ドラえもんとハルヒの鏡面世界(仮)2
俺の提案は賛成三、無言一で可決された。「逆世界入り込みオイルとお座敷釣り堀~」ドラえもんが俺の所望通り、今回の作戦に必要な道具を出す。そのお座敷釣り堀を引いて、逆世界入り込みオイルを垂らした。水銀を入れたように光が反射する。これで準備は完了だ。後はゲストの到着を待つのみとなった。待つと数分。がちゃりと音がしてどこでもドアが静かに開くとその向こう側で朝比奈さんがおっかなびっくり、長門が無表情のまま、ぐーすか寝ているハルヒを抱えていた。 ハルヒが完全に寝ているのを確認した俺は鏡のようになった水面に頭を入れた。そこにはたしかに映画の通りの空間が広がっている。俺の部屋とは全てがあべこべだ。時計が十一時を示し、窓からは日光が漏れている。「では、行きましょうか」心底楽しそうな微笑みを浮かべて言った古泉を先頭にして、俺達は、誰もいない“鏡面世界”へと静かに入り込んだ。 「これがほんとうに鏡の中の世界なんですか?」ハルヒをベッドに置いた朝比奈さんが、俺の部屋を見渡してそう呟いた。たしかに俺もにわかに信じがたい。そこには目に写る光景が全て逆なだけで、変わらない空間が広がっている。長門でさえも、無表情の中にわずかな驚きを浮かべているのだから、やはり未来のロボットとだけ言うことはある。さて、ともかくゲストに起きて貰わねば。「ドラえもん。ハルヒを起こしてくれ」うなづいたドラえもんは、「ネムケスイトール~」と、フシをつけて安易なネーミングの掃除機のような形をしたやつを出して、紫色のモヤを吸い取りだした。その間に朝比奈さん、長門、古泉に一旦部屋の外へと出て貰う。「ふぁっ……んー」ハルヒが目尻に涙をしたためて、これでもかとばかりに伸びをする。そして、がばっと起上がったハルヒと目と目が合った。さて、ここが一番の正念場だ。「……え? キョン?」「これは夢だ」「は? あんた何言ってんの?」ハルヒは露骨に馬鹿を見るような目で俺を見た。しかし、ここで挫けては全てが水の泡だ。「お前、前に言ってたよな。“宇宙人や未来人、超能力者を探し出して一緒に遊ぶんだ”ってな」「……そうよ」「こいつじゃダメか?」そう言って俺が示した人物によって、怪訝な顔のハルヒがエクアドル産ひまわりのような特大の笑みを浮かべるまで大した時間はかからなかった。多分、今のハルヒの頭には夢か現つかなんて考えはとっくに消え失せているに違いない。 「あんた、一応聞くけど名前は?」「僕ドラえもんです」ステレオタイプの自己紹介を聞いたハルヒは今にも跳ねんばかりに、「よく来てくれたわ、ドラえもん。それにキョン、あんたもよくやったわ」そこで俺は、以前の花見から密かにあこがれていた行為を行なった。ぱちんっと景気よく指を鳴らすと、古泉と朝比奈さんと長門がゆっくりと出て来た。 これで役者は揃ったな。俺は誰に言うとでもなく、そう呟いていた。 「みくるちゃん。書記お願い」「はぁい」真っ先にハルヒが所望したどこでもドアで移動した先は文芸部兼SOS団の部室だった。なにもここじゃなくていいだろうに。「なに言ってるの。こういう時こそ平常心でなにするか考えなきゃ駄目なのよ」そう言ってのけたパジャマ姿のハルヒはどうみても、浮き足立っている。部屋の配置があべこべになっているのにも気付いていないようだ。まあ、これからなにをしようかってことで頭が一杯で、そこまで気が回らないんだろう。 「じゃ、ミーティングするわよ。みんなやりたいことを言いなさい。まずはキョンからね」俺か。俺の知る限りではドラえもんの不思議道具を用いてできないことはないが、そのなんでもできるってことが逆に俺を悩ませる。ちょっとした世の中の心理に気付いた俺の熟考の結果、導き出された答えは、「今度のテストの答案が欲しい」「バカじゃないの。そんな下らないことじゃなくてもっと夢のあることを言いなさい。」下らなくもなければ、夢のないことでもないのだが。第一、赤点レーダーに尾翼がひっかかりそうな俺にはとても魅力的だ。「分らないならあたしが教えてあげるわ。だから、それは却下よ」その一言で俺の案はあえなく棄却された。「古泉君はなんかある?」「そうですね。空を自由に飛びたいです」「いいわね。みくるちゃん、今の書いて」「はぁい」ホワイトボードに朝比奈さんの可愛らしい文字が踊った。空を飛ぶって、いつも飛んでるじゃねえか。「あれは飛ぶという感覚はないんですよ」耳元でウィスパーボイスが囁かれる。タイムスリップ願望だけじゃなく、飛行願望まであるのか。「ほんとうはタイムマシンに乗りたいんですが、そうなればこの夢物語が終らない可能性が出てきますからね」そう言って古泉は肩をすくめた。こいつなりに妥協したんだろうか。 「じゃ、次はみくるちゃんよ。なにかある?」「あ、あたしですか……えっと、じゃあ飲茶用の急須が欲しいです」どうやら、朝比奈さんはほんとうに自分が欲しいものをリクエストしたようだ。ハルヒすら呆れたように、「そう。じゃ、ユキはなんかある?」「…………」長門は即席麺の調理時間を遥かに超過した沈黙の後、「図書館」とだけ呟いた。図書館ごと欲しいのかよ。「蔵書だけ欲しい。だけど、私の部屋には格納するスペースがない。図書館自体が望ましい」なんとも長門らしいと言ったら長門らしいが。「もう、ユキまでそんな即物的なこと言って」ハルヒはさも憤慨したように言った。そういうお前はなにが望みなんだよ。「あたし? あたしはビッグライトよ」そんなもん、なにすんだ。「決まってんじゃない。大きくなんのよ」ハルヒはそう言って胸を張った。さようか。ドラえもん出してくれ。「ビッグライトとタケコプタ~」所在なげにたたずんでいたドラえもんがやっと出番だ、とばかりにポケットから大した機密性を持たない道具を出した。 「みくるちゃん。こっちきなさい」「ひぇぇ」ハルヒがフェルトペンを持ったままの朝比奈さんの首根っこを引っ掴んだ。恒例の流れに俺と古泉は席を外そうとしたのだが、呆然とその光景を眺めていたドラえもんは動かず、引きずるように外へと出した。「一応、順調みたいですね」ああ、何とかな。「ところでドラえもん君、ちょっと四次元ポケット見せてくれませんか?」「え? いいけど」了承を得た古泉は膝をついてドラえもんの腹部にあるポケットに頭を突っ込んだ。ただでさえ不思議空間にしょっちゅう出入りしてんだからいいだろうに。そうこうしている内に部室の扉が開いて、中からバニーガールの格好をした朝比奈さんとハルヒが出てきた。なんでそんな格好してんだよ。「こんなチャンスないんだから、大きくなったみくるちゃんを見なきゃ損よ」たしかにそれには同意せざるをえないな。ちょっと、というかかなり見てみたい気がする。「ほらほら、行くわよ」ハルヒは部室の窓を開け放ち、頭にタケコプターを乗っけた。バニー衣装にはポケットがないためか、胸にビッグライトをさす。そういや、実際にこれを使うとどうなるかって研究した本があったな。その内容によると、首と身体がおさらばしてしまうんじゃなかったっけ。そんな俺の心配を余所にハルヒは朝比奈さんを抱えたまま窓から身を乗り出すと、鳥のように飛んでいった。辺りにひゃあああ、という朝比奈さんの悲鳴が木霊する。 「これはどうやら反重力発生装置らしいですね」じゃあ、このプロペラみたいなのは飾りか。「そうとしか言いようがありませんね。さて、皆さん行きましょうか」古泉が修学旅行前夜の小学生のような顔でそう言うと、「僕はちょっと疲れたからここにいていい?」お前がいなきゃ話にならんのだが。「この疑似空間のせい」長門がそんなことを口にした。どういうことだ。「涼宮ハルヒがこの空間を夢と認識し、物理法則が普通の空間とは異なっている。ドラえもんが有する内部回路に不具合が生じている可能性がある」「どうにかできるか?」「やってみる」仕方ないな。なんとかなったら来てくれ。「これを渡しておくから、なにかあったら使って」と、ほんとうに調子が悪そうにドラえもんがスペアのポケットを渡してきた。「分かった。長門、ドラえもんを頼む」そう言って、長門に任せて俺と古泉はハルヒの後に続いた。一瞬の落下感の後にフワッと身体が浮くような感覚に囚われる。「どうしてどこでもドアがあるのに、タケコプターなんてあるのか。なんて考えてましたが、その理由が分かった気がします」ほう。一応聞いてやろうか。「車が大量生産される時代にも関わらず、我々は徒歩を用います。それから分る通り徒歩には徒歩の良さがあるように、タケコプターにはタケコプターなりの良さがあるんでしょうね」 たしかにこの浮遊感は他では味わえないな。そんなことを思いながらあれこれ試してみた。身体を前に倒すと前に進み、立てると止まるというふうに出来ているようだ。 しばらくそうやって最高速度でも試そうかと思った瞬間、目の前を行く古泉の姿が消えた。いや、俺がなにかに包まれたのか?俺の視界一杯にやけに生暖かい空間が広がる。「みくるちゃん、いいもん捕まえたわ」空気がびりびりと震えるような大声がしたかと思うとぱかっと上半分が消失して、巨大な朝比奈さんと目があった。「あっ、キョン君!」俺は最大瞬間風速六十メートルほどの甘い吐息に吹き飛ばされそうになる。朝比奈さんの豊かな部分はさらに巨大化して、そこには二世帯が優に生活できるほどの面積があった。まあ、その権利は誰にも渡す気はないが、「ビッグライトもう使ったのかよ」「当たり前でしょ。あたしはみくるちゃんとしばらく遊んでるから、あんたも遊んでなさい」そう言うと巨大ハルヒは胸一杯に息を吸い込んで、ふーっと手のひらに乗っかっていた俺に吹きつけた。台風の比ではない強風にあおられて俺はきりもみ状態で吹っ飛ばされた。あわや地面と直撃する寸前になんとか体勢を立て直すことに成功する。いっそのこと地球破壊爆弾でもぶつけてやろうか。そう思ってハルヒの方を見ると、その馬鹿げたサイズが分かった。バニー衣装の耳だけで車一台ほどある巨大ハルヒの身長は校舎の優に二倍はあった。目測で三十メートルと言ったところだろう。 ハルヒはこれまた巨大バニーの朝比奈さんの手を取ると、一足飛びで俺が毎朝暗澹たる気分で登っている通学路を下っていった。俺もああやって通学すれば朝の貴重な睡眠時間がのばせそうだ。ただ、ものの三日もしない内にNASAあたりにガリバーのように縛られて解剖されかねんのが問題だな。 いや、しかし勢いがつき過ぎて…………ああ。ハルヒは勢いを殺し切れずに丘の下に広がる密集した住宅地へと猪の如く突っ込み、建て売り一軒家を十件全壊させた。それが楽しかったらしく、まるで石ころでも蹴るように住宅地を更地にして言った。「ひぇぇ、涼宮さん駄目ですよ」朝比奈さん。あなたもよろけた拍子に二三軒踏んでますよ。「これが“鏡面世界”でよかったですね」ふらふらと浮いて近寄ってきた古泉がそう言った。「ああ。ただ、やってることが“神人”と変わらないように見えるがな」「あれは涼宮さんの破壊願望の現れですからね。まあ、涼宮さん自身この世界を夢と疑ってはいないようですから、作戦は成功と言えるでしょう」そう言って、ハルヒの精神分析医は肩をすくめた。しかし、いつまでハルヒがこの世界を夢だと思うかが問題だ。「涼宮さんがこれを現実だと認識したら、それこそ今の世の中を席巻している物理学や化学は一辺するでしょう。ただ、その可能性は限りなく低いと思いますよ」どうしてそんなことが言えるんだ。「涼宮さんは興味を抱くとそれ以外のことを重視しません」あいつは楽しければそれでいいってところがあるからな。「そういうことです。だから、僕たちは涼宮さんを飽きさせずに満足させる必要があるんですよ」それが一番の難問なんだがな。明日までには片付けないと、学校が始まってしまう。「その必要もないと思いますよ。ほら、あれを見て下さい」古泉がそう言って示した先にはあべこべになった時計があった。その秒針は止まったまま氷ついたように動かない。壊れてるのか。「いえ、時間が止まってるんですよ」さらりと言うな。どういうことだ。「感覚としか説明できないんですが、ここは涼宮さんが作り出す閉鎖空間に似ています」あそこは時間が止まってるのか?「いえ、微妙にゆっくりとではありますが時間は進んでいます。ただ、この空間に於いてはほとんど進んでいます。ただ、この空間に於いてはほとんど進んでいません」 月曜の朝学校に行ったら俺たちだけ中年になってた。なんて嫌だぞ。「そのためにも、涼宮さんを満足させないといけませんね。では、僕はもう少し空中浮遊を楽しんできます」そう言って古泉はふらふらと飛んでいった。 呑気なもんだな。せめて俺だけでも、とハルヒが満足しそうな道具を考えてみてもいまいち思いつかない。今のうちになにがあるかだけでも聞きに行くか。俺はふらふらとSOS団の部室へと戻った。「おっ、治ったか?」窓際で外を見つめていたドラえもんに尋ねたが一切の反応がない。不思議に思って窓から中に入ろうとした俺は思わず落ちそうになった。そこでは焦点の合わない目で虚空を眺めていたドラえもんの頭と胴体が別々の場所に置かれていた。「……長門、これはどういうことだ?」オイルまみれになりながら、ドラえもんの首から出た導線をいじっていた長門は、顔も上げずに、「回路の物理的な装置を用いた流れをエネルギーのみに限定して再構築している」と、呟いた。はたして治るんだろうか。「治る」どのくらいかかるんだ?「分らない」口数少なく肯定系で話す長門の口から否定語が飛び出してきたことには驚いた。「エネルギー回路の情報結合にかかる時間は不明。ただ、治すことは保証する」自信たっぷりな無表情という矛盾に満ち溢れた表情で長門はそう宣言した。しかし、この光景は不味いな。首と身体が分離したドラえもんなんて子どもに心的外傷を与ええるだけだ。「分かった。ただ、これはちょっとやばい。どこか別の場所でやった方がいいな」長門はおもむろに立ち上がっると、出しっ放しになっていたどこでもドアで自分の部屋へと繋いだ。 そうして胴体を抱えると、スタスタと部屋に戻っていく。となると必然的に残されたドラえもん生首は俺が運ばねばならんようになった。虚ろな表情を浮かべるドラえもんが不憫になって、縁起でもないが台ふきで顔を覆ってやった。よしっと覚悟を決めて一息に持ち上げようとしたところ、ドラえもんの頭部は浮く気配すらみせないではないか。そう言えば、ドラえもんって百二十九.三キロあるんだったな。二頭身だから頭だけで約七十五キロか。抱えるにはちと無理がある重さだ。「すまん。重くて持てない」長門は無表情のままうなづくと、いとも簡単にドラえもんの頭部を抱えて出ていった。俺はぽつねんと独り部室に取り残された。そうなると言いたくなるいつものセリフを口にしようとした刹那、「キョン、ちょっときなさい」そんな轟音とともに強風に煽られる。街を更地にするのに飽きたのかハルヒと朝比奈さんが戻ってきたらしい。ハルヒは巨大な指で俺を掴むと、部室の外へ引きずり出した。シャミセンの気分が分かった気がする。「そんなことどうでもいいわ。それより今から、隠れんぼするわよ」「隠れんぼ?」「そうよ。あたしが鬼をするからみんな隠れなさい。あっ、みくるちゃんは元に戻っていいわよ」そう言ってハルヒは胸からビッグライトを取り出して、不思議光線を朝比奈さんに当てる。炎天下に置いた氷のようにみるみる縮んで、俺より頭一つ分ほど小さいサイズに戻った朝比奈さんは疲れ果てたように溜め息をついた。 「キョン、ドラえもんとユキと古泉君を呼んできなさい」「ああ、僕ならいますよ」と古泉がいつの間にか、ふらふらとハルヒの近くを飛んでいた。しかし、ドラえもんは生首と化しているし、長門はその修理にあたっている。適当に茶を濁すしかないな。「ドラえもんは長門と過去に行ってる」「え? なんで?」「昔紛失した宝もののありかを探しに行ったみたいだ」「そうなの。まあ、いいわ。ドラえもんとユキは後から参加してもらうから」言い訳が功を奏してハルヒはそれ以上突っ込まずに、「じゃあ、今から隠れなさい。範囲はあそこまでよ」と言って丘の下に広がる街を示した。なるほど。たしかに、学校を中心とした二百メートルほどの円状に家々が更地になっていた。しかし、たかだかこんな遊びのために家をぶっ壊すなんて某街作りゲームの市長より無慈悲なやつだ。 「それじゃ、三分待ってあげる。真剣に隠れなさいよ。一番に見つかった人には罰を与えるから」そう言ってハルヒは校舎に腰かけて目をつぶりながらカウントを始めた。「キョン君、ドラえもん君と長門さんが過去に行ったってどういうことですか」朝比奈さんが小さな声でつぶやく 。「実はドラえもんの調子が悪くて長門に修理して貰ってるんですよ」「そうなんですか」そう言って朝比奈さんは再び溜め息をついた。朝比奈さんの未来、言うなれば朝比奈さんの帰る場所が消えてしまったのだからそりゃ溜め息の一つや二つもつきたくなるよな。「僕たちは早くドラえもん君が戻ってくるのを祈りつつ、早急に隠れた方がいいでしょう」ハルヒのカウントはすでに百を切っていた。俺と古泉がタケコプターで隠れ場所を見つけようと飛びたったところ、「ひぇ、キョン君まって下さい。あたし飛べません」と朝比奈さんに袖を掴まれて俺はバランスを崩した。古泉は自分には関係がないといったふうにどこかへ飛んで行く。しかたなくスペアポケットから朝比奈さんにどこでもドアを出してやってから、隠れる範囲ギリギリの場所を思い浮かべてドアを開いた。「朝比奈さんはここに隠れていて下さい」「え? キョン君は?」俺は別の場所に隠れます、と言って朝比奈さんをどこでもドアの中に押し込んだ。朝比奈さんのいずこへ売られる子牛のような顔を直視出来ずにドアを閉じる。 ドナドナを歌いたい気分にかられながら、どこでもドアを戻した俺はタケコプターの使ってカウントを続けるハルヒの元へと飛んだ。ぐんぐんと上昇し続けハルヒの足を越え、妙に色っぽい鎖骨を越え、とうとう頭まで越えた俺は車ほどもあるバニー衣装のウサミミの部分に隠れた。灯台下暗しさ。かけてもいい。ここならハルヒは気付かないぜ。「さん、にい、いち……行くわよ!」ぱちっと目を開いて、ハルヒが雄叫びを上げる。俺の頭の中でジェット機が飛び交うような耳鳴りの中、巨大ハルヒが猛然と助走をつけてウサギのように丘から飛び降りた。どがんと家々を木っ端みじんにしてハルヒは着地した。あそこに俺たちがいたらどうするつもりだったんだよ。ハルヒは頭の上で俺がそんなことをつぶやいたのも知らず、俺たちを探し始める。その方法ってのがいかにもハルヒらしく、豪快かつ非常識だった。まず、手近な民家を一軒両手で掴むと思い切りよく引っこ抜いて、「いるなら出てきなさい」と宣言し、何も返答がなければ遠くへ放り投げるといったものだ。「あたしを止めたければ化け物でもなんでも出してきなさい!」ハルヒは二十軒目を瓦礫に変えて怪獣のようにそう叫んだ。多分、ほんとうにそう願ったんだろうな。でなければあんなものが現れるはずがない。 地平線の彼方からのしのしとハルヒと同じくらい巨大な何かが、こちらに歩いてきた。次第にその輪郭がはっきりと分かるようになって、俺は絶句することになった。厳めしい面に、眼鏡。それはまさに古泉が作り上げたSOS団の敵役、生徒会長その人だ。「出たわね、怪獣!」「おい、涼宮。これはどういうことだ?」「問答無用よ! おとなしく成敗されなさい」そう言うなり、ハルヒは生徒会長に突進して首根っこを掴むと勢いよく地面に叩きつけた。一本っと思わず叫んでしまいたくなるほど豪快に投げられた生徒会長は、潰されたカエルのような声を上げて動かなくなった。これは……死んだのだろうか。「そんな訳ないでしょ!」「へ?」「ちょっと投げたくらいで死なないわよ。ほら」ハルヒは疑問符を浮かべる俺を指で摘んで、クレーンゲームの景品のように生徒会長の口元に近付けた。その口からはヤニ臭い吐息が漏れている。たしかに生きてはいるな。しかし、「いつ気付いたんだ?」「始めから分かってたわよ。どうせあんたのことだから、灯台下暗しとか馬鹿なこと考えて隠れたんでしょ。でもね、あれだけぶんぶんうるさければ誰でも気づくわ」俺はぐうの音もでずに黙り込んだ。「まあ、いいわ。あんたは一番最後に捕まえてネタバラシしようと思ったけど、こいつを見張ってなさい。もし逃がしたら罰金の上、グランドを半狂乱で十周の刑よ」ハルヒはそう言って瞬く間に倒された生徒会長の横に俺を置くと、のしのしと他の獲物を探しに行ってしまった。 まさかバレてるとは思わなかった。かけは俺の負けだな。俺はやれやれと嘆息しながらペアポケットからスモールライトを取り出して、生徒会長を元のサイズに戻してやった。それでも気絶を続ける生徒会長に、柔道でいう喝でも入れてやろうと考えたところでやっと目を覚ました。「……これはどういうことだ。涼宮の仕業なのは分かっているが」目をしばたたかせての第一声はそれだった。やはり俺はこの人にはある種の親近感を覚えてしまう。俺が詳しい理由を話そうとしたところで、「いや、やはりいい。俺は面倒ごとには首を突っ込まん主義だ」その方が懸命かもしれん。この人は古泉属する“機関”と金の関係で動いている。深く首を突っ込めばどうなるかは、この人が一番理解していることだろう。「そういうことだ。しかし、起きたらこんなところにいるのには驚いた。“機関”だろうとこの出費は痛手だろうな。それに俺の慰謝料も払って貰わねば」「いえ、ここは本当の世界ではないんですよ。だから、人はいません」「ほう。だとしたら、むしり取るかいがあるというものだ」くくっと笑い声を上げたのは本心からだろうか。ひとしきり笑ったあと、生徒会長は元の仮面じみた表情を浮かべた。「おい、また生徒をたぶらかしたのか? これでは密約違反だ」「なにがだ?」ぱっ振り返った俺の視界の隅で生徒会長が吹っ飛ぶのが見えた。しかし、今の俺には道化を演じる生徒会長の安否など気にする余裕はなかった。 俺がいうのもなんだが妙な名前をつけられた暴虐非道な人物がいる。そいつは楽しみは自分だけで楽しむような奴だが、ハルヒはそういうことをしない。楽しみはみんなで楽しむべき、と考えているだろう。 しかし、ハルヒよ。楽しみはみんなでやれば倍になるかもしれん。だが、恐怖や痛みは半分になったりなんかしない。等しく平等にあるものなんだぜ。 朝倉涼子の禍々しい白刃が煌めき、俺の右腿を切り裂いた。
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