ドラえもんとハルヒの鏡面世界(仮)3
冷たい金属が抉り込まれるような感触がして、一瞬後にはそれが灼熱の棒を傷口に突っ込まれたような痛みに変わった。俺の鼓動に合わせて血が噴出する。「久しぶりに動いたから、動き方忘れちゃった」ぶんぶんとナイフを振って確かめるような動作をする。「お前は消えたはずだ。なんで……」「うるさいなあ。黙ってて、永遠に」そう言って朝倉はぼやけるほど高速に手を振った。わずかに遅れて俺の頬肉が五グラムほどはぜる。「んー。やっぱりおかしい」頬と右腿の痛みに呻く俺の耳に早口言葉のような朝倉の声が届いた。何が起こるかは分からんが、今より良くなることなどありえない。俺はスペアポケットに手を突っ込んで、例のアレを取り出した。黒い筒状の物体を手につけて、「どかん!」と叫んだと同時に先端から空気の塊が発車される。空気砲ってやつだ。風圧で朝倉の華奢な身体は吹っ飛ぶ……はずもなかった。空気砲の一撃は朝倉の長い髪をわずかに揺らしただけに止まる。「よし、終り」呟くように言った朝倉は目にも止まらぬ速度で突っ込んできた。それを狙い撃とうと構えた空気砲が金属と金属がぶつかる音を立てて消失する。その衝撃で俺の後頭部が地面と激突した。それが効を奏して俺の首を刃が横断するといったことはなかったのだが、危機的絶体絶命的状況には変わりがない。 朝倉が一瞬背を向けた拍子にスペアポケットから適当に出したものを投つける。朝倉の頭にあたって中身がばらばらと散らばった。べちょべちょと俺の顔にも降り注ぐ。もっとマシなのがあるだろ。せめて鈍器とか。「何これ。コンニャク?」ああ、カレー味だ。旨いぞ。食うか?「君を殺した後にね」そう言って朝倉は俺の腿を踏みつけた。「ぐあっ」大量の血を吸ったズボンが濡れた雑巾のような音を立てる。「やっぱりおかしい。この空間のせいかな」そう言って踏みつける足をどかさずに再びぶつぶつと呪文を唱え出した。しかし、さっきはただの早口言葉にしか聞こえなかった言葉が今回は明確な意味を伴って耳に入る。『本次元の物理法則に身体情報の適合化申請』なるほど。さっき少し舐めたやつのせいか。翻訳コンニャクカレー味だっけ。『身体情報の強化申請!』なんとなくの希望に駆られた俺は叫んでみた。朝倉の顔が驚愕に変わり、ナイフが振り下ろされる。ああ、これは死んだな。走馬灯が頭の中を駆け巡る中でどこかから、『承認』という機械的な声が響いて朝倉のナイフが少しゆっくりになった。わずかに首を捻ると、その真横をナイフがかすめる。ならばと、俺は朝倉を蹴った。空気砲でもみじろぎさえしなかった朝倉が呆気ないほどに吹っ飛ぶ。どうやら、俺の“身体情報”はほんとうに強化されてしまったようだ。ここから怒濤の反撃が始まる。 というのはヒロイズムに駆られた若者だけで、俺は逃げも隠れもする一般人だ。俺は朝倉から脱兎の如く距離をとると、スペアポケットからどこでもドアを取り出した。その時、思い浮かんだのはニヤけた超能力者でも愛しい未来人でもましてや巨大バニーのハルヒでもない。無表情に俺を助けてくれる頼れる宇宙人、長門の顔だった。ドアを開けるとすぐにリビングがあり、真っ先に長門が無表情のまま迎えてくれる。そんな妄想は半分当っていた。長門が無表情にたたずんでいる。ただし、長門の顔には外したはずの眼鏡があり、その奥には一人の少女と首が元の位置に戻ったドラえもんが大量のネズミの上に倒れていた。ところどころ破けた北高の制服、ボブカットの髪。それはどうみても眼鏡を外した長門だった。愕然とその光景に立ち尽くす俺の肩口に強烈な痛みが走る。ふり返らなくても分る。朝倉のナイフだ。俺は肘で朝倉の頭部を強打してから、部屋に転がり込んだ。足でどこでもドアを蹴り閉める。それに部屋を埋め尽くしていたネズミたちが驚いて、開け放たれていた玄関から逃げていった。その残党を足でかき分けながら、倒れる長門に駆け寄った。走る度に痛みが身体中の神経を飽和的に刺激する。 「長門、大丈夫か?」「……問題ない」長門は苦しげな声で喘ぐように言った。「なんで、こんなことになってるんだ?」「空間変異から私の異時間同素体が発生した。その異時間同素体は私に同期を求めてきた。それを拒否すると、私に対して敵対行動を行なった」よく分からんが、格好から察するに過去の自分が現れて攻撃してきたってことだろう。「そう」と、長門のお墨付きも頂いたところで、どうしたもんかね。過去の長門と今の長門を交互に見た。過去の長門は眼鏡の奥で無表情にこちらを見つめているし、こちらの長門は裸眼で俺を見つめている。たまには眼鏡でもいいかもしれん。そんなことを思ったのが不味かったのか、長門が俺の背に手を回して、吐き気をもよおすような激痛が走った。その手には柄の部分まで血に塗れたナイフが握られている。げっ、刺さってたのか。長門はこくんとうなづいてから、ぶつぶつと呪文を唱えた。俺の耳には『局所的生体情報の時間逆行申請』だとか聞こえて、身体から痛みが引いていく。「あなたはなに?」その様子を見守っていた過去の長門がやっと口を開いた。なにと言われてもな。「そのバグを排除するのを阻害する?」そう言って現在の長門を指差した。 「長門をバグだと? ふざけるな!」俺は思わず怒鳴っていた。普通の女子高生になろうとしている長門を馬鹿にする奴はたとえ、宇宙人だろうが未来人、超能力であろうがぶっとばす。やるのは俺ではないが。「そう。ならば、あなたも排除する」過去の長門が翻訳コンニャクを食った俺の耳でも聞き取れない高速呪文を詠唱すると、フローリングの床がぼこんと盛り上がり刺のようになって俺と長門に迫ってきた。 俺は長門に突き飛ばされて、なんとか串刺しにならずにすんだのだが、過去の長門は体勢を崩した長門にロケットのように突っ込んでいった。長門は紙一重で過去の自分の足先をかわすと、ためらいのない蹴りを放つ。過去の長門はその蹴りを首筋に受けてつんのめるように床に倒れた。現在の長門はその上に覆いかぶさるようにマウントポジションをとると、過去の自分の殴り始めた。あの細腕では信じられないような速度で伸びる拳は的確に過去の長門の顔を捕らえて、ごつごつと骨と骨がぶつかる音を立てる。長門がこのまま決めるか。しかし、過去の長門が恐るべき早口詠唱を唱えるとフローリングが上で殴り続ける相手を刺し貫こうと変形した。そのヤリは腹部をわずかに削るのみに止まったが、長門の注意をそらすには十分な働きをした。過去の長門は自分を上にのせたまま、肉体的常識が一切通用しない起き方で立ち上がり、無防備な長門の頭を鷲掴みにした。間、髪を入れず壁に長門の頭を叩きつけ始める。 人外バトルに呆気に取られていたが、このまま長門がやられるのを手をこまねいて見ているほど今の俺は無力ではなかった。恐らくは長門のパトロンの宇宙的パワーで強くなっている。俺は目の前にあった朝倉のナイフを手に取ると、長門を壁に押えつける過去の長門に向って闇雲に切りつける。しかし、ナイフの刃が届く前にみぞおちに過去の長門の踵がめり込んで、俺はダンプにでも轢かれたように吹っ飛ばされた。壁に激突した俺の肺中の空気が喉を鳴らして、晩飯やらなんやらを吐き出した。脂汗が噴き出し、歪む視界の中に過去の長門が今まさに必殺技を放たんと詠唱をする姿があった。「やめろ!」そう叫んだ俺は脇に転がっていたドラえもんの尻尾を引っ掴むと、過去の長門に向って放り投げていた。火事場の馬鹿力か宇宙的パワーのお陰か、ドラえもんは水平に飛んでいった。詠唱に気を取られていた過去の長門に百二十九.三キロの塊がまともに衝突する。嫌な音を立てて過去の長門は壁とドラえもんにプレスされた。ここで終ってくれ。そんな願いも虚しく、過去の長門は頭から血を流しながら平然と立ち上がった。化け物かよ。あばらが折れたのか、息をするのも嫌になってきた俺に向って過去の長門は詠唱を始める。『座標08514563、08965123、4213569のベクトル解除、及び変更申請』それがどんな意味かはすぐに理解できた。 リビングにある唯一の家具のコタツが水平に飛んできやがった。避ける間もなく、腹ばいになっていた俺の顔面に直撃する。その衝撃でひっくり返された俺の喉に何かが流れ込んできた。げほっと再び腹ばいになって吐き捨てると尋常ならざる量の血がフローリングに広がった。今日は出血大サービスだな。そんな下らないことを考える気力がどこにあったのかは分からんが、俺はまだ動ける。ずりずりとまるでイモムシのように過去の長門に這い寄っていく。「なぜ、あなたにそこまでしてこのバグを守る必要がある?」唐突な問い掛けだった。俺は肺から息を絞り出すように、「なぜって長門が大事な奴だからだ」「どうして?」過去の長門の無表情な顔からは何も伺い知ることはできない。「SOS団の団員は一人でも抜けたら駄目なんだよ」俺はあの時の喪失感を思い出していた。あんなことは金輪際ごめんだ。「SOS団とは?」世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団だろ。「涼宮ハルヒが結成した団? 私はその団員? あなたも?」そうだ。それにしても、こいつは俺のことすら知らなかった。俺は四年前の七夕の日、長門に出会ったはずなのに。「私は情報フレアの直後に生み出された個体」通りで何も知らないはずだ、と俺が納得していると、「そのバグはSOS団にとって……涼宮ハルヒの観察において重要?」ああ。SOS団になくてはならない無口な読書キャラさ。 「そう」過去の長門はそれだけ言うと呪文のように『自個体の情報連結解除』と、呟く。その直後、さらさらと足元から過去の長門の身体が崩れていった。「お前、何やってんだよ」「観察に"私"は一人で十分。余計な混乱を招く必要はない」そう言い残して過去の長門は完全に消えてしまった。俺の胸中にはなんとも言えない後味の悪さだけが残っていた。俺には朝倉、ハルヒには生徒会長、ドラえもんにはネズミ。これから推測するにハルヒのでたらめな力は、自分が敵だと思うものを具体化したのか?だとしたら納得がいく。長門は過去の自分をもっとも畏怖していたんだ。俺たちと過ごした非常識で濃密な期間は長門の中に感情を作り出した、いや、元からあったものを外に出させたのだろう。しかし、それをバグと切り捨てた過去の長門はどうだ。自分の存在を軽視し、ハルヒの観察のために生み出されたことを享受していた。
俺はやり場のない感情をどこにぶつけていいかも分からずにただ過去の長門がついさっきまで存在していた場所を見つめた。身動き一つしなかった長門がわずかに動いて、俺は正気に戻った。大事なのは過去じゃなく今だ。「長門、大丈夫か?」「問題ない。私の異時間同素体は?」消えちまったよ。影も形もなくな。「そう」長門の口からそれ以上の言葉が出ることはなかった。 何を考えてるのか一般人の俺には理解ができないし、しようとしても長門はそんなこと望まないだろう。そう考えると妙にしんみりとした気分になってきた。場の沈黙が重くのしかかってくるのから逃れるように、俺は長門から視線を外した。その先には、俺に投げられてそれっきり忘れ去られていたドラえもんが縫いぐるみのように転がっていた。こいつは、何しにきたんだろうな。このまま置いて行こうかとも考えたが、一応はゲストであるのでほっとく訳にもいかず、せめてもの報復として叩き起こそうかと立ち上がった俺の身体が悲鳴を上げた。 よく考えれば朝倉に切り刻まれたのは長門に治してもらったからいいとして過去の長門に痛めつけられて一般人の俺が平気なはずがないというものだ。だいたい痛みは気付くと酷くなるという性質をもっていやがるので、痛みが等加速的に増加する中、頼れる宇宙人にお願いを申し立てた。「長門……治してくれ」「推奨できない」すまん。どういうことだ。「あなたがなんらか力により我々のプロセスをもって情報の改ざんを行なったせいで、あなたの身体を構成する分子構造が不安定になっている」端的に言うと無理ってことか? 「そう。もし行えばあなたが分子レベルで崩壊する可能性がある」長門はそう言って『初期化申請』とかなんとか呟いて、自分の身体を治した。いっそのこと自分でやろうかなとも考えたが、俺は分子レベルで崩壊なんて恐ろしいことにはなりたくないので諦めた。死ぬよりはましさ、と達観すると動けるのが不思議だ。立ち上がった俺は長門の細い肩に掴まりながら、役立たずの不良品の元に喘ぎながら近寄った。「なあ、長門……これ死んでるんじゃないか?」横たわるドラえもんは白目むき出し、口半開きでぴくりとも動かない。そんな時はたいていそういう状況か、それに近い状況であるというのが俺の見識である。「電源装置を操作されて強制電源オフモードになっている」「電源装置なんてあるのか?」「これ」と、長門は赤いボール付のドラえもんの臀部から生えた尻尾を引っ張った。たしか、とっさにそれを掴んで投げたような気もするが、あいにく俺の記憶からはすでに消去されており、この件に関しては迷宮入りとする。「そっか、じゃあ戻せるか?」長門はこくんとわずかにうなずいてから、おもむろにドラえもんの尻に足をかけて思い切りよく引っ張った。なんだかチェーンソーみたいな電源の入れ方をされたドラえもんの瞳に黒目が戻ってきた。 「ネズミ! ネズミが!」人が切り刻まれて、蹴り飛ばされている間中のほほんと気絶しておいて第一声がそれか。無性に腹が立った俺は平手でドラえもんの頭をぶん殴ってから、「もういないから落ち着け」と叫んだ。ぶん殴った手がひりひりと痛む。よく青春ドラマなんかで、チープな効果音とともに生徒ぶん殴る熱血教師役が、殴ったこっちも痛いんだぞ、なんて理不尽極まるセリフをいうことがあるが、あの心境が分かった気がした。 あれは殴る方も心が痛いという暗喩を含んだセリフではなく、殴った拳が痛くてさらに腹が立ったという意味のセリフだ。と、俺がつらつら無駄なことを考える間を置いてから、「よかった」なんてほざきやがった。長門に今度は意識を保たせたまま、分解と組み立てを二三回やってもらうべきだろうか。しかし、いつまでも怒っていては話が進まんし、さっきから頭の片隅にしつこい油汚れのようにこびりついていることがある。ハルヒには生徒会長、俺は朝倉、長門は過去の自分、ドラえもんには大量のネズミとくると嫌がおうにも、ここに介在する人員にはすべからく敵対する存在が現れるような流れになっている。 だとしたら、ニヤけたエスパー野郎にも現れるだろうし……俺はその瞬間にどこでもドアを引きずり出していた。 思い浮かべるは恐怖に身を竦ませる愛しいバニー姿の未来人の泣き顔だ。超能力者には自分でなんとかやってくれることを祈るしかない。古泉よ、骨は拾ってやるからな。扉を開けるとそこは異世界だった。思わず戸を閉めたくなるのを精神力でねじ伏せてから、俺はテーブルの上で発狂寸前の朝比奈さんの元へ走った。ぐじゅぐじゅと嫌な音を立てて、俺の足元にいた不幸なやつらが潰れていく。長い触角、てらてらと柔らかそうな背中、六本の足には用途不明なとげ……ああ、ゴキブリだよ。それも、床一面を埋め尽くすほど大量のな。俺は朝比奈さんの肩を抱くと、そのままどこでもドアに逆戻りした。わけも分からず連れ出された朝比奈さんは、足元のゴキブリを踏み付ける度にひゃあだのひぃだの叫ぶ。部屋に戻った瞬間に、扉を蹴り閉じる。脱出しようとしていた数匹が挟まれて実に嫌な感触を残した。「……ひぐっ……えぐっ……ゴっ……ゴキっ……」バニー衣装の朝比奈さんはフローリングに座り込んでからさめざめと泣き始めた。「もういませんから、落ち着いて下さい」そう言って俺が朝比奈さんの頭をなでていると、「翻訳コンニャクだそうか?」いらんし、もう喰っとる。どうやらこの役立たずのポンコツロボットはOSに重大な欠陥があるようなのでそれ以来無視すること二十分。やっと朝比奈さんが少しづつ語り始めた。 それを正確に書き記すとひぐっだのえぐっだのが数百回入ることになり、そんなことは読む方も書く方も面倒なことこの上ないので要約すると、「キョン君から知らない所に押し込まれて、しかたないからじっと隠れてたら、ガサガサと音がして大量のゴキブリがなだれ込んできた」と言うことになる。しかし、相手がゴキブリでよかった。いくら見た目に嫌悪感を覚えるとはいえ、死ぬことはない。いや、昆虫博士と言われた俺でさえ失神しかけたのだから、朝比奈さんならショック死してもおかしくないな。この僥倖に感謝をして、長門に抱えられた朝比奈さんと、ドラえもんにおんぶされる形の俺は古泉のところへ行くこととなった。こんどはなんだ。大量の〇〇だとしたらこの扉を閉める覚悟をもって、俺は慎重にドアを開いた。その向こうは何かが蠢いている気配もなく、強めの風が流れ込んできた。そこはどこかの屋上らしく、古泉は落下防止のフェンスに腰掛けて遠くを見ていた。これで頭にタケコプターが乗っていなければサマになったのだろうが、これでは春先に出没する類の人である。 古泉は俺たちに気付くと、俺の姿と朝比奈さんの姿を見比べてから、「僕がいない間に大変だったみたいですね」と朝比奈さんに語りかけた。それに対して朝比奈さんもこくこくとうなづく。「見損ないましたよ」どうもこいつはとんでもない勘違いしているらしい。「え? 僕はてっきりあなたが誰もいないことをいいことに朝比奈さんを押し倒して、それを見つけた長門さんが救助したものとばかり」だろうと思った。で、お前には何が出たんだ?「ええ、あれを見て下さい」古泉が示した先には、巨大バニーハルヒとそれと同じくらい巨大な青黴人形がつかみ合いをしていた。おい。あれは……「そうです。あれはご覧の通り、“神人”です」こんなとこまでわざわざ出張してきたのか。「いきなり出会ったときは驚きましたよ。さらに、いつものサイズより巨大ときています」そりゃ、なあ。あんなものが出たらびっくりするわな。だが、なんでハルヒが戦ってるんだ?「僕がしばらく能力を駆使してやっていたんですが、涼宮さんが神人を見つけてしまったらしくいきなり割って入ってきました」なんとなくその光景が目に浮かぶ。古泉が火の玉になって仲良く巨大青黴と削り合いをやってる最中、これはあたしのオモチャよ、とばかりに青黴人形にタックルするハルヒの姿が。「ええ、だいたいその通りです。ただし、最初の一手は見事なまでの飛び蹴りでしたけどね」 そうか、と言って俺たちは各々腰を落ち着けたが、朝比奈さんだけは「キョン君の怪我を治療しなきゃ」なんて嬉しいことを言ってくれ、どこでもドアで部室に救急箱を取りに行かれた。 ハルヒに相手を取られて余程暇だったのか、古泉はさらに話しかけてきた。「ところで、僕には何が出たのかと言っていましたが、皆さんも何か出たんですか?」俺には朝倉涼子、長門には過去の長門、朝比奈さんはゴキブリ、ドラえもんはネズミだったな。あっ、そう言えば生徒会長が出たぜ。完全に忘れ去っていたが、大丈夫なんだろうか。「ほんとうですか? だとすれば助けに行かないと……長門さん、彼がどこにいるか分かりますか?」「この空間にはいない。元の空間に戻った」「なるほど、涼宮さんの敵という役目を果たしたから帰っていったんでしょう」可哀相な人だ。ハルヒの余興のためにこんな不思議空間まで連れて来られてボコボコにされるなんてな。「そのために“機関”は彼をしたて上げたんですから、これは彼の仕事と言えます」と、古泉が腹黒いことを言ってのけると同時に朝比奈さんが救急箱とお茶セットを持って帰ってきた。「キョン君、痛くないですか?」泣き顔の朝比奈さんに消毒液で顔面をなで回されると、痛みよりも微笑んでしまう自分がいる。それからお茶を振る舞われた俺たちは、巨大バニーハルヒ対“神人”戦という怪獣対決を見物する運びとなった。見たところハルヒの方が有利だな。ハルヒは多少息が上がっているが無傷だし、青黴野郎の方は右腕が肘の辺りからもげている。間合いをとっていたハルヒは唐突にタックルを敢行すると、“神人”を一気に抱えあげて真後ろに放り投げた。回りの建物を粉砕しながら“神人”が吹っ飛んでいく。半ば地面にめり込む形で止まった“神人”に駆け寄ったハルヒはここぞとばかりに蹴りあげていった。それが続くこと五分、疲れたハルヒが距離を取ると“神人”は何事もなかったかのように立ち上がった。なるほど、“神人”はどっかの生徒会長とは比べ物にならんほどタフらしい。しかし、“神人”は攻撃をほとんどせずに立ち尽くすのみだ。「もうかれこれ、一時間はこの状態です。恐らくは涼宮さんが不満を持っていないせいでしょうね」だが、これじゃ終るのがいつになるか分からんな。長門、あいつをどうにかしてくれ。長門は“神人”を見つめてから、『情報連結の連結力低下申請』だかなんだか呟いた。それからハルヒの攻撃が決まる度に“神人”はボロボロと崩れていき、とうとう粉々になった。 誰に対してかは分からんが胸を張るハルヒに、痛みをこらえて大声を張り上げる。「ハルヒ、こっちだ!」ハルヒはキョロキョロと辺りを見渡してから俺たちの姿を認めると、のしのしと歩いてきた。「なによ、あんた達もう出てきたの?」疲れたからな。「あたしも疲れたわ。みくるちゃん、お茶頂戴」そう言ってハルヒは手を差し出した。こいつの一口はどれぐらいの量なのかと概算してから馬鹿らしくなった俺は、「そんなに飲みたきゃ貯水槽の水でも飲めばいい」「冗談よ!」少し不機嫌な顔をしてハルヒは自らにビッグライトの怪光線を当てた。みるみるビルに隠れるように小さくなっていく。とうとう元のサイズに戻ったハルヒがビルの下で叫ぶ。「どこでもドアで迎えにきなさい」俺は逆らうと後が面倒なので、素直に迎えに行ってやった。扉を開けると上機嫌なハルヒは礼も言わずに座り込んでから、「あー、疲れた。二連戦はやっぱり疲れるわね」と言ってお茶を啜り始める。「そう言えば、キョン。なんで怪我してるの?」「タケコプターで事故った」「もう、なにしてんのよ。便利なものほど使い方を知らないとダメなのよ。タケコプターも免許制にしなきゃね」タケコプター免許制にはどちらでもいいが、これからどうするんだ。無論、ハルヒがそろそろ休むというのを期待して言ったのだ。時間の止まっている“鏡面世界“は昼下がりでも、俺達の体感は明け方の四時くらいだし、この上なく満身創痍の俺は今にも倒れそうだ。 「そうね。やりたいことはやったから、もう一度ミーティングよ。部室に戻りましょう」 バイタリティーとか、無尽蔵とかいう言葉を某電子辞書で検索すると全てが涼宮ハルヒというページに行き着くんじゃないだろうか。部室を思い浮かべてから、どこでもドアの扉を開く。ハルヒによって運び込まれた雑貨品、朝比奈さんのお茶セット、長門の大量の本、古泉のボードゲーム、折り畳み式のパイプ椅子、パソコン。しかし、扉の先には俺が思い浮かべた風景にはいない人物がいた。 自分の生み出した亡霊に俺は胸を貫かれた。
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