ミイラ盗りのミイラは犬も喰わない
「阪中建設が資金を出し渋っています」 緊急召集をかけられて出向いた矢先、森さんがそんなことを言い出した。「はあ」「そこで、あなたに指令です。阪中氏の御令嬢を籠絡しなさい」「籠絡、ですか?」「てごめにすると言い換えても結構です。ともかくあなたに惚れさせなさい」「すみません。僕にはその意図が分からないのですが……」「将を射んとせば、先ず馬を射よです。阪中氏の御令嬢をあなたが籠絡すれば、阪中氏も資金を提供してくれるでしょう」「そうだとしても、なぜ僕なんですか?」「何を言ってるんですか!」 森さんの一喝に、僕は思わず縮み上がった。「元はといえば、あなたが例の生徒会長選挙で資金を注ぎ込んだのが原因です。成功したとはいえ、あんなに使って」 正論過ぎてぐうの音すら出ないが、「しかし、いくらなんでも何も関係ない阪中さんを巻込むことは……」「指令です。阪中氏の御令嬢を籠絡しなさい」 人情論に訴えかけたところで無断であった。 そうして、森さんの怒気を含んだ視線に晒され、いたたまれなくなった僕は退出した。 もし、タイムトラベルをして過去に戻れるなら、恋愛感情がそう易々と発生するはずがないと多寡を括っていた自分を殴りたいと思う。 次の日は土曜の昼過ぎ。僕は阪中さんの家の前にいた。森さんによるといつもこの時間にルソーの散歩に出かけるそうだ。 程なく玄関から元気に白く毛の長い犬が飛び出してきて、その後ろからワンピースを着た阪中さんが出てきた。「あっ。古泉君」 すぐに僕を認めて、阪中さんは驚いた表情を見せた。「どうしたの?」「久しぶりにルソーが見たくなって来ました。これからお散歩ですか?」「ありがとう。そう、これからなのね」「だったら僕も一緒にいいですか?」 阪中さんは門を閉めてから、少し考え込んだ。ルソーが短い尻尾を振ってしきりに僕の膝に飛びついてくる。「ルソーも気にしてないみたいだし、いいよ」 こうして、僕は阪中さんの散歩に随伴することとなった。 しばらく無言の探索を続けていたが、ルソーに引かれるように歩いていた阪中さんが訊く。「そう言えば、涼宮さん達はいないのね」 僕は覚悟を決めてさっさと玉砕することにする。「ええ。……実は、さっき嘘をついてしまいました」「嘘?」「ルソーに会いたくなったのは口実で……本当はあなたに会いに来ました。以前会ったときから、気になっていたんです」 さあ、僕はピエロだ。せせら笑いながらフってくれ。 しかし、僕の予想は完全に外れた。「わ、わたしも……その、ルソーを心配して治してくれてから……古泉君のこと……」 阪中さんは季節はずれの紅葉のように顔を赤らめて、「好きなのね」 僕が愕然としていると、阪中さんが突然抱きついてきた。紅潮した顔を隠すように、僕の胸元に埋める。 世紀の悪漢となった僕は、彼女を抱きしめる返すことすら出来ず途方にくれていた。「わん!」 ルソーが不服げに鳴いて、阪中さんが慌てて顔を上げた。「あ、ごめんねルソー。今から行くよ」 そう言ってリードを持った手とは逆の方で僕の手を絡めとって、歩き始めた。 二十分ほど散歩コースを何か話すでもなく、ただ手を繋いで歩いた。その間、懺悔、卑下、胸の痛みといったおよそ人間の味わうことができる苦悩の全てが代る代るに訪れる。 「古泉君、よかったら寄っていかない?」 自宅の門の前で阪中さんに無邪気に尋ねられて、僕は曖昧な返事を返した。足を拭いて貰ったルソーが駆け込んでいく。「さっ、古泉君も入って」 手を引かれて中に入ると、大きくて人気のないリビングに迎えられる。僕をソファーに座らせると、阪中さんはキッチンに行った。「御両親はどちらへ?」「お兄ちゃん連れて、買い物」 奥でカチャカチャと音を立ててから、阪中さんが盆を抱えて出てきた。「これ、私が焼いたの」 少し焦げ色のついたクッキーとアイスティーをソファーの脇にあるテーブルに置くと、阪中さんは僕の隣に座った。「いつか渡したいな、って思ってたの」 阪中さんはそう言って、ちょうどいい焼色のものを摘んでから、「それで、その時はこうしたいなって……あ、あーん」 積極的な行動に打って出た。 僕はどうしてよいのかも分からず、迫ってくるクッキーを口に含んだ。「ひゃあ!」 どうも、一緒に指まで入れてしまったらしく阪中さんは驚いた声を上げる。「す、すみません」「いいの。それより、こぼれちゃった」 僕が謝った拍子に、口の中のクッキーがぼろぼろと零れていた。 ほんとうに僕は何やってるのだろう。しどろもどろでクッキーの味さえ分からない。「美味しい?」「はい。とっても」「よかった。あっ、ついてるよ」 阪中さんはそう言って、僕の口についたクッキーをとると自分の口に運んだ。 ふいに胸の痛みが蘇ってきた。ずきずきと激しく、心臓の辺りが痛む。そして、僕はこの痛みの解消法が分かっていた。ただ、そうすれば阪中さんは失望することも。 阪中さんは、僕をただじっと見つめてゆっくりとしなだれかかってきた。「好きなのね」 大きな縫いぐるみに抱きつく少女のように胸元へ顔を埋めて呟く。 僕は冷酷で独り善がりの決心を固めた。ゆっくりと、阪中さんを押し返す。 突然の拒絶に阪中さんは身体をこわ張らせた。 「お話があります」「……お話?」「僕は目的があってあなたに近付きました」「目的って?」「理由は言えませんが、阪中家の財力です」 阪中さんの顔に困惑が浮かぶ。「そんなことないよね? 嘘だよね?」「いいえ、本当です」 僕は冷酷に言い放った。すると、困惑は絶望に変り阪中さんの目から涙となって溢れ出てきた。「嘘! 嘘って言って」 僕は胸の痛みを顔に出さないように首を振った。僕の痛みなんて、彼女に与えた苦痛とは比べ物になるはずがない。「だったら、なんで!」 止めどなく溢れる涙を流しながら、阪中さんが叫んだ。「もう嘘をつくことにいたたまれなくなりました」「……ひっ……ぐっ……そんな……ひどいよ」 虫がよ過ぎるのも分かっている。しかし、僕の口からは自然と言葉が出ていた。「でも、今はあなたにどうしようもない好意を抱いています」「……嘘でしょ」「本当です。だから、もし全ての理由が話せるときがきて、それであなたの許しが得られたら、あなたを好きだと言わせて下さい」 阪中さんは肩を震わせながら僕の目を見つめた。「約束……できる?」「約束します」「ずっと好きだから……待ってるのね」 「わん!」 静かだったルソーが一度吠えた。それが威嚇なのか歓迎なのかは今の僕には分からなかった。 おわり。
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