおしぼりに包まれたメモ帳がある。あれ、このおしぼりって持ってきていいんだったか? 長門なんであんな事したんだ?「……」 何か言いたくない事でもある……んだろうな、多分。 長門の感情を読み取らせたら世界一であろう俺の目には、今の長門がまるでいたずらをした後の子供のように落ち込んでいるのがわかる。 まあ、以前と比べれば長門の感情表現は格段に――そうだな、数値で言えば0.02から0.04くらいの差だ――大きくなってきているからわかる所もあるけどな。 今更だが長門は上着を着てきていない事に気づいた、まあここから長門のマンションは近いから着てこなかったんだろうが――しょうがない。 俺は自分の上着を脱いで長門の肩にかけてやった、わずかに視線に疑問を浮かべる長門の頭を撫でてやる。 その服で帰るのは恥ずかしいだろ? それと、あんまり気にしなくていいぞ。 しばしの沈黙の後肯いた長門を見てから、俺は寒空の下家へと戻って行った。 ……その後、黙って出かけてしかもお土産がないって妹に喚かれたのはこのさいどうでもいいよな。 残された長門はおしぼりの中のメモ帳を開いてみた。 そしてそれを読みながらゆっくりとマンションへと歩き出す。 カレーで汚れてしまったページの中で僅かに読み取れる文字、そこには図書館、好きな人ができたと書かれていた。 メモ帳 終わり
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