国木田の憂鬱 第2話
山風に凍りつくような12月18日。いつものように目覚まし時計の音に起こされた僕は、朝食を取り、朝の準備を済ませると、学校へと登校する事にした。最近、学校では風邪が猛威を振るっていて、1年5組の教室にも空席が目立つようになってきている。僕も引いてしまわないように、気をつけないといけないな。
国木田の憂鬱:第2話 消失編1
昼休みになると、谷口の席の周りに、僕とキョンとで机を囲んで食事を取るのが最近の日課なんだけど、風邪を押して登校してきた谷口が、案の定、授業中に風邪が悪化したらしく、昼休みが始まるや否や保健室に行ってしまったので、今日は僕がキョンの近くへ移動する事にした。 「休みみたいだから、ここに座ってもいいよね」朝倉さんの席に座るのは、少し緊張してしまう。別に変な意識なんかしなくても良いんだろうけど。キョンは椅子を横向きにして、弁当箱を広げながら、「なんか風邪がいきなり流行りだしているな。うつされなきゃいいんだが」んん?キョンは何を言ってるんだろう。風邪なら1週間前から流行の兆しを見せていたよ。インフルエンザじゃないみたいだけど。僕がそう指摘すると、キョンは怪訝な表情で、「1週間前?」あれ?けっこう休んでる人もいたけどなあ。キョンは気がつかなかったのかい?「まったく気がつかなかった。本当の話か、それは?」うん。本当。今週に入っていよいよ酷くなったよね。谷口もここんとこ、しんどそうにしてるなあ。突然、キョンの箸を動かす手がピタリと止まった。「国木田。すまんが、俺には谷口がしんどそうにしてるのは、今日からだと思うんだが」え、そんなことないよ。今週の初めにはもうあんな調子だったじゃん。昨日の体育も見学してたしさ。「待て、何を言ってるんだお前は。谷口は昨日の体育の授業に、元気一発オロナミンCな状態で、サッカーの紅白戦に出ていたじゃないか」そうだっけ?おかしいなあ。うーん、でも後で谷口に訊いたら解ることだよね。僕がそう言うと、キョンは複雑な表情になって考え込んでしまった。…どうしたんだろう、なんだか今日のキョンは様子がおかしい気がする。
わあ、という歓声が、教室のドア付近にいた数人の女子から上がった。教室の中に入ってきたクラス委員、朝倉涼子の姿を確認しての声らしい。朝倉さんは、「風邪、良くなった?」というクラスメイトの質問に笑顔で答えながら、僕達の方へ歩いてくる。あ、どかないと。僕が弁当箱のタッパを片付けようとしていると、「あ、鞄を掛けさせてもらうだけでいいの。昼休みの間なら、席を貸しておいてあげる」そう言いながら、朝倉さんは女の子達の輪の中に入るため、身を翻して歩き始めた。突然、キョンが剣呑な声を上げたのは、その時だった。「待て」僕はびっくりしてキョンの顔を見つめた。キョンは朝倉さんを睨みつけながら、「どうしてお前がここにいる」朝倉さんは、ふわっと振り返り、涼しげな表情でキョンの方を向き、「どういうこと?私がいたら、おかしいかしら。それとも私の風邪が、もっと長引けば良かったのに、って言う意味?」「風邪なんかどうでもいい、それではなくてだな…」僕は、急に機嫌が悪くなったらしいキョンの肩をつついて、「キョン、本当に変だよ。さっきから言ってる事がおかしいよ、やっぱり」キョンは、突然ガタっと椅子を鳴らしながら立ち上がり、驚くほど怖い顔をして朝倉さんに指を突きつけると、「国木田、お前はコイツを見て、何とも思わないのか?」キョン?「こいつが誰だか、お前も知ってるだろう?ここにいるはずの無い奴じゃねえか!」…キョンさあ、ちょっと休んでただけでクラスメイトの顔を忘れたりしたら失礼だよ。いるはずの無いって、どういうこと?ずっと同じクラスにいたじゃん。
普通の人だったら、ここでキョンに怒り返しても無理はないかもしれない。だけど、朝倉さんは、まるでとびっきりの冗談でも思いついたかのような笑みを広げて、「解ったわ。お弁当を食べながら、うたた寝でもしてたんでしょう。悪い夢でも見ていたんじゃない?」そう言いながら、僕の方を見て、「ねえ?」と、同意を求めてきた。本当に優しい人だな、朝倉さんは。
その後にキョンが取った行動は、本当に理解不能な事ばかりだった。なんでも、キョンが言うには、本来朝倉さんの席に座っているのは、涼宮ハルヒとかいう人らしい。もちろん、そんな名前の人なんか、このクラスにいるわけが無いし、聞いたことも無い。キョンはクラス名簿を凝視したり、近くの人に掴みかからん勢いで、ハルヒはどこだ、朝倉は転校したはずだと質問し、しまいには、僕に自分の頬をつねってくれとまで言い出した。朝倉さんは、心配そうな顔でキョンの腕を取ると、「保健室に行った方がいいみたい。具合の良くないときって、そういうこともあるわ」キョンはその腕をふりほどき、「違う!放してくれ!」大声で喚きながら、廊下へ飛び出して行った。
どうしちゃったんだろう、キョンの奴。なんであんな事を言い出すのか、さっぱり意味が解らない。追いかけた方が良いんだろうか?それともそっとしておいた方が良いのかな。と、僕が考えていると、「ねえ、国木田君」朝倉さん?「今日の放課後、いつものお店で、会えるかな」と、小声で話しかけてきた。多分、さっきのキョンの行動が気になったんだろうね。もちろん僕はOKと即答した。
午後の授業に入ってからも、キョンはそわそわと落ち着かない様子で、僕はとても気になっていた。休憩時間に話しかけようかとも思ったけど、雰囲気的にどうにも近づきづらい。そうこうしている内に、今日の授業も終わって放課後になった。谷口は体調が本格的に悪くなってきたらしく、そそくさと帰路についてしまった。キョンのことが心配だった僕は帰り道に誘おうかとも思ったけど、朝倉さんとの約束もあるし、やむなく帰る事にした。それに、キョンはもう少し頭を冷やした方がいいのかも知れない。何が理由が解らないけど、あれじゃ朝倉さんが可哀相だよ。
僕の家の近くにある、とある喫茶店のテーブル。朝倉さんとは、時々ここで待ち合わせて、おしゃべりを楽しむようになっていた。学校からの帰り道に、勇気を振り絞って喫茶店に入る事を提案した時の自分が、懐かしく思えてしまう。あの時、谷口に背中を押してもらえなかったら、こんなに朝倉さんと仲良くはなれなかったかもしれない。谷口には本当に感謝しないと、いけないな。カラン、と鐘の音がして、反射的に入り口を見ると、朝倉さんが中に入ってくるのが見えた。僕は読んでいた週刊誌を閉じて、朝倉さんに手を振った。「ごめんなさい。遅れちゃったかしら?」ううん、そんなことないですよ。「クラスの娘達から、質問攻めにあっちゃってね。ちょっと大変だったの」そう言いながら、朝倉さんは僕の向かい側に座り、飲み物を注文すると、緩やかな微笑を見せてくれた。僕にとって、かけがえの無い時間が、今から始まる。
いつものように、学校での噂話なんかを話していて、ひと段落ついた頃に朝倉さんが、「今日の、学校でのキョン君のことなんだけど…」と、言いにくそうに切り出してきた。なんか様子がおかしかったよね。本当に、どうしちゃったんだろう。「うん、それでね、少しキョン君の事を詳しく見ていてくれないかしら。クラス委員としても、あんな状態のままクラスメイトを放っておくわけには、いかないから」やっぱり朝倉さんはキョンの事が気になるんだね。いやいや、あくまでもクラス委員として、と言ってるし…。「国木田君、お願い」と、言いながら両手を合わせてお願いのポーズ。そんなことをされてしまったら、もちろん僕は断れない。それにキョンの事は僕も心配だったし、全然かまわないよね。「良かった。じゃあ、明日からお願いね」そう言いながら、輝かんばかりの笑顔を見せてくれた。
そろそろ時間的にお開きになるころ、突然の乱入者はそんな時にやって来た。「おやおや、手先その1から情報収集のところ、お邪魔しちゃったかな」見上げると、テーブルの隣に僕と同年代ぐらいの見慣れない男が立っていた。あきらかに蔑んだ表情で僕のことを見つめている。誰だろう、この人は。朝倉さんの知り合い?「そんな顔で僕の事を見なさんなって。あんたの大好きな朝倉さんを、取り上げたりはしないからよ」乱入者は目障りな笑みを浮かべながら、「こんな怖い女、仕事じゃなけりゃ1秒でも長くはいたくないね。後ろからナイフでグサリは嫌だからな」なんだ?この男。「藤原君。国木田君に変なことを吹き込むのは、止めてくださる?」朝倉さんが強い調子で、この男のことを咎める。藤原…という名前なのか?「悪い、そういうつもりじゃないんだ。あんたからの例の事に対する使用提案、それの返答に来ただけだ」「そう。それで、返答は?」「条件付でOKだ。あんたがそれを強く望むと言うのならな」肩をすくめるようにして、藤原が答える。「ふーん。じゃあ、要件はそれで終わりね。国木田君、そろそろ出ましょう」え、ええ。立ち上がる朝倉さんにつられるようにして、僕も立ち上がると、「せいぜい気をつけるんだな、国木田クン。情報ソースとして役立たずになったら、簡単に捨てられちまうぜ、あんたの大好きな朝倉さんにな」上から見下すような目線で、藤原が言う。反射的に、言葉が僕の口から飛び出る。「朝倉さんは、そんな人なんかじゃない」自分でも驚くぐらい、強い声が出た。藤原はクククと、嫌味な笑みを浮かべ。「全てを知っても、そんな事があんたは言えるかな。ま、そもそも奴らの全部を知る事など、人間風情には無理な事かもしれんがね」「藤原君!」めずらしく、声を荒げる朝倉さん。「わかったわかった。邪魔者は去りますよ」藤原はくるりと後ろを向き、手をひらひらとさせながら、去って行った。
僕と朝倉さんもそれぞれ支払いを済ませて、喫茶店から外に出ることにした。帰り道はお互いに無言のままだったが、別れる間際になって朝倉さんが重い口を開いた。「今日はごめんなさい、変な人が入ってきて」いえ、いいんです。あの人は、朝倉さんの知り合いなんですか?「ええ、ちょっとした仕事上の付き合いの人。あまり一緒にはいたくないタイプなんだけどね」眉を曇らせながら、朝倉さんが言う。「それから、ありがとう。私のことを、あんな風にかばってくれて」いえ、あれは…本当にそう思っているから。僕が少し顔を赤くしながらそう言うと、「ありがとう、国木田君」朝倉さんはそう言って、僕の手を両手でぎゅっと握りしめた。僕は自分の心臓の音が、うるさいぐらいにバクバク鳴っているのを感じた。朝倉さんに聴こえてしまうんじゃないかと思うぐらい、鳴っていた。
長かった一日がもうすぐ終わる。布団に入って寝る間際、色々と考え事が湧いて出てくる。今日はとんでもない日だったね。キョンの不可思議な行動から始まって、朝倉さんとのおしゃべりに乱入してきた藤原という男、そして、帰り際の朝倉さんの言葉。不意に、あの藤原とかいう男の言葉が、頭によみがえる。「全てを知っても、そんな事があんたは言えるかな。」確かに、僕は学校以外での朝倉さんを知らないし、仕事というのが何なのかも解らない。情報ソース?役に立たなくなったら捨てられる?そんな事関係あるもんか。騙されて利用されているだけ?それでもいいさ。だいたい、彼は何を言いたいのだ。突然、朝倉さんがツツモタセみたいなことを始めて、結婚詐欺みたいに、大金を奪おうとするとでもいうのだろうか?そんな事に引っかかるほど、僕はバカではないつもりだ。朝倉さんとしばらく一緒にやっていけるなら、今のままでもかまわない。それに朝倉さんは、そんな事をする人なんかじゃないよ。
このときの僕は、そうとしか思っていなかった。
つづく
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