涼宮ハルヒの団結 第十一章
「……無事に出発されたようですね」「ええ。キョンくんとみゆきなら、無事に涼宮さんを連れて来てくれるはずです」
――古泉一樹。朝比奈みくる、異時間同位体。
「そして……これからの古泉くんの行動ですが、あなたには長門さんの思念体を過去のキョンくんの元へと送り届けて欲しいの。その、古泉くんはこちらの意図を理解してくれていますよね?」 「概要は掴めているつもりです。僕の有するファクターと過去への時間遡行、そして長門さんの記憶を取り戻すという事柄から、僕の行動は必然的に導き出されていますから。つまり、僕の精神探訪の能力をもって時間を止められている彼の精神領域へと長門さんの思念体をダイブさせ、そして過去……去年の七夕から、長門さんには彼の目を通して世界を見てきてもらう。彼女が抱える自分自身の悩みを、まさしく第三者的客観を通して見つめ直してもらうためにね。もしかして、彼を長門さんの部屋に寝かせたのはそのためだったのでは?」 「はい。この初期状態の長門さんには、過去から現在までの情報を直接人の目を通して取得してきてもらいます。そしてその対象となる人物は、SOS団の殆どを見てきたキョンくん以外にはあり得ません。でも、これはキョンくんの私生活も長門さんに見られることになっちゃいますけど……」 「でしょうね。ですが、彼がこの案を聞いたとして拒否をするはずもありませんよ。しかし、この計画を実行するということは、既に彼の中には……あの七夕から、今までずっと長門さんが存在していたということになる。……長門さんは、今このときも自身の問題を解決していないのですか?」 「……ええ。長門さんが自分の問題を解消するのは、これから向かう《あの日》の中で、と聞いています」「そのようでしたら、わたしが持つ長門さんの同期制限の解除コードを、圧縮した状態で長門さんの中に含ませておきましょう。もし彼女がそこで同期を求めるような事態があった場合、その行動を制限されないように」 「ええ。よろしくお願いします」「……あの、古泉くんは、あたしが長門さんの部屋に連れて行ってもいいですか?」
――喜緑江美里。朝比奈みくる。
「うん。頼みますね。わたしはちょっと……その、キョンくんたちが帰ってくるといけないから……」「良かったぁ。実はあたし、ちょっとだけでも元気な長門さんに会いたくて」「では……僕は小さな朝比奈さんに長門さんの部屋へと送り届けてもらい、一旦隣室へと身を隠した後で、時期を見計らい行動を開始する。ということでよろしいのですね?」 「はい。ですが行動の実行については、小さなわたしが再びやってくるまで控えておいて下さい」「了解しました。では……そろそろ僕も、発表会の準備をしなければ」「わかりました。じゃあ古泉くん、目をつむって下さい。長門さんもこちらに」
――長門。長門有希、『私』。
「タイムトラベル……色々思いを馳せたいところですが、そんな悠長なことは言ってられませんね」「ふふ。時間酔いに注意してね。……じゃあ、行きます――」
――TPDD動作開始。TPDDによるエキゾチック物質の射出を確認。時間連結平面帯に対する破壊及び再構築を確認。指定時空間座標域への一時的ワームホール形成終了。パーソナルネーム朝比奈みくる、古泉一樹の有機データ変換開始を確認。同個体の情報変換処理における誤差…………―――――――
――ここは何処だろう。……暗い、色のない部屋。 この部屋には氷の棺桶が置いてある。その上には一人の男が座っていて、他には何もない。 「こんにちは」 彼は私に言う。笑っていた。 こんにちは。 私も彼に言う。私の表情はわからない。 彼はここで何をしているのだろう。そして、私も何故ここにいるのだろう。 私がしばらく考えていると、「遅れてしまいました」 闇の中、男の後ろに白い布が舞い降りた。淡く光っている。「そちらの方は、無事に完遂されたようですね」 男が言う。嬉しそうに、微笑みを浮かべながら。「やっぱり長門さんに助けられちゃいましたけど、ちゃんとみんな無事でしたっ あとは、ここにいる長門さんを導くのみです。中学生の涼宮さんも、公園で古泉くんを待ってますよ!」 白い布から声がする。中にいるのは少女のようだ。声で解った。「それはよかった」 男が低い声で笑った。男は私を見つめると、「発表会はまだ始まっていません」 男は氷の上から動かない。「まだ、時間はあります」 発表会。 私は思い出そうとする。私はここで何を発表するのだろう。焦る。思い出せない。「時間はあるのです」 男は言う。私に微笑んでいる。白い少女のオバケは嬉しそうに舞っている。「待ちましょう。あなたが思い出すまで」 少女は言う。私は氷の棺桶を見つめた。 一つだけ、私は目的を覚えていた。 私の居場所は氷の中だった。 私はそこで眠っていなければならなかったのだ。 そこから出た私は、再びそこに戻るために帰ってきたのだろう。氷の棺桶には男が腰掛けている。彼が立ち退かないと、私はそこに入れない。「あなたが発表を終えて、それでもなお望むなら」 入りたがる私に男が答える。 しかし私には発表することがない。発表会に参加する資格がないのだ。「あなたが主役なのです。みんなは、あなたの歌を聴きたがっています」 歌。それが私の発表するもの。だが、私は何を歌えばいいのだろう。私は知らない。「あなたの記憶であり、あなたの『旋律』です」 私の記憶。それが歌になるのだと男は言う。「えっと、大きなカマドウマさんとか……夏と冬の合宿もっ」「それにコンピ研とのゲーム対決や、文化祭でのあなたの演奏。あなたの名前が題された映画も撮影しました」 男は低い声で歌い始めた。白い布も、踊るように歌っている。「そして……クリスマス。《あの日》のこと」 そこで二人は歌うのをやめた。 私はその歌を知らない。きっと覚えていないのだろう。思い出してみたい。私はすぐに発表したいのだ。 彼が立ち退かないと、私はそこに入れない。「これからあなたには、自分自身をこの部屋の『窓』を通して見つめていってもらいます。そして発表会の日、あなたが発表すべきことをみんなに伝えてください」 この部屋の窓からは私が見える。男はそう言った。 ならば、私は見ようと思う。この部屋から見える私の姿を。
――そして私は、窓辺に立つ。
その時まで、私は一人ではなかった。多くの私がいる。集合の中に私もいた。 情報統合思念体。その情報生命の一つが私だった。 私は仲間に、様々なもの全てを見ることを許された。それが私の存在。 仲間は私に学ぶことを許さなかった。それは当然のこと。見たものをそのまま伝えるには、私というものは邪魔にしかならない。見るだけの行為、それだけが私に許された機能だ。 私が見ていた世界では様々なものが生まれ、壊れていった。そしてまた何かが生まれる。その繰り返しの果てには、何があるのだろう。きっと何もないのだ。すべての現象は意味を持たない。偽りの世界に私たちはいる。 しかし、やがて私は意味を見つけた。涼宮ハルヒ。自律進化の可能性。 彼女の存在は我々にとってそれだった。私は彼女を見るために地上へと舞い降り、『私』という存在の証明を手に入れた。 物質と物質は引きつけ合う。それは正しいこと。『私』が彼女に引き寄せられたのも、それがカタチをもっていたからだ。 『私』は彼等と出会い、それぞれと交わった。この窓から見える『私』に、この部屋の主は言う。『私』には、感情がある。 それは、私にもそう思えることだった。私にその機能はないが、そうしてもよいかもしれないことだった。
そして発表会。 この部屋の主は言う。『私』が変えた世界は、私の望んだ世界なのだと。 しかし、それは私が存在する意味を失ってしまう偽りの世界。私はそれを望まない。 今の私は、彼等と一緒に過ごす『私』の姿をもっと見ていたい。それが、彼等との日々を見てきた私の望み。 じゃあ、『私』は何を望んだの? 『私』に降り積もるエラー。それは感情なのだと、私も彼と同じようにそう思っていた。 でも、それは間違いだったのかも知れない。 『私』は世界を変えた。それは見るという機能しか持っていない私が、人の感情に触れて起こしたバグだったのだろうか。 もしそれが真実だとしたら、私は棺桶の中で眠らなければならないだろう。しかし、今の私はそれを望まない。 この部屋の主は、『私』が変えてしまった世界の中で苦しんでいた。彼は自分を無力だと言うが、何処にも逃げない。それはとても価値のある意識。私にはないもの。 私は発表会に出られなかった。私の歌を、思い出すことが出来なかったから。 舞台に上がれなかった私には、もう発表する資格などありはしない。 窓の外では、優しい人たちが『私』のそばにいてくれる。『私』の未来は、彼等と共にある。それはきっと幸せなこと。 そう。それが『私』という物語の結末なのだ。 『私』の願いは、いつか彼等が見つけ出してくれる。 残された私には、いつかその日がやってくることを信じて待つことしか出来ない。
――だけど、もし私にも願いが一つだけ許されるのなら……。
発表出来なかった私の歌を、どうか一冊の本にして欲しい。
その本を私は、この窓辺で――――。
……長門が変えちまった世界から帰還した俺は、古泉が手配してくれた病院での入院生活から復帰し、文芸部室もといSOS団本部の扉を前にして立ち尽くしている。 この奥には長門がいる。出来るだけ、普段通りの俺でいよう。そう、それが俺たちが取り戻したものなんだ。 息を一つ吐き決心すると、俺は扉を開いた。「長門……。寝てるのか」 定位置にいる長門は、寝顔をこちらに向けて眠っていた。微かに開かれた唇からは、スウスウと寝息が立っている。 俺は抜き足で自分のパイプ椅子へと向かい、腰を落としてその心地を一身に感じて脱力する。そしてそのまま首を長門の方へ捻りやり、長門の整った顔を覗いてみた。なんだか、こうして見ていると―― 「……長門も、普通の女の子と変わらないな」 同時に俺の胸の中で、以前に感じたことがあるようなモヤモヤが沸きあがった。 それは三年前の長門の部屋で、俺たちを見送る長門の言葉を受けて発生したモヤと同じだった。事件に夢中で一度はうやむやになったが、今なら、その正体が分かる気がする。
やはり長門にとっても、孤独は寂しいものなんだ。きっと。
しかしあれだな。食欲も睡眠欲もあるんなら、こいつも………恋とかするんじゃなかろうか? そんな考えが今までより確かな感覚でよぎった俺は、再度意識を長門の寝顔へと向ける。 ――いかん。変に意識したおかげで、寝息を立てている長門のふんわりした口元に目がいっちまう。 不純だぞ。それは。恩人の長門に対して向ける視線じゃない。 それに、こんな思念を『アイツ』が変態的シックスセンスで感知して飛び込んでこんとも限らな、「……おわっ!」「…………」 いつの間にやら長門はパチリと瞼を開いて、黒メノウの様な瞳を覗かせていた。「起きてたのか?」「いま」 長門はするりと身体を起こし、面だけをこちらの方向へと修正させ、俺と視線を合わせながら沈黙している。………何故だか、妙に気まずい。「長門、お前も眠ったりするんだな。思わず見入っちまったよ」 俺が沈黙を破ろうと何とか絞りだした言葉に、長門が淡々と応じる。「通常は睡眠を取らない。わたしにはその必要性がない」「じゃあ、さっきは何で寝てたんだ?」「……異常動作以後、わたしの内部に新たなバグが発生した可能性が確認されたため、デバックを実行」 長門は視線を僅かに下降させ、それっきり押し黙ってしまった。バグ……ね。「長門。そんなことはしなくていい。それよりもお前は、眠ろうと思えば睡眠だって取れるんだよな?」 こくり。長門が示す肯定のサインだ。「だったら、普段から眠ってみないか? 俺やハルヒ……皆と同じように」「何故?」 何故か。……それは、健康とは違った意味で、四六時中起きてるよりは眠ったほうが良いからだ。 しかし俺はそれを口には出さず、「……いや。まあ、俺の都合なんだけどさ」「そう」 あと、だ。「お前、自分の行動を……思念体とやらに制限されてたりするのか? 例えば、そうだな。好きなことをやったりだとか、睡眠だってそうだ。それに笑ったり泣いたり、感情を表す行為なんかを」 俺の質問に長門は相変わらずの無表情で、「本来はそう。元よりわたしには、そのような機能は備わっていない。だが現在、その規制は緩和状態にある。私がそれらの当該行為を行ったとして、涼宮ハルヒの観察に支障がなければ特に問題はないと思う」 つまり、長門がそういう振る舞いをしても誰も文句を言わないんだな。もし言う奴が居たとしても、俺はそいつを黙らせてやるつもりだったんだが。 じゃあ、と俺が言葉を放とうとしたときだった。「でも、一つだけ、情報統合思念体から禁令が下されている」「……何なんだ? その一つは」「それは、」 ここで長門は一呼吸の間を置き、「死にたいと願うこと。有機体独自のこの死の概念が思念体内に組み込まれた場合、多細胞生物に観測されるアポトーシス、オートファジー、ネクローシスなどといったプログラム細胞死、いわゆる自殺因子が、情報生命体、つまり情報の寄り集まりによって構成されている情報統合思念体に何らかの惹起を招き、予知出来ぬ障害が発生する恐れがある。わたしや喜緑江美里などの思念体によって創造された有機アンドロイドは基本的には生物学的な死に至ることはない。だが、有機体を素地としているわたしたちの情報構成に死の概念が発生しないとは限らない故、事前にそれが禁止されている」 「なるほどな」 なるほどなんて言いながらも、長門の話は最初の句読点までしか分からんかったが。 でも、それだけで十分だ。「つまり、死にたいなんて思っちゃいけないってことだろ? そんなことを言うなんて、長門の親玉も思いのほか良い奴なのかもな」 長門はどこか的を得ていないような無表情を浮かべて、ただ、俺の顔を見つめていた。 次いで、俺はさっき言いそびれた言葉を話し出す。「じゃあさ、長門。これからは、お前が望むように過ごして見ないか? ハルヒの観察が目的だからって、他には何も出来ないなんてのはない筈だろ」「わたしが、望むこと?」 今度は明らかに困惑した色を浮かべている。……というか、そりゃそうだよな。いきなり今までにないことをやれなどと言われたら、俺でも困るだろう。「すまなかった、言葉が足りなかったな。まだ自分のやりたいことが見えてこないなら、まずは俺が長門に望んでみてもいいか?」
――そして、それは恐らく長門が自ら望んでいる事と同じだ。
「長門が少しでも何かを感じたら、それを俺たちに伝えて欲しい。思いを言葉にするだけでも良いんだ。……まずは、それからだな」 そうだ。そうやって段階を踏んでいけば、いずれは長門も感情を面に表せるようになるだろう。 なんてったって長門も、心の底じゃそうなることを願っているんだから。 今の俺には、それは間違いないと断言出来る。絶対だ。俺は、そう望んで、そうなった長門の姿を見てきたんだしな。 つまり長門も、《人間らしく生きてみたいと思っている》んだ。「……了解した」「ああ。長門、無理はしなくていいんだぞ」
『―――私の願望は、人のように生きること?』
そうなのだ。私は、いつしか……人間になりたいと望んでいた。 彼等のように行動し、彼等と共に生きてみたかった。 そして心が有限の命から生まれたものであれば、私も彼等のように……。
死を、迎えたかった。
だから私は、氷の棺桶の中を望んでいたのだろう。氷の中での、目覚めのない眠り。 しかし、私は此処にいる。 たとえ私が氷と一緒になっても、その存在が消えるわけではない。 ならば、もう少しだけ。 私がこの窓辺で、彼等を見つめることを許してはくれないだろうか。 仮に許されるなら、私はそうするだろう。 待ち続ける私に、奇跡は降りかかるだろうか。 ……立ち続ける『私』に、笑顔は舞い降りるだろうか。
ほんのちっぽけな奇跡。
「……ところで、藤原くんの話には様々な理論が連なっていたが、キミは、あらゆる理論の中での最強の理論というものは何だか知っているかい? それはね、実は矛盾した理論に他ならないんだ。矛盾した理論というのは、ありとあらゆるものを無差別に証明出来てしまうので、そんなものに打ち勝つ理論は存在し得ないのさ」 「……イマイチ話が掴めんのだが、そりゃどういうことなんだ?」「煎じ詰めて言えば、ココアをコーヒーじゃないと信じて疑わない僕には、誰が何を言っても無駄だという話だね」「どうしようもないじゃないか」「そう、まるでどうしようもないんだ。まるで、恋愛感情といったものの存在を否定していた以前の僕ようにね。キョン、僕は自己の矛盾を知ったことで、感情が持つ本来の姿を垣間見た気がしている。恋愛感情というものは、生物学的な連鎖から脱却し、人間らしく歩むために存在するんじゃないかな。感情が自律進化を阻害してしまうのではなく、むしろ逆で、そのプログラムこそが人間を人間たらしめてきた自律進化の可能性だったというわけだ。……ああ、それと、」 「なんだ?」「コーヒーをご馳走様。お陰で最後の心残りもなくなった。涼宮さんも一緒だとよかったけど、贅沢は言わないよ。さて、僕たちもそろそろ店を出よう。最後に握手でも交わしてお別れをするのはどうかな?」 「……佐々木、一ついいか?」「ん、なんだい?」「確かに握手ってのは別れ際にするもんだと思うんだが、それに含まれる意味を知ってるよな?」「……ああ、確かに未練がましい行為だ。すまないキョン。僕はもう、キミとは――」「佐々木。そうじゃないだろ?」「…………?」「――また会おう。これからもよろしくな」「……うん。こちらこそ」
――感情による、他の存在との共感。それが自分を形作り、進化への道を歩ませるものなのだろうか。 そう。移りゆく世界もきっと無意味ではないのだ。全ては繋がっている。 涼宮ハルヒに進化の可能性が秘められているのは、特別な能力を持つからではない。彼女の生き方にこそ進化への光は存在するのだろう。 手を取り合い、互いを認め合うことで人は前に進めるようになる。 それが心という情報の進化を促すのなら、我々もそうすべきなのだ。 しかし、私が感情に惹かれたのは進化のためではなかった。私が望んだこと。それは……。
『私』も、みんなと一緒に―――。
……そう願って今の私が手を伸ばしてみても、窓にそっと触れただけで止まってしまう。 そうだった。私はもう、彼等に触れることなど出来ないのだ。 それに気付いた私の頬を伝うのは、水じゃなくて、もっと寂しい―――。
「……結局体なんてね、自分という存在の入れ物にしか過ぎないってこと―――」「……人はやがて死にます。だけど涼宮さんは、それを逃げ道になんて―――」
「――SOS団のみんなが待っているから!」
「……SOS団とかいう集団こそ、涼宮ハルヒを独りにしている原因じゃないかしら――」「……情報創造能力だって、現実を認めることが出来ない駄々っ子が創出した……とても幼稚な―――」
――違う。それは……現実を認められなかったのは、本当は俺なんだ。 サンタクロースを信じていなかった俺が、宇宙人や未来人や超能力者たちもこの世に存在しないのだと知った日……俺はきっとハルヒよりも、そんな常識を心の深いところでは認めきれてなどいなかったのだ。 そんな気持ちを納得させようと俺は次第に自分へと嘘をつくようになり、そうやって生きる俺は自分をごまかすのが馬鹿みたいに上手くなっていた。
この世界に俺は満足している、宇宙人や未来人や超能力者など何処にもいやしない――。
そう自分に言い聞かせているうちに、いつしか俺はそれが自分に対する嘘だったということを忘れ、本当の自分の気持ちを知らずに覆い隠してしまっていた。そう、自分の気持ちを無理に押さえ込み、押さえ込んでいることすら忘却の彼方へと放り投げて、俺はあの日までを過ごしていたんだ。 ――ハルヒと出会った、あの日まで。 あいつは俺が諦めちまったこの世の不思議を本気で探し求めていた。 いつだって自分に正直で、思ったままを素直に行動へと移すハルヒやSOS団の皆と一緒にいることで、俺の中では……自分でも気がつかぬうちに色んなものが変わっていたんだよな。 そして長門の暴走というこの日があったことで、俺はいつしか自分についていた嘘が本当のものになっていたということに気付いたんだ。それは、宇宙人や未来人や超能力者が現実のものになったことじゃない。出会った当初のハルヒが散々漏らしていた、この世に対する不満についてだ。今の俺なら、心の底から叫ぶことだって出来る。
この世界は楽しい!と。
だが、まだ俺は自分に嘘をついていた部分がある。俺の……佐々木への気持ちに対して。 あいつは自分の気持ちに気付いていなかったが、俺は、本当はそうじゃなかったんだ。 俺は自分の目の前にある佐々木への気持ちに気付いていながら、それは違うものなんだと真実を歪めてしまっていた。なぜそんなことをしてしまったのか、今の俺になら解る。佐々木が嫌いだったわけでも、恋愛に対して嫌悪感を抱いていた訳でもない。
俺は、自分の心があらわになることが怖かったんだ。
正義のヒーローが物理法則と常識によって敗北を喫してしまったとき、純粋にそれを信じていた俺の心は無防備のままに深く打ちひしがれてしまい、それ以来、俺は心の深いところを開け放つことが出来なくなってしまったのだろう。 だから佐々木への気持ちを誤魔化し、好意を抱いていたがゆえにそれを完全に押さえ込んでしまった。そうなんだ。やはり俺は中学の頃、本当はあいつのことを―――。 ……そして、それに今まで気付かなかった原因はもう一つある。 俺が佐々木に抱いていた気持ちは別の方向へと向き、その先にいるのは別の奴で、しかもまたもや俺はその気持ちに気付いていなかったのだから、佐々木への気持ちに気付けるわけがなかったんだ。
ああ、そうだよ。――俺は今、ハルヒのことが………。
そしてSOS団、いや、この世界に広がる全てのものが俺は大好きなんだ。 世界も人も変えるものではなく、受け入れることで変わっていくものだと佐々木は俺に教えてくれた。だから―――
「今まで自分たちの行動がどれだけ長門さんを傷つけていたかも知らなかったくせに――」「堕落した人間の馴れ合いなんか、彼女に求めないで……!」
……違う。私は、彼等と共にいることが好きだった。傷つけているのは私なのだ。 それは私が一人でいたから。繋がり合うことを知らない私が、手を差し伸べてくれるみんなを傷つけてしまっていた。 私は発表会に出なければならない。私の気持ちを、心配してくれるみんなに伝えるために。
『――あなたの望みはなんですか?』
……私は元の世界、『わたし』として生きることを選択する。輝くように笑う彼等と歩いて行きたいから。 だから、あなたがくれた氷の棺桶を私は解かしたい。 私が歌うために必要な力を、その箱から取り出して与えてくれないだろうか。
『それがあなたの望みなら与えましょう。あなたの手が、皆さんへと届くように』
そう。私も、彼等へと手を伸ばさなければいけないのだ。『わたし』の好きなものを失ってしまわないように。
彼等がわたしの手を、きっと掴んでくれると信じて―――第十二章
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