本名不詳な彼ら in 甘味処 その7
「あら、お待たせしてしまいました?」「いいや、我々もちょうど今し方、こちらに着いた所だ」
昼に俺と長門が、会長と喜緑さんにバッタリ出くわした路上で。今度は俺と会長が、図書館から戻ってきた長門と喜緑さんに出くわしたのは、それからしばらく後の事だった。 ちなみに伊達メガネを掛けた会長は何喰わぬ顔で受け答えているが、俺たちがここまで来るのに競歩並みのスピードでの慌ただしい行軍だったのは、一応秘密にしておこう。喜緑さんたちにはとうにお見通しかもしれないけれども。
「で、用件の方は済んだのかね?」「ええ、長門さんのおかげでつつがなく」
それでも健気に横暴会長のペルソナを演じようとする先輩の質問に。喜緑さんは微笑みながら、脇に下げた小さなポシェットを撫ぜてみせた。
「ならば私からも礼を言っておこう。長門くん、キミの働きに感謝する」「………いい」
遠目からでは視認できないほどの規模で首肯した長門の、その表情がどことなく誇らしげな事に、俺は気が付いた。ふーむ、もしかしてもしかすると、喜緑さんのために長門が貸し出しカードを作ったりして差し上げたのだろうか。 その辺りを目線でそれとなく窺ってみると、はたして長門は…げっ!?
「あのなあ、長門」「なに」「Vサインを掲げるのは別に構わんが、だったらもう少し自慢げにしてくれ。無表情だと何か恐い」
「そう。涼宮ハルヒからは、手柄を勝ち誇る時はこうするべきとだけ教わった。今後の採用に於いて検討の余地あり」
無機質にそう答えると、長門はしばらくチョキの形にした自分の右手を、ためつすがめつ眺めていた。あー、うん。Vサインってそんなに気張って出すもんじゃないんだけどな。まあ頑張れ。
つか、ハルヒもハルヒだ。長門の一般常識力を高めてやろうという試みは褒めてやるが、教えるなら教えるで最後まできちんとケアしてやれ。自分がVサインを出す時には、これ以上ないほど勝ち誇った笑みを浮かべてるだろうに。あいつが将来どんな母親になる事か、どうも心配だな。
「そんなに心配なら、生涯見守ってやれば良かろうに」「へっ、いま何か言いましたか?」「訊くな。おそらく答えるだけ無駄だ。 では喜緑くん、我々はそろそろ行くとしようか」「はい、会長」
一方的に話を切り上げて、会長はさっさと踵を返した。それに応じて、喜緑さんもしずしずとこちらに歩み寄ってくる。そして…。
「っ!?」
あまりの衝撃に、今度は俺も「げっ」と言うのさえ忘れてしまった。長門ですら、両の瞳を真ん丸にしていたのではないだろうか。 会長の隣までやって来た喜緑さんは、なんとそのまま会長の腕に、スッと密着するように身を寄せたのだ。それはごく自然に、まるで切り離れていていた影が元の場所に戻ったかのように。
とはいえ、自然だったのはあくまで喜緑さんの方だけで。
「あー、喜緑くん」「なんでしょうか、会長」「少々距離が近すぎるのではないかな? 北高生徒会役員として、公衆の面前でふしだらな真似は控えるべきだと思うのだが。見たまえ、可愛い後輩たちも突然の事に動揺しているだろう」
そう言っている本人が一番動揺してるっぽい会長が、少々引きつった表情で釘を刺す。けれどもその程度は予想の範疇だったのか、喜緑さんはこの苦言を平然と受け流していた。
「ええ、会長の仰る通りです。 でもせっかくの休日に、半日も図書館に放ったらかしにされて。わたしはずいぶん心寂しい思いを強いられました。あなたにはそれをねぎらう義務があるかと存じますが」 「私としては同じマンションに住む者同士、キミと長門君に親睦を深め合う機会を提供したつもりだったのだがな」「その間、あなた方は二人だけで美味しい思いをされていた訳ですよね?」
うわ、これはキツい。喜緑さんの詰問に、俺は思わず会長に同情してしまった。 もしもの話だが、俺が一人でプリンを食べている所を妹に見られたなら。妹は絶対に「あーっ! キョンくんばっかりずるーい!」と叫ぶだろう。たとえそのプリンが俺の小遣いで買った物だとしても。女ってのはそういう理不尽極まりない生き物なのだ。 でもって今回は本当に、会長だけが甘味やらタバコやらを満喫していた訳で、完全に弁解の余地が無い。そうして下からやんわりと詰め寄ってくる喜緑さんに、たじろぐ会長を眺めながら。俺は胸の内で、ひょっとして、と考えていた。
あの可愛げの欠片も無いシャミセンでさえ、俺の部屋に谷口や国木田が遊びに来て対戦ゲームなんかをやっていると、本棚の上からじろーっと俺を見下ろしている時がある。主人の興味が自分以外に注がれているというのは、あの自堕落ネコにとっても何となく気に障る事であるらしい。
ひょっとして今の喜緑さんも、似たような気分なんじゃないだろうか。この突然にして大胆な接近には、ひどく驚かされたが。それは会長との先の電話で「うっかり時を忘れるほど話が弾んでしまった」と聞かされた事によって、些細な対抗心みたいな物が芽ばえてしまったせいかもしれない。 そう、甘味の件なんかはおそらく口実で。喜緑さんとしてはちょっとだけ会長を困らせてみたいのだ、多分。会長もその辺は察しているらしく、無下にあしらえない様子だったが、それでもこの人は毅然と喜緑さんを見据えていた。
「彦星と織姫の寓話に倣うまでもなく。節度を忘れれば、足元をすくわれるものだ。それが分からぬキミでもあるまい」
おお。確かにあの二人が年に一度しか逢えなくなったのって、イチャイチャしすぎて天帝に怒られたからだっけ。 メガネの奥で瞳を鋭く光らせながらの、会長の冷淡な勧告に。喜緑さんは自分の非を悟らされたのか、親に叱られた子供のようにシュンとうつむいてしまう。その物悲しげな様相に、会長もやれやれと空を仰ぐ。そうして視線をあらぬ方向へ逸らしたまま、会長はそっと片方の腕を喜緑さんの肩に回したのだった。
「………今日だけだぞ」
「はい♪」 一転してにっこり笑顔の喜緑さんと、対照的に憮然とした表情の会長。喜緑さん的にはしてやったりという所か。しかしながら、会長の方も別にまんざらでも無さそうに見えるのは俺の気のせいかね。
「それでは、我々はこれで失礼させて貰う。 いずれまた会おう。その時は敵同士かもしれないがな」「ごきげんよう、お二人とも」
会長は尊大な捨てゼリフを、喜緑さんは上品な会釈を残して、二人は夕焼けに染まる街並みへ帰って行った。はあ、なんというかパワフリャな先輩方だったな。ホントに俺、あんな人たちを相手に一戦しなけりゃならないんだろうか。どうにも勘弁願いたいね。 と、そんな感慨を抱きながら、寄り添って1本になった影が遠く尾を引くのを眺めていると。
「なんだ、長門か」「…………」
気が付けば、長門がきゅっと俺のシャツの裾を掴んでいた。振り向くと、長門は下からジ~~~ッと俺の目を覗き込んでくる。
「どうした、何か言いたい事でもあるのか?」
質問に、長門はちらっと会長たちの方を見やって、それからまた一歩、それこそ密着しそうな距離まで俺の方へ歩み寄り、再びジ~~~ッと俺を見上げてきた。ああ、なるほどそういう事か。すまないな、長門。気の利かない男で。
「俺たちも早く戻らなきゃな。 集合時間に遅れたら、またハルヒにどやされちまう。そういう事だろ、長門?」
俺の脳内では「謎は解けたぞワトソン君!」とどこぞの名探偵っぽい人が自信満々に頷いていたのだが。どうやら長門にとって、それは正解ではなかったらしく、
「この、ウスラトンカチ…」
極微小に頬を膨らませた長門はくるりと背を向け、小声で何事か吐き捨てると、俺を路上に置き去りにしたままズンズンと歩いて行ってしまった。 おかしいな、あの状況で長門が俺に促す行動なんて、他に無いと思うんだが。おーい、とにかく待ってくれよ、長門!
スタスタスタスタと一心不乱に歩を進める長門は、それこそ競歩の世界記録でも叩き出しかねない勢いで、俺も慌ててその後を追おうとする。ところが俺が本気で駆け出そうとした、その矢先。長門がピタリと両足を止めたため、俺はあやうくその背中にぶつかりそうになってしまった。
「こ、今度はどうしたんだ、長門?」「うかつ、渡すのを忘れていた」「渡すって、何を」「これ。依頼されていた本」
依頼? 俺そんなコト言ったっけ、と首をひねりかけた所で。長門がカバンから取り出した本の表紙を見た俺は、ああ、とようやく自分の発言を思い出した。
『君にもスラスラ! 小説書き方入門』
そうだ、図書館へ着くまでの間に、オススメのHowTo本はないかって長門に訊ねてたっけ。それにしても、何というか一世代前のセンスな表題の本だな。その分安心して読めそうではあるけれども。 何よりこいつの推挙だ、内容に間違いはあるまい。サンキューな、長門。
「…………」
お礼にも無言のままだったが、コクリと頷いた長門は少しだけ機嫌を直してくれたようで、俺もホッとした。しかしそれも束の間、俺はすぐに、妙な既視感に意識を囚われてしまう。 待てよ。小説の書き方だって?
『ラヴクラフトはアメリカの怪奇小説家で』『不思議や奇跡の類を否定していたからこそ、宗教家たちのように変に誇張したりせず、客観的にそれらを受け止められたのでは』『だからこそ、ラヴクラフトは“書き手”として選ばれたんじゃないのか。もしそうだとすれば、お前もまた――』
甘味処での会長との会話の一部が、耳の奥で断片的にリフレインする。なんだ? いま何かが1本の線でつながりそうな感覚が…?
「どうかした?」「あ、ああ。いや何でもないんだ、長門」
気が付くと、長門が無表情ながら心配そうに小首を傾げていて。俺は弁明のため、慌てて両手をブンブンと振ってみせた。ああ、今のは単なる白昼夢さ。それより、早く集合場所へ向かおうぜ。このままじゃ本当にハルヒにどやされかねん。
「………そう」
長門は一瞬何かを言いたそうな顔をしたが、適切な表現が見つからなかったのか、それとも集合時間に遅れない事を優先させたのか。ともかくあちら側に反転して、またサッサカ歩きだした。その小さな背中を追って、俺もまた歩み始める。
そうさ。運命とか選ばれるとか、そんな事はどうでもいい。会長にも断言した通り、俺は今の状況を割と楽しんでいるんだ。 仮に将来、この少しばかり非日常的な日常を小説に書き著すような機会が巡ってきたとして。単純に楽しんで書けたなら、それでいいじゃないか。その後で書いた作品がどう評価されようとも、全ては読者任せさ。そうだな、タイトルは『涼宮ハルヒの憂鬱』なんてのがいいだろうか。
ただ、もしその小説ががまかり間違って大勢の人に読まれるような事になって、「もしかして、これって本当にあった話なんじゃないんですか?」などと訊ねられたとしても。俺はやっぱり、こう答えるだろうね。
「まさか、そんなはず無いでしょう。こいつは単なるフィクションですよ」
と。 秋風に木の葉が舞う並木道を、そんな益体も無い夢物語を胸の内に描きながら。俺はハルヒたちが待つ公園へと、足早に歩いて行ったのだった。
本名不詳な彼ら in 甘味処 おわり
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